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「子育ては修行だ」と思うとラクだし伸びる

「子育ては修行だ」と思うと、ラクです。
産んだ瞬間、自他共に求められる「完璧なママ」という強迫観念。修行と言うと「未熟者前提」なので、不要な罪悪感や落ち込みに捉われなくなります。「仕方ない、今日は修行失敗!」と諦めもつく。
それと共に、「昨日より今日は一歩でも前進しよう」と頑張れるし、「昨日より◯◯できるようになった」と変化を意識することもできる。自分の小さな一歩を認めることができるようになります。
「子育ては修行」思考、とってもオススメです^ ^

「良いママになろう」とか、考えない

我が子可愛さゆえ、つい「良いママになろう!」と張り切ってしまうもの。
子どもを喜ばせようと、まるで保育士さんのようなテンションで手遊び歌をしたり、知育に良い遊びを詰め込んだり、毎日あちこちへ連れて行ったり。「頑張って」しまう。
頑張れば、必ず疲れるんですね。悲しいかな、子どもと過ごす毎日が、いつの間にかしんどくなってしまう。子ども相手に、見返りも求めてしまうんですね。頑張って歌ったのに反応が悪いとか、知育に良いのに遊んでくれないとか。

一番良いのは、何にも考えないで子どもと過ごすことです。「無念無想」ですね。頑張らない、期待も見返りもない時間です。
すると子どもは、自分の一番やりたい遊びに熱中できる。親は何も考えないで見守り、時に一緒に遊んでみる。自然と遊びははかどり、深めることができます。好きなことこそ伸びますしね。
子どもにとっては家事だって遊びですから、お手伝いまでとはいかなくとも、家事でも一緒に時間を過ごすことができる。大人の時間に子どもを付き合わせるのも、良い経験となります。
何より子どものと時間をしんどく感じたり、見返りを求めるような悲しい気持ちになりません。それが一番の収穫かもしれませんね。

起こっていない心配はしない。

子育ては心配しようと思ったら、キリがありません。産まれる前はもちろん、無事産まれてからも、心配の連続だと思ったのが第一子のとき。今はみな知識が豊富な分、心配のタネは無限にある。
私が一番心配でやられてしまうときは、やはり病気のときです。熱が下がりきるまでは心配で、ろくに眠れない。日中も足が地につかないような、心許ないような、あまり生きている心地がしません。 やはり小さな子ですし、心配しようと思えば沢山できて、気が気でないのです。
それでも親がこれでは、子どもに良くない。ただでさえダルくて不安なのに親が心配でオロオロしていたら、子どもはさらに不安でしょう。病気の治りにも遅くなる。むしろ治って当たり前、と心をドシンと落ち着けて保つ必要があります。何より、子どものためになる。他にも成長、発達、習い事に勉強に運動に…と、心配は尽きないですよね。 
そんなとき役に立つのが、「莫妄想」 。
そのまま、「妄想するな」ということ。いくら妄想したところで、現実はただ一つ。事実は唯一一つであり、今目の前のことをやっていくしかないんです。妄想する代わりに、今目の前の状況をよく観察し、自分にできることを考えたい。
ありとあらゆる妄想をしていると、妄想って好きなもの、大切なものだからこそしてしまうのだと思います。細かく妄想を削ぎ落としていくことは、意外と難しい。
だからこそ莫妄想、莫妄想とほぼ毎日唱えています。 
プロフィール
宮野茉莉子

ライター/コラムニスト

84年生まれ。哲学好きで、親子共に「考える力」で自分らしく生きるための記事を執筆中。

☆詳しいプロフィール☆

(→http://blog.livedoor.jp/miyano0928/archives/36649291.html)
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  • クリスマスはチャリティーの日
  • 20代最後の夏。ライターからコラムニストへ。
  • 「禅 de-sign」 noteに加えてブログとFBページもはじめました
  • 「変わらない部分」を自覚すること
  • 現代狂言VIII「狂言とコントが結婚したら?」見てきました
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