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無期懲役囚、美達大和のブックレビュー

教養を深めたい、仕事に生かしたい――。
人として成長するために本を読みたいと思っても、何から読めばいいかわからないビギナーのためのブログ。
服役中の無期懲役囚・美達大和から届く書評を随時公開。
週2回をめどに更新していきます。


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『成長から成熟へ』 天野祐吉

『成長から成熟へ』
天野祐吉
集英社新書
799円
*今春に届いたレビューです

ダウンロード (6)


天野さん、亡くなられましたね。

この方の世相を諷刺した文章が好きでした。本書は欧米(主にアメリカ)と日本の経済成長、社会の成熟の過程と行く末を、広告を通して見つめていくというテーマで綴られています。

冒頭に、人はなぜ福袋を買うのか、という借(しゃ)問(もん)がありました。正月の福袋、今年は久々に高額の物もあり、デパートなど盛況だったようですが、皆さんは買いましたか? 私、福袋って買ったことありません。自分に必要な物、欲しい物以外は買わないからですが、売れてるんですね、福袋。

天野さんは、こう言ってます。福袋を買うのは、「買うものがないから」と。欲しいものが見つからない、でも、何かが欲しいからだそうです。物を買い続けるように教育されてしまった、今の消費者は何かが欲しい、とのこと、心当たりはありますか? コンビニなんかに行くと、なるほどと納得する人、少なくないのではないでしょうか。また、20世紀の経済成長の裏で、こんなことがあったとも書かれていました。

「計画的廃品化」

1924年(大正13)年のクリスマス、ジュネーブの某所に数人の紳士が内密の会合を開きました。世界初のカルテルだそうです。決められたのは電球の寿命を、上限1000時間に設定することでした。それまでは、寿命の長い電球の開発に励んでいましたが(2500時間まで延びたとか)、それを一気に短くしたのです。ナイロンのストッキングも、本来は丈夫だったのに、破れるようにしました。そうして、時代は大量消費時代に入ります。

まずはT型フォードで自動車旋風を起こしたフォードからですが、やがて、顧客の求めるデザインを重視したGMに抜かれます。次第に自動車は巨大化して、装飾も派手になっていくのですが、1950年代1960年代のGMやフォードの広告を見ると、その通りです。この時代のアメ車、いかにも良き時代の風情でした。巨大なテールフィン(後部についている羽根みたいなデザイン)、ギラギラのクロームメッキ、グラマラスなボディと、浪費がタイヤを付けているようです。(個人的には嫌いではありませんが)

日本でも1955(昭和30)年頃、三種の神器(電気洗濯機・電気冷蔵庫・テレビ)に始まり、1960年代後半は3C(カー・クーラー・カラーテレビ)となっていきます。そうして、デパートのコピーに「おいしい生活」が使われ、1970年代はパルコの宣伝が若者を魅了しました。当時、高校生だった私も、パルコに通ったり、あのポスターに格好良さを感じたものです。「時代の心臓を鳴らすのは誰だ」なんていうコピーと、シャープなイラストのポスター、人気ありました。

巨視的に見れば、マルクスの時代(1840年代)に比べると、26倍も消費してると言いますが、では、幸福も26倍になったか、という疑問が呈示されています。経済成長による物の豊かさ、実は幸福とは別のものだったんですね。だから、こんなコピーも登場しています。

「ほしいと思うものが、ほしいわ」

そして、天野さんは、物理学者(ノーベル賞をもらってます)のガボールの言葉を引用しました。

「富がたえず増加しつづけてきた過去四分の一世紀の間、ほとんどの人々は指数関数的成長は無限にはつづけられないという、この明らかな事実を直視する勇気がなかった」

「成熟社会とは、人口および物質的消費の成長はあきらめても、生活の質を成長させることはあきらめない世界であり、物質文明の高い水準にある平和なかつ人類(ホモ・サピエンス)の性質と両立しうる世界である」

そんな中で、天野さんは経済のローカル化を提唱するのですが、現在、里山資本主義(これ、レビューあります)というのが注目されています。そして、こうも言っていました。

「われわれが生態系の破壊を行えば行うほど、宣伝広告はよりいっそう、自然とのかかわりのなかにある美しさについて語る」

本書は内外の広告を通した経済成長と世相を俯瞰しながら、経済成長と人間のかかわりの最適化とは、どういうことか考える契機となるはずです。広告の変遷という観点からも面白いと言えます。巻末の書ではガボール『宴のあとの経済学』(ちくま学芸文庫)、ラトゥーシュ『脱成長は世界を変えられるか』(作品社)、佐伯啓思『大転換――脱成長社会へ』(NTT出版)が、本書と合わせてオススメです。(美)





このレビューで美達が紹介した本


「仕事について」 第48話

前回までのあらすじ__________
金融業をはじめると宣言した私に父は
「やってみるがいいさ。やる以上は、
しっかりやれ、しっかり」
と言った。そして真顔でこう続けた。


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「ところで息子よ。おまえ、金貸しをやるのはいいが、
肝腎の金はあるのか。
8000万だか1億だか稼いだって、
商売はできんぞ、その程度じゃ」
息子よ、と言うのは機嫌の良い時です。

「あんまり持ってない。せいぜいこんなもんだぜ」
私は指を三本立てて見せました。
「それ、億ってことだな。遣ってたわりには蓄(た)めたな。
若いうちから金なんか蓄めるもんじゃないぞ。
遣ってなんぼだからな、生きてるうちに」
「金は天下の回りもの。遊びの金は花びらだろ。
わかってるって。
すぐに何かに遣うわけじゃないから
株で増やしたんだ」
金は天下の回りもの、というのは
単なるレトリックではありません。

GDPの6割は個人消費(日本は)ですし、
世間に出回るお金が増えても、
それがみんなのところを回らないと
景気も社会も沈滞するのです。
いくら、国民の資産が増えても
一部の人だけの富として
滞留されてされていくのでは、
本当の意味での好況となりません。
このことを表わしが寓話にこんなのがあります。

鎌倉時代に人気のあった
青(あお)砥(と)藤(ふじ)綱(つな)(『太平記』に出てる人)の話でした。
ある時、この藤綱が川に10文(もん)の銭を落とし、
それを探し出すのに
50文の銭を遣ったという話です
(50文は松(たい)明(まつ)などを買いました)。
その無駄を問われた藤綱は、
「10文を取り戻せば貨幣経済に復帰できるし、
50文も回り回って世のためになる」
と言いました。その場の事象のみを鑑みれば、
無駄と思う人もいて当然ですが、
寓(ぐう)意(い)を含んでいます。

お金というものは、遣えば誰かを利用することになり、
多くの人がそれをすれば、
あるいはする心構えがあれば、
社会に出回るお金の総量も増え、
マインドセットが変わるはずです。

景気の気は人々の気分という意味もあるので、
単にお金が出回っていると思うだけで
消費しようという行動に表われます。
逆にみんなが貯蓄すれば、その時点で正しくとも、
それが合成の誤謬となり、
マクロでは正しくなくなるのです。

以前の一億総中流という意識のある時代なら、
お金は人々の間を回り、景気の良さを実感させたり、
消費する心を喚起しましたが、
格差社会ではそうなりません。
資本主義の発展、好況には
分厚い中間層が不可欠となります。
そのようなわけで、
「金は天下の回りもの」という言葉は
実質的にも意義があるのです。
現代のように一通り、
欲しい物を所有してしまった日本人にとって、
遣いたくなるような
物が減っているということも否(いな)めませんが。

「ふん、株か。おまえは器用な奴だな。
父さんが成金だったから、金の扱いに長(た)けてたんだな。
父さんの息子でよかったなあ、おまえは。
でもな、それじゃ、まだ足りんぞ」

父にとって私の長所は、全て自分の子であるからと
信じて疑いません。
努力ではなく血統というわけです。

「わかってるって。心配すんな。オヤジの息子だから、
いろいろ考えてるから」
「そう、父さんの息子だからな。
そうか、考えとるのか、よろしい」

父は笑いましたが、私は前からあることを決めていました。
それは開業するにあたり、
一切、父から経済的支援を受けない
ということでした。
小学生の時から自分でお金を稼いでいましたが、
周囲の人は例外なく、
金持ちの一人息子だから
親に好きなだけお金をもらっている、
としか見てくれません。

当時の若い私には、それが疎(うと)ましく感じられたのです。
自分で稼いでいるにもかかわらず、
世間はそうは見てくれないことが不満でした。
今なら、こだわりもせず、
気にもしないところですが、この頃は違いました。

また、獄に入って、かなり経ってから
社会の親しい人に指摘されたのですが、私の家では
家族を頼るという精神性が、
父にも私にもなかったのです。
これは父自身が、自分の父親と不仲で理解されず、
貧困もあって、早くから日本に
単身でやってきたことも影響していました。

父は、自分の家庭(韓国での)に恵まれなかったので、
子どもへの接し方も
独特のものになったと考えられます。
私も他を知らないために、
父のやり方をそのまま受け入れた結果、
人を頼らないという精神性ができました。

裁判の時に、私の思考が特異であるというので、
精神鑑定ではなく、
性格鑑定を受けたのですが、
その結果でもこの点が検証されたのでした。
私には、父の影響が顕著に見られるというので、
鑑定を担当した2人の精神科医の希望で、
なんと父も一緒に(向こうは社会で)
鑑定になったのです。

やはり、他者への依存性が皆無と出ましたが、
父も私も互いに独立した精神を持ち、
頼るという情動を知らずに
生活していたという結果でした。
二人とも精神科医の先生たちからすれば、
大変にユニークな材料で、
二人とも面白いと話していました。

特に一人の先生と父は親しくなり、私の裁判後もずっと、
付き合いが続いていたほどです。
「あなたのお父さんは、まさに子どもがそのまま
大きくなってしまった人だ」
と先生は笑っていました。

私の場合、相手がまともな人であれば、
些細な迷惑もかけられない、
まして、頼るなんてとんでもないという感情が、
強迫的に強く働いてしまうのです。
現在、社会にいる近い関係の人からも、
人間同士、迷惑をかけたり、かけられたりであり、
もっと人を頼ることも考えるように
助言を受けていますが、なかなか慣れずにいます。

金融業に戻りますが、私が標榜したのは、
中小企業の経営者や、
これから新たに事業を興(おこ)したい人を
対象とすることでした。
これには、その人たちを通して、
さまざまな業界のことを知ることができると共に、
融資したお金が有効に活かされるのではないか、
という思いがありました。

社会において、金融の役割は血流にたとえられますが、
私もその使命を鑑み、役に立ちつつ、
自らの目標も具現化することを
企図していたのです。
加えて、既存の銀行の融資は、
優良企業や資産を持つ個人は優遇しますが、
本来、資金を必要とする中小企業や、
これから起業する人には、
なかなか融資をしないことへの
疑念もありました。

これは銀行という組織をミクロの目で見ると、
当然の帰結となります。
前提として収益を計上しなくてはならないということがあり、
リスクを取りたくない観念が共通認識です。
元来は不動産などの物(ぶっ)的(てき)担保ではなく、
事業法人の内容、経営者の人柄や能力、事業の構想に対して、
育成・支援するという役割も含めて
融資すべきという理念が、時代の変遷と共に、
担保至上主義、リスクは回避という型に
変わっていったのです。

もう一点は、組織としての人事考課システムになりますが、
銀行は減点主義ゆえに役職者をはじめ、
冒険はしなくなり、結果として
ノンリスクの担保第一主義となりました。
そして、日本人の美徳の一つにも数えられる
『会社至上主義』により、人情や倫理より、
業績や銀行の繁栄が優先され、
結果として貸し渋り、貸し剥し、場合によっては
詐欺に近い融資や金融商品販売が行なわれるのです。

行員一人一人になれば善良な人が多いのにもかかわらず、
法人が獣性(紳士のふりをして)を帯びるのでした。
このあたりにも、自分が別のことを
やってやろうという思いがあったのです。
父の商売柄、銀行の人は、
私が子どもの頃から身近でした。
彼らは、よく父の会社に来ては、お金を借りて下さい、
と頭を下げていましたし、
お中元、お歳暮ともなれば、家具だの、旅行だのと
父に気を遣っていました。

しかし、小さな会社や、資産のない人には冷たく、
まさに晴れた日に傘を貸そうとし、
雨が降れば取り上げるということがあったのです。
父は銀行から借りることはなかったのですが、
いつも、「本当に借りたい奴には貸さんのが銀行だから、
父さんみたいな金融業者が必要なんだ」
と言っていました。

銀行ということでは、
私にもこんなことがあったのです。(美)

*次回の「仕事について」は
10月4日更新予定です。

「仕事について」 第47話

前回までのあらすじ__________
偶然か、それとも必然か。
自分と同じ金融業をあらたな仕事と決めた息子に
父は賛成するでも、反対するでもない態度だった。

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まず、私が子どもの頃から周囲の人たちより、
「将来は息子さんに継がせるのですね」
と言われた父は、
一度も肯定したことはありませんでした。

毎回、首を横に振るか、
「どうだかな。こいつに務まるのかな」
と言うばかりだったのです。
本人の私に尋ねたこともなく、
私自身も継ぐというのは
考えたことはなかったのでした。

これだけエゴイストでワンマンな父なので、
その気があれば私の意思など一顧だにせず、
「やれ」の一言のはずです。
私から言い出すのを待つほど、
気の長い人でもありません。

私は父のある面での非情さを知っていました。
それは能力がなければ、息子でも何でもなく、
従って自分が創った会社を
与えることもないということです。
このことは、後に
私の息子(父からすれば孫)に対する態度で
証明されました。

「オヤジ、俺、金貸しをやる」
「なにい、金貸しだとお。
どんな商売かわかっとるのか、おまえは」
「わかってる。小さい頃から見てきたし、
バイトもしただろ」
「父さんと同じ仕事をやるために
3年も馬車馬みたく働いたのか。
バッカじゃないのか、おまえは」
「いや、いろんな仕事の人に話を聞いたり、
見たかったからだ。
俺が通用するかどうかも知りたかったし」
「ふん。金貸しか。甘い商売じゃないんだぞ」
「わかってるつもりだっての。
甘くないからやるんだ」
「おまえなあ、狡い奴がわんさかいるんだぞ。
金のためなら何だってやるんだ、人間は」

父は、金貸しか、と呟き、首を傾げました。
場所は父の会社でしたから、
父は周りの社員たちに、
「聞いたか。こいつ、金貸しをやるんだとよ、金貸しを」
と嘲笑うような口調で言ったのです。

「社長。門前の小僧、習わぬ経(きょう)を読むというじゃありませんか。
大和ちゃんなら、きっとうまくやりますよ。
そうか、オヤジさんと同じ仕事をねえ」
と感慨深そうに言ってくれたのは、
私が生まれた頃から、
父の番頭をしている温厚なMさんでした。

父は、ふん、と鼻を鳴らして私を見ましたが、
「やってみるがいいさ。やる以上は、
しっかりやれ、しっかり」
と私の頭をコンコンと叩いたのです。
父は喜ぶでもない、失望するでもない表情で、
「いいか。金貸しってのは、甘く見られたら終わりだぞ。
サラ金じゃないから、喰われる金もでかいからな。
おまえがどんなやり方をするか、
相手はよく見てるんだぞ。こいつは甘いとなると、
わっと寄って来て、骨までしゃぶられるんだぞ、
金貸しってのは」
「オヤジ、心配すんなって。
そんなに甘ちゃんでないぞ、俺は。
大丈夫だ」

私は父と違って骨の髄まで暴力的ではありませんが、
これは怒るべき、怒ってもいいと判断すれば、
果断に対処することにしてたので、
不安は毫もありませんでした。

「息子よ。ただし、やり過ぎには注意せい、
やり過ぎには」
次の瞬間、会社の中が爆笑に包まれたのです。
「なにがやり過ぎに注意せいだ、オヤジ。
そっくりオヤジにその言葉返してやる」
私が言うと父は豪快に笑いました。

戦争が終わり、鉱山の飯場から
街へ出て来た父の頼みとするのは、
褒められるものではありませんが、
己の体、腕力だけでした。
戦後の闇市など、荒っぽい気風の中で、
父はどう生きるかよりも、
その日その日を生き抜くことが大切だったのです。

日本(当時は内地と呼んでいました)に来た目的は、
よい暮らしをするためで、
内地こそ黄金の国ジパング、
夢の国に見えたのでした。
時代も父に合っていたせいで、
腕力が明日に生きる糧(かて)、証(あかし)となりました。

そうして名を売り、頭角を表わすのと比例して
お金と人が集まってきたのです。
教養も常識もなかったので、
他者を肩書きや地位で判断せず、
実力でしか評価しません。
そのため、相手が誰であれ、
腕力にものを言わせてきたのです。

そして、父の強いこだわりの一つに、
正直さというのがありました。
目先の損得にこだわらず、正直であれ、
言ったことは守れ、責任を取れ、
ということでした。

父の自慢の一つに、戦後の食糧難の時、
みんなが近くの農家の畑から作物を盗むのが普通だったのに、
リンゴ1個、手をかけたことがない
というのがありました。

「土を喰ってでも辛抱するんだ。
武士は喰わねど高楊枝と言うだろ。
そういう根(コン)性(ジョ)がない奴はガラクタだ」
と言っていたものです。
そういう父なので、人を騙そうとしたり、
その場凌ぎの嘘を平然と口にする人には、
苛烈な対応をします。

もともと、父は口下手で、
言葉を扱うのは好きではありません。
私に対しても、小さな頃から
すぐに肉体言語で伝える人でした。
そういう父をずっと見てきたので、
暴力に対しては
一種の免疫が備わったとも言えます。

良いことではなくても、相手や状況によっては
行使も致し方なしという思いがありました。
だからと言って、私には
むやみに行使はしないというルールもありますが。

そんな父ですから、爆笑したのですが、
その強さゆえに自らの非や価値観を省みることなく、
狭い世界しか見ない人生となったのは残念でした。
父が心から尊敬できる人がいて、
その人の導きや影響によって、
より広い世界、価値観の多様さを知れば、
私に要求する内容も変わってきたでしょうし、
父親として別の楽しみもあったはずです。

「何でも一番以外はダメ」「勝つことのみ」という
父の要求と世界観に対して、
私は可能な限り、応えようとしましたが、
これは「絶対性」を持つがゆえに
閉じた狭い価値観につながります。
父がより広い世界を見たなら、
もっと人生を善いものとできたはずです。

親としては、非常識な点の方が多いかもしれませんが、
私がもっとしっかりしていれば、
人生の晩年においても善き人生を過ごしていたと思う度に、
自分の愚かさに腹が立ちます。
陽気過ぎる父は、「やり過ぎには注意せい」という
自分の言葉に大笑いしていましたが、
急に真顔になって私の顔を覗き込んできたのです。
そして、こんなことを尋ねてきました。(美)

*次回の「仕事について」は
明日更新予定です。 

みたつ・やまと●1959年生まれ。2件の殺人を犯し、長期刑務所に服役中。現在でも月100冊以上を読む本の虫で、これまでに8万冊以上を読破。初めて衝撃を受けたのは10代のときに出合ったロマン・ロラン著『ジャン・クリストフ』。塀の中にいながら、郵送によるやりとりで『人を殺すとはどういうことか』(新潮社)、『夢の国』(朝日新聞出版)などを著す。
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『女子高生サヤカが学んだ「1万人に1人」の勉強法』
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『牢獄の超人』
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『私はなぜ刑務所を出ないのか』
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『人を殺すとはどういうことか(単行本)』
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『夢の国』
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