寿司屋の宮城野

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今日は晴れ
今週も映画館通いです。
tar/ター

ドイツの有名オーケストラで、女性としてはじめて首席指揮者に任命されたリディア・ター。天才的能力とたぐいまれなプロデュース力で、その地位を築いた彼女だったが、いまはマーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャーと、新曲の創作に苦しんでいた。そんなある時、かつて彼女が指導した若手指揮者の訃報が入り、ある疑惑をかけられたターは追い詰められていく。
主役のケイト ブランシェットの演技の
リアルな演技は指揮者がオーケストラを自分の世界観や人生観を作品に重ねることで聞くものに感銘を与えてしまう。
後半は、頂点に立つ者の苦悩が襲う、自分へのSNSの勝手な評価やあらぬ噂に身も心もズタズタになるが、彼女は環境を変えてみる。
他国の地で甦ることになるのか。

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今日晴れ
銀河鉄道の父を観てきました。
宮沢賢治の父の子供達への愛情物語です。
明治から大正へ変わりゆく時代に、厳格な父に育てられながらも、自分の意志で世の中の為になることは何かを子供達に考えてもらおうとする新しい姿の父親の姿をみせます。
跡取りの賢治には、賢治の生き様を見守ってゆく、賢治も試行錯誤世の中の為になることを求め彷徨うが、賢治の妹「春」の願いを叶えることから日本のアンデルセンになると約束して、
賢治の「風の又三郎」を結核で病に倒れた妹の枕もとで聞かせてあげる。
妹が亡くなった今、書く気力さえなくなった賢治を支えたのは父政次郎だった。
自主出版した本は売れることなく、賢治は途方に暮れるが、父政次郎は「俺が賢治の愛読者だ」だから書けと元気ずける。
やがて賢治も若くしてこの世を去る。が「宮沢賢治詩集」死後日の目を見ることになるのだ。
銀河鉄道の父、役所広司、宮沢賢治の菅田将暉、妹春の森七菜の演技に泣かされます。

今日は晴れ

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今日は晴れ 産経新聞秋晴れエッセイより 宮城県東松島市で開業医をしていた妹の夫は、朝医院を開ける準備をいい残し往診に出かけ、肺炎だった患者に近くの病院への紹介状を書き、その筆跡といい残し妹への言葉が最期となった。

午後の震災時、津波が押し寄せるなか、地域の皆に避難を呼びかけたり、医師の無線仲間と交信したりしているうちに、被害にあったのである。

私と主人、弟は何度か後片付けに行った。松の木が母屋に刺さっていたし、小舟も流れ着き、一階の天井まで水がきた様子で、医療器具の数々、自動販売機などが 流されて散乱していた。入院を既に止めていた二階には、ベットやエアーマットなどがあり車で運び福祉施設に届けた。

他にカッセットコンロ、ホワイトガソリン、携帯トイレ、テントの防災用品がびっしり残されていた。彼はー起きてもいないことを想像することが防災の生き方ーと語り、趣味のバイクで瓦礫の上を走る訓練をしていたそう。

その日、仙台市まで買い物に出掛けていた妹は、戻れるところまで赴き、一夜を車中で過ごした朝、無事に、毛布を被り歩く看護師さん達に会い、車で流される義弟を見たことを聞いた。

彼は、居宅の鴨居に万一の場合に備え、医院をたたむ際の手順まで残している。

あの震災で沢山の人が亡くなり今は、天国の患者さんたちに囲まれているのだと12年たって思っっている。

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東日本大地震から12年
私達宮城野チームは翌年12年から宮城県七ヶ浜国際村の子供達へ毎年毎年行きますよろしく「鮨を食べて元気を出して」
コロナ禍の21.22年は行けませんでしたが
今年は、また可愛い子供達の顔が見れることが叶いそうです。
「すずめの戸締り」も観ましたが、
産経新聞「朝晴れエッセイ」から
12年前の少年
「今日の朝はパンだったよ。ハチミツつけて食べたんだよ」。初対面の小学生の少年に声をかけられ、びっくりして言葉に詰まってしまった。ニコニコしながら私を見上げる彼に、必死で涙を堪えて、泣き笑いの変な声で「そっか!良かったね!」と言うのが精一杯だった。「うん!すごく甘くておいしかったよ。ありがとう!」ニコニコのまま、元気に走り去って行った。
12年前の東日本大震災、私の勤める施設では被災者の受け入れを行った。たまたま事務所の受付窓口付近に立っていたところ、彼に話しかけられたのだ。少年の言葉に泣きそうになったのは、幼い被災者を気の毒に思ったのではない、彼を満面の笑顔にした
朝食を用意したのは私じゃない、それなのに、震災をまだ何処か遠い、テレビの中のことと思っていた自分が、テレビの中のことと思っていた自分が、とても強くて美しい「ありがとう」を受け取ってしまった。ほんの数瞬の邂逅は、長引く余震より、計画停電より、あの震災をリアルに、痛みを伴って伝えてきた。"現実"から身を晒すな、受け取ったものを無駄にするなと、ガツンと殴られた思いがした。
12年.少年は青年となり、あの朝の一瞬の出来事など忘れているだろう。
それで良い。今朝も彼は美味しい食事をしているかな。
あの日と同じ窓口ち背筋を伸ばして立ち、そんなことを思う。

今日は晴れ

銭湯勿論温泉が大好き、関東圏の日帰り温泉体験は100を超えます。

という訳で二子玉ライズで「湯道」観てきました。

そんな後

創業1865年の老舗高級旅館「大丸別荘」(福岡・筑紫野市)の温泉で、基準値の最大3700倍のレジオネラ属菌が検出された問題。山田社長は「大した菌じゃない」と認識していたと説明。さらに、条例で決められているお湯の入れ替えなどを行っていなかった事については「自ら指示した」と明らかにした。老舗旅館のおごりに加えて後継者の怠慢これは良くある「売り家を唐様で書く3代目」の典型。救いようが無いか。

今日は晴れ

以前出張寿司で川崎のクラブチッタの楽屋でタレントさんに寿司を握ったのですが、生ギターで生声で歌ってくれた女性らしく美しい声に感動しましたがその彼女「中村中(あたる)さんでした。今日の産経抄から、

2人をレイプした男性が裁判中に性別を女性に変更し、女性刑務所に収監される。ー

冗談のような出来事が、英北部スコットランドで実際に起きていた。米紙「ニューズウィーク」がネット配信したジャーナリスト、コリン.ジョイス氏のコラムで知った。

折しもスコットランド議会は、出生時の性別と自認する性が異なるトランジェスターの権利保護のため性別変更手続き簡易化法案を進めていた。法案反対派は、トランジェスター嫌悪と決めつけられていたが、「懸念はもっともだった」(ジョイス氏)

日本では最近、「心は女性」と周囲に説明していた男性が、部下の女性2人に猥褻な行為をしたとして準強制性交などの容疑で逮捕された。警察は女性の警戒心を解くために嘘をついていた可能性があるとみている。

同様の事例は過去に珍しくない。「性的指向や性自認を理由とする不当な差別、偏見があってはならない。」

性的少数者の権利を守るのは当然として、「性自認」の部分はどうか。令和3年に自民党が同法案を議論した時には焦点の一つだったが、今回は忘れられている。「心は女性」を装う「心も体も男性」が、女湯や女子トイレに侵入しやすくなるとの懸念はいつ解決したのか

国際政治学者の島田洋一氏によると、米国では共和党議員のほぼ全員がLGBT差別禁止法案に反対で、成立の見込みはない。

主な理由は定義が曖昧で、「女性の権利、女性に対する保護を掘り崩す」である。

今日は晴れ

江戸時代の奈良が舞台となる。豆腐屋の六兵衛が誤って鹿を殺してしまう。

当時は死罪である。ところが奈良奉行は、それは鹿ではなく犬だと言い張り六兵衛を救う。人間国宝の落語家、故桂米朝さんが得意とした「鹿政談」である。

この噺はマクラが長い。「奈良の鹿は、神鹿、春日さん(春日大社)のお使いやそうですな」常陸国から神様が鹿に乗ってやってきた。江戸時代には幕府から餌料が下賜されている。町の中をうろうろしてても大丈夫だった。「放した鹿は大事にせなあかん

(噺家)は大事にせなあかん-

こんな具合に、奈良にとって鹿がどれほど大切な存在だったかを強調する。

現在、奈良公園に約1200頭いる鹿たちは、国の天然記念物に指定されている。

「奈良の鹿愛護会」により、24時間体制で見守られてきた。

福島大などの研究グループは遺伝子の解析により、奈良公園の鹿について驚くべき内容の論文を発表した。6世紀頃(古墳、飛鳥時代)、紀伊半島に

広く生息していた鹿の集団から枝分かれして以来、独自の遺伝子を保ってきたと言うのだ。千年以上にわたって「神鹿」として人間に保護されてきたことが、化学によって証明された。千年と言えば大阪には、寺社建設を手掛ける578年創業の世界最古の企業がある。これと決めたら時の壁を越えて守りきる。この日本人の特質を何より示しているのが、126代の長きにわたって続く皇室の存在であろう。「日本書紀」より初代神武天皇が即位したとされる日を太陽暦に直すと、紀元前660211日となる。その日を記念した「建国記念日の日」は、日本が誇る神話の時代を含めた悠久の歴史を寿ぐ日である。

今日は晴れ
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今日は〆さばの造り方を
鯖は鮮度の高いものを選んでください。
頭を落とします。
下身の腹から包丁を入れますが鯖は身割れのしやすい魚です。(上から強く押さえることなく優しく扱って下さい。)
尾を掴んで向きを変えて背に包丁を入れます。
中心まで包丁を入れ終わると
尾から包丁を入れて下身を離して下さい。
次に上身の骨を下にして腹から包丁を入れます。身を返して、背の鰭に沿って包丁を浅く入れておいて下さい。今度は骨を上にして、骨の下へ包丁を入れて中心まで入れると尾の方から身を離して下さい。鯖の三枚おろしは身割れをなるべくしないことでイナダの三枚おろしとは違います。
塩は強塩で1.5時間から3時間します。(大きさや脂の乗り具合で判断する)
塩を洗い流して酢に入れてください。(最初は割酢(酢:水 4:1)で1時間半漬けます。
次からは使い終わった酢の上澄みと希酢の割を1:1(2番酢)で使い続けて下さい。
出来上がった鯖は腹骨を漉いて、血合骨を抜いて、腹身には時々白いアニサキスがみえますが包丁の先で掻き出して下さい。
〆た鯖は24時間冷蔵庫で寝かせておくと良いです。



今日は晴れ
IMG_1258久し振りの大人数の出張でした。
先月コロナを警戒して年明けまで様子をみることになっていた出張寿司が
再開することになりました。
少しの不安はありましたが、参加者の皆さんの久し振りの再会に感動の嵐でした。
参加して下さった方々のほとんどが会社経営者のお集まりで積もる話もあるらしく
とても和やかな雰囲気でした。
コロナの心配には自己責任においてお集まりになったようです。
当然全員が陰性であることは承知の上でしょう。
ここまでしても人の交流が大切なことなのを知りました。
メールの交換での挨拶がいかに薄っぺらなことか
直接会って会話を交わすことで一層の信頼と友情を示すのです。
私達は、コロナということで生活の手段や友情で結ばれていたはずの行動が大きく変えられたことです。己を守るための自己中心の生活が助け合うという互助の精神が薄れていくのを心配している。





今日は晴れ



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ひらめの仕込み

刺身包丁で上身の尾の方からウロコを引きます。縁側のところはヒレをまな板からはみ出してヒレを押さえるようにして引き切ります。上身、下身のウロコを引き終わると頭を落とします。できたら縁側の線に沿って返し包丁で尾のほうから上身、下身へ包丁を入れてください。

これからひらめの5枚下ろしです。

下身の背の中心へ頭から尾まで包丁を入れます。中心から縁側へ向かって骨を押さえつけるように進めて下身の背を骨から離します。

次に尾を上にして中心から縁側の方まで包丁を入れます。これで下身の背と腹を下ろし終わりました。上身も同じように下ろしてください。これでひらめの5枚下ろしの完成です。あとは腹骨を漉いて、皮を引いて下さい。河豚刺しを造るように包丁を寝かせて押し切るようにしましょう。反時計回りで切り揃える。紅葉下ろしとネギを添えて下さい。

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