2021/12/21
「歌わせていただきました」



2021/11/20
「 歌わせてもらいます 」







MC ¥2,500-(税別)
安藤 義則(ピアノ)
高畠 博文(ベース)










是非とも
「会いに来て欲しいのです


今回も 髪の毛ピンク



2021/11/02
2021/10/25
「 そういうとこやな 」












































下山して











2021/10/15
「 ワンちゃんボケ 」




















2021/09/17
2021/07/01
「 今年も後半戦 」

























2021/05/21
「 新しい家族とライブのご案内 」



























このコたちが





¥2,200-(税込)
安藤 義則(ピアノ)
近藤 哲生(ベース)






2021/04/28
「 切ないほどに イカしたDIVA 」
2021/02/05
「 こころいっぱい溢れる ありがとう 」
二月三日は、二十四節気の最初の節気「立春(りっしゅん)」
旧暦では立春近くに正月がめぐってきたので、立春が一年のスタートのとき。
2021年が明けて
やっとブログを書こうと思えたのは、私のなかで「ひとつ」のことを認めることが出来たから。
昨年の暑い夏の日に、この世で最も大切に想っていた大心友を失いました。
彼と私は中学1年生の時に、クラスメートとして出逢いました。
彼が全寮制の高校に進学した時も、文通を通じてお互いの近況を報告しあっていました。
それからも、直接会うことはなくても彼からは
結婚や子供が産まれたことを、写真とともに年賀状で知らせてくれていました。
その頃の私は、公私ともに時間に追われ、彼とは疎遠になっていました。
月日が流れ、ちょうど7年ほど前にSNSで彼を見つけ、すぐにメッセージを送りました。
そして再会
緊張している私を見つけるや否や
「みわ〜!!あっ、これ嫁はんや」
と、彼は隣に立つ女性を紹介し
何十年ぶりかの再会なのに、まるで中学生の時のように昨日も会っていたかのような自然で当たり前の会話が始まりました。
それからは毎日連絡を取り合い、奥様を交えての家族ぐるみのお付き合いが再開しました。
一緒にご飯を食べた
一緒に飲んだ
一緒にカラオケを歌った
一緒に泣いた
一緒に笑った
一緒に星を見た
一緒に雪を見た
一緒に花火をした
一緒に大好きな沖縄に年に何回も行った。
何をするにもいつも一緒だった。
お互いに何でも正直に包み隠さず、自分の分身へ言い聞かすように本音で語り尽くしました。
少年、少女から大人になる過程をお互いに見てきた、自他ともに認める、最高の大心友でした。
その証拠に、彼のSNSは、沖縄と私との写真だけで埋め尽くされています。
世間では信じられないことだろうけど、2人で行く沖縄は常に同室でダブルベッドでした。
狭い部屋にダブルベッドと小さな机だけの安いホテル。
もちろん奥様も承知の2人旅。
「お父さんを頼むで」いつも、そう言って見送ってくれました。
あるとき彼が
「みわ、俺の初恋はお前やってん」
と照れながら話してくれたことがあります。
「ふぅ〜ん。」
「いつまでもお前は最高の女や」
そう話しても気まずくならず、同じベットで眠りました。
手を繋ぐこともなく、お互いが居心地よく眠る。
そう、いつものこと。私たちはもう家族でした。
彼が亡くなった理由を簡単に説明することは出来ません。
ここ数年、彼はこころの病に悩まされていたので、もちろんそれは直接的には大きな原因です。
ただ本当の理由は誰にも分かりません。
私は彼の周りに残った社会との、ほとんど最後の繋がりでした。
彼の死はあまりに突然で、メールの返信がなくなった3日目の朝に、奥様より彼の訃報のお知らせが彼のメールアドレスで着ました。
私に何も言わないで消えたということは、そういうことだと
私はどのように自分の精神を保てばいいのかと頭がいっぱいになりました。
それでいてそうなったことを認めざるを得ない状況でした。
彼と最後に逢ったのは亡くなる6日前。
いつものように沖縄料理を食べ泡盛を飲み、何一つ変わらない、「またな」のことばと最高の笑顔。
次の日もバカな話のやり取りをして、締めのことばは彼からの「ありがとう」
それが、最後のことばとなりました。
私の人生のなかでの何回目かのお別れです。
これほどの絶望があることを、また思い出してしまった。
そして彼に対して最初に出たことば
「ありがとう」
このことばを、あれだけ強く、はっきりと言えることは、きっともうないかもしれません。
彼の死から半年が経ち、今こう思えます。
大心友の彼の死という事実に向き合わざるを得ない出来事が、現実として起こってしまった今、
私に降りかかった哀しみは、誰と比べることが出来るものでもなく、それでいて私だけが特別ではなく、ごく普通にあるものなんだと。
死は誰にでも必ず訪れる、生物の生理現象の終着点です。
彼の死は、彼が選んだ道です。
死を肯定するわけではないですが、人それぞれの価値観です。
彼の死について冷静に考えられる時間が増えてくると、この事実を否定したり、有りもしない「もし」を想定する自責の念が少しずつと薄くなってきました。
もちろん私はこれ以上大切な人を失いたくないし、「死」という選択肢よりも、生命はもっとも尊く、素晴らしく価値のあるものなので「生」を選びます。
彼と私の関係を知る人は皆こう言います。
「わたしの中に彼が生きている」と。
本当にそう思います。だって彼は私の人生に強い影響を与えた存在なのですから。
私が私として今生きていることは、「彼の作った実績」でもあるのです。
私はどんなことがあっても、最期のその日まで生き続けようと思います。
私が私として生きていくことが、彼に対する最大の慰籍であると考えているからです。
いつか私が死に、彼と再会するときが来たら、私の生きた軌跡をすべて話そうと思います。
そして彼に
「ほんまか!それやったら生きとったらよかったわ!!」
必ずそう言わせることが目標になりました。
〜 大心友のあなたへ 〜
どんなに月日が流れても
あなたがそこにいたことは
決して忘れることは出来ないでしょう
こんな気持ちにしてしまったあなたを
まだ簡単には許すことは出来ませんが
あなたは私のかけがえのない「大心友」です
あなたとまた逢えるその日まで、私は生き続けていきます
終わらない日まで
『 命どぅ宝 』
心いっぱいありがとう