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無期懲役囚、美達大和のブックレビュー

教養を深めたい、仕事に生かしたい――。
人として成長するために本を読みたいと思っても、何から読めばいいかわからないビギナーのためのブログ。
服役中の無期懲役囚・美達大和から届く書評を随時公開。
週2回をめどに更新していきます。


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『迷宮』第32回

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新法施行前の刑務所は、親族・社会での更生に有益な人(雇用主など・身元引受人など)しか手紙のやりとりや面会が許可されませんでしたが、施行後は自由となりました。しかし、ヤクザなどが身分や名前を偽(いつわ)って手紙・面会の相手になる不正が横行して、施設によっては従前通りになってしまったのです。おかげで私は編集の人などとも面会ができなくなり、新法で認められている権利の侵害だと感じています。

社会の人権派の人々が、獄内の処遇を良くしようと頑張ってくれても、中に入っている連中がその善意を悪用・濫用(らんよう)するので、官としては制限せざるを得なくなるのです。中には、とにかく締めろ(厳しく)という偉い人もいますが、受刑者に優しく処遇しようというのは、職員間でも言いづらい空気があります。

また、常々、私の拙著でも述べていますが、受刑者を見ていると人間がここまで堕落というか、汚(きた)なくなるのかという者が少なくありません。私も同じ受刑者なので偉そうに言う資格はないですが、自分のことしか考えない、平気で人を欺(あざむ)く、人の足を引っ張る、己は努力の一つもせず、努力している者を批判する、ろくに作業もせずに権利ばかり主張する、社会の人の善意を金や本の差し入れのために利用しまくる、反省ゼロ、などなど、呆(あき)れるばかりです。

そんな中で、まともな者に出会うとうれしくなりますが、最近は自分の価値観が変わったのか、度々、出会うようになりました。こんな受刑者を相手にするのですから、諦めたくなるのもわかりますが、個々に対応してほしいと望むばかりです。

さて、拘置所の暮らしに戻りますが、「食」の方では官から給与される食事以外に「弁当」や他の物も自費で食べられます。多いのは約500円から700円(全国でいろいろ)程度の弁当ですが、私のいた拘置所では昼のみ、ラーメン、カレーライス、黄鶏(かしわ)うどん、柏ソバ、親子丼などが頼めました。その代わり、官からの食事は出ません。カレーライスと黄鶏(かしわ)うどん・ソバは、平日の昼に交互に食べていたものです。

食事に関して言えば、拘置所に来てから、「こんな物がおかずになるか」というカルチャーショックの連続でした。四半世紀以上をすごした今では慣れましたが、朝のおかずに佃煮(つくだに)、きな粉、マーガリンと醤油、桜でんぶ、ふりかけなど、珍しかったものです。きな粉など、これはどうやって食べるのかと質問しました。そのまま、麦飯(むぎめし)にかけるというのが答えでしたが。

さて、拘置所は裁判を受ける間にいる所ですから、そちらの方に目を向けてみます。被告人の大半は、自分の判決がどの程度になるのか、ベテランの被告人もいるので見当がついています。判決の量刑についてはすでに何十年分もの判例(前例)がありますし、検察官もそこから逸脱した求刑はしません。裁判官も然りです。論告求刑の7割から8割の判決となります。仮に2年の求刑で実刑(執行猶予が付かず、服役)となれば相場は1年6カ月です。

裁判官に対する心証(しんしょう)(印象と同じ)が良ければ1年2カ月から1年4カ月、悪ければ1年8カ月から1年10カ月、思いっきり悪ければ求刑そのままの2年(これを「ニギリ」と言います)となります。ごくごく稀に、2年の求刑に対して、それ以上の2年6カ月という判決もないわけではありません。刑事訴訟法では認められています。

日本の司法は世界で類を見ないほどの「精密司法」で有罪率は99.9%です。他の先進国では50%をちょっと上回るくらいなので、日本が突出しているのがわかるでしょう。そのため、無罪を争うというより、相場より軽い(安いとも言います)判決を勝ち取るのが弁護人の仕事になります。と言っても、所持金がないので「私選(しせん)」ではなく「国選(こくせん)」の弁護人がついた上での裁判が多数派です。

私選というのは、自分が(もしくは親族が)選んで頼む弁護人のことを指します。報酬は事件と判決によって、まちまちですが、簡単な窃盗や覚醒剤事件(簡単というのは、相場通りで、裁判も1、2回の)で30万円前後です。他にも判決が軽ければ成功報酬として額が増えます。

『人間の幸福は稀にしかやって来ないような大チャンスを生むのではなく、常日頃のわずかな利益が積み重なったものだ』
(フランクリン)

『共犯者 編集者のたくらみ』 芝田 暁

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『共犯者 編集者のたくらみ』
芝田 暁(しばた あきら)
駒草出版 
1800円+税
2018年11月刊行

著者は、拙著の『夢の国』(その後、改題して『マッド・ドッグ』となる) の編集者です。現在は、朝日新聞出版で、営業関係の部署で仕事をしています。その著者の編集一代記が本書です。

著者は心の熱い人で、まさに『熱血』という言葉が相応(ふさわ)しい人でした。本書にもあるように、我が父の記である『夢の国』を初めに出版してもらおうとしたのは幻冬舎であり、社長の見城氏に連絡を取ったのです。すると『血と骨』(梁石日ヤンソギル氏の)の編集者を紹介してくれました。それが芝田暁氏でした。

『血と骨』は拘置所で読んでいたのですが、その暴れ方が父と似ているので、へえ、こういう人がいるのかと、一気に読了したものです。そのときには、まさか自分が何かを書くなどとは夢にも思っていませんでしたから、純粋に一人の読者として楽しんでいました。

初めの原稿は千数百枚でした。芝田氏は一読して、すぐに出版しましょうと快諾してくれ、「おおっ、オヤジ。オヤジの本が出るぞ!」と天に向かって告げました。芝田氏は、熱い心のこもった手紙を度々、送ってくれ、絶えず私のヤル気を出させ、刺激してくれたのです。そうして、全くの「ド素人」の私の原稿を何とか読めるようにし、世に送り出してくれました。

忘れもしない2011年3月11日、そう、あの東日本大震災の日の2時46分(地震のあった時刻)には、なんと私と面会中でした。そのときは、あれほどの災害になるとは考えもしませんでしたが、そのような中での刊行となりました。私の能力不足で拙著は、ベストセラー書を量産してきた芝田氏としては不本意な結果となり、本書にあるように、氏が編集者として自身を見つめ直す機会へとしてしまったのです。この点、本書を読み、誠に申し訳ない思いであります。

本書では、芝田氏が出版、編集の世界に入った頃から、ベストセラーを連発する編集者への過程、その後の独立と廃業を経て、再び編集者として活躍するまでを追っていました。氏が育てた作家、本当に凄い面々です。冒頭の梁石日氏との付き合いの濃厚さは、編集者と作家を越えた「同志」のような匂いがありました。

みなさんもよく知っているたくさんの作家達がいますが、「花村萬月(はなむらまんげつ)氏」「田口ランディ氏」「牛島信氏」「宮崎学氏」までもか! と驚くばかりです。また、大御所の森村誠一氏との交流には、人間としての温かい交流がありました。

芝田氏は編集者として、作家への感想は褒めるだけでいい、重要なのは自分が受け取る原稿が、どれだけ面白く、本になって売れるか、才能は書店に行けば必ず見つかると信じているという信条で優れた書、作家を世に送り出して来たのです。

その点で「ハズレ」になった私はただただ謝罪の思いでしかありません。それでも、芝田氏は、折々に連絡をくれ、励ましてくれる人です。職業としてではなく、生来の人間の作りが、義理人情に篤く、情が深いのでしょう。

現在の私は、ノンフィクションの歴史(近現代史)の書にかかりっきりで、既に2年を経て、来春には刊行というところですが、当初の予想の倍以上の期間となり、フィクションには手が回らない状況です。

また、芝田氏に指導してもらったときには、官の検閲(原稿用紙)の枚数に制限はありませんでしたが、その後、1カ月に100枚以内となり、これも出版する上での制約となっています。しかし、これらの制約を乗り越え、「売れる本」を出すべく精進を続けるしか道はありません。

それにしても芝田氏の編集者、その後の起業家としての人生は濃密なものでした。編集者としては、初めから才能ゆえに順風満帆で快進撃となります。その過程で芝田氏の編集としての哲学やプロの思考が垣間見られ、職業としての編集とは何かがわかります。前出の名前を挙げた作家は、まともに勤め人をやってました、というのは辛うじて牛島氏のみで、あとは山あり谷ありの人生を渡ってきた人が主です。

梁氏は、もちろんのこと、花村氏も宮崎氏も、若かりしころは、アウトローの世にいたような人で、何か芝田氏と引き合う磁力、磁界のようなものがあったのでしょう。そういう私も似たようなもので、今も犯罪者、無期囚として服役中です。そう考えると、芝田氏の血の中に、何か普通ではない「異端」を求めるものがあるのかもしれません。

読んでいて感じたのは、自らの出版社を設立した後、資金・精神など、徹底して芝田氏を
支援する人たちがいたことでした。悪戦苦闘する氏の会社の末路を、ほぼ予測しながら、それでも援助するということは、打算を超えた心の紐帯がなければできません。その点で、芝田氏は己の生き方の正統性を実感したのではないでしょうか。

人は困っているときに、どのように対処するかが大事です。ただ、言葉だけで済ませ、相手のために努力や工夫などすることのない、表面だけの善人、友人、家族が蔓延する中、芝田氏の周囲の人間関係は熱く尊いものでした。

編集者としての芝田氏は、とにかく仕事が早く、反応もすぐに示してくれ「ヤル気」を出させてくれました。中には言葉だけで、さっぱり、反応も連絡もない編集者もいますが、芝田氏の先導ぶりは心地よく、ド素人の私も何とかゴールに辿り着けたのです。

本書には編集者とは何か、自分の仕事に対する矜持とは何かという熱き心とエッセンスが詰まっています。

ご一読ください!

『一篇の詩となるような、何ものかを貫くものを持つことが生命を真に生かすことにつながるのです』
(執行草舟『根源へ』より)

このレビューで美達が紹介した本


『迷宮』第31回

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拘置所は留置所と違って、厳格な規則によって行動が規定されています。いつでも好きな時に運動できるのではありません。もし、それをしたならば動作時限(じげん)違反という呼称で反則事犯となり、取り調べのあとに懲罰が待っています(反則事犯については『ドキュメント長期刑務所』の中に「全条項」が載っています)。

動作時限というのは、運動なら指定したこの時間に指定した方法でのみやりなさいという規則です。拘置所では入浴日以外の平日に、運動という40分間の時間が設けられていますが、ほとんどの施設で、午前中になっています。他には午後2時30分前後に体操のラジオ放送が流れて約15分間の運動ができるようになっているのです。

内容はストレッチ、腕立て、腹筋、スクワットなど、他の者と組まないで単独でやれるものとなっています。私の所は、諸事情で室内では腹筋など床に寝そべる運動が禁止されましたが、これを元のように許可してほしいところです。外でやるようになっていますが、休日にできない、雨天は中止など弊害が小さくありません。

入浴日は、拘置所では午前中と午後に約15分間ずつの運動となっています。入浴は15分間で、これは女子刑務所(20分が普通)とごく一部の「社会復帰促進センター」という新しい初犯刑務所の30分を除いて全国共通です。入浴の回数は週3回、冬は週2回などと紹介されていることが一般的ですが、正しくは年間で何回と規定されています(たとえば、137回などと)。それを配分するのです。

入浴では、平成前後まではシャンプーもシェービングクリームも使えませんでしたが、その後、許可されました。刑務所では模範囚の仲間入りをすれば、ボディソープ、洗顔フォーム、ナイロンタオルも使えます。ちなみに模範囚とは程遠い扱いとなっている私は、髭が消しゴムでも消えそうなくらいなのでシェービングクリームは使っていません。

剃刀は各自用のを貸与してくれますが、市販品のT字型です。個人的には床屋で使う長い剃刀を使っていたのですが、今はT字型に慣れました。話を戻すと、運動といっても大半の者は顎(あご)の運動で喋るだけなので、みるみる肥えていきます。人が狭い所に閉じ込められて、日々、過剰なカロリーを摂ると、こんなに短期間で太るんだと感心します。

かくいう私も、入所した当初は運動時間が、留置所にいたときの半分以下になったのと、リッツクラッカーにたっぷりとマーガリンを塗って食べるのに凝り、「あれ、何か顔、顎のあたりに肉が」となりまして、即座にやめて戻しました。私の場合、減らすのはわけないことで、社会であれば増やすのも自由自在です。

拘置所の暮らしというのは、独りで己の戒律を守れば学習や読書には悪い場ではありません。難点は起床と就寝が決められていて、床に入ってからや、起床前には何もしてはいけないことでした。起きている時間は、ひたすら本を読んでいました。

一審の裁判が長かったので、服役する際には職員がこんな数は初めてだと言って、数千冊になる私の本の差し入れの記録を見せてくれたほどです。私にとっては、何にも邪魔されずに読書三昧の日々で、このまま死刑なら、この暮らしが続き、悪くはないなと考えていました。

現在、多くの裁判は公判前に争点を整理するようになり、簡単なものでは1回の審理で終わって(これを結審すると言います)、約1週間後に判決ですが、以前はその倍くらいかかっていたものです。

手紙・面会の相手がいる者は、平日のみ、手紙の発受信(出せるのは1通)、面会ができます。面会は大半の施設が、1日1回で3人までです。時間は施設によって、15分間から30分間になっていますが、特別な用件があれば、事前に届け出をして延長してもらうこともできます(施設によっては、一切許可しない所もあります)。

弁護士面会は、拘置所では立会の職員もなく、時間制限もありません。なお、拘置所の面会は全く問題がなく自由です。刑務所では施設によりますが。

『生、必ずしも喜ぶに足らず。死、また悲しむに足らず、人生は古人の言へるがごとく、宇宙なる大海に生ぜし水泡のごとく』
(大西瀧治郎「神風特攻隊」の考案者)

みたつ・やまと●1959年生まれ。2件の殺人を犯し、長期刑務所に服役中。現在でも月100冊以上を読む本の虫で、これまでに8万冊以上を読破。初めて衝撃を受けたのは10代のときに出合ったロマン・ロラン著『ジャン・クリストフ』。塀の中にいながら、郵送によるやりとりで『人を殺すとはどういうことか』(新潮社)、『夢の国』(朝日新聞出版)などを著す。
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『人生を変える読書 無期懲役囚の心を揺さぶった42冊』
廣済堂出版
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『女子高生サヤカが学んだ「1万人に1人」の勉強法』
プレジデント社
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『牢獄の超人』
中央公論新社
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『私はなぜ刑務所を出ないのか』
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『塀の中の運動会』
バジリコ
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『刑務所で死ぬということ』
中央公論新社
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『人を殺すとはどういうことか(文庫)』
新潮社
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『死刑絶対肯定論』
新潮社
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『ドキュメント長期刑務所』
河出書房新社
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『人を殺すとはどういうことか(単行本)』
新潮社
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『夢の国』
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