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「子育ては修行だ」と思うとラクだし伸びる

「子育ては修行だ」と思うと、ラクです。
産んだ瞬間、自他共に求められる「完璧なママ」という強迫観念。修行と言うと「未熟者前提」なので、不要な罪悪感や落ち込みに捉われなくなります。「仕方ない、今日は修行失敗!」と諦めもつく。
それと共に、「昨日より今日は一歩でも前進しよう」と頑張れるし、「昨日より◯◯できるようになった」と変化を意識することもできる。自分の小さな一歩を認めることができるようになります。
「子育ては修行」思考、とってもオススメです^ ^

起こっていない心配はしない。

子育ては心配しようと思ったら、キリがありません。産まれる前はもちろん、無事産まれてからも、心配の連続だと思ったのが第一子のとき。今はみな知識が豊富な分、心配のタネは無限にある。
私が一番心配でやられてしまうときは、やはり病気のときです。熱が下がりきるまでは心配で、ろくに眠れない。日中も足が地につかないような、心許ないような、あまり生きている心地がしません。 やはり小さな子ですし、心配しようと思えば沢山できて、気が気でないのです。
それでも親がこれでは、子どもに良くない。ただでさえダルくて不安なのに親が心配でオロオロしていたら、子どもはさらに不安でしょう。病気の治りにも遅くなる。むしろ治って当たり前、と心をドシンと落ち着けて保つ必要があります。何より、子どものためになる。他にも成長、発達、習い事に勉強に運動に…と、心配は尽きないですよね。 
そんなとき役に立つのが、「莫妄想」 。
そのまま、「妄想するな」ということ。いくら妄想したところで、現実はただ一つ。事実は唯一一つであり、今目の前のことをやっていくしかないんです。妄想する代わりに、今目の前の状況をよく観察し、自分にできることを考えたい。
ありとあらゆる妄想をしていると、妄想って好きなもの、大切なものだからこそしてしまうのだと思います。細かく妄想を削ぎ落としていくことは、意外と難しい。
だからこそ莫妄想、莫妄想とほぼ毎日唱えています。 

子育ては修行だ。

「子育ては修行だ」と思ったのは、長男が2歳のイヤイヤ期。
毎日、いや1時間に1回は自分の感情をいかに抑え、怒らずに諭し、同じことを何百回と教えるかという忍耐と根気を求められる。当然その都度自分の心の余裕や状況に環境、子どもの反応も違い、うまくいかない方が圧倒的に多く、反省しては「子育ては修行だ」と思ったものです。
子どもが3人に増え、1人目の中間反抗期と2人目のイヤイヤ期が始まり、 まさに「修行だ…」と繰り返す日々ですが、必ず「慣れる」のも子育て。いかに早く慣れるかの一つのお手本となるのが、私にとっては「禅」でした。
普段から好きだった禅が、子育てにも役立った。実家が昔はお寺だった こともあり、こっちで子育てに役立つ禅の考えを書いていこうかと思います。
子育てはほんとうに、修行なんでしょうね。
プロフィール
宮野茉莉子

ライター/コラムニスト

84年生まれ。哲学好きで、親子共に「考える力」で自分らしく生きるための記事を執筆中。

☆詳しいプロフィール☆

(→http://blog.livedoor.jp/miyano0928/archives/36649291.html)
プロフィール

miyano0928

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