「風のひとりごと」ブログ

東日本大震災および今回の熊本大地震で被災された方々へ、心からお見舞いを申し上げます。
マスメディアを志望する若手のために「平成マスコミ塾」を主宰してきましたが、自身の仕事が忙しくなってしまったため、現在は休止状態です。 今後も若手のマスコミ志望者のためにお手伝いをしたい、との気持は変わりないものの、これまでよりは小規模に読者との交流や勉強会をめざしていこうと考えました。 ここでは、自分のメディア論を含めて意見を述べるとともに、勉強会の早期開催を目指します。

“期待外れ”の大酒のみ



また結構淡々としたなぁ

 一昨日は待望の飲み会ということで期待感はごく強いものだった気がする。既述のように、直近までの予定では小学校の卒業以来52年ほども会っていなかった2人が参加するかもしれないと、考えていたからだった。

 結論的には今は剣道の師範としても活躍をしているM君は所用で欠席。もう一人代々木八幡の会場そばに住んでいるI君(彼はもう何度も会っている)も、体調不良を理由に来られなかったのは大変残念だった。それでも、総計7人でワイワイガヤガヤ――。私は5分ほど遅れて行っただけだったのだが、暫くしてからこれも全く卒業以来になるS君がおっとり刀(?)で駆けつけてくれた。私は同じクラスになったことはなかったものの、名前は親しかった。しかし、どうしても顔は鮮明には浮かんで来なかったですな。

 それともう一人、これも珍しい人なのだが、私自身は4年ほど前の同期会で久しぶりに顔を合わせたT君(彼も他クラスだ)も自分の正面に鎮座していた。彼は、私は低学年のときに一緒のクラスだったのでその姿は懐かしい。本当に大人しい鉄道オタクだった彼ながら、今回は余計なことは言わない代わりに普通の会話は楽しんでいたように思う。

 いや、確かに小学校時代の思い出を中心にごく愉しかったものはそうながら、どうも普段の同じ6年2組男子同士の飲み会とはちょっとだけ雰囲気が違う。私は最後の方で思ったのは、酒は十分に飲んでいる気はするものの、「どうもこの頃は弱くなったなぁ〜」ということ。普段見せている弾けるような感情のほとばしりには乏しかったからだ。「自分の感情が高まらないので、全体に雰囲気も大人しめなのかな?」という感慨だった。

やはり形が普段と違ったから?

 しかし、これまた何時ものように翌日(つまり昨日)、大親友のNが総括のメールをくれたものなのですが、彼も私と全く同じような感想を持ったというのでビックリした。一つにはせっかくその所在を探し出して勇躍参加もしてくれたS君の「表情が硬かったな」ということ。つまり、同じクラスではなかったので、ちょっとばかりの緊張感も先行したのではないでせうかな。

 Nが言うには「50年以上の空白を埋めるのには、いまひとつ時間がかかるのかな?」ということ。それは本当にそうかもしれない。聞けば、彼は16ぐらいの歳に地元の八幡を離れて各地を転々としたのだという。今はすっかりサラリーマン然として何処かの銀行員のような風情でしたな。真面目そうな紳士になっておりました。

 それなので、会場近くのスナックに場所を移したときにはこれまたそのすぐそばに彼の自宅があったものだから、暫し周囲を一緒にセンチメンタルジャーニーをしたものだ。「ここに家があったんだ。裏手は例の工場さ。けっこう周りは殆どその工場の敷地だったな」と、私もかすかにその記憶がある当時の周囲が浮かんでくるのだ(今は飲食店等が立ち並んでいるが)。やはり、52年の歳月は重い。

 その後は2次会で4人の紳士がまたなんたらすんたら――。ここで私はウイスキーの水割りを一所懸命に飲んでいたが、どうも酒が進まずに調子が悪い。昨年やはり52年ぶりかで再会したMはごくごく元気で色々としゃべっていたが、私は軍事オタクであるNの今回の尖閣周辺の中国原潜の示威行為に関して、決してマスコミでは知り得ない裏話を聴いたりして感心をするばかりだった。やはり、専門家には叶わないものだ。

 いやいや、ごくごく愉しかったのは愉しかったのですよ。しかし、人選やその時々の流れ、調子によって場所の雰囲気と勢いは随分と変わるものだとは承知した次第。普段の楽しみは少ないので、次回もぜひに皆と一緒をしたいものなのだが、Nじゃないけど「次回は二人でしっぽりやりますか?」というのも、「イイかな?」とも思ったところです。皆さん、お疲れさまでした。

“期待”する当日

何事もイージーではないのだ!

 週末きょう土曜日の饗宴に関しては、少し前から「ワクワクする」と縷々述べた。そして、その当日がアッと言う間にやって来たという訳(実際はそこまでの早さではないが…)。

 個人的な愉しみに関してアレコレ期待を言っても、それは読者には関係ない。まして、生産的な教示にはなり得ない。そこで、こうした愉しみを支える“側面”というものを考えてみたいのデス。偉そうに言っているが簡単なことだ。そう、愉しみにはお金がかかるのである。

 年が明けてからの生活に関しては、本当はもっともっと楽にイージーなものになると考えていた。これも何度も述べたように、年末にかけて結構に忙しかった。それで、今月や来月は普段の月よりも下手をすると2倍を超える給金があることになっていたのです。そして、実際にあった。

 でも、お足とは良く言ったものですな。嫁さんに少しだけまとまったお金を渡し、子どものお年玉も弾んだほか、期限の迫っていた税金や溜まった社会保険料を払ったり何とかしていたら、それこそアッと言う間に無くなっていったのだ。たしか、一昨々年の暮れに親友を亡くしたときにも翌年1月から2月にかけて「偲ぶ会」の開催に向けて東京に8度も足を運んだ。これも、年末の稼ぎがなければ到底不可能の所業でありました。今回も、たくさん仕事があったから良かったようなもので、そうでなければ決して自分から望んで東京での友人らとの饗宴を企画・所望するなんて事も出来ずだらう。

何とか明後日まで息を繋ぐ

 そんな事情から、もっと気楽なものと考えていたお遊びに関しても、今回はホテル代や交通費に関してはギリギリ。つい10日ほども前にその峻厳な“事実”に気づき、正月気分の抜けなかった頃からの1円パチンコ通いも止めていたのです。それで、何とかここまで辿り着いたという訳。

 まあ、今回は女遊びをする訳でもなし、飲む場所も地元である東京・富ヶ谷である。飲み代はおそらく2万円もかからないハズ。ホテルはビジネスで1万超はとられるが幸いに行き帰りをバスにしたので交通費が驚くほどに安くなったことに救われた。

 実は、普段の日常ではお金が少なくなるとクレジットカードで急場を凌ぐことが多かったのだが、今回はそれが出来なかった。何となれば、これまた年末に「カード失くした」の騒ぎを起こし、カード会社に使用停止措置をたのんで新カードを作るばかりになっていたからだ。これも思いのほか時間がかかり、つい先日その願い書をクレジットの会社に送ったばかりなのであります。

 実際には2日ほど「ないない」と騒いだあとにそのカードは出てきたのだ。絶対に着た覚えのない上着のポケットから出てきた。ことほど左様のことばかりで、私は初期の認知症として自分がやったことをその先から忘れてしまっている。本当に最近はこの種の体たらくばかりでアル。

 でも、きょうの友人との交歓ではその事実は隠しておきませう。何のことはない。昔のことはごく鮮明に覚えているのだから、何の不自由もないハズである。今から、本当に楽しみだ――。

“期待”する人生

また、取り留めもないヨタ話

 考えてみれば、人生などというのはどうでもいいような感情の起伏の中に生きているものだ。ときに喜び、ときに泣き、ときに憤り、ときに慌てる(これも多いような気がするが)。

 これは近年というより歳を取ってから実感をするのは、その気持ちの問題というのが実に毎日の生活を規定してしまうし、他人(ひと)からみればどうでもイイようなことで私たちは落ち込むことですな。一方、まあ割合は多くないのかもしれないが嬉しくなるような事も意外と多いし、感動をすることもこの頃は少なくない(親子の情愛の場面などは、何を見てもすぐに涙を流してしまう)。

 何故、そんな唐突のことを言うかと言いますと、この頃は妙に生活が落ち着いてしまったせいかこれから起こる些細なことに“期待”をしてしまっている自分を発見するからでアリマス。

 この期待という感覚も実に生活場面を規定するのですな。思い起こせば、若い頃から前向きな思いというのは実にこの期待感から生まれてくる。学校では友だちが多く出来、勉強も出来るようになること。運動会があれば一等賞になりたいし、周囲に女の子がいればモテルことを大いに期待をしたりします。高校・大学進学もいいところに行きたい。会社も一流のそこに入りたい。嫁さんもできれば美人がいいな……と何と期待感にあふれていることか――。

 でも、大半は夢と終わるのですがね。期待と失望、あるいはときに絶望。これの繰り返しでせう。

ささやかでも期待が出来る人生を

 若いときの自分なりでソコソコ懸命に生きていた時には、この期待する心が大きな膨張するようなそれであった半面、実現が叶わなかったことの方が遥かに多いし、一方ではその反動といったものにうちのめされたことも大変に数多いものだ。これは、多くの人にとっても実感が出来るようなものであるかもしれません。マ、それだけ清新で前のめりであったのであらうということデス。

 人生黄昏(たそがれ)てくると、そうした大それた希望や大いなる期待といったものは縁遠くなるにしても、日常的に「きょうは美味いものが食いたい」とか「空いた時間を遣って日帰り温泉でノンビリしてみたい」とか、もっと俗っぽくなれば「1円パチンコでも3000円は儲けるゾ!」とか実に下らない期待感で横溢をした邪(よこしま)な生活となっていく――。

 今の私が実にそうなのですな。しかし、これを否定的に見ているかとなると実は逆だ。大変に愉しいのであります。どちらかというとほぼ実現出来そうな些細な歓びが多いし、他人に迷惑をかけるものでもなく、責任ある仕事に関わることもないので実に気楽。そして、実にワクワクするのですな。

 直近は今週の土曜日だ。最近再会し親しくなった連中が確実に増えた、富ヶ谷小学校6年2組の連中と新年会をやることになっている。初めは親友であるNと話して、彼と「二人きりでもイイな」ぐらいに思っていたものが、顔の広い彼が気をきかしてけっこうな人数を集めてくれた。予定では8人来てくれることになっている(男だけだヨ、念のため)。

 中には未だ分からないのだが、他のクラスの一人を含めて2人の実に卒業以来52年ほども会っていない御仁、M君とS君が来てくれる予定になっておるのだ。本当に実に愉しみだ。以前記したことのある親友であった野球仲間のM君も来てくれるとのこと。本当に他愛もないのだが、こんなことが確実に舞い上がりの要素で「アレコレ」と期待感を膨張させてくれるのでアリます。実に他愛もない、本当に他愛もないのだが……。

伊豆行



ちょっとだけ久しぶりの伊豆

 連休最終章。嫁さんは4日間だが私も3日の間、存分にノンビリを満喫した気がする。何よりも気兼ねなく眠れることが良かった。この間に随分と寝たのではないかなぁ〜。

 それで大した変化もない日常の中で、きのうは久しぶりに伊豆の伊豆高原近辺に訪れた。直接の目的は兄嫁が再びに開催したデコパージュ作品展を観るため。少し前に案内はもらっていたのだが、訪れる機会を窺っていたためだ。ここで話を殊更に劇化する気は全くないものの、私の兄嫁はもう7年前に脳卒中で倒れ、未だにリハビリの真っ最中の中にいる。それで、そうしたリハビリの一過程の意味もあるし、精神的にも鼓舞ができるものとしての開催の意味合いもあったようだ。

 義姉はもともと手先が器用で画才もある人だった。加えて、一時は生徒を募ってデコパージュを教えていたりもした。だから今の生活が大変に不自由なことと、嫁さんの介護と仕事、家事を奮闘している実兄の苦労は想像に余りある。私が何とて出来る訳もないがしかし、こうやってたまに訪れて姉の作品をみたり(冒頭写真)、山の中腹にある兄の家でお茶をしたりするのも愉しいものでアル。

 それに伊豆高原の辺りは、未だ兄貴が今の自宅を別荘として利用していた時期(兄はもともと東京で居宅を持ち仕事をしていた。かなり前に伊豆に移住)に何回か利用をさせてもらったし、子どもが小さかったこともあって休みの度に家族全員で頻繁に訪れていたりしたエリアだ。南伊豆もさうだし、下田や河津の辺りにしても何度も訪れている。

 そんなこんなの束の間の休日小旅行という訳であります。

伊豆もけっこうな変化がある

 家族のやり取りの詳細については、内輪のことなので遠慮をしておきませう。ただ、姉が一回目の作品展で訪れていたときより大分表情が明るくなり、体の動きも随分と良くなっているように感じたのは本当に嬉しいことだった。私の嫁さんも前回も一緒だったが、全く同じような感想を漏らしておりましたな。

 これも何とも内輪のことなのだけれど、兄貴は伊豆高原の周辺の介護家族会の会長を務めているのだそうだ。その会員の方々の相談に乗ったり、実際に介護に立ち会ったりの忙しさや実態の悲惨さへの感想なども縷々述べていた。興味が尽きないというのか、本当にこれからの高齢社会に待ち受けているものの恐ろしさを思ったりもしました。

 一方、兄は介護の苦労を除けば仕事や音楽活動は順調のようで(彼は音楽家である。楽器はフルートです、念のため)、そうした方面の話も楽しかった。アッと言う間の2時間半ほどである。

 帰りは行きと違って伊豆スカイラインを目指したのですが、あちこちに出ているチェーン着装や「凍結注意」の看板におののき、ノーマルタイヤでは無理かななどとも思ったものの、結局ノーマルでも注意しながら途中まで走破することができた。しかし、縦貫道に入ったあたりから大渋滞になってしまい、予定より1時間近く余計に時間を食ってのご帰還でありました。以前に比べると伊豆の道路は整備されて随分と便利にはなったものの、こうした渋滞や街路灯がほとんど設置されていないことにはアングリ。周囲が暗いので疲れることが夥しかったの行。まあ、私的な話ですがそんな家族や人生もあるということです。何処かで繋がり、何処かで紐帯を意識できるのが本来の家族ではないですかな。また、分かったような分からないような物言いだが……。

小寒



拍子抜けの休日

 何のかのともうすっかり寒いですナ。今朝もテレビでは節季の話とともに、寒さにも話題が及ぶ。その二十四節季でいうところの今日は「小寒」。いわゆる「寒の入り」という奴であります。ここから大寒までの15日ほどを“寒の内”と呼び、暦のうえでは1年で一番に寒い季節ということになる。

 暦の話を殊更にという訳でもないのですが、以前に何度か言及したことがあるように、初対面の人と話をしたりご近所の人に軽い挨拶を向けるときには「天気」であったり「季節」の話で導入を図るに如くはない。つまらないと言えばつまらない話題かもしれないが、な〜に便利なものですよ。誰でも乗ってこられるものだし、話を何処で区切ろうが止めようが自在にできるところが何ともイイ。私はもっぱらそうした手法を使っております。

 形のうえでは私もきのうから仕事初めということになっておったのでしたが、昨日は朝の仕事はなかった。そして、それは今日も同様で塾講師が夕方から今年初めてあるだけである。受験生が一人いるので彼の最後の追い込みについての工夫をアレコレ考えていたりします。ある特定の私立を目指しているとの情報もあり、内申点はそれなりにもらえることになっているので、ちょっとだけ安心をしている。

 来し方行く末を考えてみても時間は淡々と過ぎ去るのみ。思いがけず明日からはまた連休ということになり、早めの新聞・雑誌の原稿を用意するだけで過ぎていきそうだ。慌てることもない、ごくありふれた日常である。寒中お見舞い申し上げます。

森といふ大きしじまよ寒の内 上田五千石

箱根駅伝・賛辞



毎年の愉しみは変わらず

 正月はこれといった話題がないのが常で、何時も同じようなことを書いている気がする。箱根のこともそうだらう。何時も書いているし、その賛辞についても代わり映えがしないような気がして、今年は書こうという気は全くありませんでした。

 しかしねぇ〜、やはり感動や感激をするし今年も青学が順当に勝ってしまうという体たらくながら、それなりに話題や面白さは確実にあった気がする。復路はもっともっと波乱があるものと考えてもいたのだけれど、母校が予想を超えて(?)3位と大健闘をしてくれたのでそれも結果往来ということにしておきませう。

 クドクドとは述べないけれど、今年の箱根路の疾走を観たうえでの感想と所感をひとくさり――。

 先ず、大変に意外でもあり「どうなってしまったの?」と不思議でもあったのは全日本で優勝した神奈川大と同2位だった東海大の落ち込みだった(それでも総合5位だが)。神奈川に至っては予選落ちという屈辱が待ち受けておりました。私も今回は全く事前の知識といったものは持ち合わせていなかったものの、スポーツ評論家の人のコメントなどで仕入れていた情報は「神奈川と東海が本命ではないか。青学は作戦を変えて復路に主力を投入する。これがどういった結果につながるのか?」といったものだった。知りもしないのに2日の日は嫁さんに「はじめは混戦をするだろうけど、やはり神奈川あたりが強いのでは。青学がまた勝つと面白くないし、東海もやるのではないかね。早稲田は今年は無理だと、評論家の人は言っていたんだが……」と知ったかぶりの体だった。

 しかし、これはちょっとばかり(いや、全くか)外れてしまった。ある意味順当に東洋と青学が抜け出し、早稲田が続いたのは僥倖といったところ。3日の復路では嫁さんに「いや〜、これなら青学が強いだろうけど、東海はきっと3位ぐらいまで上がるよ」と、母校に対しても失礼なことも言ってしまいました。不明を恥じたいところ。また、多少はメディアに取り上げられていた駒沢にしても山梨学院にしても、結果は悲惨だったのであります。駒大12位、山梨18位と、目も当てられないというのはこんな感傷を言うのか。

箱根のドラマはやはり感動的

 また、取って付けたように言う訳ではないが、「箱根には何時もドラマがある」ということなのでせうな。

 常にそれまでの成績がそのまま通用するものではない。また、エントリー変更もしばしばにあるが、無名の新人が思わぬ活躍をすることも多いのである。身びいきにはなるものの、早稲田で最終10区を走った谷口さんは初めての箱根だったと思う。しかも一般入試で入った方というではないか。以前にも記したように早稲田駅伝の魅力は一般入試で入った政経・法学部の学生や下手をすると理工学部の学生までがあの山道をひた走ったりすることであります(これは実際にあった)。他の大学では考えられないことだろう。

 また、そこには常に人間ドラマがある。詳しい解説・ストーリーテリングは日本テレビに任せるしかないものの、亡くなったお爺ちゃんに見せるためにとか、一所懸命に育ててくれた母に報いるためにとかいうのは定番である。震災絡みの話も多いし、そこにはある種の作為もあるのでせう。でも、そんなことは分かっていながらでも感動をしてしまうのですな。

 やはり、一所懸命にやっている人の姿は美しいのでアル。この頃は強制的な努力といったものは少ない代わりに、こうした憧れの場所・舞台で何とか自分を表現したいと思う若人は、一面で多いのではないでしょうかな。大変にイイことだと思います。

 また、繰り返しになるのでアレコレとは言わないが、今年も感激と感動をありがとう。来年もまた「男の人生ドラマと目標に向かってひた走る姿の素晴らしさを見せてくれ!」と本気で頼みたいところである。

三が日雑感

とくに平凡かな?

 お正月といえば7日までが松の内ということになるが、実感としては三が日を指すことが多いのだらう。私も年末休みの愉しみを渇望していたものの、こうして早3日目になると呆気ないほどに早く淡々と過ぎ去っていくことに愕然とする。もう、正月もオシマイなのですかな。

 年末と年始の簡単な近況報告に関しては触れたりもした。ただ、今年は普段よりも何気に気持ちの昂ぶりといったものがないようだ。きのうは恒例の親戚一同の新年会があったのですが、非常にそれこそ淡々と時間が過ぎていったことに別の意味の感慨を覚えた。

 途中、一度だけ日本の安保政策をめぐって気分が昂ぶって大きな声を上げたくらい。あとは酒こそそこそこに飲んでいながら、酔いを自覚することもなかった。去年の初めに出産した姪っ子が赤ちゃんともども来訪をしてくれたので皆の人気者となっていましたが、その姪がイメージをすっかり変えて気丈な母親になっていたことが唯一の感慨といったところでせうか。

 あとは、例年のように皆でワイワイとお寿司やシゾーカおでんを食べ、淡々と飲み、持ち寄ったプレゼントを交換したりしたのみだ。普段ならあっと言う間に時間が過ぎるのだが、今年はどちらかというとゆったりと時間が流れていたような気がする。これは、他の出席者の人も同じようなことを言っていましたなぁ〜。世代の違う男女がそれこそ16、7人も集まるのでその話題の部分でどうしてもまとまりが無くなるのは仕方がないのかもしれない。

 しかし、例年だとF市に住む義理の兄が政治好きのところもあって色々政治や経済の話題を振り向けてくれるものが、今年はそんなでもなかったからでしょうかな。

良く眠れるなぁ

 あとはこの時季の個人の話。仕事の関係もあって早起きになったのは仕方がないところながら、休みに入ってからの時間の遣い方はメチャクチャだ。夜は比較的早めに寝てしまい、午前2時過ぎには起きてしまうパターンは相変わらずながら、元日の二度寝の話の続きではないが、その後も早めに寝てけっこうな睡眠時間は取っていたように覚えている。

 ところがきのうはやはり、午前2時過ぎに起きて新年会用のブリ大根の準備をし風呂に入り散歩にも出かけたりしながら、親戚の家に行くまでの午前中に再び眠気が襲ってくる。箱根駅伝の合間に少し横になったりもした。そして、午前11時過ぎぐらいから飲み会が始まったという訳だ。

 夕方4時過ぎぐらいにそろそろ新年会がお開きになった後が面白かった。タクシーで家に戻り、マンションの部屋に入ろうとしたときにポケットをいくら探してもカギを付けた小銭入れがない。ひとしきり騒いで、戻ったばかりの親戚に家にも電話をして探してもらったりした。しかし、この後きっちり嫁さんが私の脱いだコートの普段使わないポケットからカギを探し出してくれた。この種の誤解や失念が最近は本当に実に多い。あるカード紛失事件で失敗をしたのもごく最近のこと。頭が完璧に認知症になっているからなのでしょうな。

 いつもそうなのだが、けっこうな飲み食いをしているくせに小腹が空く。それで家に戻ってすぐ、朝の分で残っていたお雑煮の吸い物におもちとソーメンを入れて食べた。これは大変に美味しかったですな。大満足だった。

 それであれだけ散々寝ているくせに、この後も眠気が襲うのでアル。きのう寝たのはおそらく午後6時前後。もちろん途中トイレに2度ほど起きたのだが、何とそのままやはり午前2時過ぎまでキレイに寝てしまったのであります。イヤ、本当に良く眠れるものだ。本当にこの正月は怠惰と失念とぼんやりと餓鬼の日常となった。寝正月そのものでありますナ。

 きのう親しく話をした姪っ子の旦那さんは明日から仕事だそうだ。私もある可能性はあるのだが、どうなることやら。休みや怠惰な日常はあっと言う間に終わってしまう――それが、世の常でアル。

謹賀新年



とにかく無事であることの慶賀

 時間が過ぎれば毎年巡ってくる訳で、とくにきのうの夜明けと今日の夜明けが違っているものでもない。しかし、人間は新年を寿ぐのでありますナ。何となく愛でたいのである、本当に。

 今年も新年を迎えることとなりました。毎年、正月にいきなりブログに向かっているものかどうか、全く記憶にないのだが早朝の2時半過ぎに目が覚めてしまった(二度寝の果て)ので、とくにやることもない(テレビは熱心に鑑賞をしていた。夜中もNHKはいい番組をやっております)にまかせてこの欄に向かっている。

 先年は個人的には落ち着いた普段通りの年だった気がする。仕事もそこそこだったし、友人との集いもそこそこにあって、中には50年以上の歳月を経て再会できた友人もあって愉しいひと時が多かった思いが強い。もちろん、いいことばかりではなかったものの、とにかくも家族が無事でこうやって正月を迎えられていることに感謝をしたい。

 きのうも特にやることもなくて、私は恒例の筑前煮というのか田舎煮を正月用に作ったくらいだった。今年も美味しく煮しめらしい味になった気がする。紅白もとくに興味もないのだが、夕食のあとにすぐに寝てしまい起きたらちょうど安室奈美恵さんが出ている場面であった。回想フイルムなども大変充実していて、この場面だけはちょっとした感動ものといった感想を持った。あとは、「ゆく年くる年」を観ながら年越しそばを食べ、夜中12時になったところで家族全員床に手をついての挨拶。本当にいろいろな方のお世話になり、そして無事に新年を迎えることができました。的外れかもしれないが、読者の皆さまにも感謝をしたいところ。本当にお世話になりました。

 最後になりましたが、「明けましておめでとうございます」。「今年もよろしくお願いいたします!」。

元日のきこゆるものをひとり聞く 清水 径子

手抜き

やる気があるのか?

 少し前に日産の自動車検査体制の不備、言ってみれば「無資格審査」が問題になってから他の分野でも続々と同種の“手抜き”が明らかになっている。近時の大問題は三菱マテリアルの子会社によるデータ改ざんだろう。これは下手をすると安全問題にも繋がる重大事案でアル。

 技術大国といわれた日本のメーカーが「こんな事をするのか?」と嘆く向きも多いに違いない。筆者もその一人ながら、よくよく思ってみると昔から商売というのは何処かで金儲けのための誤魔化しがあったり、ズルといったものが横行していた部分はあるようにも思う。しかし、天下の大企業である日産その他の自動車関連や製品の品質に直接つながるマテリアルの製品にまで、そんな事がと考えると背筋が寒くなるのだ。十分に体力や余力もある大大企業であるからなのですな。

 いろいろな評価はあるかもしれませんが、一つには一種の驕りがあるのだらうし、会社の風土や管理体制に問題があったことも論を俟たない。また、意識しておかないといけないのは、私たちの日常にはそうした手抜きを呼ぶ気の緩みや“ズル”への誘惑が多いことである。これが利益至上の中堅企業になると、余計にこんなことが横行しているような気がしてならない。

 と、そこまでは社会的の話。今回、言いたいのはそんな話ではなくごく個人の日常のこと。

個人的には手抜きの毎日

 年末になって急いで家の大掃除をやったことは書いた。しかし、これが何とも中途半端で手抜きの横行なのですナ。広大な窓の掃除と手拭きの作業にしても、以前はもっともっと時間をかけて丁寧にやっていたことは古いブログを読み返すときちんと書いてある。10年ほど前のそれには「5時間もかけた」と書いてあります。だがこれは少しオーバーだらうが、実際に2、3時間はかけていたのは確かだろう。しかし、今はちょちょちょっとその2分の1ほどの時間である。

 きのうやった風呂場のカビ取りと掃除も同じ。もっともっと時間をかけていたし、部屋全体にシャワーで水をかけて後で丁寧に拭いていたりした。今は、水拭きとからぶきをもっと短時間でやる程度である。玄関も全く同様だ。

 角部屋なので小さな玄関が付いているが、以前は内部を含めてお湯を流してデッキブラシで洗い流すような作業を時間をかけてやっていた。しかし、今年は時間も体力もないし、毎年やっているせいか見た目はキレイなものだったので、濡れた古タオルとサッサを使って水拭きとからぶきだけで済ましてしまった。さらに、玄関の格子にもほこりがこびり付いているので、例年これを丁寧に拭き落としていたが、これまた手抜きではあったですなぁ〜。ちょちょちょっといった風であります。

 総じて、体力・気力が落ちている。そして、手先も不器用になっているものだからやりながら歯がゆさが先に立ってしまうのだ。居間や自室の蛍光ランプも交換したりカバーを外して洗ったりもしたものの、脚立で最上部に立つと以前は平気だったものが、今はさすがに大変な恐怖心を感ずる。ここで「落ちて死ぬのはマズイなぁ〜」と真剣に思いますな。

 いやはや、「手抜き、手抜き……」と呪文のようなものである。社会的にもそうかもしれないが、あらゆる事に倦んでくると人間はズルをすることを覚える。個人の範囲では問題になりようもない(それは全て自分に降りかかってくるからだ)ものが、公的な仕事となるとそうは行きませんゾ。責任ある人が責任のアル所作をしなければ、この社会は成り立たなくなる。近時、人々が言い訳ばかりして責任を回避したり、人の見ていないところでズルをすることを“恥じなくなった”と感ずるのは、筆者だけだろうか。嗚呼。

愈々の晦日

今年はどんな年だった?

 それこそ毎年同じことを書いている気もするのだが、愈々押し詰まって(押し迫ってではナイ)今年暮れの晦日(30日)となってしまった。本当に早い(何時も同じような物言いだが)。

 今年は思いのほか仕事が忙しく、つい一昨日までバタバタと走り回っていた。これは近年でも忙しかった方だらう。以前も書いたように有り難いことではあるものの、いささかの疲れも感じたしこの歳になると蓄積疲労も半端ではない。ちょっと動くとすぐに疲れてしまうのだ。散歩に行ってまで疲れてしまうのだから、大変に困ったものでアル。

 それで、きのうからはやっと完オフになったため急いで大掃除。実のところ午前中にマンション角部屋の広大な窓(本当に広いのだ)について窓ふきをやってキレイにしたことはした。それから嫁さん、子ども、近くの親類夫婦と共にご先祖様の墓参り。これもさほど遠くないところにあるので、車で20分ほどで行ける。きょうは寒さはともかくとして風がなかったので、本当に楽だった。

 ココからが真骨頂になってしまうのだが、私はしばらく我慢をしていた1円パチンコに行きたくて仕方がなく、嫁さんのあきれた眼差しを後目に彼女らを送り届けた後に馴染みのお店に(その前に買い物の手伝いなどもしましたが)。午後一番ぐらいからだったものの、最近お目当ての台は幸いに空いておりそこで3時間ほど競技(かな?)を愉しんだ。い〜や、適当に当たったのだが最後は出なかったのです。手持ちの500発ほどと2000円を遣ってチョンだった。いやまあ、こういうこともしょっちゅうにありますデス。

 自らの名誉のために、この後のことを記しておくと、3時少し前ぐらいに家に戻ってから私は今度は風呂場の掃除をていねいにやった。もう大分古くなってしまっているので、水垢やこびりついた汚れはどうにも落とせないものの、カビキラーをつかって振りかけるだけでも1年間に発生した黴はあらかたキレイにはできる。これも毎年に作業である。確かに、少しずつ手抜きにはなって来てはいるのですが……。

 今度は夕食の支度。買い物に行って小鍋の材料を買い、さらに2、3日前から作りたいと思っていた鶏肉とブロッコリーの炒め蒸し物をサッサと作って午後6時過ぎから出した。豆腐とめんたいこを遣った小鍋もあっさりした味で大変に好評でしたよ。

 そして、最後の締めは食事のあとにすぐに襲ってくる睡魔と闘いながらの年賀状書きであります。これも毎年、この時期に切羽詰まってやるのが恒例になってしまった。聞けば、嫁さんも以前は150枚も60枚も出していたものが、この頃は私と同じ7、80枚になってしまったようだ。何でも年波によって変わってくるのですな。私はあっさり2時間ちょっとで終えてしまったものの、嫁さんは夜中まで丁寧にあて名書きをやっていたようだ。何とか年末の格好だけは付けることができて(あとまだ、片付けと掃除は残っているのですが)、一安心。こうやって、人々は暮らしていくのでせうナ。

行く年や焚火に蹴込む松ぼくり 石塚 友二
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