猫と食事と西荻窪、ときどき旅する車椅子

ライター・みわよしこの日常つれづれ話



佐村河内守

私の身体障害の話は、タブーなのでしょうか?

昨年(2013年)7月、書籍「生活保護リアル」を出版しました。
本書は幸いにも、多くの方々の積極的な関心を頂戴し、いくつものメディアで紹介していただきました。
生みの親である私も、昨年夏から今年初春ごろにかけて、いくつかのメディアにインタビューを受けました。
掲載されたインタビューのいくつかを拝見して、たいへん気になったことがあります。 
私の身体障害について、「全く」に近く触れられていないということです。
インタビューで聞かれなかったわけではありません。かなりの時間を割いて質問されています。こちらも隠すことなく、お答えしています。
しかし、結果として公表されるインタビュー記事には、身体障害の話は全く触れられていないことが多いのです。診断の経緯も、身体障害者手帳(2級)を取得していることもお話しているのですが、それは全く触れられず「車椅子に乗っている」とだけ書かれていたりとか。
「不確実なことを書いて、あとで誤報と言われたくない」
という判断なのでしょうか(身体障害者手帳を取得していることは、不確実なことでもなんでもないのですが)?
それとも
「これは詐病を疑ったほうがいいかも」
と判断されたのでしょうか?
どちらの判断の可能性も、私をたいへん傷つけるものです。
記事に記載しないことは、記事を書かれる方や組織のご判断の範囲です。でも私は、身体障害の話が記載されていないインタビュー記事を見るたびに、
「自分の障害は触れてはいけないタブーなのか?」
と悩むのです。

バレエやスポーツに熱心に取り組んでいた私に運動障害が発生し始めたのは、2005年のことでした。しかし検査しても、障害の説明となるような原因は判明しませんでした。疑われた疾患は、脳腫瘍からヒステリーまで多岐にわたります。
私が身体障害者手帳を取得できたのは、2007年のことでした。2005年から2007年までの約2年間、私は障害がありながら、どういう障害者福祉の対象にもなっていなかったわけです。
職業機会・収入機会が減少する一方で、障害者雇用の対象にもなりません。さらに当時の障害者雇用は、現在よりもずっと、質量ともに貧弱でした。外出するには車椅子などの補装具が必要ですが、その費用は自弁せざるを得ません。
こんな生活を長期にわたって続けることは、誰にとっても不可能でしょう。そこに「障害者になったんだから、猫を処分しろ」といった中傷まで加わりました。
2007年、ある神経内科医が、身体障害者手帳申請のための診断書を作成してくれました。とはいえ、そこに記載されていたのは原因疾患ではなく、症状です。例えれば、「咳が出ている」という状態をもって、原因が風邪なのか結核なのか肺ガンなのか、あるいは何らかの未知の病気であるのかは不明のまま「咳症」とし、その「咳が出て生活上の困難が発生している」に対する(広義の)生活環境への配慮を受けられるようにした、といったところです。
私は当時のこの医師の対応に、心から感謝しています。身体障害に関して、症状があり、身体的な障害が発生しており、さらに症状や障害の継続によって社会生活上の「障害」が発生しているという現実を無視しない対応をしてくれた最初の医師でした。
東京都と医師の間で、かなり面倒なやりとりがあったと聞きましたが、とにもかくにも私は身体障害者手帳(2級)を取得することができました。
このような適用は、かつては広く行われており、多くの人々を救ってきました。
おそらくは、「認められぬ病―現代医療への根源的問い (中公文庫)」の柳澤桂子さんもそうだったと思われます。柳澤さんが原因疾患不明のままで障害者手帳(1級)を取得された経緯、数多くの著書のどれかには書かれているのかもしれませんが、少なくとも私は知りません。ただ、おそらく症状・経緯などに対して、医師としての総合的な判断によって手帳取得を可能にした医師がいたのでしょう。そうでなければ、手帳取得は不可能なはずですから。
「障害がまったくない」と「誰から見ても明白な障害がある」の間は、それほど明確に区切られているわけではありません。もちろん、明確に区切ることの可能なケースもあります。「全盲」「全ろう」「肢体の切断または欠損」といった事例です。しかし機能障害の場合、デジタルに区切ることは困難です。もしかすると、デジタルに区切ること自体が問題なのかもしれません。
とにもかくにも、障害者福祉が適用されたために柳澤桂子さんは生き延びることができました。その後、疾患名と治療法が発見され、寝たきり生活から再び歩き出すことができました(その後、また別の難病を抱えられたようですが)。生き延びていなければ、治ることも、生きてその後の仕事を成し遂げられることもありませんでした。
慢性疲労症候群でも、医師としての総合的判断による身体障害者手帳取得によって障害者福祉の対象となり、生き延びることのできた患者さんたちが数多く存在します。「怠け」「気のせい」「病気のふり」、良くて「ヒステリー」と片付けられがちだった慢性疲労症候群は、つい先日、脳の炎症である可能性が指摘されたばかりです。


原因疾患がわからないまま身体に障害を抱えている誰かがいるとき、「怠け」「気のせい」「詐病」「ヒステリー」と片付けるのは早計にすぎるでしょう。柳澤桂子さんも慢性疲労症候群の方々も、時間はかかりましたが、「怠け」「気のせい」「ヒステリー」のいずれでもないことが明らかになったり、明らかになりつつある途上です。
「怠け」「気のせい」「詐病」「ヒステリー」の類の判断は、このような方々から生存の機会を奪います。障害者福祉の対象とすべきと判断した医師がいても、もしそれが世間によって圧殺されるようであれば、その方々は生きていくことができなくなります。死んでしまったら、将来のいつか原因が判明したり治ったりする機会は永久に失われます。
私自身、
「いつ、生きていけなくなるだろうか」
と怯え続けています。「疑いを持って見られている」と感じることが多いからです。喘息でかかった病院で酸素吸入を受けている真っ最中に、どう考えても無関係な腱反射を医師にテストされたり。爪の炎症で整形外科に行ったら、レントゲン撮影のどさくさに紛れて、医師が膝をハンマーで叩いていったり! もちろん、日常生活において疑問・疑念をぶつけられることは、しょっちゅうです。「直接、言葉にしてくれれば、まだしも」と思うくらいです。

話を自分自身に戻します。
症状、障害の程度に関しては、幸いなことに、2007年当時も今もそれほど大きな変化はありません。肉体的な状況は変化し続けてはいるのですが、
「できないことが増える→対処を決める→落ち着く→その間に残存能力で出来ることを増やす(レベルを上げる)」
の繰り返しが延々と続くことに、私自身が慣れてしまいました。繰り返されるうちに、対処も容易になってきましたし。
日常生活上の障害については現状維持できており、職業上の障害については軽減してこれた……と思っています。

ただ、社会生活上の障害に関しては、むしろ増大していると感じています。
2008年、北海道で聴覚障害や視覚障害を偽装している数多くの人々の存在が報道されました。その背後には医師やブローカーの存在があり、さらに
「稼働年齢層だけど地域に仕事がなく、福祉事務所に行って生活保護を申請しようとしたら『稼働年齢層だからダメ』と追い返され、ブローカーに話を持ちかけられて障害者になったら生活保護を申請できた」
という背景があります。しかし、この報道に接した多くの人々の反応は
「障害を偽装して障害者福祉を詐取するなんてひどい」
というものでした。背景が注目されることはありませんでした。そして、2007年の私のように、原因疾患不明の状態で現存する症状と障害に対して障害者手帳を取得することは、事実上不可能になりました。もし私の発症が1年遅れていたら、私は今まで生き延びてこれなかったかもしれません。
2014年には、佐村河内守氏の事件が報道され、障害者手帳の継続認定のあり方が見直される事態に発展しています。聴覚に障害を持つ方々は、現在の手帳制度の問題点や聴覚障害に関する世の中の誤解について積極的な発信を行いましたが、どれほど世の中に浸透したでしょうか。疑問です。
おそらくは、原因を突き止めることのできない症状によって障害が生じていても、手帳の交付を受けて「障害者」と公認されることができず、したがって障害者福祉の対象とならず、結果として生きることを諦めさせられる人々が、現在の日本には数多くいるのでしょう。私も、諦めさせられようとしました。過去形で書くのはまだ早すぎるのかもしれません。これから、生きることを諦めさせられるのかもしれません。

はっきりしているのは、たぶん非常に稀少と思われる障害偽装に関する報道が広く行われるたびに、それを利用した障害者福祉の事実上削減が起こるということです。その動きは近未来に、私自身の生存を不可能にするかもしれません。
障害を偽装するメリットは、「ない!」の一言に尽きるにもかかわらず、私はその可能性に怯えています。原因疾患、今に至るも不明なままですから。疑いをもって詮索する人に「◯病です」と言えればどんなに良いかと、私自身が思っているのに。
2008年の北海道のケースは、
「そうしないと生活保護を申請出来ない」
という、どちらかといえば障害者福祉以外の制度の問題が引き起こした事件です。
また、佐村河内氏のケースは
「そうしないと作曲家として売り出せない、ただでさえ自分は曲が書けなくて、作曲家として全く市場価値を持たないんだから」
という奇妙な個人のモチベーションによるものです。そういう特殊かつ稀少な事例によって、なぜ障害者一般、公認の障害者とされていないけれども障害を抱えている人々一般が、巻き添えを食わされるのでしょうか?

また、障害者手帳の継続認定の見直し、今のところは聴覚障害だけが対象ですけれど、全障害に発展する可能性があります。もし障害者手帳がすべて有期認定になったら、障害者福祉費用の「総量規制」、あるいは「都合の悪い障害者の息の根を止める」といったことに便利に使われたりするかもしれません。精神障害では、現在すでに、それに近いことが起こっています。

メディアの皆さん。
影響力の大きなブロガーの皆さん、大手メディアの皆さん。
どうか、「判断の難しい障害」の話を、タブー扱いしないでください。
その判断の難しい障害を、どう判断するかで、人の生き死にが決まることも多々あるのです。

今、「障害サバイバル」という書籍の準備を進めています。秋ごろ、山吹書店から刊行予定です。
この書籍には、私がどのように、どのような経緯を経て生き延びてきたかを、詳細に記してあります。障害者手帳取得のいきさつも含めて。

私は、自分でも良くわからないので気にすることを止めている私の障害ごと、タブーではなくなりたい。
良くわからないところがあることによって社会から「タブー」として排除されるのではなく、良くわからないところもあるけれど包摂される存在でありたい。
心からそう望みます。望んではならないことではないと思います。
そして、佐村河内事件から約半年後という(もしかすると最悪の)タイミングで、書籍「障害サバイバル」を送り出すことにしました。 

「アフター佐村河内守」の記録

「電動車椅子を利用はしているけれども、数メートル程度の歩行は可能」という私にとって、佐村河内守氏の一件と、それを受けての(ということになっている)厚労省の動きは、非常に痛手の大きな出来事でした。
佐村河内守氏に関する報道やネットの反応が引き金となり、私は幻覚妄想状態といっても良さそうな状況にまで陥りました。「いっても良さそうな」と書いているのは、その状態のまっただ中にある時に精神科を受診しておらず、それが精神科的にいう「幻覚妄想状態」そのものであるのかどうかは不明だからです。その期間に精神科を受診しなかったのは、恐怖から外出が難しく、かかりつけ精神科まで行けなかったからです。
現在は落ち着きつつあるので、どういう変化が起こったか、どう対処したかについて記録しておきます。

●時系列

・2014年2月6日
新垣隆氏謝罪会見。 この時は障害云々よりゴーストライティングの方が話題になっていたと記憶。私は、あまり大きな影響は受けなかった。というか渡米を控えてもろもろ多忙で気にするヒマがなかった。

・2014年2月10日
私、シカゴへ出発。

・2014年2月14日ごろ 
日本のニュースをチェックしていたときに、佐村河内守氏の障害偽装に関する大量のツイートが目に入る。中には「障害者はみんなチェックしろ」というものも。それらのツイートを見ている間に下痢した。
ちなみに私の場合、障害者手帳は再判定なしとなっているけれども、障害基礎年金で3年に1回の再判定を受けている。手帳と年金の両方で再判定なしとなっている障害者は、非常に例外的な存在。つまり、チェックならされている。そういうことを全然知らない人が、好きなように騒いでいることに、恐怖を感じた。

・2014年2月21日
日本の健常者が障害者を見る目がどうなっているのか恐怖を感じながら、帰国。
成田空港についてNEXを待つ間も、周囲の人々の視線が突き刺さるような感じだった。

・2014年2月22日~2014年3月5日ごろ
居酒屋での晩酌、カフェでの昼食などは、極力それまでと同じように行うようにしていたが、回数は激減していた。行きたくなかった。車椅子に乗っていたり、車椅子を降りて数歩歩行して席に座っている姿を見た健常者がどう考えるかと思ったら、怖くてしょうがなかった。冷ややかな視線、詮索がましい視線を向けられているような気がするが、胸を張って無視して飲食していた。
しかし食欲は激減していた。体重が3kg減少。

・2014年3月6日~3月9日ごろ 
非常な疲労感と恐怖感を感じるようになる。引きこもりがちに。西荻窪駅前まで出ることも難しくなる。立川のかかりつけ精神科に行かなくてはとは思うけれども、なにしろ駅まで行けないので電車にも乗れない。
この間に佐村河内氏の謝罪会見(3/7)があったようだが、ニュースを数本、ツイッターをチラ見したくらい。もう佐村河内氏どうでもいい、自分の精神状態の方がよっぽど問題、という感じ。

・2014年3月10日
友人の生活保護申請の付き添いで外出。カフェに入ったところ、知らない女性にジロジロ見られ続けるという出来事があった(参照)。この出来事をきっかけに妄想幻覚状態に。 

・2014年3月11日
夕方まで引きこもって過ごしていた。
しかし糖尿病もちの猫(摩耶、もうすぐ17歳)のインシュリンが切れていたので、動物病院(徒歩5分ほど)まで行かなくてはならない。夕方、やっとのことで動物病院方面に行く。まず朝から何も食べていなかったので回転寿司に入り若干の飲食。それからキャットフードや私自身の食べ物も切れているのでスーパーに。
行き交う人々がみな、自分のことを「偽装障害者ではないか」「障害者利権に恵まれていいご身分」「働かなくて済んでいいねえ」というふうに見ているという妄想が出る。人の顔という顔に、マンガの吹き出しみたいなものがついていて、そういうセリフが書いてあるように見える。やっとのことで動物病院に飛び込み、泣きながら用を済ませて帰途に向かう。通りすがりの人が自分を疑っていたり悪意を向けているように見えてしまう。私は「疑ってるんでしょう?」「何もごまかしてません、ウソついてません」「私、障害者福祉に甘えてません、働いてるんです、ウソじゃありません、証拠もあります」などと絶叫しながら帰宅。
頭のなかにあるだけなら妄想はまず問題にならないが、言葉や態度になって出てしまうと問題。私は
「妄想を絶叫してしまった」
と自責。もう生きていけないと思った。なんで「もう生きていけない」なのか、今からは理解できない。でもその時は、とにかく「生きていけない、早く死ななくては」と思った。そして二匹の猫を道連れに一家心中するしかないかと考えたが、猫を道連れにするのは忍びないので、愛猫家である25年来の友人に電話。話を聞いてもらい、落ち着かせてもらった。
そこに別の友人が来訪。用件は「カネがない、コメちょうだい」。非常用に備蓄している貴重な玄米(2010年福島産。長期保存可能なようにパッキングしてもらってあり、今でも新鮮な状態で食べられる)を5kg渡し、たわいない話をする。それで何とか落ち着いた。

・2014年3月12日-14日
なるべく外出を避けて過ごす。
1回だけ、上記の25年来の友人(居酒屋経営)の店に行く。私が佐村河内氏の事件以後、あまり精神状態がよくなくなっていることを心配した別の友人もやってきて、いろいろ話をした。少しは落ち着いた。しかし往復・店の出入りで人を見かけると怖かった。
この期間に大学院(4月から立命館大学先端研博士課程3年次に編入)入学手続き。不特定多数の人がいる街(西荻窪駅前といえども)に出ていき、写真館で証明写真を撮り、銀行の窓口で振込手続き……など。よくやれたと思う。

・2014年3月15日
立川のかかりつけ精神科へ。症状としのぎ方を相談。往復で非常に疲れた。不特定多数の人の顔を見ること自体が脅威。

・2014年3月16日-23日
「人が自分のことを疑念や悪意で見ている」という妄想はなくなったが、気が抜けたというか、いわゆる欠陥状態に近い状態に。気が抜けて虚脱状態という感じ。
外出や「他人がいる」に関する恐怖感は、それほど大きくはなくなった。
でも佐村河内氏の一件以後、障害者に対する日本の世の中の視線は、 冷たく詮索がましく無遠慮になったと感じる。また、障害者に対して悪意をぶつけることに対し、日本の世の中から抵抗感が若干失われたと感じる。今もそう感じ続けている。

●どう対処したか
 
・肉体の状況を少しでも良好に保つように心がけた。
 といっても食欲が非常に不安定になっていたし、家事をやるエネルギーもなかった。 
 せめて一日2回は食事をするように、うち1回は野菜や豆製品が入っている食事となるように心がけた。

・ふだんから、毎日リハビリを兼ねて入浴している。どんなに疲れていてもこの習慣は維持した。

・心身とも緊張が強いときには、外出が可能であればマッサージ店に入り、マッサージを受けた。
 さらに、その後すぐ寝るようにした。

・疲労・緊張・妄想が激しいときには、とにかく寝るようにした。
 帰国後の睡眠時間は、1日あたり10時間~13時間程度と思われる。

・仕事はなるべく通常通りに行うようにした。
 というか、仕事が行えるように睡眠・リラックスなどを充分に行い、
 精神状態が少しでもマシなときに集中して仕事した。
 「外に出る」「人の顔を見る」が妄想状態の引き金になるので、それさえ避けていればなんとかなった。

・とはいえ、この間、厚労省での傍聴2回、打ち合わせ2回のために外出する必要があった。
 不思議なもので、頭が仕事モードに入ると妄想さんが引っ込むため、なんとかなった。
 もっとも打ち合わせのための外出はやはり大変。
 「不特定多数の人がいる駅前に出て、不特定多数の人にジロジロ見られながら電車に乗る」
 とか考えただけで、朝から食欲がない。
 朝から何も食べずに、午後、打ち合わせをして、打ち合わせ後、空腹に気づいてファミレスに入ったり。
 するとそのファミレスから何時間も出られなくなってしまったりした。
 
●これからどうするか 

ただでさえ障害者に対する偏見が強く、障害者差別に対する本気の対処が行われていない日本の状況を、佐村河内氏の事件はさらに悪化させてしまった。田村厚労相や厚労省は
「ああいう一部の特異な事例のために、障害者がひどい目に遭うようなことがあってはならない」
というような言明を一度もしておらず、むしろその逆だし。
その日本で当面は生きていくしかないという事実は、考えただけで生き続ける意欲が萎える。
もうすぐ17歳になる猫の摩耶に、すこしでも長く、良い健康状態で生きてもらって天寿を全うさせるためにも、私は自殺するわけにはいかないし、ストレスで心身を痛めるような状況にありつづけるわけにもいかない。
当面は「猫のためにも死ねないから」と自分に言い聞かせながら日本で生き延びるしかないかと。
その間に、日本ほど障害者差別が酷くもなければ事実上の奨励もされていない国に、何らかの形で脱出することも考えたい。

佐村河内守(新垣隆)作品のお耳直しに

佐村河内守氏または新垣隆氏作の曲の数々、
「感動的、すばらしい」
と勧められて、ちょっと聴いてみたことが何回かあります。
「うーん、私にはちょっと」
が正直なところでした。
良し悪しを判断する以前の問題です。あまりにも退屈で聴き続けられなかったんです。
ところどころ、魅力的な音型や魅力的な和声進行があるんですけど、1分連続して聴いていると、
「あ、もういいや、さて、耳直しに何を聴こうかな」
という感じになります。

私はクラシック音楽が幼少時から非常に好きで、高校3年の1学期までは音楽系への進学を考えていたくらいです。
その後、第一次バンドブームのちょっと前、時代の流れに乗ってバンドでキーボード弾いてたこともあります。ハードロックでもヘヴィメタでもプログレでも、わりと器用にこなしていたので、よくバンドの助っ人に呼ばれてました。ジャズは苦手でしたけど。
でも一番「性に合う」のはクラシックなんです。
2002年、私はお金と時間を無理やり調達してフランスまで飛んでいき、ドビュッシーのオペラ「ペレアスとメリザンド」の初演100周年記念公演を、100周年のその日、100年前に初演が行われた劇場に行って聴きました。たぶん私は、ドビュッシー研究者を除いて、日本一「ペレアス」に詳しいんじゃないかと思います。高校生のときにハマり、小遣い数カ月分貯めこんでスコアを入手、楽曲分析して、当時だれも報告してなかったライトモティーフをいくつか見つけました。そのノート、たぶんウチのなかのどこかにまだあります。
今でも、ポツポツとですけど、作曲の勉強は続けています。作曲家になりたいとか作品を世に問いたいとかいうわけではなく、自分に欠かせない基礎教養、基礎体力の確保という感じです。
「クラシックの現代音楽」という、なんだか形容矛盾したジャンルの音楽も大好きですよ。中学生のときに武満徹にハマり、それ以後ずっと。今でも、その「クラシックの現代音楽」の作曲家の方々のうち数名と親交があり、初演を聴かせていただくようなこともときどきあります。

で。
今回の騒動で改めて、YouTubeで聴いてみたんですが。
やっぱり退屈。
やっぱり聴き続けられない。
部分的には魅力を感じる箇所もあるんだけど。
皆さん、なぜ聴けたんでしょうか? 私の感性がそんなにネジ曲がってるってこともないと思うんですけど?

内心同じことを思っておられる皆さん。
同じ「クラシックの現代音楽」の括りで、耳直しにふさわしい曲をいくつか推薦します。




メシアンも武満徹も過去の人? 
では現在存命中・活動中の作曲家の「クラシックの現代音楽」をどうぞ。
 

新垣隆さん。
まだお若いんですし、正統な作曲の教育を受けておられるようですし、まだまだ将来の可能性があると思っています。
いつか私に
「退屈で聴かれん!」
と言ったことを後悔させるような作品を、ぜひ生み出してください。
いろいろな経験を、作品に昇華して、仕事で結果を出してください。
期待しています。皮肉じゃないです。本気です。 続きを読む

大雨の午後、気持ちよく散歩

今日の東京は昼前から雨。今はもう土砂降り。ときどき強い風も吹いてます。
お昼すぎ、傘をさして外に出たら、すぐ壊れちゃいました。
気温にもよりますが、雨に濡れること自体は平気です。なにしろ福岡出身。傘がさせない台風の日でも自転車通学して育ってますから。

こんな日に外に出てる人は、それほど多くありません。
道路にもスーパーにも、人があまりいません。
人があまりいないということは。
自分がジロジロ見られたり、スマホを向けられたり(勝手に撮影されること結構あります)、親切と称する余計なお世話をされたり、罵声を浴びせられたり(頻度は低く一ヶ月に2~3回程度(佐村河内氏の事件以前)ですが)しにくい、ってことなんですよ。なんと嬉しい状況でしょうか。
いや、不愉快なことが全くないわけじゃないんですけど、頻度が通常の1/3とか1/5とか、もっと少ないかな? という感じ。
あまり外出向きの天気ではなく、したがって人があまり街に出てきていないので、障害者に対して微妙な嫌がらせや陰湿な攻撃をする人も少ない、というだけのことと思われます。

私は、土砂降りの雨に濡れながら、楽しく、外歩きを楽しむことができました。
締め切り間近の仕事はあるんですけど、この、せっかく恵まれた外出の機会に、思い切り外の空気を吸っておきたいと思ったんです。 次は何日先のことかわかりませんから。
雨に濡れながら、外を快適に散歩しました。人があまり通りすがらない道路を、ジロジロ見られたり指差されて何か噂されたりするような目に遭わずに。
それから、大きめのスーパー3軒に入って、店内をゆっくり見て回りました。買い物は、2月に米国から帰国して以来、最小限の時間でそそくさと済ませる(あるいはネット通販で済ませる)用事になっていました。
今、何が、どういう値段で並んでいるのか、時にはゆっくり見たいんです。でもそれは、不快な目・恐ろしい目に遭ってまでやるべきことでもやりたいことでもありません。
今日は「まあ、不快や危険はあるけれど、許容範囲かな」と判断できる日でした。

それでもスーパーでは、足を止めてジロジロ見たがる人を追い払うのが大変ではありました。
こういう時、いつも私はそちらを向き、相手がジロジロ見るのをやめるまで、相手の目を見返しています。これは佐村河内氏の事件以前からです。スーパーでも、路上でも、電車の中でも。それは差別ですから。車椅子に乗っている人間という「異形の者」を見た時に視線がそちらに向くこと自体は生き物の本能であるとしても、何十秒もジロジロと無遠慮に見つめ続けるのは(障害者)差別でしょう。差別があってはならないことである以上、自分が差別に遭うことも、あってはならないことです。「自分が差別に遭っている」」という状況を、可能な限り、その場で解消することは、障害者である自分がやらなくてはならないことだと思っています。
ただ、相手に目をそらさせるまでの所要時間は、佐村河内氏の事件以後、以前の2~3倍になった感じがあります。以前は3秒もかからなかったのが、今は10秒でも足りないことがあります。ときには、断念してジロジロ見させておくままにせざるを得ないことも。1分も2分も気持ち悪いニラメッコを続けるほどヒマじゃありませんからね。
もしかしたら佐村河内氏の事件で、「障害者をジロジロ見るのは一応はいけない」「相手が障害者だからといって不愉快な思いをさせるのはいけない」という抑制もかかりにくくなったのでしょうか? たいへん疲れます。でも今日は、なにしろスーパーの中にいる人の総数が少ないぶんだけ、少しはラクできた気がします。

久しぶりに、仕事でも「どうしても」でもない用事で外に出て、外の空気を吸って過ごすことのできた4時間でした。
2月、米国から帰国して、初めてのことでした。

毎日、こんなだったらいいのになあ。
街に出ている健常者が少なくて、したがって無理解だったり差別的だったりする健常者も少ない、こんな日が続けばいいのになあ。
明日も大雨だったり、横なぐりの雨だったり、外に出づらい天気だったらいいのになあ。雪でもいいです。積雪5cm以下なら、車椅子でなんとかならないことはないですから。
明日も明後日もその次もその次も、
「春らしく晴れた気持ちのよい一日」
なんかにならなきゃいいのに。
そうしたら、私は毎日、今日と同じくらい、安心して外に出られるのに。
買い物にも行けるし、郵便局にも銀行にも役所にも行けるし、気軽に病院にも行けるのに。
「仕事だから!」と自分を奮い立たせなくても、外に出られるのに。

3年前の東日本大震災より、日常の脅威

今日は3月11日です。東日本大震災から満3年です。
でも私にとっては、3年前の東日本大震災より、昨日の2つの出来事の方が大問題です。
3年前の東日本大震災では、東京も結構揺れたし、わが住まいでも「門柱折れる」「壁にヒビ」「浴室のタイル剥げ落ちる」「本棚3本倒れる」などの被害はありました。でもそれは3年前のこと。
昨日の2つの出来事は、近未来の私の生存・生活を危機に陥らせるかもしれません。 

●その一

昨日の午後、私は生活保護を申請する友人に付き添って福祉事務所に行きました。自分も(障害者福祉で)お世話になっている杉並区の福祉事務所です。といっても申請そのものには付き合っていません。
「何かあったら呼んでね」
といって、近辺にいました。
私は過去、3回ほど同様に生活保護申請に付き添って福祉事務所の近くや構内まで行ったことはあるんですが、カウンターや相談室の中、申請書を「出す」「出さない」の現場にまで付き合ったことはないんです。あくまで申請するのは本人なんだし、本人が申請できないとすればそれ自体が問題なんですから、最初から「福祉事務所性悪説」に立つようなことはせず、何かあったら呼んでもらえる態勢を整えておけば充分なのではないかと。で、結果として、中に呼ばれたことはありません。「もしかすると」ですけど、そういうバックアップ体制があって、本人がある程度落ち着いた態度で申請に臨んだ場合、いくらか水際作戦の類には遭いにくくなるのかもしれません。
しかし今回は気が揉めました。なにしろ友人は、相談室に入ってから4時間近く出てこなかったんですから。
私は最初の1時間は、猫糖尿病の臨床研究論文を読んで過ごしました。2012年10月、我が家の猫・摩耶(当時15歳)が慢性腎不全に加えて糖尿病を発症してから1年5ヶ月。日々のケアと治療費のやりくりが大変すぎて(当初の超大変な時期はとっくに過ぎましたけど)、糖尿病そのものについて調べたことはなかったのでした。その論文を読んで
「ひーっ! そんなに予後不良の病気でしたかーっ!」
と慌てたことを白状いたします。
まあ、でも、診断後の余命の中央値にそろそろさしかかろうとする現在、摩耶は元気だし、まだまだ頑張れそうだし……と気を取り直し、つぎの暇つぶし。バッグから本を取り出したのはいいんですが、既に読んでしまった本でした。丁寧に読みなおしたつもりでも10分。友人はまだ出てきません。申請に必要な書類は全部揃えて(何が必要なのかは本人が調べて揃えたということです)臨んだはずなんですが。
心配でしょうがないなあと思っていたら、お腹がギュルギュル言い始めました。心配と寒さで腹を下したようです。トイレに3回ほど行きました。それで合計15分ほどヒマが潰れたでしょうか。昨年11月半ば、日本南西部方面から私の生活の根幹を揺るがす攻撃があり、その時にも胃腸の具合が悪くなりました。今年1月半ば、その日本南西部の弁護士と対応を協議した翌日、2ヶ月ぶりに固体のUNKOが出ました。それで復調しかけていたというのに、2月半ば、佐村河内氏報道+田村厚労相の「障害認定を見直す」発言+ネット民の大喜び をシカゴで読んで、またUNKOが液状化。昨日朝は、半固体のUNKOが久々に出たところでした。それが午後、また液状化してしまった、というわけです。
ちなみに、私自身はストレスやプレッシャにそれほど弱い方ではないと思いますが、私の胃腸は弱いです。大学受験のころから、試験前日から当日まで固形物が喉を通りませんでした。大学の定期試験のときは、2週間ほどの試験期間全体にわたって固形物がほとんど食べられず、お粥・雑炊・スープの類をすすっていました。定期試験のたびに5kgほど体重を落としていたものです。若い女性としては、むしろ喜ばしいことでした。それに当時やっていた登山だの、かじっていたボルダリングだの、当時まだ続けていたフィギュアスケート(小学校高学年のときにちょっと習う機会があり、以後は可能なときに我流でやってました)だの、当時もやってて40歳くらいまで続けていた中距離走のためにも、体重が落ちて困ることはありませんでした。筋肉まで落とさなければね。ついでに、つけられる可能性のある勝手な「ご意見」を、先回りして潰しておきます。私にはっきりした運動障害が発生したのは42歳のときです。それと関係があるかどうかはわかりませんが、34歳の時に高熱を出して2日寝込んだ(寝込んでおり声も出せない状態だったため病院には行かず)ことがあって以後、走っていて突然片膝の力が抜けて転倒するということがときどきありました。でも10年近くもかけてゆっくり進行する運動障害の原因ってあるんですかね? それから、向精神薬を日常的に服用するようになった最初は29歳のとき。時間的関係からいって、心因反応説も、向精神薬の副作用説も、採用が困難かと思われるのですが。あ、心因反応は「屁理屈と膏薬はどこにでも……」という感じで、いくらでも「捏造」できるかもしれませんが。
話を、福祉事務所の相談室の中にいた友人に戻します。メールを打ってみたところ、数分後に返事があり、
「水際作戦の類に遭っているわけではないんだけど、書かなくてはいけない書類が多くて時間かかってる」
ということでした。何をそんなに書いているのかなあと思いましたが、とにかく待つしかありません。本人にヘルプを求められているわけではないんだし。
そして不安焦燥にかられた私は、決定的にまずいことをしてしまいました。自分自身の用事を済ませるために、福祉事務所の(身体障害担当の)窓口に一人で行く、ということです。
私は、昨日生活保護を申請した友人のように、杉並区と揉めたことのない人間ではありません。2007年、介護給付(ヘルパー派遣)を最初に申請した時に水際作戦に遭って以来、要注意・要警戒人物とされている可能性が高いです。そう見られている可能性がある以上、こちらも最大の注意と警戒を払わなくてはなりません。だからいつも、福祉事務所と接触するときは、場所が自分の住まいであれ福祉事務所であれ、弁護士や障害者運動家に同席してもらっています。相手は役所です。自分たちが過去にしたことを「正しい」とするために、なんでもやってくる可能性があります。役所性悪説に立ちたくはありませんが、昨日の翌日である今日は3月11日。災害の可能性には最大の警戒と最大の備えをすることは常識です。天災(の可能性)でなく人災(の可能性)というか自治体災(の可能性)というか、であっても同じこと。
自分自身の用事とは、介護給付を継続するための申請書に書類不備があったための修正と再提出でした。修正してほしいということだったんですが、どこをどう直せばいいのかよくわからなかったので、窓口で担当者に直接聞いてその場で修正しようと思ったんです。これ自体は別にまずくはなかったと思うんですが、その書類の修正中の会話、それから世間話めかしての会話で、私は一つ、明快なNoを言い忘れたんです。それから一つ、余計なことを言ってしまったんです。
私が現在受けている介護給付は、一ヶ月あたり約50時間です。これは1日あたりに必要な時間を一ヶ月31日分積み上げたものです。でも、現在までのところ最大で何時間使えたかなあ? 30時間程度かなあ? 私は、出張の多い月は、月の半分くらいは東京にいなかったりします。それに、土日を引き受けてもらえる介護事業所が未だ見つかっていませんので、土日は介護給付を使えていないのです。で、昨日、担当ワーカー氏に「使えていないけど、ゆとりの時間を希望するということですね?」と聞かれて、なんと答えたか忘れましたが、明快に「違います」と言わなかったんです。これがケース記録に「必要ないのに、ゆとりの時間を欲しがっている」と記録されたとしても、あまり不思議ではありません。これが、いい忘れた「明快なNo」です。
それから余計な一言とは。シカゴで佐村河内氏報道にまつわるもろもろを読んでいて腹を下した件。担当ワーカー氏が何と答えたか正確には記憶していませんが、「心因反応的なものになったんですね」というようなことを言われたんです。あああ、自分の愚か者! ニュースで下痢った話をしたうえに「心因反応」にNoを言わなかったとは!
最悪の可能性として私が2007年以来想定しているのは、杉並区が私の身体障害を「心因性のもの」「精神的なもの」としたがっている可能性です。身体障害者でなくして、ついで職業を維持していることをもって精神障害者でもなくして、すべての障害者福祉から私を切り離す。すると私は生きていけなくなる。かくして杉並区は、私に対して過去に行った不適切な対応を、私ごと消滅させることができる。めでたし、めでたし……。私自身には、ちっともめでたくない結末なんですけどね。
その最悪の可能性に結びつく言動を、昨日の私は二つもやらかしてしまいました。どうなるんでしょうか。
ちなみに昨晩は、喘息発作を起こしました。下痢→脱水→水分不足→喘息、という流れです。
「水分をしっかり撮ってリラックスして早寝すれば収まるだろう」
と見て、そのように対応しました。病院も救急車もイヤなんだもん。で、今朝は「ちょっと痰が絡み気味」程度に収まっております。しかし下痢は絶賛継続中。

●その二 

福祉事務所を出た友人と私は、西荻窪のデリカフェに入りました。ふたりとも申請お疲れさま夕食会、といったところです。お店のページへのリンクをわざわざ貼っておくのは、「二度と行かない!」という自分の決意表明と、以下に出てくる「階段」「構造物」などが実際にどのようであるのかを自ら確認したい方々の利便のためです。とはいえ、お店には全く恨みはなく、長年にわたって美味しいものを食べさせていただき、気持のよい時間を過ごさせていただいたことを感謝しています。でも、二度と行きません。お店に来る他のお客さんや、お店に出入りする時にお店の前を通りすがる人を選ぶことは、私には出来ないんですから。
そのデリカフェの入り口には数段の階段がありますが、すぐ横に、手すりとして私が利用することのできる構造物があります。もう何年も、日常的に利用しているデリカフェです。階段の下に車椅子を停めて、手すり代わりに構造物を利用しながら自分に可能な方法で階段を上り、ついでドア手すりを手がかりにしつつ入り……という一連の手順を数年前に開発し、大きな不自由なく利用できていました。過去何年にもわたり、不愉快な思いをしたことはありませんでした。
昨日は、佐村河内氏の事件が大騒ぎになってから初めて、そのデリカフェに入った日だった……と思います。その前に入ったのは1月だったかもしれません。2月中旬のアメリカ行きを控えて、1月下旬から出発直前まで「あれも、これも、片付けとかなきゃ!」とドタバタ。デリカフェで外食するだけの時間の余裕もなかったんじゃないかと思います。「思います」というのは、あまりにドタバタしてて良く覚えてないからです。で、帰国後は佐村河内事件+ネット民+田村厚労相の反応 で食欲が萎えてましたしね。それに階段の上にあるお店って、いくら入り口に手すりとして使えるものがあっても、なるべく利用したくないんですよ。いくら「方法はある」とはいっても階段の登り降り自体がしんどいし、転倒や転落のリスクはあるし。
昨日は、友人と私の腹具合・食べたいものなどを考慮して、久々にそのデリカフェに入ったのでした。でも、もう二度と行かないでしょう。階段がしんどい、階段自体がリスクである上に、昨日は多大な人的リスクまであることを思い知らされましたから。「食事する」のために、そんな危険をおかすことはありません。美味しいデリの数々が食べられるお店ではありますが、それらの危険と引き換えにして食べたいほどではありません。
友人と私が入った時、デリカフェの店内には他にお客さんはいませんでした。あとから、40代後半から50代前半と思われる、小太り・ショートカット・化粧気なし・陰険陰湿そうで頭の悪そうな女性が入ってきました。そして私たちをジロジロと見て、近くの席につきました。女性は席についても、こちらをチラチラ見ていました。
なんでそんなに見るのか不思議でした。「生活保護のくせに外食」とか言いたいんでしょうか? でも、友人の申請にまつわる話は、女性が来る前に
「まあ、申請はできたんだから、あとは待つっきゃないよ、2週間」
というふうに終えていました。女性が来たあとに話していたのは、ほぼ、各国の扶助・障害者福祉制度の比較にまつわる話です。日本で言われている「アメリカの福祉は……」があまりにも「つまみ食い」すぎる、という類の。
そうこうする間にも、私の腹は下り続けていました。というわけでトイレに立ちました。ゆっくり転倒しないように慎重に一歩一歩。そのようすを、女性がジロジロというかギロギロというか、という視線で見つめ続けていました。そこで気づきました。女性は、階段の下に停めてある車椅子の主が誰であるのか、その車椅子の主がいかに「明らかに車椅子が不要と思われる」かを気にしていたのでしょう。もしかすると、それを見届けることが目的で、わざわざお店に入って飲食物を注文したのかもしれません。女性が何を注文していたのか、食べていたのかどうかは知りませんが。
トイレの中で出すものを出して、しばらく呆然としました。いつものように、いつもと同じようにしていることなのに、大変なことになってしまった、と。私がこのデリカフェに来なかった1ヶ月強くらいの間に、佐村河内氏の事件があったわけです。それを考慮していなかった私は、決定的に深刻な事態を招いてしまったようです。
私はトイレから席に戻りたくなかったんですが、そういうわけにもいかないので、席に戻りました。やはり、その女性にジロジロギロギロ見られつつ。
ケタクソ悪いので、すぐにデリカフェを出ることにしました。立ち上がって二人分の支払いをし(なにしろ生活保護を申請するくらいだから、友人は深刻にお金がないんです)、ドアに向かいました。友人にドアをあけてもらい、入った時の逆で階段を降りようとして、店の中を見ると、女性がこちらを凝視しています。目は吊り上がり、なんだか怨念を感じるような視線でした。私はその女性を知りません。怨みを買うようなことをした覚えもありません。私は女性の方をじっと見ました。友人が私に気付き、私の視線の先にあるものにも気づきました。友人は
「あれが、みわさんがよくツイッターで怒ってた『ジロジロババア』なんだ」
と言いました。私は
「うん」
と答え、女性の方を見続けました。女性は目をそらしません。そこで私は女性に対して拳を突き出すような動作をしました。女性はそれでも目をそらしません。友人が
「相手にしないほうがいいですよ」
というので、それ以上の行動はやめました。友人がいなかったら、私はお店に取って返し、女性に
「何を見てるんですか!」
と大声を上げたかもしれません。そのデリカフェを出入り禁止になってもかまいません。お店のスタッフのせいではないとはいえ、そんなケタクソ悪い目に遭うお店にわざわざ出入りする必要はありません。入り口の何段かの階段がいけないんです。入り口の何段かの階段を、私が車椅子を使う障害者のくせに、なんとか登り降りする方法を見つけて登り降りしてしまっていたからいけないんです。佐村河内氏の事件の後でも、それまでと同じように登り降りしてしまったからいけないんです。自己責任、自己責任。
ちなみに過去、そのデリカフェに入る時、
「通りすがりのババアがわざわざ足を止めてマジマジ見ていた」
ということはありました。入った後で路上をふと見ると、
「通りすがりのババア3名ほどが、車椅子と私を指さしながら何かを話しているようす」
ということもありました。私の方は、
「見たきゃどうぞ、話のネタにしたかったらどうぞ、誰かに言いつけるなり噂を広めるなり、ああもう勝手にしやがれ!」
と思っていました。お店を出る時、そういう物見高いババアたちを
「見世物じゃないんですよ、何見てるんですか!」
と怒鳴って追い散らしたこともあります。でも昨日の出来事は、そういう「今までどおりの対応をする」という選択肢を私から全く失わせるほど強烈な体験でした。
友人と別れたあと、私は
「さっきの女性は、次にどういう行動を取るだろうか」
と考えをめぐらせました。杉並区にチクるのだろうか? ま、チクられても大した違いはないでしょう。そんな街中の行きずりの人よりも、私にはもっと恐れなくてはならない存在(参考)があります。「行きずりの人がチクった」が実際に起こってしまうとしても、大した問題ではありません。少しばかり問題であるとしても、2007年以来続いている杉並区との間の剣呑な状態が、もう少し剣呑になって継続するだけのことです。今までと大差ない気持ち悪い状況が続くだけでしょう。それとも、女性はラジオ番組や新聞への投書を行うのだろうか? 私は過去、荻上チキさんのラジオ番組に出していただいて
「見たところ、明らかに身体にどこも問題がないのに病院に来ている仮病の生活保護の人がいる」
という看護師さんの投書にコメントしたことがあります。それは大変不思議な投書でした。「明らかに身体にどこも問題がない」あるいは「仮病」であるかどうかは、カルテを確認すればすぐ分かるはずです。看護師が「カルテを見たら病気ではないと書いてあった」とバラすことには別の問題がありますが。「明らかに身体に問題がない」「仮病の」の根拠は「見たところ」です。いろんな可能性が考えられます。見た目で分からない病気や障害は、いくらでもあります。看護師だったら、そんなことは私よりも良くご存知でしょうに。そういう内容のコメントをした記憶があります。
こんどは、自分自身が
「歩けるのに車椅子に乗っている偽装障害者らしい人を西荻窪のデリカフェで見た、しかもそのデリカフェの入り口には階段がある。その偽装障害者は、スタスタと普通に歩いてトイレに行き、階段を健常者同様に登り降りしていた」
とかいう悪意たっぷりの自称「正義」による投書をされるんでしょうか? そのとき、かつての私のように
「その嫌疑の根拠、そういう嫌疑をかけること自体に問題がありませんか?」
というコメントをしてくれるコメンテーターがいればいいんですけど、そういうコメントが放送禁止になったりして。
あるいは、その女性が杉並区職員なのかも。職務に忠実に(皮肉)、適正化のため(皮肉)、正義のため(皮肉)、自腹を切ってそういう行動をしていたのかもしれません。あるいは私服警察官か。しかし尾行している私服警察官が、ああまで怪しい行動を取ることもないかと。
さて、13時を過ぎました。私は今日まだ、住まいから一歩も外に出ていません。ああいう健常者がウヨウヨしている街に出るなんて怖いです。銀行に行かなきゃいけない用事をはじめ、外に行かなきゃ片付かない用事があるし、もうすぐ確定申告だから税務署にも行かなくちゃいけないというのに!

3年前の東日本大震災が、大きな災害でなかったと言うつもりは全くありません。仙台にも石巻にも知り合いや友人がたくさんいましたし、従妹の一人は相馬で避難を強いられました。
でも私にとっては、3年前の東日本大震災より、日常のどこにでも潜んでいる脅威や落とし穴や罠、それらが近未来に強化される可能性の方が、ずっと深刻な「災害」です。

●補足1

「だから障害者手帳は定期更新制にすればいい。そうすれば嫌疑をかけられたときに障害者手帳を出せば済む話」
という意見がありそうです。
私の障害者手帳は、身体は更新なし、精神は2年ごとに更新されています。
身体の方は、2007年、1級(下肢2級+上肢3級)で申請したものが2級(下肢2級+上肢4級)に切り下げられる形でしたが手帳は取得できました。申請時と症状は変わりありません。杉並区の場合、肢体不自由の1級と2級では利用できる福祉サービスにあまり差がないので、「ま、いっか」と2級で妥協しました。しかしこれが3級になると、日常生活が事実上不可能になります。電動・手動とも、車椅子の交付は下肢の障害が2級であることが最低条件だからです。ちなみに2005年から2007年にかけての私は、障害はあれども身体障害者手帳はなく、一切の障害者福祉なしでしのいでいました。原理的に無理なことを続けるわけにはいかず、手帳を申請したのでしたが、その2年間、私がどんなふうに生きていたか想像することはできませんか? 障害ゆえに失う職業機会や収入機会がたくさんあり、補装具等の費用など出費は増えるわけです。しかも公認の障害者ではありませんから、障害者雇用の枠に入ることさえ出来ません。私自身、当時を思い返して「よく生きていられた」と思います。2匹の猫たちを守らなくてはならないということがなかったら、案外、あっさり自殺していたのではないかとも思います。障害者福祉が必要な人間に与えないこと、与えない可能性を高くすることのどこが「適正」なんでしょうか?
私は、身体障害者手帳の定期更新制の導入に反対します。定期更新制が導入されたら、更新のたびに、「どういう不利な扱いを受けるのか」「更新後はどうやって生きていけばいいのだろうか」と怯えなくてはならなくなるからです。そんな心配をしないで、自分のキャリアプラン、自分の将来計画を立てて、実現していきたいのに。「不利な扱いをされるのでは」「生きていけなくなるのでは」は、私の思い過ごしではありません。最初の手帳の申請時(2007年)に、級の切り下げに遭ってます。手帳が更新制の精神障害では、10年前から「適正化(自称)」による問題が多発しています。下の「補足2」をご覧ください。なんで佐村河内氏のような例外的な事例があるからといって、そうではない障害者が巻き添えを食わなくてはいけないんですか?
精神の方は症状も医師意見書の内容もほぼ変わらないのに、「3級→1級→2級」という不思議な動きをしています。理由はよくわかりません。理由は、私にも主治医にもなくても、たぶん東京都や杉並区にはあるんでしょう。
身体障害者手帳は更新なしですが、障害基礎年金では3年ごとに診断書を提出しての再判定が行われます。身体障害も精神障害も同様です。障害年金で「再判定なし」となる条件は、手帳よりずっと厳しいです。そこらへんにいる普通の障害者が「再判定なし」となる可能性は、まずありません。私も再判定を受けていますよ。
それでも、
「いや、2008年の北海道の偽装障害事件のときも障害年金が……」
とおっしゃいますか? 私の場合、障害年金の申請時に診断書を作成した医師と、再判定時に診断書を作成した医師は、別の地域の別の病院の別の医師なんですけど? しかも既に私が杉並区と揉めているので、偽装どころか、診断書を作成してくれるという医師、さらに、その診断書にことさらに不利な記述をしない医師を探すことにさえ苦労する状態なんですけど? 行政と当事者が揉めている場合、通常、医療は行政の味方です。ここは、強きを助け弱きを憎む、美しい日本(皮肉)なんですから。

……ここまで詳しく説明しても、言いがかりをつけたい人はつけるんでしょうね。はぁ。 

●補足2

最近、症状が変わらないのに手帳の級が切り下げられたり「手帳なし」になったといって悲鳴をあげている精神障害者が多いんですよ。公的な調査はありませんが、たとえばこちら。結果がどこかにまとめられているはずですが、URL見つけられず。
ちなみに、この調査が行われたのは2004年の話です。今はもっと大変なことになっています。
私は5人ほどの精神障害者の方に音声起こしなどの仕事をお願いしていますが、ここ3年ほど、その方々の手帳の更新や年金の更新のたびにオオゴトになっています。もともとの精神障害が悪化して、仕事をお願いできる状態ではなくなることもあります。「級が切り下げられたら」「年金なくなったら」という不安から仕事をやりたがって、でも不安焦燥感で仕事にならなかったりアウトプットの質が落ちたり。ときには「級が下がった(生活保護では障害加算に関連)」「手帳なしになった(生活保護では障害加算に関連)」「年金なくなった(生活保護を利用していない場合は収入ゼロに。一ヶ月あたり1万円程度の小遣い稼ぎ程度以上に働ける状態でもないのに、年金が切られるケースも)」で、さらに大変なことになったり。ここまで行くと、個人でケア出来る範囲ではありません。そこでソーシャルワークに力を入れている精神科医療機関につなぐことになるんですが、生活保護や自立支援医療を利用している場合、「転院する」を実現するまでが大変なんです。
5人が2年に1回(手帳)・3年に1回(年金)の再判定を受けているということは、ほぼ常時誰かが、「再判定前につき精神状態が……」「再判定の結果のせいで精神状態が……」ということです。自分も同じ問題を抱えています。
再判定がすべてを解決するかのように言う方々は、おそらく、再判定が10年前からどういうことになっているのか(症状や必要性を「適正」に反映したものではなくなり、むしろ過度に軽くなっている可能性の方が大きい)、その結果が日常生活や(限定されたものであるとはいえ)職業生活にどういう悪影響を及ぼしているのかまで考えているのでしょうか? 無責任に騒ぎ立てるのはやめてください!
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「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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