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西暦207年10月頃、シンヤ城に一人の男が仕官希望にて現れた。

『私は兵法を学んでおります。それを劉備様の元でお役に立てたいと考えております』
荊州にて兵法を学んでいた男、その人の名を徐福といった。

彼は司馬徽の門下生で兵法をよく学んでいた。
劉備は司馬徽と会って以降、軍師を探していた。
劉備は徐福の才を認め、劉備軍の軍師に任命した。

徐福はまず劉備の兵達の練兵を実行した。
兵達は徐々に徐福の指示を理解し実施出来るようになった。

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『これが兵法というものか・・・』
劉備は徐福の兵法に感服した。

劉備は徐福に尋ねた。
『臥龍先生もしくは鳳雛先生とは君の事か?

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『いえ!滅そうもございません。
私は臥龍でも鳳雛でもございません!
私は多少は才に自信はあるものの、そのお二人には遠く及びません。

臥龍とは私の友人の諸葛亮孔明、そして鳳雛とは龐統士元と申す者達の事を指します。』

劉備は徐福の才能を高く評価していたが、臥龍、鳳雛は更に上を行くのかと驚愕した。


劉備『徐福よ。その臥龍先生、鳳雛先生と知り合いならここへお二人を呼んでくれないか?』

徐福は首を横に振りながらこう答えた。
『龐統は既に呉の孫権に仕えております。
諸葛亮はまだ在野の身ですが、私が呼んで来るような人物ではございません。』

劉備は昔の偉人達は賢人をスカウトする為、自ら足を運んだ事を知っていた。

劉備は徐福に孔明の家の場所を教えてもらい、直接足を運ぶ事にした。

続く

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