2006年12月19日
卒業から1年
12月15日NIMBASの卒業式が行われた。PTのUさん、Tさんが無事ご卒業され式の模様を報告頂いた。感動的な式だったみたいだ。
式は、この時期のオランダらしい気候の中行われ、NIMBASの創業者/学長であるJosephineも引退したそうだ。彼女は経歴・ビジネスセンスはもちろんの事、素晴らしい人格を持ちNIMBASがここまできたのも彼女の功績に他ならない。以下、Uさんのご報告からの抜粋。
「20年前にオランダに高等教育機関(特にMBA)を設立するという私の夢からNIMBASは始まりました。」とう冒頭の言葉から「始めは小さな教室しかもてず、生徒を入れると教室がいっぱいになってしまったこと」「いろいろな人の協力無しにはこの夢は実現できなかった、特に勉強しようという意思をもった貴方(生徒)達がいたからこそ、ここまでやってこれた」。そして「いま私の夢はこうして実現し、私はこれをもって引退します。次は貴方達が自分の夢を実現する番です。」という最後の言葉で会場全員が立ち上がりしばらく拍手がなりやみませんでした。
私は卒業してから1年経ち、現在は某外資系メーカーでマーケティングを行っている。前職からの延長線上で1年経ち知識も蓄え、ようやくやりたい事が出来始めてきたが、試練や苦労、屈辱の連続であった。でもここまでやり遂げてきたのは、MBAで培った知識でも、学位でもなく、1年間やり遂げたという自信と、フォルダーというプライド、NIMBASの卒業生である誇りだった。これからもそれは変わらないだろうし、自分の頑張り如何により影響されることも多くなった。「自分の夢」を実現するためにこれからも頑張っていこうと思う。
2005年09月21日
卒業論文終了!そして・・・
先週、Management Project Report (卒論)を無事提出!研究期間を含めると4ヶ月にも及んだ作業がようやく終わった。この提出をもって、学校のカリキュラムは全て終わり、1年間のMBAプログラムが終了した。論文結果は、11月になるとの事だが、最低限、パスは出来るだろう。最後の論文の字数は15,000word。ページにして130ページ近く。長かった・・・
論文は、郵送で学校へ送ることも認められてるので、クロネコヤマト/UPS経由で送った。NIMBASは学校側へ論文を6部送らなければならないので総量が大きく、宅配費は2万円近くかかった。予想以上に高かったが仕方ない。
論文を書き終え、一定の充実感・満足感はもちろんあったが爽快感は正直あまりない。というのも、これからは就職活動が控えているのだ。今までの生活も重要だったが、これからの生活はもっと重要。その鍵となる就職活動がこれから本格的に始まるのだ。
休む間もなく、次の日から人材紹介会社への登録、企業との面接等目白押しの毎日。就職が決まったら決まったで、会社生活が始まる。欧州の友達のように1ヶ月間のバケーションも欲しいが、そんな事は、もちろん言ってられない。現実の世界が待っているのだ。
次のステージはもっと気合を入れていかなければ。若いうちは、ひたすら走り続けようと思う。
2005年09月11日
English Check
久々の更新。最近は、卒論の最後の追い込みで書くヒマがなかった。言い訳だけど(笑)
さて、卒論について、先週担当教授から承認をもらい提出できることに。長丁場だったこの作業も確実に終わりに近づいてる。一応内容についてはOKなので、目次を作ったり、参考文献のページを整理したり、頭の使わない作業を敢行。でもこれが意外と時間がかかる。特に私のWordテクニックがそれ程でもないため、友人に聞いたり、ネットで調べたりと面倒臭く、フラストレーションが溜まる作業を行う。。自分で出来る作業はまだいいのだが、自分では出来ない"English Check"という作業がある。これは文字通り、英語のチェックであり、Nativeに見てもらったほうがmuch betterとの事。この学校は、オランダにあるがイギリス・ブラッドフォード大学のカリキュラムの履修なので、特に英語には厳しい。なので、学校から紹介されたnativeに打診。しかしまた、これが高く、一時間20〜30ユーロ。当然一時間で終わるはずもなく通常8時間くらいらしい。でも我々アジア人はもっと英語力が下なので10〜12時間。ということは、1時間25ユーロ×12時間だとすると、300ユーロ。1ユーロ=135円だとして、40,500円。ブラス送金である。。あまり経済的余裕のない私としては、いっそうの事、やらない事も考えたが、やはり確実を求めて、やることを決心。しかし友達にあたることに。グループで履歴書やちょっとした書類を見てもらってる仲の良いアメリカ人もいるが、彼も私と同じ立場なので恐らくテンパッテるだろう。。と思いだしたのが、うちに高校時代1年間ホームステイをした友人K。彼はカリフォルニア大学バークレー校を特待生で入り卒業した逸材。私の結婚式にも着てくれ仲が良い。でも忙しいだろうなと思いつつ打診すると、即答でOK! 助かった。。持つべきものは友である。。
彼の直しを元に、最後の仕上げを行い今週中には学校に提出する予定。ゴールは果てしなく近くなってきた!
2005年08月28日
コンピタンシー
2005年08月25日
更新してませんでした。。
2005年07月18日
3連休!!
2005年07月10日
今週
2005年07月03日
再会
2005年06月24日
最近・・・
2005年06月02日
無事帰国しました。
2005年05月26日
オランダ生活がいよいよ終わります・・
2005年05月01日
Queen's day

2005年04月25日
London trip
2005年04月23日
キューケンコフ公園

2005年04月20日
Advanced Strategic Management
2005年04月11日
Wien (Vienna)


2005年04月09日
Praha
夜は観光ガイドに載ってるウ・メドヴィドクというビアホールで食事。チェコ伝統料理、グラーシェ、ローストビーフのクリームソース、ソーセージ、黒ビールを注文。味は私はOKだったが妻の口には合わず。ビールは最高。値段はもっと最高。一品約400円程。観光客だらけだったが良心的な値段で、スタッフの態度もgood。
プラハ城を後にし、次は旧市街へ。旧市街広場にある市庁舎前で観光客が多く立ち止まっていたので上を見上げると大きな時計が。「12人の使徒像の天文時計」だそうで、毎時時間がくると12人の使徒像が姿を表す事。待つこと5分。ただの使徒の人形が鳩時計のように姿を見せるだけ。。あまりのしょぼさに失笑が。我々は直前にきて短時間しか待ってなかったからいいものの、これを見るため長時間並んでた人の心はいかに・・・2005年04月08日
Berlin
4月7日
Rotterdam空港からBerlinまで飛行機で約1時間。オランダのすぐ隣にありながらなかなか機会のなかったドイツに到着しました。
夕方着だった為この日はプラハ行きチケットの購入(ツォー駅)と予約したホテル探し。駅員は受付の人こそ英語が通じるが、フォームにいる駅員の人はほとんど英語が話せず。地図を見せながらbody languageを交え何とか切符を購入しホテルのあるツォー駅へ。列車は大きく、清潔感があり液晶モニターによる駅案内がされてるため乗ってからはスムーズでした。
ホテルは駅から約15分。ベルリンは街自体広いが非常に整備されてるのでホテルまでも順調。ホテルは3つ星でスタッフは人の良さそうな初老のおじさん。全く英語を話さないが、私の話してる英語は理解してる感じ。私もおじさんの言ってる事が何となく分かり、言葉は心だなと納得してしまった。
夜は近所のイタリアン・トラットリアへ。本当はソーセージを食べたかったが伝統料理は近くでは見つからず。ビールだけはドイツ産で。オランダに比べ値段も安く味もまあまあ。ボリュームはあり満足。
次の日は11時半の出発時間まで近場を観光。ドイツ連邦議会議事堂→ブランデンブルク門→戦勝記念館ジーゲスゾイレ→カイザー・ヴィルヘルム記念教会へと立て続けに見た。ブランデンブルク門は崩壊前には、ベルリンの壁がありくぐれなかったとの事。しかしながら、あまり下調べをしなかったせいか、あまり感慨深いものはなかった。その後、ツォー駅に戻りプラハ行きのECに乗車。
2005年04月07日
ドイツ・中欧(チェコ・オーストリア)旅行






























