猫と食事と西荻窪、ときどき旅する車椅子

ライター・みわよしこの日常つれづれ話



障害者運動

2014年3月のアフィリエイト収入に関して

2014年3月のアフィリエイト収入は、全額のうち80%を「憂慮する科学者同盟」へ、20%を「世界の医療団」へ寄付します。
下記をお読みになり、趣旨にご賛同いただける方は、どうぞ本ブログのスポンサーリンクのクリックをお願いいたします。


本ブログには開設当初よりアフィリエイトを設定しています。
本ブログには、書きたいけれども商業記事になる可能性が薄い内容、とりあえず今記録しておきたいことなどを、書きたい時に書きたいように書いています。
アフィリエイトは、
「当面はブログの開設と維持に必要な最低限の費用(ドメイン使用料、プロバイダのサービス使用料、インターネット回線費用など)の足しにでもなれば」
というつもりで設定しました。まあ、設定する以上は、効果がより大きくなるようにという若干の努力はしますけれども、それも「気が向いて時間のあるときに、気分転換と勉強を兼ねて」程度のつもりでした。いつか生計を託せるようになるかもしれませんし、ならないかもしれません。もちろん「なったらいいな」とは思っています。著述業の自然な延長上に、生活の基盤となるものをもう一つ増やすことができれば、より安心して暮らし、仕事をしていくことができるですから。しかし「少なくとも向こう半年や一年では、ブログアフィリエイトに生計を託せるようなことはないだろう」とも思っています。
これまで、アフィリエイト収入は多くても1ヶ月あたり300円程度でした。「ライブドアブログ」の有料オプションが賄える程度です。
ところが今月のアフィリエイト収入、今月は3月20日現在で、既に5000円ほどに達しています。
驚き、かつ頭を抱えました。この収入は何に使えばよいのだろうか、と。

今月のアフィリエイト収入は、「STAP細胞報道問題バブル」 というべきものです。
日本の科学報道、特にSTAP細胞に関して行われた報道には、多大な問題点があると考えています。私の考える最大の問題点は、科学報道が科学や研究そのものではなく、関わっている人々のパーソナルストーリーに偏りがちであるということです。パーソナルストーリーが不要であるとは思いませんが、現状は適切なバランスからは程遠いのではないでしょうか。
パーソナルストーリーに偏ることには、「そうした方が読者に受け入れられやすい」という背景があります。それは私も著述業に携わる一人として実感しています。
読者が求めるから報道がこうなるのではあります。また、読者をそんなふうにしているのは報道でもあります。
自分自身、パーソナルストーリーを中心とした科学記事・技術記事を数多く書いてきました。
「Linux Magazine」では足掛け5年、「箱の中のペンギンたち」というインタビューシリーズを連載させていただいていました。
当時の担当編集者の皆様、インタビュイーの皆様、今も感謝しております。



今月、科学記事の「パーソナルストーリー偏重」問題を少しでも是正したいと考えて投稿したブログエントリーのいくつかは、私自身も驚くほどのアクセス数に達してしまいました。アクセスが集中した背景や理由を考えると、まったく喜べません。
「結果として、パーソナルストーリー偏重に一石くらい投じられていれば、まだしも」
とは思うところですが、「はてなブックマーク」やツイッターでの反応を読む限りでは、どうも逆効果であったようです。
私は数多くの反応を読んでいて吐き気を催し、本当に吐いてしまいました。以後は、「はてなブックマーク」もツイッターも、なるべく見ないようにしています。
少なくとも今月のアフィリエイト収入は、自分のために「気持よく」使うことはできません。用途が何であっても。

今月のアフィリエイト収入は、80%を「憂慮する科学者同盟」に、20%を「世界の医療団」に寄付することにしました。
「憂慮する科学者同盟」は、ほぼ「会費を払うだけ」のお付き合いですが、数年前から会員になっており活動内容をよく知っています。規模・事業の継続性も含めて、運営体制は非常にしっかりしています。また「世界の医療団」は直接知っている方々が関わっており、活動内容・運営体制とも信頼できると考えています。
「憂慮する科学者同盟」に対しては、日本のSTAP細胞報道の状況・それに関する私見とともに、
「科学報道向上や科学倫理に関する取り組みに使って、間接的に、日本の科学報道の状況にも影響を及ぼして下さい」
と一言添える予定です。
 「世界の医療団」に20%を寄付するのは、STAP細胞問題が医療の問題でもあることと、医療が最終的に必要としている方々に届くかどうかに関する問題意識からです。
障害者や難病患者は往々にして、医療・福祉分野の画期的な研究成果・最新技術・最新製品といったものに、冷ややかな視線を送っています。「良いものであればあるほど、どうせ自分には関係ないんだろ?」と。 だって、そういったものの恩恵に与るには、資金が必要なんですよ。「身体を傷めつけない車椅子に乗りたい」ということにさえ、場合によっては数十万円単位の自己負担が発生する現状です(私も、現在使用している電動車椅子のために30万円くらい自費負担しています)。最新医療へのアクセスは、さらに困難です。同年齢の健常者の数倍の年収がある例外的な障害者ならともかく、ワーキング・プア以下の収入しかない障害者・収入源が障害年金しかない障害者・生活保護を利用している障害者・障害はあるけれども何らかの理由で手帳取得から遠ざけられている障害者(日本政府非公認)は、その資金をどうやって調達すればよいのでしょうか? 「クレクレ」などと蔑まれながら障害者運動で頑張るしかないのが現状です。就労? 出来るなら、やってるでしょう。就労していたとしても、自分や扶養家族の生活を支えつつ障害や病気のコストを支払い続けることは不可能です。だから就労しているかどうかと無関係に、障害者運動は重要ということになります。
その障害者運動に対しても、そもそも障害者であることに関しても、日本の社会の視線は非常に冷ややかです。「クレクレ」と言われようが弾圧されようが、権利の主張や運動を行わなければ、生きていけないところまで追い込まれて殺されるだけなのに。勇気をふるって、ただでさえ少ない体力その他の資源を振り絞って権利の主張や運動を行えば行ったで「ナマイキな」「お願いしますから生きさせてくださいと懇願するなら許してやってもいい」「そんな余力があるなら働け」「自己責任」といった反応が「これは言ってはいけないことなのではないか」というためらいもなくインターネット空間に溢れます。これが日本の現状です。STAP細胞報道に関して多々見受けられた個人攻撃と同根というべきでしょう。
「世界の医療団」が行っているのは、貧困に加えて障害や疾病などの追い打ちを受けている方々に対し、医療を提供する活動です。いつか、あらゆる方々に対して再生医療の恩恵が届けられるようになれば、貧困状態にある障害者や難病患者たちも、「科学研究は自分にも恩恵をもたらしてくれるものである」と認識を変えるでしょう。その将来のために、私は少額ながら寄付を行う予定です。
科学に根を持つ私は、少なからぬ近辺の障害者たちが「先端科学研究? それが自分の何の役に立つの?」と冷ややかな態度であることを悲しく感じています。「成果は、みんなに届くんです。あなたにも届きます。だから期待していてください」と言えたら、どんなに幸せでしょうか。そのために出来ることはしたいのです。

私のささやかなアフィリエイト収入が、「焼け石に水」程度にでも役に立つのかどうかは分かりません。 
ただ私は、このように考え、このように予定を立てています。
予定している寄付は、私のささやかな障害者運動、障害当事者運動です。
本エントリーによって、忘れっぽい私は、「有言実行」するように自分にプレッシャをかけます。

「働けるのに、働きたくないから、働かない」生活保護当事者って?

私の周辺には、数多くの生活保護当事者がいます。
日常的に親しく付き合ったり、かなり頻繁に連絡を取り合ったりしている方々に限定しても50人程度。
「生活保護当事者の友人・知人」 というよりは、「友人・知人で、現在は生活保護も利用して(あるいは、生活保護のみで)生活の糧を得ている」というイメージです。

私は、生活保護問題について書いているライターとして、
「働けるのに、働きたくないので、働かない」
というタイプの生活保護当事者を問題にしたことがありません。
そのことで、かなり激しい批判を浴びてもいます。 
この理由は非常に単純で、
「ほとんどいないから、書けない」
です。 
全くいないとは言いません。少しはいます。でも報じる価値を感じません。あまりにも少数ですから。

また、基本的には就労意欲が高い方でも、
「いったん就労はしたけれどもブラック企業につかまってしまい、数ヶ月で心身を壊して退職」
「履歴書を200社に送り、5社の面接を受けたけれども、全滅」
といった成り行きの合間に、
「もう働きたくない」
「就労したくない」
という言葉が漏れることはあります。 それは生活保護制度とは無関係に、ブラック企業の問題であり、雇用状況の厳しさの問題です。生活保護を利用していなくても、そういう状況で就労意欲を失うのは普通でしょう。
拙著「生活保護リアル」でも、このような状況のいくつかを紹介しています。

Kindle版もあります。


また、特に生活保護を利用している重度障害者の中には、
「障害者団体やNPOで週のうち20~40時間程度、経験の浅い障害者を主な対象として、相談支援・介護事業所探しの手伝い・病院や福祉事務所への同行などの『仕事』をバリバリ行っている」
というタイプの方もいます。このタイプの方々は、しばしば担当ケースワーカーに
「一般就労する気はないんですか」
と非難がましく言われたりもするそうですけれども(まず無理でしょう。障害が重く、一般企業の障害者雇用でさえ厳しい感じですから)、私は
「参加型のベーシック・インカムとして生活保護を利用している、就労の一形態」
とみなしてよいと思います。
「あくまで一般就労すべき」と考えるのなら、公共がその障害者団体やNPOに本人の給料ぶんの費用を渡して、せめて「公務員ワーキングプア」並みでも給与を支払えるようにすれば、すぐにでも「一般就労」になります。この障害者たちは
「こないだ福祉事務所に異動してきて障害者福祉担当になったばかり」
というタイプの行政職員には絶対にできない、非常に公共性の高い仕事をしてるんです。それは金銭で評価されるべきものだと思います。その仕組がないから、この障害者たちは時として
「働こうと思えば働ける(はず)なのに、仕事を選り好みして、生活保護のまま」
と非難されることになってしまうわけです。
でも、仕事を選り好みして何が悪いんでしょうかね? 
「障害者なんだからゼイタク言わずに、あてがわれた障害者雇用(の多く)で屈辱的な立場と仕事に甘んじるべき」
という感情がどこかにあるのなら、障害者差別そのものですよ?

もちろん、世間には
「生活保護なんだからゼイタク言わずに、生活保護当事者でも就労できるタイプの雇用で、屈辱的な立場と仕事に甘んじるべき、やっと見つかった就労先がブラック企業だからといってゼイタクいうなよ、生活保護のくせに」
という見方も強いわけです……と書きながら、溜息がこぼれます。
この見方は、おかしいです。さまざまな差別を含んでいます。その差別の一つ一つは、少なくとも堂々と口にされるべきではない性質のものです。
「生活保護なんだから」
「生活保護のくせに」
という枕詞がつくことがらは、
「生活保護受給中は、基本的には生活保護費の範囲で生活すべき」
以外にあるべきではないのです。
経済的困窮は、人権を制限する理由になってはなりません。
「犯罪を犯したから刑務所に収容して人権を制限する」
とは(これだって問題を多々含んでいますが)、わけが違います。

私は、世の中にどう働きかければ、「生活保護なんだから」「生活保護のくせに」という枕詞がつくあらゆることがらに対して、
「許されない差別かもしれない」
「自分のとんでもない誤解に基づいているのかもしれない」
「自分が正義だと思っていることは、正義でもなんでもないかもしれない」
と思っていただけるのだろうか? と悩みます。
悩んだあと、
「それは絶望的に困難な試みかもしれないし、声の届かない方々は一定数は残るだろうけれど、やるしかない、やろう」
と自分に言い聞かせて、気分を立て直すのですが。 
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著書です(2009年-)
「おしゃべりなコンピュータ
 音声合成技術の現在と未来」
(共著 2015.4 丸善出版)


「いちばんやさしいアルゴリズムの本」
 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
あります。

「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

Part5「測定器、使えてますか?」は、
東日本大震災後、
環境測定を始められる方々のために
gihyo.jpさんで無料公開
しております。