「おう山本。どうした?」

自分が電話をした時、小鉄先生の第一声は必ずそうでした。

いつも御相談ばかりで
ジャパン女子内部のゴタゴタの時はしょっちゅうで
ジャパンが潰れたら新日本に来いと言われた事もありました。

JWPを辞めてフリーになって以降、お会いする頻度は更に増しました。

新日本の両国大会や後楽園のあと、小鉄先生の車に乗せていただき
先生の御自宅まで行き、奥様にご挨拶。
その後、近所の焼肉屋で飲むのが定番のコースでした。

新日本やプロレス業界全体の話は必ず。
先生からインディー団体について逆に質問を受ける事もありました。

亡くなるたった二週間前に、毎年のお中元の御礼の電話がわざわざ先生からかかって来ました。

「山本いつもすまないな、ありがとう。 お前あんまり気を使うなよ、嫁さんとお子さんは元気か?」

あれが最後の会話でした。今でも声が聞こえるようです。
御元気で、全然普段と変わりませんでした。

自分にとっては まだ小鉄先生は生きています。

ふと振り返ると、そこに居るような気がします。いや、居ます。

「馬鹿野郎、俺は元気だ。そんな事より山本、自分の事を心配しろ。」

小鉄先生、自分頑張ってます。これからも叱咤激励のほど宜しく御願いします。