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無期懲役囚、美達大和のブックレビュー

教養を深めたい、仕事に生かしたい――。
人として成長するために本を読みたいと思っても、何から読めばいいかわからないビギナーのためのブログ。
服役中の無期懲役囚・美達大和から届く書評を随時公開。
週2回をめどに更新していきます。


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『うちの新人を最速で一人前にする技術』 野嶋 朗

『うちの新人を最速で一人前にする技術』
野嶋 朗
講談社アルファ新書
840円+税

*今月届いたレビューです

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オビに、「へこむ、拗(す)ねる、すぐ辞(や)めるゆとり世代を美容業界はなぜ次々即戦力にできるのか?」とありました。本書は、美容業界の人材育成をモデルとして、いかに早く戦力にするかという書ですが、もちろん他の業種にも十分に応用できるものでした。

「ゆとり世代」。 

1987年4月2日から2004年4月1日の間に生まれた若者たちのことですが、5年程前から4大卒の彼らが入社しています。彼らの特徴は、競争しない、消費しない、冒険しない、失敗恐れる、指示待ちが多いなど、従来の社員教育が通用しなくなっているそうです。

美容業界では4大卒より早く新人が入ってきたこともあり、彼らに合わせた教育方法が研究されていました。まずは、「型」の習得です。押し付けてでも伝えるとありました。型を押し付けると個性を伸ばせなくなるのではないかという葛藤があったという経営者は、「型を押し付けられてなくなるような個性だったら、そもそもそれは個性ではない。人の個性は、そんなひ弱なものではない」とふっきれたといいます。

放っておいて伸びる子は少なく、日常の仕事で小さな成功を小さく褒めるのを繰り返すことが大切と語っていました。大切なのは、新人を大きくつまずかせない、注意する際は性格を指摘するのではなく、行動を変えて欲しいと伝える、若い世代は社会貢献意識を高めている世代と認識すること、より自律的に仕事を考えていけるように育てることなど、私世代(55歳です)からすれば、「お客さん」のように扱うことのように感じます。

「教育とは、その子が立っている場所から向かいたい場所までの道筋。一方的にゴールを決めて情報を押し付けてもスタッフは伸びない」と語る経営者もいました。この人は、スタッフに、「今、何に困っている? これから何をしたい?」と問い、1人に4時間かけてミーティングするそうです。

私も丁寧なほう(社員に対して)だと思っていますが、各自の考えていること、希望、不安を把握していました。今のゆとり世代は、構ってくれる人がいないことに対する耐性が低いので、細(こま)やかな配慮が必要だそうです。「お金は感動が姿を変えたもので汚(きたな)いものではない」「売り上げは、お客さまの拍手の数」「ありたい姿と現実のギャップ、そして期待を個々に確認していく」「若者にチャンスを増やすことを優先した人事異動と思い切った投資」。こんな言葉がぎっしりと詰まっています。

また、「どうせ、やっても変わらないですよ」と、自ら経験したことがなくても机上でシミュレーションし、結果を予測してしまう「さとり世代」に対しても、教育方法がありました。熱くならない、がむしゃらにならない、というさとり世代、うーん、もったいないな、一回しかない人生だというのに。こんな若者に対して、「ちょっとキラッとできること」を応援するための環境をつくる、そのためにはどうするかが述べられています。

他にも商品やサービスを売るには、「物語を作る力」が必要とありましたが、まさにその通りです。『仕事について』(私のレビュー)にあるように、形のないものを売っていた私は、お客さんに「物語」を作って売っていました。その能力を備えた時の自分、使っている自分、身に着けていく過程での努力している自分、やり遂げた自分などなど、各人の性格やニーズに合わせて一緒に考えて作っていたものです。

後に不動産や外車販売もしましたが(これ、『仕事について』で書きますので、何らかの参考にして欲しいです)、物語ってすっごく重要でした。物語を紡(つむ)ぎたいというのは、多くの人が潜在的に望んでいますし、ささやかな物語なら、日々の暮らしで紡いでいる人も少なくないんですよね、きっと。決して嘘というのではなく、しっかり意識し続けることで実現可能なことが物語です。カボチャが馬車になるのだって可能ですし、0時が来ないままというのもできると思います。

「組織内の親密性は自然発生しない。だから組織は親密性を作る場をたくさん設ける必要がある」

組織の密度によって成長の速度も離職率も変わります。昨今、ブラック企業が喧伝されているのですが、離職率が高ければ結果として業績は悪化していくしかありません。それが具現化している有名企業、既に出ていますよね。離職率が高いというのは、社員を育てる時間・コスト・マンパワーの無駄で、必然として総合力を低下させ、人材募集コストを高めていくのです。

さて、本書ですが、全国の勢いのある美容業界の経営者の方がたくさん出ています。新書にするのは、もったいないくらいに内容が詰まっていて、業種を問わず、私生活にも応用可能でした。自分が会社で上司・先輩になる人、教える仕事をしている人には、役立つこと受けあいです。良書でした、是非、一読を!(美)





このレビューで美達が紹介した本


「仕事について」 第46話

前回のあらすじ__________
シアターレストランでも、教材販売でも
圧倒的なパフォーマンスで
ナンバーワンにのしあがった。
独立を決めた私に、父の友人たちは、
不動産屋、パチンコ屋、焼肉屋などを
勧めてきたが、
私が選んだのは別の仕事だった。


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それは、学生の頃に、ほんの一瞬、
考えたことはありましたが、
すぐに選択肢から消えたものでした。
私が決めた業種は、
父と同じ金融業だったのです。
しかも、対象とする顧客も中小企業で同じでした。

現在もあまり変わらないのではと思いますが、
中小企業は銀行に
深くアクセスできない面が見られ、
銀行自体もタッチしたくない、
コストをかけたくない、
リスクもとりたくないという現実に
疑問を感じていたこともあり、
それなら自分で、と思ったのです。

相手の役に立ち、喜ばれたり感謝されると
自分が嬉しいという単純な理由と
顧客の経営者の人たちから
経営上の問題点・悩みなども聞かされ、
「一度の人生で多くの業界のことを知ることが可能」
という思いが湧き起こりました。

ここで正確を期すために付け加えますが、この思いは、
「困っている人の力になりたい、
社会のためになりたい」
という高(こう)邁(まい)な志からではなく、
他とは違うことをやりたい、
という稀少性を尊重したからです。
また、他の金融業者は、ひたすら顧客に対して
金利(利潤)を運んでくる者と見做(な)していたことがあり、
私は真に感謝されるような
金融業者になるのだとも望んでいました。

結果として顧客の役に立ちますが、
動機には崇高さはなく、
「俺だからこそ、俺がやるからには」
というエゴがあったのでした。

社会人となってからの3年間で働くための思考・視点は
着実に進歩し、労働や目標に対する
忍耐力・持久力も向上したのですが、
最も必要とすべき、
「社会の一員、一人の人としての精神の在り方」
に成長はなく、偏った人間として
スキルを重ねていきました。

養護施設に寄付をすることも、純粋なる善より、
子どもたちへの同情と社会の不公平への不満、
国や他者がしないなら俺が、
という思いからです。

もし、私がもっと聡明で、有徳の士を目指すなり、
徳というものを重視していたら、
より多くの人のために役に立てましたし、
獄にも来ることはなく、
被害者もいなかったでしょう。
なぜ、徳を目指さなかったのかを顧(かえり)みますと、
「世の中は実力が全てだ、
その中でうまくやっている自分は正しい」という
浅はかな無(む)謬(びゅう)性(誤りはない)があったのです。
この点に気付いて修養していたならば、
多くの人のために役に立てた、
幸福にできたのにと残念でなりません。

話は戻りますが、他にも金融業を選んだ理由の中には、
経営と金融の両方を経験できる、
一度の人生でより多くの知(ち)見(けん)が広められるという
目論見(もくろみ)がありました。
収益を得るということでは、
「収益ではなく、すべきことに没頭すること」だけ
考えればいいと気付いたのでした。
自分のすべきことをやれば、
報酬は黙っていてもついてくる、
ということです。

これを自覚した時、仕事に対する思考において、
核とすべき貴重なことを知ったのだ
という満足感がありました。
以来、金銭を求めるのではなく、
目の前の仕事に没頭すればいいという
習慣ができたのです。

初めの3年間は、四六時中、
「仕事とは何か、働くとはどういうことか」と
考え続けてきましたが、
私にとって働くとは生きること、
自己存在と同義でした。
その働き方に自分の持てるものが
投影されているということです。
働かねばならない、ではなく、
放っておいても仕事について考える、
働いてしまうという性(た)質(ち)でした。

また、世間の評価よりも
自分が自分に対する評価が大事であり、
まずは自分が納得したかったのです。
今も変わりませんが、自身の実力に関して、
本当に備わっているのかと懐疑的で、
絶えず、真の実力を身に着けなければと
自戒しています。

ところで、金貸しといえば、あのセネカもそうなんです。
ストア学派の哲学者で、暴君ネロに
自殺を強要されましたが、相続人のいない財産も
独り占めするなど、別の顔もありました。
人生について達観した著書
(『人生の短きについて』は良書です)もあるのに、
富への欲は別なんですね。

さらにダンテの『神曲』の地獄篇第17段では、
生前、金融業を営み、利益を貪(むさぼ)ったとして
金融業者たちが罰を受けている記述があります。
燃える砂の上に座らされて、
間断なく吹き付けられる炎に
灼かれているという場面です。
ダンテの生家も金融業なんですが、その実家より
悪どく儲けていた貴族への
非難の意味もあるのでしょう。

利息というのでは、あのハンムラビ法典の中に
既にありました。やがて、キリスト教世界では
旧約聖書を根拠として、利息は罪悪であり、
異教徒からの取り立てはいいが、
同胞から取るのは禁止されます。
これ、『申命記』が根拠です。
そのおかげでユダヤ人の金貸しが
誕生したとも言えます。

お金を他者に貸して利息を生むことは不正だという、
アリストテレスの利息否定論を、
さらにカトリック教会は発展させました。
利息とは神の与えた時間を盗むことであり、罪となるのです。
厳密に言えば、貸し倒れのリスクに備える
リスク・プレミアムはインテレッセ(interesse)
と称して認めますが、それ以上の儲けを見込んだ利息を
ウスリア(usuria)と称して禁じたのでした。

このインテレッセは後に、
利息を表わすインテレストの由来になっています。
そのカトリックが利息を認めるのは
産業革命後の19世紀に移行する時期です。
日本の嚆矢(こうし・事の始め)は、
律令時代(8世紀)以前でした。
それは、春先に稲(いね)籾(もみ)を借りて、
収穫後に利息を付けて返すという
慣行(出挙・すいこ)があったのです。
その後、貨幣の流通と共に、
稲籾が銅銭に代わりました。

日本の貨幣経済が行き渡るのは、
宋(そう)より銅銭を輸入した平清盛の時代になります。
そうして貨幣(この時代は銭)の貸借が始まり、
寺や神社が貸し主となった後、
俗世の人々が貸し主へと移行していったのです。

当時は商業や金融で財を成した人を、
「徳」のある人として敬う思潮がありました。
その後、商業的な土倉も成立し、利息が高くなることで
世間の恨みや悪評へとつながっていくわけです。
それに対して、徳政令(借金はチャラにするよ)で
ガス抜きをする為政者も表われます。

こんな歴史があるのですが、中世ヨーロッパでは、
金融業者は教会の墓にも
埋葬されないこともありました。
これは、罪人・異端者・売春婦と同じ扱いでした。
文学の世界でも、『罪と罰』の金貸しの老婆、
『守銭奴』の金貸しのアルパゴン
(強欲の象徴にもなっていますね)、
『金色夜叉』(きんいろよまた、と読まないように)の
貫一と、その役どころは悪役です。
強欲で情け知らずで、弱者を虐(しいた)げる
というイメージがあります
(あれ、ウォール街のイメージに似てるかも?)。

そこには返済されないというリスクを負っている現実や、
融資が役に立って感謝されている
(こういうお客さん、父の会社でよく見ましたが)、
貸す側も借りる側も双方が満足する情景が
除外されているのが一般的です。
世間では頭から借金は良からぬことという
風潮がありますが、
一概にそうとは言えません。

借りる人が有効に活用することにより、
額面以上の働きをすることもあります。
資金を借りて投入するというのは、
将来への時間を短縮したり、
規模を拡大できるという意義があるのです。
適正に活用する際のお金は貴重で、
それを貸す、便宜を図るというのに、
こんな評価は不当ではないか
という思いがありました。

しかし、サラ金問題や後の商工ローン問題もそうですが、
金貸しは欲が深く、弱者を喰い物にしている
という事実があり、残念です。
金融という仕事の本来の意義も価値も、
より崇高な場にあるはずなのに、
それを営む経営者の思想が低俗で
醜いものになっているのは否定できません。
その点が、返さない人に対する
非難が少なくなっている理由の一つとも
考えられます。

私は金貸しの息子であることの他に、もう一つ、
「約束は守るもの」という強い信条があり、
どうしても返さない側の責任を見てしまうのです。
仮に約束を守れずとも
(そんなことは、たくさんあるので)、
次善の策を考えたり、
誠実に対応することが大切だと思っています。

さて、金融業を職として選んだ私に対して、
父はこんな態度でした。(美)

*次回の「仕事について」は、
9月27日更新予定です。
 

「仕事について」 第45話

前回までのあらすじ----------
新しい仕事は何にするか、私は考えはじめた。
そして、ひとつの結果に
たどりつくことになるのだが、
「金を稼ぐ」という目標は立てないことにした。
やるべきことをやれば、
その過程に金持ちになれると思ったからだ。


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それには、いくつかの条件があったのです。

まず、初期投資については店舗を構えたり、
工場など箱物を建てるなどしないこと、
機械・器材などを必要としないことでした。
店舗・設備投資に何億円も投じ、
それを何年もかけて回収することは、
私の性分に向いていないからです。

理想は、それこそ鞄一個、電話一本で開業
というイメージがありました
(既にこのあたりが実業家にはなれない点でした)。
さすがに鞄一個はなあ、と思っていましたが、
オフィスもこじんまりとして、
それほど派手ではなく(父が言ってました、
事務所自体が稼ぐわけじゃない、と)、
というのが条件でした。

加えて、人もたくさんいらず、少数精鋭主義で
やろうと構想していたのです。
理由の主たるものは、私自身の狭量さであり、
不良社員に対する嫌悪感が
根強くありました。

それまでの会社の社員や、数多のお客さんと接してきて、
積極的・能動的に働く人は少数だと知ったからです。
そればかりではなく、会社の備品を盗んだり、
私物の本や日用品まで経費で買う、
私的な飲食に経費を遣うなど、
寄生する人が多いことに不快の念を懐いていました。
(飲み喰い、遊びの金は自分で払え、と
父に言われていたこともありました)
このような人に限って、肝心の仕事は最低限に
という傾向も見られたからでした。

若いということもありましたが、
何事もきっちりとしていないと気がすまないという、
襟(きん)度(ど)のなさからきていたのです。
そのために、この時点で
自分は実業家・事業家にはなれないと
割り切っていました。

企業や組織というのは大きくなるほど、
必ずしも能力がある、
誠実に努力している人ばかりではなくなります。
それを知りながら、不誠実さを看過できない以上、
私は自分が許容できる会社というものを
目標としたのです。

また、会社というものを永続する有機体のように
見(み)做(な)す意識がなく、私の目標を実現するツールであればいい
としか考えられませんでした。
何よりも優先するのは個人、私の人生の目標で、
会社が発展し、私が死んだ後も
連綿と続くというイメージは、微塵もなかったのです。
ある年代になれば、経営したい人、
能力のある人に委ね、私は別のことに専念する
という計画がありました。
目標を成就する過程において必要とあらば、
いくらでも己を殺して努めますが、
会社はあくまで主ではなく従であり、
人の生活が主です。

もう一点、大きな役割として、
私の会社で働く部下の目標・夢の実現のためのスキルや
情熱ある取り組み方を
トレーニングする場でありたいと望んでいました。
学生時代、そして、セールス時代に
私の存在によって変わっていくのを目(ま)のあたりにしたことで、
喜びというか、充実感や
自分の存在意義を感じたからでした。
こと、仕事になると、我の強い私は姿を消し、
親切で相手の向上について考えるようになれたのです。
私と働く人は、皆、思った通りの人生を創っていけるように、
という理想がありました。

話が前後しますが、私はこの時より以前に、
将来、早めに第一線を退き、それまでに築いた財や信用を使って、
親のない子どもたちのための最高の施設を作り、
そこで社会で高く評価され、
自らの人生を自ら切り拓(ひら)けるような
高度な教育をするのだと決意していたのです。

それはセールスの途上、街中で小学校の時に
一緒に遊んでいたK君とばったり会ったのがきっかけでした。
小学校でK君は養護施設から来ているというので、
仲間ハズレにされたり、いじめられていたのですが、
同じクラスになった際、リーダーの私が
それをやめさせたことがあり、以来、
仲良くしていたのです。

私がやめさせたのは、自分の思いの他に、
日頃から父に言われていたことがありました。
人をいじめるな、以外に、複数で一人を攻撃していたら、
迷わず一人を応援しろ、ということでした。
K君は勉強はできませんでしたが、
素直できれいな心根の持ち主で、
私の父も大変に可愛がってくれていました。

何年かぶりで会い、喫茶店で話したのですが、
親のいないK君は身元保証人がいないため、
希望の会社に入れず、
望んでいない仕事をしているとのことでした。
性格のいいK君を雇わないとは、
つまらん会社と思いつつ、世の中はおかしいのでは、
と翌朝、父に話したところ、
雇う側からすればそんなものだと言われたのです。

世の中がそうならば自分が社会的に力や信用を持った時、
そのような子どもたちに好きな仕事をさせてやりたい、
それには環境と教育を用意することだと考えたのでした。

教育というより、何か学んだ人が変わる喜びや
達成感を知ってもらいたいというのと、
チャンスさえ与えない社会の不公平さに、
若い私は義憤を感じたからです。
今も変わらず、行政がしないなら自分がやらなきゃ、
という思いでした。

子どもの頃、再三にわたって父から、
お金というのは自分一人、あるいは家族のためにだけ遣うのは
下(げ)種(す)のやることで、多くの人のために遣え、
「金は天下の回りもの」とは
そういうことだと言われ続けてきました。
以来、周囲や社会のためにも遣ってきたのですが、
財力のある人は大いに他者のために
遣うべきです。

さらに不可欠の条件になりますが、
もう長時間拘束される働き方は卒業して、
時間あたりの報酬の最大化を企図しました。
セールスでは、どんなに長時間働いたとしても
報酬には限界があります。
2億円や3億円の年収では
私のやりたいことの手段にはなりません。

この理由は簡単で資本の力を利用していない点に尽きます。
資本主義の社会では、
これを有効に使わなくては知れているのです。
どんなに凄腕だろうとセールスは
労働者の域を出られません。

また、私自身の育ちにより、
数億円が特に大金という感覚がないこともありました。
父の会社で小さい時から、そのくらいの金額に
馴(な)染(じ)んでいたからでした。
そして、ひとたび、その気になれば、
いつでも機械のように働けることはわかりましたので、
次は頭脳で勝負だと一念発起したのです。

これには、「おまえ、頭はなんのためにあるんだ。
枕に載せるためじゃないだろ。
頭を使え、頭を。本当に父さんの子かな」
という父の口癖に対する気持ちも強く作用しました。
父に私の頭をゴンゴンと叩かれながら言われると、
どんな時よりも、「今に見てろよ!」
という力が湧いてくるのです。

父は、常にその時々の気分・感情だけでものを言います。
だから、昨日までの実績というのは、
既に今日はゼロになり、新しい成果がなければ
不満をありありと表わす人でした。
また、努力した過程は、毛ほども評価しません。
結果だけが全てです。
失敗・成功にかかわらず、結果以外には関心がありません。
その点でも私は子どもの頃から自然と鍛えられました。
私は他の親の事は知らず、これが普通だと思っていたのです。

そして、これらの条件以外に考えたことは、
読書のみならず、他の生き方や職業を少しでも
体験できる状況を担保できるような
業種ということでした。
知りたいという欲求が強く、一回の人生で、
可能な限り他の業界・業種の事も知りたい、
単に書物などから知識として知るのではなく、
経験もしてみたい、という
欲張りな思考がありました。

自分に向く仕事、最高の成果をもたらすもの、
自分の潜在能力を最大限に発揮できる仕事は何なのか、
そのためには多くの経験を要するのだ、
という思いがあったのです。
「人間にはあらゆる職業を通歴したいという欲望がある」
というマルクスの言葉の通りでした。

種々の職の中、これぞ自分だ! という人生を
顕現してくれるものは何か、
絶えず探究していました。
それと同時に、3年の間、懸命に働き、
さまざまな人と話をしてきたにもかかわらず、
これだ! というものが見つからない自分は、
何をやってきたのだ、という
失望感も懐いていたのでした。

こうして何をするのか考えている時期は、
父の会社に顔を出していましたが、
同じ韓国人の父の友人たち(私が小さい頃から、おじさん、
と呼んできた人たちです)が来ては、
パチンコ屋をやれ、焼肉屋をやれ、
不動産屋をやれなどと賑やかでした。

その度に父がダメだと首を振っていましたが、
私も同じ気持ちだったのです。
特にパチンコ屋は、店舗さえ開いてしまえば、
あとは黙って金が入ってくる
(この当時は、そんな時代でした)というので、
人気がありましたが、私も父も、
「それはつまらない、怠け者になる」
というので除外していました。

私にとって、仕事をするというイメージは、
それが肉体であれ、頭脳であれ、
絶えず働いているというものだったのです。
なんら働きもせず、初期の資本投下によって
半自動的に収入があるというのは選択の外でした。
父が口にしていた、「人間はよく働き、よく遊び」
という言葉がありました。

これまでは時間を気にせず(成果のみ考えて)に
働いてきましたが、自分でやるとなれば、
時間と知恵の使い方を考えたのです。
結婚したこともあり、仕事以外の私生活の時間を
充実させようという意図もありました。
「仕事も遊びも徹底せよ」という父の言葉通り、
どちらか片方だけという、
それまでの生活から卒業しようということでした。

放っておくと私は遊びよりも読書や勉強、
ウエイトトレーニングに没頭する性(た)質(ち)ですが、
共通するのは向上したいということです。
人生は一回性とわかっていましたが、
どうにかして、より充実した人生にしなければ、
という一心でした。

そんな思いを加味して熟慮を重ねた末に決めた職は、
私自身、夢想だにしなかった業種だったのです。(美)

*次回の「仕事について」は
明日更新予定です。 

みたつ・やまと●1959年生まれ。2件の殺人を犯し、長期刑務所に服役中。現在でも月100冊以上を読む本の虫で、これまでに8万冊以上を読破。初めて衝撃を受けたのは10代のときに出合ったロマン・ロラン著『ジャン・クリストフ』。塀の中にいながら、郵送によるやりとりで『人を殺すとはどういうことか』(新潮社)、『夢の国』(朝日新聞出版)などを著す。
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