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当時の王朝、漢は腐敗し世は乱れ、戦乱が起こり人々は苦しんでいた。

やがてその漢の実権を握ったのは漢の臣下『曹操』
曹操は自身の優れた采配、人材管理、また優れた部下を抱え、天下の半分を手中に入れていた。

曹操はやがて漢を滅ぼし、彼が新しく帝位につく可能性が出て来た。

漢の血筋を継ぐ劉備は漢の復興を目指していた。
しかし曹操の前に敗れ、曹操は北の大地の大半を制し
劉備は南の荊州、劉表の元に身を寄せていた。

劉表も漢の血筋を継ぐ同族。劉表は劉備を喜んで迎え、曹操との戦いの最前線である新野城を与え、その防備を託した。

時に西暦208年10月頃
『諸葛亮を得れば天下を取れる』

その情報を得た劉備は義兄弟の関羽、張飛を連れて、賢人諸葛亮が住む廬を目指していた。

彼には関羽、張飛、趙雲と武力、統率の優れた将軍はいたが、戦略を立てて時勢が読める軍師が不在であった。

その軍師=諸葛亮

漢の復興の為、劉備は諸葛亮を必要としていた。

田舎の山道を進み、やがて諸葛亮の廬に到着した。

続く



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