猫と食事と西荻窪、ときどき旅する車椅子

ライター・みわよしこの日常つれづれ話



2014年09月

ブラ美(仮名)さんの「東大卒は使えない」説

過日絶交したブラ美(仮名)さんは、過去の職場で東大卒業者と一緒に働いたことがありました。
ブラ美さんについては
難忘的一夜 - ゼミ前日にブラ美さん(仮名)に転がり込まれた件
をご参照ください。
この夜、ブラ美さんは「東大卒は使えない」と主張していました。

東大卒業者がいたのは、現在53歳のブラ美さんの2つ目か3つ目の職場でのことだったそうです。中規模か小規模の専門商社だったと聞いたような記憶があります。
時期は1990年か1991年ごろ。まだまだバブル経済が続いていたころです。
ブラ美さんのいた職場には、東大卒の新人が3人いたとのこと。
うち1人は女性で、人前で鼻クソをほじる癖があり、その鼻クソを「こんなに大きいのがとれた」と同僚に見せびらかしていたそうです。
他の2人も、何かと問題があったそうです。詳細は覚えていませんが、無断欠勤が多いとか、電話応対ができないとか、叱ったら親から苦情の電話がかかってくるとか、当時の「問題の新人」のよくあるパターンのいくつかだったと記憶しています。
この3人から、ブラ美さんは「東大卒は使えない」と結論づけていました。3人が3人ともダメだったから、と。

私はこのとき、
「この時期が空前の売り手市場だったのは覚えてるよね? 大手有名企業でもブランド大学卒業者の採用には苦戦してたでしょう? 私のいた一部上場の電機メーカーも、何年か続けて東大卒の採用が出来なくて、東大出身者たちが『社内同窓会を維持できなくなる』と危機感を抱いてたよ。単純に、採用が難しかったから問題の大きな人でも採用せざるを得なかっただけで、『東大』はあまり関係ないんじゃないの? そのころの私の同期にも、鼻クソほじる癖のある京大出身者がいたよ」
と答えました。
その答えは、親の反対で四年制大学に進学できず女子短大に進んだブラ美さんを、全く満足させないものであったようです。
 
1990年に私が一部上場電機メーカーに就職したとき、同期に東大出身者はいませんでした。早慶上智・旧帝国大学の出身者もほとんどいませんでした。
同期400名のうち数名は旧帝国大学出身者でしたが、そのほとんど全員が中国籍などの外国人でした。どこの国であるかはっきり覚えていませんが、イスラム教国の出身者も一人いました。そのたった一人のために、合宿研修のときには宗教的禁忌に配慮した食事が用意されていました。
他にはMARCHや関関同立が若干、入試偏差値でいえば40台〜50台が中心の感じでした。そこまでの売り手市場だったんです。
同期の中に、京大出身の男性が一人いました。 この男性は、人前で鼻クソをほじる癖がありました。しかもそれを相手の服になすりつけたりするのです。相手は女性であったりもしました。3年ほどで、数ヶ月単位での異動を繰り返した末、セクハラの嫌疑をかけられて退職したと聞いています。もしかするとセクハラの内容は「鼻クソを女性の服になすりつけた」だったのかもしれません。他にもさまざまな奇癖がありました。朝、出勤しようとして職場近くまでやってきて、コンビニの店頭でマンガ本の立ち読みを始めて遅刻するとか。

現在なら、ブラ美さんの3人の東大卒の元同僚も、京大卒の私の同期も、まず正社員としての就職は不可能だろうと思います。 「東大」「京大」といったブランドがあっても、そこまで問題のある人を企業コミュニティの一員として受け入れたいと考える企業はないでしょうから。
しかし、自分の能力努力の不足によってではなく四年制大学への進学の道を閉ざされたブラ美さんにとって、20年以上前のその出来事は、現在も「東大卒はダメ」の根拠とするに足ることであるようです。

「行きたいのに行けなかった」「したいのにできなかった」という人たちの怨恨は、どう晴らされればいいんだでしょうか?
ブラ美さんの怨恨の晴らし方は、どう考えてもおかしな「逆恨み」の類だと思います。
でも、不本意に蓄積させられた怨恨を自分の心がけや努力によって昇華することを、さまざまな機会に恵まれなかった人が 一方的に求められ続けるのは、ブラ美さんの「逆恨み」以上におかしいと思います。

この問題に結論は出せていません。
私自身も、今後、どうすべきなのかを自分自身の生き方を通じて考え続けなくてはならない立場にあります。 
私にも「したいのにできなかった」がたくさんあります。
さらに、「できる」に近づけ、「できる」を達成したら、さらに成功しないように脚を引っ張り続けられることの連続でした。 
「脚を引っ張る人々やその行為がおかしい」 とは思います。
私は、そんなことをされたくありません。
怨恨の怪物にならざるをえない人々が既に抱えさせられてしまった怨恨に対する何らかの解決が必要だとは思います。
でも、私が怨恨をぶつけられることは解決ではない気がします。

難忘的一夜 - ゼミ前日にブラ美さん(仮名)に転がり込まれた件

「難忘的一夜」とは、中国で天安門事件を指すときに用いられる言い回しであるとのことだそうです。
2ヶ月近く経過しても、私が未だに思い出し怒りを抑えられずにいる2014年7月下旬のある一夜の出来事を、ここに記録しておきます。

  • 事の顛末をざっくり言うと

ざっくり言うと、下記の通りです。
夫君の仕事の都合でインドに滞在している旧知のブラ美さん(仮名)が、日本に帰省していた。仮住まいは関西にある。
私が京都の大学院でのゼミのために京都に宿泊するときに、会って一杯やることにした。
ところがブラ美さんは終バス終電を逃し、私のホテルに転がり込んだ。
私は翌日ゼミであること、まだ準備をしていないということを何度も言ったが、ブラ美さんは私を話し相手にしつづけた。
翌朝、私は話したがるブラ美さんを振りきって無視し、ゼミの準備をした。
終わったらブラ美さんは意気消沈し、落胆した様子で、まったく饒舌でなくなっていた。

  • ブラ美さん(仮名)について
(プライバシーに配慮し、ディテールは変えてあります)
53歳、岡山県生まれ。短大卒。
オーストラリア人大学教員の夫と結婚。現在は夫の勤務先であるインドA州(ムスリムが多いことで知られるB地域)に在住。
娘2人の母。上は大学を既に卒業して就職。下は高校3年。

  • それまでのブラ美さんとの付き合い
SNSで知り合った。
2012年夏 日本の大学教員(女性)と3人で会った。特に問題ある感じではなかった。
2013年夏 彫刻家(男性)と3人で飲んだ。その後、有名広告代理店に勤務する若い男性(B市でブラ美さんに世話になったということ)と合流。私は終電があるからおいとました。

過去、一対一で会ったことはなかった。
今にして思えば、同席していた大学教員・彫刻家・有名広告代理店の会社員などが「歯止め」になっており、ブラ美さんの悪意や攻撃性が表面化しなかっただけなのではないかと思う。

  • ブラ美さんにどのように困らされたか
・居酒屋で

ブラ美さんは席に着くなり、大声で話し始めた。他にお客さんがいなかったのは幸いだったが、不思議だった。こんな無神経な言動をする人であったか? と。
ブラ美さんは「おみやげ」と言って、ガムテープで止めた紙袋を私に渡した。中には、そこのコンビニで売っている化粧品・地元名物という袋菓子・現在滞在しているインドの食器・自分が過去に使っていたマグカップなどが入っていた。私は、おみやげを貰うことを期待していたわけではなかったが、そういったものを「いかに価値があるものか」と説きつつも「現地の100円均一ショップで買った」と語るブラ美さんにどう反応していいか困った。
ブラ美さんは「傍若無人」という感じで、自分の話したいことを一方的に大声で話し続けた。口調は攻撃的だった。私がトイレに立つと、「それ、ステテコ?」と大声をあげた。私はユニクロの「リラコ」を穿いていたのだが、そういうことを大声で言うか?
ブラ美さんはその日、京都のお友達の家に泊めてもらうことになっていたが、携帯電話を忘れてしまい、相手の住所も電話番号もわからないという。とりあえず私のスマホでお友達のFBアカウントにメッセージを送り、連絡があるのを待ちつつ、お店の方にタクシーを読んでもらい、ブラ美さんのお友達の住まいがあるという方面に向かった。なお、飲み代は割り勘にした。
お友達の家には、ブラ美さんは行ったことが一度あり、近くにいけばわかるはずだという。

・タクシーの中で

ところがブラ美さんの説明は要領を得ない。「自動販売機がある道を曲がって、暗い道を登っていく」というものである。そんな道はいくらでもある。タクシーでブラ美さんが「こっちだったと思う」という方面に行ってみても該当する住まいは見当たらない。引き返すにしても、もう終電も終バスもないブラ美さんをどうするかが問題なので(放り出せばよかった!)、私は宿泊を予約しているホテルに電話し、「一人帰れなくなった人がいるんだけど、空きはありますか」と尋ねた。空きがあり、受け入れ可能ということだ。
ブラ美さんは、このことを後に
「みわちゃんが、私と話したいからそうしてくれたんだと嬉しかった」
と言った。また、タクシー代約4000円は
「私が遠回りさせたから」
とブラ美さんが払った(強引に割り勘にしておくのだった。このことも後に恩着せがましく言われることになったから)。
なお結局、ブラ美さんが「泊めてもらう約束をしている」という人からのお返事はなかった。友人関係も、泊めてもらう約束も、もしかすると最初からなかったのかもしれない。


・ホテルで(翌朝まで)

ホテルに着くと、シングルルームの空きはなくツインかダブルだという。女同士で寝る趣味はないので、ツインにしてもらった。ブラ美さんは「やったー!」と言った。後にブラ美さんは「みわちゃんが私と話したいからそうしてくれたんだと思った」という。私はダブルベッドで女性と寝たくなかっただけだ!
部屋に入るなり、私はパソコンと参考書籍を出して作業を始めようとした。するとブラ美さんが横にやってきて
「みわちゃん、ブラジャーしてるの? 私、これ」
と、自分のブラジャー(レース付き、ベージュ色)を私の目の前にぶら下げた。アンダーバストの締め付けがないのだそうだ。
「きついブラジャーしてるとガンになるよ」
とブラ美さんは言った。
私は「明日はゼミで、準備が必要」と再三繰り返していた。ホテルの部屋に入ってからも何回も繰り返したのだが、聞こえなかったかのように、ブラ美さんは自分のしたい話を話すのであった。
私は
「30分くらいちゃんと話を聞いたら気が済むんだろうか」
と相手することにした。でも、1時間ほど一方的な話を聞いた痕に
「じゃ、私は明日の準備をするから」
と何度か努力したが、ブラ美さんは
「それでね……」
と話し始め、私を解放しなかった。
午前3時過ぎ
「じゃ、寝るから」
と私がベッドに入ると、ブラ美さんはなおも話しかけ続けた。
「宗教を信じている人は寛容だと思う、あなたも宗教を持つべきだ」
という内容だった。私は
「ごめん、寝かせて」
と頭から布団をかぶって寝た。

・私の身体障害に対して

ブラ美さんからは「何かあったら手伝うから言ってね」と何回か言われた。何も頼んでなくてもこれだけしゃべられて妨害されるのなら、何か頼んだらどういう代償が待っていることか。怖いから何も頼まなかった。

・ホテルにて(翌朝)

朝、私が目覚めると、ブラ美さんはいなかった。近所の喫茶店で朝食を食べるというような書き置きがあった。私はこれ幸いとホテルの朝食を食べにいった。するとブラ美さんがいた。自分の好みに合うような喫茶店はなかったのだそうだ。
私はそそくさと朝食を食べ、ブラ美さんが何度もバイキングのおかわりを繰り返しているなか、自室に戻った(近所のネカフェ情報などが全く分からなかったので、とっととチェックアウトするか、またはそこで作業するしかなかった)。
私が机に向かって必死で作業しているところに、ブラ美さんが戻ってきて話し始めたが、私は
「今、作業してるから!」
と言い、作業の手を止めなかった。途中、何回かブラ美さんは話しかけてきたが、私は
「あと○分くらいで終わるから」
と言い、相手しなかった。
なんとか私はゼミ発表の資料を作り上げることができた。そしてブラ美さんは不機嫌になり、あの饒舌さはどこに行ったのか? という感じだった。
後にブラ美さんは
「大丈夫だと思った時にだけ話しかけた」
と言っていた。それがもし事実であったとしても、ブラ美さんの「大丈夫だと思った」は、まったく当たっていなかったということだ。
お昼ごろ、ブラ美さんと私は京都駅で別れた。ブラ美さんによれば、この時、私は
「こんどは私の結婚生活の話も聞いてね」
と言ったことになっている。私は
「こんどは私の話も少しくらいは聞いてね」
くらいは言ったかもしれないが、結婚生活の話と言ったことはない。過去10年以上、結婚生活というものと無縁なので、語るべき結婚生活がないのだ。
  • ブラ美さんが私に語ったこと
下記のとおり、極めて下らない話の数々であった。後にブラ美さんは「みわちゃんに、種まきをしてあげたんだ」と語ったが。
百歩譲ってそれが本音であったとしても、なぜ、「明日ゼミ発表で、まだこれから資料を作らなくちゃ」と私が言っている時に「種まき」をする必要があるんだ?

・岡山県の封建的な両親のもとに生まれた。弟と二人きょうだい。そもそも封建的なので、長男である弟が大切にされていた。弟は出来が悪かったため、「出来が悪い子ほど可愛い」という面からも大切にされていた。不満はあったが、今は両親とも弟一家ともまあまあ良好な付き合いができている。家族だから、最終的には分かり合えた。
(感想:あからさまな虐待に遭うようなことはなかったらしい)
 
・インドA州B地域(Tさんが数年来在住している地域)の日本人会婦人会で、東日本大震災以後ボランティア活動をしていた。内容は主に募金。
(感想:これは、そうしかなりようがないと思う。さらにA州B地域内での募金と日本への送金は容易なことではなかったらしい。Webで公開されているA州B地域日本人会の会報に、彼女の手記が載っていた)
 
・一度、婦人会で、募金を届けた東北の被災地を訪問したことがある。東北の人々が支給される手当金に甘えて働かないことが問題になっていた。
(感想:私はそのとき、そもそも働こうにも、震災前から充分な就労先があった地域ではなかったことを指摘しようとした。2010年に私が石巻を訪れてハロワにも行ったときの話をしようとしたが、遮られた)
 
・東北の人たちは、被災者といってもお金を持っている人が結構多かった。家や家財などにそれほどの被害を受けたわけでもないけれども、余震が続いているのでとりあえず避難所にいた人も。一人10万円(?)の手当金が配られて、食べ物は炊き出しなのでお金を使う機会がない。そういう避難所に真珠のミキモトが訪問営業し、いい商売をしていた。
 
・日本人はそれほど心正しい民族でもなく、略奪も若干はあった。ご遺体から指輪やネックレスなど貴金属を盗んで売る人もいた。ご遺体の指を切り取って指輪を盗む人もいたが、それは日本人ではなく中国人。
(感想:とりあえず、被災地関連はここまでにしておきます。ブラ美さんは非常に多くを被災地について語りましたが。日本の中にいても、激甚被災地の現状を知ることは容易ではないのに、なぜ海外にいる彼女のほうが「自分はたいへんよく知っている」という態度に出られるのか不思議でした。しかも東日本大震災後、訪問したのは2011年中か2012年前半の一回きりだったという話)
 
・友人の研究者H子さんが白黒はっきりつけたがる性格でイヤだという話
(感想:私はここで「データとロジックで勝負するのが研究者だ」という話をしたら、「じゃ、こんどH子と会ってみる?」とのこと。どういう意味だろうか? 会ったら「白黒はっきりつけたがるイヤな奴」と私も思うだろうとでも? この話は7月25日の1時~3時くらいの間に行われたと記憶。彼女は後日、その時刻に自分はすでに寝ていたと主張)
 
・スウェーデンがイスラム圏からの難民を寛容に受け入れていたら人口の50%がイスラム系になったという話。イスラム文化では、富める者は貧しい者に喜捨をすることで神に評価されるので、貧しい者は「喜捨されてやっている」という意識でいる。だからスウェーデンがそういうふうになるのは当たり前。
(感想:結果として起こったことは事実かもしれないけど、なんかすごい偏見だなあと思う。もしかするとイスラム教の教義には、そういう内容が実際に含まれているのかもしれないが)
 
・B地域で親しくしている大家族で、赤ちゃんが哺乳瓶の黒い液体を飲んでいるので、何だと聞いてみたらコカコーラだったという話。やめろといったら、「あとで永久歯が生えてくるから大丈夫」と答えられた。永久歯にも悪影響が出ると話したら、ブラ美さんがいるときには「ブラ美が来ているから」と目の前ではやらなくなった。赤ちゃんは乳歯がボロボロに。永久歯の歯並びにもやはり悪影響が出ている。
(感想:これはまあ、そうだろうと思う)
 
・B地域に働きに来ているフィリピン人やインドネシア人の話。ドミトリーをベッド一つ単位で借り、それをさらに昼勤と夜勤でタイムシェアして住居費を浮かせ、本国への仕送りを増やしたりしている。
(感想:これもまあ、ありうることだと思う)
 
・更年期でホルモンバランスが悪い。娘も十代後半でホルモンバランスが悪い。だから母と娘でぶつかる。
 
・娘(こんど(?)高校3年、B地域で学費が一番高い高校に在学)の学校は、授業を受けるというのがなく、全部プロジェクト学習。
 
・娘はベッドの上でノートパソコンを開いて、背中を丸めてパソコンを使って学校のプロジェクトをやっていることが多い。
 
・下の娘が来年から大学。あと5年、学費がかかる。
 
・夫は64歳。B地域の大学教員。契約は単年度更新。まだ仕事があるだけマシ。
 
・もし夫の仕事がなくなったら、2週間で国外退去しなくてはならない。
(感想:そうなのかもしれない)
 
・夫への愛が冷めた。
 
・夫は教員なので、人に話をして指図するのが習い性になっているが、人に話されることや指図されることを嫌う。夫に何か別の選択肢を提案するようなことを「Don't control me!」と怒鳴られる。
 
・夫が日本の現在の仮住まいを気に入らないため、仮住まいの近くに新しくアパートを借りた。小型冷蔵庫などの家電・家具類を、自分が暑い日に台車で何往復もして運んだ。汗だらだらながして台車押している横を、トラックやバンが通って行った。誰も自分に「乗りなよ」「運んであげるよ」と言ってくれなかった。日本人はひどい。インドでもどこでも、「どこまでいくんだ?」と声をかけて荷台に乗せてくれるもの。
(感想:話からして、独立した歩道のある道路ではないだろうと思う。せいぜい二車線+路側帯、もしかすると一車線とか。車のほうは、気になったとしても停止できなかったという可能性がある。それにブラ美さんは車の運転ができる。「レンタカーを借りる」という選択肢もあったはず。その程度のお金もないということは考えにくい)
 
・夫のサラリーがよくない。教員なのでサラリーはそれほど良くはなく、プール付きのマンションには住めない。自分もプールのないマンションに住んでいるので、近くのジムに通っている。面倒くさいし、ジム代が高い(でも聞いてみると日本と同水準だった。月極で1万円ちょっとくらい)。ジムは会員にならないと、一回あたり2000円とか3000円とかして高い。(これも日本の通常のビジター料金程度だと思う)
 
・毎日寝る前に薬を飲んでいる。 
(と大変深刻そうな表情で言って、目の前で薬を飲んだ。その薬は抗不安薬か睡眠導入剤かというようなことを言っていた記憶がある。「私も飲んでるけど?」と返すと、不快そうな表情になった。「そうなの、大変ねえ」と言われたかったのだろうか?)
 
・B地域の日本人学校で、精神障害のある中学生の女の子が母親ごと排除された。
(感想:ありうることだとは思う(あってよいと言いたいわけではないが))
 
・ブラ美さんの馴染みのある日本の一地域で統合教育が始まった。モンスターペアレントが増えているので、統合教育が教員のストレスになるのではないかと心配。友人がそこで小学校教員をやっている。大変そう。
(感想:私はこのとき、統合教育は日本としてしないわけにいかないこと、分離教育と差別の関係、分離教育が地方では少子化で成立しなくなっていることを話そうとしたが、遮られた)
 
・B地域では、外に出ている車椅子の障害者はあまり見ない。しかしイスラム風の部族社会で大家族、親類同士の行き来もあるので、社会の方から障害児のところに来てくれる。
 
・おしゃべりは無駄ではない。大切である。コミュニケーションと情報交換と社交の機会である。
(感想:私が、彼女のおしゃべりから離れて自分の課題に向かおうとした時のこと。おそらく、おしゃべりを非難されたことが過去にもあるのだろう)
 
・日本在住中、身体の弱い子猫を大切に育てた。子猫は近所の子どもたちにも可愛がられていたが、早死にした。近所の子どもたちと一緒に、その猫の墓を河原に作った。一ヶ月後、工事が始まり、ショベルカーに墓が掘り返されてしまった。

(感想:よほどご本人にとって重要な話なのだろう。SNSで何回か書かれていた記憶がある。ただ、その一晩の間に、口頭で10回近くも繰り返された。おかしいと感じた)
 
・B地域の獣医たちは、伝染病の猫は治療せず安楽死させる。
 
・健康不安について。本来2つある臓器の片方がダメになった。もうひとつもダメになったらと思ったら心配。 
(感想:「わかるわかる」「大変ねえ」とか言われたかったんだろうか? 私だって健康不安ならいくつもあるし、すでに障害者で車椅子生活なんだけど?)
 
・若い時、日本ではよくディスコで踊っていた。今でも踊るのが好き。
 
・今年から、B地域の日本人会婦人部長になった。年一回の総会のやりかたを変えた。踊る時間を作り、自分がステージの上で「恋のフォーチュンクッキー」を踊った。他の会員から「今年はなんだか違うんですねえ」と言われた。心のなかで「だって会長が変わったんだから」と思っていた。
 (感想:そういうのがイヤな人は困惑するだろうなあ)
 

  • その後のブラ美さんの行動
3日後、短大の同級生のお宅にお茶に行って翌日まで滞在。「その同級生とよくしゃべった」とブラ美さんはSNSに書いていた。私同様、一方的に話を聞かされた上、泊まり込まれて迷惑しただけじゃないだろうかと思っている。
5日後、彫刻家(2013年に会った人)の個展に、お友達と待ち合わせて行った。お友達には買っていった高級ハンカチか何かを土産に手渡し、個展でもそれほど無作法だったり違和感を持たれたりする行動はしなかったとのこと。

これらの行動を見て、私は自分がされたことが何だったのかを理解した。
不要品やガラクタの詰め合わせを「おみやげ」にしてよい人間であると、軽く扱われたのだろう。
その軽く扱われるべき人間が大学院だゼミだと言っているから、是が非でも妨害しなくちゃいけないことになったのだろう。
その軽く扱われるべき人間が、大学院のゼミのために交通費と宿泊費を使って東京から京都に来ていたわけだが、だからこそ、その目的は叩き潰さねばならなかったのだろう。

  • 私が怒りをぶちまけて以後
私はSNSで、ブラ美さんに対して怒りをぶちまけた。
ブラ美さんは素直に謝罪する一方で、「覚えてない」「自分はその時刻に起きてなかったはず」などと表明した。
さらにその一方で、個人向けメッセージで「みわちゃんのためにしていたこと」「そんなことは言ってない」といった主張を「タクシー代は出してあげた」といった恩着せがましい主張、その他の自己正当化や弁解とともに繰り返した。
私はさらに怒り、絶交することにした。
ブラ美さんはそれを「スピリチュアルな意味のある出来事」と解釈して、自分のプライドを守ったようである。
 

実は超簡単:毎朝のダシと味噌汁

私は毎朝ダシをとって味噌汁を作っています。
このところダシパックを切らしているので、イリコ・昆布・干ししいたけでダシをとっています。
自分としては
「インスタント手抜き料理、だしがらでもう一品作れておトク」
という感覚です。
実際にどうやっているのかを紹介します。ほんっと簡単なのです。

  • 鍋に味噌漉しを入れ、ダシ素材と水を入れて数時間おき、ダシを取る
たぶん、このプレス・パンチングで作られたアルミの味噌こし(イリコ・煮干し文化圏の標準として使われてきたもの)がミソなんです。鍋のなかで自立し、洗うのが楽。
素材がアルミでなくステンレスだったら言うことないんですけど。22

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この日はスライス干ししいたけを使いました。水と味噌こしを入れる前に鍋の底に。
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ついで味噌こしと水(600ml くらい)を入れ、味噌こしの中にいりこ(指四本でつまんだくらい)と昆布(面積で 20平方cm くらい)を入れます。
昆布はキッチンハサミで再利用時に使いやすいサイズに切っておきます。こうするとダシもよく出ます。
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寝る前にこの状態にしておき、一晩おくとダシがとれています。
夏場は鍋ごと冷蔵庫に入れるとかしておいたほうがいいでしょう。
朝、起きたらダシをそのまま一杯飲むのが私の習慣です。コーヒーよりもすっきり目覚めます。
我が家の猫たちも、ダシが大好物です。朝の食事を待たせている間、 ダシを飲んでいてもらいます。
この段階でダシ600cc程度がとれているわけですが、味噌汁に使うダシ(170cc 程度)だけを残して、すぐに消費されてしまいます。調味しない状態で私や猫たちのお腹に収まったり、他にダシを使う料理があれば混ぜられたりなどして。
「ダシを取りおきする」「ダシがらは冷凍して溜まったところで再処理する」とかいろいろ試してみたんですが、結局、私の場合は
「毎晩(毎朝)ダシをとって、すぐにダシがらともども消費する」
が一番ラクだという結論に達しました。
  • 味噌汁を作る
さて、味噌汁です。
一度味噌こしを引き上げ、中に入っているイリコと昆布を別の器に移し(ひっくり返して底をぽんと叩くだけでOK)、再使用の準備を始めます。この日はダシがらイリコと昆布に、ひたひたの米酢をかけて数分おき、唐辛子の酒粕漬けを混ぜ、スライスしたゴーヤにかけて食べました。 
その後、空になった味噌こしを鍋に戻します。
ダシで煮ておきたい味噌汁の具材があったら、味噌こしの下や横に入るように位置を調整して入れます。この日は乾燥湯葉(割れたり欠けたりしたものが京都で安く売られています)にしました。ダシの中で戻したいので、入れて5分ほど置きます。その間に別の作業をすることが可能です。今日はゴーヤをスライスとみじん切りにし、みじん切りのゴーヤをひきわり納豆と混ぜました。

あとは、中火にかけて煮立たせ、弱火にして味噌を溶き入れるわけです。味噌こしの中に味噌を入れておくだけで十分です。2分くらい待ってから箸でかきまわすと、ほぼ味噌は溶けています。この日は八丁味噌と麦味噌のブレンドでしたが、八丁味噌でも同じ方法でOKです。ただ万全を期すなら、八丁味噌は他の溶けやすい味噌と練り合わせておいたほうがよいでしょうね。
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というわけで、干ししいたけ(ダシ素材としても使用)と湯葉の味噌汁、出来あがり。
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本日の朝食です。
今日はちんたら作業して、15分くらいかかりました。私の感覚では時間のかけすぎです。

下右:モチキビ入り白飯(炊きおき・味噌汁を作っている間にレンジ加熱)
下中:生姜とミョウガのしば漬け風(安いミョウガをたくさん買った時に作った)
下右:味噌汁
上左:ひきわり納豆とゴーヤみじん切りを混ぜたもの
上中:ジャガイモを切って、クレージーソルトとオリーブオイルを混ぜてレンジ加熱しておいたもの(冷蔵庫から出してご飯と一緒にレンジ加熱)
上右:ゴーヤのスライスに、ダシがらイリコと昆布の酢漬け・唐辛子の粕漬けを混合した謎のタレをかけたもの
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ご飯と味噌汁に納豆があれば、とりあえず最低限の食膳は整います。
うまい味噌汁は、実はインスタント食品とあまり変わらないくらいの手間で作れて、ダシがらというおまけまでついてきます。再処理して別の料理に化かすのが面倒くさかったら、醤油といっしょにご飯に乗せて食べるとかしてもよいわけです。
この日はほぼ、他に「ゴーヤを切る(みじん切り+スライス)」を行っただけで、あとは冷蔵庫から出しただけのものでした。

毎日ダシをとって味噌汁作るのは、全然難しくないし、面倒くさいというほどの面倒もありません、という話でした。
味噌こしがこのタイプだったら。
 

それを「会話」とは呼ばない

2013年12月のFacebookへの書き込みを、本人のプライバシーに関する記述を全面的に改変したうえで公開します。
この本人とはすでに絶交しています。
しかし過日、私が貧困ジャーナリズム大賞を受賞したあと、本人が
「貧困の報道をやっている人に絶交された。自分が精神を病んでいるということが理由だ。その人だって精神障害者なのに」
という愚痴をネットでぶちまけていることを知りました。
彼女と絶交した理由は、彼女が精神を病んでいるからではありません。私にはいわゆる「メンヘル」や精神障害者の友人がたくさんいます。その友人たちは「精神を病んでいるからといって、みわよしこに絶交された」と聞いても「は?」でしょう。
 私は、何らかの障害を理由に人を遠ざけたり絶交したりすることはありません。経済状況も同様です。たとえば、生活保護を利用していることそのものを理由に人を遠ざけたり絶交したりすることはありません。
ただ、自分にとって有害なため付き合えない人とは付き合いません。自分が付き合いづらく消耗すると感じる人も遠ざけます。障害の有無・経済状況・その他の「フラグ」とは関係ありません。
「自分も障害者なのだから、相手が障害者である場合には、相手に傷つけられ続けることを拒んではいけない」
「職業として生活保護問題について書いているのだから、生活保護を利用している人のどのような理不尽も受け入れなくてはならない」
という理由はありません。
「自分が障害者である」と「障害者のワガママは許されるべきである」の間には、どのような関係もありません。
「自分が職業として生活保護問題について書いている」と「生活保護を利用している人の理不尽は許されるべきである」にも関係はありません。
言うまでもないことですが、「障害者(の全員)はワガママである」とも「生活保護利用者(の全員)は理不尽である」とも言っていません。というか、考えていません。
ただ、
「自分にとって有害であったり、自分にとって消耗のすぎる人間関係は、自分自身の生存と生活を守るために遠ざけたり減らしたりせざるを得ない」
と言っているだけです。
これは当たり前のこと、誰にとっても同じことでしょう? 
私が障害者だから、生活保護について書いているからといって、その「誰にとっても同じこと」を適用されない理由はないはずです。
 
ましてや、自ら「自分は障害者であるから、自分の問題ある言動は無条件に受け入れられるべきだ」という態度や主張を行う人は、自ら「私は危険人物です」と主張しているも同然なので、遠ざけます。
限りある人生の時間の中で、出会うこと・付き合うことのできる人の人数は多くありません。
出会いたい人と出会い、付き合いたい人と付き合いたい。
私にも、他のあらゆる方と同じように、そうする権利があるはずです。

というわけで本文です。
今日、FBFを一人削除した。

昨晩、彼女と会って会食し、あまりにも不快だったからだった。
彼女は40代前半の駆け出しライターだ。本当は少し違うのだが、そういうことにしておく。
仕事を選ばないので重宝され、今のところ仕事は順調なようだ。単価の高い仕事に食い込むのは難しかったり、単価切り下げなどの憂き目にも遭っているのだが、地方の両親の家に同居しているので就労を継続できている上、お金のかかる趣味を楽しんだりなどもできている。

知り合ったきっかけは、ツイッターだった。私が元夫のグチをこぼしていたら、「自分もDV被害に遭って離婚した」ということだった。
半年ほど前、互いに近くに居合わせる機会があったので、「それでは」と昼食を共にした。どちらかというと、会いたがったのは彼女のほうだ。彼女がほぼ一方的に自分の身の上を話し、私は「自分にも似たようなことが」と少し話すという調子だった。それだけなら、「ちょっと口数の多い人」で済んだかもしれない。
「あれ?」
と思ったのは、その翌日のことだった。彼女のFBF限定とはいえ、私が昨日話したことが、私のペンネームとともに書かれていた。私が話したことについては「学歴差別とも取れる」というコメントがついていた。
この後、ツイッターやFacebookで何度か、不快な接触があった。一回二回なら「行き違い」で済んだかもしれない。でも数えきれないほど度重なった。彼女の方も、私が怒っている可能性は考えていたのかもしれない。旅話、猫話といった比較的当たり障りない話題に、彼女は絡んできた。すきあらば自慢しよう、すきあらば自分の話をしよう、という態度に、私はほとほと嫌気がさしていた。というより、なぜそんなことをするのか理解できなかった(後記:自分の自慢、自分の話がしたいのだったら、自分のウォールでやれば良い話。他人へのコメントで行うのが解せない。あまりにもストレスが溜まっているときには、私もついついやってしまうことがあるけど……)。しかし、当たり障りなく相手していた。
彼女は東京に来るたびに「会いたい」と連絡してきた。私は多忙を理由に断り続けた。11月半ば、「来月上京します」という連絡があった。私が返事しないでいると「会えるんですか、早く返事してください」と催促された。私は「○日夜なら会えます」と返事した。
彼女はついで、私の住まいを訪れて猫に会いたいという。断ったら逆ギレされそうなので、応じることにした。
 
その日の夕方は、落ち合うまでが大変だった。
彼女は交通事情を理由として「遅れるかもしれない」と連絡してきた。それは事実であったようだ。しかしその後、「今、◯◯(待ち合わせ場所から電車で40分程度の場所)にいます」と連絡があり、落ち合えたのはその2時間後だった。彼女は山手線の緊急停止を理由にした。だったらなぜ、「今、◯◯にいます、電車が遅れています」という連絡を何度か入れないのだ? 私よりも高学歴(博士号取得してたはず)で、社会人経験も社会経験も豊富にあるはずの、40代の女性が?
私は、会って食事するためにカフェを予約していた。彼女は
「時間がなくなったので、食事したあとで三輪さんの住まいに寄りたい」
という。そんなことをしたら、彼女は最終的に何時に帰ってくれるのだろう。明日は朝から飛行機で出かけると(後記:数日前からメッセージで)言っているのに。
この厚かましい、配慮をまったくしない(*)女性が私の住まいに長居することは、なんとかして避けたかった。私は
「10分くらいしかいてもらえないけど、前にしませんか。うちは駅から遠いから、食事したあとでは行く気になれないと思いますよ」
と言った。彼女も同意した。
彼女は10分程度、私の住まいにいて、猫を撫でたり少し遊んだり食事を与えたりした。猫などの動物と暮らすことは慣れていると自称している彼女は、長い時間にわたって玄関ドア(そこには「猫がいます、注意して下さい」と張り紙まである)を開けっ放しにして、私をヒヤヒヤさせた。
ついで彼女と私は、夕食を食べにカフェに行った。彼女はただただ一方的に、脈絡もなく、自分の話したいことを話し続けた。食事や酒に対してコメントはするのだが、味わってはいなかった。手にフォークを持って振り回しながら(後記:ツバも飛ばしながら)熱弁をふるう彼女に、私はつくづく閉口した。
彼女は躁うつ病であり、今は若干、躁気味であるということだった。それだけなら
「ああ、病気のなせるわざか」
で済んだかもしれない。
 
頼んだコースの料理が終わり、デザートが出てきた。
彼女は
「今日はたくさん話ができて楽しかった」
と言った。これが「話」? 一方的にあなたが話していただけじゃないか。時間の95%はあなたが話していたんじゃないか。あなたは私の話を聞こうともしていなかったではないか。私が二言三言何か言いかけると、あなたは自分のしたい話ばかり、私が聞きたいかどうかには関心を向けずにまくしたてて。私はこんなことを「話をした」とは言わない。互いに話をしたと言うなら、せめて発話していた時間が1:4でなくては。それでも相手にしゃべられ過ぎだとは思うけれども、20%も自分が発話できていれば、「一方的に話を聞かされた」とは私は考えない。でも、私が何か言うと、この前のように(後記:「学歴差別とも取れる」とか)悪意ある紹介をされてしまうかもしれないから、むしろ私に話す機会がないことは幸いかもしれないのだが。
そこで私は思わず、
「そうですか。私はこの前みたいに、『差別と取れること』とあとで書かれないためにどうすればいいかと、戦々恐々としていました」
と言った。彼女は息を飲んで顔を凍らせた。
私は
「今日、私と会ったということを、どこにも書かないでいただけますか」
と言った。彼女は怒りを含んだ声と表情で、
「書きませんよ、こんな人、こんな場所のことなんか」
と答えた。
そして
「あの『学歴差別と取れること』と書いたときは、病気の調子が悪くて」
「みわさんがツイッターでIさんに絡まれていたときに『優しく話を聞いてあげては』と(FBで)言ったのは、どういう粘着をされていたか知らなかったから(後記:その人物は大学院でアカハラに遭ったということだった。私はここにまとめたようなアドバイスをしたのだが、その人物は「アカハラは事実である」「悪いのは教員と大学である」といって欲しかったようだった。私がそのニーズに応えない(なにしろ、どこの大学の誰の話かも分からないのに、事実であるかどうか・誰がどう悪いのかを判断することなどできない)でいると、その人物は逆上して執拗かつ激烈な粘着をツイッターで行い、彼女は私に「優しく話を聞いてあげては」と差し出口してきたのであった)」
「三輪さんが怒っているとは思わなかったから」
などと言い訳を始め、さらに
「言い訳がましく聞こえるかもしれないけど」
と、「言い訳」と取らないでほしいという意思表示までした。
私はさらに立腹した。彼女は現在も病気で、精神障害者手帳も取得している。ということは、付き合い付けていたら、将来にわたっていつも私は彼女に陥れられるようなことをされ、さらに「病気のせい(だから許すべきだ)」と言われなくてはいけないということだ。さらに彼女は「知らなかったから」と言えば、どんな手ひどい攻撃も許されると考えているようだ。なんでこんな人間を、私は自分に近づけたのだ! 精神疾患だろうが、躁病だろうが、そんなことは関係ない。病気が事実であるとしても、この女性はただ卑劣で身勝手なだけだ。都合よく、病気や「DV被害者」を使いまわしているだけだ。私も病気だし、私もDV被害者なのに、彼女は私に同じ権利を認めないじゃないか。こんなバカなことがあるか!
カフェに入ってから、3時間近くが経過していた。
「私、明日は朝からフライトなので、このへんで」
と言ったら、彼女は
「調子が悪いときに遠出しないほうがいいんじゃないですか?」
と言った。皮肉な口調、険悪な表情であった。余計なお世話だ!
私は彼女を駅まで送っていった。彼女は
「思っていたことを言ってくれてありがとう、言ってもらわないとわからないから」
と言った。私が「言わなかった」ということまで使って私に責任を押し付けるのか! 私は
「言わずにいられなかったです」
と答えた。彼女は
「わだかまりは解けた?」
とニッコリ笑った。
私は
「まあ、解けたんじゃないでしょうかね」
と答えた(私は「です」「ます」で話し、彼女は最初から一貫してタメ口。ちなみに私のほうが5歳程度年長)。
私の怒りは、ここで頂点に達した。
彼女は一方的に、私に「わだかまる」権利を与えないのだ。私に怒ったり悲しんだりする権利を与えないのだ。てめえ何様だよ! 私の感情は、私のものだ!
帰ってさっさと寝た翌朝、何事もなかったかのように、彼女からのFBメッセージが届いていた。
私は
「こちらこそ。お疲れ様でした」
と返事を書いた。余計なことを書くと、どう利用されるだろうかと怖くてたまらないから、それ以上は何も書けなかった。
そして、彼女をFBFから削除した。

(*)
本人は「自分は発達障害もあるかも」と言っていた。そうかもしれない。躁うつ病も、昨日、躁状態だったのもたぶん事実なんだろう。だけど、発達障害者向けの社会訓練や精神科デイケアには全く通っていない様子だし(彼女の住んでいる地方に存在しないわけではない)、社会訓練が必要だと認めて受けているという話は全く出なかった。
わかります。
病気であることを「自分に優しくしてほしい」「自分を受け入れてほしい」という文脈では使うわけですね。
病気によって引き起こされる問題を自分が解決する努力、同病の方がたくさんいるところで自分も仲間として振る舞う努力はしないわけですね……甘ったれるな!

寄せられたコメントより。
お疲れ様でした…自分が磨り減るような事が続くと、参ってしまいますよね。どうぞ、猫ズさん達と癒しの時間を(心理職)

お疲れ様でした。こういった狡猾な手合いを近づけない方法がちょっと思いつかないです。。。(精神疾患のため休職中のエンジニア)

病気はその人の一部、全部ではない。それは理由にならない。三輪さん会いに来たのは気まぐれ特に理由はなく思い付きでは(精神障害者を主対象とした作業所の職員)

病気の人にも病気だからなんでも許される訳ではないので、きちんと怒って関係を絶ったみわさんは正しいと思います(困窮者援助に関わる会社員)

2014.9.7 もやい生活相談データ分析報告会

報告の途中から参加しました。報告後のパネルディスカッションからメモしました。
プログラムはこちら

【分析報告】もやいデータチームメンバー(丸山里美、上間愛、柏崎彩花、加藤茜、後藤広史)
【パネルディスカッション】 岡部卓(首都大学東京教授)、川口加奈(NPO法人Homedoor理事長)
【特別報告】赤石千衣子(NPO法人しんぐるまざぁず・ふぉーらむ理事長)
コーディネーター:大西連(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事長)

以下、私のメモです。

 ●岡部

今日は分析をどう読むかについて話す。

大学で社会保障論を教えている。

2010年(東京都から?)生保申請が急増しているので調査してほしいという依頼をうけて調査した。

新宿区、圧倒的に数が多かった。

都下23区も含めて、ホームレス、団体等の相談を経由して生活保護の受理決定が多い。行政の相談を経ての申請は少なかった。

支援団体、どういう方のどういう相談にどう対応しているのかが鍵。「もやい」の生活相談データ分析、非常に意味があると思う。

生保につながる/つながらない で見ることも重要だが、つながらない人、どういう理由、どういう生活のしづらさを抱えているかが問題になると思う。

制度につながるのが最もいいと思う。

いろんな資源を活用して支援していくのが必要ではないか。

生活のしづらさ、困難、課題。関係性の貧困。

もやい、港のようなもの。生保、労災などにつなぐ。どういう関係性を持っているのか、どういうつながりをもって次につなげるのか。そういうふうに見ることもできるのでは。

調査、読ませてもらったとき、非常に大きな役割の中身は何なんだと思った。

相談の分析にあたって、自分はどう読み取ったか。

基本的な問。

1.この調査はなんのためにしたのか。

2.調査で何がわかったのか。

調査には行うべき目的があるのだろうと思う。何が示したかったのか。どういう示唆が与えられるのか。

もやいがどういう団体で、どういう支援をしているのかを見る必要がある。

地域性。新宿。大都会。

時点。2014年。リーマン・ショック以後。質と量にどういう変化がらうか。

もやい。相談にきた人、相談を受けた人の両方の視点が入っている。

多岐にわたる相談項目。

調査のよいところ。居住に関するデータ、制度につながる/つながらない の両方のデータ、相談につながってまた来た人。相談→支援アフターフォローが全部入っている。意義があると思う。

注文付けたい点。もっと政策、実践の積極的implemation の視野を入れてくれたらいいと思う。

調査、二つの側面。事実の解明、次の展開に向けた社会改良に向けた側面。後者、もっと出してほしい。最終報告にはそれを入れて欲しい。

個々の生活相談の傾向は明らかになった。もう少し、個々のアドボケイト、ソーシャルアクションの視野を出してほしい。

もやいとしては、出すべきだはないかと思う。

 

●大西

今回はまず実態調査。でも、ご指摘の点、やっていきたい。新宿にあるから新宿に偏りやすいという点。岡部さんとは新宿区ホームレス政策第三期でご一緒している。

次、大阪、ホームドアの川口さん。中間的就労などで新しい支援。

 

●川口

ホームレスからの脱出の出口をたくさん作りたい、ホームレスになること予防、ホームレス襲撃をゼロにしたい、の3つで活動をはじめた。

大阪で活動している生田さんとよく話す。カフカの階段。ホームレスになるときは少しずつ失っていく。ホームレス状態から脱出するためには一気に取り返さなくては無理。そこにも階段を作れないかと思った。いまでいう中間的就労、就労移行のポジションを担いたかった。

おっちゃんたちの得意なこと、70%くらいが自転車修理。おっちゃんたち、自転車で缶集め。壊れたら自分で修理。

そこで始めたのが「ハブチャリ」。6ヶ月間。60人ほど。50%ほど? が次の仕事に。さらに20人くらいを自転車対策で行政の依頼で受け入れて80名。生保、年金、ホームレス状態など多様。働きたければだれでも働けるように。制限はしていない。

その人の就労阻害要因を、働いてもらいながら一緒に少しずつ解決する。現場と支援が一緒になっているのが良いのではないかと思う。

特技を活かして働ける自転車修理、接客、特技を活かして働けること、いろんな人と関われるのがいいと言ってくれる。

おっちゃんたちの来るルート、市役所福祉課が多い。自立支援施設から失踪する前につないでいただけること、よいと思う。ホームページ、夜回り、働いている友達経由で来る方など。

ジェンダー、男性78人、女性2人。たまたまこうふうになっている。女性2名、シングルマザー、生保。働きたいけれどもブランクが長く、きっかけをつかみたかった。

出口づくり、夜回り活動、12回/月、やっている。梅田キタ周辺3コース。ホームレス経験のある当事者が中心。当事者が当事者にこえかけ。これが良いと思う。

東京、専門家が中心なのかなと思う。その視点、大阪にも持って行きたい。

もやいさんくらいのケース数、格段。私たち、現場でなんとなく感じること、分析までいかない。だから素晴らしいと思った。

女性、DV→家出路上声かけられて男性と同居またDV→また路上 というケースも多い。知的障害がある人のこと。しんどい思いをしてまで生保受けたくないという声。公的支援より路上がマシという人、ときどきいる。そうなってしまう制度、なんだろうと思う。公的支援、今後どうあるべきかにつながると思う。

つなげていければいいと思う。

 

●大西

支援が難しいとされる人。現場感覚をどうデータ化出来るか。

これからの話。

制度につながらない、支援が継続しない人の問題。どうでしょう?

当初、データを分析するという視点がなかったので、背景、状況、今後の希望、聴いている。でも記録していない。だからデータとるの大変だった

 

●加藤

本当だろうかという疑いは残っている。「けんかした」「CWがひどい」、ほんとかなと。その人がトラブルのきっかけであったり、CWは話をきく姿勢あったかもしれないのに、と。でも当事者の声でしか分からない。

 

●後藤

制度につながらない、申請に至らない人。理由、大きく4つ。

1.    そもそも要件をみたしていない。

2.    いったん施設に入る必要、家族への連絡などを説明されて引く

3.    相談者との関係

4.    障害などのために相談ができない

多くの場合、望まない形で制度を利用している人が多い。

岡部先生の話。新宿、申請者、相談者がついていくと申請しやすい。

貧困ビジネスがついていって、本人が望まないのに申請している場合もある。

こちらはあくまで、利用者から見た分析。

 

●大西

健康状態の悪い人が多かったことについて。診断書持ってない、手帳とれてない障害は?

 

●柏崎

データ化にあたって、疾病の訴えどうしたか。通院歴だけではなく、足が痛い・眠れない・めまいなどの不調も含んでデータとして扱うことにした。足が痛い・腰が痛いという訴え、多かった。相談側の「不調」は聞けていると思う。

必ずしも疾病について聞いているわけではないが、なんらかの疾病を持っている方はもっと多いと思う。

 

●大西

本人の主張、手帳のない障害、診断以前の不調。それを明らかにできたことは一歩。

 

●上間

(聞き取れず)

 

●大西

社会化、ソーシャルアクションへの一歩。

第一歩として実態を明らかに。

女性の問題など制度の間にある人の問題、他の調査ともやいの調査の違いは?

 

●丸山

大きな意義の一つ、制度につながらない人の特徴を明らかにした。分析不十分。調査は継続中なので、これから深めていかないと。制度につながった/つながらない、それぞれの特徴、分析してない。そこは不十分だと思う。

大きかったのは加藤さんの分析。生活保護リピーター層。1/3。その人達の特徴、リーマンショック後に間口が広がったけれども、生保、安定した生活を続けること、意外に難しい。それがわかったこと、成果だと思う。

 

●岡部

制度に人を合わせるのではなく、人に制度をあわせるようになってないのが最大の問題。生保、廃止理由ダントツは死亡と居所不明。

生保、スティグマ。正しい情報が伝わっていない。金銭、時間、健康、依存症など、生活がなかなかしづらい人たちが生保。

制度が不十分。人に合わせるように制度を変えていくべし。

 

●大西

これを受けて、どう支援するかがNPOの仕事だと思う。

 

●川口

今、路上の方からの相談。ほとんどが「仕事がしたい」。でも住居を構えてもらわないと、家無しで働くのは、ただの金稼ぎ。家があって暮らせてということでないと、生きがい、働きがいにならない。でも行政はイヤ、生保はイヤという。そこに難しさを感じる。

制度につながらない人の特徴、早急に分析して欲しい。最終報告楽しみ。

 

●特別報告:赤石千衣子

メール相談随時、電話相談週イチ、会員のML。もやいほどの相談数はない。

DV、モラハラ、どうしたらいいかという相談多い。

保育所に入れない相談も最近多い。保育所に預けられないと仕事につけない。求職中のシングルマザー、ポイント低い。託児所付きのヤクルト、夜の仕事が多い。

困窮状態でもとりあえず家はある。お米を送り、はげます。場合によっては生保を案内することも。

生活がきつくて虐待を疑われている、うつ病、経済的困難+子どもが発達障害、というケースも。人数が少ない。本当に困っている人にはパーソナル・サポートを提供。

生保が5年、7年になっている方も。働く希望があっても動き出せてない人多い。そういう人には伴走支援的に、事務所で手伝ってもらうことも。

今回の結果。シングル女性に「もやい」の情報が届きつつあるのかなと思う。少し違う出口なのかなとも思う。

引きこもりの方の困難。そういう層はアクセスがないのかな。今、男女共同参画センターが「ガールズ講座」など。世田谷、仙台、さいたまでも。なかなか情報が届かないために、つながる人少ない問題。

最近、ほんの少数だけど、風俗で働いていて「その先を考えたい」というシングルマザーの相談も。風俗女性のセカンドキャリアを支援するNPOを紹介。おしゃれ度がないと相談しないのかな? もやいのおしゃれ度はなかなか上がらないと思う。他団体と提携を。

情報が届きにくい人たちへの情報提供、大事だと思う。女性たちもアクセスしやすくなる、外のいろんな団体と連携することもいいのかなと思う。

 

●大西

丸山さん、お話を。

 

●丸山

男女の違いがわかったところ、大きかった。

女性の貧困の内容が明らかになりつつある。

もやいにも来ていない人、もちろんいる。貧困とみなされない人、家庭にいる女性。

女性の抱えている困難を説明するのに、「貧困」、十分ではない。

貧困概念を、もう少し広げて考えなくてはならないのではないかと思う。

シングルマザー、(?)、「ジェンダー」でつながっている。

夫、父親の庇護のもとにいれば経済的には貧困にはならないけれども、という問題。

 

●大西

いろんな宿題を抱えた。もやい、2001年発足。当時、24時間ネットカフェなかった。2004年、住み込み派遣。時代とともに、貧困のありかたは変化している。その間、相談支援。さまざまな提言。制度もネカフェ規制など対策している。でも制度に人をあわせるところから変わっているのかどうか。

かつてあった問題、時代とともに変わる要素、複合。「貧困って」が語りにくくなっている。でも深刻化。どういう対策、提言をしていくのか。家にいる女性、家にお金があっても貧困。なのに世帯レベルでは貧困ではない。

NPOの現場で、実際に困窮した人、実態に遭った支援、なんだろうと思う。政策を動かすために、もっとデータを作って、アクションにつなげていきたい。

継続的に、次の視点、分析のヴィジョン、具体的にどう次につなげていくのか。もやいとして、政策提言につづけていきたい。

今日はここまで。今後とも、よろしくお願いします。

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 音声合成技術の現在と未来」
(共著 2015.4 丸善出版)


「いちばんやさしいアルゴリズムの本」
 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
あります。

「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

Part5「測定器、使えてますか?」は、
東日本大震災後、
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