猫と食事と西荻窪、ときどき旅する車椅子

ライター・みわよしこの日常つれづれ話



性差別

[死なずに生きててよかった]私が、弟と同等あるいはそれ以上に価値ある自分になれる方法

私は、3人きょうだい(自分・弟・妹)として、福岡市近郊で育ちました。
1933年生まれの父親は中学から、1939年生まれの母親は小学低学年から、戦後民主主義教育を受けて育っています。しかし両親の脳内は、戦前の「イエ」主義や、もしかすると法でも制度でもない江戸時代か何かの農村的封建思想で出来上がっていました。
「長男」である弟は、両親にとって何より尊重されるべきものでした。そこで私は壮絶なきょうだい差別を受けて育ちました。その内容について詳しくは書きませんが、幼少児の私の切実な希望は
「後ろから、弟にいきなり蹴られたり殴られたりしたくない」
「弟に痛い思いをさせられたとき、痛いと言いたい」
 「弟妹と母親が食事している同じ場所・同じ時間に、同じように、温かい食事をTVを見たり談笑したりしながら食べたい、床に正座させられ、食卓の裏や母親と弟妹の脚を見ながら食事時を過ごさせられ、何時間か後に冷えきった食事を食べるのではなく」
でした。

大きくなっていった私は、両親に理由を尋ねるようになりました。不公平だ、イヤだとは言えませんでした。
父親は、あいまいに言葉を濁して話題を変えたり、「そんなことを気にするのはおかしい」と言うばかりでした。
母親は、
「H(弟)は跡取り。女でナマイキなアンタなんか努力しても何にもなれない価値のない人間。Hは男だから立派な大人になって、たくさん稼いで、結婚して自分たちの老後を見てくれる価値ある人間」
と言うばかりでした。
それならば、客観的な「弟より価値ある自分」の証拠を作らなくては。
私は、そのように考え、さまざまな努力をしました。
しかし、学業成績は「女のくせに」「勉強だけできても」というdisりにつながるので、私の両親に対しては、あまり意味がありません。それに、あまり勉強向きでなかった弟の不機嫌や鬱屈の原因にもなり、まわり回って自分にどういう禍いがやってくるか。「成績が良かったために恐ろしいことが起こった」を、原家族の中で、私は数えきれないほど経験しています。なので、両親に対して「ヨシコはH(弟)と同じくらいには価値がある」と認めさせる目的に対しては、有効ではありません。
運動は、弟の運動能力があまりにも優れていたため、勝負にならず。
ピアノや書道にも熱心に取り組み、それなりの結果は出していましたが、弟の運動での「県大会入賞」などの成果に比べると、自分でも「価値あり」とは思えない程度でした。
では学歴か。親が認めたくなくても、周囲の人に「認めさせられる」はありうるかも。
就職して仕事を手放さずにいれば、自分の収入が弟の収入以上になるかも。そうすると、死んだり殺されたりしたときの「逸失利益」という形で、弟以上になれる。それは今の日本で誰もが納得する、命の値段。
自分だって
「自分の命が弟の命よりも高額だったら、自分の方が弟より価値がある」
は思っていません。でも、せめてそこで、「自分にも価値がある」と思いたかった。
障害者になっても、仕事は手放しませんでした。稼いでいれば「障害者だから逸失利益が低い」とはなりませんから。
でも、いろんなことがあって、仕事がほとんどできない数年間がありました。そこに原家族も関係があるのですが、それはさておきます。
2010年から2012年にかけ、父親は私に電話で、
「つつましく生きていければ、それで良かろうもん」
と繰り返し言いました。血縁からの実質的な縁切りは、それ以前、2007年に私が障害者手帳を取得したときに行われていました。
おそらく、父親は
 「生活保護で生きていけばいいだろう」
と言いたかったんだと思います。不要・有害と判断して縁を切った娘が、どこかで生活保護を受けても、「イエの恥」にはなりませんからね。

その間に、弟はキャリアを展開させ、安定した高収入の立場となり、皆さんが羨むようなステータスある女性との結婚をし、両親の深い理解と協力のもと共働きを継続し、子どもたちにも恵まれました。
「私の逸失利益が弟のそれを上回ることは、もう無理だろう」
と認めたのは、2011年末、私が47歳のときのことでした。
弟は子どもたちに恵まれたため、保険金の計算に子どもの育成・教育に必要な費用が加算されることになりました。それも含めて、私が抜き返すことは不可能でしょう。もちろん、子どものための費用の加算それ自体は、必要不可欠、当然すぎるのですけれど。
私は雨の中、外で声をあげて、手放しで泣きました。
私のそれまでの生涯をかけての闘いは、完璧な敗北に終わった。それは認めざるを得ませんでした。
人生詰んだ。
それが、偽らざる実感でした。
そして私は「余生」を生き始め、社会保障や社会福祉についての執筆活動を始めたのです。
物理やコンピュータに比べると「女っぽい」それらは、男である弟に勝つためには使えないので、関心はあっても仕事にしないできたのです。
でも、もう弟には負けが確定したのだから、最後、余生に後悔を残さないために、書いてみようと思いました。
そして現在に至ります。

つい最近、2016年6月のこと。 
私は、逸失利益を弟以上にする方法を発見しました。
あと15年くらいで、弟の子どもたちは成人し、扶養を必要としなくなります。
そのころ、弟は60歳を過ぎています。
弟が厚生年金との2階建ての年金を受給するのは何歳でのことかわかりませんが、 いずれは年金+就労収入、あるいは年金オンリー、になるでしょう。 
年金の金額でも、私は弟を抜くことができません。まず、弟の妻自身の年金もあります。
厚生年金加入者だった年数が通算で11年しかない私は、老齢年金を2階建てで満額ゲットしたって生活保護基準以下。だから、働き続けるしかないでしょう。
私がまだ働き続けているうちに、弟が働くことをやめたら?
その日以後、私の逸失利益は、弟を上回ることになります。

私は、なんと下らないことを考え続けてきて、今も考えているのでしょう?
別に、弟をぶちのめすために生まれてきたわけではなかったはずだし、そんなことがしたかったわけでもないんです。今も、したくてやっているわけではありません。
でも、私は、「自分が、少なくとも弟と同等の価値を持っている」と思いたかったんです。
生き、育ち、学び、働き、人と交流したりするにあたって、その前提条件として、「私の価値は、少なくとも弟と同等」と思いたかったんです。

4歳下の弟より一日でも長く働くことが、今の私の目標です。
そのためには、障害はあっても健康である必要があります。これは、なんとかなりそうです。弟はヘビースモーカーですけど、私は過去に一本もタバコは吸っていませんから。
「弟より一日でも長く働く」を実現するには、少なくとも向こう20年、ヘタすると25年・30年といった時間が必要です。その日まで、どうあがいても、私の逸失利益は弟を上回りません。
父親の「所詮は予定、所詮はつもり(どうせ実現しないだろう)」と嘲笑する声、何百回もぶつけられた声が聞こえる気がします。
でも、この目標に向かって努力しつつ、私は「すでに実現した」と思うことにしました。 
実現する前に、私が死んでしまうかもしれません。
でもその瞬間まで「実現した」ということにしておけば、少しでも多く希望を持って、明るい気分で過ごすことができます。それだけでも、私にとっての価値は「プライスレス」です。

52年かかりましたが、原家族トラウマを乗り越えてゆく糸口が、やっと見えてきました。
今日こう思っているだけでも、今日、生きててよかった。 

激ウツからの脱出の記録

私、元気に見えますし、けっこう元気ではあるんです。
しかし、これでも精神障害者(手帳は2級) で、
統合失調症という持病を持っております。
統合失調症の症状って、妄想のように派手な陽性症状と呼ばれるものと、
地味でわかりにくい陰性症状と呼ばれるものがあり、
私の場合は、ここ10年程度、ほぼ陰性症状のみです。
まあ、コントロールに成功している部類ではあるでしょう。

とはいえ、この陰性症状が結構厄介なんです。
「ウツっぽい」「注意散漫」「易疲労感」
 といったものが中心です。
薬が効く人や、効く場面もありますが、
私の陰性症状に対しては、薬はほとんど効果がありません。 
さらに、これらの陰性症状は、冬に出やすい傾向があります。
これは日照量と関係があると思うので、
なるべく午前中に外出して太陽光線を浴びるようにしています。
とにかく、症状は陽性でも陰性でも
「出る前に予防する」
が一番です。
でも、そういう注意を払っていても、
大きな精神的ストレスがかかると
……はい 、今年は出ちゃいました。

今回、「まあまあ復調したかな」といえるまでの、
激ウツと回復の記録です。



●2013年11月中旬


悪化の引き金となった問題Aと問題B(Aより派生)が、
日本南西部方面で発生。


この時の症状は以下のとおり。 

- 口の中がザラザラした感じ。食事の味がしない。
-安眠できない。夜間に何回も目が覚める。
-不安焦燥感。
-身体全体のこわばり感。
-血圧上昇(ふだん、125/80 mmHg 程度だったのが、150/110 mmHg  程度に)
-意欲低下。猫の食事の世話や16歳の猫への注射・皮下補液もしたくなくなる。
 (注射・皮下補液は、どうしてもやる気のない日に数回サボったが、
  幸いに16歳の猫は今日も元気)
-充分な食物繊維を摂っているのに便秘気味に

対策として

-味を感じなくても食事を定期的に摂る
-それ以上の悪化を防ぐために、睡眠を確保する

を実行。
また、直後、問題Aについてのみだが、

-長年お世話になっている障害者運動家
-障害者団体の人権擁護部門
-かかりつけ精神科のソーシャルワーカーと精神科医

に相談。
事態が最悪の進展をした場合にどうなるか、
その最悪の進展に対してどういう対策ができるか、
ざっくりとではあるが、考えることができた。
さらに精神科ソーシャルワーカーのアドバイスで
障害者の人権問題に詳しいX弁護士に相談予約をした。
藤岡毅弁護士には、ふだん、非常にお世話になっておりますが、
X弁護士は藤岡弁護士ではありません。



この時期、仕事は穴を開けずにできていた。
しかしこの時期から昨日まで、ほぼ毎日飲酒。
酒量も結構なもの。
一日あたり平均で、日本酒換算1.5~3合くらいか。

●2013年11月下旬 

-高知・松山に出張(2泊3日)
-大阪に出張(1泊2日)

身体のこわばり感や疲労感の背後に身体疾患が隠れている可能性を考慮し、
関節リウマチ専門医(かかりつけ)を受診。
身体疾患の可能性は否定された。 
しかし、不安焦燥感は、さらに増大。
睡眠が充分にとれない状況も深刻に。
睡眠がとれていない上に、
生活保護法改正案・生活困窮者自立支援法案が
衆院に(参院先議のため)。
疲労とストレスでフラフラに。
酒量はさらに増す。

高知出張時、気分転換目的で、温水プールで泳いだ。
2年ぶりのこと。
身体が暖まったので布団をかけずにうたた寝していたら、
風邪を引いた。
数日後には気管支炎に。



●2013年12月上旬

-X弁護士に相談(「法テラス」利用のため無料)。
 問題Aの進展の可能性と、
 進展それぞれへの対策の可能性を検討。
 問題Aについては、傾向と対策らしきものがひとまずは判明した状況。
 
-別の知人のアドバイスで、日本南西部方面のY弁護士にも相談予約。
-改正生活保護法・生活困窮者自立支援法、成立。
-沖縄出張(2泊3日、那覇・恩納) 

気管支炎は治らず。
ひどい咳と痰が続く。
うつ気分、疲労感、不安焦燥感、さらに激しくなる。
便秘と激しい下痢を繰り返す状態に。
仕事はできていたが、日に日に疲労感が増していった。
沖縄出張、先送りできるのだったら行かなかったと思う。

●2013年12月中旬 

-問題Aが解消したとカモフラージュする目的かも? と見るべき問題Cが発生。
 問題C自体は面倒かつ長期化しそうではあるが、深刻な問題ではない。
 しかし問題Cにより、問題Aから派生した問題Bが表面化。

-石垣島出張(3泊4日、石垣島・竹富島)

うつ気分、疲労感、不安焦燥感で泣きたいくらいだった。
しかし、諸般の事情で先送りができず、行ってくることに。
便秘と下痢の繰り返しは継続。

-精神科に通院

気管支炎も見ていただいた(内科併設)。
処方された薬で、ようやく少しずつ快方に。

この時期も仕事はできていたが、
疲労が蓄積してきており、
能率は非常に低下していた。



●2013年12月下旬


-年末の締め切りラッシュ
-12月30日、自分の誕生日で友人たちが来て家飲み

疲労消耗感、不安焦燥感が激しくなる。 
仕事が遅れがちになる。
便通は、ほとんど下痢。
ときどきトイレが間に合わず、毎日のように大量の洗濯をすることに。
(うちの洗濯機に簡易乾燥機能があってよかった)

風邪はほぼ治癒。

●2014年1月上旬 

-「緊張の糸が切れた」 というべき脱力状態に。
-一方で、長年の懸念Nが解消方面へと向かう。
 喜ぶべきことではある。
 しかし、これでさらに脱力。
-夜、酔って友人たちに電話して、
 問題Aとについての不安と恐怖を語って泣き叫んだことが
 何度かあったらしい(記憶にない)。
-酒量、さらに増える。
 多い日は、日本酒換算で5合くらい。
-血圧は 125/90 mm Hg 程度になる。収縮期血圧がなかなか復旧しない。
-インフルエンザ予防接種を受けたところ、
 注射した箇所が腫れ上がった。
 病院に行くヒマもなく放置していたら、10日ほどで収まる。

激しい疲労感でいっぱい。
朝起きたら、すでに疲労困憊している感じ。
便秘が続く。浣腸を使わなければ排便できない状態に。
充分な食物繊維を摂っているはずなのに、便はごく少量。
仕事がどうしてもできない状態に陥り、
新年早々、「生活保護のリアル」を2回休載。
とにかく、
食事・睡眠・入浴(身体を洗いたくなくても浴槽にお湯を張って浸かる)を
確保。

●2014年1月中旬

-漫画家のさいきまこさんと大阪出張。
 非常に密度の高いスケジュールだったが、
 さいきさんという得難い仲間と一緒の2泊3日で、
 かなり心身ともに回復した。


-問題AとBについて、日本南西部のY弁護士に相談(有料:正規の相談代金で)。
 Bについては明快な解決の道が見えた。
-年明け初めての精神科受診。
 状況をかかりつけ精神科医に報告。
-血圧はほぼ復旧。125/80 mmHg 程度。

Y弁護士に相談した翌朝から、便通は正常化。
その後3日くらい、スポン、スポンと面白いように出た。
「薄皮をはぐように」という感じで
ウツ気分や不安感が薄れていく。
不安の根源である問題Aと問題Cは対処も解決も困難なので、
不安「感」だけ薄くなっても無意味かもしれないが、
不安「感」が薄くなれば、冷静にタフに対処することが容易になるから、
強い不安感を抱えているよりはマシなのだと思う。

●まとめ

-優先順位を、
 猫ともどもの生存>生活>仕事
 とした。
 結果として、仕事のほとんども含めて、ほぼ全部を守れた。
 この優先順位付けは正解だったと思う。

-早期に、身体の問題である可能性を考慮して
 リウマチ科を受診した判断は、非常に正しかったと思う。
 「リウマチが悪化しているのかも、その他の病気があるのかも」
 という懸念から早期に解放された。

-認知心理療法に1980年代(伊藤順康先生による)から馴染んでいたことは、
 かなり力になったと思う。
 ノート一冊(あるいは紙一枚)とペンがあれば、いつでも誰でもどこでもできる。
 お勧め。

類書たくさんありますけど、このセットが最良だと思います。


-信頼できる人々が周囲に、それもさまざまな分野に
 (政治・法律・精神医療・障害者運動・近所の居酒屋など)
 数多くいてくれたことは、本当に力になった。
 具体的に何かできることがなくても、
 話を聴いてもらうだけでもありがたかった。
 特に、長期化する見込みが強い問題Cについては、
 今後も、話を聴いてくれる友人たちの存在が
 最大の力になると思われる。

-自分で問題の切り分けを行い、
 「この部分は……さんに」
 と、各方面のさまざまな方々に相談を行えたことは、
 問題AおよびBのインパクトによる激ウツからの早期脱却に対し、
 非常に有効だったと思う。
 現在のかかりつけ精神科には復数のソーシャルワーカーがいて、
 そちらに一任してしまうことも可能ではあったのだけれども、
 あくまで、自分が主体となって解決の方向性を探ることができたことで、
 この問題によって自己肯定感を低めさせられずに済んだと思う。

-重圧に耐え切れないときに悲鳴をあげられたことは、
 結果として、問題を少しでもこじらせないことにつながったと思う。
 「酔って深夜に覚えてない電話を」のずっと手前で、
 自覚して悲鳴をあげていれば、もっとよかった。

●課題

-カウンセラーを全く利用しなかったことは問題だと思う。
 行く元気もなかったからなのだけど、
 そこまで消耗する前に、
 早めにカウンセラーのところにも行っておくべきだった。

-生活面での負荷は、もっと減らせたし、減らすべきだった。
 たとえばヘルパー派遣時間数を増やし、
 ふだんお願いしていないこと(料理など)もお願いするなど。 

-ふだんから仲間・友人に対して、
 愚痴をいう習慣をつけておくべきだった。
 少しぐらいは、言ってもいいのだと思うし、
 嫌われない愚痴の言い方というのもありそうだし。

-解決できるのは問題Bのみ。
 それだけでも、早急に、今週中にでも解決しておく。

-このような問題が発生する状況自体が問題なのだが、
 なにしろ、相手あること。
 「問題AとCが最悪の方向に向かう」
 という前提をおき、
 早期に問題A・問題Cそのものから
 離れることも視野に入れる必要がある。
 どんなに急いでも2年はかかるのだが。
 

-最後には生活保護があるし、
 生活保護を使って逆転できる可能性も(まだ、たぶん)あるんだから、
 それを信じてヤケにならずに生きていかないと、ね。

 
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「おしゃべりなコンピュータ
 音声合成技術の現在と未来」
(共著 2015.4 丸善出版)


「いちばんやさしいアルゴリズムの本」
 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
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「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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