先週、東北被災地支援予定先の一つ、帰還困難地域の双葉町が、いわき市に設置した仮庁舎を訪れました。

井澤双葉町長や担当者と、被災状況・復興計画・当市からの派遣職員2名の職務内容などの説明を受けたり打ち合わせをするためです。

双葉町からはつくば市などにも多くの避難者が来ていますが、何といってもいわき市が一番だそうです。

そして、避難者の特に若い人たちが、避難の長期化とともに町を見限ってしまうのではないかを大変心配していました。

庁舎玄関前にある放射能測定器のカウントは、0.05マイクロシーベルトと当市と同レベルであり、当面は役所内にも落ち着いた雰囲気が感じられました。

その後派遣予定者2名を詳細打ち合わせのため仮庁舎に残し、私は町の案内者と共に第一原発近くの放棄された双葉町役場など町内の視察に出かけました。

途中、宅地や田畑などの地表がきれいに剥ぎ取られ除染作業が終了し、まもなく避難解除が近いといわれている楢葉町を通りました、見た目にはきれいな町に人っ子一人いない様子は何とも異様な雰囲気で、いるはずのない人影を捜したくなる衝動に駆られます。

6号国道を北上するにつれ車内の放射能測定器は数値が上がって行き、10マイクロを超えることもありました。

楢葉町の先はパトカーなど警備関係者と、時折除染作業員がいるのみで、チェルノブイリもこんなんだろうなと被災地の悲劇に、やり切れない思いがこみあげてきました。

きびしい検問を受け双葉町に入り、事故当時のままの町内を見せていただきましたが、診療所など中には新しい建物も多く、しっかりしているものも結構あり、避難者の無念さに思いがゆきます。

人口8000人余の町としてはずいぶん大きいなと感じる4階建ての町役場に着き、防護服で完全装備、身を固てから庁舎内に入りました。

2時47分を指したままの時計、倒れたままの戸棚、書類やネズミの糞や死骸が散乱する事務室の様子が、当時の混乱ぶりを物語ります。

ホワイトボードなどには第一原発とのポンプ電源や冷却水温などの情報のやりとりが書き残されたままです。

本震の翌日、混乱最中さらに追い打ちをかけた原発の水素爆発から数時間後、突然発せられた僅か30分のみの猶予での強制退去を余儀なくされた町民、職員の苦難が偲ばれます。

屋上に上ると、第一原発が荒涼たる風景の先、海のほうに臨めます。

こんな不幸な地上の世界を、もう作ってはいけないとの思いを新らたにして帰路につきました。