みわよしこのなんでもブログ : 高等教育

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ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


高等教育

[雑感]「大学は対面講義をすべきであるかどうか」に注目すると見落とすもの

 仕事の合間の走り書きです。いずれnoteで記事としてまとめるかも。

 コロナ禍で、「大学の講義は、やはり対面でなくては」という議論が盛り上がっています。いわゆる「キャンパスライフ」だけではなく、学生が大学という場に行くことを前提としたあらゆる体験の機会が、2020年度の新入生からは失われてしまってるわけですよね。それは問題だと思います。

 しかし私は、現役の大学生でも、大学生の親の立場でもありません。
 大学院博士課程の院生ではありますけど、単位は修了に余りあるほど取得し、あと博論を残すのみ。大学院は京都にあり、最初からリアル通学の必要性が少なかったんですよね。図書館も年に数回しか行けないから、オンラインサービスを中心に利用。間に合わないときは国立国会図書館など、東京の地の利をフル活用。そんなわけで、私の院生生活は、コロナ禍でほとんど影響を受けませんでした。

 というわけで、「高い学費を払ったのに、オンライン講義だけでは意味がない」をはじめとする大学生や保護者の方々の痛みは、すみません。我が事としては分かりません。

 しかし、2020年に入って以来のコロナ禍と、各大学や教員、職員、学生、院生など多様な大学関係者の動きを見ていて、一つ思い至ったことがあるんです。

 大学って、完全にクローズしてて教職員も学生も院生も来ず、もちろん市民講座も行われないとしても、活動を停止してるわけじゃないんです。教職員はオンライン講義で大変な思いをしていますけど、それ以外にも、外部から見えやすかったり見えにくかったりする多様な営みがあります。

 一例をあげると、農学系の学部がある大学は、たいてい演習林を持ってます。農場もあったりします。まるまる半年間なり1年間、それらを使った実習や講義がなかったら、どうなるのでしょうか?
 もしも
「使われず、学生たちの学びや単位取得といった成果にも結びつかないから、維持コストは意味がない」
という判断のもと放置すると、演習林は演習もできない荒れ放題の林になり、農場の動物たちは死んでしまいます。コロナ禍以前の状態に戻そうとすると、おそらくカットした維持コストの10倍くらいの費用が必要になるでしょう。
 というわけで、実習も講義もできず、学生や院生が来ず、さらには全員が休学したり退学したりしてしまって学費収入がなくなってしまったとしても、維持せざるを得ないのです。

 このことが意味するのは、まず、そこで働いている教職員(場合によっては院生)の人件費が必要だということです。もちろん、建物や水や飼料などのランニングコストも必要です。目に見える形で「利用者」や恩恵を受けるはずの人がいないとしても。

 このようなことは、大学のあらゆる部署で起こります。たとえば大学図書館が、貸し出しも入館も停止しているとしても、図書館業務がなくなるわけではなく、したがって一定の人件費をはじめとする費用が必要。そしてそれは、「無駄だから削りなさい」と言えるものではありません。そこを削ったら、もう、生きていられなくなるギリギリのラインです。人間でいえば、寝ていて活動しなくても必要な「基礎代謝」のようなもの。

 学生・院生やその保護者にも、似たような部分があります。本人あるいは子どもが、在籍している大学に通えないとしても、大学生の身分はあります。フルタイムの学生であるということは、学生の身分と、その他の生活への何らかの制約を意味します。大学に通えていようがいなかろうが、オンライン講義で何とかなっていようが、学習ができない状況になっていようが、とりあえず生命体として人間として生きています。それがなければ、将来の大学通学再開あるいはその他の選択肢が意味を持ちません。

 「その組織」「組織の機能を果たす人」「その組織に(学費等を支払って)所属する人」のどのレベルにおいても、まずは生存が今後数年にわたって保障されていないと、現在も近未来も考えられません。今、コロナ禍下での最大の問題は、あらゆるレベルでの「生存」。

 問題は「オンラインか対面か」「払った学費をどうしてくれる」というところにはありません。もちろん、それらは非常に重要な課題ではあります(特に貧乏学生にとっての学費は……)。しかし、本質はそこではありません。

 何をどうすればいいのか。私にも答えは見えません。
 しかし、困難が数多く積み重なっているからこそ、筋のよい試行錯誤に近づきたいものだと思います。

[しんどい記憶]いわゆる「東大話法」について

2014年6月ごろのことだったと記憶しています。
私は、10年以上の付き合いだった一人の青年に、「東大は東大話法」と食ってかかられました。
毎年参加させていただいている、東大の学外施設での研究合宿から帰ってまもない折のことでした。
青年は長年、精神疾患を持っており、精神障害者でもあります。現在は生活保護を利用して暮らしています。
青年の精神疾患は知り合った時からのことでした。
青年が精神障害者手帳を取得したのがいつだったのかは知りませんが、たぶん知り合って数年の間、円満な交友関係があった時期のことだっただろうと思います。
いずれも、問題にするようなことではありませんでした。
こちらも精神障害者なんだし。
生活保護を必要とする事情が発生する可能性は、ほとんど誰にでもあるし。それどころか、福祉事務所で生活保護の申請を勧められた経験まであるし。2006年、もう10年近く前のことですが。

「東大話法」は、概ねこのように説明されています(Wikipedia「東大話法」)。
 安冨の示した東大話法の概念は、「常に自らを傍観者の立場に置き、自分の論理の欠点は巧みにごまかしつつ、論争相手の弱点を徹底的に攻撃することで、明らかに間違った主張や学説をあたかも正しいものであるかのようにして、その主張を通す論争の技法であり、それを支える思考方法」というものである。
青年が「東大は東大話法」とした根拠は、一人の東大教員(当時)の語りでした。私も、青年が問題にした東大教員の語りそのものを知っています。
その語りのどこが、上記のような「東大話法」の特徴に当てはまるのか、私には現在も分かりません。
しかし青年が執拗に繰り返した以上、青年にとっては「東大話法」だったのでしょう。
 
その東大教員(当時)の語りには、守らなくてはならないものを守るための、やや煮え切らない語り口が含まれていたりはしました。最も守らなくてはならないと考えられていたのは、トップレベル研究拠点であることであり、トップレベルの人材育成を行うことでした。
分かりやすく言えば、ブランディングであり、エリート教育です。
当たり前でしょう。それは東大に期待される重要な役割の一つです。
東大のブランディングやエリート教育は、日本全体の高等教育を守り底上げする役割も、不完全ながら果たしています。「不完全」になってしまう理由は、現在の日本全体の高等教育の構造が95%、現在の東大運営サイドの姿勢によるもの5%、程度でしょうか。
トップにはトップで頑張ってもらわないと、ボトムも困ることになります。もしもトップとボトムが分断されておらず、有機的なつながりを持っているのであれば、当然、そういうことになります。

青年の逆鱗に触れたのは、その「東大が守らなくてはならないと考えられることがら」そのものだったのだろうと思います。
高校中退、苦労して大学夜間部に進学したものの中退した青年は、自分の適応できなかった学校を「下らない」とし、「学校などというものがあるからいけない」と考えており、学問に対して価値を認めつつも認めたくないという、非常に捻れた感情を抱いていました。大学院を修士・博士×2と3箇所も経験している私も、彼の
「小学校より中学校が下らなかった。高校はもっと下らなかった。大学は高校より下らなかった。大学院はもっと下らないんだと思う」
という言葉を、何百回ぶつけられたか分かりません。
私は彼ほどではなかったものの、学校という場所で居心地よい思いや達成感を味わったことは、ほとんどありません。学校の集団生活には、常に不適応気味でした。まったく尊敬できない、問題ある教員によるイジメを受けたことも何回もあります。
その経験から、私は学校教育を「無条件に良いもの」とは考えていません。
しかし、学校教育が大きな機会の一つであり、学校教育によってしか成し得ないことが数多くあることも、また確かだろうと思います。
学校をより良い場とし、より質の高い学びを提供しようとする努力を続ける教員たちを、私は数多く知っています。
自分自身も、高校までの学校教育で「学校教育って何? 教員の役割は何?」という疑問を持ちました。「学校は下らない」「教員はダメだ」と言う前に、学校や教員について「ちゃんと知ろう」と思ったので、大学では教員免許を取得しました。幸いにも教職科目の教員や教育実習の受け入れ教員に恵まれ、私は
「なぜ、学校というものが、そこに来る児童・生徒にとっての幸せな経験と学びの場であることから、しばしば遠ざかってしまうのか」
について、背景や構造を理解する糸口に立つことができました。

おそらく青年にとって、東大は「自分を苦しめた下らない学校」のトップに立つ存在以外の何でもなかったのでしょう。
青年が私に期待していたことは、「学校は下らない、東大はさらに東大話法だから下らない」という主張に「Yes」と答えることだけだったのでしょう。
もちろん私に、「東大は東大話法」「東大は下らない」という説に「Yes」と言う理由はありません。
東大教員に限らず、守らなくてはならないものがたくさんある人が、守りの話法となるのは当然です。家族、部下、もちろん自分。誰が、「守らなくてはならない」こと自体を責められるでしょうか?
私は青年に、その東大教員の語りのどこが「東大話法」なのかを説明して欲しいと、何度もただしました。
青年は、あまり明快な根拠なく「だって東大話法じゃないですか」と繰り返すだけでした。
百歩譲って、その東大教員一人の語りが「東大話法」であることは認めるとしても、東大で行われている運営・研究・教育の努力のすべてを否定することは、私には出来ません。
1コマの授業に10時間の下準備をする東大教員がいることも知っています。
「入念な下準備が出来るほど、やはり東大は恵まれている」
ということでもあるのですが。
私は青年に、その話を何十回したか分かりません。
すると青年は、「学校は下らない、教師は下らない」という話を始めるのでした。
学校組織とは、確かに下らないものであるのかもしれません。大学の同級生には、学校組織に嫌気がさして中高教員を辞めた人も何人かいます。しかしそれは、下らない学校組織の中で個々の教員が尽くす配慮や努力を否定するものではないと思います。
「学校は下らない、教師は下らない」
と言う言葉は、配慮や努力まで否定することになってしまいます。
私自身、非常勤ながら教員経験を持っており、学校の方針や組織の問題はそれはそれとして、目の前の教室で、目の前にいる生徒・学生に出来るベストを尽くしてきました。
私は青年に、
「あなたの『下らない』の対象は、私自身なのか?」
と聞くべきであったかもしれません。その答えは、本人が口にするかどうかはともかく、おそらく「Yes」だったでしょう。
曲りなりにも大学院に在学して研究を続けている私。
年に一回、東大の学外施設の研究合宿に参加することのできる私。
なんとか職業キャリアを手放さずにいられる私。
挫折、失意、芽が出ようとしたらまた挫折、ちょっと芽が出てまた失意、の連続なのですけどね。
青年に、その挫折や失意の部分についても話そうとしたことはあるのですが、
「学校に行くからいけないんじゃないですか?」
と言われるだけだったので、二度とその話はしませんでした。
私が、どんな思いをしてきた末に、どんな経験をしてきた末に、周回遅れで、今も学問の場にいようとしているのか。
何のために、そうしようとしているのか。
高等教育や学問の意味を、私はどう考えているのか。
自分にとって大切な思いを、「行くからいけない」と切って捨てる青年に話す気にはなれませんでした。

その後も青年は、私に対して、何百回「東大話法」「学校は下らない」を蒸し返したか分かりません。
「何百回」というのは誇張ではなく、数秒~3分程度しか続かない10~20通りの定型句のような語りを延々と繰り返すのが、当時の青年の話しぶりの特徴でした。何らかの精神疾患の影響であった可能性もあるとは思います。
私はそのたびに、
「東大は東大だからこそのことをすることに意味があるんだから、それを守るのは当たり前、むしろすべきこと」
「東大にもいろんな先生がいて、地道な教育努力をしている先生もいる」
「今の日本の学校にいろんな問題があることは、学校の拘束時間や権限を減らすことも含めて、解決すべき問題。学校そのものをなくす理由にはならない。学校だからこそ発見して解決に繋ぎやすいことが、たとえば貧困状態の子どもの家族の支援も含めて、たくさんある」
というような話をしました。
反応は
「そうですかあ? でも……(と次の『下らない』に移る)」
のみでした。
私がなかなか青年の主張に「Yes」を言わない、というより言えずにいると、青年の口調は激しくなり、罵倒といってよい口調に代わっていきました。
青年の主張に対し、青年を満足させないであろうと考えつつも、私は自分の知る事実によって「No」を言い続けるしかありませんでした。
青年が用事を思い出して私から離れるまで、いつ終わるとも知れない拷問のような時間が続く中で。
私は
「自分はなんと、愚かなことをしているのだろう」
とも思いました。
青年の考えを少しでも変えることなど、おそらくは不可能でしょう。おそらく青年は「東大話法」「東大」「学校」そのものを問題にしているのではなく、自分の感情のハケ口が欲しいだけです。
私は「東大話法だから」「東大だから」「学校だから」ダメ、とする青年の意見にYesと言わず、そうではない根拠を言い続け、青年の激しい言葉と口調と、時に飛んでくるツバに打たれつづけているわけです。
青年にとって、私は「東大側」「学校側」の人間なのでしょう。そう思われてもしかたがない、とは思います。
私自身が「東大」「学校」で、良い思いをしているというわけではないのに。
青年の「東大話法」という攻撃のきっかけとなった東大学外施設での研究会では、私に対して「ほんとは来てほしくないんだけど」という態度をあからさまにした人もいます。何らかの貢献をしようとしたら、すぐに「それを無意味化しようとしているのかな?」という動きがあったこともあります。他の参加者に露骨な差別を受けたこともあります。
人が集まる場所である以上、当然起こりうることも起こる。それだけの話です。
学校というものと相性が良かったことは一度もない私は、異質な存在とも考えられやすいでしょうし。
貧困問題について書いていたりする現在の私を、「エスタブリッシュメントの敵」と見る人も現れるでしょうし。
それそのものの直截な言葉を直接ぶつけられたことはありませんが、「そう思われているのかな」と感じたことは、数えられないほどあります。
そうは考えないであろう参加者も多数いますし、そういう方々と会話していれば平和な時間が流れるのですが、時には差別の方から近づいてくることも、やっぱりあります。
なのに私は「東大」「学校」の代表であるかのように、攻撃の矢面に立たされているわけです。
私は、東大を守りたいわけではありません。
学校というものを守りたいというわけでもありません。
ただ私は、自分の経験、知っていることがら、見聞きした事実から、青年の主張はおかしいと考え、Yesと言わなかっただけです。
そんな私を、もし他の誰かが見ていたら、どう思うでしょうか。
やはり
「東大にいい思いをさせてもらっているから、東大をかばっているんだろう」
「教員経験があるから、教員や学校組織の味方なんだろう」
としか思わない人の方が、圧倒的多数ではないでしょうか。
貫いても何の利益もない信念を貫き、誤解され、打たれて潰される。それが自分の人生なのか。
なんと愚かな自分。
こんな自分は生きている価値がない。
青年の攻撃にさらされながら、私は自責を続けていました。

青年とは、2015年1月に絶交しました。以後、どうしているのか全く知りません。
絶交直前、私は
「自殺か、夜逃げか、あるいは青年が何らかの理由でこの世から消えるか」
以外の解決の可能性が考えられないようなところまで追い込まれていました。
おそらく、この悩みは、精神障害を持つ人を強制入院させたいと望む家族と同質のものであったでしょう。
しかし幸いにも、私は青年の家族ではないので、強制入院・強制医療につながるような行動の選択肢はまったく持っていませんでした。
唯一可能だったのは、絶交でした。

それから7ヶ月が経過し、徹底的に痛めつけられた私の心身は、かなり回復してきました。
研究に向かおうとすると、頭の中や目の前に蘇る青年の声や言葉や表情は、今も私を苦しめています。
こんなことに苦しめられ、打ちのめされ、前に進めないままの人生を送るのか。
こんなことに苦しめられたけれども、前に進むことができ、一定の達成はでき、
「妨害は受けたし、そのダメージはやはりあるにはあるけれども、ここまで来れたから自分を評価することにする」
と思える将来を手にするのか。
1990年代末期のある日、10代だった青年と出会って楽しい交友関係を持てたことは、後悔するようなことではありません。 
2005年の不幸な出来事から、もともと精神を病んでいた青年は精神症状を悪化させ、2007年には強制入院に至ったと聞いています。
そして2014年には、こういう不毛な会話(というより私が一方的に聞かされ、相槌を求められるだけなのですが)の連続につながってしまいました。
受けてしまったダメージは、とても否定できません。今も引きずっています。
なんで、青年からさっさと離れなかったのか。もっと早く絶交しなかったのか。自責の念も、未だにあります。
過去はどうしようもありません。
過去の不幸な出来事やダメージを引きずりながら、
「あんなことがあったけれど、今ここまでこれた」
と、小さな自己満足につながる今後を作るしか、ないのです。 

2014.4.4 シンポジウム「博士人材が創造する未来」パネルディスカッションまとめ

立命館大学大学院キャリアパス推進室シンポジウム「博士人材が創造する未来」を聴講しました。
2012年度から文科省が公募を始め、現在継続中の「リーディング大学院」に関するシンポジウムです。

第3部パネルディスカッションをTwitterで実況中継していたので、まとめておきます。

パネリスト:榎木英介氏(医師・近畿大)、和田元氏(同志社大)、藤田喜久雄氏(阪大)、米山裕氏(立命館大)
ファシリテーター:西田亮介氏(立命館大)

 (西田)立命館のキャリアパス推進室でも活動しているのでファシリテーター。パネリストの方々から数多くの報告あった。猪俣氏からエビデンスに基づいた現状、榎木氏から今後の展望、各大学からグッドプラクティス。重たい現状を希望に切り替えていきたい。パネリストの皆さん、軽く一言を。榎木さん、感想を。
(榎木)各校の取り組み。自分の抱えている問題と共通するものが多い。心強い。博士が学術領域にとどまらずに活躍することを重視。院生の体験からも良い教育と感じられた。こういう取り組みが続けば、博士への社会の先入観除去できる。こういうことをやっているという情報発信必要。
(西田)各校からは? 

(米山)同志社、阪大の取り組みを見て、改めて、立命館の取り組みのフォーカス弱かったと実感。両先生にお尋ねしたい。本学の院生にアンケート。衝撃。回収率、昨年10%、今年5%。Webで。「研究について語り合える仲間がいる」と答えてくれたのが半数程度。仲間がいない。研究会や学会に参加しないという院生も4割くらい。院生が孤立して生活している。社会に出て行って影響力を与えられるように切磋琢磨してほしいのに。危惧。両大学、院生の行動変容は? 他の院生との差は?

(和田)答えるのが難しい。リーディングプログラム、みんな興味持つのはいい。学生ではなく親の問題かもしれないが、修士相当で「就職しろ」という親。頭痛い。希望者が増えていかない。こういうプログラムが走っていると、われわれは声を出せる。企業に就職したら数年で海外に出される。それで学生のモチベーションを高められていることがある。二つ目。サブメジャーが院生の負担。忙しい。他の院生から見ると、忙しい人が近くにいる。それは良い刺激。

(藤田)学生の選抜。阪大のプログラム、いずれかの研究科の入学者から選抜。合宿型。ワークをさせて、リーダーシップが取れるかどうか。ストレス下で行動がどうなるか。もともと持っているものが他の学生と違う学生を伸ばせているかと思う。ただ時限プロジェクト(?)今後が問題。一気にはできない。

(榎木)孤立してる院生がいるという話。自分も10年以上前、学部学科を問わない若手研究者ネットワークをつくろうとした。今も続いている。そういうところに来る院生、意識高い。でも他の一般の研究室にこもっている院生との違いが大きくなる一方。なんとかしなくてはと本を書いた。でも本は読んでもらえなかったり。意識の格差どうするか。現在進行中の問題。

(西田)アウトリーチの問題もあるかも。推進室のプログラム、受講者が集まりにくい。アンケート取っても、研究室にいない層がかなりいる。NPO、社会の中で、この問題をどうアウトリーチして参加呼びかけるか。意識高くない層を巻き込むことについてアイディアは? 

(藤田)工学部機械工学。(聞き取れず) 

(和田)博士だけではなく修士にも関係。大学院で専門性をつけて企業に。でも専門性あるだけでは企業でがんばれない。社会全体の問題。何年か経つと職場で仕事ができなくなっている。企業側にとっても問題になるほどの社会現象。大学のミッション、社会に出る前の教育重要。でも「人間が生きるには何が必要か」といった根本が必要。開発途上国に学ぶこと重要。フィリピン、生きること重要。ポスドク、次のポスト、必死でアピール。日本、みんなで知恵を出さないと。

(榎木)藤田さんの分野依存という話。確かにある。「バイオだけは無理」ということがある。そこに大きな問題あるかなと。広い層を巻き込むことの重要性。今は来たい人が来ている。意識高い層しか来ない。文科省から「降ってくる」とかいう形で上から仕組みを変える必要があるかと。NPO経験から。

(西田)いまの3名の先生方は理系。人文社会系の立場から、米山さんは? 

(米山)ドクターは就職しんどい。企業インターンシップ等の取り組みはあるが希望者がいない。研究室の先生が3ヶ月のインターンシップに難色を示す。大学の先生方、大学院改革に関する意識まだ低い。学生だけではなく教員も。人文系、修士でも就職きびしい。ましてや博士は。企業からのニーズがない。どう働きかけていくかが問題。北欧、人文社会系の博士、マネジメントで活躍できる。日本の社会も、そういう人材を活用できないとグローバル競争に勝てないという認識あるが、採用に至らない。大学も努力の必要があるが、企業にも変化を求めなくては。人文系、理系よりずっときびしい。

(藤田)入り口出口の問題。優秀でも出口がない。この10年、諸外国でも院生が増えている。なぜ増えたか。高度人材が求められているから。日本の人材のレベルをあげないと。求められるレベル変わっている日本でいう高度人材ではなく、もう少し幅のある人が求められている。その違いを埋められると、優秀な人が博士に行きたがるようになると思う。イギリス、エジンバラ大学の取り組み。学部より博士の方が就職がいい。育成がうまくいくと好循環が起こる。大学だけでなく社会全体の問題として産業界の人の使い方も含めて変えていく必要。

(米山)リーディングプログラムで活躍できる素質を持った元気な学生、簡単に就職。そういう人材を吸引できないところで、この種のプログラムは日本では苦戦。日本の高等教育、18歳にかたよる。大学院も22歳にかたよる。社会経験ある人の還流弱い。そこを変えていくような大学改革をどうデザインできるかが課題。

(和田)大学改革=意識改革。学生がなぜ院に行きたがるか。一部、就職のばしたい。それでかまわない。心の準備、専門能力の準備。教えてほしい。教員が「専門だけ教えてればいい」と思うから学生は不満を持つ。2年、5年で育たないそこを変革しないと。「質の保障」という言葉は嫌い。でも学生の顔を見て教育しないと。そうすればアンケートにもよい答えがあるのでは。院生、その人しかやれないオリジナルな研究をしているはず。それを自由闊達に話し合う機会は必要。研究の話が教員としかできないのは普通。先生たちに「研究者育成」とかんがえるのをやめてほしい。その院生をどうすれば、本人にとって一番幸せなキャリアパスを作れるか。そういう観点から育成してほしい。

(西田)今後の展望、大学だけで解決できない問題について、一言。(榎木)教員の意識大切。結局そこ。大学院、ポスドク問題。でも旧帝大全然動かない。そこを変えていくこと、これからの主戦場。継続して議論させてほしい。

(和田)学生さんへ。自信もってよい研究をしてほしい。仕事ができるということを証明したようなもの。だから大学院生活を充実させて。

(藤田)研究は孤独という話。自分たちのプロジェクト、チーム。でも企業の経営者、チーム、議論はするけど、最後は一人で決断。個人として強くなってほしい。研究のある種の孤独感をつきつめていくこと、重要ではないかと思う。責任ある仕事は孤独。そこは気にしなくてよいのでは。意識改革、そのとおりだけど、意識の伝搬、心、意識の問題。少数から。意識を変えざるを得ない道筋が見えて、規模も確保できるところまで、辛抱できるか。今回は7年間。学生が出てくるのは?年先。個別のプログラムを超えた少し広いところで考える必要。

(米山)リーディング大学院、ぜひ成果を。本学、学部の規模に比べて大学院小さい。D、M合わせて3000人。研究科20。かなり細分化されたユニットで研究、教育。大学院の制度改革を含めた大きな課題。意識のところ大事。政策課題として取り組まねばと思う。大学院、今日の議題にあがったプログラム、学生参加を超えた施設の課題など、いろんな課題がありうる。リーディング大学院、学生の集う空間。本学でも、学生の集える環境づくり、施設拡充、努力しているところ。一つ誤解ときたい。学生の孤立感が問題。研究は一人の作業。でも指向性として、自分の発見を他の人に伝えたいという意識あるべき。人とつながりつつ自分が進んでいく感覚、どう院生に広めたらいいか。そこも課題。

(西田)質疑応答に。

(院生)先生方へ。参加している学生、もともと意識高い。意識を高めていけていない学生に対しては? しかたない? すくい上げる取り組み? 

(西田)なかなか積極的に参加できない学生を巻き込む取り組みは? 

(和田)何度もPR。それより研究室に一人はプログラムの院生。「くたくたになるけど、やりがいある」。それが重要。みんなに来て欲しいとは思っていない。大変。でもプログラムの院生を通じて他の院生に伝わるものがある。

(榎木)「参加してよかった」という具体的な何か、「楽しかった」「得した」が必要。大学の方々の強い発信+学生も媒体、好循環を。

(福大PD)ホームページ見て参加。福大でも始めようとしている試み。自分も参加。先生方へ。専門性+汎用性のある能力。大学の役割も変わっている。地域への貢献。教員でも職員でもないURA、調査員、教員の事務の中間のような役割、各大学ではどう位置づけられているか?

(西田)新しい職業の位置づけは? 

(藤田)阪大、そういう人多い。第三カテゴリーの職種。博士課程の人材の出口、博士号があるから出来る仕事が増えつつある。サイエンスコミュニケータなども。高い専門性、能力が求められる。本人も先入観をすてて、自分の持っている何かをよりよく活かすこと重要。

(米山)立命館、大学院教育を受けた人、専任教員以外の進路が増えている。任期なしで採用すると人事ローテーションの中での処遇が難しい。任期つき、プロジェクト単位にならざるを得ない。各大学で多く見られる現象と思う。学習支援、研究支援、ニーズはたくさんある。大学がキャリアパスとして位置づけるところまではいっていない。大学の人事というところでは難しい面があるのが現状。

(榎木)今の話重要。友人にサイエンスコミュニケータ、URA勤務多い。みんな単年度契約だったり、不安定。理研も単年度契約。キャリアパスとしていくなら改善の必要。大学で取り組み必要だと思う。

(西田)では本日ここまで。ありがとうございました。(拍手) 
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(共著 2015.4 丸善出版)


「いちばんやさしいアルゴリズムの本」
 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

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