2023年07月15日
久しぶりの映画
目の見えない白鳥さん、アートを見にいくと言うタイトルの映画を見てきた。目の見えない白鳥さんとアートを見にいくの著者である川内有緒さんが監督でご案内を頂いていたのだ。フォーラム山形で7月7日から7月13日まで上映期間だった。初日に舞台挨拶があると言うことだったが先約があり最終日に行くことになった。目の見えない白鳥さんとアートを見にいくの本を読んでいたが映像は文字とは違って登場人物の心の動きが手に取るように伝わってきて迫力があり目が離せなかった。20歳のころに光が見えなくなった後は全盲としての人生を過ごされて来たとのこと。そんな白鳥「しらとり」さんが美術館などを巡りアートを見に出かけて行くのである。最初は連絡してもよい返事を頂けなかったようだが真摯に頼み込んで納得して頂いたとのこと。学芸員の方も白鳥さんにアートをどう説明したらよいか戸惑ったようである。要は絵や作品などの説明するのではなく傍らにいて見た感じなど普通の会話のようにしゃべるなかでの互いの会話で心の交流ができれば良いとのことだった。そんな空間を味わいたくて出かけるようになったというのである。白鳥さんの日常生活そっくりをアートにする場面もあり私にはとても印象に残った場面があった。それは白鳥さんが物凄く早口の音声を聴いており始めは何の音か分からなかったが目を閉じて聴いていると話し声なんだと理解できたことだ。また白鳥さんは歩きながら写真を撮り続けるのにも驚きだった。そして最後に白鳥さんが語ったことで私が一番感動し納得したこととして時間の流れを見ているのだと言うようなお話をされていたかと記憶している。凄く磨ぎ覚まされた潔い侍の心を観た思いであり勇気と自信を頂くことができた。たくさんの方々にこの映画を見ていただき元気になってほしいと思います。
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2023年05月23日
北極の白熊
北極には白クマが生息している。何度も北極の歩き旅をしているが毎回遭遇する。彼らの住処にお邪魔するのだから同然ともいえるわけです。夜テントで寝ていると忍び足で寄ってくるのが気配で分かる。私も聞き耳を立てながら寝ているのだがかすかにクマが雪を踏みしめるかすかな音を感じ取っている。しかし風がテントの生地を揺する中では鮮明な音として聞くことはなかなか難しい。いちいち起きて外を覗くのも寒くて嫌なのでハッキリクマが傍に来ていると分かるまでは緊張しながら寝ているわけだ。でもすぐ耳元でフウーと言う鼻息が聞こえたら間違いなくクマなので飛び起きる。この時も無言だと一気に襲われると思うので大声で怒鳴るのである。さすがにクマも驚きテントから遠ざかるのが大きな足音を立てるのではっきりとわかる。急いでテントの入り口から外を見るとすぐ近くにクマがいる。私を見ると小走りに近ずいてくる。テントから5メートル程で一旦止まりシュ〜シュ〜とヤカンのお湯が沸いた時のような唸りをして威嚇している。前足で雪を掻き突進態勢を取る。その後3メートル近くまで寄ってきてお互いににらみあいの状態となる。クマも怖いだろうが私も同様である。私としては熊撃退用のトウガラシスプレーを吹きかけるしか手段がない。寝袋に入れて温めていたスプレーをクマに目掛けて噴射すると真っ赤なスプレーが白熊の前足にかかった。上手く顔にヒットしなかったのだがクマの目にいくらかスプレーが入ったようで痛いのか前の足で顔あたりを掻き擦っている。すると前足にかかったスプレーが目に入りますます顔を両手で擦り始めた。そこで一気に大声で叫んだらクマはびっくりして大きなお尻を私に向けて走って逃げて行く。テントから30メートル程の所で寝転がり仰向けになって顔を擦り苦しがっていた。外はマイナス30度以下でいつまでもテントの入り口を開けてクマを見ているのも寒くて出来ない。だが30分ほどしたらまたクマが回復してテントの傍までやってきた。そして3メートル程の近さでにらみ合いとなった。今度こそ目に確実にヒットさせないといけないと思った。手に持ったスプレーをクマに目掛けると学習したようで後ろに引き下がるではないか。困った。どうしようと思案しているとあることに気がついた。私が右を見るとクマの視線も右に行く。左に目をやるとクマも私と同じ方向に視線を向けるのだ。それでいいことを思いつき私は右に視線をやりながらクマの目をそちらに移しつつスプレーはクマの顔に向けて噴射した。今度はまともに顔にヒッしてくれた。クマも突撃態勢で突っ込んできたが目の痛さで一気に反転して逃げ去っていく。目が見えないようで走ったは転がり起きてはよろよろしてまた転がり手毬のようになりテントから逃げ去っていった。今度は来ないだろうと判断できたので眠りにつくことが出来た。北極グマは海氷上にいてアザラシを主食にしている。海の上なので360度が雪原、平らでありに山林に棲む日本のような月の輪グマや北海道に棲むヒグマと違って人間と出合い頭の対面にはならない。遠くからでもクマは見えるしくクマも目より鼻が利くのでゆっくりゆっくりと寄ってくるのだ。そして必ずと言ってもいいほど風下から匂いを嗅ぎながら近くに来てくれる。だから私としてもスプレーの準備や防御態勢を十分にとれる余裕がある。言ってみればクマは礼儀正しいともいえるし本能に従った行動をしてくれるのでありがたい。クマと対面した時もおれはここを通るだけなので通して下さい。何もあなたに危害を加えることはしませんのでお願いしますと言って話しかけます。20分ほど互いににらみ合いしているとクマも納得して引き返してゆくのでした。中には人間と同じように若い雄グマは力試しなのか逃げないで近くに来るのもいます。また私も歩きに集中してクマが近くに来ているのに気がつかずに出会ったことがありました。そんなときでもクマはゆっくりと私から離れていくのでした。だが私の方が気が動転して怖くなり大きな声を立てたらもっと早く逃げてくれるのではと大声で叫んだら急にクマは反転し向かってきたのでした。弱い奴ほど声が大きいとはよく言ったものであることが実感された。クマのも広い北極圏では人間に会ったことがないだろうし逆に人間を恐れてもいるであろう。だから刺激しないで離れることが基本的な姿勢かなと思っている。この熊撃退スプレーは日本のクマに使うには注意が必要だと思う。山の中や林の中、藪の中では人間とクマは突然に出くわしてしまう危険性が高い。スプレーを風上に噴射すると自分にかかってしまうのです。強烈な刺激と痛みがあり直接目にかかると失明の危険性もあります。後ろから襲われたり藪の中から飛び出してきたり木の上から来ることも考えられます。この辺は北極グマと対処方法が全く違います。日本では鈴や笛を鳴らしてクマに人間のいる所を知らせたりラジオを掛けたりするのがいいと思います。クマも人間を怖がるので人間がいるのを見れば遠ざかってくれるでしょう。子熊を見つけたら近くに親グマがいる可能性があります。子供を守るために命がけで襲ってくる可能性があります。油断は禁物ですね。またであった場合は走って逃げないこと、大声を立てないでゆっくりとクマから離れることが基本かと思います。走って逃げると追いかける習性がありますしなにしろクマの走るスピードには叶わないのですぐに追いつかれてしまい襲われることになります。いざ組合となったらクマの鼻頭を強く叩くしかないかなと思ったりします。朝方や夕方にクマは出歩くことが多いので十分に気をつけてまいりましょう。毎日のように町の防災無線でクマの目撃情報が流れます。今もまた防災無線で流れました。
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2023年04月23日
第1回ワイルドエドベンチャースクール
令和5年度の第1回目となるワイルドエドベンチャースクールを5月13日(土)に開催します。畑仕事で里芋とジャガイモを植え込み枝豆も播種します。午後からは自分たちで巣箱を作りますよ。最近は私が子どものころと比べツバメがめっきり減りました。当時はどこの家の軒下にもツバメの巣がたくさんあり親鳥がヒナに餌を運ぶのがあちらこちらで見られたものです。道路の上や田畑など地面すれすれに飛び交い急に反転「ツバメ返し」したり見ていて飽きませんでした。電線にズラリと並んだ姿は見事で村や街中に彩りと華やかさを醸し出してくれました。ツバメの減少は農薬で餌となる虫が減ったこともあるかもしれません。水田も減反や農家の後継者の減少で耕作面積が大幅に減りました。またカラスがツバメのヒナを襲うのです。昔の家と今の家の構造が変わりツバメが巣をかける適当なところが少なくなってきたことも考えられます。ツバメは人間が近くにいる玄関や軒先に巣を作りカラスが近ずけない場所に巣を作りますが最近の家はツバメにとってあまり好ましい作りとはなっていないように思います。
巣箱つくりは2回目となりますが最初の巣箱はベランダの柱に据え付けました。毎年雀が利用しヒナを育てています。毎年同じ雀なのか私が近くにいても逃げなくなり安心して子育てしています。巣箱の入り口の穴が3センチ程だったのがアオゲラかムクドリに突かれ穴が大きくされムクドリが来てたのでまた以前のようにスズメが出入り出来るほどの大きさに塞いでやったらまた雀が入るようになりました。
子どもたちには自分で作った巣箱に小鳥たちを呼び込んで楽しんで欲しいですね。日本三鳴鳥のウグイスとオオルリそしてコマドリなどの野鳥の鳴き声を聴き写真なども見ながら野鳥のことを調べてみたいと思います。今回は中学時代の鳥仲間でもあった友人が野鳥の話もしてくれますよ。
秋に販売する里芋そして夏の川遊びで食べるカレーに入れるジャガイモさらに枝豆も全て無農薬無化学肥料で栽培します。保護者の方も是非お子様とご一緒に楽しく有意義な体験をされて下さい。
巣箱つくりは2回目となりますが最初の巣箱はベランダの柱に据え付けました。毎年雀が利用しヒナを育てています。毎年同じ雀なのか私が近くにいても逃げなくなり安心して子育てしています。巣箱の入り口の穴が3センチ程だったのがアオゲラかムクドリに突かれ穴が大きくされムクドリが来てたのでまた以前のようにスズメが出入り出来るほどの大きさに塞いでやったらまた雀が入るようになりました。
子どもたちには自分で作った巣箱に小鳥たちを呼び込んで楽しんで欲しいですね。日本三鳴鳥のウグイスとオオルリそしてコマドリなどの野鳥の鳴き声を聴き写真なども見ながら野鳥のことを調べてみたいと思います。今回は中学時代の鳥仲間でもあった友人が野鳥の話もしてくれますよ。
秋に販売する里芋そして夏の川遊びで食べるカレーに入れるジャガイモさらに枝豆も全て無農薬無化学肥料で栽培します。保護者の方も是非お子様とご一緒に楽しく有意義な体験をされて下さい。
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2023年04月12日
米作りと野菜栽培
田んぼと畑の雪が解けたので早速堆肥を運んでいただき農作業の準備に入りました。畑では今年も里芋とジャガイモそして枝豆を栽培します。ワイルドエドベンチャースクールで子供たちが里芋とジャガイモを植え込み枝豆を播きます。里芋は秋に販売体験で売るものです。大根やもち米も一緒に販売します。これらの作物は全て無農薬と無化学肥料で栽培します。堆肥と鶏糞だけの有機栽培で育つ野菜たちです。皆さんには美味いと人気があり毎年楽しみにしていると言われます。夏の川遊びや秋の稲刈り山道のトレッキングそして冬の雪遊びも楽しいものです。今年はまたブラジル料理作り体験もやりたいですね。ブラジルの人が良く食べるマンジョーカ料理です。牛肉と一緒に煮込んだバーッカアトラーダやフライドポテトのようなマンジョーカフリッタなどさまざまな料理があるので楽しみです。またブラジルの映像を見たりサンバも踊りたいですね。マリナさんから今年もマンジョーカの苗木を取り寄せていただき栽培する予定です。今年で3年目になるので頑張って楽しく育てたいと思っています。人の背丈以上に大きく成長する木で根っこがマンジョウーカの芋なのです。マンジョーカの澱粉でタピオカを作りみんなで飲みましたが旨かったです。もち米を栽培する田んぼは山手にあるのでイノシシに注意が必要です。クマと違ってイノシシは人に向かってくることもあり危険だし田んぼの土手や道路を掘り起こしたりして壊すので始末の負えないのです。農家の人たちは電気柵を張り巡らしたり対策を取りますが私たちは線香を炊いたりイノシシの嫌いな匂いがするものを置いたり爆竹などを鳴らして警戒します。畑では毎晩ラジオをかけています。いろいろと大変ですが秋の収穫の喜びで苦労がいっぺんに報われますのでそれを楽しみにして頑張るつもりです。出来る限り機械を使わずに手作業で作業を行います。自然と一体になりとても気持ちが安らぐ作業なので満足感があるのです。児童のみなさん私たちサポーターと一緒に今年も楽しく有意義な体験をしましょう。
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2022年08月04日
アースアカデミー大場満郎冒険学校の猫カフェ
オスとメス2匹の猫が冒険学校にいる。1歳を過ぎたばかりだ。同じ母親から生まれたので子猫のときは互いに体を寄せ合い眠っていたのでとても仲が良くいつも一緒に行動している。窓から外へ出る足場を軽々と飛んで出入りする。特にメスのデッカは軽いのでまるで忍者のような素早さだ。高い木に駆け上る速さに驚いてしまう。でも木から下りる際は戸惑っていた。なんとかやってるうちに後ろ向きで爪を立てながら下りるやり方を覚えた。どこに行くにも2匹は付いてくる。トイレやふろ場やキッチンや寝る所と。そんな訳で浴槽にそれぞれ落ちてしまったしトイレットペーパーを引っ張り出してじゃれていたものだ。最近はモグラやカエルや虫を生きたまま咥えてきて家の中で遊んでいる。モグラもキーキー言って鳴き可愛そうなので外に逃がしてやるのだがまた捕まえてくるのだ。一度デッカはスズメバチに襲われ刺されたようでブーンと鳴る羽音を耳にすると逃げるようになっている。野良猫のオスのでかいのがときどきやってくる。デッカは最初のころ付いて行ってたが最近は逃げ帰るようになってきた。どちらも避妊と去勢はしてるので問題ないのではあるがケンカでケガするのが心配である。
来館者が来るとおそるおそる近くにやってくる。猫の好きな方がさわると気持ちよさそうにしている。だから子供たちの猫カフェも出来そうな気がする。お腹を見せて触らせてくれるので猫好きな人も満足して喜んでいる。冒険学校の館内は広いのでどこにいるのか分からないが呼ぶとすぐ駆けてきてくれる。外も遊ぶところがあるので木登りや草原での狩りもできる。トンボやバッタやモグラなどを狙って飛びかかっている。メスのデッカという名前は子猫の時にオスのチャコより少し大きかったからデッカと名ずけたのだが今ではチャコの方が大きくなっている。チャコは呼ぶのに簡単なのでチャコとした。冒険学校に活気を与えてくれる大切な存在である。
来館者が来るとおそるおそる近くにやってくる。猫の好きな方がさわると気持ちよさそうにしている。だから子供たちの猫カフェも出来そうな気がする。お腹を見せて触らせてくれるので猫好きな人も満足して喜んでいる。冒険学校の館内は広いのでどこにいるのか分からないが呼ぶとすぐ駆けてきてくれる。外も遊ぶところがあるので木登りや草原での狩りもできる。トンボやバッタやモグラなどを狙って飛びかかっている。メスのデッカという名前は子猫の時にオスのチャコより少し大きかったからデッカと名ずけたのだが今ではチャコの方が大きくなっている。チャコは呼ぶのに簡単なのでチャコとした。冒険学校に活気を与えてくれる大切な存在である。
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2022年06月23日
稲も野菜もこれからかな?
このところ農作物の生育が遅いような気がする。気温があまり上がらず日照不足のこともあるだろう。里芋に追肥して土寄せをした。枝豆の除草もした。ブラジルで栽培されているマンジョーカの生育は低温のためか足踏み状態で生育が遅い。しかし全て根付き頑張っている。さすがに馬鈴薯は低温に強いようでグングン生育している。餅稲の「こゆきもち」は少しずつだが順調だろう。寒さで野菜苗を植え変えている人がいるとか聞こえてくる。だが今週あたりから気温が上昇するようなので一気にみな伸びて来るかと思われる。今まで2回の雹が降りアスパラなどに折れ曲がる被害が出ている。アスパラも今後は元気に勢い強くのびることでしょう。
田んぼに昔ながらの手押し除草機がけをした。歯車が回転して泥をかき混ぜるので除草されるのである。縦と横に掛けたが稲の株本は残るので手で回しながら雑草を引き抜き泥の中に足で踏み込むのだ。腰は痛くなるしときどき立ち上がり腰を伸ばしながらの作業であり大変な重労働なのである。昔の農家は本当につらい農作業を続けたのである。今は農薬を使用するので田の草取りは誰もやらないし機械での作業なので随分と以前に比べたら楽なものである。ワイルドエドベンチャースクールのお米や野菜は無農薬と化学肥料を使わずに堆肥だけで育てる有機栽培である。秋には大根や里芋そしてもち米の「こゆきもち」をリヤカーに積み子供たちと引っ張って街中を売り歩く販売体験を行うのだ。アッと言う間に売り切れるので今年は3倍の量に増やすのだ。町の人たちも恒例の販売体験を心待ちにしてくれており子供たちを応援してくれるのでありがたいことである。子供たちは販売を通じてコミュニケーションの面白さを体感しているのである。
わざわざ昔ながらの手作業と体を使って販売することを体験する中で社会で生きてゆく基本的な事柄を学んでゆくのである。お米一粒も粗末にするななどと言わずとも自分の手で育てたものは大切にする精神が自然と備わるものなのである。このことが自然との共生や身の回りの環境やがては地球環境問題への関心を呼び起こすことに繋がるものなのだと思う。地球上のあるゆる生命が互いにつながり共生していることを学べば素晴らしい気持ちになれることかと思っている。
田んぼに昔ながらの手押し除草機がけをした。歯車が回転して泥をかき混ぜるので除草されるのである。縦と横に掛けたが稲の株本は残るので手で回しながら雑草を引き抜き泥の中に足で踏み込むのだ。腰は痛くなるしときどき立ち上がり腰を伸ばしながらの作業であり大変な重労働なのである。昔の農家は本当につらい農作業を続けたのである。今は農薬を使用するので田の草取りは誰もやらないし機械での作業なので随分と以前に比べたら楽なものである。ワイルドエドベンチャースクールのお米や野菜は無農薬と化学肥料を使わずに堆肥だけで育てる有機栽培である。秋には大根や里芋そしてもち米の「こゆきもち」をリヤカーに積み子供たちと引っ張って街中を売り歩く販売体験を行うのだ。アッと言う間に売り切れるので今年は3倍の量に増やすのだ。町の人たちも恒例の販売体験を心待ちにしてくれており子供たちを応援してくれるのでありがたいことである。子供たちは販売を通じてコミュニケーションの面白さを体感しているのである。
わざわざ昔ながらの手作業と体を使って販売することを体験する中で社会で生きてゆく基本的な事柄を学んでゆくのである。お米一粒も粗末にするななどと言わずとも自分の手で育てたものは大切にする精神が自然と備わるものなのである。このことが自然との共生や身の回りの環境やがては地球環境問題への関心を呼び起こすことに繋がるものなのだと思う。地球上のあるゆる生命が互いにつながり共生していることを学べば素晴らしい気持ちになれることかと思っている。
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2022年04月17日
春到来今年もワイルドエドベンチースクールが始まるよ
冒険学校のある前森高原も雪が解けて草原が現れてきた。道路わきのロータリーで飛ばした所だけは30センチ程の残雪はあるが。畑と田んぼの雪ももう少しで全て溶けるだろう。今年もワイルドエドベンチャースクールで野菜つくりともち米栽培をするので準備を進めているところである。もち米の「こゆきもち」を栽培する予定で折衷苗代を拵えて種まきする。苗代の田んぼは3本鍬で起こして水を引き代掻きも済ましている。今は田植え機械でみなさんやるので温室機にかけ芽出しをしてハウス内で生育した苗を田植え機で植えてゆくのだ。私は昔ながらの手作業が好きなので折衷苗代での苗作りを行っている。今日あたりは農家の方々は苗箱に種をまき温室機に入れているところだ。私もそろそろ種モミを播く床を作らねばならない。幅1メートルの床を土で盛り上げた所に播くのである。その後でビニールのトンネルで保温して発芽させ生育させるのである。風でビニールが飛ばされたりもするので毎日管理が必要である。田んぼに植える当日の早朝には以前は暗いうちから苗代の苗を腰を曲げて両手で引きふき田んぼの水にバシャバシャと叩いて根に付いた泥をきれいに落として稲わらで束ねていたのだ。蚊がいるのでかゆくて仕方なかった。それで稲わらを燃やしその煙で蚊を追い払っていた。その後で朝ご飯を食べすぐにまた今度は田植え作業が始まるのだった。田植えも手植えなので腰は痛くなりときどき腰をのばしつつ暗くなるまで続くのだった。田植えも2週間ほど続きやっと終わるのである。村では互いに協力し合い田植えを行い終わると「さなぶり」と言って3日間休みを取るのだ。いまでもこのさなぶりの習慣は残っているが2日ほどでの機会による田植えなので昔ほどの苦労を感じさせることはない。しかし逆に機械代の支払いに苦労するのだ。子供達には手植えをしてもらい手間暇かけて育てる米つくりを体験し昔の人たちの苦労や生活を感じてほしいしその体験があって初めてお米のありがたさや自然の恵みに感謝する気持ちを持つことが出来ると思っている。ワイルド「野生」とはライオン、トラと言った荒々しさや猛々しさ、そしてまた猛吹雪や豪雨といった恐ろしさを感じさせるイメージがあるが道端に咲いているたんぽぽや人知れず山の中にぽつんと咲くすみれも野生なのである。言ってみれば人間も野生の一部でもある。野生は様々な生き物や植物と共生していることは一目瞭然だろう。森林の大木の下には小さい木が生え地面には下草やコケも生きているし昆虫類や多くの獣たちや鳥類がいて成り立っている。これが人間の手で管理されすぎて杉林だけやヒノキ林だけの単調な環境下になると大雨での土砂崩れなどの災害を起こしやすくなってしまう。人間も同様でもともとは自然の一部なのにあまりに自然から離れすぎると心と体の調和、バランスがくずれて精神や身体に不調を来す結果につながる恐れがある。それが分かっているので人は自然に入りバランスを取るのだと思う。ワイルドエドベンチャースクールの活動は野生「ワイルド」の心を養い明るく元気に楽しく生きる技をを学ぶことを大切にしている。子供たちの心に備わっている野生「ワイルド」Wildのこころを発揮できるところなのである。しなやかで強く生命力溢れるこころを持とう。
mitsuro_ohba at 13:47|Permalink│Comments(0)│
2022年04月08日
スギ花粉で空が霞んでいる。
山の近くを車で走っていたら杉林の中から黄色い煙のようなものモクモクと立ち上がっているのがが見えた。一瞬山火事だろうかと思ったがよく見るとスギ花粉が飛散しているのだった。はるか遠く高い雪山も黄色に染まり空全体が黄色になっている。ここまでのスギ花粉の飛散は初めて目にした。
セイコーミュージアム銀座から図録が送られて来た。会社創業140年記念事業の一環としてミュージアム図録を編纂。創業者 服部金太郎の即席を始め時計の歴史核時代を彩ったセイコー製品を紹介しておりますとセイコーミュジアム銀座 村上館長からのお手紙も同封されている。日本語版と英語版の2冊が手元にあり私の北極単独徒歩横断の時に制作していただいたオリジナルのセイコーランドマスタートランスポーラー・アドベンチャー1997(平成9)年 seiko Landomaster Transpolar Adventure 1997の時計と北極海上での私の写真も掲載されている。この時計は私がセイコーの会社に依頼して製作していただいたものでセイコーエプソンやセイコーの会社の多くの方々のご協力のお陰で出来たものなのである。北極海氷上では自分の周囲は360度水平線なので時計と太陽の位置により方向を出すのである。酷寒の中で素早く的確に方向を出すために24時針を付けていただいた。24時間かけて針が一回りするものだ。この針を太陽に向けるだけで東西南北が瞬時に分かるのである。私は重いそりを引き歩くスタイルを取るので少しでも軽くかつ丈夫なものが必要なのでいろいろと注文をつけたが私の期待を上回る素晴らしい時計に仕上てくれた。素材はチタンを使い手の肌と相性がいい。重いものは捨てることがあると聞いたので私に途中で捨てられないように工夫したとのこと。例えば北極海の地図を入れ白クマの足跡も入っている。ロシア側のスタートポイントとカナダ側のゴール地点の名前もそれぞれロシア語と英語で記されていた。すごく苦労して作ったものだよと言われたときは単なるものではなく皆さんの心からの応援が詰まった宝物になったのである。つらい時はよくこの時計を見て励まされたものである。セイコーとエプソンのみなさんからご支援を頂き無事に成功することができうれしく思っている。そんな時計がセイコーミュージアム銀座地下一階の展示室に飾られてあるのは心からありがたく感謝の念が湧いてくる。ちなみに南極大陸単独徒歩横断の時にもオリジナルの24時針付の時計ランドマスターサウスポールを製作していただいた。こちらの素材は京セラの会社のセラミックを使用しており相当に丈夫でコンクリートに落としても壊れないほどの強度がある。これら両極横断での時計は記念モデルとして限定販売されました。多くの皆さんのお力添えがあり無事に達成できたこと心より感謝しております。
セイコーミュージアム銀座から図録が送られて来た。会社創業140年記念事業の一環としてミュージアム図録を編纂。創業者 服部金太郎の即席を始め時計の歴史核時代を彩ったセイコー製品を紹介しておりますとセイコーミュジアム銀座 村上館長からのお手紙も同封されている。日本語版と英語版の2冊が手元にあり私の北極単独徒歩横断の時に制作していただいたオリジナルのセイコーランドマスタートランスポーラー・アドベンチャー1997(平成9)年 seiko Landomaster Transpolar Adventure 1997の時計と北極海上での私の写真も掲載されている。この時計は私がセイコーの会社に依頼して製作していただいたものでセイコーエプソンやセイコーの会社の多くの方々のご協力のお陰で出来たものなのである。北極海氷上では自分の周囲は360度水平線なので時計と太陽の位置により方向を出すのである。酷寒の中で素早く的確に方向を出すために24時針を付けていただいた。24時間かけて針が一回りするものだ。この針を太陽に向けるだけで東西南北が瞬時に分かるのである。私は重いそりを引き歩くスタイルを取るので少しでも軽くかつ丈夫なものが必要なのでいろいろと注文をつけたが私の期待を上回る素晴らしい時計に仕上てくれた。素材はチタンを使い手の肌と相性がいい。重いものは捨てることがあると聞いたので私に途中で捨てられないように工夫したとのこと。例えば北極海の地図を入れ白クマの足跡も入っている。ロシア側のスタートポイントとカナダ側のゴール地点の名前もそれぞれロシア語と英語で記されていた。すごく苦労して作ったものだよと言われたときは単なるものではなく皆さんの心からの応援が詰まった宝物になったのである。つらい時はよくこの時計を見て励まされたものである。セイコーとエプソンのみなさんからご支援を頂き無事に成功することができうれしく思っている。そんな時計がセイコーミュージアム銀座地下一階の展示室に飾られてあるのは心からありがたく感謝の念が湧いてくる。ちなみに南極大陸単独徒歩横断の時にもオリジナルの24時針付の時計ランドマスターサウスポールを製作していただいた。こちらの素材は京セラの会社のセラミックを使用しており相当に丈夫でコンクリートに落としても壊れないほどの強度がある。これら両極横断での時計は記念モデルとして限定販売されました。多くの皆さんのお力添えがあり無事に達成できたこと心より感謝しております。
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2022年03月17日
ソ連からロシアへ
今日は3月17日だが冒険学校の周辺は残雪が2メートル程あります。今年の冬は降雪が多かったこともあるが風が強い所なので吹き飛ばされてきた雪が溜まり冒険学校はスッポリと雪に覆われてしまったような状態でした。ロシアがウクライナに攻め入り戦いが続いているがなんとも嫌な気分になります。ロシアから北極横断が始まったので当時のロシア国内のことが思い返さります。1993年に事前調査とトレーニングを兼ねて行き1994年、1995年1996年、1997年と5年間続けて毎年ロシアに入ったのでした。私のサポートをしてくれたロシア人たちはソ連時代の国内状況に戻りつつあるのを肌で感じているのではないでしょうか。ペレストロイカを掲げたゴルバチョフ大統領の政権でソ連が崩壊し1991年にロシアが誕生し自由に外国人が入れるようになったのです。その2年後に私は初めてロシア入りしたのでした。当時は店内に食料品は少なく何もない状態でした。ロシア人の若い男性がパンを新聞紙などに包んだり包装なしでそのままパンを手に持ち買っていくのを目にしてゴミが出なくて凄くエコ的だなと思ったりしました。ロシア人がよく食べる黒パンが好きでしたがなくて探してもらい手に入れることが出来ました。マクドナルドなど西洋の食べ物やレストランなどが出来て手軽に安くて旨いものを食べるように変わってきたようです。ヨーグルトも凄く濃くて真っ白な栄養満点のものも少なくなりつつあったように思います。昔のロシア人が食べていた本物の良いものが減ってきているなと少し寂しかった思いを持ったものです。私のサポートをしてくれた組織や人たちは英語が出来るので外国人とのビジネスが出来る能力がありますが英語ができない人たちは難しいわけです。ロシアは面白い国ですが今回のプーチン大統領のウクライナへの軍の介入で外国の企業や人たちはがっかりだと思うしロシア人も同様かと思います。ロシアに入る際にドストエフスキーやトルストイ、ソルジニチエーンなど様々な作家の作品を読みソビエトの国や国民について知ろうとしましたがその昔の広大で恐ろしく寒い中で力強く生きてきたソ連人を再び見るような思いがしてやるせなさを感じる思いがします。いろいろな戦いがあっていいと思いますが人を殺すのだけは良くないのです。それは悪いと言うのではなくて罪なのです。罪を犯さないでください。
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2022年01月30日
最上町南極の日イベント
南極の日1月29日最上町の「おくのほそ道」赤倉ゆけむり館にて開催されました。北海道大学低温科学研究所の中山佳洋先生が南極大陸から氷が海に向かって流れ下るのをコンピューターで動画表示してくれ一目でその様子を知ることが出来ました。氷河に当たる所は流れが速く迫力があるのです。地球観測衛星からのデータをもとに再現してくれました。南極大陸は面積が日本の37倍もあり厚い氷床に覆われています。最も標高が高い東南極で4000メートルを超える厚さの氷で南極点では2500メートル程あります。西南極大陸のアムンゼン海一帯だけが氷が解けているとのお話がありました。私の1998年から1999年にかけての南極大陸単独横断のルートは南アフリカ側の東経8度が出発で南極点を経由して西に折れアムンゼン海の近くがゴールでその距離3829KMを99日間で走破しました。5000メートル級の高い山から吹き下ろすカタバ風と呼ばれる風を利用してパラセールという凧のようなセールを空中に上げてソリを引いたままスキーで滑走したのです。条件がいい日は1日で160KM以上も進むことができました。しかし風のない日は歩きなのでその10分の1ほどしか進めません。一番厳しかったのは何ですかとの小学3年生の男の子の質問がありました。それは最初のシグニャブリーン氷河登りでありメチャクチャに散在しているクレパスという氷の割れ目を登るときでした。その割れ目の幅が5メートルから10メートル程もあり底なしになっているのです。氷床から流れてくる雪が溜まり橋が架かったような所を見つけて渡るときは本当に緊張しました。また楽しかったことはスキーセーリングのときで時速30KMほどのスピードで滑走しているときです。風と一つになり溶け込んだような気分であり聞こえるのはスキーの滑る滑走音だけでした。真っ白な大地を真っ青な青空の中進んでいると動いているのか止まっているのか分からなくなるのです。氷床では何も目標物がないのでそうなるのでした。南極点にあるアメリカの「アムンゼン、スコット南極点基地」には1999年の元旦に到着しました。基地の方々が出迎えてくださり歓迎してくれたのはうれしかったです。各国の科学者が共同で観測をされておられいろいろとその仕事の内容を説明してくれました。オーロラや大気、気象、雪氷、地磁気、氷河など多くの研究をしているのです。インドや中国、カナダ、日本も含め互いに行き来して研究を進めていました。温室で野菜栽培もしてたしとても快適な基地の中でありアムンゼンやスコットたちがこのことをしったらさぞ驚いたことだろう。ちなみに南極点は半年間が太陽が地平線から登らず残りの半年間は太陽が沈みません。時間も軽度がないので自分で決められるわけです。また範囲が広い南極圏とは南緯66度33分以南でありその定義は一年間で太陽が1日でも登らない日また逆に地変線から沈まない日を境にしています。大陸から海に張り出した棚氷は海水温の上昇で溶けはじめそれが気象に影響をあたえていることなどとても貴重な学びができ子供たちも自分たちの生活、生き方を考える良い機会になったかと思います。帰り際に児童も大人の方も「今日はありがとうございました」と言って帰られた姿をうれしく見送りました。中山先生そして主催、後援してくださった皆様に感謝致します。ありがとうございました。
mitsuro_ohba at 14:00|Permalink│Comments(0)│