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無期懲役囚、美達大和のブックレビュー

教養を深めたい、仕事に生かしたい――。
人として成長するために本を読みたいと思っても、何から読めばいいかわからないビギナーのためのブログ。
服役中の無期懲役囚・美達大和から届く書評を随時公開。


2023年2月6日より『note』に移りました。

note定期購読マガジン、美達大和のブックレビュー


『近現代史のツボ』『仕事について』『天晴!な日本人』

『フィスト・ダンス』などを見て、良いと感じた際は、

『note』に参加を待っています。

美達大和




1月の本71冊

安倍さんについて
『選挙前の今、政治を見る』
『宗教、主に創価学会と政治 前編』
『宗教、主に創価学会と政治 後編』
『安倍元総理亡き後の政治と日本』
『安倍さん亡き後の安倍派のゆくえ』
『安倍さんの事件と今後の政治』
『メディアの報道について』
『内閣改造とその後の展開』
『新内閣、他、政治』
『まっとうな人たちの声』
『国葬について』

政治意見投稿のご案内


連載第一弾 超一流の仕事術『仕事について』 第1回はこちら
連載第二弾 強靭な肉体を作れ!『マッスルロード』 第1回はこちら
連載第三弾 近代日本の夜明け『日本史の教養』 第1回はこちら
連載第四弾 知られざる塀の中『迷宮(ラビリンス)』 第1回はこちら
連載第五弾 憲法、国防、社会保障、税、政治、メディアを考える『近現代史のツボ』 第1回(日本国憲法の歴史)はこちら
連載第六弾 熱血、美達少年の青春一代記!小説『フィスト・ダンス』、第1回はこちら
連載第七弾 信念に生き、清廉に生きた日本人がいた!偉人伝『天晴!な日本人』、第1回はこちら



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2013年12月 アーカイブ

年末のご挨拶。美達さんからの手紙。

いつもご購読いただき、ありがとうございます。
美達さんから、年末のご挨拶がふくまれた
手紙が届きましたので、アップさせていただきます。

みなさま、どうかよいお年をお迎えください。(管)



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さて、以前から訊かれます、細かい心の動き、煩悩、
今の考えていることなどについてですが、
煩悩ということでは、やはり、下獄した際にはありました。

それまで、努力したとはいえ、望むものは手に入れ、
希望することは実現してきた思いがあったので、
獄の全てがままならず、自己の欲望との乖離(かいり)に、
心が動かされたものです。

同囚に尋ねましても、みな同じだったと言います。
身の回りのこと、旅行、娯楽など、
TVや雑誌で目にするのも不快でした。
この時は、まだ社会はあるかも(仮釈放で出る)
という気持ちが半分ありました。

残り半分は出ないかも、父の他界後は、私もそれでよし、
とするかもな、という思いがあったのです。
しかし、1、2年もしないうちに慣れてしまい、
それらのTVや記事を見ても何にも感じなくなりました。
自由に何かをやりたいという欲望に対して、
自分の力でどうなるものでもないことは、考えません。
これは中学生時代からの習慣です。

自分で何とかできるものであれば、万難を排して努力し、実現しますが、
そうでないものにつき、心が動くことはないのです。
もともと、物事に対して、一喜一憂する度合いは少なく、
どっちの場合でも即座に次の展開を考える癖がついています。

何かが成就しても喜びは、次へのことで消えますし、
(その代わり、次のことに進める、考えられる喜びと期待感はありますが)
失敗しても、すぐ次を考え始める性分なのです。
どちらにせよ、いつまでも引きずることはありません。

社会の出ないことについても、他人が思うほど深刻だとか
重大にとらえていないのです。
たとえば、同囚が、あと数ヵ月で出所という話をしても
羨ましいという情動はなく、素直に喜べますし、
(普通は羨望や、軽い妬みなどあるらしいですが)
相手が私に気を遣うことも
(出所はしない私の前で社会のことを話さない、という人が
100人に2、3人くらいいます)、全く気にしないでくれ、と
心から言えます。

決めたら未練など、毛ほどもないのが自分の性格です。
具体的に言うならば、書店で本を選びたい、
ドーナツ(超のつく甘党なので)・ケーキを食べたい、と思っても、
それは他の人と違って実現はしない願望であって、
単に○○だったら、という淡いもので、
瞬時に消えますし、心に留(とど)まりません。
ですから、淋しくも辛くも何とも感じません。

逆に出所できる同囚が、今すぐに叶(かな)わないと嘆く方が
気の毒に感じます。現実的に社会を考えないことにより、
満足できる部分の良さもありますし、
そのように考えられること自体、社会にいた頃より、
少しは成長したとも思えるのです。
足るを知る、分(ぶ)を弁(わきま)えるというのでしょうか。
生来、心が大きく動くことはなかったのですが、
自分でもこんなものか、と感じます。

小学校の時、母がいなくなってから、その時の状況の中で、
何とか最善を尽くす、という行動様式が身についたと思うのです。
獄に入り、同囚の多くに、非常につまらないこと、
理屈が通らないことに囚われ、心を激しく動揺させる、
気分をころころ変えるという特性を見てから、
余計に自分の傾向は強くなった気もします。
いちいち、囚われて気分の波を露出していては、
人は物事を成就できませんし、私の目指す生き方ではありません。

仮に、今、ここですぐに死ななければならない必要なり、
状況があった際でも、「あっ、そう」と瞬時に肚を決め、
「じゃあ」と笑って逝ける自分である、という思いが矜持です。
心が平常心であろうと、動揺してようと、事態は進展しますし、
大事なのは自分自身が自分をどのように
評価できるか、ということですから。

どう生きるか、という理念なり、信条というのは、
思いだけで実際の行動に出なければ、ただの観念でしかなく、
口舌の徒でしかありません。
それが己の人生を左右することであっても、
理念の信条は貫徹するというのが、私のルールです。
どのような環境にあっても、何ら自分を省察せず、
何も生み出すこともなく、誰の役にも立たず、
流されて生きるというのはしたくありません。 
それは生きているとは言えない状態で、命の無駄使いというのが
自身への思いでもあります。

ここにきて、アタラクシア(心の平穏)というのを知りましたが、
アパティア(不動心)をしっかり身につけるためにも、
訓練を重ねていきたいです。
いつも、何があっても機嫌よくいたいですし、笑っていたいと願っています。

今考えていることは(いつもですが)、努力することの意味です。
それは人に勝つとか、そんなことではなく、
本来、己が持ってるはずの能力・可能性をどこまで出せるか、
使いきるかということになります。
だから、時間の使い方は「命の使い方」でもあるのです。

生来、没頭する性分なので、睡眠も食事も不要と思う中でやっています。
これは意識などしなくても、性分なのでありがたいです。
また、「自由」についても、何の制約もなければ、
それは単なる放恣(ほうし)であり、気ままであるだけで、
その時の状況の中で最善に生きようとする試みが、
人間の自由ではないかと思います。
これは見せかけのポジティブシンキングではなく、
心からそう考えるようになりました。

自分ではどうすることもできないことがあり(自らの意志を超えたものでもあり)、
そのためにも最善を尽くして天命を待つ、というわけです。
その最善とは、成就するまで、あくことなく続けるということになります。
いくら、やるぞ、と言ってみても行動なくして自尊心だけなら
(こういう人が少なくありませんが)、ただの見栄や虚栄心であり、
その姿勢は自らをも偽るものでしかありません。

人生の幸福・満足についても、それは外に求めるものではなく、
己の内にあるものから求めるものと知りました
(かなり、回り道をしたのは、私の愚かさの表れですが)。
自分自身を知るという内面への旅の重要性、
そして、同時に何か、社会のために役に立ちたい、立たなくてはという
外面への模索が、うまくつながることを望んでいます。
 
足るを知るというのも、欲望を否定するのではなく、肯定しつつ、
その質の変化を受け入れることではないでしょうか。
問いも答えも日常の中にあり、毎日試されていると思って
生活をしています。

先日の「まー君」や「れのあちゃん」のレビューではないのですが、
身体的、あるいは物理的障害があった際、
その人は真価を問われているのかもしれません。
私の障害・境遇など、二人や宮ぷーさんのに比べたら、
大したことではありませんし、私自身、このくらいのことがある方が、
自らの性根や能力を試す機会だと自負しています。

日本の受刑者は獄にいる間は、とにかく何もできない、というのが
長い間の不文律になってましたが、
私はそれに従う気もなく、私だからこそできること、
私でなくてはできないことをやってみよう、という
不敵な笑みさえ心に持っているところです。
 (それにしても、まー君、れのあちゃんの思考は素晴らしいです。
みんなに知ってほしいと願っています)
 
物事に取り組むこと自体は、機械でありたい、というのが、
若い頃からの信条でした。
機械は疲れず、不平を口にせず、ペースも不変ですから。
喜怒哀楽については、ハッキリしてますが、
怒と哀につき、その表出を抑制することに成功しつつあります。
しかし、自分は本当に未熟であり、今後の訓練を必要とするところです。

さて、先日、札幌のMARUZEN&ジュンク堂書店の方の
拙著へのレビューありました。(『女子高生サヤカ~』についてですが)
理知的、優しく、物知り、人の話をきちんと聞いてくれる、など
「おおっ、よくぞ、気がついてくれた」と思ったものです。
いやいや、普通に接すれば気づいてくれるんですけど(たぶん)。
 「でも、人殺しなんだそうです」とあり、
肩がガクッとなりましたが、そうなんですよね。

ただ、拙著への感想は「心のあり方の指南書」として成立するとも。
他の方の感動では「理知的で読んでいて
不思議に静かな気持ちになります。おすすめです」とありました。
ありがたいですね。
子供たちの素直さが、私を仏様のようにしてくれました。

その私の年末ですが、31日だけは普段、ニュース以外聴かない
(例外として日曜の午前中、FMのみ)ラジオで「紅白」を聴きます。
半分以上は知らない人たちですが、0:15まで聴き、
周囲の人たちのご多幸を窓の外に向かって祈ってから寝るのが
恒例となりました。

9連休ですが、31日と3日の入浴をはさみ、ひたすら読書と原稿書きの予定です。
私の正月は、全くいつもの生活と変わりません。
すべきことをするだけ、正月くらいは休むとかは考えたこともないです。
(社会にいる頃より)
小説の出版も決まったこともあるので忙しい正月になるでしょう。

社会のみなさま、レビューを見てくれている方々には、良い年を迎えてほしいです。(美)

『名誉の殺人』 アイシェ・ヨナル

『名誉の殺人』
アイシェ・ヨナル・著 安東建・訳
朝日選書
1680円
2013年8月

*この冬に届いた
レビューです。 

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名誉殺人。
中東・アフリカ・南アジアなどの古い慣習が残る社会での女性に対する殺人のことです。
殺人の理由は婚前・婚外交渉を行った他に、手を触れただけ(男性と)、
携帯電話に家族の知らない電話番号があった、
映画を見に行った、ズボンやミニスカートを履いた、
15歳の娘が電話で男性と話した、男性との噂などなど、
私たちには理解し難い理由が並びます。

調査によれば本書の主な舞台であるトルコでは2000年から2005年の間に
犠牲になった女性は1806人、家族からの圧力で自殺させられた女性は
5375人となっていました。トルコで名誉殺人の加害者となるのは、
貧しいですが敬虔なイスラム教徒の男たちです。

イスラム教が殺人をさせているのではなく、イスラム教が成立する以前からありました。
男性が女性・子供を支配する家父長制と古い部族社会の悪弊が
殺人につながっているのです。
著者はジャーナリストであり、同時にTV局プロデューサーも務めていますが、
名誉殺人を犯した男たちを、刑務所でインタビューして
まとめたのが本書でした。

本書では10人のケースが紹介されていましたが、単なる疑いだけで、
ろくに調べもせずに、自分の妻・娘・姉・妹を手にかける様子に、
うすら寒いものを感じました。
近所で噂になっただけで不名誉になり、家族どころか、親族が集まり、
男たちの合議が始まり、殺害が決定されるのです。
もちろん、刑法犯ですから、手をくだした男は、長い間、服役することになります。
スカートを履いただけで殴られ、父親に二度とそんな気を起こさないように、
ナイフで足を傷つけられたり、ラジオの歌番組にリクエストをしたというので、
他の女たちの前で見せしめに殺されたエピソードが紹介されていました。
トルコでは各家庭に銃があり、射殺も少なくありません。

最も多いのはクルド人の多い地域となっていますが、慣習というのは
恐ろしいものです。(クルド人というのは、
トルコ・シリア・イラン・イラクにまたがる国境・故国を持たない民族で、
独立を求めて武装闘争を続けている部族もあります)
やっと学校(小学校)に通わせてもらった娘の成績が良くて、
学校の先生が上の学校に進学させてやって欲しいと家に来ると、
その時は笑顔で対応しますが、帰った途端、
家族みんな(父親だけではなく、兄や母親まで!)で娘を暴行し、
翌日、腫れあがった顔で断らせるなど、我々の文化では理解できません。

叔父と不倫をした母親を、別の伯父からの指示で殺す息子。
男と電話で話していただけで娘、そして、
それを見て見ない振りをしていた母親まで殺す父親。
近所で売春をしているという噂を立てられた姉を殺す弟。しかも、
検死では姉は処女という結果が出ていました。
その他にも、不倫の噂で殺された死後の解剖で、性体験がなかった
ケースが数多(あまた)あるのです。

警察や検察に、自分は殺される、と相談しても、相手にされず、
逃げても他国にまで追っ手がきて殺されます。
狂気とも言える世界でした。
名誉殺人のために量刑が重くなると、次は本人に
自殺を強要するようになりました。
加害者のほとんどは、反省などなく、名誉を守った勇者として生きています。
中には、こんなことを口にする者もいました。
「殺人者はみな、実際には自分が殺した相手の犠牲者だって。
僕らは、肉体としては殺人者だが、魂のうえでは犠牲者なんだ」
うーん、レトリックとしては、うまいかもしれないけど、
そりゃ違うだろう、兄ちゃん、と思いました。

娘が生まれると将来のために、すぐに幼児婚約をするのですが、
本人の意志は、どこにもありません。
「でも、真の自由は、誰にも、結婚した夫にすら依存しないでいること。
真の自由は殴られないこと。兄の前を通るときに
殴られることはないと知っていること。義理の姉の前を通るとき、
彼女が自分を殴らない、父も殴らないと知っていること。
言い換えれば、人間として扱われること。
家出したのは、ただそのためなんです」

「たとえ人生を自分の手に取り戻したとしても、その後の運命は決まっています。
私たちのような女性は自由のためなら命を捨てる覚悟です」
これが女性たちの望みです。

文化圏が異なると、女性は人として扱われない社会が、今もあちこちにあります。
インドでも、宗派・県によっては、夫の死後、妻は生きながらに
火中に投じられて殉死する風習がありますし、最近の週刊誌グラビアでは
キルギス共和国の誘拐結婚が載っていました。(突然、誘拐されて結婚するのです)
生まれてくる場所が違っただけで、人権も人生も無になるというのは、
無惨としか思えません。

日本も儒教圏の影響もあり、男尊女卑社会ですが、今もって平等とは呼べません。
女性の社会進出度では、世界の中で110位台です。
社会制度というより、男の方に古くからの慣習や思考が根強いので、
変化が表面だけのことになっているのではないでしょうか。

また、人はどうしても他者を自らの主観にあてはめたり、
その中でのみ承認する傾向があり、そこにジェンダーという性差が絡み、
男女平等・機会均等とはならないと思います。
欧米の女性が、日本女性に比べて、特に優秀とは考えられないので、
やはり、日本社会の慣習なり、空気なりが、女性の社会進出を阻み、あるいは
一定のステレオタイプのライフスタイルを見えない圧力をかけて
強いているような気がします。

たとえば、小説でも翻訳ものでは、男女の科白(セリフ)は対等なのがほとんどですが、
日本の作品では作家の年代によって、男性優位の会話が少なくありません。
むろん、男女対等・または女性優位の対話シーンも多いのですが、
欧米の翻訳ものほどではないと思います。
(それでも創作の世界での女性進出は、めざましいものがありますが)
これからの日本は、人口減・労働力人口減少もあって、
女の人が働けるシステムだけでなく、男も意識改革をしないと、
社会が成り立たなくなるでしょう。

本書を読みつつ、女に生まれるというのは、さまざまなハンディがあり、
克服しなくてはならない場面も出てくるのだな、と考えていました。
殺人という罪だけから考えると、自分の家族を手にかけて、
罪悪感もないというのは不幸だなと思いました。
また、彼ら男たちが持つ慣習・思考に近いものが、事件当時の私にもあったのだ、と
改めて反省させられます。

これは、一定の型から外れた者の存在を認めないという意味ですが、
当時は正しいのだと盲信していたゆえに、
逡巡がなく行動したということです。
彼らの慣習・文化が私にとって自己の信条に該当するのでした。

本書、淡々とした記述ですが、興味ある人はどうぞ。(美)





このレビューで美達が紹介した本


『アップル帝国の正体』 後藤直義・森川潤

『アップル帝国の正体』
後藤直義・森川 潤
文藝春秋
1365円

*この冬に寄せられた
レビューです。


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著者は、週刊ダイヤモンドの記者です。
それまで、知識が乏しかった家電業界の取材を担当するようになったことから、
アップルと日本の家電業界の異様ともいえる関係を知り、
本書にまとめています。

私は獄にいるので、実物を見たことはないのですが、iPhoneというのは、
みなさんの周りに、あたりまえのようにあるんですね。
このiPhoneが、いかにして日本の家電業界で作られているのか、
そして、その事実が圧倒的な普及率のわりに語られない、のが
本書のテーマでした。

構成は6章から、なっています。
第1章では、日本の家電メーカーが、あたかも占領政策の下で存続しているような、
アップルの厳格な統制ぶりが綴られていました。
徹底したデザイン・素材・機能へのこだわりとコストの低減化。
情報網から技術力のある企業を探し出す努力は特筆ものです。

第2章以降は、儲けがなくてもアップルの製品を仕入れなくてはならない
量販店の実態が描かれています。
アップルが、iPodにしても音楽レーベルを巻き込んで、
普及させていく様子がありありと綴られていました。

この、iPhoneの出現によって、通信キャリアと携帯電話メーカーの地位も
入れかえてしまったんですね。
関係者の多くは匿名ですが、それはアップルとの秘密保持契約と
巨額の違約金のせいでした。
液晶パネル製造で有名なシャープの亀山第1工場ですら、
iPhone5の専用工場になっています。

ソニーもしかりでしたが、下請けなんですね。供給をコントロールし、
希少性を守り、値下げもさせないという図式がありました。
しかし、この商品、もとは日本の技術の集積でもあるんです。
要は組み合わせ方、使い方に気付かなかっただけで、
なんだか、むなしいものを感じます。

読んでいる間、敗戦後に進駐してきて、日本政府の上に君臨した
GHQを連想してしまいました。
タイトルのアップル「帝国」は決して大袈裟ではありません。
20年以上も塀の中にいる私でさえ、新製品が出る度に、
新聞・各雑誌で目にして、その存在と人気を知ることができます。
その裏で日本の家電メーカーは奴隷みたいなものでした。
メンド・バイ・オキュパイド・ジャパン。
GHQ占領下の日本の輸出品にこの表示が入っていましたが、
なんだか似ています。技術はあるのに独創性がない。
こんな言葉が、我々、日本人、日本のメーカーの商標ともなっていますが、
本書では思い知らされました。

雑誌でスマホの特集があると、「見てもしょうがないのに」と思いつつ、
どんなアプリがあって、なにができるか、好奇心いっぱいで読んでしまいます。
「おおっ、こんなこともあんなこともできるんだ。なるほど」と
浦島太郎状態ですが、実際にそのソフトやサービスを知ると、
なんで、今までこれがなかったのか、というのが多いんですよね。

でも、こんなにあれこれできる、記憶してもらえるというのは、
逆に知能、記憶力のためにはマイナスではないか、という懸念もありますが。
使わなければ、廃用性萎縮で退化するというのは、知的能力も筋肉も同じです。
新聞に出てましたが、高校生でも7割がスマホを持っているとか。
数年のうちに小学生から、はては幼稚園児までとなるんでしょうね。

そのアップル社ですが、2013年4月~6月期の純利益が2四半期連続で
減益となっています。現在、スマートフォンの世界シェアは
トップのサムスンが31%で、アップルは13%です。
9月10日に新製品の発表がありましたが、
アップルは最新版の5Sと廉価版の5Cで巻き返しを図っています。

NTTドコモも、いよいよ、iPhoneを導入することにしました。
アップル、規制していた諸々の権利を緩和するとしています。
ドコモはこれまでかなりの顧客流出があったようで、
他社との競争が激化するのは必至です。

マイクロソフトは、さらにノキアの携帯電話事業を
54億4千万ユーロ(約7200億円)で買収しましたね。
これで世界シェアは、アップル、グーグルとモトローラ、サムスン電子との
4強が争うことになります。
現在、市場関係者の予想をはるかに超える低価格化が進行してますが、
日本のメーカーは討ち死に状態です。
アプリなどの開発で負けて、尚かつコスト競争力で負けています。
100ドルを切っているのですからシビアです。

前出の中・高校生の話になりますが、その極度の依存状態で親は困っている
という記事をあちこちの媒体で目にします。
オンラインンゲームをきっかけに不登校になった、
1日12時間以上、LINEやゲームに使っている、入浴中も
LINE手放せない、体をこわすまでやる、
ゲームをより楽しむためにお金がかかるとか、深刻な状況になっているようです。
LINEなんか、相手がいるから、さっとやめられないんですね。

スマホだ、タブレットだって、便利ではあるのでしょうけど。
原稿だって、そんなのとか、PCなどで、さーっと送れるとか。
ここでも、これらを活用して検閲する当所の職員の負担を減らし、
かつ、速やかに送れたらと思います。
将来的にはスタンドアローンでPCを受刑者に持たせよう、という話も
全くないわけではないですが、検閲(放っておくと不正情報を蓄えるので)のこともあり、
難しいでしょうね。ワープロくらい使えないかとも思うのですが、
シャープペンシルと消しゴムと原稿用紙というアナログで頑張ります。
アナログも捨てたものではありませんよ。
手紙なんか来ると、それだけで、いい日だなあ、と感じますから。
待つ間も、また楽しい、です。

さて、本書ですが、まさにアップル帝国に統治される
日本の家電業界を知るには良書でした。(美)





このレビューで美達が紹介した本

 

美達から、手紙が届きました。

読者のみなさまへ、

いつもご購読ありがとうございます。
美達さんから手紙が届きました。2回分を一緒にアップさせていただきます。
みなさまからいただいたコメントへの返答とも読める部分がありますので、
じっくり読んでいただければと思います。(管)


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著『女子高生サヤカが学んだ1万人に1人の勉強法』、
たしかに、喜多川泰さんの『手紙屋』も、構造が似てます。
これ、社会の人より差し入れしてもらって読みました。
意識はしてませんでしたが図らずも
「手紙」という点で同じ書になったのですね。

私、まさか、ここに入ってから新しい交際が始まるとは思いませんでした。
第一、自分が何かを書くというのも想像したことがなかったのです。
レビュー、これからもみなさまのタメになるようにと心がけますので見てください。

家族の話ですが、近頃「毒母」という話をよく目にします。
子を支配しないと気がすまない母親のことらしいです。
うーん、私の父なんか独裁者としか言えないくらい息子を支配した人ですが、
その息子からは大変に好かれてますね。
支配している母としては、支配してるというより、
それが子のためになると信じきっているのでしょうね、たぶん。
この道こそ、私の示す道こそが、この子にとっていいのだと。
親としての使命感、責任感なんですね。

その点、父はそんなことは一切なく、ただ、自分の思い通りにしたいだけ、
というわかりやすさがありました。
「自分の息子をどうしようと俺の勝手だあっ!」と、
当然のように言う人でしたが、私は、反感もなく、あっそう、はいよ、
というように付き合ってました。
何せ、友人といるより楽しかった父なので。

親子についての本にありましたが、いち早く親としての成果を挙げたい、
確かめたいとなれば、どうしても自らの考える型に
入れてしまうようです。私なんかは、その父の示す型が、
自分の考えとマッチしてたのでしょうね。
「おっ、これだ!」と思ってましたから。
誰が相手でも一貫してたこと、これが好きでした。
もちろん、腕力の裏付けがあったから、できたのですが、
単純明解で納得できました。

では獄内の同囚たちの家族関係はというと、破綻してるのが普通となります。
何度も下獄するうちに音信不通、縁切りがめずらしくありません。
また、ロールモデルとして不適格の親も多いらしく、
親への愛着がないどころか嫌い、憎む、という者も多いのです。
気の毒でもあります、自分の親をそのように思うのは。
そのため、社会では孤独というより孤立してるのです。

ここへ来て、話し相手がいて嬉しいという受刑者、たくさんいます。
特に老囚に。刑務所って、まさに最後の福祉施設なんです。
何も考えず、「人間」であることをやめて、流されれば、
暮らしやすい場でもあります。そのかわり、出所しても
すぐに戻ってくる人生しかありませんが。

法務省では、ここ数年、出所者の就労支援や、獄での職業訓練
(我々、長期刑、特にLB級はありませんが)に力を入れてます。
今は40を超える職訓があって、情報処理の他にもビル設備管理、
フードコーディネーター、女子ではエスティシャン、ネイリストもあるのです。
来年度からは農業訓練もあるとか。(これ、いいです!)

ただ、受刑者はコミュニケーション能力不足と社会常識がないので、
なかなか就職できないのが現状です。
たとえばホームヘルパー2級合格者(全国で)は5年間で463人いましたが、
介護職についたのは19人のみでした。
出所者を雇ってくれる「協力雇用主」(ボランティア)も増えてますが、
やはり、いろいろな問題が出てるそうです。
雇っても続くのは1割、残りはダメになるとのことでした。
本人が真剣にその気にならないと続かないんですね。
法務省としては来年度、2700人の出所者支援を目標にしてますが、
容易ではありません。(毎年の出所者は平均3万人、新たに入るのも同じくらいで、
出所後、住む所のない人は7000人です)

「続ける」で思うのは、運動してる人のことです。続けてやってるのでしょうか。
目標を決めて続けなくてはいけませんね。精神の力をつけるためにも。
先日、官本(かんぽん)に『クスリになる食べもの』というのがあり、
筋肉痛・筋肉疲労に効くというので、こんなのが出てました。
筋肉の酷使には、アズキだと。やわらかく煮たアズキを茶碗一杯ほど食べると効くようです。
これ、汁粉がいいというのは知ってましたが、同じことですね。
あとは痛み、疲れがある部位に、クレソンの葉や茎をすりつぶして、
ガーゼに塗って貼る、又はジャガ芋をすりおろし、
同量の小麦粉と混ぜて、ガーゼに塗って貼ると効果があるとなってます。

「よし! 体と精神を鍛えよう!」という人は、とにかく続けることです。
陰ながら健闘を祈っています。
(官本とは獄で貸してくれる本のことです。ここは平日2冊まで、
週では10冊、工場にいる人は本棚から目録を見つつ選べます。
2ヵ月ごとに300冊が入れ替えになり、そのうち30冊はマンガです。
なかなか良書はありません)
12月というと仕事もプライベートも忙しい、
なんとなく気忙しいと思いますが、ご自愛専一に!(美)


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12月も半ばを過ぎましたが、いつもブログを見てくれて心から感謝します。
拙著『女子高生サヤカが学んだ1万人に1人の勉強法』に対するコメント、
好評のようで安堵しています。

明確、簡単な言葉で哲学がこめられているなど、
私としては喜びとするところでした。
子供たちにわかる言葉で書いていますが、大人の人にも通じます。
脚を細くする、インナーマッスルの鍛え方など参考になったとのこと、
どうか、役に立ててくれたらと願っています。
まずは、目の前のことに取り組むことしかありません。

未来とは遠くにあるものではなく「今」の連続です。
「今」の集積が未来となります。
ある日、いきなり未来・将来となるのではありません。
続けたら何になるのか、ではなく、続けられる心を作ったことで何にでもなれます。
ある日、挫折したら、また翌日からやればいいだけです。
「次はもっと続くように」と、自分を励ませるのは自分しかいません。
能力・才能より、まず精神を鍛えることです。
派手さはなく、即、効果が出るものでもありません。
地道に愚直に、己に誠実に続けることが尊(とうと)いのです。
誰にでも、やろうと思えばやれるので、頑張りましょう。

先日、障害を持ってる大人の意見を目にして、ハッとさせられました。
「『他人に迷惑をかけずに生きる』というのは大変良いことのように聞こえるが、
そこに傲慢さを感じます」というものでした。
重度の障害者はどんなこと一つであろうと
他者の手をわずらわせなくては生きていけません。
そして、この世にいて、全く他者に面倒・迷惑をかけない、というのは深く交わらない、
交わりたくないのと同義だと言うのです。
私も面倒・迷惑をかけずに、と思ってきましたが、
なるほど、一種の傲りか、と考えさせられました。

身体を動かせない人たちに意識があり、銀河系の星の数以上に
伝えたいことがあるのです。
それが子供であろうと変わりなく、健常者である私たちは、
その伝えたいことを少しでも理解できるようにしたいと思いました。
宮ぷーさん、まーくん、れのあちゃんのことを考えると、
自分に何ができるのか、何もできなくても、その人たちのことを
念頭に置いて生活するだけでも心がけたいです。
私がわずかでも役に立てたらと願っています。

犯罪被害者の会の運動は、いいことだと思います。
私の立場で何か協力をとも思うのですが。
犯罪被害者の遺族のこと、もっと知ってほしいです。
犯罪被害者遺族の会であるNPO法人『いのちのミュージアム』では
犯罪被害者の視点を取り入れた矯正・更生プログラムを実施しています。
目的は、被害者遺族として加害者を許すことはできないが、
心から悔悟し、人生を精一杯生きようとするならば、
加害者を認めることはできる、というメッセージを発することだそうです。
以前から犯罪被害者遺族のために自分は何ができるか、と
模索してきましたが、現実には獄の加害者らが本心から悔いて
更生を目指すのは容易ではありません。

しかし、反復して、彼らに働きかける、胸奥の声を引き出す努力を重ねることで
変わる者も出てくるはずです。過去は変えられませんが、
未来に向かっての更生を期すことは、人間回帰への道でもあります。
行政のみならず、社会の人々も、より、被害者遺族への理解を深め、加害者の更生と
矯正への関心を持ってくれたらと切望する次第です。
私も獄内で、同囚に対して更生への道を押しつけにならないように説いています。
関心のある人は『死刑絶対肯定論』『反省させると犯罪者になります』
『アフター・ザ・クライム』など、目を通してほしいです。

更生というのは単に心のみならず、経済的自立(就業)の問題も無視できません。
このことが、最も大切な私の使命であることは明らかです。
しかし、同時にこの中だけでというのは限界もあります。
一人でも多くの人にこの件につき知ってもらい、関心を持ってもらうことから
始めるしかありません。

みなさまのコメント、新たに本日届きました。(12/16)
今はできませんが、いつか必ず、報いるようにしますので。
本来なら個人的に返答なり、あれこれ回答したいとこですが、残念です。
本当に一人一人、礼を言えたらと思います。
はじめて見てくれる人も増えると、とても嬉しいです。
これからもずっとご縁があるように、何かタメになる、生きるうえで
役に立てるように心がけます。

『凡事徹底』いい言葉です。
物事を成就するというのは、そういうことだと思います。
些細なことを続けること。これに尽きます。
どんな偉業も、その根底には基本・基礎があるものです。
その小さなこと、初歩のことにどう取り組むか、続くかで、その人の人生の大半は決まる、
というのが私の思いですが、続けるためには絶えず自分と話すことしかありません。
「よし、やるぞ」「それでいいのか」「今、できなくていつできる?」などなど、
私はいつも対話してます。
モチベーションが下がった時も「結局、やり終えるのだ」と疑いません。
誰でもない、自分が、己に誠実か知っています。
指立て伏せ、スクワット(首トレも)など、決めたら続けるしかありません。

獄で暮らしていると、時には快適と思えない日もありますが、対処は毎度、同じです。
「何があろうと、最終的には最善を尽くすことしかできないのが、俺なのだ。」と。
天上界か、地の底かわかりませんが、あの父が見ていること、
それに私にしかなりえない、なにものかになるためには楽なんかしてられないのです。
私はちっぽけな存在ですが、代替可能な一個の部品になる気はありませんから、
己の努力と時間を未来への道である「今」に投じます。
状況的に良くない時もありますが、「さて、おまえはどうやってクリアするのだ?」
「面白がってやれ」としか考えません。
自分が自分に期待する以上、目の前のことを着実にやっていくしかないのです。

『夢の国』の外伝というか私視点での私のことを小説にするのは、まだ先になるでしょう。
中学・高校時代から書くと、想像を超えたワクワクする物語になると思うのですが。
社会に出てからの仕事について、近々、書きます。
真面目に働くということは、単にばくぜんとではなく、どんな事でも
観察眼と工夫と忍耐の心をもって、自分にしかできない、
またはここだけは自分に任せて、という「楽しみ」を作ることです。

刑務所のことをお話しします。
獄というのは、体・頭が不自由という人以外は、原則として工場で働くことになっています。
工場で他の者と働くことで、仮釈放の審査の対象となるのです。
無期刑というのは、仮釈放、あるいは個別恩赦で減刑(通常、無期は15年、有期刑は1/2)
されなければ釈放はありません。
工場での就業を拒否すれば懲罰になりますが、何度も拒否することで
単独室(独居房のこと)で一人の作業と生活になるのです。
この処遇を受けると工場で作業する者と異なり、
行事、映画、テレビ、祝日以外の菓子(月1回)はありません。

煩悩、葛藤は一切ないのですが、理由は自分が決めたことであり、
いつでも平気で捨てられることが私の強みでもあるからです。
この煩悩・葛藤の件、次回もっと詳しく説明します。
獄の中はクリスマスソングにあふれてます。
ラジオはニュースしか聴きませんが、近くの部屋のラジオの音が大きいので聴こえるのです。
達郎、ワム、マライア・キャリーなどなどですが、
私は辛島美登里の「サイレント・イヴ」が気に入ってます。
(毎年、1回くらいしか流れませんが)

25日の夕食は鶏もも肉・トマトじゃがイモスープ・ヨーグルトサラダ・コーヒー(自家製)に
1年に1回の小さなショートケーキです。
これが1年に1回なので至上の味となります。
人間の満足感・幸福感とは何だろう、こんな獄の中で、と感心します。
社会にいたら、こんな感動もなくなるのですね。
 
いいクリスマスをすごしてください。
自分の気分を良くするのは、自分でもあるのですから。(美)

『神様にほめられる生き方』 岡本彰夫

『神様にほめられる生き方』
岡本彰夫
幻冬舎新書
1000円

*2013年秋に届いた
レビューです

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本書は社会の人から差し入れしてもらいました。
著者は、元・春日大社の権宮司で
現在は帝塚山大学特別客員教授です。
神様、とタイトルにあるので、宗教に関する本かと思ったのですが、
生き方指南書に近いものでした。

無駄に思えることが幸せの鍵、口癖が人生を変える、
運のいい人と悪い人の違いとは、失敗や不幸から新しい境地をひらく、
などなど神がかり、他力本願ではなく、
自らの言動・思考を変えていくコツ、考えを綴っています。
これ、実用的というか、的を射たものでした。

たとえば、不幸や失敗をそのままで終わらせるのではなく、
経験として役立てるとありますが、
あたりまえのようでも、心がけていますか?
いざという時の腹づもりでは、最悪の場合を想定して
「構えずして構える」とありましたが、
これ、いつも頭にありました(今も)。
仕事でも私生活でも、最良の場合はあまり考えませんが、
最悪の場合のことは必ず、想定してきたのです。
そうすると、あれこれ思いわずらうことなく、気楽になります
(これ、コンテンジェンシープランとも言いますね)。

また、寄り道が余裕のある生き方を教えてくれる、とあります。
ここで、人間にはゆとりがないとダメです、と述べてましたが、
これ、大事です、特に私には。
合理性ばかり求めてはいけないというのは、
ここ数年、考えるようになってきました。

死についても常に頭に置くようにとありますが、これは大丈夫でした。
生きていくためには「誇り」を持つことが大切で、
誇りと慢心は違うというのも首肯できます。
以前の日本人は、自分のことより、他者のことを思いやるなど、
エピソードがいくつか出てきますが、日本人として
このような気持ちは大事にしたいものです。

他にも中庸の尊さ、怒りを慎む、結婚と夫婦のことなど綴られていますが、
日本人の道徳として備えておきたいことばかりでした。
わずか159ページですから、あっという間に読めますが、
書いていることの中身は濃いです。

冒頭に、目に見えないものの存在についてとありますが、
みなさんは目に見えないものの力を信じますか?
私、信じるようになりました。
しかし、私の信じるそれは、自分の普段の言動と
深くつながっているものでもあるのです。
善因善果、悪因悪果ではありませんが、人格神ではない「天」が
采配を振っているとしか考えられません。
この「天」は見逃しませんよ
(ついでにわが父も、天上から/地獄かも 見てますし)。

ところで、神様っているんですかね。私、若い頃より、信じる人の心の中にだけ、
存在していると考えてきました。
お金を取る神様はインチキですが、そうでなく、
人々を敬虔(けいけん)で謙虚にできる神様は信じてもいいと思います。
神様の話をすれば、「祈る」という行為に対する考えが、
前とは大きく変わりました。

祈る、というのは他力本願で、してはいけない、俺は実力のみで行くんだ、と
考えていましたが、実は違う面に気付いたのです。
自分のためではなく、他者や社会や世界のために祈ることができる
心のあり方の尊さを知りました。
利害もなく、純粋に祈ることができる時の精神のあり方が、
貴重だと思いませんか。そうやって祈れる時、その人は精神的にも穏かなんですね。
心安らかに、尚かつ、他者のことを祈れる時、祈っている時のその人は、
神そのものとも言えませんか。

人間をそんな状態に導くことができる信仰であれば、神様はいるのかもしれません。
神様から人一倍、遠いような私ですが、これでも
他者のために祈るようになりました。
自分のことでは祈りませんよ、実力でなんとかしなきゃ、と思ってますから。
それで気付いたのです。
誰かのために祈ってるということ自体、これは幸せなことなんだと。
こういうことができるようになったのは、
善いことだと、ささやかに喜んでいるのです。

いつも、こうだと仏さんなのに、と思いますが、
どっこい、心の隅に鬼がいます、まだ。
そして、これも知りました。
私たちの生活には、人生には人知の及ばない力が働いているんだと。
人との出会いなんか、そうとしか考えられません。
他にもさまざまなことで、これを感じるだけに、常に正しい行い、
正しい努力を心がけています。
その正しいというのは主観なので、あてになりませんが。

話は戻りますが、祈るということ、ためしにやってみませんか。
友人・知人・誰でもいいから、その人の幸運を祈るとか。
近所の野良ネコの幸福でもいいです。
寝る所があるように、エサがあたるように、とか何でもいいから祈ってみると、
その時の自分の心の様相に気が付くと思います。

私たちは、現在の状況が変わらなくても、感じ方や心のあり方を変えるだけで、
いくらでも対処できるんでずね。
自分のことではなく、誰かの幸福・幸運を祈る、喜べるというのは、
人として大切な要素だと知ったのは、私の人生で大きいことでした。
祈る、イコール、他力本願などではなく、
そのようになれる自分の精神状態がポイントだったんです。
祈ってます、レビューを見てくれるみなさんの幸運を!

あと、ちょっと私の本なんか売れたら、生活に彩(いろど)りも
添えることになるかなと、ささやかに祈る時もあります
(いやいや、実力勝負なんですけどね)。
本書、地味ですが、書いてあることは、うなずけます。(美)




このレビューで美達が紹介した本


『憲法改正の論点』西 修

『憲法改正の論点』
西修(にし・おさむ)
文春新書
788円

*2013年冬に届いた
最新レビューです。
秘密保護法成立以前に
書かれています。 

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安倍政権になってから、憲法改正が現実味を帯びてきたので、
憲法についての書が増えています。
そんな中で、本書は異色の書でした。
著者は駒澤大学名誉教授です。

従来、憲法についての書といえば、戦後のGHQの立案と
日本人(政治家・政府関係者)とのかかわり、
現行法の不備、改正すれば戦争ができるという懸念からの護憲と、
その色合いは、いくつかに分けられていましたが、本書は異なります。

まず、理想論でも神学論でもなく、実用的でした。
ここで実用的と書いたのは、解釈憲法でもなく、その書かれていることが、
現今の世界・国内情勢に対応できるものという意味です。
今の日本、法と社会の現実に開きがあったとしても、
その法を改正することなく、人間が生きている社会の方に、
アジャストを迫るようになっています。

特に9条では、誰もがそれを認めざるを得ませんし、
この世が日本一国だけで成立しているわけではないのに、
本来、持っているはずの他国との協調・協力のための権利も使えません。
世界でも類を見ない『平和憲法』と呼ばれている日本の憲法ですが、
平和条項を持つ憲法、150以上の国にありました。

日本の憲法、改正されたこともないので、今や古い方から数えた方が早いとも。
そして、なによりも、他国の憲法、には平和条項と合わせて
「国家非常事態対処条項」があります。
つまり、平和を希求する一方で、万一の事態にも備えているわけです。
また、著者は憲法成立過程にも1章を使っていますが、
これまで語られることのなかった極東委員会の議事録を分析しています。

日本は9条のおかげで戦争をしなくてすんだ、という人が少なくありませんが、
それは言い過ぎです。
日米安保条約がなければ、とっくに攻撃されているでしょう。
近くにはバリバリ覇権主義の中国もいますし。
今、もし、安保条約がなければ、尖閣も
中国のものにされていてもおかしくありません。

憲法前文にも書かれていることを、他国も守る、
尊重してくれるなどというのは幻想です。
アメリカというバックがなければ、それこそ薄氷を踏む思いで
生活することになります。
(独立国であるはずなのに、独立していないとも言えるでしょう)

仮に9条がなくても国民の総意は、断固、戦争を拒否するはずです。
大東亜戦争では一部の政治家・軍人が走ったではないか、
という批判もありますが、今後、もしメディアの力とはいえ、
大多数の国民が戦争もやむなしと思う時には、
相当の圧力・攻撃が加えられ、かなりの犠牲者が出た場合となるでしょう。

侵略され、属国化・自治区のようにされてもいいという人は別として、
国を守るということでは、最悪のことも
備えなければならないのではないでしょうか。

私は、憲法に国を合わせるのではなく、一つの独立国としてあるべき姿を前提に
憲法を改めることが先だと思います。
アメリカ追従の日本ですが、安全保障を考えた場合、
現在の日本の防衛力では、それも致し方ありません。

さらに、世界情勢が多極化してきている昨今、日本だけが安全な場にいて、
金だけ出していればいい、という時代でもないはずです。
なにかあれば、日本も共同で対処すべく、法の整備は不可欠ではないでしょうか。

それには解釈憲法では限界があります。
改正したから、戦争ができる国になる、とすぐに結びつけたがる声が多数ですが、
逆に今以上に慎重になることも考えられます。
最終章に改正案も載っていますが、類書とは視点が違うということで、
本書を取り上げてみました。
平和を守る、ということでの世界の流れもわかるので、
読んでみてください。(美)




このレビューで美達が紹介した本


管理人より、みなさまへ。

みなさま、いつもご購読ありがとうございます。

このブログがどのような流れで運営されているか
知っていただきたいと思います。

まず、レビューの原稿は、原稿用紙に書いた状態で
私宛に郵送されてきます。
15本とか20本とか、「まとめて」です。
それをこちらでテキストに起こしています。

実は、私の手元にはかなりのストックがあります。
私がもっと頻度を上げて更新すればいいのですが、
それができていないからです。
申し訳ありません。

このブログは2012年5月からはじまりましたが、
「先入れ先出し」でアップしていないため、
その当時に届いた原稿で、まだアップできていないものがあります。

美達さんは、新聞や書籍、雑誌で最新情報を入れて
レビューを書いています。書いた時点から数カ月、1年以上経ったレビューは
内容的に古くなってしまっている可能性があります。
そこで、レビューが書かれた、だいたいの時期を明記させていただきます。

あれ、この情報古くない? という部分は、
美達さんではなく運営側の問題であることを
あらかじめ、みなさまにお知らせしておきたいと思って、
きょうは書き込みをさせていただきました。

至らぬ点が多々あるかと思いますが、
このあともこのブックレビューにお立ち寄りください。
どうぞよろしくおねがいします。(管)
 

みたつ・やまと●1959年生まれ。2件の殺人を犯し、長期刑務所に服役中。現在でも月100冊以上を読む本の虫で、これまでに8万冊以上を読破。初めて衝撃を受けたのは10代のときに出会ったロマン・ロラン著『ジャン・クリストフ』。塀の中にいながら、郵送によるやりとりで『人を殺すとはどういうことか』(新潮社)、『夢の国』(朝日新聞出版)などを著す。

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『日本と韓国・北朝鮮 未解決問題の真実』
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『人を殺すとはどういうことか(文庫)』
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『私はなぜ刑務所を出ないのか』
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『人を殺すとはどういうことか(単行本)』
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