みわよしこのなんでもブログ : 子ども

みわよしこのなんでもブログ

ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


子ども

[雑感]育児や教育のリテラシーは、子どものために使われるとは限らない

 親を対象として書かれた育児書や教育書は、通常は親が読んで親自身の言動や考え方を変えるために使うものだと思う。ところが私の両親(特に母親)は、私に対してはそうではなかった。

 最初は、小学館の『小学◯年生』だったと思う。私は、1学年上のものを買い与えられていた。母親は、学習ページを全部終わらせないと、他のページは読めないし付録も触れないというルールを作っていた(弟妹はそんなことはされていない)。そんなに困難な課題というわけではなかったから、こなしていた。マンガや女児向けのアニメなど、クラスメートとの共通の話題になるようなものから遠ざけられていた私にとっては、クラスのみんなが面白がっているものに接するための概ね唯一の機会だった。1学年ずれてたけど。
 なお小学4年を最後に、学年なりの『小学◯年生』に変えてもらった。年度末は、2学年上の学習ページに取り組むことになる。小4の私にとって、さすがに小6算数はキツかった。
 
 母親は、『小学◯年生』の保護者向けのページも、私に読むように求めていた。そして、そのとおりにせよと。確か、私が小学2年くらいの時から。当時の私は既に、大人向けの書籍や雑誌や新聞が読めた。文章として「読める」という意味では、そう現実離れした要求ではなかった。そこにはしばしば、きょうだい差別やきょうだいを比較することの弊害に関する記述があった。世の中には、読んでハッとして自省する親がいるのかもしれない。「ウチではそんなことしてないけど、それで正解なんだ」とホッとする親がいるのかもしれない。でも、どこにいるのだろうか? 少なくとも、私に対する両親にそんなことは全く期待できない。どこにそんな世界があるのか。きっと、実在することはするのだろう。でも、どこに? その世界の住人であるということは、どんな生き心地なのだろうか。想像がつかなかった。今も想像できない。

 当時流行した育児書の多くは、同じような成り行きで、両親のどちらかから読むように求められて読んだ。たとえば、浜尾実『女の子の躾け方』とか。当時、この本のせいで白いパンティがトラウマになった女性、相当数いたんじゃないかな。


 ところが、母親が徹夜でむさぼり読んだにもかかわらず、私には見せなかった教育書がある。井上隆基『100を求めて0 にしないで : よい習慣をつくる勉強のしかたとは』という本(CiNiiページ)。CiNiiの書誌情報では1983年刊行とあるけれど、所蔵している大学図書館の目録には発行年が異なるものもある。もともとは、付録のような扱いで無料配布されていたパンフレットだったようである。母親がこの本を読んでいたのは、私が中学2年の時、1977年だった。

 文字と言葉が早く勉強の要領が良い方だった私は、中学受験して入った私立中高一貫校で、あまり勉強に苦労しなかった。中学に入って間もないころ、数学の時間にぼーっとしていて落ちこぼれたけど、すぐV字回復。中学3年以後は、熱心だけど細かすぎる英語教師の教え方に自分を合わせられず、気がつくと英語で落ちこぼれて高校卒業まで至った。とはいえ、英語は学年相当レベル程度には読めるし聞けるし話せるし、文法を気にしなければ書けるし。校外模試なら、それなりの成績取れるし(偏差値70を「100点満点の70点」と意図的に誤解した母親から、100点ではないことを責められたりはするけど。母親が「意図的に誤解した」としているのは、そこに素点も書いてあったから)。問題は、学校の英語のテストの成績が悪いことだけだった。英語以外の科目では、特に学習に苦労した記憶はない。勉強は嫌いじゃなかったし。

 中学2年の1学期の期末試験のとき、特段の準備はしていなかったのに、学年で2番になった。
 次に母親がしたことは、『ポピー』という自宅学習用教材の購読だった。私に意向を尋ねることもなにもなく。ある日、学校から帰ってくると、その教材が1ヶ月分、机の上にドカンと積んであった。そして母親が、目を血走らせていた。

 母親は、「アンタのために買ってやったんだから、今すぐ全部やりなさい」という。1ヶ月分を今日中にやれと。いくらなんでも無理だ。母親の方針に表立って逆らったことはほとんどなかった私だが、このときの『ポピー』に関しては、「言うことを聞いたら後が恐ろしい」と直感した。私が取り組まなかったら、そのことの罰を受けるだろう。しかし、もしも私がこなしてしまったら、さらなる無理ゲーが重ねられ、最終的に潰されるだろう。どっちがマシか。
 結局、私は教材をほとんど開かず手も触れなかった。その教材をめぐる一触即発状態は3ヶ月ぐらい続いたが、母親はだんだんトーンを下げていった。ついには、諦めて購読をやめた。
 決め手になったのは、母親の兄の妻がいるところで、私がその教材について口にしたことであった。母親は、自分自身の兄夫妻が子どもたちの知育や学業成績アップに熱心であることに、激しい対抗心を燃やしていた。実体はともあれ、母親はご近所さんや親類から「教育ママ」と見られることを非常に嫌がっていた。私の前に母親以外の大人がいなくなったとき、私は覚悟をきめた。母親の想定外のことを親類に語った罪の罰として、いつものようにぶっ叩かれるのだろうか。しかし、その時は何も起こらなかった。
 それにしても、私の嫌がること、私に無理を強いることを、母親が自発的に止めるなんて。私のこれまでの56年の人生の経験の中で、片手で数えられるほど珍しい成り行きだ。もっとも、母親が「ためを思って」「教育」といった名目で私に無理無茶を強いて、弟妹ともども私を笑い者にするようなことは、別の名目で続いた。

 『ポピー』とともに、『100を求めて0にしないで』という本が実家にやってきた。保護者向けにセットになっていたのだと記憶している。母親はその晩、ほぼ徹夜で食い入るように読んでいた。そして、この本は私に見せなかった。書棚に並べず、裁縫道具の中かどこか、簡単に私にアクセスされないようなところにしまい込んであった。

 私は今年になって、「!」と思い当たった。タイトルから見て、その本には、子どもの学習意欲を維持して喚起するにあたって有効な考え方や方法が書いてあったのだろう。

 「100を求めて0にしないで」というタイトルは、「100を求めるならば、0になる可能性がある」と同じ意味であるが、「0にするには、100を求めればいい」と同じ意味にはならない。しかし、子どものモチベーションを阻害する可能性がある親の言動の数々は、子どものモチベーションをなくしたい親にとっての有効なヒントになりうる。

 この本は、2020年現在、中古市場で入手できるようである。買ってまで読みたいとは思えないけれど、国立国会図書館など所蔵している図書館に行く機会に、ついでに見てみようと思う。

 この本が実家にやってきた後、中学2年の夏休みから後は、学習や勉強を口実にして打ちのめされることの連続になった。成績が良ければ、母親が自分の勉強法や自分の勧める教材を押し付けて、私の学びを妨害する。成績が悪くなれば私のせいである。母親の「ためを思って」名目の妨害から逃げ切った結果として成績が良好だったら、母親は何か私の性格上の欠点や見た目や表情の問題を口実にして「勉強ができても何もならん」と言ったりする。有効な隙がないと、「アンタなんか努力しても何もならん」という予言を繰り返す。現在形で書いているのは、形態を変えつつも現在進行中、少なくとも終わってはいないからだ(念のため。私は自分が酷い目に遭ったり遭う可能性があったりすることを終わらせたいのであり、母親自身の生命健康に何かが起こってほしいというわけではない。わざわざこう書いているのは、「親を痛めつけようとしている」「親を亡き者にしようとしている」とか言われないために。10代まで実際に何回も何回も言われたけど、そんな欲求は持ってなかった。4つ下の弟は、年齢1桁のころは母親にかなり激しい暴力で向かっていたけれど、それは私の暴力にすり替えられた。私、やってません!)。

 そして私は、「乱数表を使って学業成績をランダムに乱高下させる」という対応で日々をしのぎながら自分と自分の人生を守ろうとしたり、ソロバンと計算尺でマルコフ連鎖モデルを計算してその日の母親のブチ切れ確率を出す「母親シミュレータ」を作ったりする高校生になっていく。母親が私の勉強ぶりから学業成績の成り行きを予測したり、自分の言動が与えるインパクトを学習されてしまうと、そこが母親の願望や口実の入り込む隙に使われてしまうからだ。もっとも、私の学業成績が母親の便利な道具にならなくなったら、母親は「美容院に行ったら、たまたま来てた占い師」といった、実在するのかどうか不明の何かを動員するようになった。また、私がいないときに弟妹が私について語ったことも利用され、捏造ではなく事実だった可能性が高い。弟妹には利得だけあって損失はなかったから、その行動は強化されていった。どっちみち、私に対する仕打ちの総量は変えられないのかもしれない。

 その時期、1975年から1980年ごろは、一般市民向けの心理学書がちょっとしたブームになりつつあった時期でもある。父親は企業に勤務する労務屋だった。通常の会社員以上に心理テクニックの駆使が期待される職種だ。世の中でブームになるのよりも少し早く、心理学書が実家の本棚に並んでいた。中高生の私は、「なんだろう?」と思って、手にとって読んでみた。エロ本でもなければ、爆弾の作り方の本でもない。読んで悪い理由があるだろうか?


 数週間遅れで、母親は、私が父親の心理学書を読んでいることに気付いた。そして「他人の心の中を知るやら、好かーん(他人の心の中を知るなんて嫌いだ)」と繰り返した。そういう母親自身は、近所のお宅のありもしない嫁姑戦争やきょうだい差別を作り上げては、背景をとくとくと私に解説し、私が耳を塞ごうとすると「お母さんがせっかく話してやりようとに、聞きぃ!(お母さんがせっかく話してやっているのに。聞け)」というのだった。

 中高生の私は、「母親がそう言っている」という事実に対して、反抗したいとは思わなかった。母親に変わってほしいとも思わなかった。ただ、トラブルや軋轢の種を減らしたいだけだった。母親が「好かん」というのなら、家で読まなければいい。それだけの話。手段はあった。

 母親がとくとくと語る近隣のお宅の(おそらく70%くらいは非実在の)嫁姑戦争等に対しては、肯定しなければ自分が酷い目に遭わされる。しかし肯定すれば、「私がそう言っていた」という話として当該の近隣に吹き込まれる。小学生のころから、そんなことが繰り返され、私はつくづく懲りていた。表情を変えずに、軽く頷いているのか頷いていないのか分からないような顔の動かし方をしていた。母親は、思い通りの反応が得られないためキレる。肉体的な暴力に及ぶことも多々ある。しかし、それだけで済む。ともあれ、私が心理学書を読むことを母親が嫌がったのは、「母親が、自分自身の心の中を知られたくなかった」という理由だったと結論づけてよいだろう。

 さて。『100を求めて0にしないで』には、何が書いてあるのだろうか。そこにあるノウハウそのものや、その裏、その逆を、母親が誰にどのように使用したのだろうか。

 読めば、きっと分かるだろう。

[雑感]「としまえん」閉園にまつわる心のザワザワモヤモヤ

 2020年8月31日、東京都内の遊園地「としまえん」が閉園した。
 閉園がアナウンスされてから閉園まで、私は内心、怯えていた。私に対して誰かが「としまえん」を話題にしたらどうしようか? と。
 何よりも恐れていたのは、「としまえん」が話題にされるとき、その人自身の「懐かしい」「楽しかった」という記憶が語られて、同意が求められることだった。
 その次に恐れていたのは、「行きたかったけど、お金がなくて行けなかった」という形で「としまえん」が話題にされることだった。
 幸い、そういう話題になる相手と会うことはなく、閉園の日が過ぎた。私はホッとした。
(本記事はnote記事の下書きを兼ねています)

  • なぜ「楽しかった『としまえん』」に同意したくないのか
 私は福岡市で生まれ、福岡市と隣接する春日市で20歳までを過ごした。
 当時の福岡市には本格的な遊園地がなかった。太宰府の「だざいふえん」が、たぶん最も近くて遊園地らしい遊園地だったのでは。比較的アクセスしやすかったのは、天神にあったデパート「岩田屋」の屋上遊園地、福岡市動物園の遊具コーナーといったところ。
 それでも子どもにとっては、楽しい非日常。そうだったはずだ。

 私自身には、遊園地で楽しく遊んだ記憶がほとんどない。
 福岡市動物園には、両親の両方または片方、弟妹のどちらかまたは両方とともに、しばしば訪れていた。私は、大きな滑り台やブランコで楽しく遊ぶことができた。父親がいれば、ティーカップやミニ電車に一緒に乗ることもできた。しかし、家族とともに有料の遊具に乗った記憶は、概ね6~11歳くらいで途絶えている。ミニ電車に最後に乗った時は、9歳下の妹とそのお友達と一緒だった。母親が妹たちを連れて動物園に来るにあたり、面倒を見る係として私も一緒に行くこととなり、小さい子どもたちの安全を守りながら遊具に乗っていたのだった。

 一番切なかった記憶は、4歳下の弟が3歳、私が7歳くらいの時のこと。
 母親は、弟と私を連れて福岡市動物園に行った。
 動物を見て、無料の遊具で遊んで、有料遊具のコーナーへ。そこには当時、小さな飛行機に乗って空中をぐるぐる回るような遊具が出来たばかりだった。弟は「あれに乗る」と言った。母親は弟とともに、飛行機に乗って空中遊歩を楽しんだ。私はそれを眺めているだけだった。母親が「アンタはここで待ってなさい」と言ったからだった。
 「弟だけは乗せられるけど私は乗せられないほどお金がなかった」というわけではない。
 私を乗せることに、何か不都合があったわけでもない。
 今から考えれば、母親はただ、素晴らしいものは弟にだけ味わわせたかっただけであろう。さらに、結果として唯一の息子になった長男と2人だけの時間を楽しみたかっただけであろう。まだ幼稚園児だったり小学校低学年だったりした弟に対して、母親は「将来、何になってもいいけど、結婚相手だけはお父さんとお母さんに決めさせなさい」と言い聞かせていた。同時に、小学生だった私は、弟の将来の結婚相手選びが母親の意向に沿ったものになるような振る舞いを、母親に要求されていた。

 ともあれ私は、なぜ自分が飛行機の遊具に乗れないのか分からず、呆然としていた。
 楽しそうに降りてきた母親に「私も乗りたい」と言ったけれど、母親は無視して弟と楽しそうに話し続けていた。
 私は、泣きも怒りもしなかった。そんなことをしようものなら、飛行機の遊具に乗れなかったこと以上に恐ろしいことが起こることを、既に学習していた。
 私にとっての遊園地とは、そういうものなのだ。

  • 機会を奪われた子どもに起こりがちなこと
 私が幼少期の経験について話すと、しばしば「一番上の子だったから、二番目の子に親の愛情を奪われて嫉妬したのでは」という反応が返ってくる。実はこれが非常にしんどい。
 弟が生まれたのは、私が3歳9ヶ月のときだったけれど、「お母さんを取られた」的な記憶は全くなかった。
 まず、環境の変化はそれほどではなかった。かなりの頻度で、私が母親の実家に預けられていたからである。母方祖母の近くにいて、さまざまな「家の仕事」で多忙な祖母の横で本を読んだり折り紙を折って(年下のいとこ達と遊ぶのは、数年後のことだった)。祖母と手をつないで買い物に行くついでに池の亀や神社の鶏を一緒に見せてもらって、毎日を平穏に楽しく過ごし、しばらくして両親のいるところに戻ってくる。すると、赤ちゃんがいたり、赤ちゃんが大きくなっていたりする。
 母親からのはじめての「これって虐待?」の記憶は、2歳半くらいの時期のことだった。その時期の私が文字や言葉を早く習得したため、母親と父方祖母(元小学校教師)の確執が発生したことを、後に母親から聞いた。それは本当に、理由らしい理由なく平手打ちをあびせる理由だったのかどうか。母親本人にしか分からないはずだ。いずれにしても、その時期の母親は、弟をまだ妊娠していなかったはずである。
 私は、弟が生まれることによる変化を、あまり感じていなかった。そもそも、両親や弟とずっと一緒にいたわけではなかったため、感じようがなかった。今から振り返ってみると、もともと年齢なりの両親への愛着が形成されていなかったようである。形成されようがなかったとしか言いようがない。ともあれ、4歳下の弟は「お父さんとお母さんの息子さん」、その5年後に生まれた妹も含めて「お父さんとお母さんの息子さんと娘さん」という感じになっている。その「息子さんと娘さん」と同じ意味で、「お父さんとお母さん」が親であるとは、どういう感覚なのだろうか。私には、現在も理解できない。
 ともあれ私は、両親と弟妹と同じ屋根の下にはいたのだが、その4人とは最初から分断されていた。分断は年々、激しくされていった。両親は、私が実家を離れたせいにしている。私は「そんなことはない」と、事実の数々をもって示せる。分断を激しくしていったのは主に両親であり、その状態を温存することによって利得はあっても損失はない弟妹である。弟妹に配偶者ができ、子どもたちが生まれると、両親はさらに分断を激しくしていった。その詳細についてここでは書かないが、私はまだこの世にいる。あの世にまで排除されているわけではない。だからまだマシだと思わなくてはならない現在がある。
 話を幼少時に戻そう。

 私が5歳の頃、両親は家を買って転居した。母親の実家は遠くなった。ほぼ常時、母親と弟と私の3者しかいない家になった。翌年には父方祖母が同居しはじめ、母が父方祖母への憤懣を漏らし続ける中で、身の置きどころがない毎日となった。それでも、父方祖母がいればまだ良かった。父方祖母は、緊張が高まりそうになると娘たちの家で数週間を過ごしてくる知恵を持っていたのだが、それは私への攻撃への抑止力がなくなるということである。
 母親もまた、他者に咎められない形で虐待をする知恵を持っていた。母親と弟が談笑しながらテレビを見ながら温かいカレーライスを食べているとき、私は黙って見ていなくてはならなかったが、後に冷えて固まったカレーライスを食べることはできた。私が小学3年の時に妹が生まれると、夕食の手伝いの途中に何か母親が口実を作って私に罰を与えたりした。私は台所の床に正座させられ、食卓の裏面と母親と弟と妹の脚を見ながら、食卓の上の食器の音や食事の臭いを聴いたり匂ったりしながら、弟妹と母親がテレビを見ながら楽しそうに談笑しているのを聴きながら、「反省」していなくてはならないのである。私はその1時間か2時間か後、宿題に加えて懲罰的な漢字の書き取りを何度もさせられた後(そもそも就学前に覚えている漢字の書き取りをさせ、「態度が悪い」「表情が恨めしい」とか何とか言って3回も5回もやり直しさせるのである)、冷えた食事を食べることはできたが、それが何だったのか覚えていない。

 こういう経験が日常であった子どもが、どのように経験を位置づけるかは、子どもによって異なるだろう。私は意識したわけではないが、自分がアクセスできないものや、アクセスすると母親によって恐ろしいことがもたらされるものに対して魅力を感じる回路を遮断した。
 私は、当時の女児向けテレビ番組をほとんど見ていない。せいぜい、テーマ曲を知っているだけだ。しかし、仮面ライダーやウルトラマンやゴレンジャーはリアルタイムで見ていた。テレビのチャンネル権は弟のものだったから。
 大人にくっついていれば大人向け番組は見られるので、小学2年生からNHK大河ドラマを見るようになった。小学3年時の『国盗り物語』以後は記憶がハッキリしている。しかし私が本格的に関心を向け、シナリオの勉強を始めたりすると、母親による妨害が始まった。というわけで、中学2年の時に大河ドラマ『花神』を見た後は、テレビから卒業した。「見たい」と思わなければ、妨害されて悲しい思いをすることはない。以後、テレビ番組は年に1~2回、家族に対する周到な根回しの上、家族からの冷やかしや嘲り、その後の嫌味を覚悟して見るものとなった。
 高校3年の秋からは予備校に特待生として通うようになり、帰りがけに電気店の店頭で見ることもあった。カール・セーガンの『コスモス』は、再放送を電気量販店の店頭で見た。1982年3月から4月ごろのことだと思う。昭和でいえば57年。テレビがまだ「一家に一台」には程遠く、プロレスの試合を見るたびに子どもが電気店の店先に群がっていたのは、昭和30年代前半、私が生まれる前の話である。
 
 遊園地や遊具を「行きたい」「乗りたい」と思う余裕は、私にはなかった。原家族のメンバーとともに行って乗って楽しい思いをした記憶は皆無というわけではないが、「帰宅後に些細な出来事を蒸し返されて母親にぶちのめされる」といった「ああ、やっぱり」の”アフター”を伴わない記憶は、20歳までの期間に5回もない。その数少ない例外的な記憶には、両親と弟妹、弟妹のお友達などの他に、誰かがいた。たとえば、母方の叔母とか。そこに身内であっても他者の視線を持つことの出来る人がいると、全く違う経験となった。しかし、子どもだった私には人選の権利がなかった。
 私自身のためという名目での遊園地行きは、たった1回だけあった。私が小学校を卒業した3月の春休み。でも、母親と弟妹が一緒なのである。母親はもちろん、弟妹が私よりも多く(数と金額の上で)楽しめるようにしましたとも。そして私は母親から、「アンタのために行ってやった」と恩に着せられるのである。もしも母親が「自分の大切な長男と次女を楽しませるために、長女はどうでもいいけど口実に使った」と言ってくれたら、どんなに救われたか。

 大人になった私は、行きたい時に遊園地に行ける。1日くらいなら、おそらく好きなだけ遊具に乗れる。しかし、何が楽しいのか全く分からない大人になっていた。絶叫系の乗り物のように、極めて分かりやすい肉体的な感覚を伴うものは、「楽しい」と思える。が、遊園地や遊具に「行って乗りたい」という魅力を感じることはなかった。『としまえん』にも何回か行ったことはあるのだが、高飛び込み用のプールを使って高飛び込みをするためのみ、だった。
 東京ディズニーランドは、私が東京で大学に進学してから出来た。その後、妹が中学受験合格のごほうびに東京旅行をすることになり、私のアパートに泊まった。妹が行きたがったから、私も付き添って東京ディズニーランドに行った。何が楽しいのか全く分からないまま、後に母親から攻撃の口実に使われるような失敗をしないように緊張していた。以後、東京ディズニーランドには一度も行っていない。
 子ども時代に適切な学習をしていないと、子ども向けの何かに楽しさや魅力を感じる回路は育たないのかもしれない。少なくとも私はそうだった。遊園地だけではなく、子ども向けの絵本も、子ども向けの書籍も。今でも、日本語の絵本や児童書を読むのは、トラウマが刺激されて辛い。
 
  • なぜ「行きたかったけど、お金がなくて行けなかった『としまえん』」の話が辛いのか
 書いていて辛くなってきたので、こちらについては短めにしようと思う。
 私は現在、貧困問題を中心に活動している。当然、貧困によって機会を失ったまま成長した大人多数、貧困によって機会を失っている子ども多数に接している。
 現在進行形で機会を失っている子どもたちは、「東京ディズニーランドに行ってみたい」といった希望を語らないことが多い。東京だからではないだろう。関西の子どもが、USJや「ひらかたぱーく」に行って楽しむという発想を持っていないことは珍しくない。本当に知らないのか。それとも、知っていても行けないことを考えたくないから、憧れる心の回路を遮断したのか。
 しかし私は、そこまで厳しい状況に置かれたわけではない。福岡市動物園の有料遊具のコーナーの前までは行くことができた。そういった場所での飲食や服装を含め、誰が見ても「中流家庭の子ども」だったはずだ。
 私よりも絶対的に何かが不足していて遊園地に行けなかったり行くことを考えられなかった子どもたちや元子どもたちの話を聞く時、その話はその話として受け止めるしかない。受け止める。何らかの理解を示す。部分的には理解出来る話でもある。しかし「私にも同じような経験があって」とは、口が裂けても言えない。その人々と同じような欠落があったわけではないという時点で、「同じような経験」ではない。客観的に見れば、その人々よりも私は圧倒的に恵まれている。私は、どう嘆けばいいのか。どう語ればいいのか。相手と離れて一人になると、いつもは忘れたことにしている痛みが噴き上げてくる。
 所詮、私は嘆くことも語ることもできなさそうだ。嘆いたり語ったりすると、「親御さんたちにも事情があったのでは」「あなたの思い込みでは」「もっと恵まれない人が」「昔のことになってよかったじゃないの」などなど、四方八方から嘆かせず語らせない圧力がかけられることになる。
 仕事として、厳しい子ども時代を送った人々の経験や体験や出来事を聴き、仕事として形にする。それが、現在の私にできることの限界のようだ。

 ともあれ、「としまえん」は閉園した。当面、『としまえん』と子ども時代の記憶に刺激されることはないだろう。
 跡地は『ハリポタ』テーマパークになるようだが、私は『ハリポタ』を読んでいない。私には無縁の何かとして、ニュースや語りに接することができるだろう。

[食]「こどもの日」前祝い

明日、2015年5月5日は、こどもの日。
というわけで、西荻窪の和菓子店「かた岡」 さんで、粽と柏餅を買ってきました。

コーヒーのカップも鯉でコーディネートしております。
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大阪子どもの貧困アクショングループ(CPAO)」などで関わる子どもさんたち、
友人たちの0歳~20代の子どもさんたちの幸福と健康を願って、柏餅をぱくり、としようとしたところ。
猫の摩耶(17歳11ヶ月16日)、元気なのはいいんですけど、お行儀の悪さが直っておりません。こらこら。
摩耶も、柏餅の皮を一口だけいただきました。来年も一緒に食べようね。
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柏餅をぱくり。
こしあんが全くくどくなく、口の中ですっと溶けます。
しっかり甘いのですが、さわやかな食後感です。
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7月にこの世デビュー予定の、友人のところの男の子の健康と幸福と、まずは無事に出てくることを願いつつ、粽をぱくり。
2015-05-04-15-07-19
 
この粽は外郎ではなく、葛です。「水仙」という名前がついています。 
「かた岡」さんの高齢のご夫妻(後継者なし)の味を、来年も、再来年も味わえますように。
食べログ:「かた岡」さんページ 

2014.08.30 緊急アクション関西 ~子どもの貧困対策大綱できてんて? ほんで、どうすんねん? 参加メモ

「2014.08.30 緊急アクション関西 ~子どもの貧困対策大綱できてんて? ほんで、どうすんねん?」
に参加しました。
メモを取り急ぎ公開しておきます。

午前の部 10:00-12:30

●山科醍醐こどもの広場 村井さん

 

開会挨拶

今日のスケジュールについて

 

大綱できた。では民間でできることは何か。行政、メディアと一緒にできることはなにか。

話し合うテーブルをつくろうと思った。

今日は、今、関西(+東京)でさまざまな取組をしている方に出会う機会、一緒に走る一枚岩を作る機会にしたい。

今日、全国の自治体から人が来ている。

 

本日、これから幸重さんに子どもの貧困対策について反してもらう。

 

●幸重さん(社会福祉士)

今日、子どもの貧困対策大綱ができて最初(笑)のアクション。

大綱について。

4月施行、4-6月検討会、自分も検討会に参加。今日、検討会委員もきている。

そして昨日大綱。

意見はたくさんある。自分も言いたいことたくさんある。

でも子どもの問題は一年待つわけにいきたい。

せっかくできた大綱の中で出来ることを。

 

大綱。予算ついているものが偏っている。教育ばっかり。もともとやっていたものばっかり。生活支援にはついてない。

 

子どもの未来は日本の社会。国が悪いとか企業なんとかしろとかではなく、手を合わせてやっていくということ。これを大事にしていきたい。

 

来年度の予算。教育支援、保護者就労支援、施策推進体制以外は要求されておらず、生活支援、欄もない(笑) でもここでできることを。

 

・自己紹介

滋賀県のスクールソーシャルワーカー。村井さんと「こどもの広場」で活動。

個人的には、スクールソーシャルワーカーの拡充、嬉しい。

現在、全国で1500人しかいない。ほとんどが週に12回、学校や教育委員会で仕事。

でも大綱、「学校を子どもの貧困対策のプラットフォームに」。

そこに専門家を配置するということで、スクールソーシャルワーカーに期待。

1500→5年間で10000人 という拡充。

10000人が配置されたらどうなる?

すべての学校に配置されるわけではない。

ただ、スクールカウンセラーと違って、いつも学校にいなくちゃいけないわけではない。

10000人のソーシャルワーカーが配置されたら、何らかの形ですべての学校はカバーできると思う。

地域格差、明確。需要の多いところには重点配置。

 

・心配なこと

スクールソーシャルワーカーの質の担保。学校の先生との連携(ケース発見はできない)、スーパーバイザーの存在。そこらへんが明確にされていることは評価できる。

「授業も教えて」とかカウンセリング業務とか、ソーシャルワーカー業務ではないことをお願いされるようになったら困る。

一般的にソーシャルワーカー、子どもの貧困について自治体でどう動くか、民間との連携について疎い。

 

・困窮者自立支援法。

大人のホームレス等に働きかけることが前提。子どもも忘れないでほしい。

 

・奨学金。

高校無償化に戻せばいいじゃないかと思うけど、とりあえず奨学給付金。学費以外の負担への給付。これは評価できる。無償化を減らしてこれ増やすのは何だと思うけど(笑) 学費以外の負担への給付、評価できる。

生活保護世帯の子どもたち、高校生になるとバイトせざるを得ない。バイトしても収入認定されるということが今年3月まであった。でもワーカーには知らない人もいて、「不正」とか言う人も。そのバイト代が本人の学費に還元されること重要。4月からは進学のための貯金が認められるようになった。これは広報していきたい。

「あしなが」の皆さんたちが頑張った成果だと思う。貸与奨学金の返還、所得と連動するように。一歩ステップあがった。ゆくゆくは給付型に。

 

・学習支援

ひとり親世帯の親の約14%が中卒(中卒就職 ではなく、中卒高校中退)。高認試験のための給付も。

学習できる環境も必要。子育てしながら勉強は無理。給付による支援、居場所づくり。

 

・子どもへの学習支援

生活保護世帯の子どもだけではなく、生活困窮世帯の子どもを対象に。評価できる。

ただ費用、自治体がてんやわんや。どこが力を握るのか。各自治体、早く決めてほしい。

注意、年末までの予算検討で決定。今やらないと。

学習だけではなく、進路相談、居場所提供(生活習慣・社会性)。予算にいれてほしい。

 

・学習が遅れがちな中学生を対象とした学習支援

すべての中学生が対象。びっくりした。経済的な理由に限らず、学習習慣が身についていない中学生を支援。

ここにお金をつけて取り組んだこと、とても価値があると思う。

でもどう動くか。非常に難しい。地域の人、民間企業、NPO、みんなが協力しないとスタートしない。この協力が大変。どう乗り越えていくのか。

大綱、学校の貧困対策プラットフォーム化。学校の先生はほとんど知らない。貧困はわかっている。でも「また来たか」。外国語教育、環境教育、こんどは貧困?

この事業、各中学校区で行われたら画期的だと思う。期待。

 

・子供の夢応援プロジェクト

とにかく子どもの貧困、みんなで考えないといけない。これは共通認識。

子どもの貧困に関しては、すべての党派が一致して「やらないかん」。

でも実施論になると揉める。

今日、お金の話をずっとしている。文科省レベルではお金ついた。でも国レベルではついてない。バランスの問題。

国だけ頑張るのでなく、官公民。企業もがんばりたい。貧困でギリギリの生活してる人が多かったら消費も減る。

メディア。今日たくさん来てもらっている。でも本当に大事なことを伝えてくれないことが多い。メディアも協力してほしい。

昨日、総理が表明。閣議決定。どんな政権になっても続けてほしい。

子どもの貧困、理解してほしい。虐待、10年前と違ってオレンジリボンなど知られてきた。

情報発信。

企業もお金を集めて、そのお金で子どもたちに機会を提供する。

助成。枠が限られるけれども、きちんと助成すること。このプロジェクト重要。

 

大綱、しっかり読み込んで広げていきたい。

 

●朝日新聞、中塚さん

国内外の事例を紹介。

 

・愛知:学習支援

企業経営者が会社をたたんで開始した学習支援「ポトスの部屋」。子どもが定時制高校にかよっていた親として。ネグレクトされている子どもと銭湯に行って身体の洗い方を教えるなどの生活支援も。

相模原市:公共の中3勉強会+高校生・ニートの居場所+学習支援。高校に不合格で行けなかった子どももそこに。


・箕面:「暮らしづくりネットワーク北芝」。

地域通貨「まーぶ」。子どもたちが「仕事くれ」と集まってくるらしい(笑) その通貨でお父さんにプレゼント買ったりなど。子供たちに「働いて稼ぐ」という力をつけていく。

 

・写真

 相模原の居場所。食事作り。お腹が満たせる+素直になっていろいろ話せる という利点。

 箕面、子どもたちが働いているところ、「求人」のようす。

 

・英国:子どもセンター

親子が必要な情報、支援業務のすべてを一箇所で受けられるサービス拠点。全英に350ヶ所。困難な地域から優先的に。小学校に併設。「EVERY CHILD MATTERS」が合言葉。

狙いは、どちらかというと親。困難を抱える親の発見。大人の参加できるプログラムも多い。ぶらっと寄れる。でも戦略的にしかけられている。

Extended school。学校での活動を拡大。8000以上の学校(1/3)で導入。近隣の人が子どものためのボランティア。親の相談にも乗ったり。移民の多い地域で特に重要性が認識されている。

 

・韓国(?):ひとり親就労支援。

アモーレパシフィック創業者の遺産で、シングルマザーの開業に対してマイクロクレジット。いろんな仕事。塾、レストラン、出版社など。創業者、北朝鮮で生まれた。母親がひとり親で苦労して自分を育ててくれた。そこでシングルマザーの役に立ちたいと思った。

 

・韓国:

未婚母の就労訓練

KB国民銀行本店の地下食堂でバリスタ教育。NPO、取り組みそうな企業にガンガン企画書送った。KB国民銀行労組が反応してそういう事業に。

住まいの支援

シングルマザーのGH。地元住宅団体が運営。住宅公社が協力。シェルターと地域生活の中間段階をささえる。

 

●あしなが育英会:安田さん(大学生)

事故などの遺児、障害者家庭の子どもが対象。

毎年の募金、政府への働きかけ、今年5月(?)のユースミーティング@千駄ヶ谷+デモ について。

(ユースミーティング+デモ のVTR

ユースミーティング、京都・大阪で開催予定。ぜひご参加を。ありがとうございました。

 

CPAO 徳丸さん

「子どもと親をまるごとささえる」が活動趣旨。

まず「しらべる」。可視化する。

前職、セーブ・ザ・チルドレン。2009年ごろから、エビデンス・ベース。証拠を出さないと行政は動かない。だから調べることに力を入れてやっていかないとダメだと思った。

今日は調査中心に話す。

子どもたちの直接調査、2010年にやったけど難しい。子どもたちは自分を貧困と思っていないことがある。貧困世帯の多い地域では特に。敢えて「あなたは貧困なんだ」と知らせることはない。子ども自身が伝聞の形で話したりすることも。

2014年、シングルマザー100人にインタビュー。あと15名ほど。年内、11/20(世界こどもの日)に向けて報告書作成中。

シングルマザーの貧困、3パターンにわけた。

1.    働いても生活保護以下になる(最賃。月10万円くらいが多い)ワーキングプア。しばしばダブルワーク・トリプルワーク。結婚したら相手がDV、離婚したら経済状況+精神状態が大変になったり。生保利用してもやめたり(医療券もって医療機関に行ったら、自分の娘の同級生の母親がいて、「噂になったら、子どもが学校でいじめられたら」と心配で生保をやめた。生保やめて頑張っているのは「プライド代」。)基本的には雇用の問題。

2.    負の連鎖。暴力の中で育ち、低学歴・低学力。子どもたちも暴力的に。最初からしんどい。この先もジリジリとしんどくなりそう。いくつもの仕事をかけもち。子どものために仕事減らして家にいる時間を増やしたいが、子どもを養うために仕事減らせない。

(3つ目?)


不幸にはいろんなパターン。こんなたくさんの不幸があるのかと調査して思った。人権権の問題。負の累積・ライフチャンスの制約・貧困 が世代間連鎖。こういうことをしないと、支援策も有効にならない。調査費、どこからもつかない。民間で、もうちょっと予算を。

 

●山科醍醐こどものひろば、村井さん

36年間活動してきた団体。そこで育った子どもがスタッフになるなど正の循環を生み出してきた。

(写真:活動の様子)

文化的資源不足、施策でカバーされない。楽しい活動の中で文化にも注力。

 

山科、醍醐、貧困世帯多い。

イベントに来てもらった方からの情報で、一番しんどい子どもの貧困に辿り着いた。

活動、生活支援・宿泊支援も。虐待多い。

 

メンター・ななめの関係 を重視。

生活保護世帯の子ども、働いている大人を見たことない。夢をもてない。なんとなく将来は自分も生活保護、と思っている。「あんなお兄ちゃんになりたい」という出会い必要。

山科・醍醐、広い。拠点までの距離がある。間の地域をなんとかしたい。そこで自治体・企業などの人を集めて円卓会議、課題解決に向けた体制づくり。

3の学習会、学生+民生委員で夏の補習とか。

 

市民にしかできないアクションをする。制度化、社会化していくことが民間としてのつとめ。

大綱、これからアクションをどう作っていくかが大事。

予算つかなくても、どうやっていくかが大事。

 

●日野さん(滋賀県)

大津市から来た。

滋賀県内の子どもの学習支援・居場所づくり、一覧。

担い手が足りない問題、どこも抱えている。

ボランティアの定着、ボランティアのスキルの向上をコーディネートできる人がいない。

コーディネート費に予算付いている取り組み、ない。東近江市、強いて言えばついているが兼務。

ボラが来れなくなると、子どもたちも来れなくなる。

担い手が足りない、担い手をコーディネートする人が足りない一方、地域の高齢者は元気。活躍の場を求めている。

高齢化率40%超の地域で、うち70%は元気。地域の人たちと子どもたちがwin-winになったり、「ちょっと助けたい」をつなげて広げていければいいと思う。

大津市社協、寺子屋プロジェクト。

おっちゃんたち「地域で子どもが育まれる場をもっと作らないと」と。

頑張って行きたい。よろしく。

 

●ストリートプロジェクト(福岡) 坪井さん

子どもがヤンキー中卒 になったことから、そういう子どもが方向転換できるように高認受験支援を考えるように。

中卒・高校中退・生保世帯の青年対象の塾をひらいた。

「高認、取っただけでは中卒。活かして食えるように」というアドバイスを受け、看護・自衛隊・地方公務員を考える。看護だけ残った。看護師のアドバイスを受け、准看護師になった子どもが多数。でも准看護師制度が今後も食べられる制度であるのかどうか。

モチベーション下がる。今は仕事先を探すようなことは減らしている。

でも子どもたち、褒められたことがない。褒めて褒めて褒めて、そのうちにしたいことを見つけられるようにと活動。

住める居場所づくり、したかったけれども法律の壁で諦める。でも月イチ泊められるように「ごちハウス」。

 

Chance for Children 奥野さん

 

間接支援の枠組みから。

 

支援している子どもを紹介。

Mくん(高3)、三度の飯より数学が好き。国立大医学部志望。

シングルマザーの生保世帯で育った。きょうだい下に2人。トリプルワークの母親、身体壊して生保。今も働けない。

学校外教育費の負担、大きい。年間282000円。塾70%、習い事90%。

この学校の外での学びの機会のあるなしが学力格差につながっている。

文科省調査でも、それが明らかになっている。貧困の連鎖の原因。

そこで「学校外教育バウチャー」を作った。財源、民間企業からの寄付。

Mくん、これを利用して学んだ。でも弟妹の面倒をみながら。通信教育や家庭教師。

東北の被災地でも利用。うつの傾向のある子ども。外での活動で身体を慣らすために使っている。

子どもが選択したところを選んで使えるということが特徴。

特に東日本大震災の被災地でやっている。

 

対象者分類、親の意欲+子どもの意欲 で4マトリックス。

親も子も意欲が高いところで支援が有効にできている。

貧困が連鎖していない。

生まれた時は裕福だったが被災や何らかのトラブルで貧困、とか。家庭環境、それほど複雑ではない。

 

親の意欲が低いところ、親も子も意欲が低いところに、どうアクセスするかが課題。でもバウチャーでは無理。

あくまで自分たちは、学びたい子どもに機会を提供する。

 

●フードバンク・お寺おやつクラブ かつらさん(奈良)

僧侶。

この時期、お盆が終わって一番ほっとできる時期。でもリレートーク。あわてて、今日発表。

(「お寺おやつクラブ」の説明)

CPAOと協力して昨年10月試験的にスタート、今年1月から本格始動。

支援先シングルマザー家庭、26。賛同寺院、50

各寺から母子家庭に個別に、お供え物のお下がりを送っている。

このことでお寺と各家庭をつなぐ。

 

成果

一時的食糧支援。

貧困問題を広く知ってもらう効果。取材、higan.net、賛同寺院の檀家さんへのつながり。

 

活動の可能性 仏教の慈悲にもとづく支援、全国70000寺の1%が本気になれば救える貧困あると思う。檀家さん多数、人・モノが集まりやすい。貧困に対して何かしたいけど専門知識がなくて出来なくてウズウズしている僧侶多い。

 

●あしなが育英会職員 小河さん

直近、4年間、神戸・レインボーハウスの館長をやっていた。

集団的自衛権でおおもめしていたとき、国会の一室でお誕生日会。学生たち手作りのケーキ。

そのとき、下村大臣、とにかく文科省にかかわる分野は大綱に全部入れる方針。

(ちょっとヤバいオフレコ話で会場爆笑)

厚労省マターは入らない。入れられない。取れるものは取る戦略。

高校生の奨学金、月約1万円。すべての高校生に拡大。これは非常に大きい。

スクールソーシャルワーカー、大きな課題。でもこれまで、学校現場に福祉は入ってこなかったといっていい。

あしなが育英会、限定が大きい。でも離婚などさまざまな相談が多い。今までだと「ごめんなさい」。でも出来るだけのソーシャルワーク機能は発揮しようと努力。社協の貸付を知らせるなど。みんな知らない。「社協ってなんですか?」というひとり親も。大学でもそれ以前の学校でも教えない。

課題いっぱい。でもソーシャルワーカーが学校現場に入る。まずは評価したい。

国の制度として出来なくても、地方自治体の制度としてできるものもある。

東京都?区、独自に上乗せする育児世帯への現金給付など。

大綱、子どもの貧困対策計画、自治体に対しての努力義務。でも結果的に全都道府県にちゃんと作る、大綱より充実させるものを作ること、大事になると思う。

まず京都でやっていきたい。子どもの貧困対策計画、全国のモデルケースになるように。

ついで各都道府県で。

一緒にやっていきたい。よろしくお願いします。

 

●幸重さん

アクションしたものは結果を伴う。アクションしきれなかったところについては、予算が付く形にならなかった。でも大きな問題。母子、施設の子。文句いうのでなく、建設的にみんなで手をつないでやっていかないと動かない。

「どれがいい」ではない。全部大事。それをみんなが組み合わせていく。そしてどういう家庭で生まれても生きていける世の中に。

 

●徳丸さん(?)

今日たくさんの団体。一人ひとりが講演してほしいくらい。一番話してほしい人、本当に底辺のマイノリティ支援をしている人たち。学校から漏れている子どもたちは、もっとしんどい。それを考えていかないと、本当の貧困対策にならない。

今日、一過性のイベントにしたくない。やることいっぱい。10月、予算編成。そこに予算がつかないと。自治体でどう動けばいいのか。削減率、何%が具体的なのか。9/20、第一回会議。具体的に何をするか考える会議として参加してほしい。参加したい方、受付に。FBWebページも立ち上げる。みなさんよろしく。

 

●村井さん

午前中、あっという間に終わった。

課題たくさんあるけれど、一個一個やっていくことも大事。会議を持っていくことも大事。でも組織を立ち上げたほうが早いかもしれない。どうすれば一点集中、テコのような力を作れるのか、そこが大事だと思う。

自治体、半年かけて「あいつら頑張ってる」しか伝わらないことよくある。それでもやっていかないと。東京でも連携、顔の見える形にしたい人多い。なんか組織作れないかという相談多い。ぜひみなさんの力と知恵を借りて進めればと思う。

今日、名刺交換とか、何か次につなげて帰ってください。

ぜひ、会いたい人・話してみたい人とは、名刺交換とか連絡先交換とかしてほしい。

午後からくる人もいる。残っている資料は受付に預けてほしい。

 


大阪・天満 母子変死事件報道から1年

ちょうど1年前の2013年5月24日、大阪・天満で28歳のお母さんと3歳の息子さんが遺体で発見されました。
当初は「生活保護を受給できなかったために餓死に至った」という見方がなされていました。大阪府下のある市で生活保護の相談をしていたけれども申請には至らなかった、という事情もあったようです。しかしその後、「収入はあったはず」とする報道も行われ、何がどうなったのでお二人が亡くなったのかは明らかにされていないままです。

発声練習:[メモ] 大阪母子「餓死」報道メモ
池田光穂さん授業記録:大阪天満母子死亡事件2013年5月24日
Togetter:大阪市北区天満母子変死事件

いずれにしても、このお母さんと息子さんが何らかの困窮状態にあったのは間違いないかと思われます。 

さて。
2013年4月、我が家は新しい猫の家族を迎えていました。もうすぐ5歳になる「リュウ」です。
虐待に遭っていたリュウは、アニマルシェルターに保護されていましたが、ご縁あって我が家の次男猫になってくれました。

参考 みわちゃん・いんふぉ:家族記念日 

この事件が報道されたころ、リュウは我が家の中の探検も一段落し、11歳上の次女猫・摩耶(参考)と仲良く楽しそうに過ごしていました。
当初、リュウには我が家で新しく名前をつけるつもりでした。第一候補は「歓(かん)」でした。しかしヘルパーさんたちに「リュウちゃん」で馴染んでしまったこと、5歳で名前を変えられるのは本猫にとってストレスではないかと思われたことから、 「リュウ」のままにすることにしました。そして、せめて漢字だけつけさせてもらおうと考えていました。
その時に、この事件が報道されました。

私は、このお母さんと息子さんに何もできませんでした。当たり前です。遠い大阪の知らない場所に住んでおられた、全く接点のない、事件まで知ることもない方でしたから。しかし、もしも西荻窪駅前など自分の生活圏であっても、大して変わらなかったでしょう。私に人づてにでも接触してくださって「生活保護の申請を手伝ってほしい」と言われたら、少しくらいは力になれたかもしれませんが、もし、そういう相談をできる相手が一人でもいれば、こんな悲劇的な結果にはなっていなかったでしょうし。
小さな一個人、小さな一個人の集まりである地域コミュニティに出来ることは非常に小さく、人一人・一家族を支えることなど最初から無理なのだと私は思っています。制度による下支えは絶対に不可欠ではないでしょうか。でも、生活保護制度をめぐるここ数年の動きを振り返ると、溜息が出るばかりです。

せめて、この事件のこと、この幸薄かった息子さんのことを忘れないでいようと考えた私は、息子さん・瑠海(るい)君のお名前から、一文字を我が家のリュウに頂戴することにしました。
そしてリュウは「瑠」となったのでした。

これからも、5月24日が来るたびに、私はこの事件のことを思い出すでしょう(スケジューラに仕込んであります)。
末尾になりましたが、お母さんの井上充代さん・息子さんの瑠海君のご冥福を、心より祈ります。 
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「おしゃべりなコンピュータ
 音声合成技術の現在と未来」
(共著 2015.4 丸善出版)


「いちばんやさしいアルゴリズムの本」
 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
あります。

「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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