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無期懲役囚、美達大和のブックレビュー

教養を深めたい、仕事に生かしたい――。
人として成長するために本を読みたいと思っても、何から読めばいいかわからないビギナーのためのブログ。
服役中の無期懲役囚・美達大和から届く書評を随時公開。
週2回をめどに更新していきます。


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『限りなく少なく豊かに生きる』 ドミニック・ローホー

『限りなく少なく豊かに生きる』
ドミニック・ローホー
原秋子・訳 
講談社
1296円
*今年3月に届いたレビューです 

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著者はフランス生まれですが、アメリカ、日本と渡り、日本では禅や墨絵の習得を通し、精神文化への理解を深めた、とありました。初めに書いておきます。本書は、是非、読むべき書です。

現代社会では数々の拘束(身肉的・精神的・制度的・経済的、何よりも自己に)がありますが、それをいかに軽減して、物理的にも精神的にも快適にすごすかということに、非常に有益なことが述べられていました。

まずは時間管理から。段取りを能率よく組むこと、無駄使いしないことです。拙著の『女子高生サヤカが学んだ1万人に1人の勉強法』に書きましたが、時間には種類があります。 まとまった時間と、細(こま)切れの時間の使い方を考えてみませんか?

時間とは命の使い方でもあるのです。私は常にそう考えています。本書では不要なアポイントメントを入れない、電話は短く、eメールは5行以内に、と具体的に述べられていますが、私も社会いる時の電話の短さは名物になっていました。また、今やることに集中すること、期限を設(もう)けることなど、実用的な助言でした。

物の管理では、毎日、バッグの中身を出してチェックする、他に持ち物を減らすことのメリットが語られています。ここで自分が必要とする物のリストを作るという助言は、実行してほしいです。

お金についての考え方では、内面に目を向けることを勧めていました。「内面的により真剣な生き方を始めた人は、外面的によりシンプルな生き方になっていく」。ヘミングウェイが語っています。お金で物を得るより、得難い経験、勉学や旅行に使いたいという提案に賛成です。

悪い習慣を変えるには一度に一つずつ、というのは適確な助言ではないでしょうか。ダイエットはヴィジュアル化してみる、頭の中で服装・靴・髪型などイメージするとのこと、やっていますか? 自分に厳しくすることが満足感の源となるとありましたが、首肯できました。(但し、初めは多大なストレスにならないように、自分のレベルと折り合いをつけることを忘れずに)

相手との沈黙の効用、それが心を磨くともあります。赦す(本書では許すでしたが)ということの意味では、受け入れることではなく、その事実がもたらす不運が自分の人生を損(そこ)なうことを拒否することとあり、自らの幸福のために赦すべきとしるのでした。

ここを読みながら、自分の事件と御遺族のことを考えさせられました。どうして、こんな思考ができなかったのか、御遺族は赦すことができないために、人生を多大に損なっているのだと改めて、罪の重さを感じました。

拙著でもさんざん述べていますが、私がどれだけ悔い、謝罪しても被害者は生き返ってくれません。故(ゆえ)に責任をどのように取るかにつき、堅く決めていますが、それとは別に、一人でも多くの人のため(養護施設の子供たちを含め)に有益なことを、少しでもしなければ(心からしたいと欲していますが)、という思いがとめどなく膨らむばかりです。毎日、どうするのが最善なのか、解というのがないのだろうか、などと思案し、仮に解がなくても考え続け、悩み続けることも私の務めだとしています。

本書に戻りますが、必要と思うだけを選ぶ謙虚さを身につける、とありましたが、これも大事なことです。人生の矛盾を解決しないこと、不幸をつくるものは、「私と私のもの」という思考、幸福は豪邸で見つけるものではなく、しばしば、知性の問題である、自分であることに満足する(これ、本当に至言です)、楽しみは外から、喜びは内から、などなど、著者の思索は平易な言葉でありながら(これがイイ)、深いものでした。

現在、物を少なくとか、シンプルにというテーマで類書が多く出されていますが、内容が浅く著者の自己満足、あるいは論理的にもおかしい書が少なくありません。そんな中で本書は、「スグレモノ」だと感じました。いろいろな人物の言葉も豊富で、そのチョイスもきっと皆さんに役立つはずです。

「その日が人生最後の一日であり、再考の結実であるように生きよう」(セネカ)

「時間とは唯一恥じることなくケチになれる富である」(ボーシェーヌ・シャルル10世の外科医)

「失った時間とは、他人の意のままになっていた時間のことを言う」(ボリス・ヴィアン)

「われわれは山にではなく、小石につまずくのである」(インドの諺)

「生活とは、つまり習慣の織物である」(フレデリック・アミエル)

「何の変哲もないものでも満足できる人は、実はすべてを手に入れている」(ニコラ・ボワロー)

「真の自由とは、自分を拘束するものを自ら選択できることである」(マロワン王妃・作家)

「ノンと言えないがために、ほとんどの人間が奴隷にされている」(シャンフォール・詩人)

「運命の星は自分の心のなかにある。私たちは外界の力に依存しているのではない」(シラー)

「決して太陽を失ったことで泣いてはいけない。星を見ようとするのを涙が邪魔してしまうから」(タゴール・詩人)

まだまだ、たくさんありますが、一冊の中で、これはいいなと感じた引用が、これほど多かったのは久々で、著者の精神性に敬意を感じました。薄くてコンパクトですが、中身は厚いです。

私は社会にいた時、本書と対極の暮らしをしていました。『私はなぜ刑務所を出ないのか』に書いていますが、年収は何十億という時もあり、広い家に億単位の家具、ロールスロイスやフェラーリやベンツなど常時8台くらいを所有し、着る物、時計、飲食費に年間、何十億と費やしていたのです。それでも「幸せ」「満足」を感じたことはありません。

二十代の私にとって、目標はもっと上(お金ではなく)にあったのです。絶えず、もっともっと、自分はこんなもんじゃない、という強迫観念を友として生活していました。それが獄に暮らして何年も経った時、捨てることにより、急に見えたのです、「なるほど、このことだったか」と。

私の生活は自らの創意とハードワークで手にしましたが、その代わり、大事なものを捨てていたとも思えます。「座って半畳、寝て一畳」というのは本当でした。物の有無ではなく、「足るを知る」ことであり、身の回りに目を向けるだけでよかったのです。

今、大晦日(おおみそか)の午前11時。年末の特別入浴を終えて、これを書いています。 年末年始のみ、特別にバスクリンを支給され、湯上がりの私は、芳香の中で快くすごしているのです。出所もしないで獄で、「うーん、いい日だ」と思える自分は申しわけないのですが、幸せではないでしょうか。

財とか物について全否定するのも誤まりで、自分の中でバランスを取ることが望ましいと思います。こんなことを知っていたら、私は別の人生があったかもしれませんが、今、ここで気付いたことを尊いものとしたいです。(美)





このレビューで美達が紹介した本


『人間にとって成熟とは何か』 曽野綾子

『人間にとって成熟とは何か』
曽野綾子
幻冬舎新書
821円
*昨年の11月に届いたレビューです 

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曽野綾子さん、週刊ポストで隔週のコラムを書いていますが、私は読者の一人です。その時のトピックスや思潮に対して、びしっとものを言える人でもあります。そこにあるのは、「分(ぶ)をわきまえる」「足るを知る」という精神です。

冒頭、「人間は誰でも、自分で自分を救わなくては生きていられないのだから、どんな悪い境遇になっても必ず自分を生かす要素を見つけるものだ」と述べています。まさにその通りです。これ、私、身を以(も)って知りました。

うーん、人間てのは、しぶといものだ、と。そして、「この世のことは、善でもなく悪でもなく、多くの場合、その双方の要素を兼ね備えている」と言っています。この人らしいリアリズムです。著者は最近の日本人には、他罰的で卑怯な人が増えたと言います。そういう人には、他者に対する感謝の念が全くないのが特徴と語ってますが、同感です。

年齢は重ねているが、少しも成熟していない人が増えた、という主張も、首肯できます。 震災後、送られてくる援助物資の一部に、相手への配慮のなさを見て嘆いたりもしますが、その目的を考えればそうとしか思えません。

また、医療などでも、自分の権利は使って当然という事例を挙げて、正しいあり方とはどのようなものか、問いかけていました。日教組的教育の「人権とは要求することだ」を示し、これが人間の精神の荒廃の大きな原因としていますが、権利と対にある義務をおろそかにしているという点で、賛同します。

著者は、私たちの誰もが多くの人の世話になっていると述べ、世話になっていうのである、しかし、どれだけ世話になったかを見極めることとしていました。他者の世話になっていい、というのは、安堵できますね、世話になってはいけないと思ってきた私には。このように本書は一つ一つ、具体例を示して、著者なりの成熟した態度とはどのようなものかを綴っているのです。

子供の人権と自由についても、自立していない以上、自由に生きられるわけがない、ただし、親からあふれる愛情を浴びて育つことを原則としています。著者の職業である作家についても、一行ごとに改行するような人の浅ましさを説いていました。すかすかのページの人、いますよね。私も似たようなこと思ってました。高額所得者で有名な作家、いつも、そんな作品ばっかで、金にきたない人間だと考えていたので、合点がいったのです。

ボランティアについては、自分の心に向かってやるべきで、自己満足は善意の押し売りとしています。AKB48へも言及してますが、決して厳しい意見だとは思わず、おそらく多くの人が内心で感じてるはずです。

貧困とは今夜、食べる物がないこと、人は確実に他人を正しく評価できない、無難な生き方は卑怯、人の一生は最後までわからない、など、一読して考える材料となっていました。 私は全肯定ではないですが、著者の現実的な思考にうなずけるものでした。

人間の品は、群れようとする心境を自分に許さない、あります。品を保つということは、一人で人生を戦うことであり、自分を失わずに誰とでも穏かに話ができ、流されないこと、としていました。そして、成熟とはキズのない人格になることではなく、熟することによる芳香を指す、とも言います。

詳しくは本書で見てほしいのですが、理想論ではなく、現実に即した言葉が並んでいました。著者は、その時々の話題に対して、かなりの辛口でものを言いますが、その源流は未開の地の生活であったり、戦時中、戦後の生きることが精一杯の時代のことです。そのことに対して今、我々がいるのは日本であり、現代なのだと批判的になる人も少なくないでしょう。この社会にいる我々の権利と、そんな地域、あるいは時代を同列にするなと。しかし、そういうことを考えられるのも大事というより、必要でないでしょうか。

曽野さんの主張には、時として、極端だと感じることもありますが、今の日本人に欠けてるもの(こと)って、「足るを知る」ということだと思います。人生の目標は高いところに置いたとしても、現在の境遇を受け入れて、なにか不都合や不満があっても、「こんな坂なんか登りきってやろうじゃないか」という気概が大切なんですね。(私、これ、得意というか、いつも、そう思ってますが)

リベラルに考える人にすれば、曽野さんのような提言は、前近代的であり、不合理だと切って捨てるでしょう。そうやって、わずかずつでも生きやすい、暮らしやすい、あるいは己にとって快適な状況を得たい、得る権利があるんだと。軽視できないことですが、人はままならない状況の中でどうするか、に成長や真価を問われると思うのです。

大変に偉そうというか、わかったようなことを言ってますが、私などは、これをもっと実践しなければならない人間だと、痛感しています。獄の中というのは、微塵も努力しなくても、楽々、生きられるわけです。そして、99%の者(受刑者)が、安逸に時を浪費し、人として成長なく社会に出て、悪事に精を出すようになっています。だから、人は、ここでいくらでも堕落できるわけで、己で己を戒めてないと人ではなくなるんですね。

人格の成熟なんて、まず、あり得ません。しかし、長い歳月を生かそうと思えば、生活の心配なく、できる所でもあります。社会にいる人も、今が完全に満足という人は少ないでしょうが、自分の心一つで、不満を軽くしたりもできるはずで、それも一つの成熟かもしれません。本書を読みながら、そんなことを想起しました。是非、一読を。(美)





このレビューで美達が紹介した本


「仕事について」 第36話

前回までのあらすじ----------
エージェントへの道をひらいてくれた
“にしきの支社長”とは
妙に気があった。時折、2人で酒を飲んだ。
ある日、にしきの支社長が私に聞いた。
「将来何をするか、決めてるの?」

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「まだわかりません。そろそろ決めないと
いけないんだろうけど。
とにかく、何を選んでもバリバリやれるように
鍛えるだけです」

「あれだよネ、自分しかなれない
なんとかになるんだっけ。
なんとかって何だろ?」

「さあ。いつも考えてますけど、わかりません。
でも、今、やっていることを
一生懸命やっとけば、
そのうち形みたいのが見えてくると
思ってんです」

実際に、20歳の私は、それが何なのか、
見えませんでしたし、今でさえ、
「もしかすると、こういうのかな」
という程度です。
その、「なにものかになる」ために
努めるプロセス自体が、
追い求めているものなのかと思ったり、
そうではない、その先により具体化された
「なにもの」があるのだ、とも考えています。

「20歳かあ。こんな20歳なら、20年30年後の
未来は薔薇(バラ)色だネ、ミタちゃん」
「支社長。薔薇色もいいですけど、
俺は知りたいんですよね」
私の言葉に、支社長は、
「何を?」と訊いたのです。

「こうやって働き続けたら、俺は
どんな人間になれるのかなと」
「そりゃ、偉くなって、金持ちにもなってるさ」
「偉いとかより、凄くなっていたいです。
金は、たぶん、不自由しないでしょうけど、
働いていれば」

こんな話をしたものですが、私の同級生は、
ほぼ全員が進学し、医者になる、
弁護士になるという友人が、
少なくありませんでした。
それなのに、私は明確に決まってない状態で、
「もしかすると、人生とは先に○○になりたいと、
その職を限定するものなのか。
俺は遅れてるのか」とも思ったものです。

時々、父にも、「おまえは何をやりたいのだ?」
と訊かれていましたが、
はっきりしたものはなく、これでいいのかな、
と自問していました。
いやいや、目の前のことを真摯にやっていると、
ある日、見つかることもあるだろう、と思い、
日々の仕事に取り組んでいたのでした。

迷ったところでどうなるわけでもない。
まずは、やるべきことを、しっかりやろう。
そうしたら、自(おの)ずと道は開ける、
という信念があったのです。
進め、進め、俺の未来に向かって進め、と
毎日、唱(とな)えながら働いていました。

とにかく、俺は目標を必ず達成するんだ、と
揺るぎない精神が
自分を引っ張っていたのです。
不安など一片もなく、未来は金ピカと思っていましたが、
そもそも、不安の根拠の大半は、
はっきりしていません。
というより、不安は自分が作っているものです。

過剰推測というくらいに
人は悪い方ばかり考えています。
他では、働くということは、
与えられるのではなく、自ら主体的に働くことだ、
と感じたのは大きなことでした。
さらに、人は自分のイメージのレベルにしか
なれないことや、鮮明なイメージを
持たなければいけないことも知りました。
この点では、小さい頃から、自分はこうなるという
空想(妄想)が得意だったのが
幸(さいわ)いしたのです。

努力することの意味についても、
業績や誰かに勝つのが目的ではなく、
自分が持っている潜在能力を
どこまで発揮できるのか、
というものだと思いました。
そして、表面上のポジティブシンキングではなく、
論理的に分析したうえでの
真のポジティブシンキングの大切さも
知ったのです。

「こころよき疲れなるかな
息もつかず仕事をしたる後のこの疲れ」
という石川啄(たく)木(ぼく)の詩(うた)の通り、
本当に全力で仕事をした後の
この心地よさは、
なんとも言えないものでした。

他にも時間管理の徹底、
日々の予定を機械的に数字で縛るなど、
自分に課したことが
功を奏したとも言えます。

それと、このことは考えていなかったのですが、
初めに3年間は休まず、
とにかく働いて働いて……
という決意がハードワークを
促してくれたのです。

一生ではなく、その中のたったの3年間で
どこまでやれるのか、という
実践は私の性分にも合ったものでした。
3年しかない、その間に
自分がどの程度の人間なのか、
結果が出てしまうという
強迫観念に近い情動が
背中を押したとも言えます。

友人・知人からは、休みもなく大変ではないかと
再三、言われましたが、
微塵もそんなことを考えたことはなく、
休日の若者たちを見ても
羨ましいと感じたことは
ありませんでした。

逆に自分の未来の方が、はるかに楽しみであり、
もっと働こうとさえ思っていました。
振り返ると、オメデタイ性分なのですが、
休日に仕事をしている時ほど、
頭の中で未来は輝いて見えたのでした。

なぜなら、今も変わりませんが、
「天は正しい努力を重ねている者を裏切らない」
という信仰があったのです。
自分がやるべきことさえやっていれば、
早いか遅いかは別として、
きっとできると思っていました。
『虞美人草』にこんな一節があります。

「運命は神の考えるものだ。
人間は人間らしく働けば、
それで結構だ」

仮に人間の運命が決まっているものだとしても、
正しい努力・行ないをしていれば、
それに見合った人生になると信じていたのです。
もし、そうでなくても、
運命のいたずらなんかには負けないぞ、
という気概があります。

運命が私にどんなカードを配っても、
自分はそれを生かしてやるんだ、
という意気込みで
笑って受け取ろうと思っていました。
だから、この3年間、自分との約束を守り、
しっかり働けば、
あとは道は開けると疑わなかったのです。

それに再三、言ってますが、業種より、
自分がどう働くのかという
ヴィジョンがありました。
また、自分に対して否定的感情を持たなかったことや、
めげない性分だったことも幸いでした。
既成概念もなく、
とにかくやってみるという
思考もよかったと思います。

本来は効率が悪い飛び込み100軒という営業を
前の店で経験していたことが
忍耐力や持久力につながり、
ノーに対する嫌忌の念もなかったとも
言えるでしょう。
単に結果である契約数よりも、毎日のプレゼン数など、
行動をルール化したことも有効でした。

「生活とは、つまり習慣の織物である」という
アミエルの言葉通り、
自分にとっては完全に習慣となっていました。
夢を売る仕事(自分に対しては夢を確かめる仕事)と
称していたのですが、
その夢とは日常の些細なことを
地道にやることでしかありません。

その些細なことに誠実に取り組めるかどうか、
たったそれだけのことだと
悟らされたのは大きなことでした。
私は契約のためには、
お客さんと一度しか会わないとし、
その場でイエスでなければ
断わっていましたので、
プレゼンもうまく話すより、
何を強く訴えるかを大事にしていました。

あとで返事をします、考えさせてください、というのは
99・9%ノーになり、
その人は始めるきっかけを失うと考えていたので、
必ず、その場で決めてもらったのです。
それには、はっきりとした根拠がありました。(美)

*次回の「仕事について」は、
8月23日更新予定です。 

みたつ・やまと●1959年生まれ。2件の殺人を犯し、長期刑務所に服役中。現在でも月100冊以上を読む本の虫で、これまでに8万冊以上を読破。初めて衝撃を受けたのは10代のときに出合ったロマン・ロラン著『ジャン・クリストフ』。塀の中にいながら、郵送によるやりとりで『人を殺すとはどういうことか』(新潮社)、『夢の国』(朝日新聞出版)などを著す。
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『女子高生サヤカが学んだ「1万人に1人」の勉強法』
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『牢獄の超人』
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『私はなぜ刑務所を出ないのか』
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『塀の中の運動会』
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『刑務所で死ぬということ』
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『人を殺すとはどういうことか(文庫)』
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『死刑絶対肯定論』
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『ドキュメント長期刑務所』
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『人を殺すとはどういうことか(単行本)』
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『夢の国』
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