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『バブル 日本迷走の原点』
永野健二(ながの・けんじ)
新潮社1700円+税
2016年11月刊

バブル。

若い読者さんにとっては、メディアで知るだけの言葉かもしれませんね。厳密に言えば、バブルという語は、崩壊後の1991年後半につけられた呼称で、バブルの只中(ただなか)にあった時には、単に「好況・好景気」というような呼び方でした。

著者は、その大好況時に、日本経済新聞社の記者として、数多(あまた)の現場を見聞きしています。あの時代の異常な経済・社会の様相は取材をしていても興味深いものだったでしょう。

本書は、そのバブル時代を、明治から築かれてきた日本の社会と経済を土台に解きあかそうという試みになっています。従来の好景気・日本経済というのは、資本主義本来の持つ強欲さを抑制し、海外からの激しい資本と文化の流入を、日本流に受容するシステムでした。それがバブル時代になると、カネが至上の価値と多数の合意を得て、それに群がる人々の欲望も、一気に肥大したと言えます。カネは何かをするための手段という役割から、目的になってしまったのです。その象徴とも言えるのが、財務テクノロジー、すなわち財テクでした。要は投資です。

個人だけではなく、企業までが余剰(よじょう)資金以外に銀行から借金をして、株・土地・絵画などの美術品に投資していました。銀行も審査を大甘(おおあま)にして、どうしても自社の審査に通らなければ、系列のノンバンクに貸し出しさせ、自分たちはそのノンバンクに貸しては、儲けていました。

本書では、狂乱とも呼べるカネがカネを生み出す仕組が作られたプロセスを1970年代に遡(さかのぼ)って述べています。アメリカの外圧による円高政策、それに備えようとした日銀の超低金利政策、予想を覆(くつがえ)した企業競争力の向上などが一体となってバブルと化しました。その中で、不動産や株式市場の盛況ぶり、暗躍した人物の実相、政官財の行動など、現代につながる病理が垣間見られます。

バブルを扱った書は、いろいろ読んでいますが、本書は「手堅い」書でした。みなさんが、バブル時代の社会の現象(シーマ・お立ち台・ボディコン・ディスコ・OLの海外旅行・高価なクリスマス・ブランドファッション・業界人)を読みたいと思ったなら、本書はススメません。しかし、各業界と官庁(主に大蔵・日銀)がどのような動きをしたのか、という面を知りたければ好著です。奇を衒(てら)わず、正統を行く記述でした。

バブル時代は、日々、仕事とカネが次々に目の前に現われるというものでした。ファックスで土地の物件情報を送っている間に、何千万円、物件によっては何億円と値上がりして、自分で札を刷っているような気分にもなりました。

格好つけるのではありませんが、カネはただの記号・手段で、私が追ったのは業績という数字でした。自分が従事している分野で一番になる、どこまでできるか試すのだ、という思いしかなく、あとから入ってきたカネは、小さな頃から気前の良さは天下一品という父の言葉通り、パーッとばらまいていました。

あの何百分の1でも残ってたら、今は左団扇(うちわ)で奉仕活動もできたのに、バッカだなと自分を笑う時もあります。父の気性・考え通りに育ったので、どんなに儲かる案件でも、己の主義・信条に外(はず)れるもの・相手の時は、やらんと断れたことには今も満足しているのですが。あのように、国民の多くが、好況だ、イケイケだ、という好景気はもうなく、それなりの能力や努力をした人だけが、それを感じる時代となりました。

こうして、国民間に格差や分断が広がるのでしょうが、それを乗り越えるには、社会を適確に分析する視点が必要です。そのためにも堅実な書でした。

『人間は肉体ではないのだ。人間は精神によって人間と成っている』
(執行草舟『憧れの思想』)

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