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無期懲役囚、美達大和のブックレビュー

教養を深めたい、仕事に生かしたい――。
人として成長するために本を読みたいと思っても、何から読めばいいかわからないビギナーのためのブログ。
服役中の無期懲役囚・美達大和から届く書評を随時公開。
週2回をめどに更新していきます。


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『心との戦い方』 ヒクソン・グレイシー

『心との戦い方』
ヒクソン・グレイシー
新潮社
1728円

*このレビューは
今年1月に届いたものです。

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本書は刊行されたら、すぐに読もうと決めていました。ヒクソン・グレイシー。格闘技の世界で400戦無敗を誇った人です。無敗。これ、大変なことです。

再々、引き合いに出して申しわけありませんが、わが父は戦後の裏社会に生き、その腕力の強さで何千回戦っても、負けたことのなかった人として、街で伝説化された人ですが、無敗という中には、油断した「まさか」も不運も許されない厳しさ、突き抜けた強さが要求されます。まして、ヒクソンはプロの世界で、ショーではなく、リアルファイト、真剣勝負に生きた人であり、当時から私の胸にはこの人の哲人めいた眼差しが印象に残っていたのです。

本書は、そのヒクソン自身が、なぜ、超一流、無敗であったかを「心」の面から説き明かしています。彼は最も重要なファクターを「心の力」と述べていました。具体的に言うと「感情をコントロールする能力」(メンタル)としています。プレッシャーや問題に対しても、「絶対に解決できない」と考えたら、必ずその通りになると語るのです(まさにその通りです)。メンタルは一朝一夕には強化できず、かなりの時間をかけて作るべきと述べています。そして、自身のネガティブなメンタルは、対戦相手よりずっとたちが悪く、最大の敵になるとも。彼はプロとしての初めての試合でそれを学びました。以後、自身の心を二度と自らの敵に回さないことを誓ったのです。

グレイシー一家の男は、みんな、3、4歳になるとグレイシー柔術(柔道ではなく)を学びます。彼は子供の頃、大人と稽古をしてパニックに陥ったことを恥じ、自ら克服するための方法を考えました。絨毯にぐるぐる巻きにしてもらうという方法ですが、これを子供(本人の記憶では11、12歳頃)の時に考え、実践するという思考と行動様式が、一つの特質とも言えましょう。恐怖心の克服方法や、試合結果は「神が定める運命に委ねるしかない」という思想など、戦う哲人(私はそう呼んでます)らしいと得心しました。14歳で母の勧めにより瞑想を取り入れたり、軍隊五種競技(射撃・クロスカントリー・水泳・障害物競走・投擲)の世界チャンピオンから教授された動物になりきるとレーニングなど、思考の柔軟さと素直さが窺えます(クロスカントリーとは、山・丘など起伏のあるところを走る競技です)。

目標を定め、戦略を考えて実行する、というヒクソンの言葉は目新しいものではありません。それを実行する強いメンタルを築いていった結果です。もし、失敗したならば、将来のために経験として生かすべきとも語ります。

「何か悪いものを食べても、それで死ぬことがなければ、結局は自分の栄養になっているのだ」

こんなブラジルの諺を紹介していました。パニック対策のために、零度に近い冷水に浸かるなど、この人が精神というものの働きを、いかに重視しているか伝わってきます。自然に対しても、刃向かうことなく、理解し、共存することと語るのです。

本書では道場破りに来た安生(あんじょう)選手、二度とも破った高田選手(UWF)のことが出てきますが、二人とも何ら評価はされていませんでした。逆に船木誠勝選手はサムライの心を持った戦士と評価されています。それぞれの理由は本書で確かめてください。

「幸福を手に入れるためには、常に自分に正直に、そして誠実に向き合い、その時々の状況における、最良の解決方法を模索しなければならない」

本書での彼の言葉は、どれも平易です。それは書物や知識からくるものではなく、彼が述べているように自らの心が感じたことばかりだからでした。

日本、日本人に対する提言もあります。もっと自身を尊重し、自由に、個人への要求を和らげ、人にやさしい社会へ、と言うものです。ブラジル人のヒクソンと日本人の私たちの国民性の違いとも言えるのですが、その語り口は穏やかで不快感はありません。

ヒクソンのお父さんが、いいんですね。初めての試合(6歳の時)に出るヒクソンに言いました。

「よし、いいぞ。楽しんでくればいい。勝ったら、プレゼントを一つやろう。でも、負けたら二つやるぞ」

これでヒクソンは負けても叱られることはないと理解したのです。そして、負けたヒクソンに、こんな言葉を投げています。

「残念だったな。でも、よくやったぞ。このまま練習を続けてゆけば、もっともっと強くなれる」

くーっ、オヤジィ(私の)、あの世で聞いてるかよ。こんな言葉の一つでも俺に言ったことあるかっての、まったく、と言いたいです。えっ、美達んちでは、どう言ってたのかって?ですか。中学生の時、300連勝以上して初めて高校生に負けて帰ってきた日でした。

「かーっ、負けただとおぉっ」

と私を殴っておいて、

「おまえは父さんの子じゃないんだ。リンゴ箱に入って、橋の下に捨てられていたんだ」

よく、こんな父でグレずに、素直に育ったものだと自分を褒めてやりたいです(ちなみに初黒星の相手は3歳上で、ボクシングのインターハイの地区チャンプでしたが、喧嘩の神様の父の教えを守り、きっちり仕留めてきました)。やはり、正しい武道の道にあるヒクソンの父は、言葉が違います。

「人間にとって重要なのは、収入の絶対額ではなくて、生活の質だと思う」

とヒクソンは言いました。まさに至言です。獄に入った身だからゆえに、わかります(社会にいた頃の私なら、わからなかったはずですが)。

嬉しいことにヒクソンもブルース・リーに興味を示していました。格闘技(ストリートファイトも含め)に関心ある人、今からでも強くなりたい人(いくつになってもなれます!!)は、是非、リーの『ジークンドー』を読んでください。

「忘れるまで覚える」

この言葉を実践してきた私のバイブルでもありました。ブルース・リー。『燃えよ!ドラゴン』が封切りになったのは中学2年(昭和48年)の冬でした。すごいらしいよ、強くて、という言葉に刺激されて父も見に行ったのです(普段の父は、すぐ大イビキをかいて寝たり、大声でつまらん、と怒鳴るので映画に連れていきません)。「おぉっ、こいつ、速いなっ」と父は椅子から身を乗り出しました。ただし、「あんな大勢とやるのに、一人あたり何発も殴るようじゃダメだな。10人以上になったら(相手が)、一発でぶっ飛ばしていかんきゃ」とは言ってたのですが。どうあれ、私のモチベーションが、火を噴くくらいに上がりました。

皆さん、喧嘩だとか言うと、すぐに野蛮だ、くだらないと思われることでしょう。54歳の今、あの頃とは思考も変わりましたが、当時は真剣で切実に強くならねばと修行していたのです。母を困らせ、私へも勝手な父をやっつけ、母に謝罪をさせるためには、父より強くなることが使命を考えていました。何でも、きっちりと記録し、分析研究する私は、そのための専用の日記をつけていましたが、小学生の頃からバーベル、ダンベル、鉄下駄などで父に鍛えられていたこともあり、順調すぎる程に目的に近づいていました。

数をこなしていくと、やる前に99%はわかってしまいます。それでも父には程遠いいと思い、日夜、こんな時はどうする、こういうのはどうだ、と父と稽古(食事中でも、すぐ立ち上がって実践してくれる父でした)をしているうちに、父のことが好きになっていったのです。母には申しわけなかったのですが、父親としては非常識で悪い面が多々あったとしても、男として魅力のある人でした。世間の人からすればくだらない「喧嘩」という父と私の共通の肉体言語の力だったと思います(なんせ、父から殴られた数は何万発単位ですから)。

さて、本書ですが、哲学書のような難解さ、深さはありません。しかし、なにかに取り組む際に大切なことが、シンプルに述べられている書でした。(美)





このレビューで美達が紹介した本


「仕事について」 第30話

前回までのあらすじ----------
同期入社は全員辞めてしまった。
せっかくできた部下も、どんどん辞めていくのだが、
そんななか、ある女性部下は
たいへんみどころのある人物だった。 


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なによりも行動力であり、反省する心でした。
反省の相手は、いつも私でしたが、
「時間、大丈夫か、帰れよ」
と私に言われても、「あと少し」と言って
質問を続けていました。

また、私のプレゼンについてきては、
近くの席から見学することが最も多く、
後であの時はどうしてこう言ったのですか、
など、熱心にメモした人でした。

このAさんより、明らかに潜在的能力がある人は
いくらでもいましたが、
思考がネガティブですぐに落ち込んだり、
契約にならないのは相手が悪い
という他罰思考を持つ人が多かったのです。
(自己の非を認められない人はダメでした)

いくら、その場でインスパイアしても、
人がいなくなると、
すぐにネガティブになるため、
アプローチの数も少ないままでした。

そして、どの人も、簡単ですが、
非常に大事な点を見落としていました。
それは、私が誰よりもアプローチの
「ノー」をもらっているということです。
前の店でも圧倒的に
「ノー」が多いのは私でした。

他の人の10倍営業すれば、
それだけ断わられる数も多くなります。
これだけは胸を張って言えますが、
最も多く、それも桁外れに
「ノー」をもらったのは私です。
めげてる暇がないくらいに「ノー」をもらい、
いちいちショックだなんて
感じていられませんでした。

蚊に刺されたほどの刺激にもならず、
ひたすら、「ノー」の理由の分析をして
面白がっていたのです。
(これは飛び込み100件で
鍛えられました)
この話をして、そうか、と自分に
置き換えられる人はエージェントとして
生き残れました。

みんなで、「ノー対策」のミーティングをしましたが、
明るい表情でいられる人は、伸びる人でした。
事実は変えられませんが、
それに対する自分の反応は自分で変えられます。
要は自分次第なのです。
そして、支社長になり、部下を育成するようになり、
自分はどうあるべきか、再考したのでした。
これが後にとても役に立ちました。

まず、支社長というのは、オフィスの賃貸料、
セクレタリーの給与・福利厚生費以外は
全て自己負担となります。
最たるものは電話代で、当時は長距離電話の料金も
安くはありませんでした。

コミッション体系もエージェント
(セールスマネージャーも含め)時代とは
変わります。部下のエージェントの
売ったオーダー数によって計算されるのです。
この役職手当は、リーダー、マネージャーから
支給されますが、金額が違いました。
リーダーやセールスマネージャークラスでは、
部下の1オーダーにつき、2000円から5000円ですが、
支社長は1万2000円から始まります。

これも毎月のオーダー数によって
1万4000円、1万6000円となりますが、
ここから光熱費、電話代、ハイヤリング、
社員募集の広告掲載料(これも大きいです)を引くと、
支社長の給与になるのです。

他地域や、前任の“にしきの支社長”で、
税引き手取り2000万円から2200万円強
(今なら5000万円程度でしょうか)
というところでした。
もちろん、可能であれば、支社長自ら
セールスをしてもかまいません。
(する人は皆無でしたが)

私の場合は、退社すると決めた記念もかねて、
最後のサマーコンテストに会社で
初めて支社長として日本一を獲りました。
支社長は、1オーダーあたり
7万円のコミッションとなるのですが、
サマーコンテストの2カ月で
200オーダー以上、挙げています。

ところで、“にしきの支社長”ですが、
私の活躍で(これ、ハッキリ言いますが)、
支社長の上位である
ブロック長に昇進して東京に戻りました。
この人も陽気な人であり
(本人いわく、ラテン系関東人)、
最後まで好きなようにさせてくれた人でした。
(相性バツグンだったのです)

私がなにか思いついて、「支社長!提案が」
と言うだけで、
「わかった。好きなようにしてチョーダイ!」
とウインクするようになっていました。
(それが似合った人でもあります)

支社長になった私は、方針を変えたのです。
少数精鋭主義にしました。
エージェントや幹部の中には、
月に3から6オーダーで十分と、
あとは遊んでいる者もいたので
辞めてもらったのでした。
(当時の私は強引でした)
士気が下がるからです。

この会社のボーナスは年4回でしたが、
それは3カ月で18オーダー(月に6オーダー)以上を
挙げた者のみ、そのオーダー数に応じて
支給される仕組みでした。
(たとえば、3カ月で20オーダーであれば、
1オーダーあたり5000円で10万円の支給ですが、
私のように320から370オーダーとなれば
特別給になり、1オーダーあたり1万5000円で
480万円から555万円となるのです。)

しかし、当時、2オーダー(約9.6万円支給)で
生活できたので、欲のない者、サボリたい者は、
3、4オーダーを挙げると、
あとは遊んでいた状態です。
(全エージェントの平均は3.5オーダー、
コミッションは16.8万円)

その結果として、周囲の後輩などに、
「そんなにやることないよ」という雰囲気を
醸(かも)していました。
(後輩への牽(けん)制(せい)の意味もありました)

私は度々、「それはおかしい」と直言してきたのですが、
今度は私のいない時に、
そのような言動をするというので、
何度も注意し、時には
実力行使したこともあったのです。

学生時代から先輩であろうと、
はっきりものを言ってきたので、
正しければ遠慮する
精神性がありませんでした。
そんなこともあって、
そういう上司の部下にはならずにきたのですが、
支社長になった時には改革しなければ、
と決めていたのです。

入社時、80人でしたが、支社長になった際、
100人ほどになっていました。
それで平生から不良分子だと思っていた
40人近くを切り、60人からのスタートでした。
切った40人で120オーダーの
マイナスになりましたが、残りの60人でカバーできる、
または私自身がフルタイムでやれば、
1人で十分と考えたのです。
(120オーダーは、
40人50人前後の営業所と同じ数でした)

切った者の中には会社の備品
(文房具・茶葉・コーヒー・
紅茶・トイレットペーパーなど)を持ち帰る
(してはならないことです)者、
実家への長距離電話を会社の電話
(支社長の経費というより、その精神がダメなので)
をする者もいました。

そして、セールスの会社ですから、
毎週月曜の朝に各グループごとに、
決意表明というペップラリーをやります。
「今週、私は○オーダーを絶対やりますっ!」
と1人ずつ宣言し、周囲は激励の歓声なり、エールを送って盛り上げるのですが、これ、いつも口先ばかりでやれないことが
前提になっていたので
再三、戒めていました。
「初めからできないとわかってて言うなよ」とか、
「自分の言葉に責任を持たないのか」と。

青臭いと言えばその通りですが、
私は発言、約束にこだわり、
守るものとしか考えずに育てられたのでした。
(今なら、もっと違うやり方をしますが)
そうして、新しい目標を決めました。(美)

*次回の「仕事について」は
8月2日更新予定です。

「仕事について」 第29話

前回までのあらすじ----------
「やっても意味がない」と言われていた
1対複数の営業スタイルを
自分のものとして、さらに土日も休まず、
働き続けた。友人と会うのも数十分単位で、
ゆっくりしている時間はなかった。
その結果は、すぐに数字に表れた。


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まず、入社した月に支社のトップ、
3カ月目から日本一となり、
1年2カ月後に支社長になるまで、
12カ月連続で日本一でした。

最年少、最短期間で支社長になり、
社長の持っていた年間・月間・週間、
そして、コンテストの最多販売記録を
2.5倍以上更新しました。

マンスリーだけではなく、
ウイークリー(週間)も54週間、
連続で日本一でした。
入社2カ月目は、1オーダー差で2番でしたが、
ウイークリー(週間)を
2週獲っています。

従前の日本一は
月間に17から22オーダーでしたが、
私は毎月記録を更新し、
最後の5カ月間の平均は110オーダーを超え、
最高は130オーダーでした。
これは40人から50人の営業所と
同じ数字です。

また、絶対に破られないと言われた
社長の65オーダーを、5カ月目に超えました。
この年のコミッションが、
8000万円になっています。
支社長になった時、20歳でした。
いったい、どこまで記録が伸ばせるのだろうか、
また、若い頃の記念として記録を作るのだ、
という思いが、私を駆り立てていました。
もちろん、日々の仕事自体、
面白かったこともあります。

初めの3年間が過ぎれば、
何か自分でやらなければならないので、
純粋なセールスをするのは、
この時限りの予定でした。
売れることよりも、
お客さんがヤル気を出してくれる、
変わるきっかけが私と会ったことというのが、
自尊心を満たしてくれ、
明日への活力となったことも否定できません。

他のエージェントのことは眼中になく、
また、誰も私に挑むこともなかったのです。
スプリングコンテスト、
サマーコンテストも優勝し、
褒美にハワイやバリに行かせてもらいましたが、
現地でも日本人観光客にプレゼンして、
オーダーを20本以上取ったのも
私しかいませんでした。

起きている時はセールスマンという、
前の店からの思いでもありました。
そこまでするか、と社長・支社長は
呆(あき)れていましたが、
この頃の私は「今しかできない」という
強迫観念も懐いていたのです。
止まれば倒れる独(こ)楽(ま)のようなものでした。

これでもか、これでもかというくらいに
仕事に没頭するのだという心と、
止められない情動のなせる業(わざ)だったと思います。
アタッシュケースを持った
セールスのロボット、サイボーグという
自己のイメージを忠実に
再現することを一義とした日々でした。

最初の3年間、決して妥協せず、
自己のイメージを追求し、実現すれば残りの人生は、
思い通りのものにできるという、
確固とした信念もありました。
単純ですが、物事に取り組む過程では、
この単純さは不可欠です。
こうなったのは、他にも理由がありました。

それは、人間の成果は才能ではなく、
どれくらい真剣にやったか、
ということを学生時代から
知っていたからでした。
前の店でも、この会社でも、
その点は確認できました。
しかし、世間では、
そうではないという評価が圧倒的です。

何よりも知能・才能に成果が
比例するとされています。
しかし、私は同意できません。
それは、当時も今も数多(あまた)の経験により
証明できることです。
話しをしたり、仕事をしている場面を見る限り、
こちらの人の方が能力はある、
あるいは、知能が高いと感じる時は
多かったのですが、現実の成果は
逆のことがめずらしくありません。

学生時代の友人たちも、成績で見る限り、
本来の知能とは
異なる結果が表われていました。
野蛮な話になりますが、
ケンカにおいても同じであり、
その人の持つ潜在能力が生かされていないこと、
反対にそうでもない人が、
そこそこの結果を出すことが、
めずらしくありませんでした。

では、それはどうしてか、となれば、
本人の性格と努力の仕方であり、
その努力は目標・目的などの
動機の強さに比例しています。

もちろん、本人の性格が目標・目的の強さを
決めますが、うまくいったという
経験の数も深く影響していました。
中学生から高校生にかけて、
私は人の成果というのは性格なんだと
思っていたのですが、その時の性格とは、
「諦らめないしつこさ」だと
定義していたのです。

やがて、読書の影響もあり
(高校時代、内外の自己啓発書を多読していました)、
性格とは考え方の癖で、
これによって願望・夢・目標が単なる夢のままか、
具現化しようと
行動を起こすのか決まると知りました。

自分を振り返ると、子どもの頃から
願いは必ず実現するとしか
思えませんでした。
その大きな理由としては、
父の性格、育て方が挙げられます。
父は曖昧さや意志の弱さを徹底して嫌ったので、
まずは自分の意志をはっきり決めることが
自然と身につきました。

次に父の口癖でしたが、
「他人の倍じゃなく、5倍10倍やれ」
「途中でやめるなら初めからやるな、
やるなら最後までやれ」
ということを
体で覚えさせられてきたのもあります。

こんなことが、努力とか頑張ることではなく、
あたりまえとなっていたのです。
後から振り返って感じましたが、
「途中で諦める、やめる、
できなかったらどうする」という
思考自体がありませんでした。

なぜなら、やり始めたらできるまでやるものだ、
としか思ってなかったからです。
単純ですが、父と暮らしているうちに、
そうとしか考えられないように
なっていました。

加えて父は私と違って、
過程の努力は一切評価しませんし、
興味もない人でした。
結果だけが評価の対象だったのです。
そんなわけで、いつしか、
できるまでやればいいんだ、
になりましたが、自分が心がけるのは、
とにかく毎日やり続けること
となったのでした。

この会社でも昇進する過程で
部下を持たされましたが、
このことが如(にょ)実(じつ)に表われていました。
売れる部下、売れない部下という差は、
能力よりも別のところにあったのです。
それは、プレゼンがうまい、下手ではなく、
どこまで目的(売るということ)に
執着できるか、
諦めないかということでした。

いくら、頭が良くても、プレゼンがうまくても、
アプローチで断わられる度に落ち込んだり、
すぐにめげて休憩するようでは
結果は出ません。

また、知能が優れているのが災いし、
頭で考えるばかりで行動しない人、
やる前から不安ばかり数える人、
このような人がいかに多いかも知りました。
お客さんから「ノー」をもらった時に、
どのようにするかで、
そのエージェントの先が99%見えたものです。

最後の1%は、気付いた時に変われるかでした。
その人の思考の癖を知れば、
新人は入社後、どれくらいの期間で
退社するか、見当がつきました。
私の同期は6カ月以内に全員がやめましたが、
最後まで自分の考え方を変えることなく
終わったのです。
(この会社、1年以内の離職率は約95%でした)

性格というのは容易には変わりませんが、
考え方は変えられますし、
結果として行動も変わります。
たとえ、それが金銭でも、
目的意識の強い人、執念深い人は
ノーをもらっても立ち直りが早いです。

「こうしちゃいられないんだ。
家賃、家賃。早く稼がなきゃ」

こう唱えて、何年も事務しかやったことのない女の人が、
セールスマネージャーになった例もあります。
この人はAさんといって私の部下でしたが、
くいつきが違いました。
年齢が8歳上ですが、伸びると感じて、
厳しく接していたのです。

初めて見た時は、茶色に染めた髪の毛、
派手な化粧で長続きしないと思いましたが、
ガッツがあるのと、
気分を入れ替えるのが早い人でした。
知能ならば、「中の下」というところですが、
このAさんには
他の人に抜きん出たところがありました。(美)

*次回の「仕事について」は
明日更新予定です。 

みたつ・やまと●1959年生まれ。2件の殺人を犯し、長期刑務所に服役中。現在でも月100冊以上を読む本の虫で、これまでに8万冊以上を読破。初めて衝撃を受けたのは10代のときに出合ったロマン・ロラン著『ジャン・クリストフ』。塀の中にいながら、郵送によるやりとりで『人を殺すとはどういうことか』(新潮社)、『夢の国』(朝日新聞出版)などを著す。
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『私はなぜ刑務所を出ないのか』
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『刑務所で死ぬということ』
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『人を殺すとはどういうことか(文庫)』
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『死刑絶対肯定論』
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『人を殺すとはどういうことか(単行本)』
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『夢の国』
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