みわよしこのなんでもブログ : 2020年10月

みわよしこのなんでもブログ

ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。



2020年10月

[雑感]原家族、ラスボスの恐怖

生まれてから56年間経った今、父親に対する恐怖心が、自分史上最大になっている。

離れて暮らし始めてから36年。その間、直接会って話した機会は、たぶん50回はないと思う。電話を含めても、会話をした時間は1年あたり平均では30分から1時間の間だと思う。「親類等がいる中に父親もいた」という場面を含めても、誤差の範囲だろう。それは36年間に20回もない数少ない機会だったから、いちいち数え上げられる。

客観的に見れば、たぶん力関係では、自分史上最大に自分が強くなっているはずだ。

父親は87歳。こちらは車椅子だが、肉体的な勝負なら勝てる自信がある。同居していたころみたいに、「眠っていたところ、深夜に帰ってきた父親が母親に何事かを吹き込まれ、階段を駆け上がってきて私を叩き起こしてビンタを浴びせる(ビンタ、ということにしておく)」というようなことは、今は起こらない。

父親の持っていた社会的影響力や実権も、そういうものを直接取り扱う現役でなくなってから数十年が経過すると、激減している。父親のパワーのピークは私が大学院生くらいのころだったが、その後の私は、ジリジリジリジリとしぶとくしつこく、簡単に潰されないように根を張り枝を伸ばしつつ逃げ足を鍛えてきた。たぶん力関係は、父親のパワーを最大に見積もっても「気を付けろ、依然として、油断したら自分がやられる可能性はある」程度であろう。

しかし今、私は父親に対して、自分史上最大の恐怖を感じている。私が物心ついて以来、苦しんで痛めつけられて育った世界のルールは、一言で言えば「男尊女卑」、より正確に言えば「女は使役動物で産む機械(例外はありうるが、例外条件は明確にされない)」。

時間を共にする時間が圧倒的に長かったのは母親と弟妹だった。私を直接に痛めつけたのは主に母親と弟だった(妹は9歳下で、私が実家を離れた20歳時点までは、さほどの脅威ではなかった)。しかし、「そうしてよい」というルールがある実家の世界のトップにいてルールを決定しているのは、父親だ。

私は20歳で実家を離れるのと同時に、自分を「使役動物で産む機械」とするルールからも離れるはずであった。むろん、原家族の世界がそんなことを許すわけはない。今となっては、その後の私に起こったことは、たったこれだけで概ね説明がつく。しかし「なぜ? どうして?」と自問しながら必死であがく時間が、その後、延々と続いて現在に至っている。まるで、ゴキブリホイホイにつかまったゴキブリのように。

私は生きたまま、このゴキブリホイホイから解放される日を迎えたい。父親に対して、根拠に基づきつつ実際の5倍10倍の恐怖心を抱くのは、おそらく生き物として正常なことなのだろう。恐怖と悲しみと怒りを叫び続けつつ、解放される日と、いかなる意味でも解放されたことの罰を受けないその後の未来を生きたい。

父親がそのようなルールの支配する家庭社会を作るにあたっては、むろん、父親一人だけに責任があったわけではない。終戦時の国民学校6年生として経験した過酷な出来事の数々があり、生き延びるために余儀なかったかもしれない多様な選択(たとえば結婚。母親の兄などとの関係はじめ、子ども心にも不可解なことが多かった)の影響があり、「そうしかやりようがなかった」という側面が多々あるのであろう。それは理解している。というより、理解と共感を強制されてきた。

もしかすると、今の私に起こっていることは、56年間にわたって感じないことにしてきた恐怖を、56年分まとめて味わっているということなのかもしれない。自分が他のきょうだいのように人間扱いされていないという事実を、幼少の私は認めたくなかったのだ。何をしても、両親に価値を認められることはなく、認められたらその後に恐ろしいことが起こるという自明の成り行きに対して、「そんなことはないと言える日が来る」と信じたかったのだ。自分の愚か者め!

今より愚かだった少し前の私、もっと前の私を責めても、何も返ってこない。責めるなら私じゃない。まず、私をそういう状況に置くことについて責任あった父親、そして母親、その状況を利用してきた弟妹だ。しかし、誠実な対話ができる相手ではない。もしそうなら、こんなことにはならなかった。

私はただ、自分と自分の人生とキャリアと、自分の大切な猫たちや大切な人々を、これまで以上に守って育てて生きていこう。

[雑感]原家族トラウマが薄れるとき

さんざん記している通り、私はいわゆる「毒親育ち」だ。20歳で実家を離れるとすぐ、PTSDの多様な症状に苦しめられ、現在に至っている。しかし、その苦しみは少しずつ和らいできた感じがする。

今年4月から、私は「いじめられ癖をなくす」ということを心がけた。両親はじめ原家族のメンバーの中でいじめられて育った過去は致し方ない。これから、自分に刷り込まれた「いじめやすさ」をなくすことはできるだろう。そして、それには成功しつつある。

並行して、腹家族で何があったのかを、なるべく隠さないようにした。いくらなんでも書けないことが未だに多数あるけれど。4月から5月にかけて、実家とトラブルがあったことが、私の背中を押した。

時に、激しい身体の痛みを経験した。叩かれたり蹴られたり、耳元で毒台詞を吐き続けられたりするとき、私は身体を固くして衝撃に備えていたようだ。いつもいつもそうだったから、それが身体に染みついていたようでもある。

コロナ禍でオンラインの講演会等が増えた。自分のビデオをオフにできるときは、ストレッチしながら試聴したりする。どうしても硬さが取れない筋肉に、幼少期からの痛みとやりすごしてきた努力がこびりついている。ほぐそうとすると、その場面が想起され、心身ともに激しい苦痛を味わうこともあった。いったんほぐれても、数日後にフラッシュバックとともに緊張がやってくることもあった。その一進一退も、だいぶ進む側に動いてきた感じがある。

そして私は、自分がその中で育ってきた原家族という舞台装置、そこにいる人々の動きを大きく決める原理を概ね理解できたのではないかと思う。すると、すべてのことは「そうなるしかない」。私が悪いのだと誰がどれほど激しく罵ったとしても、私は悪くなかったと言える。

このことは、私の気持ちを非常に楽にした。たとえば「◯年◯月、妹(◯歳)が、これこれの状況下で、私に◯◯をした」という出来事は、妹や私のキャラクターの問題ではなく、いずれかの性格や認知の問題でもなく、私が対応を誤ったわけでもなく、その舞台装置がその力学のもとにあるゆえに起こることなのだ。そういう認識を持てると、過去の記憶はむしろ、表に出しやすくなる。相手個人や相手のした個々の言動を問題にすると、「相手も人であり立場であり、屁理屈でも理を持っている」という事実の前に怯んでしまいがちだ。しかし、相手や相手の言動を、その舞台装置を描くために示すのであれば、私が罪悪感を抱くことはなくなる。

その舞台装置の中に生まれた私に、舞台装置を使ったことの責任はない。事実上弾き出されてしまっているというか、そこにとどまるという選択肢が事実上なかったことについては、「多数決」かつ大人と子どもの差により、やはり私の責任ではないはずだ。20歳で原家族を離れてなお、35年以上にわたって私が苦しまなくてはならなかったことも、かなりの部分は「私のせいじゃない」と言える。

ならば、誰にどういう責任があるのか? 知らない。少なくとも、私にはない。

そして2020年10月1日の朝、私は背中に羽が生える感じを味わいながら目覚めた。その後数日、目が覚めようとする時のぼんやりした感覚の中で、私の背中の羽は、高橋しん『最終兵器彼女』のヒロインの羽のように広がったりもした。


目覚めると、もちろんそんな羽は生えていない。しかし、羽が生えそうな朝を何日分か過ごすと、両親やその大事な子どもさんたちである弟妹とその配偶者、大事なお孫さんたちである甥たちへの恐怖心が消え、遠くのどこかで暮らす普通の人に見えてきた。普通の人たちなら怖くないわけではないが、血がつながっていなければ、私と血のつながりを持っている故に恐怖をもたらすことはない。これが、まともな感覚なのだろう。

私は、「誰も、私から翼をもぎ取ることはできなかった」という希望の結末と、救いあるその後に向かって、少しずつ歩みたい。

[雑感]「アスレチックランドゲーム」の記憶

「アスレチックランドゲーム」という、昭和のテーブルゲームがある。現在もけっこう人気。中古が3000円台で売買されているようだ。発売は1979年。


この年のクリスマス、実家の「サンタさん」も、このゲームをおねだりされていたようである。クリスマスの朝、当時12歳で小6の弟の枕元に、このゲームがあった。妹は妹で、何かサンタさんにおねだりしたものを貰っていた気がする。

ちなみに私へのクリスマスプレゼントは、クリスマスと無関係に必要なデスクランプだったり防寒衣料だったりした。もう、そんなものであることに慣らされてしまっていた。私が中学以後になると、母親は私に弟のクリスマスプレゼントを預けて寝てしまい、寝ている弟の枕元に置くのは私の仕事になった。

弟は、当時7歳の妹とともに、このゲームを楽しんだ。両親が参加しているのを見た記憶がある。私も少しくらいは触らせてもらった気がする。

一週間ほどで、お正月がやってきた。そしてお年玉。実家は父方母方とも子どもが多く、申し合わせをしてお年玉を比較的低く抑えていたが、それでも子どもにとっては数千円以上の現金は大金だった。

すると弟は、もらったばかりの「アスレチックランドゲーム」を、妹に売ってしまったのだ。
「あんなにほしくて、喜んでたのに。どうして?」
と聞くと、弟は
「ウチにあるから、これからも遊べる。僕は何も損しない」
と答えた。妹は数千円を損したわけだが、特に不満は持っていなかったようである。

私は文句を言わなかった。弟のこのような「賢さ」には、その何年も前から繰り返し痛めつけられていた。抵抗感や不満を表情に示そうものなら、母親に「倍返し」ではきかない仕打ちを受けることになった。

博多弁の「こすか(ずるい)」という言葉を、弟と無関係に口にしただけで、「たった一人の弟を非難した罪」によぅて母親に折檻されたこともある。その時の「こすか」の対象は弟ではなかった。いずれにしても、物心ついたら既に、私が弟に対して不満を持つ状況と、私が不満や怒りを示したらそれを口実にさらなる責め苦が注がれる構造が、母親によってガッチリと築かれていた。

 私は、両親によって作り上げられたアリ地獄から、逃げようとしてもがき続けてきた。いつになったら投げ切れるのか、分からない。

 2019年、はじめて和歌山県に足を踏み入れたとき、和歌山県出身者から負わされたトラウマと、この「アスレチックランドゲーム」に関するトラウマが同時に氷解する出来事があったのだが、その話はまた改めて。
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著書です(2009年-)
「おしゃべりなコンピュータ
 音声合成技術の現在と未来」
(共著 2015.4 丸善出版)


「いちばんやさしいアルゴリズムの本」
 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
あります。

「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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