2017年06月27日

『君が人生の時』

翌日昼は初台へ。
ウィリアム・サローヤンの新翻訳。
この手の作品では珍しいほど若い女性が多く
新国立の中劇場がほぼ満席。
キャスティングと集客が直結するのを実感・・・。



以下、感想です。





君1



君2





このラストをめでたしめでたしとは全然思えないけど、予想外に地味で味わい深い作品だった。

手に入らなかった幸福を語る人と、幸福を手に入れたいと思う人と、じぶんは幸福だと思い込もうとする人が、
幸福を学ぼうとしている人を触媒として変化するお話。

常に酒場を俯瞰の定点カメラで眺めているような視点なんだけど、
各登場人物のエピソードに自然とクローズアップさせるよう誘導する演出が巧みで、
音楽はジュークボックスに5セントを入れた時と、ピアニストが弾く時だけの
ほぼワンシュチュエーションセットなのに、退屈しなかった。
(ただこれだけのキャパの劇場で休憩を挟んで3時間の上演時間でやるより
 小劇場で1幕2時間くらいでやる規模の作品のようにも思う・・・)
詩的な美しさとハッとするような哲学的フレーズが会話の中に巧みに織り込まれていて、
とても深い戯曲だなぁ。

酒場に1日中座ってずっと酒を飲んでいる、どうやら金持ちで身なりの良いジョーが主軸となり
彼が酒場にやってくる人と交わす会話で様々な人の背景や事情が浮かび上がる構成なんだけど、
このジョーという人物が、スカして気取った人生の真理を語るような男だったら嫌悪感だったと思う。
でも彼はずっと自分が「無知である」という前提で人と接している。
「俺は何も知らないから知ろうとしているんだ」
そして彼自身も足を負傷しており、女性との接し方は過度に紳士的に控え目で、
酒場からずっと動かないのは、どうやら心理的にも「動けない」からだというのもうっすら感じられる。

気に入らない客は追い払うような気質の店の主が、愛娘の登場に一瞬で相好を崩したり、
深い知性と教養がありながら肉体労働者であることを選び
「自信のない奴と、弱い奴が英雄になる」と語る青年や、
おどおどと度胸が無いけれど実直で正しくありたいと葛藤する警察官、
いつも置物のようにおとなしく座って飲んでいるだけだったのに突然哲学を語りだす客、
コメディはあまりウケないけれどダンスの才能を秘めていた芸人など、
一見しただけでは人間の本質は分からないと思わせる多面的な登場人物が配される。
みんなそれぞれ違う背景に生まれ育ち、生きていればそれぞれの事情を背負っている。
店の中でもいざこざはあり、店の外ではデモ行進が行われ、
店のずっと遠くでは戦争に向けた時代のうねりがはじまっている。

ジョーが結婚したいと思っていた女性との間に「生まれるはずだった」子供たちの事をリアルに語り、
そしてその笑顔のひときわの輝きに胸が詰まる。
(あの場面の哀しそうなご婦人とのあたたかなやりとりがとても素敵)
そして、貧しい娼婦キティが「シャンパンが似合う何もかもが好き」と言って、
広い豪邸や花の咲く庭に住まう様子をうっとりと語る、夢みるような表情。

手に入らなかった幸福を語る人たちの、遠くを観るような幸福で寂しいまなざし。
お酒を飲むのは楽しいことだけれど
それが過ぎてしまうのはきっと哀しい人たちだ。

悪者を粛清してめでたしめでたしみたいな溜飲の下げ方の終幕で、
わたしは人を殺すという展開でスッキリする感性を持ち合わせていないので、
ものすごく後味が悪かったのだけれど
ジョーがこの店を出てどこかへ向かおうと決意するラストはとても希望が感じられました。


キャストについて。

ジョー役の坂本氏は、お芝居を初めて拝見したけれど
とても成熟した大人の知性と、ピュアで繊細な空気を両方感じる役者さんだなぁ。
やってくる客たちを誰でも受け入れる懐の大きさと、相手を知ろうとする謙虚さが自然。
泣いているキティをどうにか笑顔にしようと奮闘する誠実さと、
その行動のどこかズレたおかしみに女性の扱いに慣れない武骨さが滲む。

キティ役のののすみちゃんは、酒場で客を待つ貧しい娼婦だけれど
バーレスクで踊っていた世界的ダンサーだったと作り話を語ったり
家庭を持つのを夢みている、ふわふわした現実逃避感。
精神的に不安定で不幸な境遇を絵に描いたような役で、
ののすみちゃんならこういうキャラにハマるのは分かり切ってるし、実際想像通りの演じ方で
もうちょっと新しい解釈もできたのではないかなぁと、若干勿体無かった。
「ダンサーだったのは嘘」という設定なのに綺麗に踊り過ぎていた気も・・・w

店主ニック役の丸山氏が、大雑把なようで根が感受性豊かなのが伝わる好演で、
店に売り込みにくる人が後を絶たないのが納得だった。
トム役の橋本氏の犬っころのような愛らしさと若さ、
警官役の中山氏の明るさと体温が、作品の大きな救いに。

登場人物が多い作品ということもあり、ほんとうに一瞬だけの出番の演者もいらして
贅沢な作品だなぁ、こういう使い方は新国ならではだよなぁ、といらん事を思う。



今作の台詞の中でもそういうニュアンスの事を語られていたけれど
「人生に意味はない」というのは投げやりなのではなく、
真実なのではないかと最近思う。

生きることの意味を探し、深い真理や、達観した哲学について悩むのもいい。
けれど日常を、生活を、淡々と地に足を着けて生きることの
難しさと重要性をより感じるようになったし、
そういう登場人物に自然に心を寄せて観ていることに改めて気づく機会となりました。





mitsuyo0715 at 17:24│演劇