「みわちゃん・いんふぉ」は最近、ほとんど料理ブログと化しております。
 世には既に、数多くの料理ブログがあり、飽和状態です。
料理のノウハウやレシピを提供する目的で料理ブログに参入し、それなりの結果を出せたら、もう「偉業」というべきでしょう。
私は、ノウハウやレシピの提供を目的として料理の話を書き始めたわけではありません。その路線で結果を出すのは私には無理だろうと思いますしね。

書き始めたきっかけは、STAP細胞問題で研究者のノートへの注目が集まり、誤解も広まったからです。
紙のノートである必然性はありませんし、冊数も使用するノートのタイプも書き方も、「これでなくては」という基準があるわけではありません。
実験や研究が必要かつ充分に記録されていればよく、そのためには最初から研究用に作られたノートが都合よい、誰にとっても目的を果たすような方法にしたがって記録するのが都合よい、というだけの話。

しかしSTAP細胞問題は、実験ノート・研究ノートへの誤解のみならず、「実験屋の仕事」への誤解を世の中に広めているように思えます。
実験屋は、指示されたように手を動かすだけの労働力ではありません。「ピペド」と呼ばれる人々の存在や、労働力をふんだんに提供する「ポスドク問題」「大学院問題」はありますが。
私自身、筑波大時代の元指導教員に「言われたことだけやってりゃいいんだよ」と言われたことがありますけれども。
実験研究は、実験をやれば出来るようなものでもありません。
STAP細胞問題の背景には、「ピペド」に代表されるポスドク問題・大学院問題があります。大学教育にも研究機関の体制や採用プロセスにも、問題がなかったとはいえないでしょう。さらにファッション、お化粧、「オヤジ殺し」スキルなど数多くの問題が絡んでいるようです。

私は「実験屋の仕事」の中身を理解する手がかりを提供したいと思いました。
私自身、発生生物学の実験ノート見せてもらったってワケワカですから。
でも料理好きな人になら、料理の実験ノートならば「実験屋のアプローチ」「実験屋の考え方」といったものが何となく伝わるんじゃないかと。
それに、ほぼ毎日料理していて、小さくとも新しい知見や発展は毎回得ているわけです。それを記録して公開したら、誰かの役に立つかもしれないという思いもあります。人間の家族がいない私は、「食べてもらって家族の反応を見る」ができません。自分で作って自分で食べて自己満足する世界で閉じてしまうのは、ちょっとさびしいんですよね。
それに、人間に目の前で「美味しくない」と言われるのは非常に辛いものがあります。18歳のとき、作った味噌汁を母親が目の前で「まずい」とつぶやいてひっくり返したこと(他の家族は不満を言わずに食べていました。少なくとも、捨てるほど不味いものではなかったのだろうと思います)、2回の事実婚の相手がどちらも料理に関しては、両方フルタイム勤務の共働きなのに「作ってもらえて当たり前、自分好みにしてもらえて当たり前」というタイプの男だったことなどがトラウマになってもいます。

料理メモの公開だったら、そういう結果につながらない分だけ、いくらか安心です。
「他人の実験メモ、参考になることもならないことも、あって当然」
と割りきって読んでいただくことが、最もありがたいです。