2026年02月08日

地球温暖化

地球温暖化が叫ばれて久しいが私は1983年から極地に入り旅を続けて来ました。その当時は今ほど温暖化について極地に棲むイヌイットたちは温暖化について声を挙げておられるのを耳にしてはおりませんでした。当時は本当に極寒な気温に驚きました。マイナス40度から50度の気温下で人々は暮らしていたのでした。グリーンランドの西岸は定着氷がしっかりと張り犬ぞりが海氷上を走り回り漁や人々にの行き来を支えていたのです。それが今では海氷が張らずイヌイットたちは漁師を辞めてしまいそれぞれが他の仕事を始めることになったのです。彼らは二酸化炭素をたくさん出す生活はしておりませんでしたが一番先に温暖化の被害を被ることになったのです。彼らの食生活も様変わりして伝統食から冷凍食品に変化してきたようです。そのために日本人と同じ高血圧などの病気が増えてきたとのことです。アザラシやクジラなど生で食べていたのですが血液をサラサラにする成分の宝庫となる食べ物です。アザラシは魚を食べるのでその脂肪や肉には血行をよくする成分が含まれているのです。私も慣れるまで時間がかかりましたがアザラシ肉を食べた後は体が心から温まるので大好きになりました。イヌイットは昔からこれらの海獣や白熊、カリブー、ジャコーウシ、そしてタラやオヒヨウと言った魚を食して生き続けてきたのです。氷河が後退し海に流れ込まないとプランクトンが消えて小魚が集まらずそのために大きな魚も来なくなりその魚がいなくなればアザラシの餌となる魚もイヌイットの棲む海岸から減ってしまうと言う悪循環になるわけです。イヌイットは海氷に穴をあけてアザラシを捕ります。海氷がなくなればその漁は出来ません。ボートでアザラシを追いライフル銃で仕留めることになるが簡単には行きません。日本近海で捕れる魚も変わりつつあります。海水温の上昇で魚の棲む海域が変化してるようです。私たち人間に出来ることを少しでも続けて温暖化を遅らせる工夫と実践が必要かと思っています。

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2026年01月02日

記親子で時計作りワークショップ事タイトル

親子で時計作りワークショップお疲れさまでした。マスメディアも取材に来て下さりました。山形新聞に掲載されました。テレビではYBCが1月8日にピヨ玉ワイドで報道して下さいます。どうぞご覧になって下さい。ピヨ玉ワイドの番組は山形放送です。

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2025年12月31日

親子で時計つくるワークショップ

山形新聞に12月29日に掲載されました。YBCでも1月8日のぴよ玉ワイドで放送される予定です。是非ご覧ください。

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2025年12月13日

親子で時計作り体験

アナログの時計は見やすくかつ時間を素早く知ることが出来るのでいいですね。特に極寒の地では素早く時計を見て時間を知る必要がある。防寒具の袖をめくり時計を見るため肌を露出するので凄く冷たくなるのだ。1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12の数字が丸く収まっているのでパッと見てパッと時間が分かるので安心です。私の北極海単独徒歩横断ではセイコーエプソンの会社に24時針付きの時計を開発していただきました。一日(24時間)かけて針が一回りします。その24時針を太陽の方向に向けると24時の方向が真北(北極点)になるというものである。私が歩いているのは海氷の上なので常に海氷は海流の流れと風の影響を受けてあっちへこっへと漂いつつ流れて行きます。折角頑張って歩いても一晩に20キロメートル程もテントに寝ている間に戻されたりしていました。重いそりを引いて歩いているときもホワイトアウトになり牛乳に潜ったような感じで右も左も上も下も分からなくなりそうになります。そんな時でもかすかに太陽の日差しや明るさが見えるとこの24時針の時計が威力を発揮してくれ瞬時に方向が割り出せます。装備が重いと負担になるので出来るだけ軽量化に努めました。カメラを捨ててしまい後日100万円程弁償したこともあります。時計の開発者の方々は大場さんに時計を捨てられないように考えに考えて様々な工夫をされたとのことです。時計の文字盤には北極海の地図やスタートポイントとゴールポイントの地名をロシア語と英語で入れてくれました。また白熊の可愛い足跡も入っておりました。そのような開発物語を私にお話しくださったので単なる時計ではなく開発者の心の思いがこもった宝物になり常に時計を見ては力を頂いておりました。冒険は私個人の行動ですがその裏で多くの方々の心の込められたご支援と応援が無ければ成し遂げられなかったと思い心から感謝の気持ちでいっぱいでした。最高の冒険に最高の時計を作ったと開発された方々に言われたときは勇気100倍の気持ちになり励まされることを実感しました。因みに南極大陸単独横断の際には半時計回りの24時針時計を開発していただきました。南半球では太陽は半時計回りに移動しますので。スキーセーリングで時速40キロメートル程のスピードでソリを引いたまま滑走するのです。氷の壁に転んでも時計は壊れないと言う頑丈な材質と工夫がされています。南極の冒険でもこの時計を見ては皆さんの思いを力に変えることが出来頑張ることが出来ました。物作りは真剣勝負であり冒険と同じだと思います。子どもの頃に時計を自分で組み立て機械の仕組みをしり工夫を重ねる楽しみを味わえれば何事も自分の頭で考え達成する喜びを得ることができるのを学ぶことが出来ると思います。時計作りを通じて自分の可能性に気ずき夢と希望の持てる心を育んで頂きたいと思います。


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2025年06月24日

北極の日本晴れ

1997年6月24日は北極海横断を終えてカナダ最北端のワードハント島に到達した日である。2月23日にロシアのコムソモレツ島を出発し北極海氷上をそりを引き歩きおよそ1000KMの地点にある北極点に着いたのは4月24日だった。さらに対岸のカナダのワードハント島まで730KM歩きゴールしたのが現地時間の6月23日なので全行程で122日間の旅であった。第1回目の挑戦が1994年であり毎年続けて挑戦し1997年に4度目の挑戦で達成できたのだった。第2回目の旅では凍傷で足の指10本と両手の指の一部を切断することになった。それでもどうしても横断を達成したかったのです。それは面白かったからです。風と海流の影響で海氷は常に生き物のように動きます。強い風が吹くと海氷は押されて割れるのです。バッと大きな音と共にアッと言う間に海氷にひびが入り黒い帯の海水面が出現するのです。その氷が回されたり私の乗っている海氷と反対側に流れて行く様は物凄い自然の威力を感じさせてくれ畏敬の念を持たざるを得ません。ドット、ドットと発動機が回っているような物凄い音が不気味さを増してくれます。押された海氷がのし上がったり海氷の底に引き込まれてゆく様は地獄絵図のようなもので心臓や精神は最高潮に緊張してくるのがはっきりと感じ取れるのです。自分の周囲の海氷がメチャクチャに動き回り逃げ場を必死に見つけ急いで避難するのですが動く海氷の上を移動するのはとても危険だと思いました。風が収まると海氷も静かにしてくれます。何の音もなくシーンと言う音が耳に響くのです。360度真っ白な海氷上の雪原にいると冬の山形の田舎の田んぼに立っているように感じます。長い旅でしたので弱気になることもあり恐怖心が湧くこともあります。海氷がお墓に見えたり幻聴が聞こえ死人がお〜い、お〜いと呼んでいるような声もして怖くなりました。ですからなるだけ楽しく歩くことに精神を集中するように努めました。その特効薬として実行してたのが畏れ、謙虚、感謝の3つを意識することです。畏れは畏敬の念です。海氷、太陽、寒さ、雲、空、雪、白熊、ソリ、スキー、身に着けている一切の衣装、さらにテント、鍋、マッチ、時計、あらゆるものに尊敬の念を持ち感謝するのです。そうするとこれらのものが全て私の兄弟、家族のように感じられさらに一心同体のような心境になるのです。この精神状態は相手と言う存在が消えるので気を使う必要も畏れることもないので心が安らかになり頑張ることもいらない状態の精神を養ってくれるのです。相手を意識すると疲れるのです。「大自然と一体感を持つ」簡単に言えばこの心が一番強いのです。なかなか難しいのですがとことん痛めつけられないとこの感覚は持てないと思います。自分の存在を相手に示さず受け入れさせていただくと言う謙虚さが必要なのです。この畏敬の念と謙虚さが感謝の心を生んでくれるのだと思いました。頑張りすぎたり気負ったりは自然には全く通用しないし危険なのです。私の122日間の旅を支え続けたくださった多くの皆様のおかげで持ちこたえることが出来たのです。特にカナダ側でベースマネージャーを務めて下さった志賀忠重さんのサポートは安心して思い切り心を遊ばせてくれ楽しく歩く力を与えてくれました。彼は決して頑張れとは言わなかったし私に必要なことをやんわりとストレスを感じさせることなく伝えてくれました。この冒険は大場さんの冒険ですよね?はい、そうですと答えるとそれじゃいつでも自分の判断でやめることも出来ますよねと言ってくれました。お金も飛行機を飛ばして補給も受けられますよ。また大場さんのいる位置は衛星でしっかり見てますよ。私は北極が面白くなってきて帰国するのを大場さんがゴールするまでやらしてもらえないですかと言ってくれたのです。だから何の心配も不安もない状態なのでのんびりと北極海と対話しながら楽しく歩くことが出来たのであり気ずいたらカナダに到達していたと言うことなのです。常に私が今思うのは臨床心理士の役目を志賀忠重さんはやって下さったのだと思うのです。何も言わず求めず相手の言うことを聞き求めることを受け入れ続けていく。そうすることによってその人は自分の置かれている状況をしっかりと把握でき的確に対処できるようになるのです。ゴール地点のワードハント島は雪が解け石ころだらけのなだらかな小さい島でした。久しぶりに歩く大地の感触は最高に素敵でした。よく見ると足元の小石の中に黄色や紫のヒマラヤユキノシタの可憐な花が一面に広がっておりました。あまりに小さい花で見えなくて踏みつけていましたが花だと分かった瞬間腹ばいになり頬を擦りつけ「おまえはきれいで強いね。と呼びかけていました。多くの応援下さった皆様にも心から感謝の気持ちでいっぱいでした。皆様、本当にありがとうございました。

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2025年04月14日

農作業の季節がやってきた。

田んぼと畑の雪が解けて土壌が現れてきた。早速田んぼの一角に折衷苗代の準備を始める。三本鍬で田の稲株を起こし水を張り代掻きをやる。機械が無いので全て手作業だ。代掻きの農具は鉄製のレーキでかき回したり足で歩きゴロゴロした塊を踏みつぶしてやる。あまり細かく練ると土壌内に空気が入らなくなり根張りが悪くなるし生育にも良くない。後は種籾を播きナイロンを掛けたトンネルにして保温するのだ。農家では一斉に苗箱に種まきの最盛期である。育苗機にかけ発芽させその後にハウスに移動させて育てるのである。ハウスの開閉や水やりをして田植えできる苗に育て上げるのである。私の折衷苗代は水は常に張っておるので水やりの手間はいらない。時々保温にしているナイロンが強風で剝がされるのを手直しする必要があるが差ほど手間は必要がないので楽である。毎年「こゆきもち」と言う糯米を栽培している。ワイルドエドベンチャースクールの田んぼであるが田植えは手植えで稲刈りも手鎌で刈り取り杭掛けにして自然乾燥にする。無農薬で無化学肥料にしており牛の堆肥と鶏糞だけ投入した有機栽培にしている。秋の販売体験としてこのもち米と大根そして里芋をリヤカーに積み街中を移動販売するのだ。この土に触れた体験を通じて自然との関わり方を学ぶのである。水や空気、土そしてお日様の恵みがあって初めて作物が育ちその作物が私たち人間の命を支えていることを身をもって体験するのだ。子どもの頃の自然体験は極めて大切なことであり自然とのバランスある生き方を学ぶ貴重な行動なのである。地球温暖化の影響でいまや世界各国がまた極地の自然環境とそこに生きている野生動物たちも大きな被害を被っている。私たち人間は自然界のサイクルを知り自然と調和した生き方をしなければならないと思う。人間も自然の一部である。自然に触れると気持ちが良くなるのはほとんどの人々が体験していることでありましょう。

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2025年04月09日

農作業の季節到来

今日は4月9日ですがまだ田んぼと畑には雪が残っている。昨年に比べると今年の冬は積雪が多かった。
あと数日したら堆肥を投入する予定だ。牛の堆肥と鶏糞を田畑に散布するのである。馬の堆肥の方が良いと思うのだが馬の堆肥は販売しておらず仕方がない。何故馬の堆肥が良いかと言うと馬は主に草ばかり食べるのでウンコがフンワリと柔らかく膨らみ空気がたっぷりウンコの中にと含まれているのだ。牛も本来なら草食なので同じなのだが今は濃厚飼料を多く与えるのでウンコが柔らかくベタベタして垂れ流すので中に空気が入らずベタッとしており冷たくなっている。土壌の中で馬の堆肥は膨らんでいるので空気が入りやすく土壌が柔らかくなるので作物の根張りも良くなるし酸素も多いので生育が良くなるのである。ニンジンなどは馬糞を入れた土壌では甘くて美味しくなるので生で馬のようにバリバリと齧って食べると凄く旨いのである。化学肥料での栽培は作物の生育は素晴らしく大きくなるようだが味が薄くあまりおいしいと言う感じはしない。土壌の中に豊富な酸素を入れるには馬糞が最適かと思う。昔はどこの家でも農家は農耕場として馬を飼っていた。道路に馬が糞をするとコロコロ丸いのが落ちてたし馬のお尻からウンコが出てくるときフワァーンと膨らむのが分かるのだ。地面に落ちるとさらに生き物のように大きく膨らむのである。しかもウンコ内に空気がいっぱい入っているので暖かいのである。
人間も食物繊維の多いものを食べたり玄米などを食べると馬と同じように大きく膨らんだウンコとなり臭くもないしお尻にウンコがつかないのでトイレットペーパーも要らないほどお尻は汚れない。肉食や脂肪分が多い食品を食べた時はべたべたとして臭いウンコになる。食べ物が腸内を通過する際に食物繊維が多いと膨らんでいるので腸の内壁をきれいに掃除しながら押し出されるので綺麗な腸内となるのである。ベタベタした食べ物は腸内の内壁から吸収されて血液内に入り血液が汚れ酸性化して血流の流れを悪くしてさまざまな健康被害を呼び込んでしまうことに繋がってしまう。このことは良く言われていることではあるがなかなか人間には納得しがたい面もある。何しろ口当たりの旨いものを誰しも食べたがるのも当たり前のことだからである。でもこの体の原理、生理をしっかりと把握し納得していれば日頃の食生活と自分の体調管理の大いに役立つことだと思う。ウンコの管理が健康第一に繋がるものだと思っている。毎朝すっきりした気持ちの良いウンコが生まれてくるように一人一人が細心の注意を払っていただきたいと思っている。

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2025年03月16日

冒険学校の猫たち

今冒険学校には2匹の兄弟猫がいる。チャコとデッカである。牛を飼っている家から子猫のうちにもらい受けてきたのだった。牛を飼育している家ではネズミ対策として猫を何匹も飼われているところが多い。牛舎の衛生を目的としており牛の餌など汚染されると困るのである。2匹ともよちよち歩きしていた中で私に寄ってきたのをもらってきたのだった。目を開いたばかりの小さな子猫でミルクを飲ますのにも大変苦労したものだった。今では大きくなり窓から毎日のように外に遊びに出かけて行く。高い木に駆け上りまるで忍者のようだ。木登りは簡単だが下りるとき困惑していた。後ろ向きにお尻を下にして爪を木に引っかけながら下りる方法もすぐに覚えた。仲がいいのでよくプロレスごっこをやっている。オスのチャコにメスのデッカがよくちょっかいをかける。たまに本気になって取っ組み合いをするがその時はやはりオスのチャコが強くデッカは悲鳴のような声をあげて怒っている。ときどきオスの野良猫が来て襲うので逃げ帰ってくる。2匹ともその猫に噛まれたり引っかかれたりして動物病院に連れて行ったものだ。野良猫はネズミなどを食べるので大きくてしかも去勢をしてないのかケンカ強いのである。キャットフードを食べ暖かな家の中で過ごす猫とは生命力も強いように思える。冬は雪深い中を歩くと完全に雪に埋没して進めずにいたものだが今は吹雪の日は外に出ないで炬燵の中で眠っている。ワイルドエドベンチャースクールで子どもたちからのリクエストでネコカフェをやりたいと言われる。でも子供たちが大きな声を上げ猫に駆け寄るのでびっくりして逃げてしまうのだ。大人の人ならすぐそばに来て撫でてもらえるが子供たちは苦手のようだ。困るのはネズミや野鳥を咥えて持ってくるのには閉口する。褒めてもらいたく見せに来るのは理解できるが。これからも冒険学校に活気を与えてくれる猫たちを大事にしたいと思う。

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2024年05月05日

アマゾン河筏下り

雨季のアマゾン河は乾季と全く違い川の水は増水して10メートルも高くなってしまう。上流では川幅が5キロメートル程あるが下流に行くにつれ30キロメートルほどに広がり河口近くでは150キロメートル程になる。どこが川岸かは分からなくなってしまう。上流にあるペルーのプカルパの町から河口近くのグルッパまで52日間かけて約6000キロメートル下った。プカルパから海面までの高低差がおよそ70メートル程しかない。だからほとんど平な地形と言ってもいいだろう。普段はゆっくりと一日平均で100キロメートル程のゆるやかな流れだがスコールと突風が来ると鏡にように平らな水面が2メートル程の高さの大波に変わる。まるで大海に漂う木の葉のように筏は流されてしまう。スコールの時はバケツの水をひっくり返した時のようにではなくドラム缶をひっくり返したようにと言うくらいで目の前しか見えなくなるほどの雨が叩きつけてくる。ジャングルの木々は根こそぎ流れに削られて流れるので流木やら草やら川一面に流れてしまう。見た感じ川ではないように思えてくる。その浮草や流木にサギなどが乗って流れているのも見られる。筏は屋根の高さがイメートル程もあるのでどうしても風の抵抗を受け真っすぐに流れない。水草は水面ギリギリの高さなので筏の流れより速く流れて行く。それで浮草や流木にロープを引っかけて引っ張ってもらうと真っすぐに進むことが出来た。だがその浮草にヘビが乗っかっていることもあり筏に乗り移ることもある。緑色のヘビだった。食料は主食がマンジョーカの粉と言うか粒になっているものを川の水で練って食べた。マンジョーカを麻袋にいっぱい詰め込み食べていた。バナナやココナッツそして川魚の日干しやテラピアの干し肉をおかずにした。今地球温暖化で世界中が異常気象になってきている。日本の米つくりも暑さで米の品質が昨年度は落ちてしまった。マンジョーカなら熱帯の食物なので今後は良いのかなと考えて今年で4年目となる栽培である。何より手間もいらないし勝手に生育するのがいい。ブラジル料理を皆さんに食べていただきマンジョーカのことを知ってもらえればいいかなと思っている。様々な料理がある。マリナさんを講師として一度ブラジル料理を作りみんなで食べた。フライドポテトのようなマンジョーカフリッタ。牛肉を入れて一緒に煮込んだバーッカアトラーダ。マンジョーカの澱粉で作るタピオカもあった。今回はマンジョーカのコロッケもいいかもねとマリナさんは言う。子どもたちにはコロッケは人気だと思う。お母さん方もお父さんたちもおばあちぁんもおじいちゃんもみんなで一緒に食べましょう。そしてブラジルの映像見ながらマリナさんのお話しを聞き最後にみんなでサンバを踊りましょう。みなさん、お待ちしてます。

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2024年04月15日

山菜の季節が到来

4月14日深山の山道には残雪があり山菜のコゴミの出る場所には60cm程も雪が残っている。深山のコゴミは里山のと違って太く青々として瑞々しく味も全く違う。急峻な山道には岩が崩れ落ちて危険な場所もあり落石の恐れもありハラハラしながら通らなければならない。山道は小川のように水があふれ流れている。そこにフキノトウがたくさん芽を出していた。いっぱいフキノトウを採り天ぷらにして食べたらすごく旨かった。冒険学校のすぐそばにはアケビの芽がたくさん出てるのでお浸しにして食べると少し苦みがありこれまた旨いし春の訪れを味わうことも出来た。これからは蕗や山ウド、そしてゼンマイとワラビが出てくる。ミズやアイコなどの山菜もごちそうだ。田舎に住んでいる者には山菜はありがたい宝ものである。

mitsuro_ohba at 10:24|PermalinkComments(0)
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