被疑者にしても、情に絡めてくることは承知しているのですが、いつの間にか取り込まれてしまいます。気付いた時には、「この人なら自供してもいい」となって供述し始めます。刑事は、だからと言って態度を変えません。「おまえも胸がいっぱいだろうから急いで話さなくてもいい。気持ちの整理も必要じゃないのか」と言いつつ、その日に一気に自供させるのが普通です。自供が終われば「楽になっただろう。人生は、いくらでもやり直しができる」などとフォローに務めます。

 ここのポイントは、被疑者が「喋らされた」と考えないように、あくまで刑事との信頼関係という「情」によって「自分から話したのだ」と感じさせることでした。ここは一流セールスと同じです。
しかし、被疑者からすれば、自供は一つのカタルシスで、実際に心は楽になります。ただ、証拠が薄く、本人の自供さえなければ裁判で灰色無罪の可能性が高いケースが多いのです。ここは日本人の誠実さ、嘘をつくことへの罪悪感が出ています。

 同じ供述でも最もしぶとく、呆れるような嘘をついたり、弁解したりして否認するのは中国人と、取り調べの通訳を長く務めた人が本に書いていましたが、日本人は正直で落とし易い民族です。それが人の道でしょう。たとえば、昔の左翼の被疑者に多かった「完全黙秘の場合は、情に絡めることができません。完黙というのは事件のことだけではなく、世間話にも応じないということです。氏名すら言わないのが多いのです。これは腕の見せどころとなります。腕と言っても私の父のように即ボコッといくのではありません。

 相手が返事をしなくても、刑事が相手の生育歴から、さまざまな方面に話を振っていって、反応を見ながら、「ツボ」を絞り込みます。併行して被疑者の家族知人を突きとめ、そちらから攻めていくのです。「おまえさんのおふくろさんが、正直に話して早く帰って来いと言ってたぞ」とか親からの手紙を読みきかせたり、恋人関係からの話をしたり、重ねていきます。被害者や殺人ならば、ご遺族の悲惨さを語り、早く仏さんを成仏させてやってくれ」などと泣き落としもあります。殺人事件で否認を通していると、刑事が数珠を手にして「早く遺体の居場所を教えて仏さんを成仏させてやってくれ」などと、しんみりと「語りかける」のです。これは私のケースではありません。

 私の幼少時からのニックネームは、当ブログ内の連載「仕事について」にもありますが、一部の拙著にもあるように「どうしてちゃん」、少し成長したあとは、「なんでよ君」です。質問魔で父が、いつも、うんざりしていたほどでした。目の前には警部補刑事が2人で、両人共、刑事道30年以上のベテランです。質問しないはずがありません。しかし、私の取り調べもあるので、質問時間を捻出するために工夫していました。否認はしていないので、事件について毎日、自分で供述書のひな型を書いてくるのです。それを毎朝、両刑事が読んで不足部分を足して、一人の刑事が正式な調書に書き写します。

 すると、もう一人は、あくわけで、そこで私が刑事に取り調べをするのです。両刑事は「こいつは楽で助かる」「なるほど、こんな文章でいいのか」などと喜んでいました。逆に「明日はこの部分について作ってきてくれないか」と概要を打ち合わせし、私の取り調べは1時間で終わり、あとは両刑事の若い頃からの「仕事」の話ばかり尋問していたのです。服役後は「被疑者側」にも尋問を重ねてきました。そんなわけで、刑事の手口については、さまざまなケース・犯罪を供述してもらっています。

 話は戻るのですが、左翼の活動家が「完黙」を通す中、いろいろな落とし方があるのですが、相手を最もむきにさせた例は何だったと思いますか。

『今から一年も経てば、私の現在の悩みなど、およそ下らないものに見えるだろう』
(サミュエル・ジョンソン イギリス 詩人)