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無期懲役囚、美達大和のブックレビュー

教養を深めたい、仕事に生かしたい――。
人として成長するために本を読みたいと思っても、何から読めばいいかわからないビギナーのためのブログ。
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『駆け出しマネジャーの成長論』 中原 淳

『駆け出しマネジャーの成長論』
中原 淳
中公新書ラクレ
880円+税

*先月届いたレビューです

ダウンロード (8)

本書は、現物のプレイヤーから、マネジャーになった人が直面する諸々の問題を解消すべく目的で書かれていました。もちろん、ベテランマネージャーや、まだプレイヤーの人にも参考になる書です。著者自身も39歳で、マネージャーというポジションにあることから、自らの経験と研究の成果が込められていました。

まず、マネジャーとは何か。それは自分以外の人に仕事をさせる(任せる)ことを求められる人です。自分以外の人には、部下だけではなく、さまざまな人が含まれます。そうした人たちと付き合い、動かしていくことも役割の一つでした。マネジャーの役割として、①挨拶屋②ベクトル合わせ屋③連絡屋④分析屋⑤伝達屋⑦変革屋⑧障害やりくり屋⑨配分屋⑩決定屋があるとしています。

マネジャーになった人は、初めにプレイヤーからの移行期間をうまく乗り切る必要がありますが、著者は次の5つの環境変化を挙げていました。
①突然化②二重化③多様化④煩(はん)雑(ざつ)化⑤若年化
①は組織のフラット化により、準備のないまま突然、部下を抱えること、②はプレイヤーとマネジャーのバランス、③はマネジメントの相手が非正規社員・外国人・年長の部下と多様化、④は雑事(リスクヘッジの情報管理・CCメール対応など)の増加、⑤は経験の浅いマネジャーの増加についてでした。

そして、マネジャーになっての4つの不安、①目標達成不安②板挟み不安③業務量不安④現場離脱不安を挙げ、どのように対処するか述べています。

また、挑戦課題として①部下育成②目標咀(そ)嚼(しゃく)③政治交渉④多様な人材活用⑤意思決定⑥マインド維持⑦プレマネバランスの7つを挙げていました。
目標咀嚼とは、上からの目標指示をわかりやすく伝え、共有することです。政治交渉とは、他部門・他者との交渉にあたります。プレマネバランスとは、プレイヤーとマネジャーとしての自分の役割・時間の配分についてでした。

本書では、これらの対策に具体的な方法・手段を提示しています。マインド維持として、自らのモチベーション維持など、的を射(い)た理論を展開していました。第5章では、会社がマネジャーを育成するために何ができるか述べているのですが、従の研修や体制では不十分だった点を指摘し、対策が出ています。最終章は現場のマネジャーの座談会ですが、これ、参考になる内容でした。

どうやって部下をマネジメントするかは、その人の生来の資質の影響が大きい、というのが自論です。よって、マネジメントの方法も千差万別、さらに相手も十人十色なので、これという絶対的方法はないというのが、私の思考でした。しかし、これだけは常に最大化しなければと決めていたのが、意欲です。ヤル気とも言いますが、これをその部下に合わせて、いつも鼓舞するのが、最初の仕事でした。各人の目標・夢の他に、日々の出来事と将来の成果との相関関係、未来の姿に対して、今、やっていることの目的と意味を絶えず話していたものです。

自分が実務を見せる時には、誰よりも仕事ができるのだという場面を見せるようにしていました。実力があるというのは、多少の人間的欠陥などカバーしてくれるからです。あとは、その人がどうしたら最も力を発揮してくれるか、それを考えていました。自分が動かずに、人にさせるというのは、歯痒く、落ち着かないものでしたが、何とか自分を宥(なだ)めていたものです。マネジメントに関しての類書は山程ありますが、本書は論理(ロジック)が緻密(ちみつ)で新書にするには、もったいないくらいでした。

章ごとに「まとめ」のページもあり、本の作りも親切です。難しい理論も用語もなく、地に足の着いた堅実な書となっています。ビジネス書・自己啓発書は他に比べて、本当に役に立つのか、実践的かを厳しく吟味してレビューにしているのですが(そのため、4冊に1冊位しか書きません)、これは、仕事に私生活にも役立つはずです。(美)




このレビューで美達が紹介した本

 

「仕事について」 第50話

前回までのあらすじ----------
金融は経済の血液だ。
私は、私にしかできない金融をはじめたいと
思っていた。課題を挙げるとするならば、
それは資金調達をどうするか、であった。
 
TAN_hurubitamansyotokarasu500

中小企業に貸し付けるだけではなく、
その会社に合った経営の改善策を考えたり、協力しようと。
これを自分の会社の強みにするのだと決めました。

同時に、それはさまざまな業種を学ぶことでもあったのです。
小さな頃からの「何でも知りたい」という欲求が、
より広く深いものになっていました。
(私には学習は特別なことではなく、生活の一部でした)

経営者の人たちに話を聞く間に、
巷間で言われていることと、
その業種独自の世界との乖離が
私には興味深いものだったのです。
書籍で、その業種のことをさらに学び、
自分なりの(素人ですが)企画を提案しに行くことが、
いつしか楽しみと勉強のようにもなっていました。

私には何かと何かを組み合わせたり、
それまで前例のなかったことを構想するのが好きというか、
習性みたいな面もあったのです。
現在ならコンサルティングとでも称するのでしょうが、
仮に自分の提案したことで、
その会社の業績が伸びたならば、
自己満足ですが喜びの一つになります。

ドラッカーは事業の目的についての正しい定義は、
顧客の創造だけと語っていましたが、至言です。
顧客に喜ばれる、歓迎される金貸しっていいなあ、
と幼稚かもしれませんが、原始的な発想でした。

これを父に話したところ、いつものように
「ふん」と鼻で笑われました。
「金貸しってのは、そんなに美しいもんじゃないぞ。
紳士だと言われていても
生きるか死ぬかの金が絡むと人は変わるからな」
「世の中には金のためなら、
どんなことだってする奴がいるから、
よーく人を見るんだな」
父は嘲(あざ)笑うように言いましたが、これまたいつものごとく、
私の闘志に火が点(つ)いたのです。

金融業を始めるにあたり、最も頭を悩ませたことは、
在庫をいかに増やすかということでした。
在庫というのは、もちろん現金のことです。
セールスマン時代、後半は、にしきの支社長と遊んだり、
車・時計・宝石を集め始めたりで、
わりと遣ったのですが、株式投資の運用で
増えてたこともあり、手元には
約3億円強が残っていました。

昭和55(1980)年の21歳の青年としては多額でしたが、
金融会社としては心もとない額です。
中小企業相手ですから、1社につき500万円から
1000万円の融資としても、
50、60社くらいで底を尽いてしまいます。

当時、出資法(金銭貸借においいては、
金利制限法と、この法律があります)では
年に109.5%まで利息を取れることになっていました。
元金が3億円ならば、順当に回収できた際は
年に3億2850万円の利息があり、
そこから経費を引くことになります。
経費と言っても、金融業なのでオフィス賃料、人件費、
電話代など、他に現金をどこかで調達してくれば、
その金利が含まれるのです。
(細かく書けば、広告料などありますが、ここでは省きます)

現実にはこの資金では不足で、そこで、ハタと気が付きました。
なんだ、こういうことだったのか。
「金貸しとは、金借りのことだ」と。
父にこのことを告げると、愉快そうに笑った後、
真面目な顔つきになって、
「本当に、金は用意できるのか」と訊いてきました。
「オヤジ、大丈夫だ。俺に名案があるから」
と答えてますが、どのようにして資金を調達するのか、
あれこれと策を立てていたのです。

まず、自分でできることの一つとして、
競売物件と金融公庫の組み合わせがあります。
仕組みは裁判所で競売物件となっているマンションの中で、
立地条件が悪い、エレベーターなしの上の階、
間取りが悪いなど、不動産としての魅力が低く、
売れない物件を選び、それを知り合いの不動産業社に
落札してもらいました。
当時は業者でなければ落札できなかったからです。
(現在は一般の人もできます)

次のそのマンションを、私が用意した知人が買うような形にして、
金融公庫(国民金融公庫)の融資を申し込みます。
ここで、なぜ、不動産として魅力が低い物件を選んだのか、
その理由を説明しますが、
それは落札価格が低い(つまり、安く買える)からでした。

魅力があれば、当然、欲しい業者も多いので、
価格は競売のために高くなります。
私の一策の第一条件は安いことでした。
私の知人が金融公庫に融資を申し込み、
落札した不動産屋(私の知り合いの)から買うという形ですが、
この時の価格は金融公庫から
融資可能限度額の上限近くにします。

馴染みのない人も多いでしょうから、
もっと具体的に説明しましょう。
私が不動産屋のAに落札してもらうのは、
条件の悪い1LDK、2DKなどで、
それこそ最低競落価格(この価格以上で、
購入して下さいという額のことです)でも買われず、
何度か価格が下げられている物件です。

競売物件というのは、落札者(買う人)がいなければ、
最低競落価格を下げて、再度、公示します。
(裁判所に行けば、書類など見せてくれます)
そんな物件なので、300万円台、
400万円台で落札できました。

次にA不動産は裁判所にお金を払って(私が出したお金です)、
自分のものにした後、
私の知人のBに売るようにします。
Bは融資を金融公庫に申し込むわけです。
国民金融公庫(今はありません)は、
国民金融公庫法第一条により、
国民が住宅を持ち易い(買い易い)ことを
一義としているので、審査もシビアではなく、
通常の会社員であれば審査が通って融資されます。

そこでポイントは価格ですが、A不動産が
350万円で落札した物件を、1000万円で買うという形で、
Bは金融公庫に申し込みます。
20年払いにしますと、月々の支払いは数万円です。
融資されたお金はA不動産に支払われますが、
1000万円から落札価格の350万円を引くと、
650万円が余り、これを私が利用することになります。
不良物件なので競合相手もなく、落札は簡単でした。

現在の競売は一般の人でも参加でき、
直接、銀行や公庫などの融資を、
ダイレクトに裁判所に払えるようになりましたが、
この当時はローンなど組んでの
裁判所への支払いは認められていなかったのです。

今も相場より3割は安い価格から入札できるようなので、
後学の為にも裁判所の競売物件の公示を
見ておくのもよいでしょう。
実際に手に入れるとなれば、
そこに住んでいる人の権利関係もよく調べなければ、
落札してから大変な思いをします。

競売物件が、今のように直接、ローンを組んで
裁判所に払えるならば、
自己資金がわずかでも、賃貸にする際の賃料によっては、
続けていくつもの物件の
オーナーになることも可能です。

好条件の物件は、さすがに競争率も高く、
価格も上がっていくのが難点ではありますが、
根気良く探せば条件を
満たしてくれる物件もあるはずです。
こんなことをしながら、自分はこれから
どんな仕事をするのだろうと夢を膨らませていました。
そうして、この融資には、
こんな利点があったのです。(美)


第51話へ

「仕事について」 第49話

前回までのあらすじ__________
銀行は、必要なときに貸さない
必要のないときに借りてくれと頼みにくる、
おかしな組織だ。
私と銀行の関係を振り返ると、
いくつか思い出すことがあった。


PAK55_hokotenowarimadika20140914001500

私はフルコミのセールスをするまでは、
せいぜい、新規の口座を作った時に、
キャラクターの貯金箱
(人形とか動物の形をした物が一般的でした)を
もらうくらいでした。

中学生の時から、いろいろと商売をしていたので、
相手からの支払い(振り込み)用に
いくつか口座を持っていましたが、
貯金していたわけではありません。
というのは、中学2年の夏頃から、商売の方も
いよいよ千客万来で忙しくなり、
入金されたお金は、すぐに仕入れや貸し付け
(知人・友人相手の金貸しで)に回っていました。

おまけに、小さな頃から、
気前のいいのは天下一品で、友人たちにおごったり、
みんなで遣うことが趣味で、
私にとってのお金は、
フローでストックではなかったのです。

「宵(よい)越(ご)しの本と金は持たない」
と広言していたこともあり、父から分(ぶん)捕(ど)った
クロコダイルの豪勢な財布に
20万から50万くらいを入れて、
学校に行っていました。
学校の内外に友人・知人が多く、誘わなくても常に、
何人も集まるので話題の店で食べたり、
買い物をしていたのです。

成人してから、実母と行き来するようになったので、
私の子どもの時の話を聞かされますが、
「いつも、電話してくるのよ。
まだ、お金、全部遣ってないから、
あと30分かかるからね」
と母は半ば呆れ、半ば笑いながら話してくれました。

学校のテストの点数によって
お小遣いをもらうことが多かったのですが、
それをその日に遣いきるのは
額が大きく大変だったのです。
近所の子どもたちや同級生を連れ歩いて食べ物を買う、
クジ屋に入る、紙芝居屋さんを借りるなど、
いろいろやり、なんとか遣いきってから
家に帰っていました。

当時、アイスキャンデーが1本5円、
クジ1回5円で、500円とか1000円のお小遣い
(テストの点数によって100点は
1000円、95点は500円、90点以下はゼロでした)は
なかなか遣い切れず、
クジ100本分の一箱をまるまる買ってみんなで分けたり、
オモチャを買っては順番に友人に配っていたのです。

高校生の頃も私は父から広い部屋を
二つもらっていたことと、
同じ学校(進学校でした)のガリ勉君から
中学時代の友人のツッパリ君まで、
幅広い友人が集まってきたので、
飲食などにかなり散財していましたが、
これは父も奨励していたことでした。

友人の間でも我が父の人気は絶大で、
私たちの集まりの中に遠慮なく入ってきては
好き勝手な話をして(それしかできないのです)、
みんなを驚かせたり笑わせていました。
時間があれば、自分の好きな焼肉屋に連れていき、
食べる姿を喜んで見ています。

ガリ勉君とツッパリ君の親和性は良く、
私が通訳みたいな役で、
互いのことを珍らしい動物であるかのように
付き合っていました。

私の部屋には「商品」である衣料品・レコード・本など
雑多な物が集まっていたので、
友人たちは分類や値段付けにも参加していたのです。
わいわいガヤガヤ、これなら欲しいとか、
この値段は高い、この型はいいなど、
ミーティング状態でした。

私もそうですが、みんなで自分の学校や
他校の生徒から情報を集め、
何が人気かリサーチして、買い集めて販売するのは、
社会人になるトレーニングになりました。
情報と商品を持ってきた人には、
手数料をやったり、バイト代を払うこともあり、
会社ごっこだったとも言えます。

年末年始と夏休み前とその期間は特に忙しく、
多くの友人が臨時のバイトのように
働いてくれました。
私も気前の良さで、「えいっ」と
バイト代を払ったものです。

中には大人になっても、こんな商売を続けていきたい
という人もいましたが、
私の夢は別のところにあったのでした。
今も基本は変わりませんが、
学生時代の私は、「何でもいい、困ったらいつでも来い。
金も女も相談にのるぞ」と
広言していました。

それは私を頼って来る人には、
可能な限り応えていくという、習性・サービス精神と、
誰かのために何かすることが
尊(とおと)いことという信条からでした。
その反動として他者を困らせる人が大嫌いで
看過できない心がありました。

どうあれ「金は一人で遣うな、そういう奴は下(げ)種(す)だ」
という父の言葉、そして、
周囲の誰であろうと拒まず、
飲み喰いさせる父の行動を見ていたことが
影響しています。

小学生時代、お小遣いというのは基本が1日100円、
あとはテストやバーベル・ダンベルを
何回できたかで、もらっていました。
他の同級生たちは大体、
月に300円から500円くらいもらっていた時代です。

父は同級生で施設の子や母子家庭の子に
グローブ・バット・野球のユニフォームなどを
買ってくれたり、
肉を食べに連れていってくれる人でもありました。
そのせいで、
①お金は自分だけでなく、みんなのために遣うと楽しい、
②お金を得るには何かするものだ、
という思考が自然と身に着いたのです。

加えて、5年生の時に母の家出を契機として
父の会社の倒産により、
生活費・給食費・PTA会費などを自分で稼ぐということ、
食べる物がない貧乏も経験したおかげで、
ますます、なければなんとかするものという感覚を覚え、
金品への執着はなかったのでした。

また、翌日、商売で入金があると思えば、
父の言葉である、
「遊びの時の金は花びらだ。パーッと散らせ」
を忠実に守っていました。
次第にバイクから車を扱う(販売と買い取りで)ようになると、
仕入れが100万200万となりますので、
資金ショート(不足)もあるのですが、
そういう時は、いつもなんとかなるものでした。
(こういうことが重なり、俺が行動すればなんとかなるのだ、
という妄信が生まれました)

こんな様子でしたから、銀行との取り引きらしきこともなく、
意識したこともなかったのです。それこそ、
口座に入金があれば、さっさと引き出していました。
貯金しようなど、寸毫も考えず、
商売に励めばいいだけ、と疑いもなかったのです。

良心的価格(本・レコード・服・アクセサリー・
バイク・車・その他いろいろ)で、
商品先渡し、支払い1週間以内
(但し、取り立てになると厳しい)でしたが、
私に払わない人はいませんでした。

その銀行が、コミッションが振り込まれるようになると
変わったのです。ある日、キャッシュカードで
お金をおろしていると、いきなり初老の上品な行員に、
「美達様でいらっしゃいますね」と
声をかけられました。
「はい」、何かなと振返ると
丁重に支店の2階の応接室に連れていかれたのです。

そこには、次長、課長という名刺を持った人がいて、
ひとしきり、私の高額なコミッションを褒めたり、
大変な厚遇ぶりでした。
コーヒー・紅茶が飲めないと告げると、
アイスミルクとケーキを出してくれ、
それを運んできた女子行員は、とても美人だったりと、
気配りが行き届いていたのです。

そこで、私のコミッションの使い途など、
やんわりと尋ねてきたり、
銀行というのはこういうこともあるのかと
学習させられました。
この銀行は今も3大メガバンクの一つであり、
財閥系の都市銀行でした。

当時から必要以外の現金は株などに回していましたが、
お人好(よ)しのところもある私は、
この礼遇(その後も続いたこともあり)に応(こた)えようと
1千万円の定期預金を付き合うようにしたのです。
(気を遣う性分なんです、本当に)

この時、面白いというか、こんなこともするのかと
感じたことがありました。
株式市場の状況で、今、投資額を増やしたい
というタイミングがあるのですが、
定期預金を解約したいと告げると、これを担保に
借りてほしいというニュアンスの
申し出をしてきたのです。

なるほど、銀行というのは預金獲得と維持が大事であり、
自分の預金があってもこのように
金利を払うケースもあるのだと思いました。
その後、私も金融業から始まり、
不動産業、外車販売業も兼ねることで、
銀行の支店長や本店の役員との付き合いが増え、
彼らの生態や思考を知ることになったのです。

金融業というのは現金自体が商品なので、
無駄がない商売だと思いますが、
銀行以外の市中金融(いわゆるマチ金(きん))は、
今一つ、イメージが良くありません。
そのために『高(こう)利(り)貸し』
と呼ばれることも普通です。

本来ならば、困っている、必要としている時に貸すので
感謝されるべきと思うのですが、
世間の印象は違います。
それは取り立ての厳しさ以外にも、単に貸すだけで
顧客の資金状況を考えてやらないところに
原因があると思い、
私は別の形の金融業をやりたいと計画していました。
貸し付けた現金以外に、顧客の役に立つこと、
私の会社しかやれないことを
付加価値にすることでした。

セールスをやっていた時に、数多(あまた)の経営者から
話を聞くことができましたが、
そこでそれぞれの問題や改善点も知ったのです。
資金調達で言えば、適切なタイミングで
適切な額を調達する難しさもその一つでした。
リスクを取らない銀行に対して、
中小企業は弱い立場でもあり、
まともに相手にもされていなかったので、
私は考えたのです。(美)


第50話へ

『金持ちは税率70%でもいい VS みんな10%課税がいい』 ポール・クルーグマンほか

『金持ちは税率70%でもいい VS みんな10%課税がいい』
ポール・クルーグマン
ジョージ・パパンドレウ
ニュート・ギングリッチ
アーサー・ラッファー
町田敦夫・訳
東洋経済新報社
1200円+税

*今月届いたレビューです

ダウンロード (7)

本書は、タイトルそのまんまです。メンバーが面白そうなので読んでみました。では、どんな人たちか、ざっくり紹介します。

まず、クルーグマン。2008年にノーベル経済学賞を受賞した経済学者ですが、その知名度は相当に高いと言えます。ベストセラー本も多い人です。

次はパパンドレウ。あのギリシャの元・首相。この人が首相となった時、既にギリシャは借金大国でした。ギリシャ最悪の年に最善の対処をしたことで、『世界の頭脳トップ100』に選ばれています。この2人が増税派です。

そして、増税反対派は、ギングリッチ。この人は、元・下院の議長で、共和党の大物として有名でしたね。もし、大統領・副大統領に事故があれば、大統領代理の任にある一人でもありました。今はCNNの政治・時事番組のホストをしています。

ラッファーも経済学者として有名で、税率と税収の関係を示したラッファー曲線の提唱者です。ラッファー曲線では、税率を下げれば経済活動が盛んになり、政府の税収も増えるとされています。

初めに論点を絞りますと、富裕層を対象に所得税率を上げよう、最も効率があるのは70%だというのが、クルーグマンとパパンドレウの主張でした。対して、税率を上げると経済活動が緩慢となり、税収が減る、百害あって一利なしというのが、一律10%でいいというギングリッチとラッファーの主張です。

4人が一堂に会して、一人ずつスピーチの後にディベートしますが、このディベートの様子が特筆部分(私にとって)でした。なぜならば、ここに営業をはじめとする、自己の主張や伝達のノウハウが詰まっていたからです。上手だなあ、と思いつつ読みました。

現在、先進国の政府は総じて歳入不足に悩まされていますが、日本は筆頭とも言えるでしょう。そのため、福祉のみならず、歳出の多くが、国債発行に支えられています。アメリカも同じで、福祉や国防! まで歳出縮減となっていました。貧困層が増える一方で、富裕層の所得が大きく伸びているのも日米両国の特徴です。

ディベート前に会場にいる聴衆のアンケート結果があり、増税反対が58%、反対が28%、14%はわからないという結果でした。

クルーグマンらは、過去の統計から、税率を上げても、経済活動が緩慢にならず、税収は上がることを、視点を変えて説きます。近年、アメリカは貧しい人たちを支援するためのフードスタンプ(食費支援制度)予算を年間20億ドル(約2000億円)カットしようとしました。保守の共和党が賛成したんです。(ギングリッチは共和党の大物です)

他方で2011年のアメリカの高額納税者上位1%の人たちが、計1兆4000億ドルも稼いでいます(資産ではなく、稼いだのがです、140兆円になります!)。たった0.14%の税率を上げるだけでカバーできてしまうんです。

ところが、日本も同じですが、金持ちほど、節税が上手で、税金を払おうとしません。現在、日本の所得税は最高税率が40%(来年から45%)ですが、これ、以前に比べるとかなり低いと言えます。たとえば昭和49(1974)年から59(1984)年なら8000万以上の所得に75%もかかり、住民税も18%で、ほぼ税金でした。

ただ、収入と所得は課税を前提に考えると違います。収入は入ってきたお金で、所得はこれから経費などを差し引いた額のことです。仮に1億円稼いでも、経費が6000万円なら、課税所得は4000万円で税率も低くなります。この経費をどこまで認めるか、職業によって違ってくるのです。

おまけに高額納税者となれば、夏頃に予定納税といって、翌年2月16日までの申告分の一部を払えと言ってきます。

「えっ、まだ今年も終わってないのに税金払うんですか?」
「そうです」
「誰が決めたんですか、そんなの」
「誰って……法律がそうなってるので」
「でも、パーッと花びらみたく遣ってるから払うお金ないですけど」
「それじゃ、分納ってことで結構です。延滞金は頂きますが」
「えっ、延滞金ですか。だって借金じゃないのに。払いたくないなあ」
「延滞金をですか?」
「いや、両方とも」
「第一、何にそんなに遣うんですか。まだ若いし、これだけの収入があるのに、美達さん」
「若いから、遣うんです。これ、お互いに知らなかったことにできませんか?」
「ダメです。私、知ってしまいましたから。往(おう)生(じょう)して下さい」

これ、税務署の人との会話でした。だから、いつも、税引きで考えてました、自分のはせいぜい3割もあれば上出来だと。今は金持ちほど、税金対策してますが、もっと払って欲しいですね。所得税だけではなく、相続税逃れのために海外に5年も移住する人が増えているそうですが、中には無為にすごすのがイヤになり、戻ってくる人もいると知りました。

ロシアではプーチンが1回目の大統領になった際、一律13%にして、経済成長があったんですが、ある試算によれば、その気になれば日本でも可能と言われています。結局、税は国民の所得の再配分の役を担っているわけで、今のように格差が広がっているのは、機能していないわけです。

本書に戻りますが、この4人のディベート、機知と知力の戦いでもあり、ディベートを学べました。金持ちに罰を与えるのかという反対派の主張も、現代人の感覚を表わしています。世界の純資産の1/3が税のないタックスヘイブンやオフショア地区にあるそうです。

私は累進課税がいいと考えていますが、他にも贅沢品の税率を上げるとか、できないのでしょうか。週刊誌などを読むと、国民の払った税金が、正しく利用されていない記事が度々、載っています。無駄を省くだけで、現在の税金で十分にやれるとも言われているのですが、将来のことを想定すると、やはり、社会保障がネックになるとか。本書、2/3の厚さで足りると思いましたが、税に関心ある人はどうぞ。(美)





このレビューで美達が紹介した本


『成長から成熟へ』 天野祐吉

『成長から成熟へ』
天野祐吉
集英社新書
799円
*今春に届いたレビューです

ダウンロード (6)


天野さん、亡くなられましたね。

この方の世相を諷刺した文章が好きでした。本書は欧米(主にアメリカ)と日本の経済成長、社会の成熟の過程と行く末を、広告を通して見つめていくというテーマで綴られています。

冒頭に、人はなぜ福袋を買うのか、という借(しゃ)問(もん)がありました。正月の福袋、今年は久々に高額の物もあり、デパートなど盛況だったようですが、皆さんは買いましたか? 私、福袋って買ったことありません。自分に必要な物、欲しい物以外は買わないからですが、売れてるんですね、福袋。

天野さんは、こう言ってます。福袋を買うのは、「買うものがないから」と。欲しいものが見つからない、でも、何かが欲しいからだそうです。物を買い続けるように教育されてしまった、今の消費者は何かが欲しい、とのこと、心当たりはありますか? コンビニなんかに行くと、なるほどと納得する人、少なくないのではないでしょうか。また、20世紀の経済成長の裏で、こんなことがあったとも書かれていました。

「計画的廃品化」

1924年(大正13)年のクリスマス、ジュネーブの某所に数人の紳士が内密の会合を開きました。世界初のカルテルだそうです。決められたのは電球の寿命を、上限1000時間に設定することでした。それまでは、寿命の長い電球の開発に励んでいましたが(2500時間まで延びたとか)、それを一気に短くしたのです。ナイロンのストッキングも、本来は丈夫だったのに、破れるようにしました。そうして、時代は大量消費時代に入ります。

まずはT型フォードで自動車旋風を起こしたフォードからですが、やがて、顧客の求めるデザインを重視したGMに抜かれます。次第に自動車は巨大化して、装飾も派手になっていくのですが、1950年代1960年代のGMやフォードの広告を見ると、その通りです。この時代のアメ車、いかにも良き時代の風情でした。巨大なテールフィン(後部についている羽根みたいなデザイン)、ギラギラのクロームメッキ、グラマラスなボディと、浪費がタイヤを付けているようです。(個人的には嫌いではありませんが)

日本でも1955(昭和30)年頃、三種の神器(電気洗濯機・電気冷蔵庫・テレビ)に始まり、1960年代後半は3C(カー・クーラー・カラーテレビ)となっていきます。そうして、デパートのコピーに「おいしい生活」が使われ、1970年代はパルコの宣伝が若者を魅了しました。当時、高校生だった私も、パルコに通ったり、あのポスターに格好良さを感じたものです。「時代の心臓を鳴らすのは誰だ」なんていうコピーと、シャープなイラストのポスター、人気ありました。

巨視的に見れば、マルクスの時代(1840年代)に比べると、26倍も消費してると言いますが、では、幸福も26倍になったか、という疑問が呈示されています。経済成長による物の豊かさ、実は幸福とは別のものだったんですね。だから、こんなコピーも登場しています。

「ほしいと思うものが、ほしいわ」

そして、天野さんは、物理学者(ノーベル賞をもらってます)のガボールの言葉を引用しました。

「富がたえず増加しつづけてきた過去四分の一世紀の間、ほとんどの人々は指数関数的成長は無限にはつづけられないという、この明らかな事実を直視する勇気がなかった」

「成熟社会とは、人口および物質的消費の成長はあきらめても、生活の質を成長させることはあきらめない世界であり、物質文明の高い水準にある平和なかつ人類(ホモ・サピエンス)の性質と両立しうる世界である」

そんな中で、天野さんは経済のローカル化を提唱するのですが、現在、里山資本主義(これ、レビューあります)というのが注目されています。そして、こうも言っていました。

「われわれが生態系の破壊を行えば行うほど、宣伝広告はよりいっそう、自然とのかかわりのなかにある美しさについて語る」

本書は内外の広告を通した経済成長と世相を俯瞰しながら、経済成長と人間のかかわりの最適化とは、どういうことか考える契機となるはずです。広告の変遷という観点からも面白いと言えます。巻末の書ではガボール『宴のあとの経済学』(ちくま学芸文庫)、ラトゥーシュ『脱成長は世界を変えられるか』(作品社)、佐伯啓思『大転換――脱成長社会へ』(NTT出版)が、本書と合わせてオススメです。(美)





このレビューで美達が紹介した本


「仕事について」 第48話

前回までのあらすじ__________
金融業をはじめると宣言した私に父は
「やってみるがいいさ。やる以上は、
しっかりやれ、しっかり」
と言った。そして真顔でこう続けた。


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「ところで息子よ。おまえ、金貸しをやるのはいいが、
肝腎の金はあるのか。
8000万だか1億だか稼いだって、
商売はできんぞ、その程度じゃ」
息子よ、と言うのは機嫌の良い時です。

「あんまり持ってない。せいぜいこんなもんだぜ」
私は指を三本立てて見せました。
「それ、億ってことだな。遣ってたわりには蓄(た)めたな。
若いうちから金なんか蓄めるもんじゃないぞ。
遣ってなんぼだからな、生きてるうちに」
「金は天下の回りもの。遊びの金は花びらだろ。
わかってるって。
すぐに何かに遣うわけじゃないから
株で増やしたんだ」
金は天下の回りもの、というのは
単なるレトリックではありません。

GDPの6割は個人消費(日本は)ですし、
世間に出回るお金が増えても、
それがみんなのところを回らないと
景気も社会も沈滞するのです。
いくら、国民の資産が増えても
一部の人だけの富として
滞留されてされていくのでは、
本当の意味での好況となりません。
このことを表わしが寓話にこんなのがあります。

鎌倉時代に人気のあった
青(あお)砥(と)藤(ふじ)綱(つな)(『太平記』に出てる人)の話でした。
ある時、この藤綱が川に10文(もん)の銭を落とし、
それを探し出すのに
50文の銭を遣ったという話です
(50文は松(たい)明(まつ)などを買いました)。
その無駄を問われた藤綱は、
「10文を取り戻せば貨幣経済に復帰できるし、
50文も回り回って世のためになる」
と言いました。その場の事象のみを鑑みれば、
無駄と思う人もいて当然ですが、
寓(ぐう)意(い)を含んでいます。

お金というものは、遣えば誰かを利用することになり、
多くの人がそれをすれば、
あるいはする心構えがあれば、
社会に出回るお金の総量も増え、
マインドセットが変わるはずです。

景気の気は人々の気分という意味もあるので、
単にお金が出回っていると思うだけで
消費しようという行動に表われます。
逆にみんなが貯蓄すれば、その時点で正しくとも、
それが合成の誤謬となり、
マクロでは正しくなくなるのです。

以前の一億総中流という意識のある時代なら、
お金は人々の間を回り、景気の良さを実感させたり、
消費する心を喚起しましたが、
格差社会ではそうなりません。
資本主義の発展、好況には
分厚い中間層が不可欠となります。
そのようなわけで、
「金は天下の回りもの」という言葉は
実質的にも意義があるのです。
現代のように一通り、
欲しい物を所有してしまった日本人にとって、
遣いたくなるような
物が減っているということも否(いな)めませんが。

「ふん、株か。おまえは器用な奴だな。
父さんが成金だったから、金の扱いに長(た)けてたんだな。
父さんの息子でよかったなあ、おまえは。
でもな、それじゃ、まだ足りんぞ」

父にとって私の長所は、全て自分の子であるからと
信じて疑いません。
努力ではなく血統というわけです。

「わかってるって。心配すんな。オヤジの息子だから、
いろいろ考えてるから」
「そう、父さんの息子だからな。
そうか、考えとるのか、よろしい」

父は笑いましたが、私は前からあることを決めていました。
それは開業するにあたり、
一切、父から経済的支援を受けない
ということでした。
小学生の時から自分でお金を稼いでいましたが、
周囲の人は例外なく、
金持ちの一人息子だから
親に好きなだけお金をもらっている、
としか見てくれません。

当時の若い私には、それが疎(うと)ましく感じられたのです。
自分で稼いでいるにもかかわらず、
世間はそうは見てくれないことが不満でした。
今なら、こだわりもせず、
気にもしないところですが、この頃は違いました。

また、獄に入って、かなり経ってから
社会の親しい人に指摘されたのですが、私の家では
家族を頼るという精神性が、
父にも私にもなかったのです。
これは父自身が、自分の父親と不仲で理解されず、
貧困もあって、早くから日本に
単身でやってきたことも影響していました。

父は、自分の家庭(韓国での)に恵まれなかったので、
子どもへの接し方も
独特のものになったと考えられます。
私も他を知らないために、
父のやり方をそのまま受け入れた結果、
人を頼らないという精神性ができました。

裁判の時に、私の思考が特異であるというので、
精神鑑定ではなく、
性格鑑定を受けたのですが、
その結果でもこの点が検証されたのでした。
私には、父の影響が顕著に見られるというので、
鑑定を担当した2人の精神科医の希望で、
なんと父も一緒に(向こうは社会で)
鑑定になったのです。

やはり、他者への依存性が皆無と出ましたが、
父も私も互いに独立した精神を持ち、
頼るという情動を知らずに
生活していたという結果でした。
二人とも精神科医の先生たちからすれば、
大変にユニークな材料で、
二人とも面白いと話していました。

特に一人の先生と父は親しくなり、私の裁判後もずっと、
付き合いが続いていたほどです。
「あなたのお父さんは、まさに子どもがそのまま
大きくなってしまった人だ」
と先生は笑っていました。

私の場合、相手がまともな人であれば、
些細な迷惑もかけられない、
まして、頼るなんてとんでもないという感情が、
強迫的に強く働いてしまうのです。
現在、社会にいる近い関係の人からも、
人間同士、迷惑をかけたり、かけられたりであり、
もっと人を頼ることも考えるように
助言を受けていますが、なかなか慣れずにいます。

金融業に戻りますが、私が標榜したのは、
中小企業の経営者や、
これから新たに事業を興(おこ)したい人を
対象とすることでした。
これには、その人たちを通して、
さまざまな業界のことを知ることができると共に、
融資したお金が有効に活かされるのではないか、
という思いがありました。

社会において、金融の役割は血流にたとえられますが、
私もその使命を鑑み、役に立ちつつ、
自らの目標も具現化することを
企図していたのです。
加えて、既存の銀行の融資は、
優良企業や資産を持つ個人は優遇しますが、
本来、資金を必要とする中小企業や、
これから起業する人には、
なかなか融資をしないことへの
疑念もありました。

これは銀行という組織をミクロの目で見ると、
当然の帰結となります。
前提として収益を計上しなくてはならないということがあり、
リスクを取りたくない観念が共通認識です。
元来は不動産などの物(ぶっ)的(てき)担保ではなく、
事業法人の内容、経営者の人柄や能力、事業の構想に対して、
育成・支援するという役割も含めて
融資すべきという理念が、時代の変遷と共に、
担保至上主義、リスクは回避という型に
変わっていったのです。

もう一点は、組織としての人事考課システムになりますが、
銀行は減点主義ゆえに役職者をはじめ、
冒険はしなくなり、結果として
ノンリスクの担保第一主義となりました。
そして、日本人の美徳の一つにも数えられる
『会社至上主義』により、人情や倫理より、
業績や銀行の繁栄が優先され、
結果として貸し渋り、貸し剥し、場合によっては
詐欺に近い融資や金融商品販売が行なわれるのです。

行員一人一人になれば善良な人が多いのにもかかわらず、
法人が獣性(紳士のふりをして)を帯びるのでした。
このあたりにも、自分が別のことを
やってやろうという思いがあったのです。
父の商売柄、銀行の人は、
私が子どもの頃から身近でした。
彼らは、よく父の会社に来ては、お金を借りて下さい、
と頭を下げていましたし、
お中元、お歳暮ともなれば、家具だの、旅行だのと
父に気を遣っていました。

しかし、小さな会社や、資産のない人には冷たく、
まさに晴れた日に傘を貸そうとし、
雨が降れば取り上げるということがあったのです。
父は銀行から借りることはなかったのですが、
いつも、「本当に借りたい奴には貸さんのが銀行だから、
父さんみたいな金融業者が必要なんだ」
と言っていました。

銀行ということでは、
私にもこんなことがあったのです。(美)


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「仕事について」 第47話

前回までのあらすじ__________
偶然か、それとも必然か。
自分と同じ金融業をあらたな仕事と決めた息子に
父は賛成するでも、反対するでもない態度だった。

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まず、私が子どもの頃から周囲の人たちより、
「将来は息子さんに継がせるのですね」
と言われた父は、
一度も肯定したことはありませんでした。

毎回、首を横に振るか、
「どうだかな。こいつに務まるのかな」
と言うばかりだったのです。
本人の私に尋ねたこともなく、
私自身も継ぐというのは
考えたことはなかったのでした。

これだけエゴイストでワンマンな父なので、
その気があれば私の意思など一顧だにせず、
「やれ」の一言のはずです。
私から言い出すのを待つほど、
気の長い人でもありません。

私は父のある面での非情さを知っていました。
それは能力がなければ、息子でも何でもなく、
従って自分が創った会社を
与えることもないということです。
このことは、後に
私の息子(父からすれば孫)に対する態度で
証明されました。

「オヤジ、俺、金貸しをやる」
「なにい、金貸しだとお。
どんな商売かわかっとるのか、おまえは」
「わかってる。小さい頃から見てきたし、
バイトもしただろ」
「父さんと同じ仕事をやるために
3年も馬車馬みたく働いたのか。
バッカじゃないのか、おまえは」
「いや、いろんな仕事の人に話を聞いたり、
見たかったからだ。
俺が通用するかどうかも知りたかったし」
「ふん。金貸しか。甘い商売じゃないんだぞ」
「わかってるつもりだっての。
甘くないからやるんだ」
「おまえなあ、狡い奴がわんさかいるんだぞ。
金のためなら何だってやるんだ、人間は」

父は、金貸しか、と呟き、首を傾げました。
場所は父の会社でしたから、
父は周りの社員たちに、
「聞いたか。こいつ、金貸しをやるんだとよ、金貸しを」
と嘲笑うような口調で言ったのです。

「社長。門前の小僧、習わぬ経(きょう)を読むというじゃありませんか。
大和ちゃんなら、きっとうまくやりますよ。
そうか、オヤジさんと同じ仕事をねえ」
と感慨深そうに言ってくれたのは、
私が生まれた頃から、
父の番頭をしている温厚なMさんでした。

父は、ふん、と鼻を鳴らして私を見ましたが、
「やってみるがいいさ。やる以上は、
しっかりやれ、しっかり」
と私の頭をコンコンと叩いたのです。
父は喜ぶでもない、失望するでもない表情で、
「いいか。金貸しってのは、甘く見られたら終わりだぞ。
サラ金じゃないから、喰われる金もでかいからな。
おまえがどんなやり方をするか、
相手はよく見てるんだぞ。こいつは甘いとなると、
わっと寄って来て、骨までしゃぶられるんだぞ、
金貸しってのは」
「オヤジ、心配すんなって。
そんなに甘ちゃんでないぞ、俺は。
大丈夫だ」

私は父と違って骨の髄まで暴力的ではありませんが、
これは怒るべき、怒ってもいいと判断すれば、
果断に対処することにしてたので、
不安は毫もありませんでした。

「息子よ。ただし、やり過ぎには注意せい、
やり過ぎには」
次の瞬間、会社の中が爆笑に包まれたのです。
「なにがやり過ぎに注意せいだ、オヤジ。
そっくりオヤジにその言葉返してやる」
私が言うと父は豪快に笑いました。

戦争が終わり、鉱山の飯場から
街へ出て来た父の頼みとするのは、
褒められるものではありませんが、
己の体、腕力だけでした。
戦後の闇市など、荒っぽい気風の中で、
父はどう生きるかよりも、
その日その日を生き抜くことが大切だったのです。

日本(当時は内地と呼んでいました)に来た目的は、
よい暮らしをするためで、
内地こそ黄金の国ジパング、
夢の国に見えたのでした。
時代も父に合っていたせいで、
腕力が明日に生きる糧(かて)、証(あかし)となりました。

そうして名を売り、頭角を表わすのと比例して
お金と人が集まってきたのです。
教養も常識もなかったので、
他者を肩書きや地位で判断せず、
実力でしか評価しません。
そのため、相手が誰であれ、
腕力にものを言わせてきたのです。

そして、父の強いこだわりの一つに、
正直さというのがありました。
目先の損得にこだわらず、正直であれ、
言ったことは守れ、責任を取れ、
ということでした。

父の自慢の一つに、戦後の食糧難の時、
みんなが近くの農家の畑から作物を盗むのが普通だったのに、
リンゴ1個、手をかけたことがない
というのがありました。

「土を喰ってでも辛抱するんだ。
武士は喰わねど高楊枝と言うだろ。
そういう根(コン)性(ジョ)がない奴はガラクタだ」
と言っていたものです。
そういう父なので、人を騙そうとしたり、
その場凌ぎの嘘を平然と口にする人には、
苛烈な対応をします。

もともと、父は口下手で、
言葉を扱うのは好きではありません。
私に対しても、小さな頃から
すぐに肉体言語で伝える人でした。
そういう父をずっと見てきたので、
暴力に対しては
一種の免疫が備わったとも言えます。

良いことではなくても、相手や状況によっては
行使も致し方なしという思いがありました。
だからと言って、私には
むやみに行使はしないというルールもありますが。

そんな父ですから、爆笑したのですが、
その強さゆえに自らの非や価値観を省みることなく、
狭い世界しか見ない人生となったのは残念でした。
父が心から尊敬できる人がいて、
その人の導きや影響によって、
より広い世界、価値観の多様さを知れば、
私に要求する内容も変わってきたでしょうし、
父親として別の楽しみもあったはずです。

「何でも一番以外はダメ」「勝つことのみ」という
父の要求と世界観に対して、
私は可能な限り、応えようとしましたが、
これは「絶対性」を持つがゆえに
閉じた狭い価値観につながります。
父がより広い世界を見たなら、
もっと人生を善いものとできたはずです。

親としては、非常識な点の方が多いかもしれませんが、
私がもっとしっかりしていれば、
人生の晩年においても善き人生を過ごしていたと思う度に、
自分の愚かさに腹が立ちます。
陽気過ぎる父は、「やり過ぎには注意せい」という
自分の言葉に大笑いしていましたが、
急に真顔になって私の顔を覗き込んできたのです。
そして、こんなことを尋ねてきました。(美)


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みたつ・やまと●1959年生まれ。2件の殺人を犯し、長期刑務所に服役中。現在でも月100冊以上を読む本の虫で、これまでに8万冊以上を読破。初めて衝撃を受けたのは10代のときに出会ったロマン・ロラン著『ジャン・クリストフ』。塀の中にいながら、郵送によるやりとりで『人を殺すとはどういうことか』(新潮社)、『夢の国』(朝日新聞出版)などを著す。

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