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時は西暦207年頃
大勢力の曹操に負け、敗走に敗走を重ねた劉備はその後荊州の同族の劉表の元に身を寄せていた。

劉表は最前線のシンヤ城を劉備に預け、曹操軍の襲来に備え守らせていた。

そんな劉備の元に荊州で有名な学者司馬徽が尋ねて来た。

劉備は司馬徽にどうすれば曹操に対抗し、天下を争えるかアドバイスを求めた。

司馬徽は言う

『劉備殿には優れた人材が不足しております。そう思われませんか?』

それに対して劉備は
『司馬徽先生、確かに私は不才の身ですが、軍事には関羽、張飛、趙雲、内政には糜竺、孫乾など優れた人材がおります』
と反論する

すると司馬徽は
『確かに劉備殿は多くの人材をまとめ、民衆もあなたを慕う。すなわちカリスマがある。
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そして関羽、張飛、趙雲は一騎当千の武力を誇る、中国全土を見渡しても最強クラスの将軍達。
糜竺、孫乾の内政力も申し分ない。

しかし、劉備殿の元には“先を見据え、天の時を見定める事が出来る“、すなわち劉備殿の補佐役の軍師が不在ではありませんか?』


現代の会社で言うと、曹操は大会社の社長である。
幹部も部下も優れた人材が揃っている。

そして劉備はと言うと中小企業の社長である。
優れた社員はいるのだが、劉備を補佐し、経営理念を作成し指示出来る副社長が不在。

そのような状況であった。

続けて司馬徽は劉備に言う。
『臥龍か鳳雛、二人の内一人でも得れば天下も取れるでしょう』

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劉備は司馬徽に問う
『臥龍、鳳雛とはいかなる人物ですか?
何処に住んでおられるのですか?』


臥龍、鳳雛とは、とある人物二人のニックネームのようなものである。

臥龍とは地の中に潜んでいるドラゴン
鳳雛とはまだ小鳥のフェニックス

どちらも今は表舞台には立ってないが、優れた副社長候補。劉備の時代はそれを『軍師』と呼んだ。

司馬徽は答える
『臥龍、鳳雛はともにこの荊州に住んでいる』と。

劉備は更に問う

『なんと!この荊州に!?
司馬徽先生、その臥龍先生、鳳雛先生の本名を教えて頂けませんか?

『よいぞ、よいぞ、焦るな劉備殿。
いずれその時が来ればわかる事です。』
そう言い残すと司馬徽は劉備の元を去っていった。

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実はこの臥龍こそ諸葛亮孔明その人であった。

孔明は子供の頃から、
“この世から戦乱を無くし、民衆に寄り添った政治が出来る人物“を待ち望んでいた。 

在野に埋もれた優秀な人材をスカウトする事は現在でも非常に難しい。

この時、劉備47歳、孔明27歳。
二人の転機はまもなく訪れようとしていた。


続く


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