2009年11月23日
啄木の不思議

未だにこの人が一番人気とは
毎週日曜日には地元紙で連載されている、三枝昂之さんの韻文に関するコラムを楽しみにしている。今回、読んだそれは何時ものように大層面白かった。
冒頭に紹介されていたのは、ある女性の若手歌人がインターネットで「売れている歌人」との検索をかけてみると、何と1位は石川啄木の『一握の砂』、2位が俵万智さんの『プーさんの鼻』だったという最近の話である。その若手歌人は「時間が止まっているようで、興味深かった」との感想を漏らした由。それはそうでしょうな、現代でも少し前でもかなり有名な歌人と呼ばれる人はいるけれど、いまでも変わらぬ人気があるのがこの人ということになると、そこには何かの秘密があるのだろう。
「歌がいいから」という人もいるかもしれないが、それだけでもないような気がする。ご存じのように、啄木の歌は『一握の砂』ではないけれど「ふるさとの訛なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにいく」といった望郷の歌、「砂山の砂に腹這ひ/初恋の/いたみを遠くおもひ出づる日」といった恋を歌った感傷歌、さらに例の「はたらけど/はたらけど猶わが生活楽にならざり/ぢっと手を見る」と続くような生活の実感、とくに自分の貧しさを嘆くような歌を歌っている部分と、その対象がかなり広範にわたって幅広いことが一つの特色として挙げられるだろう。これは、コラムの筆者も指摘していること。
それと、もう一つ忘れていけないのは、彼の非常に破たんした人格とその生活態度ということだろう。女性には随分とだらしなかったらしいし、お金の面に関しても親友の金田一京助にかけた迷惑や苦労は尋常でなかったことは有名な話だ。随分と困って、当時はもう有名な売れっ子だった北原白秋のところまで借りに出かけたなんてお話も聞いたことがありますな。いつも金田一先生に金の無心にくる啄木を見て、息子の春彦氏は啄木を「悪魔のような男」と見ていたなんて話もある。
立派ではないところが、若き天才の魅力なのか
思うに、啄木の一番の実像とその魅力といえるものは、この破たんした性格やだらしなさといった面だったのではないだろうか。周囲に迷惑をかけて、それが嫁さんや家族にまで及んでいることを考えると「何を血迷った」とも言われるかもしれないが、そうではないと思うのである。太宰の例を見るまでもなく、人間とは本来弱いものであって、その弱さを隠さないことがある種広範な支持を得ることにつながっていく。無責任な話ではあるものの、人間とは本来そうしたものだろう。
これは啄木にもあてはまるような気がする。一体、このごろもそうだけれど、私たちは“立派”ということにこだわり過ぎているような気もしてしまう。立派であること、真面目であることの価値は認めるのはやぶさかではない。しかし、それだけでは面白くないんですな。私たちの人間関係や生活実感もそうなのではないでしょうか。やくざが女性に持てるというのも、どこかに人間の真実を含んでいるのである。
私がかなり不真面目な人間だから思うのだけれど、最近は立派な人、すごい人が多過ぎるような感覚にも捕らわれてしまうのだ。「頑張ろう、頑張ろう」の大合唱だけでは、そこから落ちてしまった人間は大変だと思う部分もある。マスメディアも取り立てて、こうした人を取り上げたがるので(絵になるし、理屈が付けやすいからだろう)そう信じ込まされていると思うものの、世の中にはそんなに立派な人ばかりなのでしょうかね。もしそうなら、こんなにも生き難いということはないような気もするが。
それはともかく、啄木は当時の歌人、例えば与謝野晶子、若山牧水といった人たちと違って、若さや青春を主題にするだけでなく、中年の悲哀といったものにも真情を求めていたと、このコラムのポイントにある。たしかにそうなのかもしれないですな。わずか26歳で亡くなった、この天才歌人も思えば随分と老成していたのかも。それがまた、魅力につながっているということでもあるのでしょう。改めて啄木の非凡さを感じたところである。

2009年11月22日
「サンデーモーニング」を見ながら考えた
TBSのタイトルロゴ日曜の朝はこれで決まりと
またぞろ天気が不順な感じになってきたようだ。日曜は爽やかに行きたいと考えているので、連休を楽しく過ごしたい方たちにも残念なことだろう。午前中からノンビリとしているが、先ほどまで視聴が恒例となっているTBSの「サンデーモーニング」を見ていた。
今日は久しぶりに法政の田中優子教授が出ていることもあり、普段よりは熱心に聴いていた気がする。冒頭の話題は民主党政権での強行採決や官房機密費をめぐるゴタゴタ。所変われば攻守変わるで、分かってはいたことだろうけれど、当分は政治とカネをめぐる話題など、現政権の矛盾や政策の変更が話題になっていくものに違いない。それでも、今日も出席者の方々が言っていたように、こうやって事業仕分けを始めとした政治や政策の透明性が高まってくることは大変にいいことである。官房機密費(正式には報償費という)の問題にしたって、これまではその存在が話題になることさえなかった。使途は分からないにしても、自民党が何月にいくら、民主党もさっそく1億だかを要求したことなどが明らかになっているのは進歩と言えるのではないかしら(それにしても、自民党の2億5000万円の火事場ドロボウは酷いね)。
初めに、この番組について私見ながら総括しておくと、私はここ何年間の大層なファンである。まず、演出が過剰にならないで出席者のコメントとアシスタントによるニュースの自家読みで報道や評論の番組としての体裁をきちんと保っていること。それと、忘れてはならないのは大沢親分と張本キャスターによる明快なスポーツ時評があることだ。多少なりとも偏った面はあるにしても、それこそ見る人たちはそこに期待しているのでしょうな。「喝!」の連発でも、皆さんがそれを楽しんでいるのが分かります。
スポーツの取り上げ方と評論が多彩を極めていることはもちろんにいい所なのだが、全般にコメンテーターの質が高いことと、初めはどうかと思った関口宏氏の司会・進行がまず正統的で嫌みがないことが一番なのではないだろうか。けっこう口は差し挟んでいるように見えて、決め付けは決してしないので他の番組とは違った爽やかさと安心感があるように思える。この番組を良く知る人にうかがっても、関口さんという人はなかなかの好漢であるのだということ。たよりなさげにも見えてしまうが(失礼!)、そうでもないようですね。
世界・日本を見る目は確かかと思う
この番組を日曜に見ることによって、その1週間で起こったことと、いま私たちが何を考えないといけないかがよ〜く分かる。今日の特集的なテーマはデフレと雇用問題だった。いまの有効求人倍率は0・4いくつとかでしょうかね。出席者の一人、慶大の金子先生が言っておられたが正社員のそれに至っては0・27だか9だかということだった。つまり、4人に1人しか満足な就職ができないということなのだ。もっと驚くのは高校生の就職率がわずか37.6%しかないこと。これは異常であると思う。いっときは高校生の就職率は100を上回っていたものである。
あまり現政権を攻め立てるつもりはないが、経済や雇用の問題は本当に性根を入れて取り組んでいかないといけないように思います。
さきほど、コメンテーターの質が高いことがこの番組の魅力と述べてみたが、では具体的にどうなのかを私見ながら話しておきたい。
今日の出席者を紹介しておくと、まず日本総研の寺島実郎氏、写真家の浅井慎平さん、それと法政の田中優子先生、慶大の金子勝教授、最後はレギュラーといえる毎日の特別編集委員・岸井成格氏である。まず、私の範囲の中ではベストのメンバーとも言えるような布陣ではないかな。寺島さんは世界情勢と経済を語らせるとその一家言とともに、非常に問題の本質を捉えるのが上手いような気がする。田中先生はその明快な語り口が身上だろう。今日もアフガン支援の問題に対して、「国と国との関係には限界がある。ぜひ、NGOなどの組織を使って協力を仰ぎながら有効な支援策を講じて欲しい」と的確なコメントを出しておられた。
浅井慎平さんに関しては、言っては悪いがこの方のインテリジェンスに対しては多少の懸念を持っているものだが、コメントは正直で的確であると思う。何よりえらぶらずに、「普通はこう考えるのではないか」との自分の言葉を持っていることがいい点ではないだろうか。
岸井さんなどは別格で、そのコメントの上手さは他の人は叶わない面があるような気もしますが、その他のメンバーに関しては多少の好き嫌いはある。慶大の金子氏に関しては、いまどき珍しいくらいのマルクス経済史観を持っている人で何にでも文句を付けるところがちょっと気に入らない。これは、たまに出てくる佐高信氏についても同じような感想を持ってしまいますな。
あとは気のきいたコメントをみじんも感じないのが、ある国際問題評論家と称する御仁とか評論家の幾人か、さらに最近は女性陣にもいくつかの大学から教授氏が加わっているものの、勉強になるところが少ないような気がする。自分が勉強もしていないで生意気の限りという感じもするのだが、少なくとも電波を使ってコメントを聞かされるのだから、少しは気のきいたものをと考えるのが真情ではないでしょうかね。言い忘れましたが、東京外大の伊勢崎教授はたまにしか出てはこないけれど、この方には人間としての大変な誠実さを感じる。本物の人なのではないだろうか。
今回は出ていなかったが、もうなかなかその姿が見られない田中秀征元経企庁長官とか、造園家として環境問題には非常に鋭い視点を持っておられる涌井雅之さんなども大いなるファンである。田中優子先生と同様に、社会への働きかけとの意味で頑張って欲しいと思っている。一人よがりの感想になってしまったが、日曜早朝の「サンデーモーニング」賛である。
2009年11月20日
冬に向かう季節
この時期に感じる寒さへの恐怖
大分、寒さを感じるようになってきた。暖かい日が続いていたので、急に寒くなったとの思いがもたげてくるのだろう。きのうなどは、「そろそろ暖房を出してもいいかも」などと嫁さんと一緒に話したものである。
しかし、これまた個人的な感想・感傷になって申し訳ないのだが、私は寒さが大の苦手だ。この欄でも何回か言及したことがあるように覚えているのは、逆に夏が大好きであることと、秋口の急に冷え込むような時節になると鬱(うつ)的な気分に襲われることが再三であるとの告白の部分か。「大袈裟な」と思われるかもしれないが、けっこう若い時分から枯葉が舞うような頃合いになると、何をする気もなくなって困ったものでした。
それもさておき、今年もそんな季節を過ぎていよいよ本格的な冬に近づいている。鍋の季節になって、好きなおでんが存分に食べられるのは嬉しいのだが、日常の振る舞いはおそらく誰よりも縮こまってしまっていると感じている。
単なる所感としてお聞きいただきたいが、季節に対する感覚とか、その人間が暑い地方に育ったか寒いところでの幼少期を過ごしたかによって、性格というのは随分と変わるのではないかと考えている。よく言われるような、開放的な南方系、真面目でコツコツとやるタイプの北方系というのはまず事実ではないかと思います。以前、新聞記者時代の私の直属の上司というか、支局時代にお世話になった記者として同い齢で学年が上のYさんという人がいた。この人は東北・盛岡の出身で学校も東大。性格的にも寒いところの典型で、真面目で妥協のない人だった。私のようないい加減さはカケラもない人だったけれど、妙にうまが合うところもあり、支局時代には酒を飲みに誘ったりもしたものだ(本人はほとんど飲まなかったけれど)。
Yさんはその後、政治部でも先輩となり結局、政治部長までなった人だ。記者としては少し正直過ぎるところもあるように思ったが、共同というのはいい組織でやはり見る人は観ているということだろう。エラクなった人なのである。そして、冬や寒さを思うときに何故かYさんのことが思い出されてしまう。
これからは何の季節なのか?
何時も取りとめのない話で申し訳ありません。言いたかったのは、これからの寒い季節が文字通り、われわれにとって寒い季節になるのか、それとも政治を含めてホットな季節になるのかを考えたかったからである。民主の政権運営はひとまずは大局の評価を得ていると考えたいが、強行採決まで見てしまうと「オイオイ」と思ってしまいますな。攻守を変えると、ここまで変わってしまうということだろうか。
経済は相変わらず、二番底への懸念が強い。景気の刺激といった面でもやはり逐次投入や中途半端な方策は一番にマズイということだろう。この面では、民主党の手腕は未知数で、どうも心配の方が先行しそうである。
社会的には凶悪犯罪の目白押しで最悪。34歳の結婚詐欺女の行状も「ここまでか」と思うような強烈さだが、それ以上に島根県で殺されたと思われる県立大学の女性の痛々しさが瞼を熱くする。親御さんは本当に無念だと思いますな。今日は今日で、群馬県だと思ったが30過ぎの男が「子どもなら殺せると思った」と小学生を刃物で襲ったという。幸いに4週間程度のケガで済んだようだが、一体この世の中と日本という幼稚な後戻り社会は、その哀れさを止めることはないのだろうか。2012年の終末予言ではないが、本当にこの世の終わりという感じがしてしまう。
共感のない、あるいは他人を羨むことしかできない社会は不幸であると思う。先日の江戸の話ではないのだけれど、私たちは助け合いや共感の心を一部失ったようだ。どこかで、人と人との紐帯を取り戻したいと考えております。
明日から連休。23日は昔の新嘗祭、勤労感謝の日である。私もこのごろ、すっかり“感謝”の気持ちを失っているので、家族と過ごせることの幸せ、ご飯が食べられることの幸せをお読みいただいている皆さんと一緒に共有したい。よろしいでしょうかね。
妻に買う眼鏡勤労感謝の日(吉良蘇月)
大分、寒さを感じるようになってきた。暖かい日が続いていたので、急に寒くなったとの思いがもたげてくるのだろう。きのうなどは、「そろそろ暖房を出してもいいかも」などと嫁さんと一緒に話したものである。
しかし、これまた個人的な感想・感傷になって申し訳ないのだが、私は寒さが大の苦手だ。この欄でも何回か言及したことがあるように覚えているのは、逆に夏が大好きであることと、秋口の急に冷え込むような時節になると鬱(うつ)的な気分に襲われることが再三であるとの告白の部分か。「大袈裟な」と思われるかもしれないが、けっこう若い時分から枯葉が舞うような頃合いになると、何をする気もなくなって困ったものでした。
それもさておき、今年もそんな季節を過ぎていよいよ本格的な冬に近づいている。鍋の季節になって、好きなおでんが存分に食べられるのは嬉しいのだが、日常の振る舞いはおそらく誰よりも縮こまってしまっていると感じている。
単なる所感としてお聞きいただきたいが、季節に対する感覚とか、その人間が暑い地方に育ったか寒いところでの幼少期を過ごしたかによって、性格というのは随分と変わるのではないかと考えている。よく言われるような、開放的な南方系、真面目でコツコツとやるタイプの北方系というのはまず事実ではないかと思います。以前、新聞記者時代の私の直属の上司というか、支局時代にお世話になった記者として同い齢で学年が上のYさんという人がいた。この人は東北・盛岡の出身で学校も東大。性格的にも寒いところの典型で、真面目で妥協のない人だった。私のようないい加減さはカケラもない人だったけれど、妙にうまが合うところもあり、支局時代には酒を飲みに誘ったりもしたものだ(本人はほとんど飲まなかったけれど)。
Yさんはその後、政治部でも先輩となり結局、政治部長までなった人だ。記者としては少し正直過ぎるところもあるように思ったが、共同というのはいい組織でやはり見る人は観ているということだろう。エラクなった人なのである。そして、冬や寒さを思うときに何故かYさんのことが思い出されてしまう。
これからは何の季節なのか?
何時も取りとめのない話で申し訳ありません。言いたかったのは、これからの寒い季節が文字通り、われわれにとって寒い季節になるのか、それとも政治を含めてホットな季節になるのかを考えたかったからである。民主の政権運営はひとまずは大局の評価を得ていると考えたいが、強行採決まで見てしまうと「オイオイ」と思ってしまいますな。攻守を変えると、ここまで変わってしまうということだろうか。
経済は相変わらず、二番底への懸念が強い。景気の刺激といった面でもやはり逐次投入や中途半端な方策は一番にマズイということだろう。この面では、民主党の手腕は未知数で、どうも心配の方が先行しそうである。
社会的には凶悪犯罪の目白押しで最悪。34歳の結婚詐欺女の行状も「ここまでか」と思うような強烈さだが、それ以上に島根県で殺されたと思われる県立大学の女性の痛々しさが瞼を熱くする。親御さんは本当に無念だと思いますな。今日は今日で、群馬県だと思ったが30過ぎの男が「子どもなら殺せると思った」と小学生を刃物で襲ったという。幸いに4週間程度のケガで済んだようだが、一体この世の中と日本という幼稚な後戻り社会は、その哀れさを止めることはないのだろうか。2012年の終末予言ではないが、本当にこの世の終わりという感じがしてしまう。
共感のない、あるいは他人を羨むことしかできない社会は不幸であると思う。先日の江戸の話ではないのだけれど、私たちは助け合いや共感の心を一部失ったようだ。どこかで、人と人との紐帯を取り戻したいと考えております。
明日から連休。23日は昔の新嘗祭、勤労感謝の日である。私もこのごろ、すっかり“感謝”の気持ちを失っているので、家族と過ごせることの幸せ、ご飯が食べられることの幸せをお読みいただいている皆さんと一緒に共有したい。よろしいでしょうかね。
妻に買う眼鏡勤労感謝の日(吉良蘇月)
2009年11月19日
MRIを撮ったぞ!
MRIのイメージ思ったほどの苦痛はなかったですが…
また個人の所感になって申し訳ないが、体の不摂生を調べるための検査の最終となるMRI(磁気共鳴画像撮影装置)検査を近所の病院で行ってきた。最新の機械を使うことなので、期待が半分と一方の不安も相半ばしたというところだった。
この欄でも以前書いたことがあるように、私はかなり前に頭のMRIを撮ってもらったことがある。これは渋谷の総合病院での経験だけれど、その奇怪な音を検査中ずっと聴かされて実行されることに、変わった体験をしたと感じた。今回は、予備知識もあったので、ずっと冷静でいられたようである。
まず、胃や腸の画像が「じゃまをしないように」と造影剤を飲まされる。X線検査のそれのようなものを想像してたじろいだが、粘度の高い水のような感じで全然飲みにくくはない。多少の味もついていて問題なし。あとは、「気休めですけど」と耳栓も渡される。これはすぐに理解ができた。
MRI検査がどのようなものかと報告をしたところで、あまり意味もないと思うのだがこれから受ける人も多いと思われるので、多少なりと恐怖を和らげることを狙いとしたい。ただ、狭い場所に入れ込まれるので、これまた以前書いたように「閉所恐怖症」の人には大変な苦痛となってしまうでしょうな。
ごく簡単に述べておくと、私の場合は胆嚢の検査だったため、お腹の下腹ぐらいのところにきつく腹巻のような束帯を固定する。少しだけ聞いたところ、これを使って画像の情報を取るのだそうだ。あとは、想像のように蚕だなだかカプセルホテルだか知らないけれど、狭い円筒のなかに入れ込められる。これはかなりの圧迫感で、今回は撮影のために腕を上に伸ばせられたが、機械に当たってしまうほどだった。
あとは、例の金属音だかブザーのようなキッカイな音が定期的に鳴り響くのである。規則的にタッピングのような硬いスラップ音が何回か響いたと思ったら、あとは周波数の違うブザー音が間隔をおいて何回か鳴り響く(始め3回と思ったら違う場面もあったようだ)。これもかなり高めの音だし、大きさも相当なので気になる人には苦痛だろう。あとは表現も難しいような奇怪な音が、何回も間隔をおいて鳴り響くのである。慣れればとも思うけれど、慣れるほどに検査をやることを勧められるわけでもない。
利点はキレイな画像が得られることかも
結局、私の場合は計10枚ほど画像を撮ったと覚えている。息の止め具合は始めが15、6秒で2回、次が25、6秒でまた2回(この長さだとお年寄りにはきついのではないだろうか)。最終場面では1、2秒の呼吸停止で済むやつが6回ほどという感じであった。時間もすべて入れて20分弱なので、CTよりは苦痛が大きいけれど、まあ「こんなものかな」という感じだ。
私は検査技師の方に取材をしたことはないので、詳しくは知らないのだけれど、CTに比べると深部まで鮮明な映像が得られると以前から言われているし放射線も使わずに被爆を避けられる利点がある。さらに、3次元の映像をどこからでも撮影できるという、体の“丸ごと輪切り力”といった力も持っているようだ。
ただ、このごろはCTが大分進化しているので、今述べたような差異は縮まって来ているのかもしれない。患者の便利さや苦痛の部分では、むしろCTに分があるというのが大方の見方だろう。その分、まだまだ狭い場所での作業と独特のブザー音、スラップ音に改善の余地があるというところではないか(かなり改善はされているらしいけれど…)。
でも、何回も述べてしまうように、こうして体の隅々までを画像で解析してもらえるというのは大変なことだ。以前はX線によって骨や肺の具合ぐらいしか診断できなかったものが、あらゆる病気に対処できることを不思議に思う。不思議ついでに、よく理解できなかったのは診療料金。以前、MRIを受けたときには1万2000円弱ぐらいだったか取られた覚えがあるのだけれど、今回は2800円。少し前に受けたCTのときには1万円近く取られて慌てた覚えもある。どうも、理解が及ばないですな。MRIは安くなったのか、かといってCTの映像料が高くなったとは思えないし……一種のナゾである。
とまれ、これから体を調べようなどと思う人に、多少の参考になればとも思います。
2009年11月18日
『未来のための江戸学』が問うもの
田中先生の最新本いつも歴史認識の深さに敬服
少し前に法政の田中優子教授から頂いた最近著『未来のための江戸学』(小学館101新書)(写真)を読み終えた。本来ならもう少し早く読まないといけなかったのだが、ここのところは余り本には興味が向いていなかったためだ。切れ切れながら、3日間ほどかけて読了。
この本は文字通り、江戸という時代を考えることが、日本や世界の未来を考えることにつながるとの主旨で書かれたものと思う。田中先生の他の本と同様に、語り口はハッキリしていて小気味がいい。一方でタイトルから受けるような柔らかい部分ばかりでなく、歴史認識を始めととしたかなり学問的な分析が随所に見られることも同様である(先生だから当然なのかな)。
第一章では、江戸時代を考えることが、未来を考えることとどうつながるかを検証・解説。二章は現代と江戸との違い。三章や四章では、江戸時代が鎖国という一部誤った認識による“閉ざされた”時代でもなければノンビリとした時代でもなく、どれくらい世界との関係におけるグローバリズムにさらされた競い合いの時代であったかも書いている。この辺は、大いに勉強になるところが多かったですな。
最終の第五章では、それらの結論を踏まえながら、それでもなぜ江戸という時代が終わらなければならなかったのかを、やはり欧米列強による帝国主義のもくろみに晒され、最終的にはその渦に巻き込まれていった過程として分かりやすい歴史気認識とともに解説している。
江戸にあった「始末」の考え方
少し前から縁がありまして田中先生との知遇を得ていますので、多少のバイアスと感情移入があることについては許して頂きたい。しかし、読みやすくて、現代という時代を考える場面では大変に考えさせられることの多い書だと思いますよ。
曰く「江戸時代の現実認識は、あらゆるものに始まりもあるが、当然終わりもある、ということであった。際限のない膨張や連続や増加は考えてもみなかった。時間間隔も同じである」(本文65ページ)。つまり、私たちの今の生活のような成長神話や拡大路線はなかったということだろう。田中先生がいつも言うように、江戸時代には「始末」という考え方があり、あらゆるモノを大事に扱いムダにすることがなかった。紙を燃やしたあとの灰についても、肥料として有効利用したことは良く知られる通りである。
この「始末」という考え方が、私たちがいま見直している循環サイクル、あらゆるものに始まりと終わりがあり、それが幾重にも重なって繰り返されているとの認識や感覚につながっているというわけである。
しかしねぇ〜、こうやって突きつけられてみると、私たちがいかにモノを粗末にし、またムダとともに扱ってきたかがよく分かりますな。われわれの意識と生活も、民主党の「事業仕分け」の対象にしたらいいのではないだろうか?
「因果」と「循環」をキーワードに
結局のところ、私たちはあまりに進歩史観や成長神話を信じ込み、信じ込まされてきたということではないか。また、それを押し付けてきたのが欧米の帝国主義(日本も加担したが)、覇権主義であって、最終的にこれが金がすべての世の中や合理主義・成果主義につながっていくということだろう。
日本人は変わりました。しかし、それに気がついている人「このままではいけない」と思っている人も、多数いるのではないかと思っている。それが、最近の改革機運、エコ志向につながっているのでしょう(少し遅すぎたとは思っておりますが)。
最終章では、再び江戸時代に人々の意識にあった「因果」と「循環」という考え方について詳しく述べている。自然を壊せば水害・洪水が起こる。魚を乱獲すればいなくなり、食べられなくなる。車を無尽蔵に増やせば、排ガスで苦しむ人が増えてくる――これすべて自明のことである。
そのことを江戸の人々は知り、モノや自然を循環にまかせるための努力(始末)をした。植林などが代表的で、本書にもあるようにその意味を考えると分かりやすい。田中教授は書いている。「未来学としての江戸学は知識をため込むためのものではなく、近代を『因果』と『循環』を基準として批判、評価し直し、新しい社会を思い描きつつ、まず新しい生き方を作るためのものである」(本文241ページ)と……。
私たちが江戸という時代、そこに生きた人々に学ぶことはまだまだ多いのではないだろうか。逆戻りができないのはもちろんだが、振り返って今を見直すことができるのは人類の知恵というものである。本書は啓発書ではなくて、私たちへの“問いかけ・呼びかけ”の書であると思ったところであります。
2009年11月16日
「事業仕分け」という闇
痛快だけれど心配も
ここ2、3日のニュースの中では悲しみを伴う刑事事件は別にして、例の行政刷新会議が行っている各官庁の「事業仕分け」に対する報道が面白さにおいて群を抜いているように思う。ただ、これを面白いと感じるところに何処かいびつなところもあるわけで、私を含めていかに政治や行政の実体が国民の遠くにあるかの証明のようなものだろう。
議論になっている「あまりに乱暴で、仕分け人が威張りすぎている」とか「1時間余りの議論で何が分かるのか、どこにそんな権限があるか」との当事者の声はひとまず措いておこう。何より、今まで知られることのなかった天下りの実体や、税金の無駄遣いといわれるものが白日になったことに対する評価は必要だと思う。私もその点に異論はありません。
多少は行政や政治を知る者としては、今回の“公開政治ショー”といえるものはすべてが異例で度肝を抜かれることばかりである。大きな体育館で、しかも省庁の担当者はけっこうな人数を派遣しているので、中には床に座り込みながら議論を見守っている若手官僚もいる。やり取りにしたところで、ここまで各官庁の幹部や担当者が衆人環視でやり込められることはかつてなかったろう。だから、面白い。国民も興味は持ちます。
ただ、それだけでいいのだろうか。
やはり、もっと議論があっていい場面はある
実務的な政策の内容や、各行政法人の運営の実態に関して、個別には知るところが多くはないので、ここでは無責任な発言は控える。しかし、文科省所管の独立行政法人の女性理事長が「私にも発言をさせて欲しい。一方的に言われるばかりでは納得がいかない」と声を荒げた場面などは、皆さんの記憶には新しいハズ。理事長が必死になるのは当然で、もともと本人は官僚ではないと思うし、ご当人は選ばれたことに誇りを感じてご自分の範囲では一所懸命やっているのは目に見えるようである。ただ、ここで議論にしているのは、そうした法人がどういった経緯でできたかということ。子ども未来財団の例をとるまでもなく、多くは官僚の天下り先との含みで、国民の税金を湯水のごとく使ってできた法人も多いのである。中には事業実体がほとんどないものや、今回例に挙がったような職員より役員の方が多い組織だって珍しくない。問題は、そのことが余り知られずチェック機能が働かなかったことだろう。
そうしたことが幾分とも、明らかにされたことは大いなる利点である。しかし、だから「ムダが省ける」とか「いばっていた官僚を懲らしめられる」と考えるのは早計に過ぎると思う。
まず、対象になった事業がどのような判断で選ばれたかは、余り明らかになっていない。ニュースになっていたように、財務省の意向が働いていることは十分に考えられる。対象になった事業が幾分、かわいそうな気もするし、伝えられるようにこれが今年限りでオシマイになるなら、“人民裁判”と言われても仕方のない演出が行われたと考えることもできる(だから、この作業を否定するとの意味ではありません)。
それと、一番心配するのは、どんなにムダな事業であろうが、天下り先の確保のための方便としての仕事であろうが、これまでそこの巣食って食べていた人がおり、事業として関わっていた人が多くいること。これが、いきなりバサッと「廃止」となれば、困る人は随分といるのではないかなぁ〜。予算の削減措置にしても十分な根拠があるとも議論を聞く限り思えないので、担当の官僚や事業団の人たちは恐らく「何やワレ!」と怒りまくっていると思いますよ。
裏を返せば、仕分け人に選ばれた国会議員はもともとそういう立場の人たちだからいいが、民間人に関しては何の権限もないということ。法律的な立場もまったく裏打ちのないものだということだ。これはやはり、官庁からは反発が出ると思いますな。1時間の議論で事業を止められ、予算を縮減された担当者は役所に帰ってどういい訳をするか、あるいは局全体で怨嗟の声を上げるのだろうか。
成果が見えないからムダと、決め付けられない部分もある
きのうのニュースで印象に残ったのは、日本科学未来財団の毛利衛館長が「成果が上がっていない」と食い下がる仕分け人に対して、「小学生や中学生の将来を見据えた啓発に対して、成果がないから予算を削るなどと言えますか。学生を対象にした事業・学校予算を赤字だから問題だなどと言えるのか」といった主旨の発言をしていた。これは一理あると思う。
子ども達や母親を助ける施策など、目に見える効果が感じられない部分はあっても将来を見据えてやらないといけない部分はあると思えるのだ。毛利さんはさすがに、誰もすぐには興味を感じないと思えるような同未来館の入場者を毎年増やしてきたことを、かなり強調していた。たしかにそのネームバリューとご本人のさまざま努力があったのだろうと感じられて、ここも応援をしたくなるところだった。
何より面白かったのは、その毛利さん自身が、官庁の下請け構造と直接管理権が自分にまったくないことは、「そここそが問題」と発言しておられた部分。はしなくも、自分が単なるお飾りでしかないことを一部明らかにしたようなものだろう。担当の官僚がすぐに「毛利館長の人事権を含め、善処します」と答えていたことが耳に残る。たしかに、こうした構造的な問題が白日にさらされることはいいことなのである。
長くなってしまったが、繰り返しておくと確かに仙谷由人担当大臣が「国民が税金の使い道とその決定過程に参加できるのは画期的。政治文化の革命だ」と大きな声を上げられる部分はあるのだろう。しかし、その乱暴さとウムを言わさぬやり方には、恐らく官庁サイドの巻き返しがあるハズだ。彼らは私たちが考えるほどには弱くない。これからあの手この手と反発を具体化するはずである。まずは味方につけないといけない人たちに、まっこうから反旗を揚げるのは得策ではないように思いますな。
それと、一度は盛り上がった行政刷新の機運と、税金の無駄遣いに対する追及が、民主党の内部事情等でしりすぼみになっていくことを危惧する気持ちも大きい。もともとは、国民がもっと大きな声を上げないといけない場面もあったのではないでしょうか。今更ながら、民主党の政権運営と“頭の使い方”に期待をする者であります。
ここ2、3日のニュースの中では悲しみを伴う刑事事件は別にして、例の行政刷新会議が行っている各官庁の「事業仕分け」に対する報道が面白さにおいて群を抜いているように思う。ただ、これを面白いと感じるところに何処かいびつなところもあるわけで、私を含めていかに政治や行政の実体が国民の遠くにあるかの証明のようなものだろう。
議論になっている「あまりに乱暴で、仕分け人が威張りすぎている」とか「1時間余りの議論で何が分かるのか、どこにそんな権限があるか」との当事者の声はひとまず措いておこう。何より、今まで知られることのなかった天下りの実体や、税金の無駄遣いといわれるものが白日になったことに対する評価は必要だと思う。私もその点に異論はありません。
多少は行政や政治を知る者としては、今回の“公開政治ショー”といえるものはすべてが異例で度肝を抜かれることばかりである。大きな体育館で、しかも省庁の担当者はけっこうな人数を派遣しているので、中には床に座り込みながら議論を見守っている若手官僚もいる。やり取りにしたところで、ここまで各官庁の幹部や担当者が衆人環視でやり込められることはかつてなかったろう。だから、面白い。国民も興味は持ちます。
ただ、それだけでいいのだろうか。
やはり、もっと議論があっていい場面はある
実務的な政策の内容や、各行政法人の運営の実態に関して、個別には知るところが多くはないので、ここでは無責任な発言は控える。しかし、文科省所管の独立行政法人の女性理事長が「私にも発言をさせて欲しい。一方的に言われるばかりでは納得がいかない」と声を荒げた場面などは、皆さんの記憶には新しいハズ。理事長が必死になるのは当然で、もともと本人は官僚ではないと思うし、ご当人は選ばれたことに誇りを感じてご自分の範囲では一所懸命やっているのは目に見えるようである。ただ、ここで議論にしているのは、そうした法人がどういった経緯でできたかということ。子ども未来財団の例をとるまでもなく、多くは官僚の天下り先との含みで、国民の税金を湯水のごとく使ってできた法人も多いのである。中には事業実体がほとんどないものや、今回例に挙がったような職員より役員の方が多い組織だって珍しくない。問題は、そのことが余り知られずチェック機能が働かなかったことだろう。
そうしたことが幾分とも、明らかにされたことは大いなる利点である。しかし、だから「ムダが省ける」とか「いばっていた官僚を懲らしめられる」と考えるのは早計に過ぎると思う。
まず、対象になった事業がどのような判断で選ばれたかは、余り明らかになっていない。ニュースになっていたように、財務省の意向が働いていることは十分に考えられる。対象になった事業が幾分、かわいそうな気もするし、伝えられるようにこれが今年限りでオシマイになるなら、“人民裁判”と言われても仕方のない演出が行われたと考えることもできる(だから、この作業を否定するとの意味ではありません)。
それと、一番心配するのは、どんなにムダな事業であろうが、天下り先の確保のための方便としての仕事であろうが、これまでそこの巣食って食べていた人がおり、事業として関わっていた人が多くいること。これが、いきなりバサッと「廃止」となれば、困る人は随分といるのではないかなぁ〜。予算の削減措置にしても十分な根拠があるとも議論を聞く限り思えないので、担当の官僚や事業団の人たちは恐らく「何やワレ!」と怒りまくっていると思いますよ。
裏を返せば、仕分け人に選ばれた国会議員はもともとそういう立場の人たちだからいいが、民間人に関しては何の権限もないということ。法律的な立場もまったく裏打ちのないものだということだ。これはやはり、官庁からは反発が出ると思いますな。1時間の議論で事業を止められ、予算を縮減された担当者は役所に帰ってどういい訳をするか、あるいは局全体で怨嗟の声を上げるのだろうか。
成果が見えないからムダと、決め付けられない部分もある
きのうのニュースで印象に残ったのは、日本科学未来財団の毛利衛館長が「成果が上がっていない」と食い下がる仕分け人に対して、「小学生や中学生の将来を見据えた啓発に対して、成果がないから予算を削るなどと言えますか。学生を対象にした事業・学校予算を赤字だから問題だなどと言えるのか」といった主旨の発言をしていた。これは一理あると思う。
子ども達や母親を助ける施策など、目に見える効果が感じられない部分はあっても将来を見据えてやらないといけない部分はあると思えるのだ。毛利さんはさすがに、誰もすぐには興味を感じないと思えるような同未来館の入場者を毎年増やしてきたことを、かなり強調していた。たしかにそのネームバリューとご本人のさまざま努力があったのだろうと感じられて、ここも応援をしたくなるところだった。
何より面白かったのは、その毛利さん自身が、官庁の下請け構造と直接管理権が自分にまったくないことは、「そここそが問題」と発言しておられた部分。はしなくも、自分が単なるお飾りでしかないことを一部明らかにしたようなものだろう。担当の官僚がすぐに「毛利館長の人事権を含め、善処します」と答えていたことが耳に残る。たしかに、こうした構造的な問題が白日にさらされることはいいことなのである。
長くなってしまったが、繰り返しておくと確かに仙谷由人担当大臣が「国民が税金の使い道とその決定過程に参加できるのは画期的。政治文化の革命だ」と大きな声を上げられる部分はあるのだろう。しかし、その乱暴さとウムを言わさぬやり方には、恐らく官庁サイドの巻き返しがあるハズだ。彼らは私たちが考えるほどには弱くない。これからあの手この手と反発を具体化するはずである。まずは味方につけないといけない人たちに、まっこうから反旗を揚げるのは得策ではないように思いますな。
それと、一度は盛り上がった行政刷新の機運と、税金の無駄遣いに対する追及が、民主党の内部事情等でしりすぼみになっていくことを危惧する気持ちも大きい。もともとは、国民がもっと大きな声を上げないといけない場面もあったのではないでしょうか。今更ながら、民主党の政権運営と“頭の使い方”に期待をする者であります。
2009年11月15日
ドラマ・ドラマ・ドラマ
ドラマの主人公たち米国のドラマは質が高い
きのうとは打って変わって、今日は朝からいい天気。先ほど、恒例の「サンデー・モーニング」を見終えたところだ。来週は、私の敬愛する田中優子先生がしばらくの休みのあとに出られる予定と聞いているので楽しみにしている。今週の話題はやはり中心は、例の国の事業仕分けの問題か。出席者からは「多少の混乱は仕方がない」とか「アメリカも日本の同時にチェンジのときを迎え、今までになかったことをやろうとしている」と、全般に好意的な見方。これはこれで健全な意見という気がする。ただ、反発も一部には強いと思うので、こうした一種のパフォーマンスが、どのような落とし所に落としこまれていくかが注目されるところだろう。
それとは関係のないことなのだが、待望の「ザ・ワイヤー」のシーズン4が始まったこともあり、このシリーズに続くファンである「LAW&ORDER 犯罪心理捜査班」のことを少しだけ書いてみたい。
アメリカでは大変に人気のある長期シリーズと聞く。宣伝文句が「現場の警察官が一番、自分たちをリアルに描いている」と評価しているとうたったものだが、この辺は一部事実に近いところもあるのだろう。主人公の刑事・ロバート・ゴーレンはとても現実にいそうもないほどの知識を持ち、犯人の心理分析もFBIのプロファイラーを彷彿とさせるほど巧みだ。ただ、その巧みさと超現実的なスーパーヒーロー像もセリフの一つ一つに胸に迫るところがあり、鮮やかな心理説明が観る者を痛快にさせてくれるところがある。好きなんですな、これが。いつもゾクゾクしながら観ております。
つい先日観たエピソードは、総合病院で多発した急死事件を不審に思った医師が警察に通報する。初めは病院内部に問題があるのかとも思われたのだが、そうではなくて愛していない夫を自分の事業資金のために殺した女が、同じような身勝手な気分から青酸カリを一般市販薬品に混ぜたというもの。それを誤って買って飲んだ人が次々に死んでしまったわけだ。事件の糸を巧みに手繰り寄せていくその手並みと、初めからある程度分かっている犯人を心理的に追い詰め、最後に自白を引き出すところが非常に魅せるところがありますな。
日本のドラマはなぜ非現実的なのか?
前述のストーリーにしたところで、「そんなことが起こるの?」と思うような部分もあるのだが、似たような話は現実にも起こったことがあり、綿密な調査と構成が行われているので、「起こってもオカシクないな」と思わせるところがある。そこが、米国ドラマの魅力だろう。何回も記したように「ザ・ワイヤー」のリアリティーといったらない。これが、本当の面白さである。
対して、日本のドラマのあの歯の浮いたようなセリフと現実感のなさは何なのだろう。この頃は、子どもの夕食後の相手として観たくもない青春ドラマに付き合うことが再々にある。女・子ども相手といったら失礼になるのだろうが、その次元の低いセリフ回しと構成や展開といったらない。これは、ほぼ現実には絶対に起こり得ないことを書いているとしか考えられないのである。
制作に携わっている人に言えば、「観たい人の望むように作っているので…」とか「多少のフィクションが入ってもそれはエンターテインメントですから」などとのセリフが還ってくるだけだろう。しかしねぇ〜。そんないい訳だけではすまないような構造的な問題が背後にあるような気もしますけどね。
それもともかく、今は普段からの時間があることもあり、主に米国発の警察ドラマ等に夢中になることしきりである。とって付けたように言うわけではないが、「NCIS」という米海軍の内部的警察組織(MPのようなものだろう)を描いたドラマも大変に秀逸。これもちょっとばかり超現実的なところがあるのだが、細部に対してディテールにこだわっているので、そこが面白く魅力につながっている。日本もこうしたディテールの描き方にこだわったドラマがもういくつも出てきていいような気がしているのだが……。(追伸:ケーブルを観ていない人には申し訳ない話題なのだが、こうしたドラマを観ていてもアメリカの現実が知れるところがある。私たちが描いていたアメリカの理想は、決してそうではないことが知れるのであります
)2009年11月13日
家族と犯罪
子どもの犯罪に親は関係ないのだが…
近々のニュースを話題性だけで考えれば、圧倒的な場面を提供してくれたのは、千葉の英会話講師殺人事件で2年半以上も逃亡していた市橋達也容疑者(30)の逮捕劇。今日も取り調べや逃走経路などの話題が、これでもかと提供されるのに違いない。
逮捕の翌日(11日)だったと思うが、市橋容疑者の両親はその前の日のコメントに続いて、正式な記者会見という形で報道陣の前に姿を現していた。前日はきちんと顔をさらしてテレビ画面に出ていたものが、少し時間が経ってから顔にモザイクがかかり、声も修正されて出るようになったことに違和感を覚えた人も多いのではないか。
確かに、子どもの犯罪に親が直接関係することはないと思う。ましてや市橋は30歳にもなったいい大人なのだから、この種の話であっても本人の人格の上でその犯罪性を追及するのが妥当といえばそうだろう。ただ、日本の場合は親子関係が非常に情緒的に捉えられるので、伝統的な部分もあって「親の責任」といった声が出てくることもまた事実である。
私が言いたいのは、その妥当性といった話ではなくて、今回のご両親のコメントの中身であった。テレビでお聞きになった方も多いと思うが、「休日に帰ってくると、私の肩をもんでくれるような、優しい息子だと思っているところもあるのです」「犬を大変に可愛がっていましてね…」……そうした言葉で大きな流れを作ったこの事件の“背景説明”は、果てに「息子にもっと何かしてやれたのではないかと言われれば、そうかもしれない。親としてやるべきことがあったかもしれない。しかし、そうだからといって今回の不幸な事件が起きなかったかと問われれば、それも分からないのでは…」とエスカレートするのである。
聞けば、ご父君は外科医だそうでお母さんも歯医者とか。これ以上はない位の、立派な家庭に育ったというところでしょうか。しかし、私はかなりの違和感をここでも感じるのだ。話が客観的で説明的だし、かつ饒舌(じょうぜつ)に過ぎるような気もしてしまうのである。そんな感じを抱いた人も多いのではないかと想像するが……。
犯罪の型が変わり、家族の姿も変わってきたのか
だからどう、ということを言いたいわけではない。思えば、こうした形で犯罪者の両親が説明責任を果たすのは異例のことだろうし(お茶の間で人気のO弁護士も言っていたが、その通り)、そのこと事態をとやかく言う筋合いはない。個人的には、「育て方が悪い」「親には子どもの人格形成に責任があるのだから…」などと言うつもりもないのである。しかし、それでも何かが引っかかってしまうのだ。
自分も親の一人として子育てには苦悩をした。今でもそうである部分もある(半分放棄はしてしまっていますけど)。けれど、結局に思うのはアレコレと指示したり、「自分はこれだけのことができるのだ」と子どもに半ば押し付けることが愛情なのではなく、どのくらいの許容度と優しい目を持てるかといった部分にあるのではないかとも思えるのですな。
これは子どもの立場になってみると、少し見えてくる部分がある。自分が小さいときならば、求めるのは“立派な”親ではなくて優しくて大きな存在であるそれだろう。奈良の医師一家放火殺人事件などを考えてみるだけでなく、立派過ぎる親がどのような影響を子どもに及ぼすかも、興味のあるところであり解明の難しい闇を感じる部分でもある。
「家族と犯罪」「近親者間の凶悪犯罪事件の増加」などと言うと、必ず「殺人・放火などの凶悪事件は決して増えていない」としたり顔で話す識者とやらが現れる。しかし、そんなことが問題なのではなくて、やはり凶悪犯罪といわれる殺人事件等が、いかにその中身を変質させてきたことが問題なのではないだろうか。
立派な家庭に育った市橋容疑者が、結局逃げたという事実。いちばん、人間としての恥を感じないといけない罪に対して、優等生だった彼はどう応えていくというのだろうか。以前は結婚詐欺といえば、男がすなることが常識。こんにちのような環境の中で、コンカツに夢中になる男性の存在が犯罪とどう結びついているのかも、立派な研究課題かもしれない。
たしかに、昔から人を殺めるといった犯罪はどこにも存在はした。しかし、近親間でこれだけ多発してきたことはないし、愛憎のカケラも感じられないゆきずりの事件の中で(島根の事件等がもしそうなら)、被害者をバラバラにするなどということもまず、想像の域を超えるものだったのではないかと、私は真剣に考えております。
近々のニュースを話題性だけで考えれば、圧倒的な場面を提供してくれたのは、千葉の英会話講師殺人事件で2年半以上も逃亡していた市橋達也容疑者(30)の逮捕劇。今日も取り調べや逃走経路などの話題が、これでもかと提供されるのに違いない。
逮捕の翌日(11日)だったと思うが、市橋容疑者の両親はその前の日のコメントに続いて、正式な記者会見という形で報道陣の前に姿を現していた。前日はきちんと顔をさらしてテレビ画面に出ていたものが、少し時間が経ってから顔にモザイクがかかり、声も修正されて出るようになったことに違和感を覚えた人も多いのではないか。
確かに、子どもの犯罪に親が直接関係することはないと思う。ましてや市橋は30歳にもなったいい大人なのだから、この種の話であっても本人の人格の上でその犯罪性を追及するのが妥当といえばそうだろう。ただ、日本の場合は親子関係が非常に情緒的に捉えられるので、伝統的な部分もあって「親の責任」といった声が出てくることもまた事実である。
私が言いたいのは、その妥当性といった話ではなくて、今回のご両親のコメントの中身であった。テレビでお聞きになった方も多いと思うが、「休日に帰ってくると、私の肩をもんでくれるような、優しい息子だと思っているところもあるのです」「犬を大変に可愛がっていましてね…」……そうした言葉で大きな流れを作ったこの事件の“背景説明”は、果てに「息子にもっと何かしてやれたのではないかと言われれば、そうかもしれない。親としてやるべきことがあったかもしれない。しかし、そうだからといって今回の不幸な事件が起きなかったかと問われれば、それも分からないのでは…」とエスカレートするのである。
聞けば、ご父君は外科医だそうでお母さんも歯医者とか。これ以上はない位の、立派な家庭に育ったというところでしょうか。しかし、私はかなりの違和感をここでも感じるのだ。話が客観的で説明的だし、かつ饒舌(じょうぜつ)に過ぎるような気もしてしまうのである。そんな感じを抱いた人も多いのではないかと想像するが……。
犯罪の型が変わり、家族の姿も変わってきたのか
だからどう、ということを言いたいわけではない。思えば、こうした形で犯罪者の両親が説明責任を果たすのは異例のことだろうし(お茶の間で人気のO弁護士も言っていたが、その通り)、そのこと事態をとやかく言う筋合いはない。個人的には、「育て方が悪い」「親には子どもの人格形成に責任があるのだから…」などと言うつもりもないのである。しかし、それでも何かが引っかかってしまうのだ。
自分も親の一人として子育てには苦悩をした。今でもそうである部分もある(半分放棄はしてしまっていますけど)。けれど、結局に思うのはアレコレと指示したり、「自分はこれだけのことができるのだ」と子どもに半ば押し付けることが愛情なのではなく、どのくらいの許容度と優しい目を持てるかといった部分にあるのではないかとも思えるのですな。
これは子どもの立場になってみると、少し見えてくる部分がある。自分が小さいときならば、求めるのは“立派な”親ではなくて優しくて大きな存在であるそれだろう。奈良の医師一家放火殺人事件などを考えてみるだけでなく、立派過ぎる親がどのような影響を子どもに及ぼすかも、興味のあるところであり解明の難しい闇を感じる部分でもある。
「家族と犯罪」「近親者間の凶悪犯罪事件の増加」などと言うと、必ず「殺人・放火などの凶悪事件は決して増えていない」としたり顔で話す識者とやらが現れる。しかし、そんなことが問題なのではなくて、やはり凶悪犯罪といわれる殺人事件等が、いかにその中身を変質させてきたことが問題なのではないだろうか。
立派な家庭に育った市橋容疑者が、結局逃げたという事実。いちばん、人間としての恥を感じないといけない罪に対して、優等生だった彼はどう応えていくというのだろうか。以前は結婚詐欺といえば、男がすなることが常識。こんにちのような環境の中で、コンカツに夢中になる男性の存在が犯罪とどう結びついているのかも、立派な研究課題かもしれない。
たしかに、昔から人を殺めるといった犯罪はどこにも存在はした。しかし、近親間でこれだけ多発してきたことはないし、愛憎のカケラも感じられないゆきずりの事件の中で(島根の事件等がもしそうなら)、被害者をバラバラにするなどということもまず、想像の域を超えるものだったのではないかと、私は真剣に考えております。

2009年11月11日
CTスキャナーの話

負担は少ない検査なのだが…
きょうは午後一番で近くのN病院に向かい、予約がしてあったCTを撮ってもらう。予想をしたように、あまり時間もかからず負担も少ない検査だなと感じたところ。一般に普及している方法なので、皆さんが受けることになってもあまり慌てることもないのではないだろうか。
別に医学的検査に詳しいわけではないので、ごく一般的な感想とその周囲の事情などについて考えてみたい。私が医療を扱う雑誌で働き始めたのはもう20年も前のことで、その当時からこのCTスキャナーという奴はもうかなり普及している検査方法だった。文字通り、コンピュータ断層撮影装置ということで、体を輪切りに撮影し、患部を探るというもの。名前で知っているだけで、実物や実体験はなかったものが、今回の体の異変(?)によって受けることになったものだ。その分、「こんなものかな」というのも正直な感想だった。
現在はCT自体もかなりの進化を遂げていて、ヘリカルCTなどというものもあるし(実体はあまり知らない)、それ以上にMRIやPET等の普及によってかなり体の深部まで鮮明が画像が得られるようになってきている。
CTの利点は、今回ほぼ納得したように、検査時間が短くて済むこと(たかだか10分ほどだった)。上着を一枚脱がされるだけで、準備もごく簡単。造影剤は飲まされたものの、これも注射で入れられてその後の検査も短時間の一度だけだった。思った以上に簡単なものなのである。
MRIは人によって厳しいところも
CTは初めての経験だったものの、MRIはかなり前に一回撮ってもらったことがある。自分には珍しい偏頭痛に悩まされ、友人の医師に相談したところ「一度、頭の写真を撮ってもらった方がいいかも」となったものだ。
これは経験者の方はご存じだろうが、けっこうな体験になった。まず、全身を蚕の中のような円筒の撮影機に入れられることで、圧迫感が非常に強い。それと、撮影の間、これは長くなると30分ほども続くものだが、訳の分からない金属音のような「キーン」という音が常に鳴り響くのである。説明をしてくれた臨床検査技師の方が話していたが「閉所恐怖症の人で逃げ出す方がけっこうある」とのこと。初めに念を押されたけれど、自分は逃げることはしないにしてもそうなってしまう人の気分も分かるような気がした。それくらい、狭い場所に閉じ込められる実感が強いのだ。
そんな体験談もともかくだが、MRIはCTに比べてもきれいな深部への映像が得られるとされている。そこで頭部を診たわけで、私の場合は幸いに「異常なし」ということだった。それでも、「この機械でも見切れない部分もある」と担当の方は話されていたが……。
便利な世の中だが、逆にいうとそれだけ細かな病巣であったり、腫瘍といったものも簡単に“発見”をされてしまうということだろう。早期発見と喜べばいいと言われるに決まっているが、すべての場面がそうなのかどうかには少し疑問も感じてしまう。余計なことだが。
余計ついでに、きのうからの市橋達也容疑者逮捕の場面や、その他の猟奇的殺人、30代の女性による連続不審死事件のニュースなどを見ていて大きな感慨を感じざるを得ない。「一体、日本という国はどうなってしまっているのだろうか」と。
一回、きちんと書いてみたいと思っていますが、日本人というのは本当にさもしい倫理観のない国民になってしまったと思う。物質偏重、己を知るという倫理観が喪失したところに、稀代の殺人や逃亡劇が生まれているような気がしてならない。きのうは市橋が簡単な取調べを受け、新幹線に向かった住之江署(だったかな)の前で、NHKのレポーターがしゃべろうとしたところ、例のカメラ前に群がるガキどもによって、画面を映すことがすぐにできなくなった。
こうした場面と観ていると、つくづくに感じる。「日本人というのは恥を知らない民になり果てたなぁ〜」と……。裕福な家庭に育った市橋が、こうも簡単に“逃げた”ことに対する、世間全体の土壌のようなものも同時に感じるのである。少なくとも、かつての日本にはこうした犯罪はなかったハズだ。
2009年11月10日
秋の日は…
ことしもこうやって終えていくのか
朝夕はすっかり寒く…と言いたいところながら、ここ2、3日は暖かい日が続いているようだ。今日も昼前に少し街中を歩いたのだが、少し汗ばむような陽気だった。地球温暖化と直接の関係があるかは分からないものの、ちょっとばかり気になる異常気象である。
これといった感慨のない日常。とくに何をしているという訳でもないので、少しばかりの仕事を片付けたあとはケーブルテレビの画面をずっと眺め回していたりする。しかし、それにつけても季節感を感じるのは、陽の落ちる速度の速さである。ついこの間までは6時ぐらいでもまだ明るいと感じていたが、いまはもう5時を過ぎるとすっかり辺りが薄暗くなる。今日は昼間はけっこういい天気だったのだが、これが天候の悪い日などは余計だろう。すぐに落ちる太陽、よく「秋の日はつるべ落とし」などと言うが、いまはまさにそんな感慨を感ずるときである。
しばらくしたらここでまた書こうと思っているのだが、以前から絶賛をしていたアメリカのテレビドラマ「ザ・ワイヤー」のシーズン4が始まっている。先週はずっと以前放映したシーズン3が総集編としてかかっていて、一部は見たものの見逃した回をきちんと観られなかったのが残念である。前回までで麻薬の売人集団としておおきな財をなしたストリンガーベルは殺されてしまったけれど、今度は一体どのような配役と人物の栄華となるのだろうか。バークスデールかそれとも、また警察の内部に悪役が生まれ、その人間を軸に動いていくのだろうか。主演のドミニク・ウェストは一介の巡査に逆戻りしているので、そのままだと活躍はできないハズだが、巡査のまんま殺人現場に出かけていくということなのでしょうかねぇ〜。
ストーリーを知らない方には失礼な書き方ながら自分もけっこう複雑なそれを十分には理解していないのです。しかし、登場人物それぞれの存在感と実際にありえそうなストーリー展開。そのリアリティーは圧倒的な迫力で迫ってくる。「あのオバマ大統領もファンである…」という枕詞は、実際本当のところだと思いますな。とくにアフリカンアメリカン(黒人)には身につまされる話がてんこ盛りになっているのではないからしら。また、楽しみである。
つまらない時間つぶしをさせてしまいました。夕方に感じた季節感を一瞬共有したいと考えたためです。それこそ、民放・NHKの夕刻のニュースの話題にはいくつかの紅葉の話題が盛り込まれていた(宮城の鳴子峡なんていうのもありましたな)。そんな季節になったことを、噛み締めながら明日も皆さんが幸福に過ごせますように――。
枝のべて水も燃えゐる紅葉かな(秋桜子)
朝夕はすっかり寒く…と言いたいところながら、ここ2、3日は暖かい日が続いているようだ。今日も昼前に少し街中を歩いたのだが、少し汗ばむような陽気だった。地球温暖化と直接の関係があるかは分からないものの、ちょっとばかり気になる異常気象である。
これといった感慨のない日常。とくに何をしているという訳でもないので、少しばかりの仕事を片付けたあとはケーブルテレビの画面をずっと眺め回していたりする。しかし、それにつけても季節感を感じるのは、陽の落ちる速度の速さである。ついこの間までは6時ぐらいでもまだ明るいと感じていたが、いまはもう5時を過ぎるとすっかり辺りが薄暗くなる。今日は昼間はけっこういい天気だったのだが、これが天候の悪い日などは余計だろう。すぐに落ちる太陽、よく「秋の日はつるべ落とし」などと言うが、いまはまさにそんな感慨を感ずるときである。
しばらくしたらここでまた書こうと思っているのだが、以前から絶賛をしていたアメリカのテレビドラマ「ザ・ワイヤー」のシーズン4が始まっている。先週はずっと以前放映したシーズン3が総集編としてかかっていて、一部は見たものの見逃した回をきちんと観られなかったのが残念である。前回までで麻薬の売人集団としておおきな財をなしたストリンガーベルは殺されてしまったけれど、今度は一体どのような配役と人物の栄華となるのだろうか。バークスデールかそれとも、また警察の内部に悪役が生まれ、その人間を軸に動いていくのだろうか。主演のドミニク・ウェストは一介の巡査に逆戻りしているので、そのままだと活躍はできないハズだが、巡査のまんま殺人現場に出かけていくということなのでしょうかねぇ〜。
ストーリーを知らない方には失礼な書き方ながら自分もけっこう複雑なそれを十分には理解していないのです。しかし、登場人物それぞれの存在感と実際にありえそうなストーリー展開。そのリアリティーは圧倒的な迫力で迫ってくる。「あのオバマ大統領もファンである…」という枕詞は、実際本当のところだと思いますな。とくにアフリカンアメリカン(黒人)には身につまされる話がてんこ盛りになっているのではないからしら。また、楽しみである。
つまらない時間つぶしをさせてしまいました。夕方に感じた季節感を一瞬共有したいと考えたためです。それこそ、民放・NHKの夕刻のニュースの話題にはいくつかの紅葉の話題が盛り込まれていた(宮城の鳴子峡なんていうのもありましたな)。そんな季節になったことを、噛み締めながら明日も皆さんが幸福に過ごせますように――。
枝のべて水も燃えゐる紅葉かな(秋桜子)

