歴史学概論講義の実況中継

大学教養科目「歴史学」講義。いわゆる歴史学概論の内容です。
講義でお話する内容に従って、余談も含めて書き留めていきます。
できるだけライブ感が出せるようにやってみます。

ところで、私が学校秀才以外の人にこそ期待しているというのは、決して冗談でも何でもありません。秀才の中でもとりわけ学校秀才がしばしば創造性と無縁だからということもありますが(もちろん学校の勉強でも天才的にできてしまう人間は別です)、今までいろいろなところで教えてきた経験上、創造性は学力レベルでは測れないといいうことがわかっているからです。

たとえば「毛布とレンガを使ってできることを思いつく限りたくさん挙げよ」というような、教科書に答えがなく、ある種のひらめきを要求される問題では、底辺校と言われるところから天下の秀才が集まるところまで、たくさんのそれもユニークな答えを出すことのできる学生の割合はどこの学校でもクラスの2〜3%ほどです。

枠にとらわれない発想を試すようなクイズでも、正解者はおよそ同じくらいで、しかも、これがいつも同じ人間であるとは限りません。あるとき、その集団の誰かに神が降りてくるという感じに近いものがあります。

また、見るからに頭のよさそうな人にアイデアが湧いてくるというわけではまったくありません。しかし、40〜50人位の人が集まれば、必ずその内の一人くらいには妙案が浮かぶから不思議です。

人間社会の発展も、社会の様々な場所で創意工夫が繰り広げられてきたことによって成し遂げられてきたわけで、技術は日々進歩し、生活世界はここまで便利になってきました。しかしそれはあくまで国家主導ではなく、民間の名も無き人々の創意工夫の集積によるものだということを、高度経済成長以来技術革新の進んだわが国で、人びとは身を持って経験してきました。

学力だけで切り分けて、その上のグループだけに創意工夫の能力があるというのが誤った考えであることは、少なくとも日本の場合、実情からかけ離れていることが多くの人々に認められていると言っていいのではないでしょうか。

そして、こうした創造性が世の中の様々な場所で、多様な人々によって発揮されるようになることこそが、今後のわれわれ暮らす世の中を自由闊達な場所にしていくための重要な鍵だと思います。技術といえば製品開発技術だけを思い浮かべるのではなく、制度や組織を運営し、管理していく技術にも思いを馳せる必要があります。

この社会技術的な面については、これまでの歴史や今日の政治的状況の制約が大きいため、その創造性の発揮についてはまだまだ開拓の余地があります。われわれには自分たちの済む社会を自分たちで作り上げていくという意識が希薄で、江戸時代以来、民はおとなしくお侍の言うことを聞いておけばいいというメンタリティが染み付いたままですから。

昔から人びとの創造性の解放と相性が悪いのはこうしたお侍さんたち、つまり今日では官僚と呼ばれる人びとだと相場が決まっています。それは取りも直さず、彼ら自身が創造性など発揮してはいけない場所にいるからです。

もちろん、本来ならば国の中枢でわが国の舵取りをする際に彼らの創造性が発揮されるべきところなのですが、そこに学校秀才の創造性とは無縁の人びとが集まってくるのだとしたら、本来なら大問題なはずです。しかし、幸か不幸か第二次大戦後のわが国には、そういう人材は必要とされてきませんでした。

というのも、そこでは学校秀才のまま無事にエリート官僚になった人たちが、アメリカ政府の年次改革要望書を元にわが国の政策案を作るといった、いわば生徒としての仕事を忠実に実行してくれてきたからです。これは創造性を問題にされない学校秀才にとっては願ったりかなったりのお仕事でした。

しかし、これから様々な社会的価値が大きく変化し、かつてのような安定した状態が期待できなくなっていく中で、客観的に見て、いつまでもこのままの状態でいいとは、おそらく当の官僚自身も思ってはいないと思います。

というわけで、今後ますます普通の人びとが社会の様々な場所で、自身の内に潜む創造性を解き放つことが重要になってくることでしょう。

このテーマについては本年5月に刊行した拙著『間違いの効用―創造的な社会へ向けて』(ふくろう出版)をお読みいただけたら幸いです。

史料批判の理路が納得でき、自分でもきっちりできるようなら、もはや何をどうやってもトンデモ説になることはありません。これで少なくとも歴史学としての必要条件はほぼ充たしています。他に歴史学概論としての注文があるとすれば、ほとんど形式的・技術的なことだけでしょう。

あとは自分で資料を調べてトピックにまとめるということですが、これがまあ、一番大変であることは確かです。こちらは必要条件に対して、十分条件として知への情熱ということが挙げられます。

なお、史料批判はもとより、歴史に対する批評眼を高めるのはもちろん大切なことですが、そこで肝心の創造力が失われてしまっては元も子もありません。

実際、他人の批判はできても、いざ自分で書くとなると、何もできなくなるということは研究者の世界ではしばしばあります。

一般に人は何が見えないと言って、自分のことが一番見えないものですが、他人への矛先をひとたび自分に向けてしまうと、「お前に言われたくない」という言葉を恐れて、何も書けなくなってしまうことが起こってきます。

アホバカマヌケ大学紀要ではありませんが、そんなものでも書けているうちは、人から何と言われようと、当人の心持ちは健やかでいられます。

もちろん、世間に出回っている大学教授批判にあるとおり、社会的地位と権威にあぐらをかいて本当に不勉強な人もありますが、毎日朝から晩まで研究に没頭し、研究資料を読みあさりながら、見るべき業績がほとんどなく、過去5年に一本の論文もないなどというのは全国の大学にざらにあります。

ところが、こういう人が研究会や学会に出てくると、他の研究者の批判だけは滅法鋭く、相手によっては面と向かって驚くほど汚い言葉遣いで罵ったりします。

もっとも、これは文科系大学教員の話に限りますが、これこれの大家の必読文献を読んでいないとか、読んでいても読みが甘い、読めてない、理解がなっていない、もっと勉強しろ(俺様みたいに)といったものがほとんどです。

横のもの(外国語文献)を縦(日本語、それも拙劣な)にすることだけを仕事と思っている人は特にそういうことを言います。が、そういう人に限って、同じものを読んでいても同じ解釈になるわけではないということが理解できません。

これは、問題というものには常に受験参考書のように一つの正解があってその根拠はすべて外国語文献にあると考える学校秀才的思考なのだと考えれば納得がいきます。

学校秀才というのは学校という制度内で可能な限り効率的に勉強してきた人なので、その発送は極めて凡庸で、制度の枠内を出ることができません。常に先生に褒められていなければ安心でないのかもしれません。

この点では幸か不幸か秀才でない人はタフです。先生に褒められないことなんてあまりにもふつうのことで、痛くも痒くもないからです。ついでに言うと天才もタフです。最初から常識の外に出ているようなところがあって、先生を含めて他人評価が届かないところにいるからです。

学校秀才の世界観は、文科省の指導要領のように学習進度が整理されています。そこでの目標は先生に期待されている解答を早く正確に見つけ出すことです。そして、そうした閉鎖的集団の中でトップグループに位置していることが世間でも指導的立場に立てると思い込めるとしたら、それはずいぶんおめでたいことです。

この姿勢は、常に本人の創造力で勝負している芸術家や作家の生き方の反対の極にあるものです。

しかし、彼ら彼女らが典拠にする異国の権威たちというのは、しばしば学校秀才というよりは芸術家に近いところから創造性を発揮してきた人びとなのです。アインシュタインなんかは学校時代の成績がぱっとしなかった点でも好感度が高い天才の一人ですが、科学的発想は芸術に近いということを力説しています。

ちなみに、私の哲学の先生の一人はよく「プラトンやアリストテレスがたくさん本を読んだと思いますか? 先人の引用をしていますか?」とおっしゃっていました。つまり、自分で考えることを大切にしなさいということですけど、これができる人は実は研究者の世界でも驚くほど少ないのが現状です。自分で考えるのが仕事であるはずの哲学者でさえも、多くの場合、実質的には外国人タレントの翻訳作業しかしていなかったりします。

そんなことですから、創造性に乏しい翻訳家タイプは、実は最初から創造的な学問に向いていないのです。自分の考えなど最初からなかったのかもしれないのですから、何も書けなくても当然です。まあ、それでいて、嫉妬にかられて他人を罵ったりすると、結局自業自得の憂き目を見るという生きた見本ですが、本人が社会的地位に恵まれていたりすると、その憂き目に気がついてないことのほうが多いと思います。

ちなみに、他人の研究発表に罵倒の言葉を浴びせるというのは聞くところによると某大学の学風らしく、そこを出て官僚になったとき、他人からの批判に滅法打たれ強くなるという利点もあるようです。

この点では日本の官僚制を支える人びとの図太さの養成には貢献しているのかもしれませんが、他大学の研究者に失礼な真似をするとしたら、それは常識を大幅に逸脱しています。

さて、皆さんの場合も、以前に自分史を通じてまとめてもらったように、ここではとにかく、何かの歴史について準備してきて、この講義の最後の時間に書いてもらいます。

そこで自分の興味のある史実について、その裏付けとなるだけの調査をし、論理構成の正確さを期すように努力してみてください。

その上で最も大事なことは、その何かの歴史を語る情熱です。好きなことを選んで調べて、自らが発見した喜びを熱く語ってくれると、単なる点取虫の学校秀才では絶対に書けないものが書けるはずです。

その点では学校秀才ではなかった私は、私と同じくあまり学校秀才に縁のなさそうな皆さんのレポートにこそ、大いに期待しています。

さて、本日の課題のトンデモ歴史説ですが、どんなものが見つかりましたか?
 
ここでは「竹内文書」を例にとって考えてみましょう。
 
青森県三戸郡新郷村(旧戸来村)には「キリストの墓」があって、現在観光名所になっています。近くには「キリストの里伝承館」まであって(入館料200円)、バス停「キリスト公園」から徒歩で行けます。この伝承によると、磔刑を逃れたイエスは戸来村に居を構え、106歳の天寿を全うしたとの説明も付されています。
 
これは「竹内文書」または「竹内文献」と呼ばれる偽書に由来する伝説です。竹内文書によると世界の文明はすべて、100億年以上の歴史を持つ日本に由来するという、かなり荒唐無稽なものです。(ちなみに、今日の理科の教科書では、地球が誕生したのが今から45億年前で、生命は37億年ほど前に出現したことになっています。)
 
竹内文書によれば、このキリスト以外にもかつて日本に霊能修行に来ていたとされるのが、モーゼや釈迦、孔子、マホメットなどで、世界宗教のオールスターさながらの顔ぶれです。
 
新郷村にはこの「キリストの墓」のほかに「ピラミッド」もあって、こちらはバス停の『ピラミッド入口」を降りると「大石神ピラミッド」の案内図があり、入口には鳥居があるそうです。実際にはところどころに巨石のある山だったりするわけですが、竹内文書を伝える天津教の教祖竹内巨麿の調査団の一人が、これがピラミッドだと認定(発見)したことになっています。
 
十和田湖から八戸に向かう途中の道路標識の案内に「キリストの墓」と「ピラミッド」が併記されているのはなかなかの壮観です。ネット上で検索すると写真を見ることができます。
 
ちなみに、この竹内文書は昭和11年に狩野亨吉「天津教古文書の批判」によって明治以降の偽書と認定されています。これはインターネットの「青空文庫」でも読むことができます。(http://www.aozora.gr.jp/cards/000866/card3039.html
 
 
さて、竹内文書に限らず、今まで知られていなかった史料が新たに発見されたとき、その真贋を見極める作業を「史料批判」といいます。史料の成立年代よりも後代の出来事が書かれていたり、当時は使われていない用語や文字、書体や文体があったりすれば、歴史資料としては致命的です。

しかし、史料がこうした批判に耐え、その真正性が確認されるとき、これまで定説と思われていた史実の評価をくつがえすようなことも起こってきます。

人はみな今日の常識とされている価値観を通してものごとを見ようとしますので、文化や価値観の異なる過去の出来事も少しでも油断すると、現在の視点から断罪してしまいがちになります。

絶対者への信仰を通して自らとその周りの世界を客観的にとらえるという近代合理主義的思考については、先の章でお話しました。実は歴史に学ぶということもまた、たとえ神様の存在は信じないとしても、人が真実に迫るための、一見迂回路のようでいて、実は最もストレートな方法の一つなのです。

異世界としか思えないような先人の思考法や生活文化に自己貫入することは、今をよりよく知ることに通じています。実際、歴史を学ぶことの効用の一つはここにあります。

したがって、今日の常識からかけ離れた歴史的事実に遭遇した時にも、まずはそれを事実として受け入れることから始めなければなりません。
 
その点で、今日でもいろいろと論争の絶えない金印偽造説、古事記偽書説、聖徳太子非実在説、邪馬台国論争などそれぞれに調べておいていただくといいでしょう。
 
一方、竹内文書にも昔から熱烈な支持者があって、いくら証拠を示しても納得しようとしなかったりするのですが、歴史にはそのように人を熱くさせてしまうところがあります。この点については、また別に論じた方がよさそうです。

ここで、前回の補足を西洋思想史を題材にしながら、少々お話しておきます。

自分と世界の外側に絶対者を立て、そこから世界と自分を照らしだすようにして得られるのが合理主義的な世界観です。これにかぎらず、人はどうやらものごとを客観的にとらえるためには、知性と言語を用いて観念的な回り道をせざるをえないように生まれついているようです。

かつてマルクスはこれを逆立ちした論理だと批判しましたが、人間にとって論理というもののありかたは最初から逆立ちしているのかもしれません。そういうマルクスもその逆立ちしたヘーゲルの論理と自然科学的方法を十分活用していたわけですから。

ちなみに、こうした合理主義的世界観は、キリスト教信仰の論理に内在するものとしてすでに中世から(ギリシア哲学の助けを借りながら)準備されていましたが、17世紀のデカルトの合理主義に近代科学の成果がともなうにつれて、世界中に圧倒的な影響を及ぼすことになりました。

実は近代科学も近代哲学も、その意図としては、ほとんど神を賛美するために、つまり、神の法則の存在を確認するつもりで、自然界の法則を見出そうとしていました。そして、ひとたびこの視点に身を置いてみると、確かに世界は立体的で、奥行きのある整然とした構造をしているように見えてきます。

もちろん彼らはそのように見ようとしてそうしたのですが、神様はあると信じるならありますし、ものごとはそう見たいと思ったらそのように見えてきまうのが。そして、近代科学技術の目覚ましい発展がこれを裏打ちしてくれるようになってきたのですから、ものごととそれを取り巻く環境(社会)を自分たちの思うとおりに変えていけばいいという思想が定着します。

本来限りある命を授けられてこの世に現れた相対的な人間は、絶対者の存在を仮定することによって、この世を(あの世と対比させて)客観的にとらえることができるようになり、自らの手でこの世の中を設計し、少しでも多くの人が安全かつ快適に暮らすことができるように、地上の楽圏を築こうとします。

近代合理主義と近代科学を、そしてついでに言えば近代市民社会も、それを支える思想は非合理的で実証できない啓示宗教の信仰に基づくものでした。このように、西洋の哲学者や科学者による独特の「神への賛美」はその後もまだまだ200年ほど続きます。

人間が自分で意識していること、思考していることと、その行動との間には先にも述べたように宿命的なズレがあるわけですが、近代に入って思想や言葉が人を動かすことが顕著になると、そのズレはもはや200年〜300年に及びます。

その後、ニーチェが「神は死んだ」と言ったりする中で、神様なしで科学によって十分明るい未来が開けると思った楽観的な19世紀を経て20世紀に入ると、いっそうの期待が膨らむかと思いきや、結局人類は2度の世界大戦を経験し、もはや神も仏もない状態に入ります。

原始爆弾まで作った上に実際に二度も投下してしまうと、相変わらず人間は愚かだということに加えて、近代科学に対しても以前のような明るい未来を託すような期待は持てなくなってきています。

今日ではもはや宗教にも科学にも人類の夢を託せそうにはないということだけはわかってきました。

暗いですね。今後どうなっていくのでしょう。日本にかぎらず西洋諸国が少子化問題を抱えて久しい理由もわかる気がします。

しかし、そういう今日でもノーベル賞を受賞する優れた科学者に、たとえキリスト教とは限らなくても何らかの宗教の信者が圧倒的に多いことはよく知られています。これは善し悪しの問題ではなく、れっきとした事実ですから、頭の片隅にしっかりと入れておいてください。

最後に、近代の哲学者たちにおける信仰はどうだったのかということも傍証を兼ねて、少し見ておきます。

たとえば、デカルトの議論は神の存在を前提にした上で、アウグスティヌスの言葉をもじったような「われ思う、ゆえにわれ在り」を強調しています。

実はこの言葉と同時にデカルトは「考えるためには存在しなければならない」と言ってもいます。これはほかでもないモーゼの「われありという神」の存在を含意しています。

これについては時間が許せば後に詳しく触れますが、新刊拙著『間違いの効用』(ふくろう出版2015年)でも論じていますので、よろしかったらお読みください。

カントは信仰告白のような「満天の星空とわが心のうちの道徳律」という言葉を残し、神に由来する世界の秩序と人間の現存する道徳意識が通じる瞬間を表現しています。

ヘーゲルも熱心なクリスチャンです。ヘーゲルの論理の核心には、人間が概念を持ち、それを理念に高めていく中で、言葉の創造的可能性をとことんまで突き詰めていくという姿勢があります。

「理念とは、概念によって規定された実在性である。あらゆる現実的なものは概念である」(『哲学入門』武市健人訳岩波文庫158頁)

これは聖書のヨハネによる福音書の「はじめに言葉ありき」というときの「言葉」の持つ力を思い起こさせます。

さて、啓示宗教についてはいいとして、わが「無宗教」的日本人はどうなのかという話については、このあと日本思想史の話題の中で触れることにします。

日本からも近代以降、世界的な科学的発見やイノベーションが出てきているわけですが、その一方で、多くの日本人は絶対という観念を少なくとも啓示宗教のそれようには理解していないということは確かですから、これはあらためて論じなければなりません。

イエス・キリストはユダヤ教の天地創造以来の福音を尊重しながらも、律法の根本にある神への愛と隣人愛を全面的に押し出すため(マタイによる福音書22・37・40)、従来のユダヤ教としては律法の否定と受け取られないわけにはいきませんでした。

イエスの振る舞い方はユダヤ教の預言者のそれのように見えます。預言者は人びとによってその言葉が神から出たものだと認められれば預言者ということになりますが、そうでないと神を冒涜したということで迫害を受け、殺されてしまうこともあります。
事実イエスは神を冒涜したかどで捕らえられ、十字架刑となります。その亡き骸は信徒が引き取り洞窟に埋葬しますが、三日後イエスは復活し、弟子たちのところに現れ、食事を共にし、弟子たちを祝福しながら昇天します(マルコ16、ルカ24、ヨハネ20)。

十字架刑に処せられた後復活したイエスは、その後〈人類の罪をそそぐために犠牲となった〉と解釈されるようになります。この解釈は聖書のパウロの手紙で初めて著された思想ですが、これがキリスト教神学の始まりでもあります。

 イエスはそこで人間でありながら、同時に神の子とされるという、もはや理屈では説明の付かない存在となります。それは後に、父(神)と子(イエス)と聖霊(両者の間に働く人格的エネルギー)という三つの位格でありながら、なおかつ一つの神であるという思想、すなわち三位一体論へと発展していきます。

ここでイエスは復活の後、とうとう神様となってめでたしめでたしとなるわけでは決してなくて、世界の終わりに神とともにもう一度やってくることになっています。なによりユダヤ教の世界観を引き継ぐからには、世界は終わらなければなりません。

このキリスト教の終末論は、新約聖書の最後に収録されている「ヨハネの黙示録」に書かれています。

そこでは天から雲に乗って下ってきたイエスが「最後の審判」を行います。そこで死者たちは甦って、生前の自身の行いによって裁かれます。この審判により、神の国に入れる者と、火と硫黄の燃える池に投げ込まれ第二の死を迎える者とに分けられることになります。

と、まあ、こんな風に世界の始まりから終わりまでがしっかりと説明されているのがキリスト教の特徴です。これをそのまま信じることができれば、無宗教の皆さんでも今この場でクリスチャンになることができます。

それはそうと、ユダヤ教とキリスト教ではどこが違うのでしょうか?

キリスト教がユダヤ教から引き継いだ直線的時間の観念は、イエスという理想的人間像を獲得することで、具体的な人生の目標としてとらえられるようになります。この世において人びとは日々イエスを模範として自分の行いを律し、世の中に働きかけていくことが求められます。

個人のレベルでは、人生の目的と同時に、倫理観(命にかけてもやるべきこと、やってはいけないこと)が確立します。

昔読んだ作家の山口瞳のエッセーの中に、欧米人には「思想」があるから付き合いにくい、というような表現がありました。さすがに日本人のふつうのおじさん(西洋かぶれしていないおじさん)の感性を代表する作家だけのことはあって、見るべきものは見ています。この「思想」というのが彼らが命にかけても守りぬこうとする当のものなのです。

ここのところが日本人にとっては本当のところはわかりづらいところなのです。この倫理や思想のためにわざわざ超越神を立てるようなまわりくどい操作など必要ないのではないかと感じる人が多いのではないかと思われます。

しかし、これは逆にこうした超越神を立てなければ相対的な世界の中で強度をそなえた確固たる倫理や思想を立てることができなかったという事情があったと見たほうがよさそうです。
さて、ユダヤ教的時間には確かに始まりと終わりがあるのですが、その間、人びとは神の命令をひたすら遵守することが求められます。人間の側からの積極的な働きかけは仮に許されたとしても推奨されてはいません。神をコントロールしようとすることは神への冒涜となるからです。神と人間との距離にはとてつもないものがあるのです。

他方、キリスト教ではイエスという人であり神でもある存在が信仰の中心に位置づけられているため、この人間と神の距離が一挙に縮まりました。イエスに導かれて神の国に入るべき新たな人間には、神が本来持っていた創造性が宿ることになります。それと同時に、先に述べたように、人生の世俗的な目標も明確になります。事実、中世ヨーロッパでは教会がこの世に神の国を建設するという目標も立てられました。

したがって、キリスト教の文明史的意義というのは、人間が〈神から与えられた創造性〉をもって他者、すなわち社会にはたらきかけていく可能性を切り開いたということにあります。そして、このことが日々最終的な目的に向かって時間の流れに即して行われていくという〈進歩の観念〉をもたらしました。

進歩の観念は当然ながら進歩的歴史観や歴史的発展段階といった思想を生み出し、19世紀に生物学が発展してくると、進歩は科学に裏打ちされた進化という観念となり、世界中にその影響を及ぼすようになります。

ここでようやく先に述べたダーウィンの話ともつながってくるわけです。

ここでの参考文献としてはChristopher Dawson, Progress And Religion, An Historical Enquiry, 1929, London.と坂田徳男『人間崩壊最中の哲学』(松籟社1981年)を挙げておきます。

さて、次回の課題ですが「いわゆるトンデモ歴史説の実例をできるだけ調べて来てくること」です。源義経がモンゴルにわたってチンギス・ハーンといった、まずもってそんなことはありえないだろうというトンデモ歴史説をできるだけたくさん集めてきてください。

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