文部科学省が14日公表した学習指導要綱の改定案には、小中学校の社会科に竹島、尖閣諸島が「わが国固有の領土」として初めて明記された。・・・中学の地理的分野では既に記載がある北方領土に加え、竹島と尖閣諸島も領土であるとし、尖閣諸島については「領土問題は存在しない」と記した。
(2/14毎日新聞電子版)
言うまでもなく、尖閣諸島をめぐる領土問題は(少なくとも客観的には)存在する。存在しなければ、尖閣諸島問題というキーワードで検索をかけて50万件以上もの記事がヒットするはずがない。
なぜ教科書が嘘を記載するようになってしまったのか、については技術的には政治的駆け引き(官邸ー官僚)の結果だということもできるが、本質的には党派的な利益に資するという側面を指摘せねばならない。
(これは中国共産党、自民党どちらにも言えることである。)
ジョージ・オーウェルの「1984年」の中で出てくる「二重思考」という概念が最も的確に説明している。
二重思考はイングソック(イデオロギーの一種)の核心である。何故なら、党(中国共産党/自民党)の本質的な行動は意識的な欺瞞(領土問題は存在すると自覚しておきながら、しないと強弁する。)手段を用いながら、完全に誠実さ(いわゆる愛国心)に裏打ちされた堅固な目的を保持することだからである。一方で心から(領土問題を)信じていながら、意識的な嘘をつくこと、不都合になった事実はなんでも忘れ去ること、次いで再びそれ(領土問題)が必要となれば、必要な間だけ忘却の彼方から呼び戻すこと、客観的事実の存在を否定すること(教科書への記述)、それでいながら自分の否定した事実を考慮に入れることー以上は全て不可欠な必須事項なのだ。
(「1984年」ジョージ・オーウェル、カッコ内は筆者による)
教科書を読んで、現状で「尖閣諸島をめぐる領土問題は存在しない」という認識を固定させる生徒はほとんどいないと思われるが、この問題は解決してしまっていると結論付ける生徒は少しづつ増えていくかもしれない。
現実は必ずしも客観的で外在的なものだとは限らないからだ。
同じく「1984年」から、主人公(ウィンストン)が洗脳される過程で、
「ウィンストン、訓練された精神の持ち主だけが現実を認識することができるのだよ。君は現実とは客観的なもの、外在的なもの、自律的に存在するものだと信じている。・・・しかしはっきり言っておくが、ウィンストン、現実というものは外在的なものではないのだよ。現実は人間の、頭の中にだけ存在するものであって、それ以外のところでは見つからないのだ。」
ナチスのユダヤ人収容所で辛酸をなめたV.E.フランクルは、人間に残された最後の自由は頭の中であると言ったが、高度管理社会ではそういうわけでもないのかもしれない。
頭の中の自由(記憶)は常に管理されているからだ。
フーコーが面白いことを言っている。
「新たな統治理性は、だから自由を必要としているのであり、新たな統治の技法は自由を消費するのです。自由を消費すること、それはつまり、それを生産しなくてはならないということです。それを生産しなければならないということは、それを組織しなくてはならないということです。だから、新しい統治の技法は、自由の管理経営者として現れるのです。」
(ミシェル・フーコー「生政治の誕生」より)
フーコーはこの自由を効率よく生産するシステムを「セキュリティ・システム」と呼ぶ。セキュリティ、それは「自由の製造費用の計算原理」(フーコーによる)であり、またそのセキュリティは「個人的な利益に対して集団的な利益を保護すること」を目標とする。
統治性のなかに「自由とセキュリティ」をセットにして組み込むことで、統治者は利益を得る。
つまり、問題を外在的・客観的には見えない形に設定する(=個人の頭の中に単なる情報として設定する=真の問題からの自由を生産する)ことで、問題にかかるコストをセキュリティという名のもとに(司法権、立法権を超越し)行政がフリーハンドで決定する権利を得る。
こういった仕組みは日本よりも現今のアメリカで力強く機能する様子を見せている。
中国共産党やロシアプーチン政権やアメリカ共和党が同じような支配形態をとりつつある現状では、自民党が客観的な問題をすり合わせるという調整的機能よりも単純な政治的パワーを示し続けていかなければ伍していけない、と考えるのもわからないではないが。
ともあれ、図書検定を通った教科書が嘘を教えるのはいかんだろう、とは思う。
(検定は客観的事実に沿うべきであって、政権の意向によるべきではない。)

コメント
コメント一覧 (5)
日常語として「領土のことで困った問題がおきているね」というのとは全然別の話。
特定文脈において特定の意味で用いている用語を、一般語・日常語としての用法と勝手に勘違いして幼稚なひとりずもうしてるだけ。
・軍事でいう「全滅」とは組織だった戦闘行為の継続が不可能になった状態を言う。
若干名がたまたま生き残ってるからといって「まだ生きてる奴がいるから全滅じゃないだろ!全滅してないのに全滅してると言うのは二重思考だ!」なんて言っても意味がないのはわかりますか?
・「外傷性ショックにより死亡」とは、ケガのひどさを目の当たりにしてショックのあまり死んじゃったという意味じゃないのはわかりますか?
・「悪人正機」とは、やくざや泥棒は正しいという意味じゃないのはわかりますか?
「おまえは中国の味方か、けしからーん」みたいな単純素朴な反応にはいちいち反撃する一方で
「君、領土問題って言葉の意味はそういうことじゃないのよ」という失笑まじりの指摘には一切反応してないね。
あるいはひっこみつかないから都合のわるい現実は二重思考で無かったことにしてるんじゃなく、
本当に全く理解できないのかも?
万引き案件は商品の「所有権問題」じゃない ってわかるかな? 無理かなあ?
日本政府の公式見解が定義する領土問題の設定(法的に瑕疵がない云々の形而上的な話)が現実にあっていないから、嘘だ、っていってんの。
「政府の公式見解が正解で現実が間違っている」とする情報を刷り込ませようとするやり方が「1984」的だっていってんの。
これじゃ報道機関が政府広報になってしまっている中国やロシアと同じでしょ、と。
あと、ブロゴスのはキミ、無理でしょう。あんな大量のコメントに反応するのは。しかも、ほぼ罵詈雑言の類だからな。こっちだって機械やコンピュータじゃないんだから。
曖昧な情報は、ミスリードを呼ぶからです。
領土問題化が国民に有利に働く、と国が判断したならそうなります。
同じく、日本海という表記も韓国は認めていない、という事実も載せません。
もっと載せたい大切な事があるからです。
細かい事実は、高校生からで十分だからです。
いま、領土問題と書いた方が、日本にどんなメリットがあるのでしょうか?
一方で、個性を伸ばし、生きる力を養う、というのもある。
知っておいたほうが国民の有利に働く事実のみ、という項目はない。
なぜなら、教育とは有利不利で判断できる材料を提供するサービスではないから。全人的な教育は功利的判断よりももっと基本的な部分を刺激しなければ、機能しない。
で、領土問題はおっしゃる通り功利的な問題なので、「国民の統一性の維持」の範疇に入れるのは筋違い。
平家物語の冒頭部を暗記させるとか、和太鼓を習得させるとか、合わせ出しの味噌汁を作れるようにする、などといった教育は全人的であるが故、「国民の統一性の維持」の範疇に入る。
領土問題に関しては「自分で判断できる力を養う」項目に沿って、客観的事実を載せるのが妥当。