6d9de5f0.jpg最終回なりの仕掛けというところ?

 原稿の締め切りが何本かあるため、きのうの夜から少しだけ根をつめて執筆を急いでいた。1本だけは何とか、午前中に送ることができたところ。ただ、もう1本長めの原稿が残っているので、明日までは気の抜けない時間になりそうだ。

 とそんなことを言いながら、相変わらずダラダラとしている自分。午前中も見るとはなしに見ていたケーブルで「ゴースト」の最終回を視聴した。前回の分は観ていたので、ぜひともこれは観たいと思っていたものだ。

 今回だけなのかどうか、前回と今回分と最終回は2回連続の放送ドラマになっていた。それだけ、力を入れて作ったということなのだろう。仕掛けも大がかりで、メリンダの住む町の近郊に250人もの乗客が乗った旅客機が墜落するという設定だ。今回はゴースト(魂)も大仕掛けで、その250人もの人がそれこそ異物のような形で登場することになる。

 以前も、この番組を好意的に取り上げたときも、個人としては死者が出てきたり魂を題材にするのは一種の“禁じ手”なのではとも書いたところ。人間の一番の琴線に触れるところなので、読者や視聴者を感動させることはたやすいと思えるからだ。しかし、いかんせんこちらも人間なので作り手の策謀は分かっていながら、ついつい泣いてしまう。感動を隠せなくなってしまうところである。

 今回の番組もよく出来ていましたね。与圧系のバルブをチェックし忘れた機長の責任で、減圧したときの酸素マスクに酸素が供給されなくなる。そのうちに機内が冷えてきてしまい、乗客・乗員が全員凍死するという展開に。もちろん、操縦士を失った飛行機はメリンダの街の郊外に墜落するのだが、多くの人が墜落の恐怖も痛みも絶望も感じずに死んだという、その設定がミソだろう。天国・地獄への入口の番人という悪そうなゴーストも出てきて、安らかな“光の国”に行こうとする多くの乗客の行動を惑わしたりする。

相棒まで死んでしまったらどうするの、今後

 ひねくれ者の自分としては、いつもその安易な展開に呆れたりもするものながら、一方ではちょっと感動的な場面――今回でいうと乗客家族の待合所でメリンダが「皆さんの家族はあなたのそばにいて、あなた方に感謝、そして愛していると言っています」と説明する場面――などに出くわすと、訳もなく感動してしまうのだ。クサイなと思ったとしてもですね。

 思えば、アメリカ映画・テレビのダイナミズムというのは、こうした人間性の根幹に触れるような精神のあり様にも、大胆な脚色と展開を盛り込んで恥じないところにあるのかもしれない。一方で、俳優さんがみな上手いものだから、こちらの方がその演技に凌駕されるということになってしまう。場面の作り方に大袈裟なところがあったとしても、信じきってやっているので大仰さをあまり感じなくなってしまうのだろう(日本だとこうは行かないものだが)。

 ストーリー作りもそうかもしれない。今回は、亡くなった多くの魂の行き先もそうだったのだが、南アフリカからこの飛行機(墜落機)に兄が乗ったかもしれない相棒のアンドレア(アイシャ・タイラー)が、兄を探す場面が伏線に。結局、兄の消息をたずねるためにアパートに向かおうと車が急がせたアンドレアは、途中の交通事故で既に亡くなっていたとのどんでん返しだった。これには、驚かされる。兄貴は一方で、ちゃんと生きていたのである。

 どうですかね。ここまで来ると、ちょっと行き過ぎ。最終回だから何か落ちが、と思ったのかもしれないけれど、はしゃぎ過ぎですかな。実際、来週からはシーズン2が始まるみたいだけど、今度のストーリーはどうするのかと心配になる。そんなことは、私の知ったことではないのだけれど……。