猫と食事と西荻窪、ときどき旅する車椅子

ライター・みわよしこの日常つれづれ話



2014年03月

トラウマを塗り替えていくということ

今、京都に来ています。
ちょっと時間が出来たので、京都市街を散策していたところ、大日本スクリーン製造(株)さんの社屋の横を通りすがりました。感謝とともに思い出される社名です。
歩みを止め、わが家の長男猫である故・悠(1998-2013)に、「キミが生まれる前にね」と昔の仕事を話してやるなどしました。
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悠も、彼の姉貴猫の摩耶(1997-)もまだ生まれていなかった、1997年春のこと。
私は応用物理学会の全国大会で、半導体の洗浄に関するシミュレーションの研究について発表していました。
職場で干されていた私は、クラッシャー上司が潰して追い出した先輩の机の上に、帳簿上は廃棄されていたことになっていたけれども予算不足で廃棄できていなかった古いワークステーションを乗せ、会社どうしのお付き合いで購入したけれども誰も使っていなかったシミュレータを動かして、 パワハラや嫌がらせに涙を流しながら、研究を続けていたのです。
その成果がやっと出始めての発表でした。

発表が終わった後、私は周囲をスーツ姿の男性5人に囲まれて
「あの、今の発表について質問させてほしいんですが」
と質問責めに遭いました。
「今、やろうと思っている装置改良があるんだけど、シミュレーションしてみたら効くかどうか分かりますか?」 
といった内容です。
それらは、私が既に試したものばかりでした。
「どうすれば、このタイプの装置で有効な洗浄と乾燥ができるのか、提案できたらいいよね」
という理由から。でも「どうもこの装置は今後はちょっと……らしい」という結論が分かっただけだったんですが。
そのスーツ姿の男性5人は、大日本スクリーン製造で、そのタイプの装置の研究開発を行っている方々でした。
よくもまあ、全く世界が違うシミュレーションのセッションまでお越しになったものです。そして、よくもまあ、34歳の私に丁寧に熱心に質問をされたものです。
仕事に対する熱意に頭が下がりました。 

「もうその洗浄装置は、改良レベルの何かでは今後のプロセスに対応できないよ」
という私の発表は、かなりのセンセーションを巻き起こし、多くの方々から関心と期待をいただきました。
しかし上司たちから疎まれていた私が成果を挙げるということは、つまり、次の瞬間には上司たちによって何もできない状況に追い込まれるということでありました。
その研究は、そこで終わらされてしまい、その後にはつながっていません。自宅でLinuxマシンを利用して続けるという選択肢? 自宅には、上司たちの手先と化した元同僚の元夫がいました。何もできませんでした。彼らが「これだけはさせてやってもよいか」と考えたらしいのが、Linuxサーバ構築・管理に関する技術記事です。私がそういうものを書くことにとどまっている限り、彼らのメンツは潰れないということだったのでしょうか。
私は、その悔しさを忘れたことはありません。ずっと、ずっと、思い出しては涙していました。思い出さなかった日はたぶん一日もないと思います。

でも今の私は、
「上司たちに潰された元研究者」
のままではなく、まあまあ社会的に活動しており、自分の収入を手放さずに済んでいます。
そして、その自分の社会的活動の延長として訪れた京都で、たまたま、私の仕事に注目してくれた方々が在籍しておられた会社の前を通りすがりました。
私は、もう、上司たちに潰されたかつての私を「自己責任」「やり方が下手くそ」と責めなくていいんじゃないか?
そういう実感が、はじめて、心のなかから沸き上がってきました。
1997年から数えて、17年目のことです。 

逆にいえば、17年も経っています。
トラウマの自然治癒に過ぎないのかもしれません。
でも、途方もない時間はかかっても傷は癒えるようです。
どんな巨大な力によって潰されようとしても、最終的に「潰されなかった人生」 を生きることは可能なのかもしれません。
潰されてしまって「女の小さな幸せ」に逃げるのでもなく「仕方なかった」と諦めるのでもなく、「潰されなかった」と自分で小さく胸を張れる人生を生きることは、もしかしたら私にも出来るのかもしれません。
私はそこに小さな希望を見出したいと思っています。 

2014年3月のアフィリエイト収入に関して

2014年3月のアフィリエイト収入は、全額のうち80%を「憂慮する科学者同盟」へ、20%を「世界の医療団」へ寄付します。
下記をお読みになり、趣旨にご賛同いただける方は、どうぞ本ブログのスポンサーリンクのクリックをお願いいたします。


本ブログには開設当初よりアフィリエイトを設定しています。
本ブログには、書きたいけれども商業記事になる可能性が薄い内容、とりあえず今記録しておきたいことなどを、書きたい時に書きたいように書いています。
アフィリエイトは、
「当面はブログの開設と維持に必要な最低限の費用(ドメイン使用料、プロバイダのサービス使用料、インターネット回線費用など)の足しにでもなれば」
というつもりで設定しました。まあ、設定する以上は、効果がより大きくなるようにという若干の努力はしますけれども、それも「気が向いて時間のあるときに、気分転換と勉強を兼ねて」程度のつもりでした。いつか生計を託せるようになるかもしれませんし、ならないかもしれません。もちろん「なったらいいな」とは思っています。著述業の自然な延長上に、生活の基盤となるものをもう一つ増やすことができれば、より安心して暮らし、仕事をしていくことができるですから。しかし「少なくとも向こう半年や一年では、ブログアフィリエイトに生計を託せるようなことはないだろう」とも思っています。
これまで、アフィリエイト収入は多くても1ヶ月あたり300円程度でした。「ライブドアブログ」の有料オプションが賄える程度です。
ところが今月のアフィリエイト収入、今月は3月20日現在で、既に5000円ほどに達しています。
驚き、かつ頭を抱えました。この収入は何に使えばよいのだろうか、と。

今月のアフィリエイト収入は、「STAP細胞報道問題バブル」 というべきものです。
日本の科学報道、特にSTAP細胞に関して行われた報道には、多大な問題点があると考えています。私の考える最大の問題点は、科学報道が科学や研究そのものではなく、関わっている人々のパーソナルストーリーに偏りがちであるということです。パーソナルストーリーが不要であるとは思いませんが、現状は適切なバランスからは程遠いのではないでしょうか。
パーソナルストーリーに偏ることには、「そうした方が読者に受け入れられやすい」という背景があります。それは私も著述業に携わる一人として実感しています。
読者が求めるから報道がこうなるのではあります。また、読者をそんなふうにしているのは報道でもあります。
自分自身、パーソナルストーリーを中心とした科学記事・技術記事を数多く書いてきました。
「Linux Magazine」では足掛け5年、「箱の中のペンギンたち」というインタビューシリーズを連載させていただいていました。
当時の担当編集者の皆様、インタビュイーの皆様、今も感謝しております。



今月、科学記事の「パーソナルストーリー偏重」問題を少しでも是正したいと考えて投稿したブログエントリーのいくつかは、私自身も驚くほどのアクセス数に達してしまいました。アクセスが集中した背景や理由を考えると、まったく喜べません。
「結果として、パーソナルストーリー偏重に一石くらい投じられていれば、まだしも」
とは思うところですが、「はてなブックマーク」やツイッターでの反応を読む限りでは、どうも逆効果であったようです。
私は数多くの反応を読んでいて吐き気を催し、本当に吐いてしまいました。以後は、「はてなブックマーク」もツイッターも、なるべく見ないようにしています。
少なくとも今月のアフィリエイト収入は、自分のために「気持よく」使うことはできません。用途が何であっても。

今月のアフィリエイト収入は、80%を「憂慮する科学者同盟」に、20%を「世界の医療団」に寄付することにしました。
「憂慮する科学者同盟」は、ほぼ「会費を払うだけ」のお付き合いですが、数年前から会員になっており活動内容をよく知っています。規模・事業の継続性も含めて、運営体制は非常にしっかりしています。また「世界の医療団」は直接知っている方々が関わっており、活動内容・運営体制とも信頼できると考えています。
「憂慮する科学者同盟」に対しては、日本のSTAP細胞報道の状況・それに関する私見とともに、
「科学報道向上や科学倫理に関する取り組みに使って、間接的に、日本の科学報道の状況にも影響を及ぼして下さい」
と一言添える予定です。
 「世界の医療団」に20%を寄付するのは、STAP細胞問題が医療の問題でもあることと、医療が最終的に必要としている方々に届くかどうかに関する問題意識からです。
障害者や難病患者は往々にして、医療・福祉分野の画期的な研究成果・最新技術・最新製品といったものに、冷ややかな視線を送っています。「良いものであればあるほど、どうせ自分には関係ないんだろ?」と。 だって、そういったものの恩恵に与るには、資金が必要なんですよ。「身体を傷めつけない車椅子に乗りたい」ということにさえ、場合によっては数十万円単位の自己負担が発生する現状です(私も、現在使用している電動車椅子のために30万円くらい自費負担しています)。最新医療へのアクセスは、さらに困難です。同年齢の健常者の数倍の年収がある例外的な障害者ならともかく、ワーキング・プア以下の収入しかない障害者・収入源が障害年金しかない障害者・生活保護を利用している障害者・障害はあるけれども何らかの理由で手帳取得から遠ざけられている障害者(日本政府非公認)は、その資金をどうやって調達すればよいのでしょうか? 「クレクレ」などと蔑まれながら障害者運動で頑張るしかないのが現状です。就労? 出来るなら、やってるでしょう。就労していたとしても、自分や扶養家族の生活を支えつつ障害や病気のコストを支払い続けることは不可能です。だから就労しているかどうかと無関係に、障害者運動は重要ということになります。
その障害者運動に対しても、そもそも障害者であることに関しても、日本の社会の視線は非常に冷ややかです。「クレクレ」と言われようが弾圧されようが、権利の主張や運動を行わなければ、生きていけないところまで追い込まれて殺されるだけなのに。勇気をふるって、ただでさえ少ない体力その他の資源を振り絞って権利の主張や運動を行えば行ったで「ナマイキな」「お願いしますから生きさせてくださいと懇願するなら許してやってもいい」「そんな余力があるなら働け」「自己責任」といった反応が「これは言ってはいけないことなのではないか」というためらいもなくインターネット空間に溢れます。これが日本の現状です。STAP細胞報道に関して多々見受けられた個人攻撃と同根というべきでしょう。
「世界の医療団」が行っているのは、貧困に加えて障害や疾病などの追い打ちを受けている方々に対し、医療を提供する活動です。いつか、あらゆる方々に対して再生医療の恩恵が届けられるようになれば、貧困状態にある障害者や難病患者たちも、「科学研究は自分にも恩恵をもたらしてくれるものである」と認識を変えるでしょう。その将来のために、私は少額ながら寄付を行う予定です。
科学に根を持つ私は、少なからぬ近辺の障害者たちが「先端科学研究? それが自分の何の役に立つの?」と冷ややかな態度であることを悲しく感じています。「成果は、みんなに届くんです。あなたにも届きます。だから期待していてください」と言えたら、どんなに幸せでしょうか。そのために出来ることはしたいのです。

私のささやかなアフィリエイト収入が、「焼け石に水」程度にでも役に立つのかどうかは分かりません。 
ただ私は、このように考え、このように予定を立てています。
予定している寄付は、私のささやかな障害者運動、障害当事者運動です。
本エントリーによって、忘れっぽい私は、「有言実行」するように自分にプレッシャをかけます。

改正生活保護法省令案へのパブリック・コメント

生活保護法施行規則の一部を改正する省令(案)に関する御意見募集(パブリックコメント)について」に対し、さきほど、下記のパブリックコメントを送付しました。

当方、オンラインマガジン「ダイヤモンド・オンライン」にて連載「生活保護のリアル」を執筆しておりますライターの「みわよしこ」です。
今回は、主に申請手続きに関して、省令案への意見を申し上げます。

このたびの省令案からは、徹底した「生活保護はなるべく利用させず、利用を困難にしたい」というご意図が見えてくるように思われます。これは厚労省の皆様がさまざまな機会に繰り返しておられる「最後のセーフティネットという意識を持って」「必要な人には保護を」「申請権を侵害しないように」という方針とは矛盾しているように見受けられます。
最後のセーフティネットを必要としており、生活保護の申請を行いたいと考えている方々にとって、申請手続きが厳格化されれれば、申請のハードルは確実に高くなります。困窮した方々は往々にして、手持ち資金が非常に少なくなった段階で、生活保護の申請を決意なさいます。たとえば資金が2万円しかなくなった状態で申請に行かれた方にとって、「今日行ったら今日申請できて、14日後に保護開始」と「今日行っても書類を揃えるのに10日かかり、さらにその14日後に保護開始」の間には大きな違いがあります。申請手続きの厳格化は、生活保護の申請を余儀なくされるほど苦しい状況に置かれた方々を、さらに苦しめるものに他なりません。

また、申請手続きを厳格化することにより、福祉事務所等の窓口で相談に当たったり申請を受け付けたりする現業員の方々の業務量が増大することも予想されます。
先日、東京都下で私の友人が、DV被害の末、生活保護を申請しました。手持ち資金は5000円程度しかありませんでした。幸い、特に問題なく申請を行うことができ、10日後に保護開始となりました。また、家族からのDV被害という本人の事情を考慮し、扶養照会は行わないという対応もしていただけたとのことです。しかし申請手続きには6時間が必要であったと申しております。要求される数多くの書類に記入し、質問される数多くの項目に答えているだけで、それだけの時間がかかったということです。
これまで、申請権の侵害が疑われるようなことさえなければ、生活保護の申請に必要な時間は1時間以下だったと理解しております。申請手続きの厳格化は、福祉事務所にとっては過重な負担となり、ひいては被保護者の方々に対する丁寧なケースワークにも使うことのできる時間やエネルギーが減少することに他ならないのではないでしょうか。

私は、「これから申請される方々が申請を行えるように」「現在すでに被保護者となっている方々が、必要なケースワークを受けられるように」の二面から、今回の省令案のうち申請手続きの厳格化に関する部分の全面的撤回をご検討いただきたいと考えております。

厚労省の方々にさまざまなご意見や思いがあること、性善とも性悪とも言いきれない生活保護当事者の方々に対してどう接するべきかについての議論が重ねられていることなどは、理解しているつもりです。
どうか「実は厚労省は、生活困窮者を徹底して痛めつけるつもりであるらしい」という誤解をされる可能性のある行為は、厳に慎んでいただきたく存じます。
そのためにも、今回の省令案は、申請手続き以外の部分も含め、いったん白紙に戻しての再検討をお願いしたく存じます。

睡眠導入剤だけに頼らない不眠対策

私に睡眠障害の傾向が現れてきたのは9歳ごろだったでしょうか。私は、寝付きが極度に悪い子どもになっていました。
当時の実家では、ダイニング・キッチンの隣の部屋に、子ども用の二段ベッドが置かれていました。その間を隔てていたのは、ふすま一枚でした。眠れなかった私は、母親が父親にさまざまな「大人の話」をするのを聞いてしまうことになりました。その中には、私に関する話もたくさんありました。今でもその恐怖をまざまざと思い出すことができます。ありもしない私の悪意、言ってもいない父親に対する悪口、やってもいない問題行動……といったものが母親の口からは次々と出てきて、父親はそれを「うん、そうか」などと聞いているのです。
それがきっかけで不眠になったのか、もともと寝付きの悪かった傾向が増幅されただけなのかは、はっきりしません。ただ私は「夜中に親が自分のことをどう話しているか」を考えただけで恐怖を覚えて寝つきにくい、という問題を抱えるようになっていました。「話す」「思う」だけならいいのですが、それが次にどういう行動に結びつくのか。考えただけで寒気がすることばかりでした。実家が増築されて親の近くで寝る必要がなくなっても、実家を離れても、その恐怖は続きました。ただの思い込みや思いすごしではなく、裏付けとなる現実が続いていた以上、恐怖を捨てるわけにはいきませんでした。

私は28歳くらいから睡眠導入剤を常用するようになりましたが、今にして思えば、問題の解決にはなっていませんでした。「焼け石に水」程度の効果はありましたが、「焼け石に水」でしかありませんでした。
私の睡眠の状況は、2012年ごろから顕著に改善してきました。2012年、母方祖母が98歳で亡くなったことをきっかけとして、血縁者との関係にはさまざまな変化がありました。その中で、私は両親に対して
「いつか自分も他のきょうだい同様に愛されたり認められたりすることがありうる」
という期待を、完全に捨ててしまうことができました。それで、劇的に睡眠状況が改善したのでした。両親との間に一触即発の状況が続いており、自分に「潰される」リスクが続いていることは、現在も大きくは変わりませんが。

まずは、

睡眠を妨げている具体的な問題があるのなら、それに正面から立ち向かい、何らかの見通しや方針を立てる

が重要であるということになります。

他に、私が試してみて効果あったものは

・頭寒足熱

足元に湯たんぽ(冬季)、頭に氷枕。

・眠りを誘う音楽

YouTubeに数多くアップロードされています。自分に適したものを見つけることは、どなたにも可能かと。

・適切なタイミングでの向精神薬利用

入眠予定の2時間前にメジャートランキライザーを、入眠直前に即効性のある「ソラナックス」などを利用するようにしています。

・入眠直前にPCやスマホの画面を見ない

我が家では、私がベッドに入ると猫が寄ってきます。猫と遊んでやったり撫でてやったりしているうちに、自然に眠りに落ちている感じです。自動的に猫とのスキンシップタイムとなり、PCやスマホは見ない状態で就眠前の30分程度を過ごしています。

ご参考になれば幸いです。
 

知っていることからのアナロジーは危険

先日、発生生物学を専攻していた時期のある知人と会って昼食を共にしました。 
その知人は研究者そのものではありませんでしたが、数年前まで、とある国立大学の発生生物学の研究室に籍を置いて仕事をしていました。 
STAP細胞の一件が、まず研究の中身そのものからして全く理解できない私に、知人は自分のお古の教科書類をくれ たのでした。

知人は、

・STAP細胞研究の背景
・実際には何かが「出来ていた」可能性があり、
 その「出来ていた」背景に何らかの新規性があった可能性もあること
・渦中の研究者O氏は実際には何をした、あるいは何をしなかった可能性があるのか
・一連の騒動の背景には、どこの誰がどういう形で関与している可能性があるのか
・大学院重点化以後、特に「ゆとり」以後の、発生生物学分野での研究者教育の実情
・国立研究機関・国立大学法人での、特許など知的財産権に関する扱い 

などについて、2時間近くにもわたり、丁寧にレクチャーしてくれました。

あまりにも世界が違いすぎて「聞いてびっくり」な多数の話のインパクトを、私は未だ整理できていません。
私は少なくとも、研究といえば半導体しか経験がなく、しかも経験した研究の場が産学官共同プロジェクト・民営化以後のNTT・産学共同研究を積極的に行っていた大学教員の研究室・民間企業。つまり、ほぼ、よくも悪くも「企業文化」しか知らないわけです。
そのアナロジーでSTAP細胞問題を理解しようとして、私は大変な誤解をしてしまいかけていたのだということが良く分かりました。

一番腑に落ちた話は、
「今、研究室で指導らしい指導なんか行われていないし、指導が行える状況にもないから、若い人たちが勝手にオレオレルールを作ってしまう」
という話でした。その「オレオレルール」の延長上に、さまざまな研究上のルール違反を「悪いこととは思っていなかった」という渦中の研究者の発言があるのではないか、とも。 
その話を聞いて、驚き、かつ、ここ5年間くらいで若い人との間にあった不愉快な出来事を理解できる気がしました。不愉快であったり危険を被ったりしたこと自体は変わりません。相手がそのようなことを、まったく悪気なく行ってしまうことの背景が、おぼろげながら理解できてきたというだけの話です。しかしその理解は、若年層に対する不気味感や恐怖を少しだけ和らげてくれるように思えました。

「最近の若いものは」と言い出したら年寄りの証かもしれません。40代に入ったばかりの知人と、50代に入ったばかりの私が、そんなふうに若年層の生育・教育環境を話題にしていたということ自体が、知人も私も年寄りになったということなのかもしれません。
自分の知っている「若い時」「若い人」からのアナロジーで現在の若年層を考えること自体が、すでに多大な危険性を含んでいるようです。 知人の話を聞いて、そのことだけは良く分かりました。
私は幸いにして、子どもがいません。教育職についているわけでもありません。若年層の行動に対し、自分自身が責任を問われる立場にはありません。
当分は、若年層に対して「なるべく近寄らない」「なるべく接触しない」「慎重に観察する」という態度でいようと思います。
そのうちに、互いに安全な付き合い方を見つけることくらいなら、可能かもしれません。
 
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「みわちゃん・いんふぉ」内を検索
著書です(2009年-)
「おしゃべりなコンピュータ
 音声合成技術の現在と未来」
(共著 2015.4 丸善出版)


「いちばんやさしいアルゴリズムの本」
 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
あります。

「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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