青島幸男(タレント)当時13歳・東京日本橋 父親が旅館を開業 中学1年
私の家はもともと弁当屋をやっていたが、強制疎開で壊されたので終戦後1ヶ月、近くの病院を改装して旅館をつくった。父が旅館業をすれば少なくとも一家が食うに困らないという計算をしたらしい。父は木場で材木を、ブリキを闇市で買って、自分で旅館にした。
でも旅館なんかやったことはない。宿泊付きの弁当屋だと思えば間違いないだろうと考えたらしい。そんないい加減な人たちばかりでやっていけるかと思ったが、他に旅館はあまりなかったので、寝床なんかなくてもとにかく泊めてくれという人で満杯。7、8部屋しかなかった旅館に40人以上泊めた。
とにかく日本橋界隈にいなくては商売にならないと、旅館でお互いに持ち寄った品物をその場で売り買いして、そのまま帰る人もいた。
中にはなんだかよくわからない刺青の先生なんていうのも住んだりしていた。これが面白かった。
「メチルアルコール中毒」なんていうのが盛んに出た頃だった。その先生が、ある日突然メチルアルコール中毒で死んで、大騒ぎになった。あれこれといろんなことがあったが、女房子供を養って、女中たちと一緒に営業を繁盛に導いていったんだから、親父、おふくろは苦労したと思う。(抜粋)