猫と食事と西荻窪、ときどき旅する車椅子

ライター・みわよしこの日常つれづれ話



2014年04月

食事の記録:2014年4月30日(水)

  • 朝食
実は昨日から激しいウツ状態なのです。ウツの波状攻撃は日常的につづいており、特にこの半年ほどは辛い状態が続いています。
要入院レベルを100、「ウツ? なにそれ、おいしいの? キャッキャウフフ」レベルを0としたら、この1ヶ月ほどは70~80くらいでしょうか。会社勤務だったら、経過を総合的に考えたうえで休職も検討すべき段階かと。こうなると通院もしんどいです(そもそも精神科に行ったらウツでなくなるわけでもないし)。通院はしてますし、「危ないな」と思ったら頻度も増やしていますけれども。
精神疾患との付き合いには慣れてはいます。でも、慣れているからといって症状が辛くなくなるわけではありません。やっぱりウツ状態は辛いです。
そんなわけで、今朝はウツウツと半べそかきながら猫に食事させ、引き続き、ウツウツと泣きそうになりながら自分の朝食の支度をしました。
食欲もなかったんですが、味噌汁一杯飲んだら、なんとなく全部食べられてしまいました。汁物って偉大です。
朝食パワーで勢いづいている間に、猫の摩耶(16歳11ヶ月)への注射・補液・投薬などの医療的ケアをさっさと行いました。
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ご飯は卵かけごはん。昨日炊いた三分搗き米+アマランサスのご飯に、醤油漬けにした卵の黄身(参考)を載せ、島らっきょうの根元のみじん切りをトッピング(島らっきょうの葉は味噌汁に)。 
卵の白身には茶がらを混ぜ、「クレージーソルト」で味付けして電子レンジ加熱(左上)。
右上の皿に乗っているのは、冷蔵庫から出しただけのものばかり。
この他にリンゴ1/2個。
味噌汁はもう1杯ぶん出来た。昼に食べる予定。
  • 本日の茶がら最終処理
卵1個の白身に混ぜ、クレージーソルトで味付けして電子レンジ加熱。
  • 本日のダシがら最終処理
昆布 4 g とイリコ 4 g を昨晩から水浸してダシ 400 cc を取った。昆布は細切りにしてイリコと一緒に三杯酢をかけておいた。本日のどこかで腹におさまる予定。
  • 昼食
朝の味噌汁の残り。本当に食欲がなくて、これが精一杯。
「ジャガイモ入ってるから、食事になっている」
と自分に言い聞かせる。
  • 夕食
17時過ぎ、三分搗きご飯1膳分にふりかけを混ぜ、半分をおにぎりに。残り半分だけ食べた。20:30、おにぎりも食べた。
  • 晩酌
昆布とイリコの酢漬け・タケノコ竹林焼きの最後の残りで、泡盛お湯割りを一杯。
 

低収入だからこそ手放せなかった自己決定

私が運動障害を抱えるようになったのは、2005年秋、42歳のときでした。
フリーランスになった2000年から2005年にかけて、私は年収300万円~500万円程度の線を維持することができていました。
ちなみに1990年から2000年までは会社員でしたが、手取り年収はほぼ毎年、200万円台後半でした。300万円を超えたのは1991年だけです。単身・女性で(事実婚してましたが会社は一応知らない)、猫がいるので寮も社宅も利用せず、妻子のいる男性社員を前提といた数々の手当の対象には最初からなれず、必要のない残業を一切せず、フレックスタイムは最大限に活用し(フレックスタイムは「あっても利用しない」が望まれていました)、「女は家に」と主張する上司からは徹底的に嫌われており……となると、バブル期でもこんなものでした。
だから、心から「会社辞めてよかった」と思っていました。セクハラ・パワハラを日常的に受ける環境から自由になり、猫たちと一緒に日常を過ごしつつ仕事をしてワーク・ライフ・バランスの取れる生活を営むことができ、しかも収入アップ。
ところが運動障害を抱えることで、収入の前提となっているものの多くが失われてしまったわけです。
幸い、私の仕事の中には著述業が含まれていました。「含まれていました」というのは、著述業で得る収入の比率にも大きな波があったからです。
著述業は、障害によるネガティブな影響を少なくすることが比較的容易な職種の一つではあろうと思います。また、どちらかといえば軽視・軽蔑の対象となるゴーストライティング・事前リサーチ・音声起こしといった仕事に対しても、あまり抵抗を持っていませんでした(特に同業の他人様のインタビュー音声起こしは、とても勉強になって面白いです。余裕があれば、今でも時々ならやりたいくらいですが、なにぶん時間の余裕がありません)。
著述業を、または著述業の一部に分類される仕事を細々とでも続けてきた私には、「仕事も収入も全くない」という時期はありませんでした。「所得がない」または「所得が少ない」は、慢性的につづいていましたけれども。 
ちなみに、2006年~2012年の収入は、50万円~200万円程度で推移していました(所得ではなくて収入ですよ)。2008年からは障害基礎年金(1級)を受給し始めていたので、仕事での所得が50万円あれば生活保護水準に届くことになります。しかも自営なので、「収入が200万円で所得が50万円」という場面でも、給与所得者の「手取り150万円」に比べれば時間的にも経済的にも格段に余裕がある感じの生活を組み立てることが可能です(後記もご参照ください。給与所得者の価値観は捨てることが大前提です)。他にも、さまざまな幸運や支援がありました。大赤字だった年もありましたけど、猫の闘病も含めて、なんとか乗り越えてこれて……います。
生活保護の申請? 当然、何十回も考えましたよ。福祉事務所で申請を勧められたことまであります。ただ私は「もう一度大学院に行って博士号を取得し、博士号を前提とする次のステップを踏み出す」という希望を捨てたくなかったので、利用できませんでした。もし私が、大学院進学を前提としない将来像を考えていたり、あるいは、自分の将来の希望を大きく捻じ曲げずに生活保護を利用することが可能なのであれば、利用していたと思われます。いわゆる「スティグマ」は、自然に障害者自立運動に馴染んでいた私には全くありませんでしたから。
そんなわけで、猫の医療費・自腹の場合の取材経費を除くと「お金がないので困る」とか「カネがないのは首がないのと同じ」とか感じた経験は数えるほどしかないのですけれども、少なくとも「お金が充分に使える」という感じではありませんでした。今でも、お金を使うことには恐怖とためらいを感じています。

では、使えるお金が少ないとき、どこから削るか。
当時の私の場合、削ってよいと考えられる順位は
  1. 趣味・楽しみ・他人が「生きがい」と考えることがらのうち、「死守する必要はない」「代替手段がある」と考えられる部分+むしろ「世間様にとやかく言われる」予防のために戦略的に手放すべきと考えられる部分
  2. 衣服のうち、他人からは見えない部分
  3. 食のうち健康維持への寄与が少ない部分 
  4. 日常的な気晴らし(ゲームセンター通いとか)
  5. 衣服のうち、他人から見える部分
  6. 住のうち「見栄」に属する部分(これは「もしあれば」の話。実際にはなかった)
  7. 生産にかかわるもの(書籍・資料・PCなど作業に必須の機器を含む)のうち、代替出来る部分(図書館で利用することの可能な書籍など)
  8. たまの気晴らし(映画・外飲み・ライブなど)
  9. 住のうち日常のQOLに関わる部分
  10. 医療費。市販薬・マッサージ・サプリメントなどを含む。生産に対する効果という面から「選択と集中」。費用を抑制する。
  11. 猫に関する費用のうち、「安心料」に類するもの(フードの質を落とす・ワクチン接種の間隔を支障ない範囲で延ばすなどで対応)・何らかの代替手段があるもの
  12. 生産にかかわるもののうち、将来につながるもの(大学院の学費を含む)
  13. 住のうち仕事の生産性に関わる部分
  14. 食のうち健康維持への寄与が大きい部分
  15. 猫に関する費用のうち、生存・QOLに大きく関わるもの(医療費を含む)
という感じでした。
(交際費・通信費などは、目的・用途に応じて、1~15のどこかに割り振られる感じです)

この優先順位付けは、あくまでも私自身の価値観に基づくものです。しかも
「今なら自分自身だって、こうは考えないんだけどねえ」
という感じです。最下位の15位・14位は、今でもそうですけど。
もちろん、近親者その他の人々との間に、数多くの摩擦や対立を生みました。
でも私は、
「自分で考え、自分で決め、自分で選択する」
にこだわりました。
お金がないからこそ、自分の尊厳を守りたかったんです。自分の生活だけで大変だったからこそ、猫たちの楽しそうな姿と笑顔が大切だったんです。
私にとって、自分の尊厳の中心にあることは、
「自分で考え、自分で決め、自分で選択し、自分で行動し、結果を見て自分で考え……」
でした。そこには、猫も含めて誰とどのように暮らすか・誰とどのような関係を持つかが含まれています。
「自己決定を放棄するなら、ただ生きていることくらいは許してやってもいい」
というような干渉、何回も受けました。
そのたびに
「自己決定を放棄させられるくらいなら、誰にどのように放棄させられたかを明らかにして、放棄させた相手になるべく確実にダメージを与えられるように自殺する」
という決意を新たにしていました。
自己決定を放棄させようという強い圧力が加えられるたびに、私は自殺を決意しました。
実行しなかったのは、目の前に二匹の猫たちがいたからです。
猫たちを信頼できる誰かに託さずに自殺を実行することはできなかったから、「今日、今すぐ死ぬ」は先送りされざるを得なかったのです。
猫たちがいなかったら、私はたぶん、50歳の現在まで生きてこなかったと思います。

低収入のときにこそ、自己決定が重要。
社会的承認を得づらいからこそ、尊厳をもって扱われることが重要。
経験を通して、これらの実感にモチベートされているので、今の私は
「生活保護のくせに」「生活保護なのに」「生活保護なんだから」
の類に、全力で「No」と言いつづけています。
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さようなら、ユニクロ

ユニクロ製品には、かなり長い間、たいへんお世話になってきました。
魅力の一つは、当然のことながら安さでした。
さらに、安さ以上の魅力がありました。着る人を選ばないシンプルな形状と豊富なカラー展開。
「しまむら」商品は、私にとってはややデコラティブすぎ、かつ流行に敏感過ぎて、使いにくかったのです。流行を取り入れたものは、流行が過ぎたら簡単に流行遅れになってしまいますから。10年前・20年前に気に入ったTシャツを未だに着ている私は、3年後・5年後に着づらい服を買うことには非常な抵抗があります。バリアフリーである「しまむら」の店舗が近くにない、という事情もありましたけれども。
ともかく
「ユニクロの大規模店舗に行けば、たぶん、自分の事情に合う一枚が確実に見つかる」
は、自分の生活と猫のケアと仕事と学業、その他もろもろで日常的に目を回している私にとって、たいへんな魅力でした。
店舗に行けるときにサイズと型をチェックしておけば、あとはネット通販でも事足ります。 ますますもって助かりました。
特に上半身のチェックは重要でした。私は肩幅が広く、がっしりした体型をしています。この体型で着ることができ、極端に「型が合わない」ということのない服を探すことには、若くてスリムだった時期から苦労してきました。「かわいい」「おしゃれ」は二の次にせざるを得ませんでした。
切実だったのはブラでした。「バストのトップの位置がまあまあ合うブラ」を探すだけで、いつも一苦労。スポーツブラに限定しても使える製品は少なく、しかも高価です。バーゲンを狙っても一枚4000円程度(1980年代の話です。大学生にとっては大金でした)。
だから、使えるブラを入手したら大事に使ってきました。大学生のときに購入したスポーツブラのうち1枚、今でも使っています。高かったんだもん。
ブラトップという魅力的な選択肢が出現した後も、この事情はあまり変わりませんでした。
そのころ、私は絶望的に貧乏していまして、ユニクロ製品を「高い!」と感じるくらいだったんです。ユニクロより安いブラトップをネット通販で探して買ってみたこと、何回かありました。ところがバストの位置が全く合わず、絵に描いたような「安物買いの銭失い」に。
ユニクロ製品くらいなら躊躇なく買えるようになったとき、ブラトップなら、ユニクロのレディスのLまたはXLだったら何とか、自分の体型に合わせられることに気づきました。
ちなみに、ユニクロがXLのブラトップを製造・販売しはじめたのは、昨冬の話です。
それまでの数年、「ユニクロ製品を買うにも躊躇する」という状態が続いていたわけです。
アウターに関しては、あまりにも見すぼらしいと仕事に差し支えますから、ある程度は投資せざるを得ませんでした。ユニクロ製品にも「こんなゼイタクしていいのか」と躊躇しつつ。
「インナーも、ユニクロクラスに格上げしてもいいかな?」
と思えたのが、去年春ごろなのです。
ともあれインナーに関しては、「おかげさまで助かってます!」です。とりあえずは現在も。

アウターに関しても「おかげさまで助かってます!」でした。
ユニクロのメンズのL(ジャケット類)またはM(カットソー)は、昨年・一昨年あたりまで、私の肩のラインと腕の長さにぴったりでしたから。
レディスなら、カットソーまたはルーズフィットを前提とした製品で体型への合う・合わないがシビアでないものなら、「Lなら何とかなるかなあ(XLがあればベターだけど)」という感じ。
「たぶん着られる服が見つかる」
という安心感は、大きなものでした。
ところが、この事情、最近変わってきました。
メンズでも「自分より細身・なで肩の人が前提とされているのでは?」という感じになってきたのです。
「着られる」サイズと型だから選んできたのに、その型が自分に適さないのなら、どうしようもありません。

さらにデザイン。
着ていく場所や場面を大いに選ぶものが増えてきました。
どう組み合わせても遊び着にしか使えない遊び着類とか。
「この一箇所さえなければ、使える場面が数倍になるのに」という感じの、自分にとっては大変残念なシャツ類とか(買わずに済むからサイフが助かるという側面もあるのですが)。

また、長持ちさせることも難しくなってきました。
私はだいたい、仕事で人に会うときに着る衣類は、少なくとも3シーズンは持たせることを前提にしています。かつてのユニクロ製品は、3~5シーズン持たせることができました。しかし最近のユニクロ製品に関しては
「3シーズンなんて、まったく無理」
という感じです。特にトップスは、2シーズン目の途中で「穴があく」「ちょっとしたことで破れる」というようなことが増えてきた感じがあります。
私のライフスタイルには合わなくなってきたわけです。

おそらく、ユニクロが「売りたい」と考えている対象は、より若い人にシフトしているのでしょう。
より、現在の20代や30代に合わせ、その体型を前提とした製品開発をするようになったのでしょう。
耐用年数も、現在の20代や30代の感覚に合わせているのでしょう。
それが自分の事情に合わなくなった、というだけの話なのだと思います。
もともと、
「ファストファッションを安く生産、薄利多売、さっさと買い替えていただく」
というビジネスモデル自体が、私の価値観・ライフスタイルに合いません。
その傾向が、さらにハッキリクッキリ見えてきただけなのでしょう。

いきなりの「ユニクロ離れ」は無理ですが、少しずつでも代替を見つけ、ゼイタクではなくとも「良い」と思える衣類を大切に使い続けるようにしたい。
そんなことを、改めて考える今日このごろです。
そのためには、妥当な対価という感覚を持つ必要があります。
では、衣服の場合の妥当な対価とは、どの程度なのでしょうか? 
たとえばTシャツ一枚は、いくらであることが適切なのでしょうか?
その時、どのようなTシャツを前提とするのでしょうか?
現在の日本では、誰にとっても即答の難しい問いでしょう。
私も、即答できません。

ユニクロが破壊してしまった「妥当」という感覚を、私はまず、自分の中で再構築しなくてはならないと思うのです。
しばしば問題となっているユニクロのブラック労働も、「妥当」が破壊された結果の一つです。
将来、ブラック労働に効果的な「No」を言うためにも、私はまず自分の中の「妥当」を再構築しはじめることにします。
今持っているユニクロ製品は捨てずに愛用し、他の人から見えるように着用しつつ。



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食事の記録:2014年4月29日(火)

  • 朝食

まず、冷蔵庫からリンゴ1/2個(昨日の残り)を出してかじりつつ、猫の食事と朝の注射の用意。猫に食事をさせ、注射を行う。
この後、自分の食事の準備にかかる。
茶飯、日曜日に作っておいた鶏手羽元スープを食器に入れ、さらに鶏手羽元スープにワカメ(塩蔵ワカメを軽く洗って刻んで冷蔵したもの)をひとつまみ加え、同時に電子レンジ加熱(600Wで5分)。
その間に、昨晩作っておいたラーメンスープの豆腐茶碗蒸しもどきに、フキノトウ(かなり前に刻んで揚げて冷蔵しておいたもの)をトッピング。タマネギとキュウリの浅漬を出し、キュウリは食べたいように刻む。
ミョウガ1個を刻み、半分は浅漬に添える。半分は熱されたスープにトッピング。
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豆腐の茶碗蒸し風は、あまり茶碗蒸しらしくならなかった。豆腐1/2丁に対してラーメンスープ250ccだと、水分が多すぎた感じ。お味は上々でした。きりんラーメン(塩)のスープは豆腐に大変合います。
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  • 朝食中・後の下準備
流しの中で大きめの片手鍋に水を入れ、昨日買ってきたジャガイモ1kg180円のうち700g程度を浸してから朝食開始。
食後、ジャガイモを軽く洗って鍋から出し、片手鍋の底を拭いてからIHヒーターに載せ、ジャガイモを入れ、水を入れ、IHヒーターのタイマーをセットして茹で始めてから入浴。
(大きくてやや重いIHヒーター仕様の鍋に、ジャガイモ+水が入っている状態では、鍋を持ち上げるのが大変すぎるので、こんなふうにしてます)
  • 本日の茶がら最終処理 
昨晩淹れた煎茶の茶がら(乾燥状態で大さじ1杯分)を軽く絞り、半端に残っているパック削りぶしを混ぜ、200Wに設定した電子レンジで加熱。10分ではまだ湿り気があり、15分でカラカラになった。塩味なしのふりかけのようなものができた。本日の食事のどこかで、テキトーに私の腹に収まる見込み。
乾燥に何分かかるかは、乾燥重量・軽く絞った状態での重量から計算で出せそう。こんどやってみよう。
パック削り節は、主に、猫の食欲がないときに食べ付かせるために使っている。一回の使用量は多くても0.1g程度なので残ってしまう。パックの口をクリップで止めていても連続3日が限界なので、残りは何らかの形で私が食べている(余程のことがない限り、パック削り節で出汁取りはしない。大して美味しくない上に不経済すぎるため)。
  • 本日のダシガラ最終処理
ダシガラの発生がなかったので、最終処理もなし。
  • 昼食(予定)
ご飯炊いて、昨日焼いた魚の西京漬け・冷蔵庫にある茹で野菜や浅漬やカイワレ大根で食べることになりそう。しかしまだ洗米も給水開始もしてない(12:30時点)。
頭が学事・仕事モード。スケジュールビチ込み。食事のことを考えるのが苦痛なくらい。

  • 昼食(現実)
食べず。夕方になってゴソゴソとご飯(3分搗き米+アマランサス)炊き始めた。上手く炊きあがったけれども、食べたいと思わない。
並行して、傷んでいるリンゴ3個(2月に購入したものが残っていた)から傷んだ箇所を取り除き、果糖で漬けた。リンゴ650gに対して果糖100g。
  •  夕食(予定)
昼食のこと考えられないくらいだから、夕食のことなんか考えられない。
  • 夕食(現実)
20時すぎ、乾燥させた茶がら(削り節入り)をご飯に混ぜ、ふりかけ少々をかけて何とか腹に収めた。激しいウツ気分。なんかもう、活動するために腹に何か無理やり入れるという感じ。
  • 晩酌(予定) 
昼食も夕食も考えられないほどなので、まったく考えられない。そもそも酒の買い置きがないし。

  • 晩酌(現実)
飲む元気もなくコテンと寝ちゃいそうだと思ったけれども、一日をふりかけご飯で終わらせたくなかったので、根性を奮い起こす。
冷蔵庫から出してきた魚西京漬け、毎晩電子レンジでリヒートしていたタケノコ西京焼き、オクラを電子レンジ加熱して同量のめんつゆ・酢・オリーブオイルで和えたものを3分ほどで用意。
日本酒と焼酎で軽く一杯。おやすみなさーい。
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  • 本日の買い物(予定)
郵便物を出しにいくために外出するので、そのときに買い物してくる予定。

必ず買うもの:卵・台所用の亀の子たわし(なぜか行方不明になっているので) 、焼酎
見切り品コーナーに良いものがあったら買ってもよいもの: セロリ、アスパラガスなどの茎・葉・新芽系野菜、タマネギ・長ネギなどのネギ類(でも大量には買わないこと!>自分)
絶対に買わないもの:肉・魚・納豆(充分すぎるほどの備蓄があるため)  
  • 本日の買い物(現実) 
卵10個、亀の子たわし 、焼酎(200mlペットボトル)、パセリ(見切り品)、オクラ(見切り品)、スポンジ、キャットフード、海苔10枚(焼いてないもの←焼き海苔より高品質、しかも安い)
  • 今日の反省  
食事の記録は、食事の記録に徹したほうがいい。 読みづらい。料理や食材買い物のメモ書きが少しくらい紛れ込むのは許容範囲かもしれないが。

それは、確かに本題ではないけれど? - メディア取材が見ても見えない「貧困」

2014年4月27日のNHKスペシャル
調査報告 女性たちの貧困 ~"新たな連鎖"の衝撃~
が、貧困の本質的な原因や脱出方法に触れていないとして批判されているようです。 
TVを所有していない歴31年目の私ですが、NHKアーカイブスで見てみようと思っています(問い合わせてみたところ、本日18時から公開予定とのことです)。

TVメディアは、生活保護抑制を明確に企んでいるのでしょうか? 
もしかすると、そうなのかもしれません。 
でも、それ以上に思い当たる可能性は、「当事者や問題が見えていない」ということです。
目の前にまぎれもない生活困窮者がいて貧困に由来する問題を抱えていても気付かず、したがって支援の必要性も感じず、取材はしても報道する必要性を感じない。そういうメンタリティの問題であるのではないかという気がしています。
もしそうなのであれば、噂される「メディア・スクラム」よりも、さらに深刻というべきではないでしょうか。

そしてそのメンタリティは、リーマンショック以後、あるいは生活保護バッシング以後に始まったわけではなく、もっと以前から存在した可能性があります。
困窮状態に陥った人が救われないことを問題とした番組は、水島宏明さんの「母さんが死んだ」(1987年)以後、どれだけ制作されているのでしょうか?
人はさまざまな理由で、簡単に困窮状態に陥ります。そこで救われにくいこと、具体的にいえば生活保護を受けられないことは、非常に深刻な問題なのですけれども。


2007年11月21日のmixi日記より。
夕方、調剤薬局で調剤を待っていた時、偶然見た民放の番組についてのメモ。
2007年11月21日21:08
(略)
さて、今日はたまたまちらっと見たお店のTVで、某地方の交通違反の取りしまりの様子を放映していました(民放)。ぶつけて逃走したり、酔っ払い運転したりしたら、そりゃあいけませんがな。 
だけど、 
「仕事がなくて(その地方はホントに深刻に仕事がない)、家賃が払えなくなって、子ども二人を車に乗せて車上生活している」 
という男性が、他の車にぶつけて(正面じゃないけど)逃走して警察に見つかって起訴される……という様子を追っておいて、その親子三人の生活に何の関心も向けずに「はい次」というのは、なんだかなぁ。 
私がどちらかというとTV嫌いになってから、もう20年以上の時間が経ってるけど、なんか最近、見ると呆然とすることが多いっす。もはや、好き嫌いの対象にすらなりませんわ……。
現に、住まいがなく学校にも通えていない子どもたちがいるというのに。その子どもたちの父親は深刻な困窮状態にあるのに。だから、逃走しなくてはという強いモチベーションが働いたのでしょうに(逃走してしまえばいいと言いたいわけではありません)。そんなことには、全く触れられなかったのです。
カメラは、子どもたちの姿まで捉えていたのに。

いまどきのTVメディアの苦しい事情は理解しているつもりです。
でも未だに、思い返してみて「これはないだろう」と思っています。 
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「おしゃべりなコンピュータ
 音声合成技術の現在と未来」
(共著 2015.4 丸善出版)


「いちばんやさしいアルゴリズムの本」
 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
あります。

「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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