猫と食事と西荻窪、ときどき旅する車椅子

ライター・みわよしこの日常つれづれ話



車椅子

[旅する車椅子]2013年夏に欲しかったブエノスアイレス情報

2013年夏、私はWFMH日本支部から助成金をいただき、ブエノスアイレスで開催されたWFMHの世界大会に参加してきました。
助成金の総額は、健常者なら問題なく利用できる安めの個人ツアーと同額でした。
当時の我が家は、キャンセルしたら全額が戻ってこないツアーは利用できない事情がありました。というわけで、フライトと宿泊は別途確保。
フライトは、私の知る限りは最も車椅子への対応が安心できるANAさん+提携航空会社 にお願いすることにしました。提携先のフライトでは、ANAさんから必要な対応を申し送っていただき、なんのトラブルもありませでした。
問題は宿泊でした。ブエノスアイレスのホテルやドミトリーのバリアフリー情報が、そもそも非常に少ないのです。
「バリアフリーです」と明記してある一部高級ホテルは存在するのですが、価格面で論外。
といって、「ごめんなさい、車椅子では無理です」と明記してあるホテルが存在するというわけでもありません。
困りました。 

  • 困ってしまってH.I.Sさんに相談、そして解決
とりあえず H.I.Sさんのサイトで、「写真に映っている範囲ではなんとかなりそう」と思ったホテルを予約し、備考欄に「車椅子利用です」と書いておいたところ、翌日、お電話があり、「このホテルは車椅子対応ではないということです」。入り口に4段ほどのステップがあるとのこと。そりゃ確かに無理です。
そのホテルはキャンセルしていただくしかなかったです。行っても泊まれないのでは、ね。
「何日かお時間いただきますが、現地スタッフに調べてもらうことはできます」
ということなので、当方の必要とする情報(バリアの内容と程度(たとえばステップが1段あるとして、高さは何cmなのか)とともに、お願いしました。「現地スタッフ」といっても常駐しているわけではなく、「アテンドを必要とする日本人が行く」などの必要に応じて契約する方のようでした。
数日後、ホテル情報を知らせる電話とともに、「電話で今予約を受け付けることもできますが、ネットで予約していただいたら、もっと安くできますよ」とのことでした。
私は、いただいた候補の中からホテルを選び、安全に快適に、充実したブエノスアイレス滞在を楽しみました。
H.I.S.さん、あのときは、どうも。今も感謝しています。
 

  • 自転車のタイヤ情報は得られず、代わりにお説教と中傷が
 
一方でこのとき、私はブエノスアイレスの自転車のタイヤに関する情報がわからず困っていました。自分の車椅子のチューブのバルブは米式です。ポンプは持ち歩いているものの、チューブの空気が抜けた時に自力で入れられない私にとっては大問題です。
現地ブエノスアイレスで使われているバルブの主流は何式なのでしょうか? 路面の状況はどうなのでしょうか? ノーパンクタイヤにしておく必要があるのでしょうか? まったく、情報が得られませんでした。
私が知りたかったのは、「ブエノスアイレスの街中の普通の自転車屋さんは、米式バルブに対応可能ですか?」だけです。ごくごく簡単な話です。
ツイッターで尋ねてみたところ、「車椅子なら、障害者を対象にしている旅行代理店にお金を払って依頼すべきだ」というお説教。「そこまでの経済力はない」と答えると、「なら行くな!」とのお返事。車椅子と言わず、自転車と言っておけばよかったのでしょうか? 「現地の障害者団体に問い合わせる」という知恵は、その時は沸きませんでした。
結局、自転車レースの熱烈なファンである友人の医師が「バルブのアダプタを持っていけばよいのでは?」とアドバイスしてくれました。
 
なお現地は、表通りといえども歩道はボコボコ、深さ数十センチメートルの陥没があちこちにあり、夜間に青少年が落書きをしたりガラス瓶を割ったりするものだから、ガラスの破片があちこちに。なにしろ若年失業率が20%超。そうもなりますわな。
滞在中は一度も、タイヤのトラブルはなかったのですが、NYCでフライトを乗り換えようとしたらガラスの破片が突き刺さっており、抜いたらしっかりパンク。まあNYCなら「セントラルパークの貸し自転車屋さんのあたりまで行けば、なんとかなる」です。幸い、それだけの時間はありました。
セントラルパーク近くの自転車屋さんに、車椅子用の特殊チューブはありませんでしたが(そりゃそうだ)、代用できるチューブの在庫はありました。かくして私は、JR西荻窪駅から住まいまでの行程を、パンクしてない車輪で安全に帰ってくることができました。でもこれ以後は、予備チューブを持ち歩くようにしています。


  • まだ障害者になっていない健常者の方へ

障害者が必要としているのは、「障害者だからといって特別扱い」であったり、あるいは「障害者に対する完全な対応」といったものではありません。
たとえば障害者が旅行したりお店などを利用するにあたって、「完全バリアフリー」を求めているとは限りません。「今どき、新規に建造される大規模建造物にわざわざバリアが」は大変困りますが、古い街や古い建物も数多くある日本で、物理的な「どこもかしこも完全バリアフリー」を実現するのは、少なくとも向こう数十年レベルでは非現実的すぎます。それを最もよく知っているのは、街や交通のバリアフリー化を求めてきた障害者運動家自身ではないかと思われます。
私自身についていえば、「完全バリアフリーではないようだけど、バリアの内容と程度は?」が事前に判明すれば、それで済む話であることが実に多いのです。

「障害者を排除したいわけではないけれど、何をどうすれば排除にならず、なおかつ自分が責任を問われたりしないのか?」
といったことで誠実に悩まれている方々は、ぜひ障害者本人に、
「どういう情報があれば、あなたが判断できるのですか?」
と聞いてみてください。  
「明確に」か「こっそりと」かは別として、障害者を差別して排除したい方には、私は「変わってほしい」「何かしてほしい」とは思いません。ただ、「あなたはまだ、障害者になっていないだけだ」とだけ申し上げておきます。

2015年2月19日(米国時間)-2015年2月20日(日本時間)・帰国前夜のトラブル、「アメリカの方」からの土産、猫たちと再会

午前0時ごろ、ベッドに入ろうとしたところ、ドアがノックされました。
名乗りもせず用件も言わないので、「?」と思い、反応せずにいました。
するとホテルの中庭(モーテルなので広い中庭がある)で、爆竹の大きな音と若い男女の騒ぐ声、火薬の臭いがしてきました。
隣の部屋から中年男性が出て「今何時だと思ってるんだ、ファックユー!」とか言っていました。
若い男女は「なんだよジジイ?」的に男性に詰め寄っていました。
すると別の部屋から、次々に中高年の男性が出てきました。最終的には4名ほどだったようす。
私は自分の部屋で、最大に襲われにくく反撃が容易な態勢を整え、すぐに警察に電話かけられるように準備して身構えていました。だから、外から聞こえてきた部分しか理解していません。
こういうとき、「自分が被害者にならない」というのも、最大の協力の一つだと思います。
以下、Facebookでの友人たちへの実況中継より。

(自分)
最初は怒鳴りつけてた宿泊者のおじさんたち、若者たちを説得しているなう。
 とりあえず花火は止まった。兄ちゃんたちの反抗、続いてはいるのだけど、トーンはだんだん下がってきた。
何と言ってるのかまでは聞き取れない。

(友人M・福岡の予備校時代からの友人、教育職)
 勇気あるおっちゃん。

(自分)
おっちゃんは複数です。2人か3人。増えつつある。兄ちゃんたちは5人くらい。
対話はまだ続いているなり。
よくわからないけど、兄ちゃんたちに言いたいこと言わせながら、説得しているもよう。

(友人M)
がんばれおっちゃん。

(自分)
このモーテル、そんなに客層がいいわけではないんです。トラック運転手や末端のセールスマンという感じの人が主。そういうおっちゃんたちが、辛抱強く兄ちゃんらを説得し、いけないことはいけないと言っておる様子。
兄ちゃんら、説教されると口笛吹いたりして反抗するけど、本気の反抗という感じではなくなってる。
米国って、普通の人たちが偉いので何とかもってる国なのかもしれんと思ってたが、どうもそうなのではないかと確信しつつあるなう。
おっちゃんの一人が、兄ちゃんに「何がしたいんだ?」と言ってるのが聞こえた。兄ちゃんら不平不満をぶちまけたりツバ吐いたりしとる様子。

(友人M)
SBホテル(注・福岡市にある一泊3000円台からのリーズナブルなホテル)的なやつ?

(自分)
あんなに上品ではないよw

(友人M)
身をひそめとき。

(自分)
うん。思い切り襲いにくい態勢を整えておるなり。
とりあえず杖は隠しとくか。武器に使われたらえらいこっちや。

(友人M)
なにもないことを祈る。てか日本でもありがちな光景だな。俺も近くで夜騒いでるやつらに「優しく」注意したことがあるけど、一人から逆切れされて、もう一人がとりなした。

(自分)
兄ちゃんら去りぬ。バイクをバリバリ言わせながら。
まあ日本でもよくあるシチュエーションではあるんだよね。誰も出てこないことかな、日本の違いは。
東京で15年住んでる町の隣町に愚連隊がよく暴れてる界隈があってさ。すぐそばに警察署があるのに、見て見ないふり。コンビニ前でたむろってるタイプの兄ちゃんたちは、特に怖いと思ったことないよ。暴走族の兄ちゃんに車椅子の運転スキルを褒められたりとかw

(友人M)
「愚連隊」っていつの時代じゃああ。昭和

(自分)
愚連隊って本人たちが未だ名乗ってたりするよ。
いやしかし、凄い。一時間近く兄ちゃんらを説得し、話を聞き、平和に立ち去らせたおっちゃんたち。

(友人M)
さすが!

(自分)
凄いよね。地域コミュニティでも血縁でもなく、ただ同じモーテルに泊まりあわせただけのおっちゃんたちの協力。最初の一人は最初は怒鳴ってるだけで、Fuck You とか言ってた。でも二人目三人目四人目のおっちゃんたちが出てくるたびに流れが変わって、説得と対話モードになっていったの。本当に自然に。
ふー。安心して寝られる。おやすみー。こちら、ただいま朝の1:30。

(友人T・シリコンバレーの別の地域に在住する大学院生)
San Joseって高級住宅地なので、そういうのは滅多に出会えないんですけどねー。Motelなら他の地域から来た連中かも知れませんね。

(自分)
あ、私が泊まってたのは、困窮者支援センターもあるような、かなり寂れたところです。ダウンタウンから3kmくらいなんですが、かなり荒廃した感じの地域です。広い駐車場があるショップの前を朝方通ると、駐車場に割られたガラス瓶が転がってたりとか。

ダウンタウンにも、安全で栄えてる感じの通りから一本隣の別の通りが、ラリったり喧嘩したりしてる若い男性たちの溜まり場みたいになっていて居るだけで怖いような場所があったりします。
サンノゼ一箇所だけでも、「地域を理解する」は容易なことではないと痛感するのですが、今日は帰国日です。
私の最大のミッションは、「ね子ども」たちを守ることです。 
ペットシッターさんにお任せして出張しているわけですが、自分自身がミッションに戻る時が近づいてきました。 

6時過ぎに起床。
身支度をし、ホテルで朝食(パン・フルーツ・コーヒー)を食べ、忘れ物がないかどうか確認し、予約したイエローキャブが8時に来るのを待ちました。
イエローキャブでサンノゼ国際空港へ。20分程度、チップ込みで29ドルくらい。
車椅子が載せられるサイズでも運賃は変わらないようです。
ただ、日本でいう「簡易電動車椅子」が限界でしょう。重さ的に。

空港ロビーにはピアノがあり
「ご自由にお弾き下さい、ただし、ガンガン打鍵しないでね」
と。
めっちゃ上手なお兄さんが、ショパンやジャズのスタンダードナンバーを演奏していました。

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早めにチェックインしてラウンジで朝ごはんパート2。
(生意気にもANAのスーパーフライヤーなので、ラウンジが利用できるのです)
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カリカリとクリスピーに焼かれたジャガイモ。
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搭乗。サンノゼに別れを惜しむ、故・悠(1998-2013)。
また来ようね、悠。 
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プレミアムエコノミーにアップグレードしてもらえたので(スーパーフライヤー特権で無料)、ちょっとだけ豪華です。スパークリングワインや本格的デザートがあったりなど。

呑んだくれるカーチャンに「めっ!」と言いたそうな悠です。
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4時間ほど爆睡して起き、お蕎麦をいただいて仕事をはじめました。
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機体は何かと世の中を騒がせているB787。
シャッターではなく、偏光板(?) で外の太陽光線が遮られています。
なんだか幻想的な風景です。
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着陸前の食事。
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成田に着きました。
NEXに乗る前に、スターバックスで日本風のアイスコーヒーをいただきました。
はー、日本だぜえ! 
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新宿駅で中央線に乗り換えるとき、「最悪!」と言いたくなる、危険すぎる移動介助を受けたりということはあったものの、無事に西荻窪に到着。
帰途、スーパーで、留守番していた猫の摩耶(17歳9ヶ月2日)と瑠(6歳9ヶ月)に、おみやげを。
おかーさんが「アメリカの方」でつかまえてきた、鶏と魚だよ!
(このスーパーは、方角的には「アメリカの方」です)
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摩耶、会いたかったよ! 元気で留守番、ありがとう!
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瑠も元気です。
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おかーさんの「アメリカの方」からの土産に、一家で舌鼓を打ちました。
これは私の分。辛味大根をトッピングしたカツオたたきに、日本酒(右側のくまモンカップ)。 
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疲れが一気に出て、ぐったり。
摩耶に夜のインシュリン注射を打ったら、即、爆睡しました。 

車椅子での階段昇降は、車輪のおかげではないのでは?

ショックを吸収するホイールが開発され、車椅子の乗り心地を劇的に向上させたそうです。

WIRED: 車椅子の乗り心地を変えた「ショックを吸収するホイール」 

たいへん期待出来る製品ですが、なんとも誤解を招きそうだなあと思ったので、現役の車椅子乗り(若干なら手動運転も可能)として一言。

  • 前輪キャスター用には既存製品あり
ホイールの改良という形ではありませんが、「車輪でショック吸収」という発想はかなり前からあり、製品も世に出てきています。
空気の入っている後輪より、前輪キャスターの方が、ショックの影響は大きいのです。
「ふくしチャンネル」に、カヤバ工業の製品「ポルテ」の紹介記事があります。「ポルテ」は、2001年に発売された衝撃吸収キャスターです(カヤバ工業は油圧機器・ショックアブソーバーなどを含む機器の専門メーカーのようです)。

  • このホイールを車椅子に装着したら階段昇降ができるわけではない
このホイールを装着した車椅子で、階段を降りることを含む移動を行う車椅子使用者が出てくる動画です。

現在の通常の手動車椅子にも、同様の階段昇降の技はあります。
車椅子のコントロールがかなり上手な人でないと危険ですけれども。 
この動画に出てくる階段降りは、ごく一般的な、車椅子での階段昇降です。
そもそも車椅子をコントロールできてない人・あるいはコントロールが容易な車椅子を利用していない人が、このホイールがあれば階段昇降できるようになるわけではないのです。
つまり、バリアフリー化・アクセシビリティ向上は、今後も課題でありつづけるということです。
並行して、車椅子を必要とする人に交付される車椅子の内容の向上も必要でしょう。現在の標準品は、コントロールが困難である上に、乗っていれば身体を壊す代物ですから。

誤解が広まったらイヤだなあと思ったので、多忙で死にそうですが、書いておくことにしました。
 

大雨の午後、気持ちよく散歩

今日の東京は昼前から雨。今はもう土砂降り。ときどき強い風も吹いてます。
お昼すぎ、傘をさして外に出たら、すぐ壊れちゃいました。
気温にもよりますが、雨に濡れること自体は平気です。なにしろ福岡出身。傘がさせない台風の日でも自転車通学して育ってますから。

こんな日に外に出てる人は、それほど多くありません。
道路にもスーパーにも、人があまりいません。
人があまりいないということは。
自分がジロジロ見られたり、スマホを向けられたり(勝手に撮影されること結構あります)、親切と称する余計なお世話をされたり、罵声を浴びせられたり(頻度は低く一ヶ月に2~3回程度(佐村河内氏の事件以前)ですが)しにくい、ってことなんですよ。なんと嬉しい状況でしょうか。
いや、不愉快なことが全くないわけじゃないんですけど、頻度が通常の1/3とか1/5とか、もっと少ないかな? という感じ。
あまり外出向きの天気ではなく、したがって人があまり街に出てきていないので、障害者に対して微妙な嫌がらせや陰湿な攻撃をする人も少ない、というだけのことと思われます。

私は、土砂降りの雨に濡れながら、楽しく、外歩きを楽しむことができました。
締め切り間近の仕事はあるんですけど、この、せっかく恵まれた外出の機会に、思い切り外の空気を吸っておきたいと思ったんです。 次は何日先のことかわかりませんから。
雨に濡れながら、外を快適に散歩しました。人があまり通りすがらない道路を、ジロジロ見られたり指差されて何か噂されたりするような目に遭わずに。
それから、大きめのスーパー3軒に入って、店内をゆっくり見て回りました。買い物は、2月に米国から帰国して以来、最小限の時間でそそくさと済ませる(あるいはネット通販で済ませる)用事になっていました。
今、何が、どういう値段で並んでいるのか、時にはゆっくり見たいんです。でもそれは、不快な目・恐ろしい目に遭ってまでやるべきことでもやりたいことでもありません。
今日は「まあ、不快や危険はあるけれど、許容範囲かな」と判断できる日でした。

それでもスーパーでは、足を止めてジロジロ見たがる人を追い払うのが大変ではありました。
こういう時、いつも私はそちらを向き、相手がジロジロ見るのをやめるまで、相手の目を見返しています。これは佐村河内氏の事件以前からです。スーパーでも、路上でも、電車の中でも。それは差別ですから。車椅子に乗っている人間という「異形の者」を見た時に視線がそちらに向くこと自体は生き物の本能であるとしても、何十秒もジロジロと無遠慮に見つめ続けるのは(障害者)差別でしょう。差別があってはならないことである以上、自分が差別に遭うことも、あってはならないことです。「自分が差別に遭っている」」という状況を、可能な限り、その場で解消することは、障害者である自分がやらなくてはならないことだと思っています。
ただ、相手に目をそらさせるまでの所要時間は、佐村河内氏の事件以後、以前の2~3倍になった感じがあります。以前は3秒もかからなかったのが、今は10秒でも足りないことがあります。ときには、断念してジロジロ見させておくままにせざるを得ないことも。1分も2分も気持ち悪いニラメッコを続けるほどヒマじゃありませんからね。
もしかしたら佐村河内氏の事件で、「障害者をジロジロ見るのは一応はいけない」「相手が障害者だからといって不愉快な思いをさせるのはいけない」という抑制もかかりにくくなったのでしょうか? たいへん疲れます。でも今日は、なにしろスーパーの中にいる人の総数が少ないぶんだけ、少しはラクできた気がします。

久しぶりに、仕事でも「どうしても」でもない用事で外に出て、外の空気を吸って過ごすことのできた4時間でした。
2月、米国から帰国して、初めてのことでした。

毎日、こんなだったらいいのになあ。
街に出ている健常者が少なくて、したがって無理解だったり差別的だったりする健常者も少ない、こんな日が続けばいいのになあ。
明日も大雨だったり、横なぐりの雨だったり、外に出づらい天気だったらいいのになあ。雪でもいいです。積雪5cm以下なら、車椅子でなんとかならないことはないですから。
明日も明後日もその次もその次も、
「春らしく晴れた気持ちのよい一日」
なんかにならなきゃいいのに。
そうしたら、私は毎日、今日と同じくらい、安心して外に出られるのに。
買い物にも行けるし、郵便局にも銀行にも役所にも行けるし、気軽に病院にも行けるのに。
「仕事だから!」と自分を奮い立たせなくても、外に出られるのに。

自分のとある一日 - 障害者である自分は何に困っているのか

肢体不自由で障害者手帳(2級)を取得している私が、取得後もうすぐ満7年の現在なお困っていることがらを、ある平日の一日の時間軸に沿って書いてみます。

●目覚め
たいてい、猫の摩耶(もうすぐ17歳)に起こされて目覚めます。時刻は結構バラバラです。午前5時~8時くらいです。摩耶が私を起こす理由には、
「私が起きないと猫の朝食が用意されない」
ということもあるのですけど、慢性腎不全と糖尿病を抱えた摩耶は喉が乾きやすいため、水を飲みたいのです。それも浴室の水道の蛇口から出てくる新鮮な水を(汲み置きの水はいつも住まいの中の数ヶ所に置いてある)。
摩耶、私の頬に顔をすりつけたり、顔を肉球ではたいたり、時に顔面に腹ばいになったりなどして私を起こそうとします。
いや、私、最初の「みゃ!」で目が覚めてはいるのです。しかしながら、まず、「上体を起こす」「脚をベッドの外に出す」「立ち上がる」が、いちいち「あぎー!」「ぎえー!」といった痛みを伴い、「せーのっ!(はあはあぜいぜい)」っと勢いつけて、やっとこやれる動作なんですよ。毎日のことなので「ベッドから出る→痛い・疲れる」と頭にインプットされちゃってて、なかなかやる気が出ないのです。あー、摩耶! 掛け布団をめくって私の顔をひっかくなんて、やめなさーい!……わかったよ、カーチャン起きるからさ。ぐえー!(上体を起こすときの悲鳴)

●午前
今のところ、家の中では歩いています。伝い歩きしたり。「細心の注意を払って、ゆっくり数歩歩いて呼吸を整えてまた数歩」だったり。室内用のロフストランドクラッチも持っています。使いたいんですけど、住まいが狭いためまことに使いづらく、登場の機会は少なくなっています。
用事がなくても、いったんは住まいの外に出て太陽光線を浴びることを心がけています。生活リズムをなるべく乱さない、昼は起きて夜は寝る、を強化するために。
外にでるためには、玄関たたきに下りる必要があります。床とたたきの間の正確な高さは測らないとわかりませんが、25cmくらいかなあ? 30cmはないと思いますが、いずれにしても神経を使う緊張の一瞬です。転倒してえらい目に遭ったことも、過去に何回かあります。手すりの類は設置していません。今のところは、20代前半でちょっとかじったボルダリングの技術の応用でなんとかなっています。壁と柱の間の凹凸、壁という構造材の存在そのものなど、ホールドとして利用できるものは結構あります。私自身は、まだ当面、手すりの類はなしでもイケるかなあと思っています。しかし、これも実は頭痛の種です。私の住まいに来た福祉事務所のワーカーさんたちに口で方法を説明し、目の前でそれをやって見せても「壁に手をついて軽々と移動していた」というふうにしか見えていないようなんです。開示してもらったケース記録には、そんなふうに書かれていましたから。たとえば、私の住まいの狭い玄関にブサイクで嵩高い手すりが設置されて「身体障害者の住まいらしさ」を演出してくれるようになれば(もちろん、手すりとしても役に立ってくれるでしょう)、私はこんなことで悩まずに済むのかもしれませんが、玄関の出入りを安全にするために私が「あったらなあ」と思っているのは、床や壁に固定するタイプの手すりではありません。世の中で「福祉器具」のカテゴリに入れられているものではありませんが、「あったらすごく助かるし安全になるだろうなあ」と思っている補助具のイメージがあります。高価なものでもなんでもありません。ただ、それを自分で作ったり設置するのは無理だし、ヘルパーさんにも(契約上)頼めません。障害者向け住宅改装のプロだと「何かあったときの責任が」ということになり、オリジナルな補助具の制作・設置はさらにお願いしにくいのです。というわけで、住まいの玄関には今のところ、補助具の類は何もありません。それにしても、ケース記録というものは謎の多いものです。ありもしないものが記録されていたりもします。「高さ140cmの郵便ポスト」とか。あるけど使ってない郵便ポストがウチには確かに一つあります。使ってない理由は、小さすぎてウチに届く大量の郵便物に対応できないからです。その小さいポストに郵便物が無理やり押し込まれてしまうと、私には取り出せなくなります。私は、その高さに手を伸ばして何秒か維持することはできますが、その高さでは力は入らないんですよ。さらに気持ち悪いのは、その記録をしたワーカーがどこを測って「140cm」ということにしたのか全く分からないということなんです。ポストの上端でも下端でもありませんし、基準とした高さも不明です。まあこれは常識的に見て地表面からでしょうけど。問題は、ケース記録のそのくだりが、「こいつの障害は本人申告よりもずっと軽いにきまっている」という文脈で記録されているということです。私はそのポストから郵便物を出し入れしていたんだそうです。記憶にありませんが、その「郵便物」というのははがき一枚程度、それも封筒と封筒の間に挟まったりとかしておらず軽く取れる状態のものだったのではないかと思います。もし、当時(2007年~2008年。以後はそのポストは使ってません)のいつものように、大量の郵便物がぎゅうぎゅうに押し込まれてポストの上の端から高くはみ出しているような状態だったら、当時の私にも現在の私にも、その郵便物を抜き取ることはできません。しかし、「私は……で困っている(ので、このように解決を図っている/解決できないでいる)」といったことを福祉事務所のワーカーに説明しても、口では「そうなんですか」とにこやかに聞き取られても、決して記録されることがありません。記録されるとしたら「本人は……と言っていたが、それは障害を重く見せかけるためのウソであろう、なぜなら……という事実があったからだ」という文脈においてのみ! です。そこに書かれている「事実」が、私の障害の状態を反映した「事実」であるとは限りません。私は物理系の実験屋でしたが、その記録の傾向を見ると「データいじり」というイメージが浮かんできます。学会発表でも「都合のいいデータだけつまんだな?」という発表は結構ありますよ。研究者どうしだったら質疑で「それはなんなんですかー!」と突っ込めるところですが、あちら障害福祉サービスを認可したり支給したりなさる「お上」、こちらは有り難くも認可いただき支給いただく障害者。学会のように気持ちよく突っ込むわけにいきません。まあ、私を障害者福祉の対象から外して社会保障費を削減したいという自治体の意図は、ケース記録を読み返せば、よーくわかります。そのために、公的なケース記録にウソというか意味不明の記述までする必要があるのでしょうか? この話をし始めると長くなるので、今回はやめておきます。けれども、北海道で偽装障害者が多数発覚した2008年よりも前、佐村河内氏のことが話題になった2014年よりもずっと前の2007年から、一部地域の福祉事務所・一部ワーカー(全部ではないと期待したいですし、他地域にそうではないワーカーさんもいることは知っています)は障害者性悪説で動いており、「この人の障害は本当は軽いのだ」ということを強化する内容の記述をケース記録に行っていたということは、ぜひ知っていただきたいところです。私には、佐村河内氏の一件が「良い」きっかけとなって、このような障害者福祉の「裏」運用・「裏」ケースワークの実態を法制度に反映して堂々と実施できるようになる、と田村厚労相以下現政権の閣僚や厚労省の官僚の一部(だと思いたい)が「きゃっふきゃっふ♪」というように見えるのですよ。
外で太陽光線を浴びるついでに、玄関たたきに置いてある猫のトイレ(現在、摩耶の他に瑠(5歳)がおり、猫トイレが4つあります)を掃除したりとか。私は
「手に使い捨てのポリ手袋をはめて、尿を吸って固まった猫砂や猫のUNKOをつかんで別の袋にポイポイと放り込み、最後にポリ手袋を裏返しながら脱いで捨てる」
という方法で猫のトイレの掃除をすることが多いです。2005年に運動障害が発生して以後は、手で猫トイレ掃除用のスコップを扱うのは、かなり困難になりました。現在は、持病がら多飲多尿の摩耶がいるので、猫トイレの中に猫砂の大きな固まりが出来てしまうのではありますが、その固まりだって(ポリ手袋をはめた)手で分割すれば何とかなります。ここ数ヶ月はずっと、「ねこのきもち」オリジナルの紙の猫砂を使っています。「固まる」といっても、そんなに固い固まりにはなりません。鉱物質の猫砂はガチガチに固く固まるし重たいので避けています。我が家の猫たちが一番好むのは鉱物質の猫砂なのですが、カーチャンの障害のため妥協してもらっています。
……猫砂の材質や銘柄にまで言及しながら、「はぁ」と溜息をついております。ここまで細かく書くのは、「●●が出来るなら、身体障害二級に該当する障害ではない、なぜなら自分が知っている●●は××だから」という主張が現れる可能性への対策です。ただの可能性、ただの思い過ごし、ただの取り越し苦労であれば、それに越したことはないのですが、どれだけ備えてどれだけ対策しても「充分」ということはないだろうと思うんですよ。合理的な対策をどれだけしても、「言いがかり」「いちゃもん」レベルの主張に対する対策にはなりません。ましてや「言いがかり」「いちゃもん」が「数は力(しかも、現政権が実のところ支持してくれてるし)」になってしまう可能性に対しては、まったく有効性がありません。猫砂は「ねこのきもち」オリジナル製品で、と書きながら、私は自分が近未来に生きていけなくなる可能性をリアルに思い浮かべて涙します。電動車椅子を取り上げられたら、障害年金などの経済的な「底上げ」によって障害によって発生する膨大なコスト・ハンディキャップを埋めることができなかったら、私は文字通り生きていけなくなります。そのことに関する理解が日本で「多数派」「世論」になることはあるのでしょうか? 自分の生存のために期待したいのですが、同時に、期待するような愚かさを持ってはいけないと思います。日本生まれ日本育ちの日本人を50年やってきた経験は、私に「期待しちゃいけない!」と警告します。
急ぎの仕事があるときは、午前6時くらいから机に向かって原稿書いてます。調子がよければ、ここにオンライン英会話レッスンが入ったりなど。
ヘルパーさんが来る前に、洗濯機を回しながら、お風呂にお湯入れながら、料理をしながら、ご飯を電子レンジで加熱しながら、摩耶に朝の注射(インシュリン注射を一日二回、皮下補液を一日一回)を打ちながら、メールチェックしながら……という感じ。仕事してる人の朝は、まあだいたいこんなものでしょうけれども、ぎりぎりの体力で結構休み休みやっているところ、台所の流しの前に休んだり座ったまま作業したりするための椅子があったりするところが健常者との違いでしょうか。 
調子にはものすごく波があります。心身とも。ですから、こんなに家事をこなせないときもあります。ヘルパーさんが来た時に何も済んでないこともあります。で、そういうときには別の悩み事があります。ヘルパーさんに「今朝起きられなかったのは仕事のせいですか」と尋ねられることがあること。それは福祉事務所の気にしていることでもあるようであること。もう2年以上前のことになりますが、当時私の住まいに来ていたヘルパーさんが、逐一、動向を福祉事務所にチクっていたようであったことがあります。ヘルパーさんとの会話内容そのもので、福祉事務所のワーカーに毎週のように電話でチクチク攻撃されたということがあって。現在来ているヘルパーさんもそうなのかどうかは知りませんが、以後、ヘルパーさんの前では、和やかに世間話をしているふうを装いつつも、何を言うか・どう答えるかについては「福祉事務所が入れたい探りの一環なのかもしれない」という前提のもと、細心の注意を払っています。最悪を想定して備えること、防災の基本じゃないですか? 私の場合は、防ぎたい「災害」が日常そのもののあらゆる場面に潜んでいるということです。壁に口あり、障子に目あり。障害者になったら、なおさらそうなるわけです。ヘルパー派遣をまったく受けないで暮らすとしても、事情はあまり変わらないですよ。障害者であることそのもの、障害者福祉を使っていることそのものが「災害」の原因なんですから。日本の障害者が迫られているのは、多くの場合、「日常のプチ災害(となる可能性)の連続を受け入れて生き延びるか、プチ災害を拒んで生きることを断念するか」の二択。私は生き延びることを選択したので、日常がプチ災害の可能性の連続となっており、プチ災害の可能性を「可能性」以上にしないために消耗しております。こんな二択を迫られること自体がおかしいんですが。
ヘルパーさんに「仕事の状況は?」と聞かれた時、期待されているのは「仕事が忙しい」「今、仕事が大変」「仕事で疲れている」「仕事のせいで調子が悪い」という返事であるようですが、私は「まあ、ぼちぼちです」とか「疲れてますけど、別に仕事のせいではないですよ」と答えます。そういう質問をするヘルパーさんは、たいへん不満そうな表情をなさいますが、仕事以外にも心労の種が結構多いんですよ。それが大人の生活ってもんじゃないですか? だいたい、仕事のせいであろうが何のせいであろうが、疲れてて起きられない・いつものように動けないときには無理をしたくないし、ヘルパーさんに仕事について話すのは好きではないのです。相手がヘルパーさんだからというわけではありません。フリーランスのライターの仕事というものを出版業界の外にいる人が理解するのは、おそらく不可能です。だから、仕事のアウトプットそのもの以外は見せたくも話したくもないのです。「誤解を招かずに理解を得る」ということが、おそらくは原理的に不可能なのですから。一つだけ「理解を得ることが原理的に不可能」ということの手がかりとなる説明をしておきます。「フリーランスのライターが仕事で忙しいと言っている」というとき、その人が何でどんなふうに忙しいのだと想像しますか? 原稿の締め切り? 取材? 打ち合わせ? どれも「仕事」の一部ではありますけど、「今週は雑誌原稿の締め切りが4回あってねえ(けれども、原稿執筆に専念できる)」は、むしろライターとしては「ヒマ」な状況に属します。これは出版業界の中にいる人でないと、まず理解できないかと。ライターってのはアウトプットする仕事が多くて稼げている時ほどヒマで精神的なゆとりがあり、仕事が少なくて稼げていないときほど時間にもサイフにも余裕がなくて大変であったりします。稼げていないときに「だったら、なんでハローワーク行かないの!」とか言われることは(過去に一度本当にありました)、すぐに自殺を考えるレベルの打撃になります。「今」稼げていない、「すぐに」入金の目処がないということだけをもって、今その瞬間も続けている職業上の努力が全否定されているも同然なんですから。特に私の場合、もう50歳という年齢になっていますから、障害者雇用枠でも企業に雇用されるのは非常に困難かと思われます。まだライター稼業の方が、収入・経済的自立に関する可能性が高いんです。そういうことを冷静に考えての判断が、「なんでハローワーク行かないの!」と全否定される。こんな悲しいことはありません。そんな打撃を受けないためには、仕事のことはなるべく口にしない、特にグチめいたことは決して言わないことです。相手がどんなに聞きたがっても。
ヘルパーさんが来ているときに行う重要なタスクの一つに、入浴があります。脚の筋力が少なく、その上に関節が若干変形していたり筋肉が固まっていたりする私にとって、現在、入浴中は「唯一」といってよい運動の機会です。浴槽の蓋や縁を利用して、ストレッチや若干の筋トレらしきことに励みます。浴室に遊びに来る猫をかまったり、猫に歌を歌ってやったりとかもしますし、もちろんリラックスを試みたりもしますけど。入浴に使うお湯は毎日入れて毎日抜きます。猫溺死のリスクを避けるため、汲み置きはしません。水道料金とガス代を考えると、毎日の入浴に一日あたり150円程度を使っていることになります。イタいんですが、これが唯一の運動の機会であることを考えると、いたし方ないかと。たぶん、まだ水泳はできると思うので、できるうちはやりたいとも思います。昨年秋、高知県で2年ぶり(たぶん)に泳ぐことができました。泳げはするけれども、2年前よりも体力も技術もガタ落ちです。日常的に泳いだほうがいいんです。それに、住まいから徒歩5分程度のところに美麗な公営プールもあります。でも、別の問題があるため、その近所のプールには過去3年近く行っていない(気持ち悪くて行けない)のです。このことについては今回は書きません。長くなるし、話が逸れすぎるので。
そんなこんなのうちに、ヘルパーさんの来訪時間(1時間~1.5時間程度)は終わります。ヘルパーさんが退出したあと、ぐったり疲れた感じになります。必要不可欠かつ最小限の対人接触なんですが、精神的に非常に疲れます。「こんなことを言ったらヘルパーさんはどう思うだろうか」「もしかしたら会話が盗聴されているんじゃないか」というようなことを、やや妄想チックに考えてしまわずにいられないからです。それは精神科のビョーキのなせることです。だからといってヘルパーさんが来なかったら生活できない。もしも、自分の妄想でもなんでもなく、ヘルパーさんに若干の問題や多大な問題(平手打ち十数発、顔をひっかく、暴言などを過去に何回も経験しています)があっても、とにかく自分は「問題の利用者」と考えられないようにしなくては。ヘルパーさんの問題行為が虐待レベルであれば「ヘルパーさんが来ることのデメリット>>ヘルパーさんが来ることのメリット」です。そうなれば、クレームを申し立てざるを得ません。そして介護事業所にクレームを申し立てたら、まず100%間違いなく「では引かせていただきます」とヘルパー派遣を中断されます。誠意ある対応や謝罪を受けたことは一度もありません。「じゃ、明日からヘルパー派遣やめます」ならマシなほうです。「ヘルパーが虐待に至ったのは、あなたのせいじゃないですか」と責められたことも。入浴介助中のヘルパーに顔を引っかかれたことがあるんですが、その介護事業所の責任者によれば「みわさんが甘えて顔までヘルパーに洗わせたから」だそうでした。私は洗顔をヘルパーに頼んだことは一度もないんですけどね。虐待レベルでもそういう対応を受けるんですから、ましてや虐待レベルに至らない程度の問題行為、問題であるのかどうか微妙だけど自分に困惑をもたらす行為、「もしかすると探られているのかなあ、気持ち悪い」程度であれば、ただただガマンするしかありません。入浴するために、洗濯された衣類を身に付けて打ち合わせに行くために、ある程度は清潔な住まいで暮らすために。とにかくガマン。そういうジレンマが、私の日常にはたくさんあります。表情や口調で挑発されても、絶対に乗らないように。どんなに注意してガマンしていても、問題は起こるときには起こってしまいます。そのときに、自分が「問題の利用者」ということにされる可能性を最小にできるように。わざわざ作らないのはもちろんのこと、そう解釈される可能性も最小にできるように。ヘルパーさんがいる時間帯というのは、介護事業所やヘルパーさんが実際にどう考えているか・どう思っているかと無関係に、最大限の緊張と注意を必要とする時間帯なのです。こちらが、自治体からの介護給付という形でヘルパー派遣を受けている障害者であるからです。
ヘルパーさんが退出したあと、私は溜息をつきながら、ときには「ああ今日も私はたぶん、問題の利用者にならずに済んだんじゃないかなあ」とほっとして肩で息をしたりしながら、ときには「なんで、こんなにオドオドビクビク卑屈にならなくちゃいけないんだ?」と涙ぐんだりしながら、台所の椅子に座ってコーヒーをいれ、本を読んだりしながらコーヒーを飲みます。朝食を食べる時間帯は、まちまちです。午前7時~10時くらいまでの間に、というところでしょうか。
そのうちに、なんとなく仕事モードに切り替わります。締め切りの迫っている仕事、近々迫りそうな仕事の下書き、差し迫った仕事がなくてブログ書きたかったらブログエントリーなど、何か書きます。11時から13時くらいまでの間に、6000~8000文字くらい書いてますかね。これは私の通常のペースです。調子悪いと2時間で4000文字くらいに落ちることもあります。いまどき、文筆業でご飯食べようと思ったら、少なくともこのくらいのペースで原稿書けないと厳しいでしょうね。私の原稿書きのペースは、20年前からこんな感じです。調子よい時・悪い時を平均すると、20年前よりは少し速くなってるかも。

●昼
取材が入っているわけでなくとも、外に出なくては片付かない用事が、いろいろとあります。銀行、郵便局などの窓口に行く必要のある手続きとか、役所に出向いたりとか、通院とか。 用事がなくても一日一回くらい、まとまった時間、外で日光を浴びたほうがいいと思っているので、なるべく外に出るようにしています。
気分転換がてら、JR西荻窪や荻窪の駅方面で昼食を食べることもありますし、そういう日が続くこともあります。 ただ、何か不愉快なことがあると、2週間・3週間、昼食を含めて外食をしないこともあります。「不愉快なこと」の例を挙げると
「幼児づれのお客さんがいて、幼児が車椅子に関心を示してまじまじと見たとき、たしなめもせず、私の目の前で(私に挨拶の類は何もなく)車椅子や障害者を話題にした」
「私が車椅子から降りて(慎重にすり足で・杖をついて・何かをホールドにして)歩いている姿を、あってはならないものを見るかのように見続けている人がいた」
といったことです。こういうことは「しょっちゅう」というわけではありませんが、一回だけでも、その後数日~数週間にわたって
「無理解な健常者がウヨウヨしていて怖いから外に出ない、用事だけ済ませたら、家にひきこもろう」
という行動を選択する動機になりますし、
「ヘルパーさんたちだって、ああいうふうに私に接したいんじゃないか、ホンネのところでは……」
とヘルパーさんたちに対して疑心暗鬼になる動機にもなります(ヘルパーさんたち個々人がどうこうという問題ではなく、「ふつう」の日本人健常者が私の住まいの中に入ってくるという(避けたいけど避けたら生活できない)ことに対する恐怖です)。そして残念なことに、佐村河内守氏が話題になってから、程度も頻度も増えました。通りすがりに罵声を浴びせていくオヤジとか、車椅子を蹴っていくオヤジとかもいたりします。今のところ、ひるまず、やられたら怒鳴り返すくらいのことはし、「意地!」で外に出て外食もしていれば外飲みもしていますが、いつ気持ちが折れて引きこもりモードに入るかわかりません。
「西荻窪」という大人の街に、私は25年にわたって住んでいます。おそらく、子どもじみた振る舞いをする大人に対する許容度の高い他地域に比べれば、事情はよほどマシなんだろうと思います。それでも「健常者怖いから外に出ない」モードに入ることが年に何回かはあります。
ちなみに米国は、そういう意味では怖くないんです。「ニューヨークやシカゴでちょっと人通りのないところにカツアゲのリスクがある」なんていうのは、別に健常者にとっても障害者にとっても同じことだし、むしろ障害者の方がやられにくかったりします。もし警察沙汰になったときには、カツアゲ+障害者差別で、加害者側の罪が重くなるわけですから。日本だったら「障害者のくせに、健常者と同じように街に出るからいけない」的な攻撃を(被害者となった障害者が)受ける可能性の高い場面ですけど。被害を受けた障害者が女性だったら、日本では間違いなく「世間」やネット世論に被害者が総攻撃されます。私、自分のTwitterやYouTubeでのやりとりやコメントから、いくらでもその実例を出せますよ。たとえばこちら。あまりひどいコメントは削除しましたし、コメントを許可制にしているので、最近はあまり酷いコメントはつきません。でも今でもときどき「うp主氏ね」とか来ますよ。

米国では、日本の「障害者差別解消法(2013年)」と「バリアフリー新法(2006年)」を合わせたような法律(ADA(アメリカ障害者法)が1990年に施行されて、そろそろ25年。罰則つきの法律一個作ったくらいで障害者差別なくせないのは米国も同じなんですけど、「これじゃ……というタイプの障害者差別はなくせない」が明確になるたびに法改正その他の制度整備がなされていますし、並行して社会教育が粘り強く行われつづけてきています。結果、ここ数年間の米国では、少なくとも日本みたいに「日中、街の中にいる、ごくふつうの健常者が脅威」ということはありません。「景気悪くなったら障害者相手のヘイト・クライムが増える」といったことは米国にもあることはありますし、米国で障害者差別が撲滅されてしまっているわけでもないんですが、人の問題は、日本に比べれば全然マシな感じがします。日本が米国と比べて若干「マシ」といえるのは、交通インフラですかね。それも一部地域・一部路線に限られる話です。こんな国で2020年にパラリンピックやっていいんでしょうか? 「ホンネとタテマエ」にあふれた「ムラ社会」の日本、パラリンピック選手と海外から訪れる障害者の観客は「タテマエ」の世界で「ムラを訪れたマレビト」として「お・も・て・な・し」するんでしょう。ムラの中にいる日本人障害者、特に日本人女性障害者に対しては、もしかしたら現在以上に差別を続けたり強化したり排除したりしつつも。でも、たとえば未だ「ハンドル式電動車椅子で新幹線に乗れない(一部例外あり)」という問題を、日本は、その時までにどうしておくつもりなんでしょうか? これは欧米の常識的な障害者から見たら、まぎれもない障害者差別なんですが。話がそれました。
私の「引きこもりモード」は、仕事のための外出や出張・猫の通院のための外出・自分の健康状態を最低限維持するための通院外出だけは
「根性! 気合! 大事な『ね子ども』らを守るため!  ファイト! それ、玄関ドアに突撃だ!!」
で出来てしまうので、「社会的引きこもり」と分類される方々に比べれば軽いものではあるんですが。いくら「健常者怖いから外に出られない」モードに入っていても、向精神薬が切れたら精神科に行かざるを得ません。使ってる薬の量は大したことないんですけど、まったくないと3日もちません。精神科の「アウトリーチ」? 健常者が怖くて外に出られなくなっているような時に、住まいの中に健常者(しかも力関係では自分より上の精神医療関係者)が入り込んでくるなんて冗談じゃないです。怖すぎます。
それにしても気になるのは、交付されてから7年目になる電動車椅子です。交付された2007年、電動車椅子の耐用年数は、厚労省によって「5年」とされていました。確か2009年、よくわからない理由によって厚労省は耐用年数を「6年」としました。その「6年」も超えています。4年目くらいから、修理の頻度が増えました。公費で修理できるとはいえ、モーターユニットから異音がすると、ギクっとします。故障の予兆では? 故障であるとして、修理に何週間かかるんだ? その間は手動車椅子を(車椅子の業者さんに)貸し出してもらってしのぐわけだけど、今、手元に残っている福祉タクシーチケットで、その間に必要なタクシー利用はまかなえそうか? 私の住まいから西荻窪駅までは、徒歩15分程度の距離ですが、善福寺川の谷を下りて上って……というコースです。私が車椅子を手動運転して到達するのは無理なのです。過去にもそういうことは何回かあり、そのたびに、恐ろしい勢いで減っていく福祉タクシーチケットを見ながらヒヤヒヤしました。電動車椅子をメーカー修理すると、場合によっては1ヶ月以上の時間を必要とするのです。
もちろん、補装具業者さんとも、「そろそろ新規交付を受けないと危ない」という話はしています。ただ、私の電動車椅子は話がややこしくて、電動ユニットが7年目、本体が5年目なのです。本体は厚労省的には、まだ寿命ではありません。でも本体も新規交付の対象になるまで待つのは危ないでしょうね。なんでこんなチグハグなことになったのかについてもドラマがあるのですが、書くと長くなるのでやめておきます。で、電動車椅子の新規交付を受けるなら、どのタイミングで、どういう形態で、自費負担は……というところの調整が先延ばし先延ばしになっている現状です。そんな電動車椅子で、外国だって行っちゃうわけです。滞在中は「どうか故障しませんように!」と祈るばかりですが、運転には日本にいるときよりもずっと注意していますよ。車椅子の弱い部分に可能な限り負荷をかけないように。毎日、宿に戻ったら、どんなに疲れていても車椅子の点検と整備だけはします。緩みかけているボルトはないか、折れそうなスポークはないか、などなど。
「家の中程度でも歩けるんだったら手動にせよ電動にせよ車椅子は不要なのでは」というようなことを言いたがる人もいます。「少しでも歩けるんだったら、訓練すれば車椅子はいらなくなる、頑張れ、甘えるな」といったバリエーションも。でも私の住まいから最寄りバス停までは200メートル程度あります。現在の私は、そこまで歩いて行くことはとても無理です。「鍛える」「努力する」「身体能力を弱らせない」といったことと「日常生活を支障なく危険少なく行う」「職業生活でアウトプットを出して(障害年金を併用してでも)経済的自立を維持する」といったことのバランスを取り続けてきた結果が現状です。善意めかして(あるいは本当に本人は善意のつもりで)「訓練したら?」と言われると、泣きたくなります。現状がすでにベストエフォートの結果である可能性を、その人は全く考えていないってことなんですから。善意であるなら、そんなことは最初から口にしないでほしいんです。善意のつもりであればあるほど、こちらは対応に苦慮するんです。善意であろうが悪意であろうが、迷惑なだけです。同じことを行政サイドが言うのは、まだ分かるんですよ。「障害者福祉を削減したいんですね、わかります」と自動的に脳内変換するのみ。脳内変換して、理解はします。同意はしません、自分、社会的にも生物学的にも殺されたくありませんから。もし押し付けられるなら、あくまで闘います。殺されないために、そうするしかありませんから。「少しは鍛えたら?」の類の言葉を「ふつうの人」に「善意」で言われるのは、日常、一番困っていることの一つです。
「なんで病院でリハビリ受けないんだ」というご意見もありそうです。病院でリハビリ受けようとしたことは過去に何回かあるんですよ。ただ、無理なく通えそうな近所の病院で「引き受けることはできるけど、病院に来てやるのではなく、日常生活の中でやった方がいいんじゃないの?」とアドバイスを受けたこと(そこでアドバイスされたあれこれが、私の現在の日常生活に組み込まれているわけです)、「リハビリを受けに来てもいいよ」という病院があるにはあったのですが遠方で日常的な通院は無理なこと、いずれにしてもリハビリは6ヶ月間に限定されているため、6ヶ月間だけの病院のリハビリより日常生活の中で無理なくやれて継続できることを考えたほうがいい、なにも筋金入りの病院嫌いである私をリハビリのために通院させなくても、というリハビリ科医師たちの2009年~2010年ごろの共通の見解によって、リハビリはほとんど受けないままで(肢体不自由になったときの検査入院中にちょっとだけリハビリを受けたことがあります)現在に至っています。
なお、この他、徒歩10~15分圏のリハビリ科のある複数の病院で、引き受けてもらえなかった経験があることを付記しておきます。2008年ごろの話なんですが、行って相談すると引き受けてもらえそうな感じなんですよ。で、「今かかっている(身体の)医師の連絡先(意見書)をお願いします」と言われて、それに応じると断られるという。そのときの(身体の)医療機関は、杉並区の福祉事務所から紹介されたところでした。その医療機関が「引き受けてくれるところを見つけてあげましたからぁ」というリハビリ科に行ってみると「運動機能に関するリハビリはウチではやってない」ということでした。そんなこんなで、「病院でリハビリ」は、ほとんど受けていないにもかかわらず、私の中では「病院のリハビリ科=リハビリそのものでお世話になろうとすると精神的にダメージを受けて情けない思いをする」という感じになってしまっています。たぶん、杉並区の福祉事務所から紹介された(身体の)医療機関は、何らかの理由によって、私がリハビリを実際に受けたら都合悪かったということなんだろう……と思いますが。

●午後
図書館に寄ったりとかして、午後3時~4時ごろ帰宅することが多いです。ホントは書店にも寄りたいんですよ。リアル書店の衰退が叫ばれて長いですけれども、西荻窪はこの5年で、書店数が増えている街です。ユニークな書店がたくさんあります。でも、車椅子で動きまわっても迷惑にならないほどのスペースのある書店はありません。では杖(ロフストランド・クラッチ2本。今使ってるものにはカフがついていません。腕が入らないので外してしまいました)を使って徒歩で入る? 連続して3分が精一杯です。そして、その、全身の筋肉をガタガタ言わせて脂汗かきながらの3分の間に、誰がどういう目で、路上に停められている車椅子と私を見るでしょうか? 考えるだけで、書店に入るモチベーションが萎えるでしょ? 隣の吉祥寺まで行けば、車椅子に乗ったままでゆっくり店内を見られる書店もあるんだから、どうしても西荻窪で書店に入らなくてもいいじゃないの……などと自分に言い聞かせて、書店は路上からちらっと中を見るだけで通り過ぎます。
帰宅すると、昼寝します。時間がないときは、横になって目をつぶって15分だけ。眠りはしません。疲労がたまっているときは、寝付きにくければマイナー・トランキライザーも使って、短時間でも眠ります。「昼寝のつもりで4時間寝ちゃった」ということもあります。「昼寝のつもりで目が覚めたら翌朝」も過去にはありましたが、最近はありません。そんなことをしたら、猫の摩耶に夜のインシュリン注射を打てませんから。
起きたらまた仕事。夜にかけて、電話がかかってきにくいモノカキ仕事ゴールデンタイムです。気持よく集中して仕事します。

● 夜
夕食を軽く食べることもありますが、たいていは何も食べずに仕事しています。特段の事情がない限り、22時には切り上げるようにしています。眠前の向精神薬のうち効き始めが遅いタイプのもの(今使っている薬ではメジャートランキライザー)をまず飲み、読書したり音楽聴いたり猫をかまったりしながら晩酌してクールダウン。ああ忘れずに摩耶の夜のインシュリン注射も打たなくては。湯たんぽも用意して布団に入れておかねば。沸かしたお湯で、ついでに翌朝のコーヒーも淹れておくか(冷めたコーヒーを翌朝平気で飲める体質です)。
そのうちに、向精神薬が効いて気分が緩んできます。そこで「すぐ効く」タイプの薬を飲んで横になります。眠れるかどうかは、あまり気にしなくなりました。明け方まで眠れない日もありますし、いつ寝入ったのか覚えてないほどスカっと眠れる日もありますが。

●番外編
汚い話で恐縮ですが、外出中の尿失禁が実は結構な頻度であります。2014年に入ってからだけで5回くらい。やらかしてしまうと、車椅子のクッション2枚を丸洗い、シートに水をかけて拭き取ることを数十回繰り返して脱臭剤を吹きかける、という作業が発生します。この半年くらいは、尿意に気付いた次の瞬間には漏れちゃってるという感じです。「トイレを見つけたら入る」は習慣にしていますが、それでも万全ではなく、ときどき、やらかしてしまいます。尿だけではなくUNKOについても同様。「入浴中にリラックスしたら出てた」ということが一度あって以後、「いかなる手段を用いてもUNKO出してから入浴」という習慣をつけました。トイレ事情の分からない地域に出かける時には「大人用紙オムツを使うかどうか」で悩みます。荷物に余裕があれば入れておくし使います。

●補足 
・「時間食い」の習慣は、若い時から意識して減らしてきた。TV持ってない歴30年。ネットサーフィンの類は、ここ4年ほどは「やる!」と決めて30分・1時間集中してやる感じ。
・ 「こまめに料理している」というイメージを持たれているようだけど、実際には、ほぼ、1日1品(ご飯やパンを含む)しか作っていない。台所で何か作業して過ごす時間は1日30分以内(煮込み等の時間を除く)に「総量規制」している。料理大好き、台所で一日中でも遊んでいられる。でも、台所で遊んでいたら仕事にならないので。台所にはIHヒータとオーブンレンジがあるけれども、住まい全体の電気の容量が小さく、台所でIHヒータとオーブンレンジを同時に使うとブレーカが落ちる。なお、炊飯器は持ってない。ご飯は鍋+IHヒータで炊いている。電気炊飯器で炊いたご飯が美味しいと思えないし、電気炊飯器を清潔に維持するのは鍋より大変。自分の体力筋力に見合う方法を探っているうちに、こうなった。
・「猫の皮下補液をどうやっているのか」という疑問を持たれるかなあ。「点滴パックにラインつけて直接猫に」は自分には無理と早々に見切りをつけ、50 ml シリンジでやれるように工夫した結果が現状。それにしても「どうやって?」という疑問持たれるかもしれない。「シリンジに補液剤を引く」「シリンジを押す」とかは、一般的には結構な「力技」だからねえ。手技の詳細について説明してたら本が出来てしまいそうだから止めておくけど、指の筋力でやらなくてはならないという法律はない。重力に手伝わせることだってできる。掌、自分の腹など使えるものは何でも使ってる。「猫の保定どうやってるんだ?」って?猫の保定とシリンジの操作を両方とも両手両腕総動員でやってるわけなのですよ。針を押さえる手がないわけだけど、文具のクリップでもなんでも、使えそうなものは何でも使う。ついでにいうと、現在、猫の摩耶は治療に大変協力的で、力で押さえ込むとかやる必要が全くない。でも協力的になる以前でも、工夫すれば私の身体でなんとかなった。猫の顔にタオルかぶせて首周りをマジックベルトで止めて、おとなしくしてもらった上で段ボール箱に入れて、その箱の中で補液とか注射とか。
・料理の手技、特にパン焼きについてもちょっとだけ。「力入れてこねる」「生地を台に叩きつける」とか自分に出来るわけないことをやらずに済むように方法を工夫した結果。そういうことを「パン作りに必須」と思いこんでる方々は、まずフィリップ・ビゴさんのような真っ当なプロの製パン技術書を一冊ちゃんと読んで欲しい。「力を入れる」「叩きつける」に類する話が一言でも出てくるかどうか。ついでに生地の水分量とか(スプーンですくえるような生地でも型に入れて焼けばパンになるし)、一回あたりで何グラムの生地を扱っているのかも気にしてみてほしい。そういうことを全部考えあわせたときに、なお「肢体不自由で筋力が少ない人にやれるわけがない」と言い切れるかどうか。さらに、この他に「粉と水を混ぜる方法」とか結構工夫しまくった結果が現状なわけで。別にもったいぶって秘密にするつもりは全然ないんだけど、マジ、私が製パンの話書いたら本が一冊できちゃうよ。そのくらい、自分の「できない」を補うための細かいノウハウをたくさん開発したわけ。
 
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 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


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「生活保護リアル(Kindle版)」
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「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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