花火のイメージ
無事に終え、たくさん食べてもらった
朝から天候は心配していたのだが、活発な前線の影響なのかどうか新潟の大雨被害には目を覆った。一方で不安定なのは当地も同じだったのだ。きのうの夕刻から、かなりの雨の予想。
愉しみにしていた花火大会の当日なので、「何とか持って」との思いは強かった。そこで神様が味方をしてくれたのかしら。ちょうど開始の1時間ほど前からかなりの雨になったものの、合間をぬうようにほぼ予定どおり花火は打ち上がりました。ましてや、風が大変に強い涼しい夜だったため、これまでに一番と思えるほどのきれいな遠景が楽しめて大きな歓声の上がることがしきりだった。
まずは愛でたし、愛でたしといったところでしょうかね。
皆さんが気になるのかどうかは分からないが、私が一番気を遣ったのは料理をおいしく食べてもらえるかどうかだった。これが、ところがギッチョンチョンなのですな。大人数(大人は9人、子どもは2人)が押し寄せてきたため、当初料理を5品定めてそれなりの量を作ったのだが、午後5時過ぎに開宴(花火は7時ごろから)してアッという間にこれがなくなった。私の家庭料理以外にもお寿司やピザを親類の人たちが用意をして持ってきてくれていたものの、これまたすぐに無くなってしまったのだ。
私が急きょ、得意のジャーマンポテトを作ったりおつまみで誤魔化したりと、それは気を遣う部分も多かったですな。
話し、食べるのが何よりの娯楽
「反応は」って? 聞いてくださいよ。完食をしてもらったのが何よりの証しと思えるが、若い人が物足りなさそうなので急いで作った前記ジャーマンポテトに対して、甥っ子の反応が「何? まじでヤバイよ、これ」というのも。これまたアッという間に無くなったのでした。
義兄連中ともけっこう実のある話ができたし、きれいな花火は例年になく楽しめたりと、言うことがありません。きのうも内輪では話したことながら、いっとき義母と一緒に住んでいたときは義母を仲介にして親類の付き合いが活発だったことは、よく理解をしていた。しかし、亡くなってからは「付き合いも疎遠になるだろうな」と考えていたのに、そうでもないことに驚いているのである。
つい先日も一緒に旅行をしたばかりだし、お墓参りに一緒に行ったり、こうして機会を見つけて談笑をしたりとこれまた言うことなし。自分はどこか家庭の味とか雰囲気に乏しい若年期を送ったので、この歳になって「家族」「家庭」の本来の姿をここまで意識するとは考えていなかった。
やはり、人間にとって一番に大事なのは家族の融和や愛情ではないでしょうかねぇ〜。そうしたものに、親戚やごく親しい友人たちの話題がかぶさってくると、それがまさに“スパイス”になって料理の味(家族の紐帯)が引き締まってくるのだ。きのうは、夜空に炸裂する光のページェントを見ながらそんなことを考えていた(酔って寝込むこともなかったですな)。
朝方、見かけたお花
無事に終え、たくさん食べてもらった
朝から天候は心配していたのだが、活発な前線の影響なのかどうか新潟の大雨被害には目を覆った。一方で不安定なのは当地も同じだったのだ。きのうの夕刻から、かなりの雨の予想。
愉しみにしていた花火大会の当日なので、「何とか持って」との思いは強かった。そこで神様が味方をしてくれたのかしら。ちょうど開始の1時間ほど前からかなりの雨になったものの、合間をぬうようにほぼ予定どおり花火は打ち上がりました。ましてや、風が大変に強い涼しい夜だったため、これまでに一番と思えるほどのきれいな遠景が楽しめて大きな歓声の上がることがしきりだった。
まずは愛でたし、愛でたしといったところでしょうかね。
皆さんが気になるのかどうかは分からないが、私が一番気を遣ったのは料理をおいしく食べてもらえるかどうかだった。これが、ところがギッチョンチョンなのですな。大人数(大人は9人、子どもは2人)が押し寄せてきたため、当初料理を5品定めてそれなりの量を作ったのだが、午後5時過ぎに開宴(花火は7時ごろから)してアッという間にこれがなくなった。私の家庭料理以外にもお寿司やピザを親類の人たちが用意をして持ってきてくれていたものの、これまたすぐに無くなってしまったのだ。
私が急きょ、得意のジャーマンポテトを作ったりおつまみで誤魔化したりと、それは気を遣う部分も多かったですな。
話し、食べるのが何よりの娯楽
「反応は」って? 聞いてくださいよ。完食をしてもらったのが何よりの証しと思えるが、若い人が物足りなさそうなので急いで作った前記ジャーマンポテトに対して、甥っ子の反応が「何? まじでヤバイよ、これ」というのも。これまたアッという間に無くなったのでした。
義兄連中ともけっこう実のある話ができたし、きれいな花火は例年になく楽しめたりと、言うことがありません。きのうも内輪では話したことながら、いっとき義母と一緒に住んでいたときは義母を仲介にして親類の付き合いが活発だったことは、よく理解をしていた。しかし、亡くなってからは「付き合いも疎遠になるだろうな」と考えていたのに、そうでもないことに驚いているのである。
つい先日も一緒に旅行をしたばかりだし、お墓参りに一緒に行ったり、こうして機会を見つけて談笑をしたりとこれまた言うことなし。自分はどこか家庭の味とか雰囲気に乏しい若年期を送ったので、この歳になって「家族」「家庭」の本来の姿をここまで意識するとは考えていなかった。
やはり、人間にとって一番に大事なのは家族の融和や愛情ではないでしょうかねぇ〜。そうしたものに、親戚やごく親しい友人たちの話題がかぶさってくると、それがまさに“スパイス”になって料理の味(家族の紐帯)が引き締まってくるのだ。きのうは、夜空に炸裂する光のページェントを見ながらそんなことを考えていた(酔って寝込むこともなかったですな)。
朝方、見かけたお花