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無期懲役囚、美達大和のブックレビュー

教養を深めたい、仕事に生かしたい――。
人として成長するために本を読みたいと思っても、何から読めばいいかわからないビギナーのためのブログ。
服役中の無期懲役囚・美達大和から届く書評を随時公開。


2023年2月6日より『note』に移りました。

note定期購読マガジン、美達大和のブックレビュー


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『フィスト・ダンス』などを見て、良いと感じた際は、

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美達大和




1月の本71冊

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2013年07月 アーカイブ

『復讐法廷』 ヘンリー・デンカー 

『復讐法廷』
ヘンリー・デンカー 
早川書房
945円
2009年9月


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著者は、弁護士として働いた後、脚本・小説の世界に転じています。
本書は法廷ミステリで、少々、年月が経っていますが(2009年9月刊)、
内容が良かったので取り上げることにしました。

主人公は20代の若き弁護士のベン・ゴードン、そのゴードンが
弁護することになったのはデニス・リオーダンです。
ほかにもゴードンの同棲相手のアーリーン・ロビンズ、
検事のレスター・クルーと魅力的なキャラクターとなっています。

事件は強姦殺人の被害者になった娘の父親デニス・リオーダンが、
その復讐のために加害者の黒人男性を射殺したことでした。
加害者の黒人男性は、強姦殺人の後、警察に逮捕され、自供までしたのですが、
その逮捕のプロセスに違法性があったのと、
州法の特殊なケースに該当していたため、犯罪を実行したと
わかっていながら無罪放免されたのです。

妻は失意のあまり、数ヵ月後に病死し、残されたリオーダンは復讐を決行します。
そして、一切の弁解なく、自分はやる気でやったのだ、
弁護は不要、社会に法の不備を知らせ、警鐘を鳴らすために
重い刑に服するのだと頑固に主張し続けるのです。
アメリカでは故殺と謀殺では量刑が天と地の差で、ゴードンは
故殺にしたいのですが、被告人のリオーダンは謀殺でいいと拒否します。
故殺だと、状況によっては1年の懲役、謀殺だと25年から終身刑となるので、
ゴードンは懸命に説得しますが、リオーダンは聞き入れません。

法廷ミステリの場合、あっと驚くような真相が用意されていたり、
法律の条文の解釈や陪審員を洗脳すべく
強固で華麗な弁論というのが定番ですが、本書では
論理より人間の心に訴えかけます。
私が本書をすすめる理由は、ここに描かれている人間関係の好ましさでした。

まず、被告人とゴードンの関係ですが、父と息子のような感があります。
リオーダンは66歳、20代のゴードンを「若いの」と呼びます。
ゴードンは、その呼び方を直すように言いますが、効果はありません。
次にゴードンと投資の仕事をしている恋人のアーリーン。
これが実にいいんですね。

アーリーンはゴードンが、いらついたり、落ち込む度に
励ましとヒントを投げかけます。アーリーンは母親が夫に捨てられて
自殺したことがトラウマになり、
自分は結婚しないというのがモットーですが、
ゴードンとのことも原則を貫こうとしていました。

しかし、ゴードンに対しては深く理解し、愛情を持っています。
この2人の会話と関係、とてもいいのです。
べたべたせず、つかずはなれず、大事な時は寄り添い、アーリーンは
ゴードンにやる気を与え続けました。

さらに相手の検事との関係も、通常の法廷ミステリに多い
敵対関係ではなく、さらりとしています。
もともとゴードンは地方検事局の検事でしたが、
一本気なところがあって上司とぶつかって辞めたのです。
ですから2人は元同僚でした。

ほかにもこの事件と裁判が映画や小説化に適している、
「売れる」と見込んだエージェントや陪審員など、脇の人物も興味深い人たちです。
ゴードンは裁判の過程で八方ふさがりになり、
ある作戦を思いつき、裁判長に睨まれながらも実行し続けます。

度々の法廷侮辱罪を宣告され、罰金ではおさまらず、
最後は5日間の禁錮刑にまで処せられました。
最後の弁論、感動しました。
そして、陪審員たちの話し合いが始まりますが、
ここからは本書で楽しんでください。

法廷ミステリが好きなので、これまで類書はかなり読んできましたが、
法律論が優れているというのではなく(劣ってもいませんが)、
登場人物のキャラクター、情愛などが
とてもよく描写されているのです。

日本では家族のための復讐により殺人というのは、
現代では耳にしませんが、自分の子供を無惨に殺されたならば、
心の内では殺意が生まれることもおかしくありません。
仮に実行したならば、今の裁判員制度では、
どんな判決が科されるでしょうか。

アメリカの陪審制と異なり、無罪というのはありえないはずです。
では、3年以下の量刑で執行猶予がつくかと言えば、これもないでしょう。
刑法199条の殺人罪の量刑の下限(かげん)は5年以上ですが、
これは裁判官の酌量によって半分にすることも可能なので、
執行猶予(3年以下ならつけられます)もあるわけです。
ただ、通常の殺人よりは、ぐっと軽減されると推測できます。

一番の問題は法律(国家)以外の復仇が認められない
(心情では認めたくても)点にあるわけです。
そこが本書でもポイントになっていますが、実際に自分の家族が
殺害されたなら、「復讐はわが手で」と考えることもあるでしょうし、
法律の与える罰では到底、足りないと感じる人もいます。

みなさんが長期刑務所に一週間でも滞在して、受刑者を目の前で
見たならば法律の与える刑罰の軽さに
憤りを感じることは間違いありません。
そんなことも考えながら読んでみるのもいいかと思います。
読後は、さわやかです。
是非、御一読下さい。(美)

☆別に一言
昨年末、新聞で目にしましたが、出所者のサポートに力を入れるという
法務省のコメント、うまくいけばいいです。
出所者の半数以上が住む所がない(出たその日から)、
職がない、金がない、状況ですが、最も不足しているのは、
やる気や真面目に働こうという意志だと断言できます。
このあたりを服役中に改善しないことには、
器だけを用意しても効果は上がりません。
やらなきゃならん、と思わせるプログラム、
作らせてくれませんかね!




このブログで紹介した本


『東京コンフィデンス・ゲーム』 建倉圭介

『東京コンフィデンス・ゲーム』
建倉圭介(たてくら けいすけ)
光文社
2310円
2012年10月 


9784334928544



本書は『コン・ゲーム(信用詐欺)』がテーマでした。
主人公は北岡武史(きたおかたけし)。
地味で真面目な銀行マンでしたが、母が騙されて買った仏像が20万円ではなく、
2000万円に価格を変えられ、その支払いのために
追い回されることから物語が始まります。

執拗に責められ、北岡は自分が担当している老人たちの預金を
騙し取ろうとしますが、善意が邪魔をしてできません。
そのうち、担当している顧客の中にいたヤクザの親玉から取るのですが、
すぐに発覚して、逆に無理難題を吹っかけられてしまいます。
おまけに保険をかけられ、ブラジルに連れていかれそうになるのでした。

ここで北岡は亡き父がいっしょに会社を設立した友人、水原の存在を
知ることになるのです。
仏像の売り手とヤクザの親玉の両方から追い込まれ、
とうとう北岡は銀行をやめて、詐欺を企むことになります。
狙いは亡き父が創立した会社の社長になっている水原です。

金額は20億円。
そのために協力者が必要ですが、以前、自分を騙そうと銀行に来て、
見破られた詐欺師のナリタヤに白羽の矢を立てます。
しかし、ナリタヤは億という単位に恐怖感を持っているような詐欺師でした。
他に候補者がいないので、北岡はなんとか説得します。
こうして次々と詐欺の役者を揃えていきました。

方法は経営者の引退を利用したMBO。
MBOとは、マネージメント・バイ・アウト、自社株を買い集めるということです。
自分が引退する代わりに、持ち株を継ぎの経営陣に売るという、
事業継承型MBOでした。そのために北岡はコンサルティング会社を設立し、
それぞれの役を割り振りします。

物語が進行していく間に、北岡、ナリタヤ、他の協力者が
変化していくところも、よく描写されていました。
そうして水原の会社にコンサルタントとして出入りするうちに、
事故死だと発表された自分の父が、実は水原らに殺されたことを知ります。
そこから詐欺プラス復讐となるわけです。
ラストにもひねりがあり、MBOやデューディリジェンス(企業査定)など、
かなり詳しく綴っています。全体を流れるトーンはコミカルです。

ここ(獄にも)にも詐欺師(師がつくまでではないですが)がいますが、
無銭飲食は別として、総じてこの連中、明るくて社交的な人間が多数を占めます。
人あたりもよく、如才なく、内容はありませんが、口は達者です。
私は社会で金融・不動産業などやっていたので、
それなりの詐欺師も出入りする時がありました。金融なら簡単なものから
手形のパクリ屋から、わりと手のこんだ融資詐欺まで。
こっちに対して良い条件を提示するので、
担保価値がやや乏しくてもいいか、と思う時もあります。
まして、回収に自信がありましたから、リスクオッケーどんとこい、
となるわけです。騙されましたねえ、見事に。

ただ、本業の金融でなくて「ちょっと小遣いでも稼ぎませんか」と
軽く言われた取り引きでした。
私の知っている水産会社から冷凍してある2年ものの鮭など海産物を
買うということでしたが、1キロあたりいくらかを私に手数料として払うかわりに
代金は半金半手(半分は現金、半分は手形で)でという条件だったのです。
21歳の頃で金融会社を設立した年の暮れでした。

こっちも正月の餅代でも稼ぐか、くらいの気持ちで仲介しましたが、
代金が1億円近くになった時、水産会社の知人から大丈夫か、と
連絡がきたのです。代金の半分は必ず現金でもらってくれとだけ告げていました。

年が明け、最初の手形が落ちてないと知らされ、相手の会社に行ったところ、
もぬけの殻でしたねえ。腹が立ったというより、
騙されて格好悪いなあという思いでした。
その水産会社の知人は原価だけでいいと言ってくれましたが、
構わないと言ってきっちりと払いました。
そうして、捜したことがあります。探すのは得意でしたので、
見つけましたが、全く別の土地で同じことをやっていました。
しかし、このことがあったおかげで契約や仲介に関する意識が変わり、
トータルで考えるとプラスだと思っています。

他にも地面師(不動産詐欺)やカード詐欺など、
いろいろな人間を目にしました。
なかには有名な詐欺師もいたのですが、どこから見ても
教養もある紳士にしか見えなかったですね。
貫録もあり、まとも仕事もできる能力があるのに、
なんでこんなことをしてるのだ、と尋ねると、愉快だと言いました。

その人は欲の皮の突っ張った人しか相手にしないという
矜持?があったのですが、絶対に自分の手は出さず、
人を使ってやっていたのでした。
本人いわく、「病気」だそうです。
この人は詐欺師としての哲学を持ち、話をしていても興味深いものでした。
その日によって、黒髪だったり、白髪だったり
(当時、50歳くらいの人でしたが)、別人みたいな風体で現れます。
相手を引き込む時のトーク、セールストークみたいなものですが、
これもよく考えてありましたねえ。

何年か前から、振り込め詐欺の受刑者が増えてきていますが、
一度、当人と話したことあります。

私「老人の金を取って心が痛まないか」
 「ないです。騙される方がバカなんです。自分の息子の声もわからない奴らですよ」
私「でも、そういう人は、老後をどうやって暮らそうか困るだろ」
 「そういう人もいるかもしれませんけど、全部を取ることはしてないつもりなんで」

悪びれることはありません。当人以外の同囚から、
金のある年寄りから取って若者が金を使うというのは、
悪いことではないのでは、という意見もありましたが、それは
自発的にくれたらということであって、
詐欺は別だろうと言うと、ふーん、と首を傾げていました。

同じ受刑者の私が正義ぶるのは気が引けますが、どうせなら
強欲で他者を泣かせてきたような連中から取ればいいのに、と
言ってやります。そして、社会的弱者のために使う、と。
ま、褒められることではありませんが、
一種の所得移転・再分配というわけです。
詐欺師の話をしたらキリがないのですが、誰もが己の所業に
正当性を感じていることが共通点でしょうか。

話は戻りますが、本書、エンタテインメント、娯楽として楽しめます。
こんなテーマの好きな人にはオススメです。(美)

『日経新聞の真実 なぜ御用メディアと言われるのか』 田村秀男

『日経新聞の真実 なぜ御用メディアと言われるのか』
田村 秀男(たむら・ひでお)
光文社新書
777円
2013年3月 

9784334037376


著者は現在、産経新聞社特別記者であり、編集委員兼論説委員です。
それ以前は日本経済新聞の記者でもありました。
本書は、その著者が日本経済新聞と経済に関する
日本のメディアの在り方について綴ったものです。

冒頭は1985年9月22日のプラザ合意の内幕からとなっています。
なつかしいですね、プラザ合意。後にバブルと名付けられた好況のスタートです
(バブルの名は崩壊後の1991年に命名されました)。
貿易赤字と財政赤字の双子の赤字を抱えていたアメリカは
ドル高に悩んでいたんですね。当時のレーガン大統領は
レーガノミクスによって「強いドル」(ドル高)を標榜していました。
結果、自動車、半導体産業が日本に圧倒され、
対抗策を考えるようになります。
しかし、レーガン大統領は輸入規制(日本製品の)は保護貿易になるので
反対しました。そこでベーカー財務長官はドル安誘導を企図するのです。
当時、1ドル250円前後でした。

日本、イギリス、フランス、西ドイツ、そしてアメリカのG5が集まり、
ドル高是正を決めました。乱暴に言えば麻雀のレートを変えたんですね。
「おまえたち強いから、千点あたり、俺の半分にするぞ」みたく。
それで円は120円くらいまで円高になります。
日本政府は日銀と円高対策に走ったのですが、予想以上に
各業界の対策がうまく進んだのと、
金融緩和したことにより金がだぶつきました。
その金が行き場を求めて土地、株などに向かったわけです
(最後は美術品でした)。
途中、過剰流動性(金が出回り過ぎることです)になったので
日銀が金利(この時は公定歩合と言ってましたね)を上げようとしますが、
アメリカの意向を酌んだ大蔵省に止められ、バブルとなります。
本書では、これ以降の経済をめぐる各国の政治の内幕、
日本の政策など具体的に描いていました。

第2章以下では経済記者の具体的な仕事の内容、出世について、
財務省の正体、日銀の正体、経済学を知らない経済記者と続きますが、
これを知れば経済記事がどのように歪められるのか、
よくわかるようになっています。
新聞をはじめ、メディアは財務省、日銀の御用記者になっている理由は
既に有名ですが、こうしないと相手にしてもらえない面もあるのでしょうね。

私が残念に感じたのは御用学者、エコノミスト、経済評論家
という人たちの存在でした。
この連中は、ある意図(それも事実からは遠い)のために、
平気で嘘をつきます。経済政策についても、
他に有効な方法がない(提示できもしない)のに、なんでも反対だ、
ダメだと言うだけです。

私も著者と同じ意見を持っていて、この数年間のデフレと円高は日銀、
白川前総裁のミスリードで、特に白川という人の独善さには呆れていました。
すべきことをしない。しても文句を言いつつ小出しで、
効果が現れる前にやめる、弁解に終始するという醜さと、それを擁護する
腰巾着メディア、学者たちという構図が元凶です。
本書の巻末では反アベノミクスを唱える連中を断罪してますが、
いかに彼らが可能性の薄いまやかしで批判しているか看破してます。
これまでの政策を容認してきた自己弁護の心理が働いているのだろう、という
著者の見解は妥当です。

最近も週刊現代5月4日号に、「アベノミクスよ、こけろ!と祈る人たち」という
記事がありました。ここでは党首討論での民主党の海江田代表、
前原元代表などの発言を取り上げていますが、
なにひとつ経済を上向きにできなかったこれらの人の主張など
空論でしかありません。
景気というのは、まず、「気」。社会の人々の気分から醸成されるのですから、
これまでの民主党時代みたいな暗くネガティブな気分を吹き飛ばし、
上向きのマインドにするところから始めなくてはならないのです。

あえて円安で損をしている人だけの記事を取り上げたり、
アンフェアな報道が少なくありません。
たしかに第三の矢、成長戦略がうまくいくかは未知数ですが、
国民のマインドは各統計を見ても確実に上がっています
(全員というのはありえませんが)。
行き過ぎた円安は、やがて国債の暴落を招くとか、
ハイパーインフレ(ありえません、戦争末期にでもならない限り)になるとか、
極論をさらにパワーアップした理由でしかありません。

どうあれ、デフレを脱けないことにはどうしようもないのです
(賃金が上がりませんから)。統計が上向き、株価が上向き、だけど
実際の賃金の上昇につながるには1年程度のタイムラグがあります。
これを知りつつ、批判派は給料上がってない、
物価は上がると知っていながら目先のマイナスを唱えることしかしません
(こんな人たちが、日本経済の足を引っ張るとも言えます)。

万に一つ、インフレがオーバーシュート(行き過ぎても)しても、
日銀(特にこれからの)はインフレ対策ができるのです。
それに過去、この国ではインフレ率より、賃金上昇率が高くなることが
統計上、自明となってます。
まずはスタートの勢いをつけるべく、マインドを改善し、
実体経済を良くし、給料を上げ、個人消費と、
国民の「なんか良くなったね」ムードを増加させることではないでしょうか。

マネーサプライを増やすだけではなく、その金が活用されるべく
企業に対する税制(一部、既に実行されてます)や規制の緩和も必要です。
自分は株も不動産も関係ないという人が多いでしょうが、
株や不動産で設けた人、又は富裕な人たちがどんどん金を使うようになれば、
企業、あるいは仕事を通じて、その恩恵が少なからず回ってきます
(以前のトリクルダウンほどでないとしても)。

経済学でも心理学でも、まともな計画性を持つ人が金を使うのは、
今、金を持っている、からではなく、
今後、恒常的に金が(収入)入ってくるからなのです。
昭和30年代以降の勢いのある、右肩上がりというのは望めなくても、
どうやら先行き少し明るそうな社会だ、と思うことで
(国民の一人一人が)、大きく変わります。
そのための第一歩、嘘、デマ、極論に惑わされないためにも
本書、参考にしてほしいです。

アベノミクス、必ず、うまくいくわけではありません。しかし、
現在、最も期待できる政策と言えます
(マインドはたしかに変わってます)。国民はなにをすればいいのか?
まずは信じてみて、マインドセットを変えることではないでしょうか
(違ったら、その時批判すればいいんです)。
問題点が出てきても日本が破綻するというのは、
デマに近い極論です(理由は長いので割愛しますが、
国債の保有者構成、海外純債権など論拠がたくさんあります)。

ところで、バブル、あんなこと、もうないでしょうねえ。
バブルの話は山ほどありますが、とんでもない時代でした。
ファックスで土地の物件説明書を送っている間に
値上がりしましたから。
それでも、今、首都圏の土地は、プチバブルになるはずです。
バブル、踊りたい人、踊る人がいっぱい出てきて、
周囲はそれを妬むのではなく、見るアホウにでもなって
気分を明るくすることが必要でしょう。
バブル後の着地こそ、黒田総裁の腕の見せどころです。
そんなことも考え、是非、ご一読下さい。(美)


 

『ロスト・ケア』 葉真中 顕

『ロスト・ケア』
葉真中 顕(はまなか・あき)
光文社
1575円
2013年2月 

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本書は第16回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作です。
私が本書を読んだきっかけは雑誌の書評欄で何度も目にしたからでした。

テーマは介護。
雑誌などにも長期間にわたる介護が、いかに骨の折れることか、
しばしば出ています。本書は冒頭、死刑判決から始まりますが、なんと
43人も殺害していました。
現実に43人も殺害すれば、一件一件の審理をするので、
一審だけで何年かかるかわかりませんが、小説世界においても
稀に見る大量殺人でした。

本書の主人公は検事の大友秀樹。学生時代からの同級生の佐久間功一郎、
そして介護をしている人たちとなります。
大友が佐久間と再会したのは、実父を高級老人ホームに入所させるためでした。
佐久間は介護事業を全国展開しているフォレストの営業部長として
大友の父の入所を勧めます。
二人の仲は良好に見えますが、佐久間には学生時代から
正義感の強かった大友に対する不快の念がありました。一方、佐久間に対して
大友は昔と変わらない好意を懐いています。
物語の途中、フォレストの不正が発覚し、営業停止となったことで
佐久間は見切りをつけて、裏の世界に移りますが、
極度に上昇志向が強く、罪悪感はありません。

本作は一貫した流れというよりは各人の人生や価値観、社会とのかかわりを
個々に描く群像劇と言った方がいいでしょう。
私には介護の経験はありませんが、認知症になってわけがわからない
老人の介護は、本書を読むだけで気が重くなりました。
時折、新聞で見ますが、介護疲れで相手を殺したり、自分も
自殺しようとするというのを知る度に悲惨だなと思います。
中途半端な愛情や、家族の絆ではとてもできないことです。

自分が認知症になったり、他者の手を煩わせるようになったら、
この世にいない方がましだな、と思うのですが、
親がそうだったら悩むなあ、というのが本音でしょうか。
結婚していれば、妻が介護の主役になるはずですが、心身共に辛いだろな、と
想像を巡らせてしまいます。
現在、そういう人もたくさんいるのでしょうけれど。

本書では人間の尊厳とはなにか、生きているとはなにか、について
考えさせられました。私みたいな立場ですから、
命だとか、尊厳についてはずっと考えてきたつもりですが、
老と病の前では、なにが正しいのか、善なのか熟考させられます。
落ち着いた記述で、作品中に示される社会への目には確かなものがありました。
ミステリーというより、社会派小説と言った方が相応しい気がします。

ところで介護業界ですが、この業界だけは2007年以降、世の中全体では低下している
求人倍率が高いんです。他が1倍を切っているのに、15倍前後でした。
団塊世代が75歳以降に入る2025年に向け、100万人近く
介護の人を増やさなければなりません。深刻な人手不足の原因は
ハードワークの他に低賃金だからです。
たとえば厚労省の統計で、医療福祉分野の平均月収の統計がありますが、
医師の88万円は別格として、産業平均の32.5万円よりはるかに少なくなってます。
ケアマネージャーが26万円、介護職員22万円、ホームヘルパー21万円です
(薬剤師は37万円、看護師33万円となっています)。

人手不足なのに賃金が低いのはなぜか? それは国・自治体が定めた公定価格によって
値段(サービスの)が決められているからです。そうである以上、企業は
その範囲で利益を出すようにするしかありません。
国が統制してる以上、賃金にできる原資は限定されますね。
サービスの性質上、大量生産とはいきません。
単価の高いサービス(訪問看護とか)以外はパートなど非正規社員でやらなければ
利益は出ないのです。各企業は、あれこれと工夫してます
(訪問介護とショートステイを組み合わせたり)。
実際に掃除とか生活支援的サービスを介護保険から外して、自己負担にという案も
あります(このサービスが人件費の上昇を抑えているので)。

賃金を上げるにはサービスの価格を上げるか、コスト下げるかしかありません。
しかし、コスト削減は人を扱う仕事ですから限度がありますね。
サービス料を上げるならだれが負担するかが問題です。
ただでさえ、国の負担が過重になってるのですから、自己負担しかないでしょう。
すると、経済的格差がダイレクトに反映されます。
この点も自由化できない理由です。
本書でも経済格差がサービスに直結していました。
でも、どこかで介護の人の給与、上げてほしいですね
(息子も介護の仕事なので、よけい思います)。

さて、本書では古稀を過ぎた老婆が、刑務所に入りたいがために万引をして、
裁判では「刑務所に送ってください」と懇願するシーンがありますが、
刑務所こそ行き届いた介護の場かもしれません。
皆さんは何年、何十年も服役した受刑者が出所が近いと泣いたり、
嘆くことを信じられますか。
私、何人もそんな同囚を見てきました。ここに何度も来る人のほとんどが、
社会で家族もなく(いても連絡はないので)、友人すらいないのです。
だから、ここでは他者と話したり、孤独を忘れることができます。
「刑務所へ来ると、みんなと話ができるからいいなあ」
こんな人がめずらしくありません。

最後の福祉施設と呼ばれていますが、その通りです。体、頭の不自由な人は、
職員と同囚がしっかりと介護してくれますし、
衣食住の心配はなく、ホームレスの人たちよりは、ましな物を食べられます。
おまけに工場に出て作業をする者(私とは違って)には、
毎月6~7回の映画、ビデオなどもありますし、テレビは毎日です。
出所して所持金を使い果たせば、また戻ればいいんだ、
という思考で生きてますから、刑務所とは縁が切れません。

そうやって人生の大半を獄ですごすのですが、ある日、突然、老囚を見て、
「このままじゃまずい」と気付く者も、ごく稀に出ます。
老囚に共通するのは、「気付いた時にはもう遅かった」という言葉です。
結局、諦めるというか、社会に出た時が仮の姿で、
ここにいる(獄の中)時が本当の姿となります。
なんのための人生だったのかなあって(おまえが言うなって?
私は自分で責任を取るために出ないんで、致し方ないんですが)。

30代前半(息子と同年代です)の受刑者が、毛ほども反省しないで、
「次はもっと率のいい犯罪やります」と楽しそうにしてるのを見ると、
気の毒になあ、と思います。

私 「なんで、まともに働かないんだ。働いたことあるんだろ」
受刑者 「はい、あります、何度か」
私 「なんでやめるんだい?」
受刑者 「朝、起きられないんです、自分」

こんなことを真面目に言います。それで、犯罪の道に生きるなら、
この先も何回も塀の中に来るぞ、と言うんですが本人は、
えぇ、とけろっとしているのです。
 「苦になりませんよ、刑務所の生活は」
こんな連中ばかりです。もったいないなあと思います、
出られるというのに

 いずれ(何十年後かに)、必ず後悔する日がきますが、
自業自得かもしれません。再犯を繰り返す受刑者というのは、
話したり、見てれば、なるほどと納得できます。
そういう環境、文化の中で生きてきたんですね、周りは犯罪者で
獄にいることを特殊だとは思わないという。
金のためなら他人をどうしようと、いささかも心が痛まないし、
むしろ、そうすることが犯罪者として正しいと信じて疑いません
(本当に疑いがないのです、見事に!)。

ところで、受刑者が受刑者を介護する、ということですが、
これがよく面倒をみるんですね。そういう係は、
受刑者の中でもエリート(模範囚やそれに近い者)が担当するんですが、
大体は親切ですし、まめにやります。
受刑者の不思議なところは、社会ではちっとも働かないのに、
ここへ来たらバリバリ働き出す者が少なくないことです。
社会でもそれくらい働けばよかったのに、と言うと、
ここだから働くんです、としれっと言います。

話は脱線しましたが、人間はどんな状態になっても生きることが
最善なのかどうか、本書を読んで考えることも一興でしょう。
ラストまでしっかり引っ張ってくれる作品でした。(美)


このブログで紹介した本

 

管理人より。

読者のみなさま、いつもありがとうございます。
早速のコメントありがとうございます。

どこかでまとめて、美達さんに手紙で送るつもりでおります。
ご返事いただけるかどうかわかりませんが、
こちらでできることはやってみます。 

先日、百田尚樹さんがツイッターで
このブログのことをつぶやかれました。
どうやってお調べになったのかわかりませんが、
ご自分の作品に対する世の中の評価を
こまかくチェックしていらっしゃるのだと推察します。
やはり、マーケット感覚に
長けた方なのでしょう。

読者のみなさま、暑い日が続きますが、
ご自愛ください。 

『「常識」としての保守主義』 櫻田淳

『常識としての保守主義』
櫻田淳
新潮新書
777円
610452

保守主義--。
この言葉から皆さんは、何を連想されるでしょうか。
右翼、愛国心、古くさい、頑迷、自衛戦争という人達……それぞれイメージは
あるでしょうが、本書はそのようなテーマについての書ではありません。
著者の櫻田淳さんは、よく保守系のメディアに登場しますが、
本書では一貫して近代の保守、保守の政治化と政治にスポットを当てています。

「保守主義の意味に関する解釈は決して一様である必要はないけれども、
それでも最大公約数としての『共通の諒解(コモンセンス)』に触れることは、
無益ではないであろう」

著者は保守主義政党から書き起こし、それらの政党に共通するのは、
「自由」と「市場経済体制」の擁護だとしています。
その保守政党は、冷戦下では市場経済体制の優位を説き、推進しましたが、
零戦終了後はそれだけでは存在証明にならないというのが著者の立場です。

では、現在の保守政党としての存在証明は何か?
著者は自由民主党結党の後に発表された『保守主義の政治哲学要綱』から
「中庸の精神」という言葉を提示し、その説明も兼ねて本書が展開されます。
そもそも保守主義という政治思想はエドマンド・バークがフランス革命の衝撃を前にして
著した『フランス革命の省察』に端を発しているそうです。
ここで述べるフランス革命は、「理性の世紀」と呼ばれた
18世紀の思潮を反映し、そこでは自由・平等・自然権・社会契約などの考え方が
打ち出されました。しかし、人間の理性に対する過度の信念に基づいて
社会を変えようとすれば無理が生じるとし、
バークは世代を超えて受け継がれてきた「智恵」「慣習」や「経験」の
積み重ねを擁護したのです。
それが保守主義の源流となりました。

著者はフランス革命時の右翼と左翼という呼称からタカ派、ハト派、
グローバリゼーションと筆を進め、その中での保守主義のポジションについて説きます。
加えてアメリカで用いられる意味での保守主義とヨーロッパの保守主義の違いについて、
リベラリズムと自由主義の差を引き合いにしながら述べるのです。
その過程で、『自由とはなにか』についての説明がありますが、
著者は古今東西の歴史から自論を進めます。

ペルシャ戦争の際にアテナイ海軍の指揮を執ったテミストクレスの
「汝、汝の自由を守れ」、アメリカ独立戦争のパトリック・ヘンリーの
「自由を与えよ、さもなくば死を」(有名ですね)、
ミルの「進歩をもたらす確実で永続的な源泉はただ一つ、自由である」など、
どれも馴染みのあるものばかりです。
さらにアイザイア・バーリン、ルーズベルトからジャパンクールに至るまで、
著者は自由をテーマとして読者を引っ張ります。

皆さんは知っていましたか?
保守主義の条件の一つが柔軟性だということを。
私、勉強不足で意外だと感じました。
話はさらに草食系男子にも及びますが、このへんは本書でお読み下さい。
その後に登場する政治家は5人です。
シャルル・ド・ゴール
ウインストン・チャーチル
ロナルド・レーガン
吉田茂
コンラート・アデナウアー

どの政治家も時代にその足跡を残した人々ではないでしょうか。
私、偶然ですが、本書の後にド・ゴール元大統領について書かれたものを読んでいました。
ド・ゴールさん、サン・シールの陸軍士官学校時代、フランス陸軍の不文律で
一年間の連隊派遣に行った時から伝説を作った人のようです。
ぺいぺいの二等兵時代ですが、先輩兵士らはその教養に驚き、
さらに我こそが偉人であるという傲岸不遜な態度には呆れ返ったとあります
(これ、日本軍なら内務班でビンタの嵐でしょうね、きっと)。
そこからついたあだ名が「大元帥」でした。

中隊長が上官に「なぜ、あの非凡な新兵をすぐに昇進させないのか」と問われ、
「総司令官にでもならなきゃ、満足できないような男を、
わたしが軍曹に任命したって仕方がない」と答えたそうです。
この時、ド・ゴールさん、20歳前でした。
そうして二年後に士官学校を13番の席次で卒業したド・ゴールは
派遣された連隊を希望して叶えられるのです。それが1912年でした。
それが後のド・ゴールさんの運命を決定づけました。
なぜかって?
連隊長があのフィリップ・ペタン大佐だったからです。

第一次大戦でフランスの英雄となり、第二次大戦ではヴィシー政府首班となりましたね。
自分の意思や主張を曲げないド・ゴールは周囲とことごとく対立し、
陸軍内でも予備役になるのが順当というところまできますが、
元帥となっていたペタンが副官として拾うわけです。
ド・ゴールはナチス・ドイツと戦うために
10万人規模の機甲部隊の創設を提案しますが、なかなか受け入れられず、
それを採用したのがナチスでした(ナチスの機甲部隊、強かったですよね)。

本書でもド・ゴールの信念の強さについて触れていますが、
昔の政治家には気骨のある人が多かったと言えますね。
本書では終わりに保守主義の可能性を分析するのですが、保守という思想自体よりも
歴史の流れを著しているという好著です。
がちがちに偏った見方ではなく、柔軟であり、広い度量があります。
特に第四章は古今の政治を参照しつつ、現代の日本の政治と未来について
著者の思いを述べていますが、政治の在り方に関心のある人には興味深いもののはずです。

もともと、本稿は自民党の機関紙『週刊自由民主』に出したものを加筆したとしています。
政治家の人達は本書にある政治化をどのような思いで受け止めたのでしょうか。
塀の中でメディアの記事を見る限りでは、与党も野党も国民から支持は低いままです。
第三極ということで橋下大阪市長が注目されていますが、
国民の期待を負う人物となるのでしょうか。

私が塀の中の住人となって20年以上が経ちますが、その間に選挙は
完全に小学校の時の学級委員選挙と同じようになっています。
人気投票です。
その人の実力など洞察することなく、一時の人気で選び、
やがて失望という繰り返しですが、今年はどうなるのでしょうか。

本書はその思潮にかかわらず、政治と歴史に関心のある人にはお勧めです。
記述も平易であり、特別な予備知識がなくても(あればより面白いです)、読めます。
特に第二次大戦後のヨーロッパでの西ドイツの在り方は、
ダイジェストとしても秀逸でした。(美)

『七帝柔道記』 増田俊也

『七帝柔道記』
増田俊也(ますだ としなり)
角川書店
1890円
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いやあ、とんでもなく凄い本でした。
年を取ると骨といっしょに涙もろくなるのか、読了するまで5回、
落涙してしまいました。
本書は1965年(昭和40年)生まれの著者が2浪して入学した
北海道大学柔道部での物語です。

七帝というのは戦前の旧帝国大学のことを言います。
東京大学、京都大学、北海道大学東北大学、名古屋大学、大阪大学、九州大学のことで、
この七つの大学の柔道部が毎年、鎬(しのぎ)を削るのです。
柔道と言っても普通のルールではありません。
自分から寝転がって寝技にいってもいい「引き込み」が許されていること、
「待て」もなく、一本勝ちのみで場内と場外の仕切りもないのです。
関節技を決められても、「参った」と言わなければ、
折られても負けになりません。
壮絶な果(は)たし合いそのものです。

著者はこの柔道部に入るのが目的で入学し、少しでも長く選手を続けたい一心で、
初めから留年することにしていました。
出身地の愛知県から北斗の街、札幌への引っ越し、
住居は大家さんに「びっくりするくらいの美人がいる」と言われて決めています。
しかし、現実は違ったのですが。

そして、憧れの柔道部入部となりますが、その稽古風景は期待していたのとは天と地、
いや、天国と地獄の差でした。
七帝の試合が15人の抜き制(勝てば、そのまま続けられるが、引き分け、負けで交替)
なので、勝ちにいく「抜き役」、ひたすら亀のようになって引き分ける「カメ」という
役が決められ、カメは1年間、ずっと寝転がって耐える稽古が続きます。
稽古も想像を絶する過酷さでした。

乱取り中は、参ったと言っても放してもらえず、
絞め技で何度も落とされます(意識を失うことです)。
関節をおかしくされ、指の脱臼は毎度のことです。いくら懇願しても
気絶するまで猛稽古は続きます。
新入生はあまりの厳しさにやめていきますが、著者をはじめ、
何人かは残りました。

直情型でわがままで、すぐに怒り出す竜澤(たつざわ)、
九州柔道界のエースの沢田(さわだ)、成績優秀でおっとりした松井(まつい)など、
個性的な面々が物語を厚くしています。
先輩たちに至っては、もっと個性的で、野獣の巣窟かと思うくらいです。
稽古の時は悪魔か鬼かという先輩ですが、終われば実に気のいい人たちで、
後輩の面倒見も格別でした。

そろそろ、新入生が慣れてきた頃、通過儀礼として恒例の
「カンノヨウセイ」があります。OBがやってきて、毎年、怪我人が出るという
恐怖の行事のために、新入生は歩けなくなるほどの猛稽古の後、
8曲の寮歌を暗記させられるのです。
当日は理由も知らされず、白いブリーフの着用を命令されます。
理由をいくら訊いても先輩たちは暗い表情でかぶりを振るだけでした。
そして、いよいよ、その時がきます。ここ、本書でよーく読んで下さい。
部費を捻出するためのヤキソバ作りの秘密、
先輩たちのイタズラなど、抑えた筆致なのに笑わせてくれます。

北海道大学はこの当時、何年も最下位で、優勝し続けた昔日の栄光はありません。
先輩たちはなんとか、その不名誉から脱出しようと著者たちを鍛えます。
著者は特に主力選手の金澤(かなざわ)に親の敵(かたき)のようにしごかれますが、
本当に殺されるという恐怖の中で稽古をつけられる日々でした。
稽古後も声をかけられることもなく、お互いの間に冷たい空気だけが漂います。
寝技をかけられて動けずにいると、腹で鼻と口を押えられ、
窒息させられるほど厳しい稽古の様子が、ひしひしと伝わってきました。

体を大きくするために食べさせられ、稽古、また稽古の生活しかありません。
著者も他の新入生と同様に、やめたい誘惑にかられますが、涙を流しながら忍びます。
一面の銀世界の中を自室を目指して歩く時、自然と涙があふれるのですが、
読んでいてその思いが十分に伝わり、頑張れ、と声をかけてしまいました。

最初の年、やっぱり七帝では勝てず、最下位でした。
主将の交替シーンで泣けてきます。
そうして、最後まで親しく言葉を交わすことのなかった金澤先輩との見送りシーン、
ここでも泣けて仕方ありませんでした。
著者の筆は、抑制されていて安直に書かれた小説のように(下手な作品の方ですが)、
予定調和的ではないのです。それなのに泣けてくるのでした。

著者が2年となり、新入生の勧誘が始まりますが、ここも笑えます。
いかに楽しくていい部なのか、あの手この手のオンパレードです。
中でも近くのお嬢さん大学の女子学生に協力してもらうくだりは秀逸でした。
そうする中で著者はわがままな滝澤と深い友情に包まれます。
これが実にいいんです。他の武道系の部との確執も2人が中心になって抑えますし、
普段の2人は邪気のない男たちでした。

一方、稽古は、ますます過酷なものとなります。絶叫、負傷、失禁、号泣の毎日が続き、
稽古相手も北海道警察のメンバーと、自分たちのはるか上のレベルの選手です。
新入生が落ちついた頃、著者たちも彼らに「カンノヨウセイ」をやりますが、
ここ、何度でも面白く読めました。
七帝大会の勝敗は是非、一読してほしいのですが、私、こんなに何度も落涙する本は、
何十年ぶりでした。滝澤や周りの人たちの温かさ、飾りけのなさなど、
人物の魅力がぐいぐい迫ってきます。

1年経った著者たちの成長、他の同級生はおしゃれして女子学生と遊んでいるのに、
著者たちはいつものジャージを着て稽古場を部屋の往復です。
試合では腕や肋骨が折れようと、参ったとは言わず、ただただ耐え忍びます。
本の中から悲鳴と汗と血が飛び出すようでした。
著者が怪我をして入院すると、次々に見舞い客がきますが、
滝澤と屋上に上がったシーンは一種の美しさ、荘厳さがありました。

著者は友人の成長を目の当たりにすると同時に己の変化をも知るのです。
看護師に柔道が好きでしょう、と言われ、2人は互いに問い返します、好きか?と。
即座に好きじゃない(今は)と返すのですが、
どうしてやってるのかと再び問われ、答えます。
ジーンときましたねえ、この答えも。

レビューである以上、過度の感情移入は慎んでいるのですが、
青春譚(たん)として、スポーツ物語として、成長譚としてなど、
さまざまな要素が地に足のついた文章で綴られていました。
読書中、職員が定期的に部屋を視察しますが、赤い目を見られないように
気を遣ったほどの良書でした。
こんな厳しい稽古がやりたくなり、体がうずいてきました。
そして、このような青春がある著者を幸福な人だとも感じました。

ノンフィクションですから、登場人物たちは今でも健在の人が多いのでしょう。
私はその人たち一人一人のその後が知りたくなりました。
彼らの柔道自体は、まさに死闘の世界です。
いやあ、壮絶でした。やりたくなりました。
血が滾るんですね。
節目節目に出てくる言葉も心に残りました。

「思いはのう、生き物なんで。思いがあるかぎり必ず繋がっていくんじゃ」

先輩の言葉ですが、そこにいくまでの過程があるだけにぐっときてしまいます。
なんで、著者はこんな素晴らしい経験を今まで書かなかったのか、
不思議でなりません。もしかすると、著者自身、数多(あまた)の思いが詰まり過ぎていて、封印を切れなかったのでしょうか。
大切にしまっておくべき記憶と言えるくらい珠玉のものでした。

叶うものなら、もう一度、若い頃に戻れたらと思います。
鬼のような先輩や指導者に、ふらふらになって歩けなくなるくらいに
しごかれてみたいです。私は部活動やってましたが、
自主トレの方がはるかにきつくやりました。自分を追い込むというのは、本性が出ます。
どれだけやれるか、常に葛藤があるものです。
私の若い時の思い出は決して、つまらないものではなかったと思うのですが、
著者が経験した苦痛や涙には欠けるものでした。
著者の青春時代は汗と涙の一粒一粒が輝いています。
損得など超越した爽やかさがありました。
柔道と七帝大会にかける先輩たちの思い、それが連綿と継承されていくシーンは
感動なくして読めません。
粗野だけど清らかな男たちでした。

本書、同囚にも強くすすめました。
「とにかく読みなよ」と。
精神と肉体の強みに、ただひたすらに耐え続ける若者の一図な青春です。
これ、映画にならないでしょうかね。
何度でも読みたい、しかし、なにがどこに書かれているか覚えたくない、
常に新鮮な心で、この感動を味わいたい、と心の底から思える書でした。
私が本書を読んだきっかけは、ある書評に練習の凄さが述べられていたからです。
絶えずハードワークを求めていることもあり、そのような言葉に惹かれます。
読後、その書評の表現は、控え目過ぎると知りました。
是非是非、読んで下さい。(美)

みたつ・やまと●1959年生まれ。2件の殺人を犯し、長期刑務所に服役中。現在でも月100冊以上を読む本の虫で、これまでに8万冊以上を読破。初めて衝撃を受けたのは10代のときに出会ったロマン・ロラン著『ジャン・クリストフ』。塀の中にいながら、郵送によるやりとりで『人を殺すとはどういうことか』(新潮社)、『夢の国』(朝日新聞出版)などを著す。

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