「風のひとりごと」ブログ

東日本大震災および熊本大地震、さらに数々の豪雨で被災された方々へ、心からお見舞いを申し上げます。
 爾来、10数年の時が経ち現在は何とも退嬰的な日常になっていますが、マスメディアにいた人間として権力には対峙すべきとの姿勢や、世の出来事を注意深く観察する視点は変わらずにいるつもり。特に、2020年からは新型の伝染病という未曽有の災厄で世界観さえも変わりつつあります。人間の愚かさを見つめながらも、その聡明さと活力に期待をしてソロソロと進んで行きたいと思います。

2010年07月

子どもを産む資格のない人々

 信じられないことは生きていれば度々あり、その都度「アー」とか「ウー」とか言っていても始まらないことはよく分かる。しかし、今回の件に関してはまさに「信じられない」し、このような女性がいてはならないと思う。

 大阪市のマンションで、餓死と思われる子ども2人の死体が見つかった事件。容疑者(下村某)はすでに捕まっているし、供述によってその概要も明らかにされつつある。しかし、それでも……と思いますな。「自分の時間が欲しかった」などとはどの面下げて言えるセリフであるのだろうか。

 育児を放棄され、部屋に取り残された子ども2人(3歳の女の子と1歳の男児という)の思いを考えるとき、まさに言葉を失う。今日のテレビでキャスターから聞いた言葉ではないが、私たちは「こんな女性を生んだ社会の名において、子供たちに詫びないといけない」のではないだろうか。

 今更ながらゴタゴタと言っても詮無いことは分かる。しかし、遊ぶ時間が欲しかったとか食べ物を与えるのが嫌になったというのは、人の親になったことのある人間には理解がし難い心境である。一応、この背景を探ってみれば、結婚するのが早過ぎたということ。おそらく19歳ぐらいでこの下村某は結婚したのではないだろうか。翌年から子どもが生まれて、いま23歳とあるので辻褄が合うような気がする。遊びたい盛りで子どもを持ってはいけないのだ。もし、そうした事態になれば、これからは周囲が十分な監視をする必要があるだろう。何しろ、父方の祖母というのは47歳と新聞に記事に。まさに、未熟さがそのまま犯罪になったようだ。

 しかし、心底疑問に思うのは、マンションではインターフォンから子どもの泣き叫ぶ声が流れていたのだという。なぜ、誰もその異常さに気付いて行動を取らなかったのだろうか。分かっていて、あえて放っておいたのだとしたら、それは悲し過ぎること。再び、私たちはこの世、この社会のあり様を子どもに対して詫びなければならないと思う。

背景というのは全くないのかも?

 もう一つの摩訶不思議。これは言うまでもなく、東京・足立区で死後30数年経って発見されたという都内最高齢の男性のことである。生きていれば、111歳なり。死んでいて、それに本当に気付いていなかったとすれば、失礼ながら笑ってしまいますな。

 この件については、それこそグダグダと背景を探ってみても詮無いような気がする。おそらく、大した意味合いはないのだろう。年金を不正受給していたとの報道もあるが、年金のためだけにこんなことを敢えてするとは到底考え難い。

 詮索するのもショウモない話ながら、家族が言っている「おじいちゃんは即身成仏をするために部屋に篭り、絶対に開けるなと言われた」というのは真実に近いのかもしれない。しかし、それにしてもと思いますな。死臭が周囲に洩れることがなかったのだろうか。一度でも経験のある人なら分かるが、これは絶対に耐え難い臭いでありますよ。それを乗り越えたことが不思議でならない。

 たしかに、人間の生活というのは秘密がついて回るものである。どんな人にも秘密の一つや二つはあるだろう。しかし、それはあくまで個人史のなかにあっていい事態と状況だろう。秘密が周囲に多大な影響や迷惑を及ぼせば、それは当然に非難をされる。形の上だけで111歳まで「生きてしまった!」男性に対しては、個人的に敬老と慶賀を贈ろうと思いますが、先の子どもの死は絶対にそうではない。

 やってはいけないこと。産んではいけない命運だったのではないか。当初は子どもを可愛がっていたとあり、その後の離婚や精神の病は当然に関係しているだろう。しかし、そんなことを免罪符にしてはいけないのだと絶対に思う。もし、彼女を庇ってしまえば殺された子どもたちが浮かばれないだろう。合掌します……。

inazuma_004_s2写真はイメージ


夏に似合うものとして

 気がつくともう7月も終わりである。余すところは1日だけになってしまった。

 きのうは当地でも一日中続く雨模様の天候。空は終始暗かったし、あまり曇天が広がると「夏の景色ではないな」とも思う。きょうは今日で、午前中はいまにも落ちてきそうな暗い空であった。子どもには「必ず降るよ」などと言っていながら、昼過ぎからは晴れ間ものぞく夏の天候となった。ちょうど、子どもと行き違いで図書館に出かけたのだが、「まったく傘はいらなかった」と言われ、少しバツの悪い思いにも捕らわれたのである。

 しかし、きのうの感想とは違って、きょうはその後も黒い雲と陽光が交互に目に入るような感じで時折り激しいスコールが降った。空の中心の部分は黒雲でも遠くには晴れ間が見えたりと、これぞ「夏の空」といった感じ――。異常気象のことを少し書こうとも思ったのだが、そんな気持ちも失せた。

 ところで、多少忙しかった仕事がやっと終わり、きょうは取材先の校正も無事に終えたのでホッとしたところである。きのうまで大したことはやっておらず、新聞もあまり読んでいないので話題が浮かばない。毎週行っている週刊誌の時評でもしようかと思ったが、これも「新潮」を購入しただけでまだ読んでいない。

 極めて個人的な恥ずかしい話を披露に及ぼうかとも考えたが、これも現在はちょっと気後れの体。

 結局、日常のつれづれで勘弁をしてもらおうと思っている。

雷には分からないことが多過ぎるのだ!

 ところで、きのう今日は雷の音もあちこっちで響いていた。当地などは全国から見たら圧倒的に被害が少ない場所(今のところは)だろうが、テレビでの全国ニュースでは局地的な豪雨と雷を特集的に取り上げていたりする。さすがに画面を見ると「すさまじいな」と思うのです。

 雷は先ほどの天候と同様に、夏には非常の似合う気象と言えそうだが、その姿を愛でたりする人はまずいないでしょう。このごろはウェザーニュースでも雷注意報がきちんと商売として成り立っているらしく、ゴルフ場だけでなくその他のサービス、商売でもこの情報を重宝するところがあるらしい(そんなことは誰でも知っていると言われそうだが)。

 どうでしょう。私なぞは雷と言っても、「遠雷」との言葉とともに立松和平さんの小説を思い出すくらい。歌舞伎にも鳴神という有名な演題があるが、その中身は無粋で理解をしていないのである。

 あまり、自然を知らないと思われても困るので一つだけ知識を披露しておくと、皆さんは雷が上から落ちるだけでなく「下から空に駆け上がっていく」ことを知っていますか。私もごく最近にケーブルテレビの知識ととして知ったことながら、たしかに最新の映像技術ではその火柱が地面から上がっていることが確認をできるのである。雷のときは自動車の中にいれば安全だなどというのは基礎的な知識だろうが、やはり木のそばや金属の近くは危ないようだ。山登りの人たちの話を聞くと、よく「横に走る」とも言うがこれも事実らしい。つまりは、どこかに避難をしていても場所によっては直撃を受けることもあり得るのである。

 先述のテレビ番組でもコメントしていたが、雷というのは本当にまだ分かっていないことが多いらしい。映像の進歩によって、分かってきたことも随分とあるとのこと。そう考えると昔の人が見たら、もっともっと恐ろしい存在だったのだろう。やはり、科学の目で判断するだけでなく、少しばかり情緒の力を借りて考えた方が世の中は住み易そうでありますな。遠雷を聞きながら、ビールを飲むことなんていうのも一興なのかもしれない。

  昇降機しづかに雷の夜を昇る(西東三鬼)

何時もながらのつぶやきで

 疲れ、疲れ……すっかり力を使い果たしたような心境。久しぶりのことである。何時も個人的なことで恐縮するが、お堅い医療雑誌からの原稿を朝から書き続けてやっと脱稿したもの。枚数にして11、2枚ほどか。やはりこれぐらいの量になると、構成と落ちも工夫するので結構な作業となる。終われば、万歳!

PS 夜7時のニュースを見て驚愕したのは、千葉法相の死刑執行と立会いのてん末。落選議員云々はともかくも、これからすぐに辞めることが決まっている法相の執行はそれこそ前代未聞・驚天動地だ。誰がどう考えても、誰もが嫌がることを平気でするその心境は理解が及ばない。歴史に名を残そうと思ったのかしら?

臨済寺 014臨済寺の堂宇

















臨済寺 003お寺の入口付近。さっぱりし過ぎている感じ













時間があったこともあるのだが…

 灯台下暗し――とはよく言ったもので、自分がいる場所とか身近なところにはかえって足を運ばないということはないだろうか。もともと東京の人間だが、これはとくに東京人に当てはまるような気がする。恐ろしく地元のことを知らないのである。さすがに近所にあるものまで関心が及ばないとは言わないが、名所・旧跡の類いにしても勉強家以外はそんなに知識を期待しない方がいいだろう。

 地方の場合にこれがすぐに当てはまるかは分からないが、当地で有名な場所のひとつである家康ゆかりの臨済寺。以前からよく聞く名前であるし、自分の行動範囲の中にあることは分かっていながら、訪れていなかった旧跡と言えるのかもしれない。歴史の好きな人だったら目をむきそうな話ながら、実際にはこの家康が人質時代を過ごしたお寺についてその場所さえも定かではなかったのである。

 普段よく行く図書館のそばにそれがあることを知ったのは、そんな昔のことではない。せいぜい、この4、5年のこと。ちょうどマンションに引っ越してきてから、すぐそばにあるこれまた由緒のあるS神社などとともにその場所を確認したところだった。

 それでも行かないのですなぁ〜。足を延ばせばすぐ手が届く(矛盾した言い方だが)場所にありながら、何時でも行けると思うといかない。これは、東京の人が東京タワーに行ったことがなかったり、スカイツリーが出来ても、「そのうちに」などと思って結局行きそびれてしまう人が出てくるのと同様だ。

 そんな日常を打破したい……などと大それたことを考えたわけではない。たまたま暑いし、図書館での作業も嫌になってしまったので、すぐそばに足を延ばしてみようかと考えただけだ。

なんとまぁ、静かなものです

 著名なお寺ということで、多少は人の姿も見られるかと思ったらこれがいない。私のほかは、おばあさんが一人、山門のところまで来ながらすぐに足を返して帰ってしまったくらいである(周囲はまったくの住宅地だ)。

 さすがに名刹と呼ばれるだけあって、庭園は重文になっているようだし外からの眺めにしてもかなりの境内を持っていることも分かる。しかし、しかしねぇ〜。何というか、匂いがしないのですな。

 歴史を感じさせる雰囲気のようなものがあってもいいように思うが、変にこざっぱりしているし山門を上がった先の堂宇の前面もきれいな庭にしつらえられているだけで、かえって人の匂いが感じられなかった。これは、人間の気配がなかったことも関係しているのかもですな。

 しかし、それでも粛然とした荘厳な気持ちにはなるのである。すぐ裏手にはこの辺では有名な賤機(しずはた)山が控えているし、その広々とした境内とともに、眺め回せばそれなりの雰囲気や歴史の香りといったものは嗅ぎ分けることができる。それこそ、私なぞではなしに歴史好きの人ならば“居る”だけで何ものかを感じられるのではと、似合わない想像をしたりする。

 わずかな時間をつぶして、すぐに近くの県道に戻ったわけですが、自分自身の“非日常”を作るとの意味では、近場の名所等を訪ねることには意味があるような気がします。それでも、何時も街中で見かけるようなリュックを背負った中年の方たちのような熱心さは自分には付いて回らないと思う。無理はせずに、思い立ったが吉日で行くようにしてみたいと考えています。はぁ。

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季節のものとして歓迎

 きょうは土用丑の日。人間の出来があまり良くないのでありきたりのことしか浮かんでこないことを許していただきたい。皆さんも、機会さえあればウナギを食べようと考えたのではないでしょうか。

 私もとくにそうした季節とか記念日とかにこだわる訳ではないのだが、せっかくでもあるし夕刻スーパーに買出しに出たときに、「きょうはこれで」とウナギを買い求めてきた。しかし、卸しでも2割ほど高くなっているとのことで、国産はさすがにいい値段がしますなぁ〜。下手をすると中国産などは半値ぐらいで買えるのではないだろうか。

 きのうのテレビでも買物の男性が、「味が良ければね。中国産でも……」と話していたが、そうはいっても本音のところでは国産を求めたいのではないか。私も1パックの二切れ分が1500円もするとなるとさすがに腰が引けた。しかし、最後は意を決して買い求めたところだった。それにしても、いまは種類も豊富で中国産もあるし台湾産も沢山あるし、国内産だけでも数種類が所狭しと置かれているのには、少しビックリもした。それだけ、選択の幅があるということかしら。

ウナギは古くからのもの

 さて、ここで何でこの丑の日にウナギを食するようになったのか、などと講釈をたれると何処からか怒られそうだ。皆さんがご存じの通りなのだが、一つの説はあのエレキテルの平賀源内先生が「本日土用丑の日」と今でいうポップのような看板を考え出し、これが当たって普及したとするもの。その他にも、神田にある老舗の鰻屋が献上品の鰻を保管していたところ、この日に作ったものが一番の出来だったためなどといった説があるらしい。歴史には詳しくないので、下手なことは言えないが、平賀先生起源説もそれなりの根拠があるように聞いたことがある。

 それもともかくだが、この季節にウナギを食することは悪くない習慣だと思う。何より、普段は食べられないものなのだから、どこかで決心といったものがいるその食指。みんなが食べるし、ちゃんと講釈も付いていれば何の抵抗もなくなるといったところか。

 マグロなどと同様で、ウナギもピンキリであることは論をまたない。思い出すのは、東京・南千住「尾花」の天然うなぎである。以前は、年に一回だけ、知り合い同士で食べに行ったりしたのだが、もう4、5年ほど行っていないのではないかなぁ〜。

 ここで焼き鳥をたのんだり、うざくやう巻きをつまみにしてビールを飲んだりしているときは“至福”といった気分を味わえますな。近年はそんな場所に子どもがけっこういたりして、独りして「何だ、ガキのくせに!」と怒っていた覚えもあるが。ともかくも、高級店の鰻だけは滅多に味わえない風情を感じさせてくれるように思います。

 ずんずんと、そんな講釈や思い出を語っていればキリがないだろうが、高級とまではいかないまでも家庭ででもそうした団らんや家族との語らいが、あのニュルニュル気分とともに味わえればこれに越したことはないように思います。慶賀。独断。

安倍川花火 052今年の花火。仕掛けというのかな?


一時の清涼感と嬌声と

 きのうは、ご当地安倍川の花火大会であった。毎年、この時期にやるものながら去年はたしか長雨で延期になったような覚えもあるし、いつぞやは隅田川の花火と同じ日だったけれど今年はそんな話も聞かない。57回目というけれど、そりなりの風雪を耐えてきた催しなのかもしれないですな。

 たまたま、私の家はマンションの上層にあり角部屋なので、この花火の様子が遠距離ながら手に取るように見てとれるのである。グッドポジションといったところだろう。おかげで毎年、何組もの家族や友人を招くことが多い開催日となっている。今年は遠くにいる親類が所用があって来られなくなってしまったので、近所の義兄夫婦が遊びに来てくれたところだった。

 私はいつものような朝早くからスパゲッティサラダを用意したり、レンコンの煮物などもいそいそと作って用意をしたりしていた。直前に出すメーンについては、少し前から得意なマーボ春雨とジャーマンポテト(これは恐ろしく簡単にできる)を決めていたので慌てず騒がず。両人が現れてからおもむろに炒めたりして、供したところこれは大変に喜んでもらった。

 そんな私的な場面もさることながら、今年は風が適当に吹いてくれたのが大変に幸いした。例年、ある程度進行をしていくと、花火の煙が付近に淀んでしまってこちらの角度からはあまりキレイに見られなくなることが度々だったのだ。それが、今年はほとんどなかった。これはこちらのマンションに来て以来の5回の開催で初めてこのことだったのではないでしょうか。

 義兄とは、涼しい室内の中で年寄りのシンミリとした話なぞをしていたが、義姉(おねい)さんたちはベランダでキャーとか拍手とか騒がまいことか。階下からも嬌声が聞こえてくるので、皆さんが見て喜びを噛み締めていることになる。

花火の写真は本当に難しいのだ!

 私的ついでに言っておくと、今年は手元に適当なデジタルカメラがあったので、何回か外に出て花火の写真を撮ろうとした。今のカメラというのは本当に良く出来ていて、モード撮影のところにちゃんと「花火」というのがある。これでやれば、とにかく撮れるのは撮れるのだけれど、これが本当にタイミングが難しいのだ。私もつごう、40枚以上は撮ったと思うけれど、これというのは殆ど無かった。とにかくその瞬間のプッシュが難しい――。

 音がして大輪が広がったところで撮ったのでは、まったくに遅すぎる。画面に写ることはまずない。かと言って「パラパラ」と音がしたところで、これから破裂するハズだなどと先を急ぐとまったく光が輝き出す前の瞬間を捉えてしまうのである。

 けさも地元紙の紙上で「どうやったら、まぁ〜?」とまばゆいばかりに見事な写真を見たが、本当にプロというのは凄いなと思う。実際にはかなりの連続写真を撮り続けて、その中から選ぶのでしょうけど……。

 とまれ、皆さんにはどのような思い出が付いて回るのか。花火には有名な大会が各地にあるので、自分が見たものもどうだとは言えないけれど、ご当地のそれはだいたい1万5000発以上。時間にして2時間弱ぐらいか。さすがに10号玉やスターマインには大きな迫力がある。一番ビックリしたのは、まあるい花びらのような模様だけでなく、三角だったりきのこのような変形した形だったりとイメージに合わせて自在に形状をかたち造れるようになってきていること。色の組み合わせとともに、なかなか現代的だなとも思ったものだ。

 外国でも祭典には花火(ファイヤーワークス)は付き物だが、日本と違ってどこか演出、添え物の印象だけが付いて回るような気がする。一方のわれわれは、一回一回のそのはかなさに、どこか人生にも似た“散り際”の良さのようなものを感じるのだ。一種の感情移入であり、桜の花見と通じるものがあるのかもしれない。

 自分も「パッと咲いて、パッと散る」花火のような人生を夢想するけれど、きのうも「早く死ぬ、早く死ぬって言うけれど、私の方が早く逝くような気もするんだけれど…」と嫁さんに言われたりして……。義兄(にい)さんとともに、「一人残されたらどうするの?」と鋭く突っ込まれたところでありました。なかなか、キレイに散っていくのは難しい。だからこそ、花火は美しいのですな。

伊豆別荘 059伊豆・今井浜海岸にて


ニュースの裏側にあるもの

 きょうは24節気の「大暑」とのこと。1年中で一番暑い季節であることは間違いないだろうが、今年はちょっと行き過ぎかもしれない。当地は全国に比べるとそうでもないのだけれど、きょうも午前中から32℃ぐらいになったらしい。

 その暑さのせいで腑抜けになったのかどうか、どうやら世間の雲行きもピシッと理解が及ぶようなものにはなっていないようだ。最近の所感から。

 まず、例の大相撲の暴力団との関係云々についてきょうもあったけれど、2、3日前から話題になったのは松ケ根親方(元大関若島津)がマル暴と関係の深い人物から相撲部屋の提供を受けていたというもの。本人の釈明や周囲の動きを見ていても、どうも釈然としない。もともと、この松ケ根さんという人はマル暴とズブズブであることで有名だった人ではないのか。関係者の間では衆知のことだったと思うけれど、今更の話が出てくるのはこれからも続く事態なのでしょうか。

 本気で暴力団とのつながりを絶つなどといっても、そう簡単なことではないような気がする。「本気でやらないとダメだ!」というのは私の友人の言でもあるけれど、著名な評論家諸氏のコメントを聞いていても、いま一つ歯切れが悪い。みんな、心のどこかで「そう簡単ではないよなぁ〜」と思っているのではないかしらね。むしろ、笑ってしまうのは元千代大海の賭博の問題。本人は全否定したらしいけれど、琴光喜が初めに相談したのがこの人だとすると、関係がないと考える方が早計ではないかという気がする。どこまで調べるかは分からないけれど、踏み込めば踏み込むほど相撲界がその体をなさなくなると思いますけどね。

 同じような趣旨というわけではないのですが、きのうまで大きな話題になっていた金賢姫元工作員(48)の来日と拉致被害者との面談に関するニュースにも、ちょっとした違和感を覚えてしまう。まず、実際に会って話しを聞くといっても、新たな事実が出てこないことはもう関係者の間では予想されたことだと思えること。

 超法規的というかなりの無理をして呼んできたのはいいけれど、これは実際、大変な“政治的ショー”であるとの意味合いしか持たないだろう。韓国側との思惑が一致したといっても、かの国はむしろ冷静にというか冷ややかに見ていることが見てとれる。気になるのは、横田早紀江さんを始めととして金元工作員(元死刑囚であります)に大変丁重な言葉遣いになっているけれど(あの方とか……)、これは韓国の被害者などから見ると、かなり感情を逆なでする言動ともてなし方に思える。当事者に悪気がないことは十分に分かるのですが、やはりもの事には“スジ”といったものも必要だと思えるのだ。

子どものような幼さを感じる内閣や大臣

 この問題に関連して、中井拉致問題担当相が「田口八重子さんが6、7年前まで元気で生存していたとの情報を得ている」と会見で発言したことも、「何かナァ〜」と思ってしまいますな。確認ができない情報に対して、一言口にするだけで関係者には大変な重みを持つことに対して、軽軽に発言するその人間性。表立って批判する人はいないのかもしれないが、被害者家族の人たちにしてみると、「政治的なショーだけでなく、実質的な行動を取って欲しい」というのが本音だろう。精査した判断が、そこに感じられないのだ。

 何しろ、選挙で大敗しても、誰一人として責任を取ろうとしない政党とその執行部である。むしろ、成熟しない政治手法というのはこの民主党の一枚看板になるのかもしれませんな。

 菅首相の消費税発言は、私はいまだに基本的に間違っていないと思えている。ただ、その他のばら撒き施策に関しては早晩、完全に行き詰まって来るだろう。きょうの地元紙に、京大の佐伯啓思氏が書いていたけれど、日本はやはり「…グローバルな経済競争の中で成長追求路線を続けることは、ほとんど不可能であろう。問題はここでの景気浮揚や成長戦略ではなく、経済活動の水準を少しずつ落とし、国際的な投機資本から国民の雇用や資産をいかに守るか、という点に絞られてくるであろう。……」とのコメント。すべてではないけれど、基本的な認識は決して間違っていないように思います。

 皆さんが目先のことだけに捕らわれていると、日本は早晩外国の食い物になるだろうし、私たちの持っていた文化や資産もたちまちに雲散霧消してしまうことは目に見えている。状況に対する判断力や大人の明察を持つ政治家が、いまほど必要とされている時代はないだろう。……

img20050521151123みなとみらいの近く


暑さの中の久しぶりの横浜

 きのうは正直、疲れました。医療雑誌の仕事で久々に横浜へ。名前だけなら誰でも知っているような医療機関へ、地図をたよりに訪れたところだった。それこそ山下公園とかみなとみらいの方面なら遊びでも学会でも何回も行ったことがあるが、駅の周辺というのはあまりない。それが盲点だったのかもしれない。

 地下街が入り組んでいるのでシロートには分かり難いし、外に出れば出たで根っからの猛暑。5分ばかり歩いても汗が吹き出てくるので、時間があったこともあり近くのコンビニでしばしを過ごした。

 今回のテーマは医療通訳だ。とくに日本を訪れている新興国の人などにとっては深刻な問題。話を聞いた先生の話ではほぼ半分以上がスペイン語の通訳だという。その他、これからは中国語の需要もさらに増えてくるだろう。

 これから書く話なので詳細に触れることはできないが、時宜を得たテーマだと思う。NPO法人の理事の人たちも熱心に話してくれたし、自身が医療でエライ思いをしてそのNPOで働きだした(もちろんボランティア)というペルー人の方の話も聞くことができた。まぁ、問題点を書くことが主眼になるわけではないので、全体に今回のようなボランティア団体の篤志によってこうした現状が何とか回っていることが理解してもらえればと思う。たかだが4時間ほどの取材だったけれど、久しぶりなので緊張もしたし疲れましたな。帰りの新幹線で眠いこと、眠いこと。

ハマの雰囲気はどうなのだろうか?

 とは言っても、久方ぶりの横浜。周辺の景色と雰囲気は気になったところだった。実際、駅の周りをウロウロすることは普段は余りないですな。今回は人があふれた地下街を抜けて東口から1カ所に行き、その後に西口の方に回ったという風情だったが、場所が分からずにかなり歩き回ってしまった。考えようによっては、東京や私のいる場所より緑が少ないので、歩いていると暑いことは夥しい。

 先日も書いたように、昔の思い出でいうと山下公園や少し先まで足を延ばした三渓園といったところのシーンが浮かんでくるといったところか。学生の頃から車に乗っていたので、何かというと横浜だったし少し時間があれば鎌倉までというのはお定まりのコース。今から考えると、よくまぁあんなに暇があったものだと思う。何か毎日のように行っていた覚えもあるのです。

 繰り返しになるように、横浜駅の周りについては知識もないが、ここにある百貨店では美術展をよくやるのでそのために訪れたことは何回かある。しかし、実際にはやはり東京よりは遠く感じますね。ただ、それだけのために訪れることを考えると。

 とまれ、他愛もない言い方ですが、横浜にはそれなりの風情はあると思います。港町の持つ文化性。一方の、人間の欲望がむき出しになったような生の人の叫びが聞こえる生活風景。中華街の魅力も捨て難いが、私はきどった風情よりはもっと下町っぽいそれの方が好きなので、ハマのハイソ感覚にはちょっとした抵抗があります。それでも、いつまでも“たそがれ”を知らない街といったところか。……

きのうが休日だったことも忘れていた

 暑い! それだけではなく、今日が休み明けということをすっかり忘却。ブルーマンデーを引きずる火曜日で、締め切りで今日中の原稿も先ほどやっと目処がついたところ。暑さは苦にならないと言ったところで、街中を歩いているとクラクラしてホントにすべてが嫌になりますな。今日はそう書くのがやっと。

PS 忘れていましたが、更新もせずに持っているHPで「今月の1枚」を更新しました。好きなお酒について書いたもの。また、暇な時にのぞいて下さい。

柿田川湧水 011去年の夏に行った出先で


いよいよ本格の夏だ!

 

 夏の思い出と言ったところで、別に「夏がくれば思い出す〜」と唱歌を歌おうとしているわけではない。全国で梅雨も明けて、いよいよ本格的に夏に入ったかとの実感を抱いたから、それに絡めて多少の思い出を語ろうとしただけだ。ただ、それだけのこと。

 きょうは午前中から図書館に出かけた。これまた私的なことで、仕事を片付けたいとの気持ちが半分あったし、いま一つは家にいても煙たがられるとの思いもあった。この辺はふだんの平日とは大分、趣が異なるのであります。あとは新聞を少し各紙読み比べたいとの思いもあったですな。

 今日はまったきに自習室は満員であった。平日に訪れたときには自習室の余りの人の少なさに驚き、「この国の将来は危うい」などと嘆いていたが、休みでもあるし夏休みに入った御仁も多いようで、これくらいに繁盛していれば学生諸君の意識もまともなものだと言っておこう。やはり、休日は大人の数も多くてなかなかの盛況ですな、コレが……。

 行きも帰りも歩いたし(片道20分ほど)、日差しが強くて久しぶりにクラクラとする。これは紛れもない夏であります。

ウキウキするのも夏だし、喪失の思い出もこの季節だ

 いつも話すように夏は好きだし、自身も活発に動いてきた経緯はあるので思い出はそれなりに多い。なぜ、そんなことを言うかというと、夏には事故がつきものだし、それぞれの人生の中でも危機や生産的な思い出が付いて回るのではないかと思ったからだ。恋の季節でもあるし、もちろん振られることだって多い時節帯であるに違いない。

 きょうは「海の日」とのことだから余計だろうが、休みに入ると水や山の犠牲者の話が夕方以降のテレビニュースの定番となる。きのうも当地を含めて全国で6人とか7人の人が亡くなったと聞く。他の訃報とわけが違うのが、それがあまりに突然なことであるし、その分若い人が多いこともあり衝撃が大きいのだ。何とかならないものなのかな、とも思う。

 しかし、これはなかなか減らすことのできない宿命ではないかしら。暑くなれば水を求めるし、そこには多少の無理は伴う。自動車を使ったレジャーにしたって、やはり疲れや飲酒が付随するので大事故も増えてしまうのである。

 水の事故というと、私なぞはすぐにたこ八郎さんのことを思い出すけれど、身近にもそうした事故で亡くなった人がいなかったわけではない(すぐ近い人にはいなかったが)。夏の行楽事故というと、若い頃に務めていた場所で紹介されて親しくなった民放のアナウンサーが、お盆の帰宅時に交通事故で亡くなったことがあった。当時で20代の後半ぐらいの男性。私は彼と飲んでしばらくして転勤をしてしまったので知らなかったのだが、後でその放送局の親しい人と会食をしたときに「あいつ死んだんだよ」と言われて、言葉を失った。早く実家に帰ろうと、気が急いた部分があったのだろうか。

 そうした喪失の思い出がある一方で、恋に絡む奴も多いのではないでしょうか? 私なぞも学生時代を含めて、切ない思い出が夏のヒットソングとともに浮かんでくるので、胸に応えるところもあるのである(柄でもないですが)。ただ、言いたいのはそうした思い出がモロに結びつくのが夏という季節ではないのかという事。

 いい意味でも、悪い意味でもあると思うが、照るつける太陽の光や暑さを感じていると『砂の器』(野村芳太郎監督)の一場面ではないけれど、蝉の声とカキ氷を削る音が聞こえてくるような気がするのである。夏は悪くない。歴史が作られる季節であると思う……。

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