猫と食事と西荻窪、ときどき旅する車椅子

ライター・みわよしこの日常つれづれ話



障害者

[おやつ図鑑]田舎のしゃれもの おからっきー

山形県で講演をさせていただき、主催者の方々から頂戴したお菓子です。

名は「田舎のしゃれもの おからっきー」、
製造元は、山形県鶴岡市の 特定NPO花の会 手づくりクッキー おからや さんです。 


袋の表では、猫が楽しそうに踊っています。
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タグはこんな感じ。
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 袋の裏面。
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さて、中身です。まず、かわいいし!
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甘みも、おからやバターの風味も前面に出ず、口に入れるとさらっと溶けて、合わせる飲み物を選びません。
お茶とコーヒーでいただきましたが、意外に、洋酒でもいけそうです。
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パッケージ表面。踊る猫がオシャレで楽しいです。
さらに、中から猫型の冊子が出てきました。
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冊子を開くと、
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あなたの街の障害者を思い出して、というメッセージが素敵です。

いかにも障害者作業所「らしい」、裏紙利用であり、おからの利用でもあり。
やはり障害者作業所「らしい」、素朴な味わいでもあり。
でも、それらも活かして、美味しさとともに素敵なメッセージを訴えている総合力。
商品プロデュースとして、心から素晴らしいと思います。

他人さまにおすすめしたい作業所の製品が、一つ増えました。
 
以下、アフィリエイト。


 

「庶民感覚」「主婦感覚」「当事者感覚」って、そんなに大事?

「庶民感覚」「主婦感覚」「当事者感覚」は、私がどうにも違和感を感じてならない言葉です。
それはいったい何なのでしょうか? そんなに大切なものなのでしょうか? 

そもそも、「庶民」「主婦」「当事者」の範囲を定めるのは至難の業です。
たとえば、「庶民」の年収の上限はどの程度なのでしょうか? 
世帯年収が1000万円あっても
「家のローンと子どもの教育費で生活が厳しく、交通不便な地域に住んでいるため自動車を手放すわけにもいかず、スーパーで見切り品の食材ばかり購入している」
というケースは考えられます。
この一家は「庶民」なのでしょうか? そうではないのでしょうか?

「主婦」もそういう言葉ではないでしょうか。
「主婦」が意味すると誰もが考える内容は、「女性である」「家計を預かる」「家事・育児を担う」であろうかと思います。しかし、家計に対する責任範囲や権限も、家事・育児に関して行っているものごとの範囲も、各人各様でしょう。

「当事者」はさらに危ういものを含んでいると思います。
「障害当事者」でも「生活保護当事者」でもなんでも、すべての「当事者」は、「当事者にならないと分からないこと」を大小なりとも経験していると思います。
それでも、「自分は当事者だから言える」「当事者ではないあなたには分からない」と主張することは、自ら伝えることを放棄しているも同然だと思います。
もう一つ問題があります。
たとえば「障害当事者」には、難聴であることは確かだった佐村河内守氏は含まれるのでしょうか?
「生活保護当事者」には、漏給層(生活保護基準以下で生活している方々)は含まれるのでしょうか?
「当事者だから」「当事者ならでは」という主張は、同様の困難を抱えている人々を排除する可能性もあります。

もう一つ。
これらの「……感覚」は、包摂の文脈ではまず使用されません。排除や非難の文脈で使用されます。
例としては
「◯◯議員が6泊7日の海外出張に200万円を使用した、庶民感覚からして許しがたい」
という主張をあげることができます。
確かに、出張・滞在費としては高くついていることは否めないでしょう。私は14日程度の米国滞在を毎年行っていますが、総経費は多くても20万円以下に抑えています。
しかし、公務での出張であれば、旅費を安く抑えることよりも効果を求めるべきではないでしょうか。
20万円で100万円の効果しかあげられないのと、200万円で1000万円の効果があがるのは、どちらがよいでしょうか?
エコノミークラスでロクに眠れず時差ボケに苦しんでいる状態で現地での公務に向かってもらうのと、ビジネスクラスでじっくり眠って爽やかに目覚めて現地で公務に向かってもらうのと、どちらがよいでしょうか? 多額の費用をかけて選出し、一般サラリーマンの感覚に照らせば多額の報酬を支払っている議員です。報酬以上にしっかり働いて結果を出して貰ったほうがよいのではないでしょうか? 
そして、社会にどれだけの結果がもたらされたか評価して、次の選挙で投票したりしなかったりすれば良いだけの話ではないでしょうか? (現在の小選挙区制度は、その評価を妨げているのですが)
そこに「庶民感覚」を持ち出す必要は、全くないと思います。

「庶民感覚」「主婦感覚」「当事者感覚」とも、私は使わない用語です。
自分の経験に基づく「感覚」に依拠して、その「感覚」を持ち得ない誰かに対して何かを主張することは、伝わらない・受け入れられないという結果を自ら選択しているも同然です。
もちろん、収入面では紛れもなく「庶民」に属し、家計家事をマネジメントしているという意味で「主婦」でもあり、障害「当事者」でもある自分は、それらの経験や、経験に基づく感覚を持ちあわせています。
しかし、その感覚をもって自分の正当性を主張したり、相手に仲間と認識することを求めたり、その感覚を持ち得ない人を排除するようなことはしたくありません。
「消費税が5%から8%になることの打撃は、富裕層出身の政治家である貴方には分からない」
と声を荒らげるのは、
「障害基礎年金の他に若干の就労収入があり、生活保護基準に比べれば相当の余裕のある生活をしているけれども経済的に充分な余裕があるというわけではないという状況にある自分にとっては、消費税が5%から8%になることの経済的インパクトは、たとえば野菜の購入を……だけ控えるという形で現れている」
と説明して、「それでも全く伝わらなかった」という結果が出た後で充分だと思うのです。

女性障害者たちの「地政学」

生存・生活のためにヘルパー派遣を受けている障害者の多くは、ヘルパーさんたちとの関係に悩んでいます。
公的介護給付の場合、一応は行政が調整窓口を設けています。虐待レベルで明白な証拠があれば、役に立つこともあるようです。 
また、介護事業所も「クレームには誠実に対応する努力をする」というようなことを契約書に必ず書いています。でも法律レベルでも、努力義務など守られません。当初、努力義務しかなかった「男女雇用均等法」から、そろそろ30年。働く女性をめぐる状況は、全体としては向上しておらず、むしろ悪化してるじゃないですか?

私は自分自身が障害者なので、女性障害者たちと率直に会話したり情報交換したりする機会があります。
女性障害者たちが介助者のいる中で生存・生活を守り、社会で活躍するために生み出してきた知恵の数々は、「地政学」と呼ぶのがもっともふさわしいものであったりします。
その女性障害者たちが、たとえばブログやSNSでどんなに
「社会から理解と配慮を受けられて、ヘルパー派遣もまあまあ充分な時間受けられて、幸せな私♪」
を演出していても、です。

私の知る女性障害者(身体障害のみ)は、現在は男性ヘルパーにだけ介助を受けています。「異性介助」は差別の象徴とされてきたのですが、彼女はあえて、男性ヘルパーを希望しています。
彼女は高学歴で、立派な職業キャリアがあります。
彼女によれば、
「女性のヘルパーは、ドロドロするから」
ということです。
女性ゆえに教育・職業などの機会から排除されやすいというのは、別にヘルパーでなくても、女性にはありふれたことです。私もそういうものと闘ってきましたしね。
もちろん彼女だって、そんなことがある社会を少しでも変えていきたいと考えているし、いろんなアクションを取ってもいます。でも、
「身近に、さまざまな機会から排除されてきた女性がヘルパーとしてやってきて、自分自身の怨念をぶつけてきてもいい」
 というわけではありません。「総論賛成各論反対」ではなく、
「一人の人間として身の安全を守りたい」
というだけの話なんです。
そこで彼女は、住居を移しました。割高ですが、男性の管理人が常駐していて、外部からの来訪者はエントランスより中に入れないマンションに。職業キャリアに支えられた経済力があって可能になった選択ですが。
その上で、ヘルパーを全員男性にしたのです。 外部の人の入退場が記録され、自分の住まいへの入退出も監視カメラに記録されるという環境を整えた上で。
もちろん、介護事業所も慎重に選んでいます。そして良好なお付き合いをしています。
しかし、やってくるヘルパーが「人」である以上は、抑止力がなければ何をするか分からない。彼女が女性で、ヘルパーが男性であるなら、なおさらです。
だから彼女は、お金で抑止力を買ったんです。管理体制とセキュリティのしっかりしたマンションの家賃、という形で。

何があれば、彼女は女性のヘルパーに「ドロドロ」されずに気持よく介助を受けることができるんだろう?
リーズナブルな家賃の住まいで、気持よく、無理な働き方をせずに生きていけるんだろう?
彼女の賢明さと選択を、私は支持します。
けれどもなんだか、飲み込めない思いが残ります。
女性の障害者の「介助が必要だから介助を受ける」は、なぜ、こんなに大変なことになるのでしょうか?
 

シカゴなう!(現地4日目)

●2014年2月14日(シカゴ時間)

日本は大雪で大変なことになっているようですね。確かシカゴは大寒波に襲われていたはずなのですが、私の滞在中は寒冷も雪も大したことなく済みそうです。除雪されてない場所がところどころにあり、ちょっとくらいは困るかな? 程度。

・昨晩のAAAS年会開会イベントにて

概ね1時間ほどの開会イベントで、AAAS(米国科学振興協会)のpresident(前・現・次期)、今回の年会開催に関係した方々によるスピーチ+プレゼンテーションが行われたのですが、シカゴ市長 Rahm Emanuel 氏によるスピーチが特に印象的かつ感動的だったので、そのスピーチの内容について書いておきます。
アメリカのすべての地域と同様、シカゴでも格差の拡大・貧困問題は深刻です。特に深刻なのは、マイノリティの子どもたちが充分な教育を受けられないことです。また、後期中等教育から職業生活への接続にも必ずしも成功していません。高校中退が多く見られ、中退しないまでも安定した職業生活の入り口に立つことのできない子どもたちが多いわけです。まるで極東のどこかの国そっくりの話です。
数多くの大学、数多くの有力企業が集まるシカゴ市では、大学と高校の連携を強めたり、高校生に対して企業でのインターンシップの機会を提供するなどの取り組みを続けてきました。来春(?)からは、すべての高校でコンピュータ・プログラミング教育を開始するそうです。それが21世紀を生きるのに必要なスキルだから。極東のどこかの国みたいに「生活保護世帯など低所得世帯の子どもは介護方面へ」といった話にはならず、フェアスタートが目指されているわけです。
もちろん、前期青年期になってから教育に力を入れるのもいいんですが、幼児期こそ重要です。Emanuel 氏は2010年にシカゴ市長になり、その年(だったかな)に、シカゴ市の4万人の該当年齢の幼児全員が幼稚園で教育を受けられるようにしたということです。
地元の科学愛好家・研究者などが数多く参加していたと思われるこの開会イベント、Emanuel 氏のスピーチに関する反応は非常に良かったです。「ああ、政治家が支持されるというのはこういうことなんだなあ」と思いました。氏が問題の一つ一つについて、具体的にどう取り組んだか、どういう達成がいつ得られたかを語るたびに、会場の雰囲気が暖かくなり、小さな拍手が起こるのです。そして最後、「4万人の幼児全員が幼稚園に」のくだりで、会場からは大きな拍手が湧き上がりました。
私はEmanuel氏について全然知りません。おそらくは選挙戦を、教育問題・貧困問題を掲げて戦ったのでしょう。そして公約の一つ一つを、地道に、確実に、実行してきたのでしょう。だから支持され、こういう場でスピーチすると大拍手になるのでしょう。
演説が大拍手を浴びる政治家は、日本にだっています。でも、支持のされかたも支持の内容も全然違うと思うのです。さまざまな問題はあっても、米国は成熟した市民社会であり、自分たちの問題を自分たちでなんとかしなくては、という気概をまだ持っているように思われます。対して、極東のどこかの国では……と溜息の漏れる思いでした。住民の意識も、住民がどのように・どのような政治家を選ぶかも、選ばれる政治家も、その政治家が何をするかも、何もかも違いすぎます。日本の社会が市民社会になることはあるのでしょうか。あってほしいと強く望みます。しかし舛添要一氏が都知事の東京都に暮らす障害者である私には、市民社会を望む以前に望まなくてはならないことがたくさんあります。自分の生存であったり、職業生活を可能にするレベルの日常生活であったり。私は、自分が(健常男性同様の意味で社会的存在として)生きていける日本・自分が(同前)生きていける東京・(同前)生きていける杉並区を望みますが、絶望的な気分になっています。


・閑話休題
今回のAAAS年会の会場となっている3つのホテルのあちこちに、こういう感じで、生フルーツ入りのミネラルウォーターが置いてあります。これはラズベリーとブルーベリー。ゴージャスです。
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しかしながら、街に出れば路上生活者や物乞いが多数。街を歩いていて上を見上げれば「子どもの5人に1人が飢えに直面しています」というポスターが。
米国という国は、まったく一面的な理解を拒む国だと思います。確かに、大きな格差と深刻な貧困問題は米国の一面ではあります。でも、日本にいて、そういう記事や書籍ばかりに接していると、米国を理解することはまったくできないのではないでしょうか。

・午前
6:40ごろ起床。ユースホステルで朝食(ベーグル、チーズ、オレンジジュース、コーヒー)を食べて部屋に戻ると、同行のY氏から「さっき起きた」とメッセージがありました。身支度し、1Fで落ちあい、AAAS年会会場へ。
プレスルームにて、毎年のAAAS年会参加の「主目的」といってもよいイベントである障害者支援プロジェクトのミーティングの準備。AAAS年会やAAASの取り組みについて書いた記事のコピー、日本の障害者をめぐる状況に関するレポートなどを用意。9:40ごろ準備終了。泥縄、です。
この猫型クリップ、たいへん好評でした。
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あたふたとミーティング会場へ。ミーティングは10:00から開始。用意した資料は関心を持って見ていただけました。記事の掲載誌と「生活保護リアル」をプロジェクトのリーダーに差し上げると大変喜んでもらえました。「生活保護リアル」の「はじめに」には、Virginia Stern さん(もとAAAS)に対する謝辞が書いてあります。1990年、米国でADA(アメリカ障害者法)が制定されたのですが、AAASはADAが制定される流れを作るのに大変力あった団体の一つでもあるのです。そのための運動を推し進めてきた一人が Virginia Stern さんです。退職されて数年が経過し、もうAAAS年会には参加されなくなって長いのですが、Sternさんとの出会いが私をどれだけ力づけたことか。もし、2011年のAAAS年会でのSternさんとの出会いがなかったら、私はたぶん「生活保護リアル」を書いていません。

・昼食
ミーティング終了後、展示会場へ。ジャパンブースをちょっと覗いて、別行動(セッション聴講・別の会議参加など)していたY氏と落ち合う。Y氏が「麺類食べたい」というので、Google先生に近隣のヌードルショップを尋ね、そこに行って画像4
みました。
麺類は東南アジア風・日本風・中央ヨーロッパ風などのバリエーションがあり(smallサイズ、各5ドル程度)、それに肉(ビーフ・ポーク)・エビをトッピングするシステム。私は「日本風焼きそば」を自称するものを選んでエビをトッピングしたところ、10ドル程度になりました。エビが高いのです。
麺は、腰のないウドン風の麺。小麦粉だけではなくコーンかポテトのスターチが入ってるのでは? というほど腰がありません。椎茸・ニンジン(ぶっとい千切り)・ブロッコリーが入っています。味付けは、タイ料理的にスパイシーな醤油ベースのちょっと甘いソース。上には焼いたエビ(小型のレッドタイガーか)が8尾ほど、ちんまりと散らされています。さらに生のモヤシがトッピングされています。なんとも形容しがたい食べ物でした。さらに量が多いのです。2/3ほど食べたところで、ギブアップ。うーっぷ。
Yさんは、パッタイを食べていました。トッピングはビーフ。そちらは大変美味そうでした。ううううう。


・午後
プレスルームで雑誌記事(来週発売だったかな)の校正。2ページに30ヶ所くらいの修正という、けっこう大変なお仕事。
その後はプレス向けティーパーティーに参加。
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2時間ほど続くパーティーなのですが、40分ほどで切り上げてプレスルームに。カメラの電池が切れてしまったので、充電です。
今日まで、セッションは一つも聴講していません。午後、一つくらいは聴講&取材したかったのですが、カメラ使えないのでは取材に支障があるし、充電を行っている横を離れたくないので、結局プレスルームに籠もり、明日以後(まだ3日ある)の聴講などの行動計画を練るのでありました。

・夜 
プレス向けパーティーに参加の予定。宿に帰ったらバタンキューと思われます。あ、昨晩はバテててシャワー浴びなかったから、今日は浴びなくちゃ。

街の中に障害者ホームを作ることは、ノーマライゼーションなのか?

東京都文京区に障害者ホームを建設する計画が、周辺住民の反対のため、2年にわたって実行出来ない状態のままになっています。

相次ぐ障害者ホーム反対の背景は (NHK NEWSWEB 2014年1月27日)

東京・文京区小石川にある障害者のグループホームの建設予定地では、2年余り前に計画が持ち上がってから一部の住民が反対運動を続けています。建設予定地の周辺には今も「障害者施設建設反対」と書かれたのぼり旗が立ち並んでいます。この場所には文京区出身の障害者10人が暮らすグループホームが建設される予定です。

ホームを建設する社会福祉法人の江澤嘉男施設長は、「障害のある方たちが地域の住民の方と普通に交わって、地域の中の一市民として認めてもらえるためにも、このグループホームができあがることがわれわれにとって悲願です」と話しています。

しかし文京区が開いた説明会では、建設に反対する住民から障害者への不安や嫌悪感を示す発言が相次ぎました。

説明会の議事録には反対する住民たちの発言が記されています。

「女性の後をつけ回したりしないか」「ギャーとか、動物的な声が聞こえる」「(地価など)資産価値が下がる」

こうしたグループホームへの反対運動は、今、全国各地で起きています。

いやはや。
地域住民がこういう発言を恥ずかしげもなくできるような都市で、オリンピック・パラリンピックを実施してもいいものでしょうかねぇ……。
正直、
日本の恥だと思います。
障害者の問題行為は障害によって起こっているわけではないことの方が多いし、障害が原因であるとしても適切な療育や介助で大半が解決します。
性的嫌がらせレベルの「女性の後をつけ回す」だったら、障害の有無と無関係に警察に通報すれば済む話(で、そんなことは、めったにあるものではないです)。
「ギャーとか、動物的な声」に関しては、嫌がらせやイジメに対する唯一の抵抗であることが大半です。
「資産価値が下がる」に関しては、よくもまあ恥ずかしげもなくそんなことを言えるものだと呆れます。

ただ、私は、別の面から、このグループホーム計画に抵抗を感じます。
「障害者ホームを街の中に作る」は、ノーマライゼーションでもなんでもないと思うからです。
記事末尾には、このような記述がありますけれども。

こうした状況への反省から生まれたのが、障害のある人たちが地域で普通に暮らせるようにという「ノーマライゼーション」の理念で、グループホームなどの設置もこのノーマライゼーションの視点から進められているのです。

は? グループホームづくりのどこが、ノーマライゼーションなの?

かつて障害者施設や障害者ホームは、人里離れた風光明媚なところに建設されるものであり、その中には浮世離れした世界がありました。良くも悪くも「生産」「社会参加」から切り離された、障害者と介助者だけの世界です。
現在も、基本的にこの流れは変わってはいません。精神科病棟を居住施設に転用するという計画も、厚労省主導で進められようとしています。
「精神科病棟の中で、1Fは精神科外来、2Fは入院施設、3Fと4Fが居住施設(もと入院施設)。居住施設にいる人は、入院しているわけではなく、病院の敷地の中で『地域生活』してるんですっ!(キリッ)」
という、
大嘘やゴマカシも大概にしてほしい話が、ヘタすると現実化してしまう状況です。
これに比べれば、文京区の街の中に障害者ホームを作り、もともと文京区で家族と暮らしていた障害者たちが今後もずっと住み慣れた地域で住めるようにすることは、決して悪いことには見えません。たぶん、悪いことではないのだと思います。

しかし。
なぜ、その障害者たちは、アパートを借りて入居することができないのでしょうか?
「一人では契約できない」「一人では生活を営むことが困難」などの問題があるとしたら、そこは介助者・NPO・障害者団体などに支援を依頼すれば済む話。
施設の中は、そのような支援が提供される場でもあるわけですけれども、同じような支援を施設の外で提供して悪い理由はありません。
24時間の見守りを必要とする障害者が一人でアパートを借りて住めば、少なくとも1人の介護職の雇用を生み出すことができます。
「ノーマライゼーション」という言葉は、せめてこういうことに対して使って欲しいと思うのです。

それでもしかし、せめて(人里離れた場所ではなく)街の中に障害者ホームを作ることが
「ノーマライゼーションの大きな一歩」
であり、社会福祉法人の方が「悲願」とまで言われる日本の現実は、私もわがこととして、痛いほど理解できます。
ああ情けない。
日本は先進国の看板を下ろすか、先進国にふさわしい行動をするかのどちらかにしてほしいです。

 

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「みわちゃん・いんふぉ」内を検索
著書です(2009年-)
「おしゃべりなコンピュータ
 音声合成技術の現在と未来」
(共著 2015.4 丸善出版)


「いちばんやさしいアルゴリズムの本」
 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
あります。

「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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