
孔明は目を覚ました!
ふう・・・
『うたた寝してしまってたようですね・・・』
不思議な夢だった。
孔明自体がこの星を作った神で、その後韓信という人物として生まれたのだった。
韓信とは・・・
諸葛亮が生きる西暦207年よりも更に数百年前の軍事の天才指揮官であった。
当時、劉邦という人物と項羽と言う人物が天下を争っていた。
この項羽と言う人物は、項羽自体がかなりの豪傑で、また優れた家臣に恵まれ天下は項羽のものになるはずであった。
しかし項羽には弱点があった。
一つは人の意見を聞かない
二つ目は身内を優遇し、能力があっても身分が低い者は登用しない。
他にも弱点は合ったがこの二つが彼が天下を逃した最大の原因である。
韓信は最初は項羽に仕えた。
しかし彼は韓信が奏上する案に見向きもしなかった。
項羽の軍師(簡単に言うと作戦を立案する人)范増は項羽にこう言った
『韓信は素晴らしき才能の持ち主です。
彼を採用すべきです。』
しかし項羽は身分も低く、若い頃品行も良くなかった韓信を採用しようとは考えなかった。
范増は項羽に進言する。
『韓信を用いないなら処刑すべきです。
彼が他国に走ったら脅威になります。』
項羽は韓信の才能を信じていなかった為、范増のその意見も却下した。
范増は心配しすぎだ。
韓信にそんな力はあるものか。
それが項羽の考えであった。
韓信は項羽の元では自分の力は発揮出来ないと悟り、劉邦の元へ走った。
割愛するが、最初は劉邦も韓信を重く用いなかったが、重臣の勧めにより韓信を『大元帥』つまり軍事の指揮官に任命した。
韓信は『国士無双』と呼ばれた。
当時の中国に彼に勝る指揮官はいないといった意味である。
そして劣勢であった劉邦は、
韓信の神がかった采配で大勢力だった項羽を叩き潰し天下を統一した。
そして漢王朝を建国する。
劉邦は項羽と違い家臣の意見によく耳を傾けて採用した。
また身分に関係なく、腕のある者、才能のある者を採用した。
余談だが劉邦は建国後、建国の立役者の韓信達の力を恐れ、韓信を亡き者にしてしまう。
孔明は思う。
劉邦、項羽はそんな人物だった。
さて劉備殿と曹操殿は果たしてどんな人物であろう。
とりあえず釣りをしながら考えるとしよう
孔明は釣りに出掛けていった。
そしてその頃、荊州で有名な学者司馬徽が劉備の元を訪問しようとしていた。
次回へ続く

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