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『人殺しの息子と呼ばれて』
張江泰之
角川書店
1500円+税
2018年7月刊

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本書は2002年3月に発覚し、世間を震撼(しんかん)させた北九州連続監禁殺人事件の首謀者夫婦の息子の人生がテーマです。

この事件は主犯の松永太(まつなが・ふとし)が従犯の妻の家族を虐待と洗脳によって支配し、7人を殺害したという事件でした(事件については『消された一家 北九州・連続監禁殺人事件』(新潮文庫)があります)。

松永は2011年12月、最高裁で死刑が確定し、従犯の妻は2007年9月に無期懲役刑が確定しています。事件当時、8歳だった長男は2017年に24歳になっていましたが、2017年にフジTVの『追跡!平成オンナの大事件』で母のことが報じられ、それについて抗議の電話をしたのがきっかけとなり、チーフプロデューサーの若者との10時間のインタビュー、放映となりました。

この息子も父の松永から体に電気を通される暴行を毎日のように受けて育っています。初めの放映により、ネット上では人殺しの息子など生きている価値がないなどの非難が起こっていたことについての抗議でしたが、人殺しは父親で、本人は何の関係もないのに、このようなことをする匿名の輩(やから)に呆(あき)れました。

本書では、事件発覚後、親族がいないため、各施設をたらい回しにされた息子の人生の軌跡が綴られています。この息子、戸籍がありませんでした。生まれたのに届け出が、なされていなかったのです。小学校へも、とくに通わせてもらえず、普通の子より遅れての授業でした。

中学校に入り、里親制度によって、里親のもとで育てられます。しかし、その里親と合わずに家出をして、料理屋に住み込みで入るものの続かず、以後、転々と職を変えるようになりました。高校は定時制に行きますが、自主退学しています。その後も、なかなか定職に収まるとまではなりませんが、成人前後から、やっと安定し始めました。

彼の場合、自分の知らないところで、親が殺人を犯していたというのではなく、その現場にずっといたわけです。死体の処理まで手伝わされていました。8歳9歳の我が子にさせるというのは、親として常軌を逸していますが、松永という男は異常人格者です。そのため、この息子の心には、常に申し訳ないなという思いが、ありました。それにつき彼は、それをこの15年間ずっと逃げて隠してごましかして、生きてきたんです、と語っています。

そして、「自分みたいな奴がこれからどうして生きていくんかなってなったときに、もう生きて生きて、生き続けて、自分しかできんことを多くの人にしてあげる。そんな自分になっていくっていうのが、大げさですけど、生まれてきた意味じゃないんかなあって」とも語るのです。

私が思うのは、子どもの時に手伝ったのは、そうしないと自分も同じようにされるからであり、抵抗する手段を持っていない以上、不可抗力であり、法的にも緊急避難で法的にも道義的にも全く責任はありません。それでも、当人にとっては、背負いこむものがありました。私は自身もそうですが、あのエキセントリックな父も殺人を犯しています。それを知った時、特にショックもないどころか、オヤジならどんなとこだ、と妙に納得していました。

今思うと、ここが普通の家庭と違うところで、暴力的な父の周りで育ったので、いろいろな話を聞いたり、目の前で起こったことを見たりしていたので、心は全く動きませんでした。逆に言うと、私の息子が20歳になった時に私の事件を知らされ、僕の父さんは普通の人がよかった、と言ったと聞かされ、それが普通の人の反応だろうと得心したものです。

社会の常識、感覚では自分の親が人殺しと聞けば、子は大きなショックを受ける、ということを知識・論理として知っていましたが、情緒・情動としては、父の件で体験していたので、それで心情的に人生が左右されるのは、本人次第と考えていたのです(経済・家庭など、さまざまな面での影響は否定しませんが)。

私のことを知った息子がどうしても会いたいと面会に来た時、親が殺人犯であること、まともな親でなかったこと、育てることができなかったことに対して謝罪しましたが、この後の人生は息子の気持ちがしっかりしていれば大丈夫とも信じていました。私は当事者でしたが、それを理由に人生の道を誤る程度なら、仮に私が殺人犯でなくても、息子は、ちょっとのことで道を誤り、それを他のせいにするであろうと考えていたからです。

私も父の件を知った時に、自分の人生が、それで変わることなど微塵も考えませんでした。ただ、本書の息子の場合は、次々と親が人を殺す現場にいて、死体の処理まで手伝わされていたので、子ども心に大変な衝撃だったはずで、その点、悲惨な経験と言えます。本書では、彼が父と母に面会に行くシーンもありますが、父の方は本当にクズでした。その点で非常に気の毒で、何とかそれを反面教師にして、自身が己を肯定できる人生にして欲しいと願っています。

私自身は息子に対して、自分で育ててやれなかったことにつき、大きな悔いがあり、己の愚かさを呪(のろ)ったのでした。あの超のつくワンマンの父といたので、自分が育てる時は息子に対して、こうしてやろう、ああしてやろうなどと、理想の父親像があったからです。

被害者と遺族がもう会えないのに、自分だけ息子に会うわけにはいかないと(私のエゴだと知っていますが)、息子とは以来会っていませんし、連絡も互いにしていません。最初で最後の面会で、それを伝えながら、息子がまともに生きていけると確信していたのです。しかし、世の中には殺人犯の親のことを赦さず、憎むという子どもがいること、それがおかしなことではないと知ってもいました。この点では息子に申し訳ないことをしたと痛恨の極みです。本書は、そんなことをあれこれ考えながら読了しました。

本書の息子には正しく楽しい人生をすごして欲しいです。


『人生とは不合理の極(きわ)みを生き切ることです。これが生命の哲理から導き出される人生哲学なのです。不合理を受けいれることが、人間の生命を躍動させている』
(執行草舟、『根源へ』より)

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