子どもを産む資格のない人々
信じられないことは生きていれば度々あり、その都度「アー」とか「ウー」とか言っていても始まらないことはよく分かる。しかし、今回の件に関してはまさに「信じられない」し、このような女性がいてはならないと思う。
大阪市のマンションで、餓死と思われる子ども2人の死体が見つかった事件。容疑者(下村某)はすでに捕まっているし、供述によってその概要も明らかにされつつある。しかし、それでも……と思いますな。「自分の時間が欲しかった」などとはどの面下げて言えるセリフであるのだろうか。
育児を放棄され、部屋に取り残された子ども2人(3歳の女の子と1歳の男児という)の思いを考えるとき、まさに言葉を失う。今日のテレビでキャスターから聞いた言葉ではないが、私たちは「こんな女性を生んだ社会の名において、子供たちに詫びないといけない」のではないだろうか。
今更ながらゴタゴタと言っても詮無いことは分かる。しかし、遊ぶ時間が欲しかったとか食べ物を与えるのが嫌になったというのは、人の親になったことのある人間には理解がし難い心境である。一応、この背景を探ってみれば、結婚するのが早過ぎたということ。おそらく19歳ぐらいでこの下村某は結婚したのではないだろうか。翌年から子どもが生まれて、いま23歳とあるので辻褄が合うような気がする。遊びたい盛りで子どもを持ってはいけないのだ。もし、そうした事態になれば、これからは周囲が十分な監視をする必要があるだろう。何しろ、父方の祖母というのは47歳と新聞に記事に。まさに、未熟さがそのまま犯罪になったようだ。
しかし、心底疑問に思うのは、マンションではインターフォンから子どもの泣き叫ぶ声が流れていたのだという。なぜ、誰もその異常さに気付いて行動を取らなかったのだろうか。分かっていて、あえて放っておいたのだとしたら、それは悲し過ぎること。再び、私たちはこの世、この社会のあり様を子どもに対して詫びなければならないと思う。
背景というのは全くないのかも?
もう一つの摩訶不思議。これは言うまでもなく、東京・足立区で死後30数年経って発見されたという都内最高齢の男性のことである。生きていれば、111歳なり。死んでいて、それに本当に気付いていなかったとすれば、失礼ながら笑ってしまいますな。
この件については、それこそグダグダと背景を探ってみても詮無いような気がする。おそらく、大した意味合いはないのだろう。年金を不正受給していたとの報道もあるが、年金のためだけにこんなことを敢えてするとは到底考え難い。
詮索するのもショウモない話ながら、家族が言っている「おじいちゃんは即身成仏をするために部屋に篭り、絶対に開けるなと言われた」というのは真実に近いのかもしれない。しかし、それにしてもと思いますな。死臭が周囲に洩れることがなかったのだろうか。一度でも経験のある人なら分かるが、これは絶対に耐え難い臭いでありますよ。それを乗り越えたことが不思議でならない。
たしかに、人間の生活というのは秘密がついて回るものである。どんな人にも秘密の一つや二つはあるだろう。しかし、それはあくまで個人史のなかにあっていい事態と状況だろう。秘密が周囲に多大な影響や迷惑を及ぼせば、それは当然に非難をされる。形の上だけで111歳まで「生きてしまった!」男性に対しては、個人的に敬老と慶賀を贈ろうと思いますが、先の子どもの死は絶対にそうではない。
やってはいけないこと。産んではいけない命運だったのではないか。当初は子どもを可愛がっていたとあり、その後の離婚や精神の病は当然に関係しているだろう。しかし、そんなことを免罪符にしてはいけないのだと絶対に思う。もし、彼女を庇ってしまえば殺された子どもたちが浮かばれないだろう。合掌します……。
信じられないことは生きていれば度々あり、その都度「アー」とか「ウー」とか言っていても始まらないことはよく分かる。しかし、今回の件に関してはまさに「信じられない」し、このような女性がいてはならないと思う。
大阪市のマンションで、餓死と思われる子ども2人の死体が見つかった事件。容疑者(下村某)はすでに捕まっているし、供述によってその概要も明らかにされつつある。しかし、それでも……と思いますな。「自分の時間が欲しかった」などとはどの面下げて言えるセリフであるのだろうか。
育児を放棄され、部屋に取り残された子ども2人(3歳の女の子と1歳の男児という)の思いを考えるとき、まさに言葉を失う。今日のテレビでキャスターから聞いた言葉ではないが、私たちは「こんな女性を生んだ社会の名において、子供たちに詫びないといけない」のではないだろうか。
今更ながらゴタゴタと言っても詮無いことは分かる。しかし、遊ぶ時間が欲しかったとか食べ物を与えるのが嫌になったというのは、人の親になったことのある人間には理解がし難い心境である。一応、この背景を探ってみれば、結婚するのが早過ぎたということ。おそらく19歳ぐらいでこの下村某は結婚したのではないだろうか。翌年から子どもが生まれて、いま23歳とあるので辻褄が合うような気がする。遊びたい盛りで子どもを持ってはいけないのだ。もし、そうした事態になれば、これからは周囲が十分な監視をする必要があるだろう。何しろ、父方の祖母というのは47歳と新聞に記事に。まさに、未熟さがそのまま犯罪になったようだ。
しかし、心底疑問に思うのは、マンションではインターフォンから子どもの泣き叫ぶ声が流れていたのだという。なぜ、誰もその異常さに気付いて行動を取らなかったのだろうか。分かっていて、あえて放っておいたのだとしたら、それは悲し過ぎること。再び、私たちはこの世、この社会のあり様を子どもに対して詫びなければならないと思う。
背景というのは全くないのかも?
もう一つの摩訶不思議。これは言うまでもなく、東京・足立区で死後30数年経って発見されたという都内最高齢の男性のことである。生きていれば、111歳なり。死んでいて、それに本当に気付いていなかったとすれば、失礼ながら笑ってしまいますな。
この件については、それこそグダグダと背景を探ってみても詮無いような気がする。おそらく、大した意味合いはないのだろう。年金を不正受給していたとの報道もあるが、年金のためだけにこんなことを敢えてするとは到底考え難い。
詮索するのもショウモない話ながら、家族が言っている「おじいちゃんは即身成仏をするために部屋に篭り、絶対に開けるなと言われた」というのは真実に近いのかもしれない。しかし、それにしてもと思いますな。死臭が周囲に洩れることがなかったのだろうか。一度でも経験のある人なら分かるが、これは絶対に耐え難い臭いでありますよ。それを乗り越えたことが不思議でならない。
たしかに、人間の生活というのは秘密がついて回るものである。どんな人にも秘密の一つや二つはあるだろう。しかし、それはあくまで個人史のなかにあっていい事態と状況だろう。秘密が周囲に多大な影響や迷惑を及ぼせば、それは当然に非難をされる。形の上だけで111歳まで「生きてしまった!」男性に対しては、個人的に敬老と慶賀を贈ろうと思いますが、先の子どもの死は絶対にそうではない。
やってはいけないこと。産んではいけない命運だったのではないか。当初は子どもを可愛がっていたとあり、その後の離婚や精神の病は当然に関係しているだろう。しかし、そんなことを免罪符にしてはいけないのだと絶対に思う。もし、彼女を庇ってしまえば殺された子どもたちが浮かばれないだろう。合掌します……。