2019年03月24日

バーニング 劇場版【映画】

ひっさびさに村上春樹さんの「納屋を焼く」を読み返した。
奥付を見たら、なんと1984年の版だ。
おじさん、年取るわけだ。

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さてこの「納屋を焼く」を原作とする「バーニング 劇場版」なんだけど、ミステリータッチの社会問題にもアプローチした青春群像という村上作品とはいささかテイストを異にした作品となっている。
って、思ったんだよな。

でも、時間が経つにつれ、作品を反芻するにつれ、これって村上春樹をとってもリスペクトしたムラカミワールド的作品なんじゃないのかって思えてきた。

メタファー(隠喩)は、村上さんの作品にはなくては成り立たないもの。
バーニングを見てると、あれもこれも、あ、またこれも、なんかのメタファーじゃないかって思えてくる。
そしてそれがこの作品を読み解く重要な鍵となる。

整形して美しくなって幼馴染の前に現れたヘミ。過去の消滅。
ヘミの部屋に1日に1回だけ射す反射した日光。
繰り返す自慰。
村上作品にとって重要な意味をもつ井戸。原作にはないエピソード。
生活に追われ疲弊するものと、ポルシェを乗り回し高級マンションに住む”ギャツビィ”
役に立たないビニールハウスを燃やす。忘れられた存在と消えることで気づかれる存在。
猫の不在と、現れた猫。
消えたヘミ。
全てを脱ぎ去り放たれた炎から逃げるジョンス。

あ、この映画、改めて思い返すとかなりムラカミハルキ的だ。

あると思うんじゃなくて、ないことを忘れる。
あちらの世界とこちらの世界。

ああ、もう完全にハルキワールドだ。

きっと井戸がこっちの世界とあっちの世界をつなぐものだ。
で、誰の記憶にもない跡形さえない井戸をジョンスは探し当てる。
メタファーとして。

井戸からつながるあちらの世界に、ヘミはきっといる。
生きる目的や意味を見失ったグレートハンガーは、生きていないものと同じ。
ヘミも、ジョンスも、ある意味グレートハンガーだ。

こちらの世界で生きていないものは、あちらの世界で生きるしかない。
ビニルハウスを焼くという行為は、死んだものに生を与えること。

ビニルハウスではなくベンとポルシェを焼いたジョンスは、井戸へ向かう。
あちらの世界にいるヘミに会うために。

って、ね、もう完全に村上春樹じゃないですか。

それにしても、ヘミが陽の落ちる夕空を背景に、服を脱ぎシルエット映像で踊るシーンはとても美しい。
印象的な映像。

おそらくこの映画は、賛否両論飛び交うことだろう。
でも、ちょっと妄想膨らませると、こんなムラカミエッセンスが散りばめられた、ムラカミハルキ的な映画なんだと読み解くこともできる。

うーん、やっぱり、井戸が気になるなあ。

ハルキストのみなさんは、この映画どうご覧になっただろうか。

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