-

無期懲役囚、美達大和のブックレビュー

教養を深めたい、仕事に生かしたい――。
人として成長するために本を読みたいと思っても、何から読めばいいかわからないビギナーのためのブログ。
服役中の無期懲役囚・美達大和から届く書評を随時公開。
週2回をめどに更新していきます。


>>はじめてこのブログを訪問された方へ | >>管理人より、みなさまへ。

美達から手紙が届きました(2017年1月15日付け)。

 年女さん、元気にやってますかね。本当に心の優しい頑張り屋さんで、その心をずっと大切にしてほしいです。久々のコメント、仕事が大変なようですが、体を大事に励んでください。
 
 それにしても、みなさんの心が温かく喜んでいました。
 
 『塀の中の運動会』読んでくれたようで。そう、桐生の言動の通りです。目標をしっかり持つか、自分は普通では終わらないという不動の信念があればいいのでは、と考えてきました。自分しかなり得ない境地に達する日を望みながら。
 
 修養中の息子さん、「末席」の話、とてもよい話でした。細心の注意を払って読んだリ、考えたりしてるのですね。何でも、己の頭の中で考える事、心がけたいものです。お母さんにしたら嬉しいでしょうね。お母さんのコメントも楽しみにしてますが。
 
 「サヤカ本」、読んでくれてありがたいです。高2、これからいくらでも間に合いますね。

 私、変な言い方ですが、奇矯な父のおかげで、自分に厳しく、努め続ける事を「普通・あたりまえ」だと疑わずに育ったのです。苦しいとか、きついのは当然の事で、それでやめるなど、全く考えられませんでした。他人の倍でなく、5倍、10倍やれ、できなかったら父さんの血が入ってない、など、素直に「そんなものか。よし、やったるでい!」みたいなものです。成長に伴い、「あれっ、みんな、やってないのかよ」と気付きましたが、結果がばっちり出ていたので、なるほどと続けています。自分が「やりたい」と思ったら、途中で休むことはあっても続ければいいだけです。3日坊主も90回ばかりやれば1年となります(中1日の休みで)。あとは、その日1日だけを考え、まず、目の前のことに集中することですね。

 「学習」の附録、なつかしや。私、「科学」も愛読者でした。自給25円強で頑張っています、今。
 
 私のブログで本のレビュー、いろいろ作業があり、検索難しいようで申しわけないです。

 「東京プリズン」私も読みました。どうか、今年は読書を楽しんでください。
 
 寒さに負けず、健康第一で!(美)

「日本史の教養」第85回

AdobeStock_105742430

 公式では、「西洋流を主張することは皇国のためならず、藩の名を汚すから」というものでした。実際のところは、尊攘派士族が己の不遇もあり、洋風を推進し、日ごろから傲慢な大村の態度と評判の反発も相俟(あいま)っての犯行となりました。犯人らは、その後、逮捕されて斬首となっています。


 こうした世情が不安定な中で、諸藩からの知藩事(ちはんじ)辞職願いや廃藩や改革の建白が相次いで起きたのです。徳島藩(25万7千石)の知藩事(ちはんじ)の蜂須賀茂韶(はちすかもちあき。藩祖は、豊臣秀吉に仕えた蜂須賀小六です。茂韶は隣藩の土佐の山内容堂とは対照的に贅沢・浪費をせず、堅実な経営をした人で、諸藩が財政難で苦しんでいるこの時代に、淡然としていました)が1871(明治4)年1月に「断然、藩の名を廃し」て各藩の広さに応じて、2県から5県に区分する廃村置県の県議を行なっています。


 この建議では、知藩事を「知州事」として改め、国政に参与させ、大参事(だいさんじ)を地方官の地県事(ちけんじ)に任命し、軍事権を中央官庁の兵部(ひょうぶ)省に一元化(いちげんか。一つにまとめてしまう)するとしました。


廃藩としながらも、知藩事自らが国政に参加するという目的があります。同じ頃、鳥取藩の知藩事の池田慶徳(よしのり)が建議している仲にも廃藩論がありました。そこでは、郡県制の実行を提案しています。版籍奉還・府藩県三治体制が不完全であり、また、陋習(ろうしゅう。悪い習慣のこと)が残っていて、知藩事の中には自国を「私領」(自分の領国)と考えている者も多く、この状態を改めるためにも、軍事権を一元化し、知藩事の家禄(かろく。俸給のこと)を大蔵省に収納して郡県の体裁(ていさい。外から見られた際の形)を整えよとあり、廃藩(大藩はそれのみで一県、小藩はいくつか統合して一県にせよと)と知藩事の東京在住をも唱えていました。この東京在住では、見聞を広めたり、時勢を知るため、毎年3~5カ月間の帰藩を加えています。


 政府は蜂須賀・池田の二案について検討しましたが、結論は出していません。知藩事の辞職願いでは、肥後(ひご)藩・名古屋(なごや)藩の知藩事である細川護久(もりひさ)と徳川慶勝(よしかつ)が申し出ています。細川は官制の簡素化と人村の登用を建議し、知藩事が門閥(もんばつ)層から出ていることが、人村登用を妨げているとしたのです。


 徳川(ここは、御三家(ごさんけ)の一つでした)は、政治の統一化のために、学校制度統一、人材登用、軍事権統一、一州一知事制、華族家禄の平均化の五策を建議しました。この後、中・小の藩からも次々と廃藩や、府藩県三治体制の不備についての建議が続きました。


 戊辰(ぼしん)戦争で朝敵(ちょうてき)(朝廷の敵)となった米沢藩は、復建を目的とした藩政改革を進め、土佐の板垣退助の助言を受けた禄券(ろっけん)法採用、伺いを出しています。この時、板垣の指導を受けた、米沢藩の宮島誠一郎が、諸藩の連携で活躍することになりました。


 これは、土佐・熊本・徳島・彦根(ひこね)・福井・米沢の6藩の連携で、中心は土佐藩です。いずれも、藩体制の解体となる主張や政策を実施していた藩でした。6藩は1871(明治4)年4月14日に、集会を開き、藩政改革を議題として討議しています。


 その後、この集会は定期的に開かれ、議院(諸藩会議)の開設と、薩摩藩に対して、独立しているかのような割拠(かっきょ)主義の放棄を求めたのです。6藩は、諸藩会議の開設を、三条・大久保・西郷へ働きかけました。これら一連の働きの狙いは、朝敵となった米沢藩は自藩の立場を優位に置きたいということであり(その点では彦根も似ています)、他藩は薩摩の突出ぶりの抑止でした。


 この6藩の要求に対して岩倉は、同年4月に「大藩同心意見書」を三条に出しています。これは岩倉の主張をもとに大隈(おおくま)が改革しました。全18項目で府藩県三治体制の徹底化による中央集権化、民政・財政・兵制・刑法の統一、禄制改革の他に藩名を廃して州・郡・県とし、15万石以上の藩を州、5万石もしくは7万石以上の藩を郡、2万もしくは2万5千石以上の藩を県として、2万石以下の藩は統廃合するという案でした。小藩は統廃合しますが、大・中藩は残ることになるのです。


 岩倉の提案については、廃藩論か否かで、意見が分かれていますが、決して廃藩論ではありません。大藩を優遇していることも、その根拠です。府藩県と政体の在(あ)り方では、岩倉・大久保らが久光に会いに行った際に、西郷も政治意見書を出していました。24カ条にもなるもので、政府改革と中央集権化を唱えています。政治家というより、思想家のような、「人間」を重視した西郷らしい意見書となっていました。


 このような面が、維新後の日本をどのような国にしていくか、どんな政治体制をとろうか、という実務において、大久保と異なっていったとも言えます。西郷は制度・機構よりも人事問題を重視して、政府官員の政治倫理や姿勢を厳しく問い、刷新を主張しました。地方制度に関しては、集権化推進を主張し、制度・法制・礼節・刑法・軍制などを府藩県同一にして独自の改革を禁止すること、中央政府の政令が府藩県に貫徹するようにすること、政府は府藩県を同一に扱い、愛憎があってはならないこと(西郷らしいです)、としています。


 西郷は、政府の権力基盤の弱さが、府藩県三治体制の障害となっていると知っていました。それを打破するには、大藩の力を動員して献兵による政府直轄軍(親兵)の創設と、政府の方針に従わない藩に対しては親兵により征伐するとしています。親兵については、1万3千人に膨れ上がった薩摩藩兵の負担を軽くするため、親兵として政府に俸給を払わせると共に、親兵化で士族の身分も保証できるという理由もありました。こうして親兵制度が整ったのです。


 こういう背景のもと、政府権力の基盤強化のために、岩倉は大藩の力を動員しようとしたのです。薩長両藩を中心として、名古屋・福井・肥前(ひぜん)・土佐の各藩に国事を諮詢(しじゅん)することで政令を発すれば、憂(うれ)うる所はない(心配無用)と大久保に語っています。大久保も前記の他に宇和島(うわじま)藩の参加を主張していたので賛成しました。


 こうして同年7月4日に、薩長・土佐・名古屋・福井の知藩事5人に「国事御諮詢」のため、毎月3回(2・12・22日)に出仕(しゅっし)が命じられたのです。そして、三条・岩倉は、この5藩以外にも国政に参加させようとしていました(この件は実現することはありませんでした)。他方、大久保は政府基盤強化のため、同年5月にしたい改革を提案します。


 大納言(だいなごん)の廃止と左・右大臣(各1名)と准大臣(3名以内)の設置、参議(さんぎ)の廃止(各省長官がその職務を担当)、各省の整備が骨子(こっし)でした。左右大臣に権限を集中させ、岩倉を右大臣に昇格させるのが目的です。この時の右大臣は三条で、大納言が岩倉でしたが、三条を左大臣にして、岩倉を右大臣にと構想していました。参議の廃止では、各省長官が大政に参与することで、実質は参議と長官の兼務とも言えます。


『我、人に且つ道を知らず。我に且つ道を知れり』

(柳生宗矩、武芸家)


『歴史問題の正解』 有馬哲夫

_SY346_

『歴史問題の正解』
有馬哲夫
新潮新書760円+税
2016年8月刊

 オビに、

日本は「無条件降伏」していない
南京事件は「中国」のプロパガンダ
真珠湾攻撃は「騙し討ち」ではない

 とあります。

 自虐史観派(何でも日本が悪いと、相手の非は一切、見ようとしない「エセリベラル」)が見たら、「また、修正主義者(リビジョニスト)の著者かと非難するでしょうが、これらはいずれも真実です。

 それなのに、逆であると歴史を歪曲してきたのが、朝日新聞・岩波書店をはじめとするメディアと、リベラルと謳いつつ、実態は嘘だらけで固めた、ニセモノ知識人たちでした。

 その点については、遠くない未来に私が連載「日本史の教養」や、著書の出版(頑張っていますので、もう少し、吉報を待っててください)でくわしく、公正に明らかにします。

 ざっと、本書のテーマを眺めてみますと、ヤルタ会談(1945年2月に、アメリカのルーズベルト大統領・イギリスのチャーチル首相・ソ連のスターリンが集まって、戦後の枠組みについて会談した)の真相、北方領土が奪われた内幕とアメリカ・ソ連の暗闘、ポツダム宣言をとりあげた、共産党の志位委員長の誤り、原爆投下は必要なかった、現代中国の歴史は侵略の歴史だった、尖閣諸島は間違いなく日本の領土、などでした。

 じつは、ある企画のために、中学・高校の歴史教科書を何社も読んでみたのですが、驚く(というより呆れた)ことに今でも南京大虐殺と記して、日本軍が虐殺をしたという教科書がありました。

 大虐殺などなされていません。数の上でも、内容の上でも、ありあえないですし、まともな史料のみならず、当時現地にいた新聞記者(日本と欧米の)も見ていませんし、正直な多数の外人・中国人らが、「なかった」と語っています。

 このような虚偽の歴史が刷り込まれたのは、日本を占領したGHQ(連合国軍総司令部、実態はアメリカのマッカーサー元帥をボスとするアメリカの司令部みたいなもの)の、一部門であるCIE(日本のメディアと教育の改造を担当した「民間情報教育局」)が、日本人に大東亜戦争が侵略目的の不正義の戦争であったと洗脳する目的の「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」を展開したせいなのです。

 他にも東京裁判で、連合国が正義であるとするためと、中国共産党の巧妙な宣言・プロパガンダの影響でもあります。日本の場合は、戦前・戦時中に非難の目で見られたリベラルの人たちが、GHQのバックアップを受けて、以前の報復とばかりに、反日自虐史観の流布に尽力したことも小さくありません。

 大体、「アジアを侵略した」と言っていますが、当時のアジアで独立国は、日本・タイ・中国の3国だけでした。しかも、中国は列強の半植民地状態、タイはイギリス・日本の顔色を窺(うかが)いながらのコウモリ戦略と、イギリスの意向に従いつつ、やっと独立の形を保っていたのです。

 宣戦布告した日本軍が進軍したのは、敵国アメリカ・イギリス・オランダ・フランスなどの植民地であり、その国の軍隊と戦うためでした。アジアというのは現代と違って、アジアの国々はなく、単に欧米の植民地のある大陸名(地域名)でしかなかったのです。

 ただ、戦闘をその他でした以上、多大な迷惑(犠牲者を出すことを含めて)はかけています。しかし、それは戦闘である以上、相手がいなくてはならず、敵国も同様(欧米の植民地運営の歴史を鑑みれば、日本とは比較にならないくらいに)に迷惑をかけたのです。

 それを、反日自虐史観派は、日本の非だけ限定して糾弾しています。限定すれば、連合国(敵国)のどの国だって、非はあり、不正義なのです。一つ、明確に言えることは、侵略国という汚名は、いつの世も敗戦国が被(かぶ)せられるものでした。

 また、日本は明治時代の政治家と軍人の協力、将来へのヴィジョン(戦争をどのように終わらせるか、講和をどうするかなど)をしっかりと持っていたことを忘れ、昭和の戦争では政治家と軍人の勝手な政策、とんでもなく稚拙(ちせつ、ヘボヘボ)な外交と、ミスだらけの戦争をしたのです。

 こんなに、無計画な状態で、連合軍相手に、よくも3年8カ月も戦えたものと、改めて日本軍の強さ(作戦立案の参謀などの将校は最低ランクなのに!)に呆(あき)れてしまいます。

 その、あまりの強さが、近隣諸国が日本の軍国主義(実際はその逆の状況なのに)に今でも恐怖感を持つ要因となっているのです。こういった、諸々(もろもろ)のことも含めて、遠くない将来、、みなさんに説明するので、個々に学習しながらも待っててください!

 さて、本書は、冗長な説明がなく、正確な史実(しじつ)に基(もと)づいて前出の疑問や批判に答えています。こんなにコンパクトなのに、中身は濃いのです。

 著者の書は他にもいろいろ読んでいますが、信頼でき、平易な言葉ながら、レベルも低くありません。こんな書き方がいいな、と私にとっての見本とも言えます。

 日本人だから、日本が常に正しいのではありません。悪い面もありまし、自衛のつもりが行き過ぎた、軍・国としてではなく、個人(将官など)の資質のせいで犠牲者を出した事件・事象もあるのです。

 また、戦後、GHQを筆頭とする組織ぐるみの民主教育のせいで、日本人として持つべき魂の喪失により、価値観が変わって、現代日本人には違和感を覚える点も多々あります。

 民族の誇りというと、すぐに軍国主義・偏狭なナショナリズムなどを連想するでしょうが、そうではありません。欠陥のない国・民族などいませんが、他国・他民族と相対的に見た際、日本人・日本という国の価値や、ありがたみを実感できる日が皆さんと私にくることを心より願うばかりです。

 そのためにも、今、努めています。本書、是非、一読を!(原爆投下での、アメリカ政府の内幕については『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』の1が読ませてくれます。他にも数多あるのですが、ブログ、私のこれからの著書を期待してください!)

『あなたに傷つけられても眠れるが、あなたを傷つけたのでは眠れない』
(沖縄のことわざ)

このレビューで美達が紹介した本


みたつ・やまと●1959年生まれ。2件の殺人を犯し、長期刑務所に服役中。現在でも月100冊以上を読む本の虫で、これまでに8万冊以上を読破。初めて衝撃を受けたのは10代のときに出合ったロマン・ロラン著『ジャン・クリストフ』。塀の中にいながら、郵送によるやりとりで『人を殺すとはどういうことか』(新潮社)、『夢の国』(朝日新聞出版)などを著す。
>>livedoorプロフィール

記事検索
美達大和著書

『人生を変える読書 無期懲役囚の心を揺さぶった42冊』
廣済堂出版
amazon


『女子高生サヤカが学んだ「1万人に1人」の勉強法』
プレジデント社
amazon


『牢獄の超人』
中央公論新社
amazon


『私はなぜ刑務所を出ないのか』
扶桑社
amazon


『塀の中の運動会』
バジリコ
amazon


『刑務所で死ぬということ』
中央公論新社
amazon


『人を殺すとはどういうことか(文庫)』
新潮社
amazon


『死刑絶対肯定論』
新潮社
amazon


『ドキュメント長期刑務所』
河出書房新社
amazon


『人を殺すとはどういうことか(単行本)』
新潮社
amazon


『夢の国』
朝日新聞出版
amazon


最新コメント
立体イラスト

このブログに使用している立体イラスト作品はすべて町田七音氏による作品です。
>>サイト『-七色町-』

  • ライブドアブログ