2008年03月19日

何人の人が読むのだろうか、、、

7e0dadc2.jpg現在人類学の修士課程に復学しまして、悪戦苦闘中です。医療人類学、特に乳がんと関係した研究をしていきたいと思っています。 とりあえず,うちの最古参の猫、無(ただ)さんが亡くなりました。享年19歳。老衰でしょうね。2ヶ月くらい前に脳梗塞の発作があり、それからだんだん体の自由がきかなくなり、最後は寝たきりでした。でも、ちゃんと最後までお世話できたので、それだけはよかったかな。もう今日明日というときは夢うつつで、時々思い出したように私たちを呼んでいました。 ただちゃん、ありがとう!あなたは私のアメリカ生活のすべての生き証人でした。これからは私たちを見守っていてね。

2007年08月08日

マスコミ

そろそろ朝青龍監禁問題という言い方もでてきたみたいですね。日本のマスコミの反朝青龍一辺倒はやめて欲しい。

現在読書中がAl Goreの「The Assault on Reason」。アメリカのメジャーマスコミの偏向報道が、理論性を失ったキリスト教福音派の台頭を招いたと警鐘をならしている非常に興味深い内容です。

しかしながら、改めて日本は情報統制されているなあ、と思います。中越地震の際、ヨーロッパで「日本中が放射能で汚染されている」というニュースが流れたらしいです。それを日本のマスコミと日本人は一笑したらしいですが、何を根拠に笑えるのか、大変疑問が残ります。現に次々とその後原発での放射能漏れのニュースが伝えられているというのに。

2007年08月07日

朝青龍

朝青龍が仮病・サッカー疑惑で4ヶ月の謹慎となりました。なんか、はめられたっぽいと思うのは私だけでしょうか?アンチ朝青龍という空気がずっと流れていたし。もう1場所優勝したら貴乃花にならんじゃうし。また、まだ若干26歳だから、もしかしたら千代の富士の記録も抜いちゃうかもしれない。

でも、朝青龍は言葉や文化のハンデを超えて頂点にのぼったのですよ。言葉とか文化のハンデは、それを経験しないともしかしたらわからないのかもしれない。特に日本の閉鎖的な文化・習慣の中で頂点を極めるという事は、並大抵の努力ではないと考えます。確かにいろいろと批判はありましたが、彼はその度に謙虚に対応していたと思います。手刀を左手から右手に変えたりしたこともその現れでしょう。

仮病・サッカー疑惑が、もし朝青龍が意図して協会をないがしろにしたのなら、それはもちろん罰にあたるでしょう。でも、4ヶ月間家と病院と部屋以外一歩も外に出るな、外食もだめ、っていうのは軟禁でしょ?これって人道的にどうなんだろう。また、報道によると相当精神的に参っている様子。それでも軟禁を続けるのは罰を超えてると思うんですけど。

なんというか、こんな相撲協会の体質じゃあファンも離れていくと思うんですけど。特に、大のお相撲ファンであった私はかなりしらけきってしまいました。朝青龍がいないお相撲なんてつまらないので、次は海老蔵か!って感じです。(笑)

2007年08月06日

復活

4efd8a87.jpg大自然の中で贅沢な時間を過ごしました。ヨセミテでしたことは、観光ポイントをいっさいまわらず、川の清流で泳いだり、雄々しい山を見ながらお昼ねしたり、川の石に腰掛けてソローの「森の生活」を読んだり、、、。ソローの言う通り、疲れきった精神は自然の中でしか癒されないということを、身をもって学びました。

これからどう更新していこうか、まだ方向は決まっていませんが、ゆっくりとまたブログを続けていこうと思っています。

(写真は昼寝をしながら撮ったものです。)

2007年07月09日

ありがとうございます。

皆さんのあたたかいコメント、メール、ありがとうございます。日に日に気持ちも落ち着いて、めそめそしてられない!という心境になりつつあります。また、自分がひとつだけしてあげられることもみつかり、少し心が晴れました。今後はブログで乳癌ということもとりあげることに、いやでもなりそうですがおつきあい下さい。世界一乳癌患者が多いここアメリカですから、人ごととは思われませんもの。

今日からヨセミテにキャンプです。鋭気を養ってきます。また、コメントへのご返事も、あらためましてキャンプより帰ってきてからアップしようと思っております。



2007年06月30日

(無題)

いったい私に何ができるんだろう。

「死」というものがこんなに近くに潜んでいるなんて、まだ30代の私たちは思ってもみなかった。ましてや、36歳の若さで乳がんの宣告を受けたあなたは晴天の霹靂であろうと思う。

でも、思うことしかできない、、、。このもどかしさ。やるせなさ。

電話でも、結局何も言うことができず、「頑張れ」という言葉も酷な気がして、ただ沈黙するしかなかった、、、。

この病気のことを知らなければ、私があなたをとても大切に思っていたことにも気づきもしなかった。そういえば、私の父が亡くなった時も、同じようなことを思ったっけ、、、。

後悔するような生き方はしたくない!と粋がって生きてみても、所詮後悔するような生き方をしてるじゃないか!でも、その過去を今さら悔いてみてもどうなるわけでもないし。

いったい私に何ができるんだろう。

2007年06月28日

(無題)

お久しぶりでございます。ブログを復活させようと日々努力しております。ネット環境の不安定さと共に、あまりの忙しさも重なり、こういう事態になっております。

サンフランシスコへ移住して、もう1年が経過。あっと言う間でした。ブログをお休みしていた間にも、ここサンフランシスコではいろいろな出来事がありました。また、いろんな事に参加しました。来年はどうもゲイプライドパレードにも出れそうです。興味のある方は是非ご連絡くださいね〜。










閑話休題






大切な人が乳がんの宣告を受けました。現在、大混乱中です。大変なショックです。



2007年05月16日

結婚式

結婚式はラスベガスから2時間南に下ったところのLaughlinの近く。実際はそこからコロラド川を渡ったアリゾナ側で式とレセプションは行われました。かれこれ20年以上も前に、たった4週間ホームステイしただけなのですが、その後現在に至るまでずっと家族のような関係を続けています。式もレセプションも私たち家族は親族席にすわらせてもらいました。

私たちだけだったんですよ、アジア人。っていうか、いつもその家族の集まりでも私たちだけがアジア人だったんですが、みんな私のことを知っているので、あんまり感じたことはなかったんです。でも、結婚式ということで、花嫁さん側のゲストや今まで会った事のない花婿の友人なんかが来ますよね。やっぱり雰囲気として相手がとまどっているのがわかるんです、なんとなく。式場からレセプション会場のゴルフ場へと会場を移しそれが顕著になってきました。まず、ゴルフ場にいたほかのお客さんやゴルフ場で働いている人たちは、東洋人なんて始めて見た!という感じなんです。私と主人はやれやれ、という感じで眺めていたのですが、「東洋人=英語ができない」からどうしよう!という空気なんです。さすがにレセプションの招待客なので即差別的というのではありませんが。

さて、レセプションではアルコール飲料は自分で買う仕組みでした。で、主人と私の飲み物を買いにバーに行きました。しかし、3人いるバーテンダーはまったく私を無視。見る事さえ避けています。おまけに後から来た白人女性たちも、これまた私を無視してさっさと自分のオーダーを頼んでいます。頭にくるのも通り越して、「いったいどうするんだろう」と思い、そのまま観察することにしました。その間バーにすわっていたほかの白人の中年男性はビールを飲みながら、私から目をそらすことなく苦々しくこちらを凝視していました。あまりにも私の帰りが遅いので、主人がやってきました。あらましを説明し、ちょうど隣の白人女性が私を飛び越してオーダーをしていたので、「ほらね、こういう風に」と言ったら、さすがに気づいたらしく「ごめんなさい」って言ってたけど。今まで凝視していた白人男性もさすがに男を凝視するわけにもいかず、やっとこちらを見ることをやめて、隣の男と談笑し始めました。私はドリンクを頼むのを主人にまかせることにしました。私が離れると主人が「俺のオーダーをとれ」と普通に言ったら相当びっくりしてたらしいですけど。なんでびっくりしたんだろう、、、。

花嫁さんのご両親はどの人か、隣にすわっている花婿のおばあさんに聞いたところ、両親は離婚して、両方ともその後複数回結婚しているので簡単な質問だと思ったのが、結構面倒なことに。でもおばあさんが花嫁のお父さんに会わせてくれました。この人はもうどうしていいかわからないといった感じで、やたらに感じはいいのですが大変に困っています。仕方がないので一通りの挨拶をしたら、おばあさんが「Miwakoは花嫁のお母さんにもお祝いが言いたいのよ」と言ってしまって、そのお父さんが「じゃあ紹介してあげる」ということになりました。ここまではごくごく普通のことです。でも、何を思ったのか私の手をひいて、というかまさに「おててつないで」状態なんです。そりゃ東洋人は若くみられますけど、いい加減に30も半ばを過ぎ、後半にさしかかっているので、さすがにこのごろではアルコールを買うときにID見せろと言われなくなったのに、おててつないで。そのときに主人に会ったので「私の主人です」ってその花嫁の父に言ったのですが、彼は花嫁の母に私を引き合わせる事に必死で聞いちゃあいない。うちの主人は「おててつないで」状態の私を見て最初はぎょっとした顔をしたものの、苦笑をかみ殺していました、、、。悪い人とかいい人という前に、どうも私の東洋人という人種に免疫がないらしい、、、。なんかすごくあたふたさせてしまって、むしろ申し訳ないとさえ感じました。

日本の人には以外かもしれませんが、田舎に行けば行くほど白人しかいなくなります。従って都会にいると感じないことを田舎では強く感じることがあります。英語でDiversityという言葉があります。多様性とでも訳すのでしょうか。これが田舎に行くと「プロテスタントの白人」という構図しかなくなります。このカテゴリーから外れると、息が詰まる思いをします。サンフランシスコは町中がDiversityを大変重んじる独特の文化のおかげで、こちらに引っ越してきて以来「白人パワー」丸出しの人間に会った事がなかったので、ちょっとこたえました。



2007年05月15日

ラスベガスの喧噪

そりゃあ、わかってましたよ。ラスベガスってとこがどんなとこか。どんな人間が集まってるのか。でも、ここまでひどいとは、、、。

私が高校生だったころ4週間ホームステイしたところの息子(36歳)の結婚式に出席するため、金曜日から日曜日にかけて珍しく「小旅行」に行ってきました。式はネバダ州境のアリゾナ州でしたが、飛行機の直行便はないのでサンフランシスコからラスベガスまで飛んで、その後2時間のドライブ。前回ラスベガスへ立ち寄ったのはグランドキャニオンに行く際に休憩した5年前。宿泊したとなると14、5年前になるでしょうか。ラスベガスは嫌いとはいいつつ、でも昔はよく遊びに行ったし、ずいぶんラスベガスも変わった事だし、と期待と不安でいっぱいでした。今回は結婚式のついでに、まだラスベガスに行ったことのない娘達のために1泊することにしていたのです。

何かいや〜な気がしてたのは空港からでした、、、。飛行機代を多少けちってSouthwestに乗った私が悪かったのもあるのですが、、、。隣に整然と列を作っているロサンゼルス行きのゲートと、異様にはしゃいでいるラスベガス行きのゲートでは明らかに何かが違ったのです。そして、ここサンフランシスコに移ってきてからは感じなかった空気、白人の周囲を圧倒するような威圧的な空気も感じたのでした。

ラスベガス空港の喧噪はその「威圧」をさらに助長させていました。それだけではなく、私たちはラスベガスにとっての「金づる」、お金をむしりとるだけのベルトコンベヤーに乗っていたのでした。恐ろしい事に、周りはむしろそのベルトコンベヤーに乗っている事を楽しんでいるのです。

子供たちが「バフェに行きたい!」というのでホテルにチェックインした後お昼を食べにバフェに行きました。そこでは私たちがベルトコンベヤーに乗っているだけでなく、働いている人たちもベルトコンベヤーに乗っていることに吐き気さえ覚えました。そのバフェが特別ではなく、カジノのディーラーも同じ。みんな無表情でそのベルトコンベヤーに乗っている客をさばく、、、。

すっかりラスベガスに当てられた私たちは、結局ホテルのプールで過ごすことにしました。どうしても外にでるのが怖くなってしまったのです。一年中涼しいサンフランシスコではプールで泳ぐというのは究極の贅沢。子供たちは大喜びです。でもやはりこのプールサイドで味わったのは「人種の壁」でしょうか。人種問題というとヘイトクライムなどの、アグレッシブな問題のように聞こえがちですが、日常問題の場合はまずその数の少ない人種を無視し、そこに存在しないように振る舞うということがあります。この行動は意図的な場合もありますが、多くの場合意図的ではなく、当たり前で、つまり『日常』です。久しぶりにそんなことを思い出した一日でした。

「そうだ!全米の田舎からラスベガスに人が集まってきて、そういう人がたくさんいるから気分がよくないんだ!だったら普通の人々が暮らす地区に行って、そこでごはんでも食べよう。それなら自分たちがラスベガスの一部の大資本家のためにお金を出さなくてもすむ。」と思い、ラスベガス・ストリップから離れ、住宅地の方へ。でも、そこは広い道路がどこまでもまっすぐで、でもその道路には車が溢れている。車を渋滞させないためにそんな広い道路でもUターンさせない仕組み。なんだか、これもベルトコンベヤー?

普通のマーケットにワインと何かを買いにはいってみました。そこにももちろんスロットマシーン。レジを通って、そのおつりでみんな遊んでいる、、、。ラスベガスは全米で最も犯罪が多いというのも頷けます。子供たちもそれを見て育つんですもの。

息が詰まるのは光化学スモッグのせいだけではない、と感じたラスベガスでの1日目でした、、、。

2007年05月09日

このごろの日々

放置したくてしてるわけじゃないんですよ。まず、前回せっかく書いた記事が反映されなかったのもあるんですが、一番大きなのは生活の変化。主人のアシスタントがやめて(っていうかやめてもらって)次の人が見つかるまでピンチヒッターでオフィスで働いてます。そのアシスタントの仕事プラス今まで家で手伝ってた分の仕事なんです。量はたいしたことないんですよ。でも今まではご飯したくしながら、洗濯しながら、掃除しながら、仕事もしてたんですが、今はオフィスにいなくちゃいけない。それも忙しければいいけど、暇な日なんかは「あ〜、アイロンかけたまってるから帰りたいなあ」とか思ってぼけ〜っともったいない時間を過ごしております。

そうそう、遅ればせながら修士課程に9月から通えることが正式に決まりました。それとDomestic Violenceの講習も終了し、これも修了証をもらいました。それとともに、そういったニーズがあれば通訳できる講座も同時に修了しました。ほんとはすぐにボランティアを始めたいのですが、突然の仕事にそのボランティアの方は6月以降になってしまいそうです。

今回のことでわかった事。人を使うって大変!すごく簡単な仕事だったんですよ、そのアシスタントの仕事。でも電話で応対する仕事なので、感じが悪いとそれでおしまいなんですよね。その人はロシア語が母国語でたぶん7カ国語くらいをはなせるんですけど、アジア系訛りの英語でお客さんが電話してくると「あなたの言ってる事がまったくわからない」っておこっちゃうんですよ。それもものすごいロシアなまりで(苦笑)それで主人のプロダクティビティがあがるどころが逆にさがっちゃったので思い切ってやめてもらったんです。会って話すと感じのいい青年なんですけどね。なので、今度は電話インタビューが必要だなって思ってます。

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