2018年03月11日

3.11の記憶を伝えること

DSC_0243今日は晴れ
歌人の永田和宏さんに悲痛な一首がある。<わたくしは死んではいけないわたくしが死ぬときあなたがほんたうに死ぬ>同じ歌人で妻の川野裕子さんをがんでなくし、自戒を込めて読んだという。
「死者は、生者の記憶の中でしか生きられない」と鎮魂の日が今年も巡ってきた。死者15895人行方不明者2539人。二つとない命を奪った東日本大震災から7年がたつ。
遺品、写真、思い出。亡き人をしのぶよすがは残された人それぞれとして「記憶の風化」という世の無情にあがらった歳月でもある。東北学院大の学生は一昨年秋から遺族の見る夢を聞き取り、記してきた。2月に出版された「私の夢まで、会いに来てくれた」に妻と次女を失った40代の男性の話がある。震災一か月後の夢で「もどりたい」と嘆いた妻が、5年後に見た夢では「どこにも行かないよ」
夫を励まし、指切りしたという。「私にとって生きる力」と男性は語り、監修した同大の金菱清教授は「夢は、遺族たちが前を向こうとする魂の律動(はたらき)」と書いている。死者に生かされる、そんな「生」がある。孤立しそうな遺族を夢が支える「孤立猝官隋鼻廚世
この7年、多くの犠牲者に胸を張れる社会を、日本人は作れたか。復興を担う政治家の耳を疑う失言があり原発事故で生まれ故郷を追われた子供たちが、心ないいじめに遭った。
国が「集中復興機関」と位置づけた10年は、容赦なく期限が迫っているというのに今も73000人が避難生活を続けている。「あの震災」とは呼べまい。「記憶の風化」は死者と遺族らへの罪深い裏切りであろう。われわれは、記憶の担い手たりえているか。自戒を込めて胸に手を当ててみる。
昨日、「鎌倉芸術館」で「命てんでんこ」を鑑賞した。内容は、書くまでもない。
七ヶ浜国際村の子供たちが前振りで30分ほどの濃縮な歌と踊りを披露してました。
ボランテアの仲間たちと一緒に。
来年の3月9日土曜日にメインで7年前東京日生劇場で「お礼、感謝のためのミュジカル講演「ゴー!アヘッド」を再演してくれます。
彼等は、将に当事者なのです。迫力を再現します。
今年の秋も彼らが大好きなお寿司を届けます。
毎回参加してくださる仲間に感謝しながら。

miyagino2288 at 23:04|PermalinkComments(0) 寿司屋の日記 

2017年12月13日

「茶」と「情の心」

今日は晴れP1010413
裏千家前家元「千 玄室」一服どうぞ から
今から約1万2千年前に日本という島国が生まれた。すなわち大陸から離れ会場に孤立したのである。
氷河時代が終わり気温も上昇するなかで、人々は縄文文化を育んでいた。
狩猟、漁獲などに必要な多くの道具を骨、角、木、石を用いてつくり、それらが遺跡から出土している。大陸から移り住む人により稲作農業が始まったのは縄文時代の末期とされる。
気温も定まり農工具も工夫されて米を主とする生活に変わった。タイかインドネシアかの学者が「すしは縄文と弥生をあらわす」と言ったとか。すなわち魚を取り米を作り、それを重ねた日本文化の表れだと。一つの歴史的見方として面白い表現である。日本が東アジア史に登場するのは弥生時代以降であるが、中国の前漢二百年余年の歴史を記した「漢書」「地理志」に「楽浪海中に倭人あり」と倭という名前で出ている。日本の古代は大陸からの渡来人の影響が大きく、稲作技術や金属技術、織物や陶器など今日に至る多くの生活文化の基がつくられた。またその時代の中国の学、特に寺院と大学の影響は当時の日本にとって大きなものであった。百済から来朝した五経博士や大仁の指導には見るべきものがあり、奈良朝はこれにより出来上がったと言っても過言ではなかろう。平安時代に老荘家として安部真勝などの名があがるが、仁明天皇は「荘子」を学び、また各天皇も四書五経を取り入れて日本の学の基をつくられた。日本人は四季を感じ雪月花を賞し、自然とともにあるという意識を持ち、歌の道がそれを具現化するものとして最高の教養とされた。特に万葉集に其れが表れており、独特の「かな文字」そして「カタカナ」などが生まれた。自然とともにあることが一種の美意識となり、真、善、美の三つが精神的支柱となる。鎌倉時代の武家政治になると禅宗との結びつきと道教の影響によって武士道が確立される。茶の湯は中国より伝わり単に飲むだけであったが、その後に奈良時代から平安時代には精神的安定をもたらすものとなった。主と客との一期一会の「もてなし」の思想を生み、主客相手に一盌の茶をもって心が交わり、現世から離れた場をつくることにより新しい芸術文化の世界が開かれていった。韓国や中国での単なる飲み物としての茶とは異なった世界を日本は作り上げた。室町時代になると寄り合いが盛んになり、歌道や蓮歌や香道と茶の道が将軍家武家衆をはじめ町衆の間にも流行する。書院での茶は格式高く、町衆は寺院などの広間を屏風で囲み小座の間と称し茶を楽しんだ。この囲いの小座敷から茶室が生まれる。これらは情の文化の代表だが、ほかにも能狂言や歌舞伎や浄瑠璃で人間関係の情の物語が上演された。こうした「情の心」は日本人独特の思想であり外国人にも理解される昨今であるが、果たして現代の日本人がこの優れた「情の心」をどれほど理解しているのか。学校教育の中で道徳とともに日本人としての心の在り方や持ち方をしっかり知らしめてほしいと思う。



miyagino2288 at 22:01|PermalinkComments(0) 寿司屋の日記 | カルチャースクール

アインシュタインのチップ

P1010387今日は晴れ
2017年ノーベル賞の受賞式が行われた。icanの受賞パーティーでは広島で被爆したピアノの演奏で
注目を集めた様です。
1921年にノーベル賞を受賞した物理学者、アインシュタインが翌22年に来日して東京の帝国ホテルに滞在した際、メッセージを届けに来た日本人の配達人にチップ代わりに渡した2枚の手書きメモがエルサレムで競売にかけられ、手数料と合わせて156万ドル〈約1億7700万円)と24万ドル(約2700万円)で落札された。156万ドルで落札されたメモは、帝国ホテルの便せんに「静かで節度のある生活は、絶え間ない不安に襲われながら成功を追い求めるよりも多くの喜びをもたらしてくれる」と明記。
科学的価値はないが、幸福に関するアインシュタインの考え方を示すものとして注目されている。
出品したのは配達人の親族。ドイツ語で書かれた2枚の手書きメモについて、アインシュタインは配達人に「あなたが幸運なら、これらの紙は通常のチップよりずっと価値があるものになるだろう」と語ったと言う。
宝くじに当たったようなものですかね。
それともアインシュタインの読みが正しかったということでしょうか。
天才は、先まで予測ができてしまうと言うことでしょうか。
それよりも便箋の内容をもう一度読み返すべきでしょう。

miyagino2288 at 00:26|PermalinkComments(0) 寿司屋の日記 

2017年12月03日

「ちあきなおみ」と七ヶ浜町

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今日は晴れ
ちあき なおみ(1947年9月17日 - )は、日本の元歌手、女優。1992年に夫の郷治との死別をきっかけに一切の芸能活動を休止し、引退同様の状態となった。
私の記憶する女性歌手の中では一番のお気に入りです。特に歌手生活後半での歌唱力は群れを抜いていると思う。こんな話を三陸の美味しい牡蠣をご馳走になった後、塩釜のジャズバーで七ヶ浜の鈴木さんとアートブレイキーを聞きながら「ちあきなおみ」で盛り上がった。
鈴木さんは町の職員の前は、ピアノの調律師であり、ドラム奏者でもあったそうです。
次の日、鳴子温泉へ同行してくださった朝「ちあきなおみ」のCDをプレゼントしていただきました。
帰り道でCDを聞きながら同乗してくれた仲間たちがいることも忘れて聞き惚れていたものです。
特に、「紅い花」は、七ヶ浜の光景がダブってしまい涙線がつい緩んでしまいそうでした。
今年の七ヶ浜は
子ども達の演技の上達振りに新たなる感動をいただくと同時に益々郷愁を誘われる旅でした。
同行されて協力して頂いた皆様にも感謝しております。



miyagino2288 at 19:36|PermalinkComments(0) 寿司屋の日記 

2017年10月07日

紅葉と秘湯の旅3泊4日の旅

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今日は晴れ
紅葉と秘湯に旅は今日で3日目です。
朝9時に宿を出て八甲田山のロープウェイに乗る予定でしたが悪天候のため岩手松川温泉へ立ち寄りと決めました。高地にある温泉でここも10月一杯で閉鎖して5月から開湯です。
今日は秘湯中のhttp://mizuki.sakura.ne.jp/~geto/です。夏油(ゲトウ)はアイヌ語からきているそうです。
夏油温泉郷の終点です。一車線の道を山頂まで本線から9キロ上った終点が夏油温泉です。
泉質が異なる6個の湯船があります。4個は混浴です。当然のこと全湯入りますが「真湯」でご夫婦で入浴中でした。ここも今月一杯でお休みです。やはり来年5月から再開です。
山の中ですが食事は地産地消で大満足です。お米が美味しい。
明日は、平泉中尊寺を観て帰路とします。続きを読む

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2017年10月02日

三泊四日紅葉と行く南東北秘湯の旅

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念願の「三泊四日、南東北紅葉と秘湯の旅」の始まりです。
午前7時三軒茶屋インターを出発途中那須高原、鶴巣、前沢saを経て「玉川温泉」到着。
玉川温泉へ寄る前に八幡平標高1200mの紅葉を鑑賞。本日630キロ走りました。
玉川温泉は、ラジウムの岩盤浴で有名な湯治温泉です。
湯治棟と隣接して宿泊施設があります。平日にもかかわらず大勢の宿泊客で賑わっていました。
紅葉狩りの時期ですね。
感心したのは食事が地産地消の野菜、お肉料理が薄味ながら素材の味が旨みをだしてます。
お米が好きな私はお代わりしてしまいました。
泉質は、硫黄泉で10分をめどに何回か入ります。小さな傷があれば10分程でピリピリします。
そこがあがりどこでしょうか。寝る前にもう一度、朝食事前に入浴しました。明日は十和田湖から
奥入瀬渓流を下って猿倉温泉に立ち寄って千人風呂で有名な酸ヶ湯温泉で泊まります。

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miyagino2288 at 00:18|PermalinkComments(0) 寿司屋の日記 | 健康

2017年07月26日

道は足下にあり

P1010190今日は晴れ、
「産経抄」から
作家の吉川英治は横綱双葉山と親交があった。
座を共にした酒宴で、黙然と盃をなめる横綱に想を得た句がある。
「江戸中で一人寂しき角相撲」。
歴代最多の69連勝を誇るなど「角聖」と呼ばれた人も、横顔にさす孤影の色は深かったのだろう
平成の横綱白鵬も、孤独な日々によって磨かれた人である。
入門時の線は細く、けいこ場で兄弟子に跳ね飛ばされ、使い走りにこき使われた。
父はモンゴル相撲の元横綱、血をひく自分が無名のまま朽ち果てては家名に傷がつく。
「父の立場を考えると、帰れなかった」
今思えば、その背中は多くのものを背負うようにできていたのだろう。
平成23年の八百長問題で地に落ちた相撲人気を立て直し、自らが高い壁となって
稀勢の里ら後進の横綱を育てもした。
白鵬の私淑する双葉山が自著に書いている。「追い越そうとする努力よりも、
追い越されまいとする努力の方が、はるかに難しい」
どれほど強い力士も一日に一勝しかできない。
白鵬の到達した史上一位の勝利数が教えるのは、日々刻み続ける一歩の重みだろう。
日本に帰化する意向とも聞く。
部屋を構え、正しい相撲道の伝承者となることを願うばかりである。
一千勝を挙げた日、次の目標を問う声に「まずは1001勝」と答え、
史上一位に立った日も「相撲は奥が深い」と嘆息した横綱だった。
世の賛辞に浮き立つことなく次の一歩を踏みしめていよう。
道は足下にあり。
双葉山が好んだ言葉である。

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2017年06月21日

「死生、命あり」

DSC_0005今日は晴れ
私の温泉好きの原点は、小学生の頃、父親が病弱なせいで温泉療養に登別温泉にいたことで
母親と妹と温泉旅館を訪れていたことかも知れない。
部屋の縁側の前の川が湯気を立てて流れているのを眺めていたものだ。
父親と大きな温泉に浸かりはしゃいでいた自分がいたものだ。
そんな訳で今でも月に一度は近県の温泉へ行く。
今、温泉へ行く理由は、仕事を離れてなるべく遠くの温泉地へ行きたい。
そこには、現実の世界と離れて少しでも疲れをとって鋭気を養い、明日の
英気を発揮したいという事かも知れない。
私は、寿司教室を開催しているが若い女生徒さんには、何人かは年に何日か休暇を取って海外旅行へ行く。海外出張での経験から一人でも旅をする。行く先はアジアの国々だったり、アフリカ大陸、南極の果てまで行ってしまう。やはり、現実の世界を離れて未知の世界で鋭気を蓄えて明日の現実に身を置く。エネルギーが切れるころまた旅立つ。ということだろうか。
女性ながらあっぱれである。というよりもそんなことをする若い男性は一人しか知らない。
そんな彼女からメールが入った。
彼女のお父さんがくも膜下出血で急死したというのだ。
若い娘にはとてもショックの出来事だ。彼女の母親の憔悴しきった様子を見て彼女が段取りを
仕切っている様子だ。気丈夫な娘は悲しみを超えて行動を起こしている。
人生「死生、命あり」とは言ってもあまりに早すぎる死は認めたくないだろう。
母親の早すぎる死を経験している私の息子のことを思い出させた。
金曜日通夜へ呼ばれています。
「なんと声をかけようか」 何も言わなくてもいいかも知れない今は





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2017年05月15日

母の日に想う

P1010020今日は晴れ
「母の日」だからとお花を贈ることが多い。一時はカーネーションが一般的だったような気がするが
最近では、紫陽花も人気らしい。
 小さな子供からは「手紙、メール、絵」などが喜ばれているようだ。
私は親不孝にも一度も贈り物をした記憶がない。
母親にはいつも感謝の気持ちでいるのだが、仕事にかまけて日頃のご無沙汰であった。
3歳までに親孝行を済ませた。などと言い訳もはばからない。
明治生まれの哲学者、西田幾太郎が詠んでいる。「まさきくと門出送りし我が母の老いたる姿今に忘れず」。里帰りの度に足腰の弱る母親だったが、息子が都心に戻る日は門前に立ちいつまでも見送ってくれたという。無条件に与えられる母親の愛情にかなわない。
私とて修行の3年振りに帰郷した時の母親が老眼鏡で編み物をしている姿にショックを覚えた。
「何時からなの」と聞く気にもなれず。

それから何年かして父親から手紙が来て、「母さんが寂しがるから手紙でも書いてやれ」とあったが
私は、筆不精で「便りがないのは、元気の印」などと言ってかわす。
それから何年か後に父親が他界した。本当は父親が便りを待っていたのかもしれない。
それ以後も毎年墓参りも兼ねて母親に会う。確かに毎年毎年老いを感じるがそれでも
母親にかける言葉は「来年も来るから、またね。」だった。
亡くなって3年が経った。
今年も墓参りに行く。墓に向かってやっと「ありがとう」と言えた。

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2017年05月01日

抗がん剤と高齢者

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今日は晴れ
政府と国立がん研究センターが、高齢のがん患者に対する抗がん剤治療について「延命効果が少ない可能性がある」とする調査結果をまとめたことが分かった。
国立がん研究センターと厚生省、経済産業省が主体となり調査を実施した。
平成19年から20年に同センター中央病院を受診したがん患者約7000人のうち、70歳以上の高齢者約1500人が対象。
がんの種類別に、抗がん剤による治療を中心に行った場合と、痛みを和らげる「緩和ケア」に重点を置いた場合とで、受診から死亡までの期間(生存期間)を比較した。
その結果、主に肺がん、大腸がん、乳がんで末期(ステージ4)の高齢患者の場合、抗がん剤治療の有無にかかわらず、生存率は同程度にとどまった。
抗がん剤治療が「明確な効果を示さない可能性がある」と指摘した。
同様に75歳以上で見た場合、10ヶ月以上生存した人の割合は、抗がん剤治療を受けなかった患者のほうが高く、生存期間も長かった。
このため、肺がんでは、「効果を示さない可能性がある」と指摘した。
がんと宣告された患者の気持ちは当人でなければ分らない。
医者と本人の意思決定によるのだが
抗がん剤治療をすすめられる結果としては、抗がん剤の副作用で苦しむことになる。
が好転する患者もいる可能性もあるのかもしれない。
まさに、国立がん研究センターの調査結果をどう思うかでしょう。
私ならば、結果を素直に受け入れたいと思うのだが。

miyagino2288 at 10:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 健康 | 寿司屋の日記
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