歴史学概論講義の実況中継

大学教養科目「歴史学」講義。いわゆる歴史学概論の内容です。
講義でお話する内容に従って、余談も含めて書き留めていきます。
できるだけライブ感が出せるようにやってみます。

思想史というのは文字どおり思想の歴史ですが、歴史的な思想の流れを説明するために必要なものなら何でも読むというのが、その唯一の方法と言っていいでしょう。

ただ、これは思想家一人を綿密に研究している哲学者の読むものと大きな違いがないので、結局のところ、思想の展開を歴史的に説明する意図があるかどうかが、哲学研究と哲学史、思想史研究の違いということになりそうです。

したがって、実際には優れた哲学研究者が哲学史や思想史の名著を出すことも少なくありません。

ハイデガー研究で有名な木田元の『マッハとニーチェ―世紀転換期思想史』(新書館)や『私の哲学入門』(新書館/講談社学術文庫)は一度読み始めたらやめられないくらい面白い思想史の名著です。

それにしても、こういう本がどうして書けるのかなというと、木田元の場合は、彼自身が『闇屋になりそこねた哲学者』(ちくま文庫)等の自伝的著作で述べているように、ハイデガーの思想を理解するために、その著作はもとより、講義録、日記、手紙、蔵書への書き込みなどを徹底的に読み込み、それと同時に、ハイデガーに影響を与えた思想家たちの著作も系統的に読み解いて行ったからです。

ハイデガーに影響を与えた思想家の系譜をプラトン、アリストテレスにまでさかのぼって読み解くということは、それがそのまま思想史的理解になるわけです。

そもそもハイデガーの思想自体が古代ギリシア哲学にまでさかのぼって、西洋哲学の根本問題を考え治そうとする性質のものなので、ハイデガーにとことん付き合おうとしたら、おのずと思想史的にならざるをえません。

この点で木田元の『私の哲学入門』は網羅的で退屈な教科書風思想史ではなくて、ハイデガーの思想読解という情熱の柱が一本通った類例のない思想史になっています。

ちなみに、ここまで忠実にハイデガーの思想を読み込んだ人は世界広しといえども木田元だけではないかと思います。ハイデガーを読みたい一心で哲学を志し、ハイデガー関連の文献を読むために英独仏語にギリシャ語、ラテン語を習得し、原典を自在に読みこなした人ですから、だれでも真似できることではありませんが、その学問への情熱との真摯な姿勢には敬服しないではいられません。

私自身の思想史の仕事など、比べることすらおこがましいほどちっぽけなものですが、それでも木田元の情熱と努力に少しでもあやかりたいと思っています。

先に「必要なものなら何でも読む」のが思想史の基本だと言いましたが、この必要なものを探しにハンガリーに行って、国会図書館の特別室まで案内してもらったことがあります。

そこではふだん通ることのできないところを案内されて、当時研究していたショムロー・ボードグの法学関連の蔵書の一部を見せてもらいました。ショムローは蔵書にはあまり書き込みをするタイプではなかったので、いちいち書き写すほどのことはありませんでしたが、蔵書を見るだけでもショムローの頭の中の様子がうかがわれるようで、貴重な経験ができました。

そのときはすでにショムローの日記を別の図書館の手稿資料室で読んでいましたので、日記に出てくる本が実際にあることを確認するだけでもショムローを身近に感じることができました。ああ、あれがこれで、これがあれか、という確認だけなんですけど。

と、まあ、そんなことをする一方で、思想の流れをたどっていかなければ思想史にはならないので、カントはこれ、デカルトはこれとそれぞれに自分なりに一言で言えるようなまとめ方をしておく必要があります。これを鮮やかにやる人は、一人の思想にこだわってもたもたしているように見える哲学プロパーからは不評を買ったりします。

歴史にまとめてしまえば何でも言えると思ってるんだから、と、ある鼎談で生松敬三に哲学者の誰かが冗談半分で言っていたのを読んだことがあります。

他方で各時代の哲学者もそれぞれ先人の著作を読み込みながら、自身の思想を練り上げてきた人がほとんどですので、明らかに継承されている問題意識というものもあります。神、人間、創造、理性、真善美といった問題とそのアプローチの仕方は影響を受けた思想家を理解し、乗り越えようとする試みの中で突破口が開けるとともに、また新たな問題に突き当たるというところがあります。

それでいて、科学のように常に先へ先へと行くかと思ったら、案外そうではなくて、行き詰まったかと思ったら、プラトンやアリストテレスの問題圏をぐるぐる回っていたというようなことも珍しくはありません。

それで結局思想史の方法とは、いろいろなものを読むこと、それも古代ギリシアの先哲までさかのぼり、あるいは特に日本人にあるように宗教的文化的背景をを排除せずに考慮に入れながら、読み解いていくということになります。

その際に、ときにはそれぞれの思想家について大胆なまとめを行うことと、そこで思想家間に受け継がれてきた問題を時系列的に描き出すことが必要となってきます。

まあ、これがうまくいっているかどうかは、作品としてどういう思想史ができてくるかで判断されるしかないのですが、先に挙げた木田元の本は是非ともおすすめしておきます。

ルネサンスも宗教改革も現れ方はずいぶん異なっていますが、個人の自由を追求したという点では共通しています。そして、個人の自由を追求することは、当然ながら政治的自由の追求につながっていくことになります。歴史は、教皇や国王ではなくふつうの人びとが主人公となる世の中へと向かって進んでいきます。いわゆる近代市民社会への道です。
 
中世の封建制社会から絶対王権の国家が成立して行くときまでは、王権は神によって授けられたという理由で絶対でした(王権神授説ですが)。その後、自由を求める市民階級が政治の主役になろうとする動きの中で、王の権威はそれまでの力を失っていくことになります。

もちろんこのことの背後には神の権威がそれまでの力を保てなくなったという事情があるわけです。

この動きの中で、市民革命発祥の地イギリスでは17世紀に王権を制限することから始まり、1688年の名誉革命で一連の市民革命に片が付きます。

イギリスはこの市民革命によってローマ教会の支配下から完全に脱し、国家的エゴイズムを十分に発揮できる国民国家の体制を、世界に先駆けて達成することができました。

その結果、イギリスは世界中に植民地を設け、その果実を享受することができるようになりました。そして、そのイギリスを密かに羨望のまなざしで見ていたのが、ドーバー海峡を挟んだ対岸にあるフランスです。

フランスは当時太陽王ルイ14世の絶対王政期で、人口の2%程度にすぎない聖職者と貴族が様々な特権と富を独占していました。そのためフランスでは市民革命が起こるのも1789年と、イギリスに後れをとること100年、それもきわめて膨大な犠牲を払わなければならなりませんでした。

このフランス革命の実態はまず何よりも同国人同士の凄惨な殺し合いです。死者は1789年の革命当時で60万人、その後1814年の王政復古までの間に200万人に上るとも言われています。

さらにその混乱の中からほどなくナポレオンという「皇帝」が出て来てヨーロッパを荒らし回ることになりますが、そのナポレオン戦争(1803-1815)でも膨大な数のフランス人が命を落とすことになります。この1789年から1815年までの期間のフランス人の死者は通算で490万人に上るという説もあります。

というわけですから、フランス革命では王と王妃を断頭台にかけたにもかかわらず、その後およそ民主主義とは程遠い皇帝が登場するという予想外の事態に至ったようにも見えます。

しかし、フランス革命には、実はそれまでの市民革命とは異なる決定的に新しい政治思想があります。それが民族と言語と国家が一つになった国民国家モデルです。

ちなみに、フランス革命当時の標語として「自由」「平等」「博愛」というものがよく知られていますが、実はこの中の「博愛」がかなりのくせものです。これはぼんやりと広い人類愛のことのように思われるかもしれませんが、実はフランス国民限定の同胞愛というか、排他的な仲間意識のようなものなのです。そしてそこではフランス国民とは、フランス語を話す、それも美しいフランス語を話す民族でなければならないのです。

さて、こうしてフランス市民革命によりはじめて一民族=一国民=一国家という国民国家の範型が、それを統合するための共通言語=国民言語とともに世界に示されました。フランス革命当時のフランス全土で「人権宣言」を理解できたのは人口の3分の1程度にすぎなかったと言われています。それがフランス学士院を中心にした言語政策=言語改革運動により、共通語としての「美しいフランス語」が確立されていくことになるわけです。

実際、フランス人というのはパリ特有の洒落た言い回ししか正統フランス語と認めないところがあり、同じフランス語圏のスイスやベルギー、カナダの微妙に癖のあるフランス語はおもいっきり差別し、物笑いの種にします。他方で、外国人でも流暢なフランス語を話したとたんに人品知性共に8割増しくらいに高い評価を与えるところもあります。フランス人自身がフランス語(と知性や教養)についてはかなり屈折した感情をもっているように見えます。

それはさておき、この国民国家の思想はフランス以東の四大軍事帝国オーストリア、プロイセン、ロシアそしてオスマン・トルコに波及します。この地域は19世紀に入っても市民革命どころの話ではない軍事帝国で、市民革命の露払いをしたフランス啓蒙思想なども専制君主自らが近代化を押し進めようとする中で「上から」もたらされたくらいでした。

したがって、この地域において圧政下で民族独立の運動を、民族形成のそれとともに進めていた諸民族の中には、ナポレオンによる民族解放闘争への呼びかけを歓迎したところも少なからずありました。

もうかれこれ30年ほど前のことになりますが、セルビアの首都ベオグラードを訪れたとき、街の中心の広場に馬に乗ったナポレオンの銅像があるのを見て、「こんなところにナポレオンが?」と、不思議な気がしたものでしたが、当時のセルビア人たちにとって、ナポレオンは民族独立の頼もしい助っ人だったわけです。

1848年革命が中・東欧全土で勃発したのも、こうした思想の影響下での出来事でした。この革命自体は失敗に終わりましたが、今日の中・東欧諸国の歴史上極めて重要な位置づけがなされています。もっとも、実際にこれらの諸民族が独立したのは1920年のトリアノン条約以後ということになります。

20世紀に入ると、ロマン主義や啓蒙主義から発した市民革命の思想は、マルクスからレーニンを経て社会主義国家の成立という形で実現します。このときまで常に西から発していたイデオロギーの流れは、ソビエト連邦の成立と共産主義者による世界同時革命思想の登場により、ここで一転して東から西へと流れるようになります。第二次世界大戦後、中・東欧諸国の多くがソ連の衛星国として社会主義陣営に組み入れられることになります。 

しかし、フランス革命のときに生まれた民族と国民国家の思想は今日もなお健在であり、民族差別や民族紛争をもたらす要因の一つになっています。



【参考文献】
拙著『人と人びと―規範の社会学』(2003年いしずえ)pp.150.
拙著『人と人びと』(2012年ふくろう出版)pp.59.

ヨーロッパ近代を形成したルネサンスと宗教改革がそれぞれヘレニズムとヘブライズムの流れをくむものだという見方をすると、いろいろな歴史的出来事の思想的なつながりが感じられて、なかなか興味深いものがあります。

地理的にもこれをアルプス山脈の北と南で分けてみると、北の理性優位に対して、南の感性優位の知性のあり方が見えてきて、これまた興味深いです。中村雄二郎先生はこのことを「北型の知」に対する「南型の知」として強調されていました。

さて、そのルネサンスの方ですが、「再生」という言葉の意味通りに、ギリシア・ローマ時代の文学芸術の復活・再生を意図しているわけですが、教科書的には中世の宗教的束縛から人間精神を解放し、個人の自由を称揚したということになっています。

確かにルネサンスの天才たちは宗教的制約を脱し、個人の才能を可能な限り発揮したように見えます。中世キリスト教の力が落ちてきて、人びとが神が信じられなくなりつつあるこの時代に、神様の代わりに崇拝の対象となってきたものの一つが個人というものでした。具体的には個人の中に神のごとき創造性すなわち「天才」を見出すことがきっかけとなって登場する「人間中心主義」すなわちヒューマニズムです。

ここに西洋近代文化の一つの柱がたつことになります。

さて、ヒューマニズムは古代ギリシアの自由を理想とするという点でギリシアに返ろうとしたわけですが、宗教改革はローマ教会に対する真正面からの批判を試みる中で、神への信仰の純粋さを求めてヘブライズムの源泉である「聖書に返れ」ということになります。

ルターは当時の堕落したローマ教会によるのではなく、個人が直接聖書に接して神の言葉を学ぶことでしか救われないと言います。教会の権威によらずに個人の「信仰によってのみ」救われるというわけです。

そして、この思想が個人の内面の尊重や思想の自由という概念を生み出していきます。詩人のハイネはこのことを「人間の理性に聖書を説明する権利が認められるようになった」(『ドイツ古典哲学の本質』伊東勉訳岩波文庫71頁)ととらえていますが、言い得て妙です。

さらに、ルターにはもう一つ重要な思想があります。それはルターが「隣人愛を根拠に国家権力を基礎づけた」(橋爪大三郎『世界がわかる宗教社会学入門』91頁)ことです。ルターによれば隣人愛のために剣を用い、剣に訴えて悪の防止と善の擁護をなすべしということになります(ルター『現世の主権について』岩波文庫48頁)。

これは今日のわれわれの目から見ると、宗教人にあるまじき露骨な暴力肯定のようにも見えますが、実はルターのこの理屈が、それまで単なる復讐法でしかなかった中世の刑罰体系の中にいた封建領主や貴族たちから、剣=暴力を取り上げ、それを国家に集中させることになりました。すなわちこのルターの思想こそが近代国家における法の支配のきっかけを作ることになったのでした。

では、ここからは歴史を大きな流れとして見ていくためのいくつかのポイントを見ていくことにしますが、その一つがヘブライズムとヘレニズムという視点です。

すでにヘブライズムについては、その始まりの聖書的世界観についてある程度述べてきました。いわゆるユダヤ・キリスト教的文化の流れが、4世紀末にキリスト教が国教となることでローマ帝国全土に広がっていくわけです。

そのローマ帝国はキリスト教を受け入れる前はギリシア文化を継承していたわけですが、そのギリシア・ローマ文化をヘレニズムと呼びます。ヘレニズムはその神話的世界観からわかるように多神教で、美意識に優れた快楽主義的傾向があります。ヘブライズムの律法遵守の厳格なイメージとは正反対の性質を持っています。

ローマ帝国でキリスト教が受け容れられたということは、このヘレニズム文化にヘブライズムが割って入ったということです。これは快楽主義に禁欲主義が入ってきたわけで、その性質からすると、いわば水と油を一つにしたような話だったわけです。

このときキリスト教が国教になり、強大な宗教国家が誕生したことで、地上の権力もあの世の権力(精神的な支配)もすべてローマ教会が一手に引き受けることになります。

こうしてみるとヘレニズムに対して禁欲的な戒律を打ち立てるヘブライズムが完全な勝利をおさめたように見えますが、ヘレニズムは死に絶えたわけではありませんでした。というか、もともと人間の欲望を戒律で抑えようと思ってもそううまくいくものではありません。

いわゆる「暗黒の中世」が息苦しいほど戒律一辺倒の世界だったというのは、後世に作り上げられた絵空事に過ぎず、中世研究が進むに連れ、中世の人びとののんびりした生活様式が浮かび上がってきているのが、近年の歴史学の成果でもあります。

それはそうと、さすがに1000年も過ぎると強大なローマ帝国の権力と教会の権威にも次第に翳りが見え始めます。すると、それまで押さえつけられてきたヘレニズムの動きもまたにわかに活発になってきます。

その動きのひとつがルネサンスです。これはヘレニズムの再興と見ることができるでしょう。ちなみに、堕落した教会への抗議と改革のほうは宗教改革ですが、こちらの方はヘブライズムの再興と見ることができます。

レジュメの少問題に、「〇〇史」ということで思い浮かぶ歴史学の分野にはどんなものがありますか、というのがありますが、どこかで目にしたり、耳にした言葉を書いてみてください。

そうですね。政治史、思想史、法制史、文化史、美術史、建築史、音楽史、芸能史、地域史、郷土史、戦史等々、なんだかいくらでも出てくる感じです。

この講義で皆さんが「〇〇の歴史」を調べて、まとめてもらうときにも、さすがに「日本の歴史」とか「世界の歴史」というタイトルにはならないことでしょう。

論じるテーマは自ずと絞られて、たとえば「ハイヒールの歴史」とか「ハンバーガーの歴史」といった感じの、かなり限られたものを扱うことになるはずです。

分量としては30分程度で書ける長さで結構です。もちろんあらかじめ原稿を準備してきてもらって構いません。試験ではありませんが、その場で書いて提出してもらいます。

この講義では文科省の意向を先取りして、試験が終わったあとに答案返却と「振り返り」という時間が全体の16回目の講義ということで1回分設定されています。こういうきめ細かな指導は皆さんにとっても喜ばしいことだと確信している次第ですが、その16回目のときに、この小レポート「〇〇の歴史」を作成してもらおうと思っています。

以前はこれをそのままテスト問題にしたこともありましたが、今回の期末試験はこれとは別に行います。問題は〈歴史が真実に近づくために留意すべき点〉を三点挙げてそれぞれを簡潔に論じるというものです。この三点というのは皆さんがそれぞれに重要だと思うポイントを挙げてください。正解を決めているわけではありません。

問題の立て方、先行研究の調査、史料の収集や読解、史料批判、学説の提示、表現方法、学説の批判的検討等々に、一体どのような態度で臨めば、歴史の真実にいっそう近づくことができるかということを考えてきてください。

さあ、どうしましょう。

これは実際に最終回の「〇〇の歴史」の資料を集めたり、実際に書いてみたりしながら考えるといいと思います。何事も実践する中で学ぶことが、一番効果的です。したがって、その意味でも、まだテーマを決めていない人は早く決めて、すぐに調べて、まとめ始めてください。

もともと、歴史学概論を教えるというのは、教える側にもかなりもどかしいものがあります。概論自体は歴史とは何かという歴史認識論と客観的、実証的な学問研究の方法論が主な内容なのですが、それだけを講義形式で論じるのは、まさしく畳の上の水練みたいなものです。

講義を受ける皆さんもまた、歴史研究を志す学生でもない限り、史学概論の内容がすんなりと頭に入ってくることはないだろうと思われますので、ここからは、私も学生のみなさんと一緒に自分も水に入って泳いでみることにしました。

つまり、すでに皆さんが書いた「自分史」とこれから書いてもらう「〇〇の歴史」というのは、実はみなさんにも水に入ってもらうということを意味していたわけです。

また、卒業論文ではおそらくその序章でテーマに関する歴史に触れることが少なからずあると思いますが、そのときにここで得られた知識が多少は役に立ってくれたら幸いです。そこで少しでも自分で泳げるようになっていたら、もう何の問題もありません。

さて、私自身は思想史が守備範囲ですので、ここからは概論としてではなく、以前からお話してきた思想史を述べていきます。西洋哲学史・西洋政治思想史と日本思想史の中から、私なりに得られた視点をかいつまんでお話していくことにします。

というわけで、今回の講義はここまでにします。

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