日本の勝利は欧米列強にも大きな衝撃を与えました。まず、アメリカです。

 ルーズベルト大統領は、いずれ太平洋を挟んで日本とぶつかる日が来るであろうと、対日本戦の戦争作戦計画の立案を命じました。これを「オレンジ計画」と呼んでいます。大統領は日清戦争の賠償金で日本が急激に軍備を拡充して強国となったことを目(ま)のあたりにして、意図的にロシアからの賠償金をゼロとしたともされているのです。

 一番の不安は、スペインから譲られた(2000万ドルを払ったにせよ)フィリピンが日本に奪われるのではないかというものでした。日本にその気はなかったのですが、国の安全保障を預かるトップとしては、おかしなことではありません。そして、このあたりから、それまでの蜜月(みつげつ)だった日米関係が変化していったのです。カリフォルニアなど西海岸で日本人排斥(はいせい)運動が起こるのもこのあとでした。

 ヨーロッパの列強も日本に対する警戒心を強めます。やがて、黄色(おうしょく)人種が白人を席巻してしまうのではないかという『黄禍論(おうかろん)』がドイツのウィルヘルム2世によって唱(とな)えられることもありました。列強国の軍人の間では、日露の両国の軍隊をプロの目で見て、日本が勝つぞという声も多く、それらの国は一層、軍備に力を入れています。

ただ、公正をモットーとする美達なので言い添えておくのですが、日本が勝ったのは日本兵と将校(この時の将校は、まだまともで優れていました)の優秀さ以外に、日英同盟の力が大きく貢献しています。まず、戦争直前に最新鋭の軍艦2隻をロシアより先に日本が買えるように根回ししてくれましたが、この2隻が大活躍して勝利の一因となりました。

また、脅威とされた『バルチック艦隊』が日本海に来るまでに、イギリスは中立を装いながら、さまざまないやがらせをしています。最大のケースは、軍艦の燃料である「良質」な石炭を日本に優先して売るように手配し、イギリスの友好国や植民地の全面協力を取り付けてくれました。この石炭の質は重要なんです。

ガソリンのオクタン価と同じく、エンジン出力を上げてスピードが出るようになります。大東亜戦争前に、アメリカがハイオクタン価の航空機燃料を日本に禁輸にしましたが、日本ではハイオクの燃料を作る技術も装置(これも禁輸にされたので)もありませんでした。そのため低オクタン価の燃料で戦闘機を運用するしかなく、これは決定的に不利になりました。

 戦後、アメリカが日本に進駐してきて、彼らのハイオク燃料を名機ゼロ戦に注油したところ、なんとエンジン出力が20%以上も向上して、アメリカの戦闘機の性能を圧倒したそうです。私は低オクタン燃料で必死に祖国のために戦って力尽きた幾万の兵を思って胸が熱くなりました。せめて、互角の燃料で戦わせてあげたかったと、従容(しょうよう)として時代の波に呑(の)み込まれることをよしとした先人たちの冥福を祈った次第です。みなさんも、そのことを想像してみてください。

 日露に戻りますが、イギリスはバルチック艦隊を追うように海軍の艦隊を張りつけ、行く先々のバルチック艦隊が寄港する港でも、石炭や食糧を先に買い占(し)めたり、いやがらせをして弱体化を図ってくれたのです。ロシアの友好国、同盟国をも牽制(けんせい)して日本に不利益なことがないように配慮もしてくれました。

 おかげでロシアの同盟国のフランスは傍観しているしかありませんでした。こうしたことがあって日本は勝って、その後の歴史を刻んだのです。

『災難にあう時節は災難にあうがよく候(そうろう)。死ぬ時節には死ぬがよく候』
(良寛 。りょうかん)