P1020964忘れ難い人だったが…


怨歌の歌姫を追い詰めたものは?

 満を持してという訳でもないのだが、もう先々週になる22日の日に歌手の藤圭子さんの訃報に接してから、そのニュースの衝撃におののいていた。多少の時間を経て、週刊誌でその仔細を知り得たのちは多少の感想を書いてみたいものだとは考えていたのだった。

 先週も「新潮」と「文春」の2誌の発行(写真)ののちにはすぐに買って詳しく読んだりもしていた。しかし、一度記したように自分の日常の細かな進行があり、かつぶり返した暑さで元気を失ってしまったことなどがあって先延ばしになってしまっていたのだ。改めて、このスキャンダルを簡単に振り返ってみるが、自死ということがあるので生活に立ち入った話や、単なる想像はなるたけ控えたいとは思っております。

P1020963先週発行の2誌

 まず、その衝撃の“度合い”ということなのだが、やはりこれは年代的なものも影響をしてくるといったところだろうか。5、60代の人はもちろん、40歳を少し超えたぐらいの人になればリアルタイムか少し遅れてこの方の歌を聴いたり、名声を目にしていたりするので名前も身近なものであろうと思う。一方、それより少し年齢が下ってしまうと、今度はシッカリと宇多田ヒカルさんのお母さんとしてその名前が焼き付いているといったところだろうか。

 この事件が報じられてからしばらくは、飛び降りたマンションが若い男性のものだったりしたこともあって、「さて、若いツバメと一緒に暮らしていたのか?」ぐらいに扇情的なこともツラツラ考えていたりもしたのだが、これらの期待はどうも裏切られたものであったようだ。週刊誌も詳しくは触れていないが、元マネジャーで身の回りの世話をしていた人ということらしい。

 あと、自殺の直接的な動機とか、何がそこまで追い詰めたのかというのも、当然に問題にはなるし多くの人の興味は引く。しかし、これも娘さんが語っているように彼女が精神的に病んでいたのはどうも事実のようであるし、遺族がそうした憶測を許さないくらいの囲われた“始末”と発表を行ってしまったので、どうにも余人には知る由もない。おそらくは、その精神的なものから来る衝動的な自死というのは見方としては当たっていると思う。

作られたイメージとのギャップには苦しんだのでは

 ただ、それならそれで、多くの人の目の前から姿を消して久しいのに、そこまでの動機づけやキッカケはあり得たのかは私のような俗人には興味のあるところだ。これも、あり得たとも言えるのだろうし、もっと単純なものと考えることも可能なのだろう。

 どうにも、私たちの目の前にちらつくのはあの若い頃の「新宿の女」であったりミリオンセラーとなった「圭子の夢は夜ひらく」を謳っていたときの物憂げな表情と確かな歌唱力、そして薄幸を背負っていることを有機的に感じさせるような暗い雰囲気とそのイメージである。貧しい家庭に生まれ家族で流しを続ける生活をしながら、キラ星のごとく現れた「天才少女」というのは、当時のうたい文句と世相としてはそれなりの実感を伴うものでしたな。私なぞも若かったけれど、その歌に対しては夢中になったものだ。

 そんな人が多かったのではないでせうかねぇ〜。だから、突然の引退やニューヨーク行、そしてこれまた天才のヒカルさんという“おまけ”を連れて帰ったときには心底ビックリしたものだ。ただ、その後にも離婚や結婚を繰り返していたようだから、必ずしも幸せな生活を送っているものでもないのだろうな……とは考えていたけれど。

 今回、興味深かったのはテレビ朝日が放映した例のアメリカでの多額の現金持ち込み事件を起こした後、その弁明のようなことを述べたとされるインタビューフィルムである。化粧っ気なしのすっぴんで、異様にハイテンションのその語り口はおまけのようなものながら、私も垣間見た印象だけからするとどうも「おかしい」という気はする。周囲の判断では、この方がパニック障害や境界型の人格障害であったとするもののようだが、私はどうも昔でいう躁鬱病、いまは双極性障害と呼んでいるようだが、そんなような心持ちでずっといたのではないかという気もしてしまう。

 要するに、精神的にずっと不安定なところがあったのは紛れもない事実なのだと思う。

 しかし、そうなるとご本人の性格(本来は頭が良く、大変に明るい方ではないかと思う)ももちろんあると思うし、自分では抗することのできない運命と成功に翻弄をされた人生であったのではないかというのも気になるところ。だいたい、今週の『週刊文春』(9月5日号)でのご本人の実兄・藤三郎さんの独占インタビュー記事を読むとよく分かるのだが、同篇(「実兄藤三郎独占告白 「家族をバラバラにした宇多田照實を許さない」」・22P〜27P)によれば、このお兄さんは妹さんの遺体と対面することも許されなかったのだとか。三郎さんはご遺体が安置されていた新宿署にもすぐに駆けつけたようだが、そこで警察官にブロックをされたという。ふつうならまず考えられないことだ。まして、宇多田氏はもう藤さんの旦那ではないのである。結局、超有名人である娘さんの代理人ということで、元ダンナが前面に出てきたのだと思いますな。

 それにしても、娘さんが世界の歌姫になってしまったがために、さらにお金にまとわりつく家族間の諍いといったものも再浮上をしてしまったのではないか(あくまで想像です)。ご本人は人気が絶頂の折に急に引退をしたように、あまりお金に頓着をしたり有名になることを喜ぶような性格ではなかったのではないかと思ったりする。ところが、周囲にいる人間がそれを許さないために数々のあつれきと憎悪が生まれてしまう。この世界には良くあることである。ただ、今回が必ずしもそうであったとは言いませんが……。

 しかし、結果的にこうなった以上、藤さんの人生にとってやはり大事だったのは愛情であり家族であったのではないかと思いますね。現実は、私たちが考える以上にその“家族”をスムーズに進行・成長させていくのは難しい事業なのである(分かったようなことを言ってスイマセン。あくまで、ファンであった藤さんに対する追悼と哀惜であります)。深く頭を垂れ、合掌――。