折紙随想

今まで私が感銘を受けた歌に寄せて、折紙を作りました。すべて、1枚の紙に切り込みを入れて折った「つなぎ折紙」になっています。

 なお、当ブログの内容は、社団法人武蔵野市医師会会報(第490~525号)に掲載した記事と一部重複するものであることをお断りしておきます。

『Twelve Days of Christmas』に寄せて

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                                                        『サンターバード2号』

TwelveDaysOfChristmas






































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『Twelve Days of Christmas』



On the first day of Christmas,

My true love sent to me :

A partridge in a pear tree.



On the second day of Christmas,

My true love sent to me :

Two turtle doves,

And a partridge in a pear tree.



On the third day of Christmas,

My true love sent to me :

Three French hens,

Two turtle doves,

And a partridge in a pear tree.



On the fourth day of Christmas,

My true love sent to me :

Four calling birds,

Three French hens,

Two turtle doves,

And a partridge in a pear tree.



On the fifth day of Christmas,

My true love sent to me :

Five golden rings,

Four calling birds,

Three French hens,

Two turtle doves,

And a partridge in a pear tree.



On the sixth day of Christmas,

My true love sent to me :

Six geese a-laying,

Five golden rings,

Four calling birds,

Three French hens,

Two turtle doves,

And a partridge in a pear tree.



On the seventh day of Christmas,

My true love sent to me :

Seven swans a-swimming,

Six geese a-laying,

Five golden rings,

Four calling birds,

Three French hens,

Two turtle doves,

And a partridge in a pear tree.



On the eighth  day of Christmas,

My true love sent to me :

Eight maids a-milking,

Seven swans a-swimming,

Six geese a-laying,

Five golden rings,

Four calling birds,

Three French hens,

Two turtle doves,

And a partridge in a pear tree.



On the ninth day of Christmas,

My true love sent to me :

Nine ladies dancing,

Eight maids a-milking,

Seven swans a-swimming,

Six geese a-laying,

Five golden rings,

Four calling birds,

Three French hens,

Two turtle doves,

And a partridge in a pear tree.



On the tenth day of Christmas,

My true love sent to me :

Ten lords a-leaping,

Nine ladies dancing,

Eight maids a-milking,

Seven swans a-swimming,

Six geese a-laying,

Five golden rings,

Four calling birds,

Three French hens,

Two turtle doves,

And a partridge in a pear tree.



On the eleventh day of Christmas,

My true love sent to me :

Eleven pipers piping,

Ten lords a-leaping,

Nine ladies dancing,

Eight maids a-milking,

Seven swans a-swimming,

Six geese a-laying,

Five golden rings,

Four calling birds,

Three French hens,

Two turtle doves,

And a partridge in a pear tree.



On the twelfth day of Christmas,

My true love sent to me :

Twelve drummers drumming,

Eleven pipers piping,

Ten lords a-leaping,

Nine ladies dancing,

Eight maids a-milking,

Seven swans a-swimming,

Six geese a-laying,

Five golden rings,

Four calling birds,

Three French hens,

Two turtle doves,

And a partridge in a pear tree.


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 今年もクリスマスの季節が参りました。そこで、今回は有名なクリスマス・キャロルをとりあげようと思います。

 この『Twelve Days of Christmas(クリスマスの12日)』という歌は、クリスマス・キャロルの中でも特に有名なもので、人気から言っても上位五位以内に入るのは間違いないでしょう。当然、YouTubeでも幾つもの動画が見られるわけですが、それらの中でもこれ(https://www.youtube.com/watch?v=oyEyMjdD2uk)が発音がわかりやすく、字幕も付いているのでおすすめだと思います。ただ、歌詞が一部違っていますが("sent" が "gave"、"Five golden rings," が "Five gold rings," になっている)、セサミ・ストリートの人形たちが歌っているこれ(https://www.youtube.com/watch?v=EDBMzGq1vhs)も個性的で私は好きです。


 この歌は「クリスマスの季節」(イエス・キリストの降誕祭から公現祭までの12日間)の間の出来事を歌ったもので、その12日間、恋人が毎日贈ってくれた品々をただ羅列しているだけの極めて単調な内容となっています。

 歌詞は Husk が書いたと言われ、曲は Fredric Austin 作のもので歌われることが多いようで、特に "Five gold(en) rings," の部分が長く強調されるのが印象的です。

 また定番と言える日本語訳がないようですが、英文としては非常に簡単なものになっているので、意味はだいたいおわかりになることと存じます。蛇足とは思いますが、私の拙訳をつけておきましょう。

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(宮田篤志による拙訳)


『クリスマスの12日』




クリスマスの最初の日に、

恋人が私に贈ってくれました。

ナシの木の中のヤマウズラを。



クリスマスの2日目に、

恋人が私に贈ってくれました。

2羽のキジバトと、

ナシの木の中のヤマウズラを。



クリスマスの3日目に、

恋人が私に贈ってくれました。

3羽のフランスのメンドリと、

2羽のキジバトと、

ナシの木の中のヤマウズラを。



クリスマスの4日目に、

恋人が私に贈ってくれました。

4羽のカッコウと、

3羽のフランスのメンドリと、

2羽のキジバトと、

ナシの木の中のヤマウズラを。



クリスマスの5日目に、

恋人が私に贈ってくれました。

5個の金の指輪と、

4羽のカッコウと、

3羽のフランスのメンドリと、

2羽のキジバトと、

ナシの木の中のヤマウズラを。



クリスマスの6日目に、

恋人が私に贈ってくれました。

6羽の卵を産んでいるカモと、

5個の金の指輪と、

4羽のカッコウと、

3羽のフランスのメンドリと、

2羽のキジバトと、

ナシの木の中のヤマウズラを。



クリスマスの7日目に、

恋人が私に贈ってくれました。

7羽の泳いでいる白鳥と、

6羽の卵を産んでいるカモと、

5個の金の指輪と、

4羽のカッコウと、

3羽のフランスのメンドリと、

2羽のキジバトと、

ナシの木の中のヤマウズラを。



クリスマスの8日目に、

恋人が私に贈ってくれました。

8人の乳搾りをしているメイドと、

7羽の泳いでいる白鳥と、

6羽の卵を産んでいるカモと、

5個の金の指輪と、

4羽のカッコウと、

3羽のフランスのメンドリと、

2羽のキジバトと、

ナシの木の中のヤマウズラを。



クリスマスの9日目に、

恋人が私に贈ってくれました。

9人の踊っている淑女と、

8人の乳搾りをしているメイドと、

7羽の泳いでいる白鳥と、

6羽の卵を産んでいるカモと、

5個の金の指輪と、

4羽のカッコウと、

3羽のフランスのメンドリと、

2羽のキジバトと、

ナシの木の中のヤマウズラを。



クリスマスの10日目に、

恋人が私に贈ってくれました。

10人の跳びはねている貴族と、

9人の踊っている淑女と、

8人の乳搾りをしているメイドと、

7羽の泳いでいる白鳥と、

6羽の卵を産んでいるカモと、

5個の金の指輪と、

4羽のカッコウと、

3羽のフランスのメンドリと、

2羽のキジバトと、

ナシの木の中のヤマウズラを。



クリスマスの11日目に、

恋人が私に贈ってくれました。

11人の演奏している笛吹きと、

10人の跳びはねている貴族と、

9人の踊っている淑女と、

8人の乳搾りをしているメイドと、

7羽の泳いでいる白鳥と、

6羽の卵を産んでいるカモと、

5個の金の指輪と、

4羽のカッコウと、

3羽のフランスのメンドリと、

2羽のキジバトと、

ナシの木の中のヤマウズラを。



クリスマスの12日目に、

恋人が私に贈ってくれました。

12人の演奏している鼓手と、

11人の演奏している笛吹きと、

10人の跳びはねている貴族と、

9人の踊っている淑女と、

8人の乳搾りをしているメイドと、

7羽の泳いでいる白鳥と、

6羽の卵を産んでいるカモと、

5個の金の指輪と、

4羽のカッコウと、

3羽のフランスのメンドリと、

2羽のキジバトと、

ナシの木の中のヤマウズラを。


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 それぞれの贈り物の表現については解釈者によって色々意見が異なりますので、だいたいの意味合いだけおわかりになれば充分と存じます。


 ただ、この歌詞を文字通り解釈すると、非常に非現実的なことになってしまうことに気がつくことでしょう。

 鳥や指輪くらいならまだしも、こんな何人ものメイドだと貴族だのを「あげる」ことができる「恋人」とは、果たしてどんな人なのでしょうか? それこそ、国王くらいの権力を持っていなければ不可能と思われます。また、それらを贈られる「私」とは、いったいどういう立場の人なのでしょうか? そもそも、こんなに沢山の鳥や大勢の人々、特に『跳びはねている貴族』などを贈られてどうしろというのかなど、幾つもの疑問が湧いてきます。これらはどのように解釈すればよろしいのでしょうか。


 実は、この歌は文字通りの内容を表しているものではなく、カトリック教徒が作った暗号だという説があるのです。

 その説によると、イギリスでは1558年から1829年までカトリックが禁止されていた(イングランド国教会が支配していた)ため、その時代のカトリック教徒がカトリック関連の事物をクリスマスの贈り物に象徴させて歌ったのがこの『Twelve Days of Christmas』だったということなのです。

 それぞれが象徴しているものは、『めじろ台キリストの教会』の記事(http://www.mejirodai-church.org/message016.htm)などによりますと、次のようなものと考えられています。

  A partridge in a pear tree : イエス・キリスト

  Two turtle doves : 2つの聖書(旧約聖書と新約聖書)

  Three French hens : 3つの神学的な徳(「信仰」、「希望」、「愛」)

  Four calling birds : 4つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)

  Five golden rings : 5つの旧約聖書の初めの書(「モーセ五書」と呼ばれる『創世記』、『出エジプト記』、『レビ記』、『民数記』、『申命記』)

  Six geese a-laying : 6日間の天地創造

  Seven swans a-swimming : 7つの精霊の賜物(「預言」、「伝達」、「教育」、「奨励」、「施し」、「指導」、「慈善」)

  Eight maids a-milking : マタイの福音書による8つの至福の教え、つまり
                   『心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから』、
                   『悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから』、
                   『柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから』、
                   『義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから』、
                   『あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから』、
                   『心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから』、
                   『平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから』、
                   『義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから』
                   の8つ

  Nine ladies dancing : 精霊の9つの果実(「愛」、「喜び」、「平和」、「寛容」、「親切」、「善意」、「誠実」、「柔和」、「節制」)

  Ten lords a-leaping : モーセの十戒、つまり
                 『あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない』、
                 『あなたは、あなたの神、主の御名(みな)をみだりに唱えてはならない』、
                 『安息日(キリスト教では日曜日とされる)を覚えて、これを聖なる日とせよ』、
                 『あなたの父と母を敬え』、
                 『殺してはならない』、
                 『姦淫してはならない』、
                 『盗んではならない』、
                 『あなたの隣人(となりびと)に対し、偽りの証言をしてはならない』、
                 『あなたの隣人の妻を欲しがってはならない』、
                 『あなたの隣人のものを欲しがってはならない』
                 の10の戒め

  Eleven pipers piping : イエス・キリストの誠実な11人の使徒、つまり、12人の使徒の中からイエス・キリストを裏切ったイスカリオテ・ユダを除いた残りの11人のことで、具体的には『ペテロという名をいただいたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと熱心党員と呼ばれるシモン、ヤコブの子ユダ』の11人

  Twelve drummers drumming : 「使徒信条の12の信仰表明」、つまり
                       (1)我は天地の創り主、全能の父なる神を信ず。
                       (2)我はその独り子、我等の主イエス・キリストを信ず。
                       (3)主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、
                       (4)ポンテオ・ピラトの下に苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、
                       (5)三日目に死人の内よりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐し給えり。
                       (6)かしこより来たりて生ける者と死ねる者を審き給わん。
                       (7)我は聖霊を信ず。
                       (8)聖なる公同の教会、
                       (9)聖徒の交わり、
                       (10)罪の赦し、
                       (11)体のよみがえり、
                       (12)永遠の命を信ず。


 このように考えると、一見他愛もないように思えるこの歌が、非常に意味深いものに感じられてきます。冬の夜に、この歌を聴きながらそれぞれの事物を思い浮かべてみるのも一興だと思います。



 写真の折紙は、『Twelve Days of Christmas』に寄せて、クリスマスイブの夜に贈り物を配ってまわるサンタクロースを折鶴で表現したもので、正方形の1枚の折紙用和紙に切り込みを入れて折りました。白い部分は紙の裏面を利用しています。この「つなぎ折鶴」には、以前紹介した『水辺の朝』(http://blog.livedoor.jp/miyataatsushi-origami/archives/36319482.html)や『春の息吹』(http://blog.livedoor.jp/miyataatsushi-origami/archives/36991568.html)、『鳥の切手』(http://blog.livedoor.jp/miyataatsushi-origami/archives/38195926.html)と同様に、『秘伝千羽鶴折形』(秋里籬島(アキサト・リトウ)著だが、原案は魯縞庵義道(ロコウアン・ギドウ)による)の中の24番目の『鶺鴒(セキレイ)』という作品の技法を使用しています。ですから、和紙でないと、ちぎれずに折るのは難しいかも知れません。また、見栄え良く仕上げるには針金と接着剤による固定が望ましいと思います。

 この「つなぎ折鶴」には『サンターバード2号』と名付けました。これは『サンダーバード』(*)にかけているわけですが、「2号」と付けたのには別の理由があります。

 実は以前、最初にこの折紙を思いついたときに作ったものがあったのですが、あまり上出来でなかったため、今回作り直したのです。最初に作ったものも写真で紹介しておきましょう。

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サンターバード





















                                                          『サンターバード』

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 今回作った「2号」の方も、同じような方向から見た写真を載せておきましょう。

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                                                        『サンターバード2号』

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* :『サンダーバード』とは、イギリスで制作された「SF人形劇」と呼ぶべき作品(1965-66)です。「人形劇」とは言っても、よくある「下から手を入れて操作する」ものではなく、ちゃんと2本足で立ったり歩いたりしているのです。また、乗り物や基地なども実によくできていて、私は放映されていた当時、『サンダーバード1号』の発進シーンなどを興奮して見入っていたものでした。
 あのリアル感は、アニメなどでは到底表現できず、また、CGや特殊撮影が進歩した今でさえ、あの迫力を出すのは困難と思われます。
 イギリスでは、その後、『地球防衛軍テラホークス』という同様の作品が作られましたが、正直に言ってかなり期待外れな代物でした。むしろ、日本で制作された『Xボンバー』の方がストーリーと言い、演出と言い、格段に優れていると思います。
 予算などの関係で難しいのかも知れませんが、またあの『サンダーバード』や『Xボンバー』のような作品が制作されることを期待せずにはいられません。





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『父さんのつくった歌』に寄せて

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星空の楽譜-04





















                                                      『星空の楽譜 Ver.2.0』

星空の楽譜




















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『父さんのつくった歌』

                                                              渡辺 えり子 作詞
                                                           サイモン・ジェフス 作曲



ルンルルンルン ルンルルンルン ひとりで歌う

ルンルルンルン ルンルルンルン ちいさく低く

遠くで船が ボー ないたよ



ルンルルンルン ルンルルンルン 父さん歌う

ルンルルンルン ルンルルンルン 僕がつづけて

ふたり並んで ルルン デュエット



宇宙の果てより もっと遠い 小さな星は

暗くて 寒くて 淋しいかな



ルンルルンルン ルンルルンルン 星のしずくを

ルンルルンルン ルンルルンルン おたまじゃくしに

父さんのタクト ルルン はじける



ステキな歌 デタラメな歌 作った人は

いないよ いないよ もういないよ



郵便船が着くよ 涙の先に

走って歌を 歌おう



ステキな歌 デタラメな歌 作った人は

もういないよ もういないよ


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 これまで長いこと記事が書けずにいて、大変恐縮に存じております。

 可能な限りブログ更新に努めますので、今後もお立ち寄り戴ければ幸いに存じます。


 本年は、地球温暖化の影響からか11月になっても暑い日が続いておりましたが、12月に入ってようやく冬らしい気候になって参りました。

 それでも、晴れの日などは日中の日射しが強くて暑く感じられる時もあるくらいで、朝晩の冷え込みが激しいだけに、急激な気温の変化に適応できずに体調を崩される方も少なくないと思われます。

 そういうわけで(?)、今回は背筋がうすら寒くなる歌をご紹介致しましょう。 


 『NHKみんなのうた』の中には、わずかながら

  不気味な歌

と呼ぶべきものが存在します。インターネットの掲示板などでは、よく大貫妙子の『メトロポリタン美術館(ミュージアム)』が、その代表的な歌として挙げられています。他にも諫山実生(イサヤマ・ミオ)の『月のワルツ』や、椎名林檎(シイナ・リンゴ)の『りんごのうた』(サトウハチロー作詞の『リンゴの唄』ではない)などが挙げられることもあります。

 ですが、ここでもし私が「不気味な歌」の候補を挙げるとしたら、この『父さんのつくった歌』を外すわけにはいきません。これほど不気味で恐怖を感じさせる歌は、他には『エガオトッテケ!!』(*1)くらいしか思いつきません。


 この歌は、歌詞を読んでおわかりのように、「既に亡くなっている(と思われる)父親を偲ぶ歌」であり、女優の渡辺えり子が作詞しています。詞を読んでいるだけではあまり不気味な印象は受けないかも知れませんが、これが曲や画像(上野紀子による(*2))と一緒になると、何とも独特な雰囲気が醸し出されるのです。

 現在、YouTubeの動画は削除されていますが、ニコニコ動画(https://www.nicovideo.jp/watch/sm8433782)(登録が必要な場合があります)ではまだ視聴することができますので、ぜひ一度ご覧になることをおすすめ致します。

 静かすぎるとも言えるピアノの伴奏、歌詞と不釣り合いに高くて明るい市場衛のボーイソプラノ、目が常に陰に隠れていて見えない登場人物、これら全てが織りなす不気味さは、やはり実際に聴いてみなければ実感できないでしょう。

 子供の頃の私は、あまりの恐さに、この歌が流れると見るのを避けていたほどでしたが、それなのにこの歌がいまだに聴きたくなるところからすると、この歌にはやはりそれだけの魅力があるのだと思い直さざるを得ません。


 なお、この歌には、画像が汽車のパステル画(まりの・るうにい画)になっている別バージョンがありますが、私はこの上野紀子版の方が歌によく合っていて断然優れていると感じます。



 写真の折紙は、この『父さんのつくった歌』に寄せて、宇宙の果てでタクトを揮う父さんの姿を表現したもので、表裏が金と黒になっている正方形の折紙用和紙1枚に切り込みを入れて折った「つなぎ折紙」です。楽譜と音符を表現するためには、接着剤と針金による固定が必要となります。

 実は最初にこの歌についての記事を書いた時には、楽譜がない音符だけの表現を試みたのですが、到底満足のいく出来映えではありませんでした。そこで、改良したのが今回載せた「つなぎ折紙」です。最初に作ったものも写真でご紹介致しましょう。

星空の楽譜





















                                                      『星空の楽譜 Ver.1.0』

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*1:この『エガオトッテケ!!』という歌は、E. S. アイランドという人が作詞・作曲し、サナエという人が歌っているものですが、二人ともインターネットで調べてもほとんど情報がなく、詳しいことは不明です。歌自体もあまり広い人気は得られなかったようで、最近までインターネットでも検索に動画が引っかからなかったくらいでした。

 ですから、ご存じない方も少なくないと思われますので、ここで歌詞をご紹介致しましょう。

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『エガオトッテケ!!』

                                                    E. S. アイランド 作詞・作曲



(*)

 ランラン ランランラララン ランラララー  ランラン ランランラララン ランラララー

 ランラン ランランララランー  ランラン ランランララランー

 ランラン ランランララランー  ランラン ランランララランー


(* 繰り返し)



アー エガオガスキー  アー エガオガスキー

アーアー  アーアー  アーアー  アー



アー エガオガスキー  アー エガオガスキー

アゲルヨー アゲルヨー アイヲー アゲルヨー

アゲルヨ アゲルヨ アゲルヨ アゲルヨ

アゲルヨ アゲルヨ アゲルヨ アゲルヨ

アッタカイヨ トッテケ



(* 繰り返し)



アー ダンスガスキー  アー ダンスガスキー

アゲルヨー アゲルヨー アイヲー アゲルヨー

アゲルヨ アゲルヨ アゲルヨ アゲルヨ

アゲルヨ アゲルヨ アゲルヨ アゲルヨ

トッテケ トッテケ トッテケ トッテケ

トッテケ トッテケ トッテケ



ランラン ランランラララン ランラララー  ランラン ランランラララン ランラララー

しあわせたくさん もちきれないほど あのてにとまれー このてにとまれー




(* 繰り返しながらフェードアウト)

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 いかがでしょうか。私がこの歌を「不気味」と言った意味がおぼろげでもおわかりになったでしょうか。

 上にも書いた通り、長いことインターネットでもこの歌が聴けるサイトが見つからなかったのですが、最近、YouTube(https://www.youtube.com/watch?v=HhfI14s3sSY)で聴けるようになりました。非常に貴重な動画だと思いますので、ぜひお聴きになることをおすすめします。ただ、残念ながら音だけであり、画像はありません。

 お聴きになりましたか。どうでしょう。歌詞の内容は決して「不気味なもの」ではないはずなのに、この歌には何とも言えぬ違和感というか意味不明感が否応なしに感じられるとはお思いになりませんか。

 この歌を作ったE. S. アイランドという人は恐らく日本人ではなく、そのため歌詞がほとんどカタカナで書かれ、片言の日本語のようになっているのでしょうが、それにしても意味不明な「アー」が多く、歌詞も全体的に唐突で脈絡に欠け、情報不足に感じられてなりません。それに、「エガオ」や「アイ」を「アゲルヨー」と言うのはいいにしても、「トッテケ」と言うのは不自然に思えてなりません。

 また、歌い方も何とも不自然な感じが否めず、あたかも外国語を母国語とする人が歌っているように聞こえます。

 しかも、この歌が『NHKみんなのうた』で放送されていた時は実写の画像がついていて、現在見られるサイトがないのが残念ですが、これがまた「不気味なもの」であったのです。内容は、どこかの公園の風景だったと思うのですが、そこで大きな着ぐるみを着た人々が歩いている画像でした。そして、その着ぐるみは、うまく表現するのが難しいのですが、「不気味なほど明るい」笑顔のアメリカ風キャラクター(ディズニーアニメの『白雪姫』に出てくる小人が満面の笑みで笑っているような感じ)であり、異常に顔が大きいので、まるで笑顔が行列しているように見えるものだったのです。そういう画像が、この歌と一緒に流れていたわけです。

 これらの要素が相俟って、何とも言えぬ居心地の悪さを醸し出しているというのが、私の偽らざる感想です。

 皆さんはどのようにお感じになりますでしょうか。




*2:この『父さんのつくった歌』に使われている画像は絵本作家の上野紀子によるものですが、この歌のために描かれたものではなく、『扉の国』(中江嘉男・上野紀子著、偕成社1978年初版(ISBNは記載されていません))という絵本から採られたものです。この絵本は現在絶版であり、なかなか入手できないものになっています。

 ただし、元の絵本の『扉の国』の内容は、この歌と全く異なっていて、明るく楽しい話であり、悲しい要素は全くありません。主人公の父親も「もういない」なんてことはなく、単に外出しているだけですし、主人公の目が陰に隠れているのも「父親の帽子を間違えてかぶってしまったから大きすぎて目が隠れてしまった」だけです。ですから、本来ならこの歌にはそぐわない絵であるはずなのですが、歌と一緒に見ると不思議なことにぴったり合っているのです。

 その点で、この歌の雰囲気により合っているのは、同じ人の画による『扉の国のチコ』(巖谷國士(イワヤ・クニオ)・文、上野紀子・絵、中江嘉男・構成、ポプラ社2006年、ISBN4-591-09282-8)という絵本の方だと思われます。この絵本の主人公は『扉の国』と違って「チコ」という名の少女ですが、目が帽子の陰に隠れて見えないという点は共通しています。この絵本は瀧口修造(タキグチ・シュウゾウ)という詩人に捧げられたものであり、随所に瀧口修造の作品の要素がちりばめられています。なかなか奥の深い内容であり、私もまだ充分に理解したとは言えないのですが、子供向けとは思えない含蓄のある絵本ですので、機会があったら入手することをおすすめ致します。

 「チコ」は目が見えないわけではないのですが、『ふつうとは見え方がちがう』ため、いつも望遠鏡を通して外の世界を見ています。この絵本でははっきり書かれていませんが、おそらく「チコ」は内斜視(目が寄り目になっている)なのであろうと推察されます。同じ著者の『ペラペラの世界』という絵本(自費出版だったため部数が少なく、稀覯本並に入手困難)の紹介を見たことがありますが、それにも「チコ」は登場しており、一部に目が描かれている絵があり、それを見るとどうやら内斜視で間違いなさそうです。

 この『扉の国のチコ』には、瀧口修造本人と思われる老人が登場します。しかもそれと同一人物としか思えない老人が『扉の国』にも出てくるのです。

 そうなると、『扉の国』も『扉の国のチコ』と同様に瀧口修造の影響を強く受けていると考えざるを得ず、おぼろげながら、

  父さん - いなくなった - 瀧口修造

といった図式が浮かび上がってきます。『NHKみんなのうた』の画像を制作した人がもし、このようなつながりで上野紀子の『扉の国』を選んだのだとすれば、その炯眼には感嘆する他にありません。


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爪亭八爪(つめてー・やつめ)(師匠):「しかし、この『扉の国のチコ』と『ペラペラの世界』を見ると『扉の国のチコ』のチコの方が格段に可愛く見えるのはどういうわけだろうな」

爪亭八空(つめてー・やから):「そりゃあ、目が描かれてねぇ方が、読むもんが想像で補うときに理想的な目を考えちまうからでやんしょ」

爪亭八面(つめてー・やつら):「人ってぇのは、よくわからねぇもんは美化しちまい勝ちでやんすからねぇ」

八爪:「そうだな。彫刻でもギリシャの『ミロのヴィーナス』とか『サモトラケのニケ』なんかは、欠けているところがあるからかえっていいって言われてるもんな」

八面:「おっ、さすが師匠! 学がありやすなぁ」

爪亭八楼(つめてー・やろう):「さっきから、いってぇ何の話でやんすか?」

八爪:「何だおめぇ、なんもわかってなかったのか?」

八面:「物事はあまりはっきりわからねぇ方が、いいように想像できるからいいってことよ」

八空:「だから、目とか腕とかをあえて隠したりなくしたりした方が魅力的に見えることもあるってわけだ」

八楼:「するってぇと、そりゃ『目病み女に風邪引き男』ってぇことでやんすか?」

八爪:「男は違うが、女はまあ近いとは言えるな。まあ、八楼にしちゃ上出来だな」

八楼:「そんじゃあ、ここはひとつ、座布団を・・・」

八面:「それより、ここは『夜目、遠目、笠の内』っていうところだな」

八爪:「おっ、いいねぇ。座布団1枚!」

八楼:「あっしは・・・?」

八爪:「おめぇはオアズケだ」

八楼:「ひえぇ、ひでえぇぇ」





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『さびしいカシの木』に寄せて

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夢見るカシの木-02














                                                                      

                                                     『夢見るカシの木 Ver.2.0』

夢見るカシの木



















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『さびしいカシの木』

                                                        やなせ たかし 作詞

                                                          西脇 久夫 作曲



山の上の いっぽんの

さびしいさびしい カシの木が

とおくの国へ いきたいと

空ゆく雲に たのんだが

雲はだまって いってしまった



山の上の いっぽんの

さびしいさびしい カシの木が

私といっしょに くらしてと

やさしい風に たのんだが

風はどこかへ きえてしまった



ラーララララー ラーララララー

ラーララララー ラーララララー



山の上の いっぽんの

さびしいさびしい カシの木は

今ではすっかり 年をとり

ほほえみながら たっている

さびしいことに なれてしまった



ラーララララー ラーララララー

ラーララララー ラーララララー


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 正月のお屠蘇気分が抜けて、節分も過ぎましたが、いまだに寒い気候が続いております。インフルエンザも例年以上に流行っているようですが、皆さんはお元気でお過ごしでしょうか?

 つい先日までは鬼の面やら恵方巻の宣伝やらで埋め尽くされていたスーパーの店頭も、今はバレンタインデーが近いため、色とりどりのチョコレートを初めとする様々なおカシで賑わっています。中にはメダル型のチョコなどのなつカシいものもあったりして、子供の頃によく買って食べたことを思い出します。これも年を取ったあカシでしょうか。

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爪亭八面(つめてー・やつら):「・・・? なんか変だぞ」

爪亭八空(つめてー・やから):「何がだ?」


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 今回とりあげる歌はカシの木の歌ですが、私がむカシから大好きな歌です。曲ももちろん素晴らしいのですが、とくにそのカシが奥ゆカシくて含蓄に富んでいると思われるのです。

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八面:「やっぱりおカシい」

八空:「そう言やあ、なんカシらねぇが、ちょっと『カシ』が多いな」


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 おお、お二方! ちょうどいいところに来てくれました。ちょっとご相談があるのですが・・・。

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八面・八空:「おっ、何でぇ」

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 実は、恥ずカシいことに、なかなか記事が更新できなくて・・・。 そこで、お二方のゆカシいおカシらのお力をおカシ戴いて、このカシ状態のブログを何とカシて欲しいと・・・。

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八面:「ちょ、ちょっと待て! さっきから『カシ』ばっかりじゃねぇか。 うーん、しカシむずカシいなあ・・・」

八空:「なぁーんて言って、おめぇにもうつっちまってるぜぇ」

八面:「な、何をぬカシやがる!」

八空:「やっぱりうつってらぁ。 でも、『ゆカシい』だの『おカシら』だのずいぶんと古めカシい言いぐさだなあ」

八面:「おめぇにもうつってんじゃねぇか!」

八空:「うっ」


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 どうカシましたか?

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八面:「ま、まあ、まカシといてくれい・・・って、また言っちまったぁ」

八空:「そうせカシなさんな・・・って、俺もだぁ」


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 ここは、爪亭御一門のお智恵を活カシて、一つ、いカシた記事を書カシて戴きたいと・・・。

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八面:「ええいっ! もう『カシ』は沢山でぇ!」

八空:「そうでぇ! カシばっかりだと虫歯になっちまうぜぇ」

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 そうですね。 おカシは歯をおカシますからね。

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八面:「いい加減にしろい!!」 = ◇ (空飛ぶざぶとん)

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 というわけで(?)

          
   = ◇(>_<) イテッ

今回の歌の話に入りましょう。

 この『さびしいカシの木』という歌は作詞がやなせたカシで・・・

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八面・八空:「くどいっ」

※ 二人はざぶとんを振りかざした。


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 ごめんなさい! もうしません!


 ・・・。


 さて、やなせたかしという人はアンパンマンの作者として非常に有名であり、このブログでも以前に『アンパンマンのマーチ』という歌をとりあげました(http://blog.livedoor.jp/miyataatsushi-origami/archives/46077496.html)が、その歌の作詞者でもあります。今回とりあげる『さびしいカシの木』も同じやなせたかしが作詞した歌です。

 この『さびしいカシの木』という歌は『NHKみんなのうた』に収録されている歌なのですが、その中でもかなり古い方で、初回放送が1971(昭和46)年ですから、何と今から45年以上も前の歌です。ですが、私はこの歌が子供の頃から忘れられず、歌やアニメーションは覚えていたのに肝心の題名を覚えていなかったため、長いこと正確な題名もわからぬまま探し続けておりました。

 この歌は、素朴でありながら何とも切なく、歌はもちろんのこと、曲もボニージャックスの歌声も、そして背景のアニメーションも、その雰囲気を格段に盛り上げていて、他の数ある『みんなのうた』と比べても明らかに異なる独特の印象を与える歌だと思います。

 特に、歌詞の最後の1節は秀逸であり、私はこの歌を聴いている時、歌がこの部分(ちょうど、アニメーションでは、カシの木がバースデーケーキの上に載っている場面に当たる)にさしかかると、あまりの切なさに目が潤むのを禁じ得ないのです。この感動はぜひとも実際に聴いて味わって戴きたいと思いますので、冒頭の歌詞紹介ではこの最後の1節を伏せ字にしております。すぐにお知りになりたい方は、伏せ字部分を反転させてご覧になってください。

 以前はこの歌もインターネットで放送当時のまま試聴できたのですが、現在は削除されています。その代わり、それに限りなく近い歌なら YouTube のサイト(https://www.youtube.com/watch?v=cARpF9JR4NY)で聴けますので、皆さんもぜひ聴いてみてください。ただ、残念ながらアニメーションはありません。

 私が思うに、この歌がこれだけ印象深いのは、この最後の1節に象徴される哀愁を帯びた結末によるところが大きいに違いありません。

 『みんなのうた』の中に『ぼくは大きな石ころさ』(作詞・作曲:ザ・クアトロ)という歌がありますが、これは石ころが沢山の鳥や虫たちに囲まれて幸せに過ごしている内容であり、底抜けに陽気で明るい歌です。まさに『さびしいカシの木』とは対照的な歌です。これはこれでいい歌だとは思いますが、この2つの歌のうち、どちらが深い感動をもたらすかと言えば、間違いなく『さびしいカシの木』でしょう。

 作詞したやなせたかしはアンパンマンの原作者であり、氏の才能をもってすれば、この『さびしいカシの木』でも最後にカシの木が沢山の鳥や虫などに囲まれて幸せになるような終わり方にすることも容易にできたはずです。それにもかかわらず、あえて「さびしい」ままで終わらせたわけですから、そこには何か意味があるに違いありません。

 私は、そこに作者であるやなせたかしのメッセージが込められていると感じるのです。それは、「さびしさは常に満たされるものとは限らない」ということであり、またさらに「さびしさが満たされることが必ずしも幸せとは限らない」ということでもあると感じるのです。そこには「求めるものが得られることが必ずしも幸せとは限らない。現状で満足することこそがむしろ真の幸せなのではないのか」という意味さえ含まれているように思われます。人間の欲望には限度がなく、例え不足や不満を解決してもそれは一時的であり、すぐに更なる欲求不満が生じて終わることがありません。それが向上心につながり、成長の糧になるという意見もあろうかと思いますが、果てしなく続きしかもどんどんエスカレートしていくのでは、いつか疲れ果ててしまうのは明らかです。それならば、現状で得られているものに感謝し、それでよしとする心構えを持つことが幸せにつながるという考え方にも真理があると思います。仏教、特に禅宗においてはそういう教えが重要であり、以前の記事(http://blog.livedoor.jp/miyataatsushi-origami/archives/36036804.html)でご紹介した「吾唯足知」(われただ足るを知る)という言葉に象徴されています。「不満を解消し、欲望を満たす」ことを賛美するのは簡単であり、世の中の大多数の人も大いに賛成することでしょうが、それだけではやはり浅薄な印象を否定できません。やはり、この歌の最後のように、「さびしいながらもほほえみながら立っている」というカシの木の姿には含蓄があり、私たちの心に訴えるものがあると私には思えてならないのです。


 ただ、最近、私はやなせたかしの生涯について知る機会があり、この歌にはもう一つの隠された意味があるのではないかという考えを持つようになりました。

 アンパンマンなどを見ている分には全くそういう印象はありませんが、氏は実にさびしい幼少期を過ごされていたとのことなのです。氏の父親は幼い氏を日本に残して単身で中国で働いていたのですが、氏がわずか5歳の時に現地で亡くなってしまい、氏は伯父に引き取られています。しかも、氏の母親が再婚したために氏と離ればなれになってしまったとのことなのです。

 このことを知った上で改めてこの『さびしいカシの木』の歌詞を読みますと、そこにはやはり大きな関係があると感じられるのです。

 この歌の中の『カシの木』は実は氏本人なのではないでしょうか。そう考えると、歌詞の意味が大きく違って感じられてくるのです。つまり、1番の『空ゆく雲』とは氏の父親であり、外国へ連れて行って欲しいという氏の願いが叶えられなかったことを表しているのでしょう。また、2番の『やさしい風』とは氏の母親であり、一緒に暮らして欲しいと願ったができなかったことを表しているのでしょう。そして、3番では結局さびしいままでいざるを得なかった自分自身の姿を表現しているのではないでしょうか。

 そのように考えますと、さびしい幼少期を過ごされた氏が、後にアンパンマンを生み出して大勢の子供たちに夢と希望を与え続けていることが何とも素晴らしく感じられます。それは、決してさびしさがなくなったわけではなく、また忘れたわけでもなく、ただ『なれてしまった』ということであり、これこそが歌詞にある『ほほえみながらたっている』という境地だと言えるのかも知れません。

 これに比べれば、上に書いた私の解釈などはまるで見当違いの勘ぐりに過ぎないのかも知れないと思えてきます。


 なお、この歌には木下牧子作曲による別バージョン(なぜか歌詞も微妙に異なっている)が存在し、これはソプラノ曲となっています。これも YouTube のサイト(https://www.youtube.com/watch?v=bTbNbJfAJms)で聴くことができますが、私個人としては、西脇久夫作曲による『みんなのうた』収録の方が歌詞の雰囲気に合っていて優れていると思います。


 写真の折紙は、『さびしいカシの木』に寄せて、カシの木が鳥たちと戯れて幸せに過ごしている夢を見る様子を表現したもので、表裏が金色と緑色の2色になっている1枚の正方形の紙に切り込みを入れて折ったものです。かなりちぎれやすい紙を使っていますので、つなぎ部分の補強をしないと折り上げるのは困難です。また、鳥の向きを調整しやすくするために針金を使用し、木の幹に当たる部分には棒を差し込んで固定しています。

 実は、以前に作ったつなぎ折紙もあるのですが、その時は締め切りに間に合わせるためもあって、非常にぞんざいな出来になってしまいました。これも写真で紹介致しましょう。

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夢見るカシの木





















                                                 『夢見るカシの木 Ver.1.0』

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 これは表裏が若草色と黄橙色の2色になっている1枚の正方形の折紙用紙に切り込みを入れて折ったものなのですが、あまりに不出来なので、今回改良して作り直しました。





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爪亭八面(つめてー・やつら):「・・・ってぇわけで、師匠。 何とかこのブログにカシ・・・じゃなくてカツを入れてもらえねぇかっちゅう相談なんでやんすが・・・」

爪亭八爪(つめてー・やつめ)(師匠):「ほぉぉ、そうかい。 じゃあ、ここはカシを連発して『カシづくし』でもやるか」

爪亭八空(つめてー・やから):「いえ、それはもう散々やりやしたんで。もう正直、カシはうんざりでやんすよ」

八爪:「つまり、あれだ。 カシの木がさびしいから何とか盛り上げてくれってぇんだろ?」

八面:「いえ、そうじゃねぇと思うんでやんすが・・・」

爪亭八楼(つめてー・やろう):「えっ、何でカシの木がさびしいんでやんすか?」

八面:「そりゃおめぇ、誰も来ねぇからだろ」

八楼:「何で行かねぇんでやんすかねぇ。 うめぇのに」

八空:「おい八楼、おめぇ今、何て言った?」

八楼:「だって、カシの木ってぇ言うくれぇだから甘いんでやんしょ?」

八面:「おめぇ、まさかカシの木のカシをお菓子のことだって思ってんのか?」

八楼:「違うんでやんすか?」

・・・

八面:「ブハハハ! 何言ってやがんでぇ」

八空:「『ヘンゼルとグレーテル』じゃあるめぇし」

八楼:「そうそう! だからヘンゼルとグレーテルが森で見つけた家はカシの木でできてたんでやんしょ?」

八爪:「バーロー! いい加減にしろ! よい子のみんなが本気にしたらどうすんでぇ! おっ、そうだ。 八楼がこんなバカかますのも、『カシ』と『オカシ』の意味が全然違うからだな。 ようし、そんじゃあ、今回のお題はこうしよう! 『オ』がつくかつかねぇかによって意味が変わっちまう言葉を出して戴くっちゅうわけだ。 どうだ?」

八面:「はいっ」

八爪:「よーし八面!」

八面:「『ムスビ』『オムスビ』!」

八爪:「おお、そうだな。 大相撲で『むすびの一番』とは言うが、『おむすびの一番』とは言わねぇもんな。 ざぶとん1枚!」

八楼:「へいっ!」

八爪:「おっ八楼、早ええな。 よし、言ってみな!」

八楼:「『ニギリ』『オニギリ』!」

八爪:「・・・。 おい八楼! おめぇパクッてるんじゃねぇぞ」

八空:「そうでぇ。 おめぇにゃ、『おりじなりてー』ってもんが足りねぇんだ」

八楼:「じゃ、じゃあ、手本を見せてくだせぇよ」

八空:「ここは『ヒネリ』『オヒネリ』ってぇのはどうだ?」

八楼:「何でぇ、それもパクリじゃねぇか」

八爪:「いや、面白れぇ。 やっぱ、こういう風に答えにヒネリを利かせねぇとな」

八楼:「きたねぇ・・・」

八爪:「誰だ、『きたねぇ』って言ってるヤツは! ざぶとん持ってけー!」

八面:「はい!」

八爪:「はい八面!」

八面:「『アシ』『オアシ』

八爪:「な、なんでぇ。 何か急に現実味を帯びてきやがったな。 もうちっと明るいのはねぇか?」

八空:「はいっ」

八爪:「よし、八空」

八空:「『カミ』『オカミ』!」

八爪:「おっ、なかなかいいなぁ。 でも、『オカミ』ってぇのは『カミ』にも通じるような気もするがな」

八面:「『ヤマノカミ』ってぇ言葉もあるくれぇでやんすからな」

八楼:「へいっ!」

八爪:「よし、八楼! パクるんじゃねぇぞ」

八楼:「『オカミ』『オオカミ』!!」

八爪:「だからパクるんじゃねぇってんだろう! ざぶとん取れ!」

八楼:「げっ」

八空:「はい!」

八爪:「よし、ここらで一発かましてくれ!」

八空:「『ヤジ』『オヤジ』っ!」

八爪:「おおーっ! レベル高けぇぜ! こういうのを待ってたんでぇ! よーし、ざぶとん2枚‼」

八楼:「へ、へいっ!!」

八爪:「おめぇ、まさか『フクロ』『オフクロ』なんて言うんじゃねぇだろうな!?」

八楼:ギクッ

八面:「おめぇのネタは見え透いてんでぇ」

八空:「進歩のねぇヤツ」

八爪:「他のやつにやらせると八楼がパクってしょうがねぇ。 おい八楼! 今度はおめぇから言ってみな!」

八楼:「うっ! えっ・・・えーと・・・」

八面:「さあ、どうした? うりうり!」

八楼:「じゃ、じゃあ『ハジキ』『オハジキ』!」

八爪:「・・・。 おめぇ、それは本当にパクリじゃねぇんだろうな?」

八楼:「へ、へぇっ・・・

八爪:「・・・」

八楼:「・・・」

八爪:「・・・」

八楼:「・・・!!」

八爪:「おいっ野郎ども! こいつをつまみ出せ!!」

(参照:
http://blog.livedoor.jp/miyataatsushi-nihongo/archives/26617129.html


八面・八空:「へいっ! 親分!」

八楼:「わわわわっ、まっ、待っておくんなせぇ! もう一度、もう一度チャンスをくだせぇーー!!」

八面:「ええい、わめくな! 動くな! おい、八空、おめぇ足持て」

八楼:「かっ勘弁してくれぇぇ・・・」



※ 八楼は退場した。



八爪:「おあとがよろしいようで」
 m(__)m



八楼:「よろしくなんかねぇーーっ」



平成29年(2017年)新年に寄せて

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瑞鳥・光明-03





























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 皆さん、今年も新年明けましておめでとうございます。

 旧年は新年の挨拶もせずじまいで、記事の更新もほとんどできないで終わってしまいました。書きたいことはまだまだあるのですが、折紙の製作も記事の作成も進まないまま過ぎてしまい、誠に恥ずかしい限りです。これからも更新に努めますので、どうかおつきあい戴ければ幸いに存じます。


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爪亭八楼(つめてー・やろう):「何か、2年前にも同じこと書いてるような気がしやすがねぇ。 あっしなら・・・」

爪亭八面(つめてー・やつら):「おめぇが言うな」

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 旧年は、オリンピック・パラリンピックでの日本選手の目覚ましい活躍など、明るい話題もありましたが、どちらかと言えば、自然災害や政治変動などの、将来に不安をもたらすニュースが目立っていたように感じます。


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爪亭八空(つめてー・やから):「八楼、おめぇそんなに簡単に記事が書けるってぇんなら、平成28年に何があったか言ってみろ」

八楼:「うっ! えっ? えーーと・・・ うっ、ううっ

八空:「なに泣いてやがんでぇ」

八楼:「う、うわーん! 根津甚八は亡くなっちまうし、SMAP は解散しちまうし、もう夢も希望もあるものかぁ!! うおーんおんおん」

八空:「・・・」

八楼:「というわけでサヨウナラ」  =3

八空:「待てこの野郎!」

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 そこで、今回はこれからの将来に明るい希望をもたらしてくれるような折紙をご紹介致しましょう。

 今年は奇しくも干支が「丁酉(テイユウ、ひのととり)」ですので、まさに鳥をテーマにするのにうってつけの年です。そこで、輝かしい光を伴って飛んでくる鳥を表現する折紙を作り、『瑞鳥・光明(ずいちょう・こうみょう)』と名付けました。

 背景は赤色のフェルト生地なのですが、初日の出とともに太陽から飛んでくるイメージを表したかったので、画像を丸く加工しました。丁度、日本の国旗(日の丸)のようにも見えますが、これは日本の未来を明るくしてくれるように願う気持ちをも含めています。

 この折紙も、他の記事の折紙と同様に「つなぎ折紙」になっています。表が金色、裏が銀色の長方形の和紙1枚に切り込みを入れて折ってありますが、形を安定させるためには接着剤を使用する必要があります。

 かなり大きい紙を使いましたので、完成品の大きさは幅が約45cm になっています。私が勤めている病院の玄関受付近くに飾ってありますので、受診される方は実物をじかにご覧になれると思います。

 上の写真だけでは、実際にどうなっているのかわかりにくいと思いますので、斜め上から撮った写真も載せておきましょう。

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IMG_6122






































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 この折紙に使った用紙は、障子紙としても用いられる丈夫な和紙の両面に刷毛(はけ)で金銀に着色して作られているもので、御茶ノ水の『おりがみ会館』や埼玉県小川町(「和紙の町」として知られる)などで入手することができます。大きさは、大きいもので 90×60cm 以上あり、かなりの大作を作ることができます。「金色」・「銀色」と言っても通常は本物の金・銀が使われているわけではなく、金色は真鍮(しんちゅう)、銀色はアルミニウムの粉が主に使われています。糊で金属粉を練って塗っているため、分厚くなりますし、指でこすると少し金や銀の色がつきます。もっと薄くて、指に色がつかない金銀折紙用紙の開発が望まれるところです。

 今回使った紙は、それらの金銀折紙用紙の中でも一番銀色の輝きが優れているものだと思います。

 今年も、この『瑞鳥・光明』のように輝かしい年でありますようお祈り申し上げる次第です。





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『Old Black Joe』に寄せて

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天使の呼び声-01





















                                                    『天使たちの呼び声』

OldBlackJoe




















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『Old Black Joe』



                                          Written by : Stephen Collins Foster



1.

Gone are the days

When my heart was young and gay,

Gone are my friends

From the cotton fields away,

Gone from the earth

To a better land I know.

I hear their gentle voices calling:

"Old Black Joe"



(*)

 I'm coming, I'm coming,

 For my head is bending low,

 I hear those gentle voices calling:

 "Old Black Joe"



2.

Why do I weep

When my heart should feel no pain?

Why do I sigh

That my friends come not again

Grieving for forms

Now departed long ago?

I hear their gentle voices calling:

"Old Black Joe"



(* Repeat)



3.

Where are the hearts

Once so happy and so free?

The children so dear,

That I held upon my knee

Gone to the shore

Where my soul has longed to go.

I hear their gentle voices calling:

"Old Black Joe"



(* Repeat)

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 秋分を迎えて、暑かった夏もようやく終わりを告げ、あれよあれよという間にすっかり肌寒い季節となって参りました。この分では、秋らしい秋も感じられぬまま一気に冬に突入してしまいそうに思えます。

 今年は特に、「シルバーウィーク」という言葉が盛んに聞かれました。これは、かつて9月15日と決まっていた敬老の日が、平成13年の祝日法改正(ハッピーマンデー制度)によって平成15年から「9月の第3月曜日」に変えられたために生じた連休のことであるわけですが、今回は土曜日も含めれば何と5連休でしたので、「シルバー」と言っても5月の「ゴールデンウィーク」に引けを取らない大連休となりました。皆さんの中にはこの機会に長期旅行を楽しまれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 ただ、そのせいか、敬老の日の印象が薄くなってしまい、あまり関心を持たれぬまま過ぎてしまった感が否めません。

 そこで、今回は敬老の日に因んで、老年の心境を描いた歌をとりあげることと致します。


 この『Old Black Joe』という歌は、有名なフォスター(Stephen Collins Foster, 1826.7.4 - 1864.1.13)の歌の一つであり、日本でも大変よく知られていて、日本語詞も幾つか作られています。インターネットでも数々の動画が公開されており、この歌の人気の高さが覗えます。私はその中でも Paul Robeson の歌が落ち着いた声といい、ゆったりとしたテンポといい、最もこの歌の良さを引き出していると思われます。YouTube のサイト(https://www.youtube.com/watch?v=H6Tvq_0tkyw)で聴くことができますので、皆さんもぜひ聴いてみてください。但し、残念ながら3番は省略されています。

 この歌は歌いやすく、また、英語も平易であるためか、よく子ども向けの英語の本に紹介されています。現に私も、子どものための英語学習本で初めてこの歌を知りました。それに、テレビなどでもよく歌われていたので、メロディーも何となくわかっていたように思います。

 ただ、当時の私は英語がよくわからなかったので、この歌の曲が一種明るい感じがすることから、もっと朗らかな内容の歌だと思っていました。特に、当時聴いた日本語詞の中に

   『われも行かん 力は失せぬ』(津川主一の日本語詞から)

という部分があったことから、どういうわけかこの歌を「オールド・ブラック・ジョー」の孫か何かの歌だと思ってしまい、この部分を「ジョーじいさんと一緒に山登りをしていて先に行かれてしまい、懸命に追いかけるつもりで」

   「私も行こう、力はまだ失せはしない」

と言っているのだろうなどと考えていました。今から考えれば全く逆の意味であったわけで、勘違いも甚だしいと言わなければなりません。

 本当はこの歌は、アメリカ南部の黒人奴隷が長く綿花畑で働いてきて老齢に至った心境を歌っている歌であり、とても深刻で悲しいものであったわけなのです。その悲しい詞に比べて、不釣り合いとも言えるほど明るい曲がついているだけに誤解を招きやすいとも感じられますが、それがむしろ無力感や諦めといった心境を際立たせる効果を生んでいるのかも知れません。考えてみれば、フォスターの歌曲には他にも『Massa's In De Cold Ground』(主人(あるじ)は冷たき土の下に)という歌があり、これも悲しいはずの歌詞に比して明るい印象の曲がつけられています。このことから考えますと、フォスターの歌には全体的にこういった傾向があるとも思われます。


 上にも述べましたように、この歌には既に幾つもの日本語詞が作られていて、どれもほぼ原詞の意味を日本語に訳したものになっています。しかし、ほとんどの日本語詞が文語調であるため、ややわかりにくい感じがするのは否めません。現に、子どもの頃の私はそのためにとんでもない勘違いをしてしまいました。

 現時点で私が知っている日本語詞には、以下のようなものがあります。

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(緒園凉子(おその・りょうし) 作)

1.

若き日はや夢と過ぎ

わが友みな世を去りて

あの世に楽しく眠り

かすかに我を呼ぶ

オールド・ブラック・ジョー

われもゆかん はや老いたれば

かすかに我を呼ぶ

オールド・ブラック・ジョー

われもゆかん はや老いたれば

かすかに我を呼ぶ

オールド・ブラック・ジョー



2.

などてか涙ぞ出(い)ずる

などてか心は痛む

わが友はるかに去りて

かすかに我を呼ぶ

オールド・ブラック・ジョー

われもゆかん はや老いたれば

かすかに我を呼ぶ

オールド・ブラック・ジョー

われもゆかん はや老いたれば

かすかに我を呼ぶ

オールド・ブラック・ジョー



(久野静夫 作)

1.

楽しき若き日は過ぎ わが友はや去りゆきて

み神のみ手にぞ憩う やさしくも呼ぶ声

オールド・ブラック・ジョー

我も行かん 老いたる我を

やさしくも呼ぶ声 オールド・ブラック・ジョー

我も行かん 老いたる我を

やさしくも呼ぶ声 オールド・ブラック・ジョー



2.

涙はほほに伝いて わが胸痛みにたえず

こころはこの世を去りて やさしくも呼ぶ声

オールド・ブラック・ジョー

我も行かん 老いたる我を

やさしくも呼ぶ声 オールド・ブラック・ジョー

我も行かん 老いたる我を

やさしくも呼ぶ声 オールド・ブラック・ジョー



(津川主一 作)

1.

いずこぞ若き日の夢 いずこぞ過ぎし日の友

世を去り天国(みくに)へのぼり やさしくわれを呼ぶ

オールド・ブラック・ジョー

われも行かん 力は失せぬ

静かに聞こゆるは オールド・ブラック・ジョー

われも行かん 力は失せぬ

静かに聞こゆるは オールド・ブラック・ジョー



2.

何ゆえわれは歎くや 何ゆえこころ沈むや

天国(みくに)へ友はのぼりて やさしくわれを呼ぶ

オールド・ブラック・ジョー

われも行かん 力は失せぬ

静かに聞こゆるは オールド・ブラック・ジョー

われも行かん 力は失せぬ

静かに聞こゆるは オールド・ブラック・ジョー



3.

楽しき日は遠くなり いとしきわが子もゆきぬ

かの世も今はま近し やさしくわれを呼ぶ

オールド・ブラック・ジョー

われも行かん 力は失せぬ

静かに聞こゆるは オールド・ブラック・ジョー

われも行かん 力は失せぬ

静かに聞こゆるは オールド・ブラック・ジョー



(三宅忠明 作)

若く楽しい日は去り、

友もみな世を去って、

あの世に、静かに眠り、

やさしく呼んでいる、オールド・ブラック・ジョー



 今に行くよ、老いたるわれを、

 やさしく呼んでいる、オールド・ブラック・ジョー



こころも痛まず、なぜに泣く?

友が去り、なぜため息をつく?

とっくに亡くなった友を、嘆きながら。

やさしく呼んでいる、オールド・ブラック・ジョー



 今に行くよ、老いたるわれを、

 やさしく呼んでいる、オールド・ブラック・ジョー


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 私が調べました範囲では、以上の4つの日本語詞が作られています。最初の3つは『二木絋三のうた物語』の記事(http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/03/post_4e75.html)から引用させて戴きました。最後の三宅忠明の詞は別のところで見つけた日本語詞なのですが、曲にうまく合わせづらいので、歌詞としてではない単なる日本語訳なのかも知れません。

 なお、最初の詞を作った緒園凉子(おその・りょうし)は、知らない人が読むと「りょうこ」と読んで、女性と勘違いしてしまいがちなのですが、実のところは、本名を内藤健三(ないとう・けんぞう)というれっきとした男性です。ですから、この人の詞を読んで

   「女性ならではの繊細な感性が表出されている」

などと的外れな論評を口走らないよう注意する必要があります。それに「凉子」の「凉」という漢字が

   」(にすい)であって、」(さんずい)ではない

点も要注意です。


 さて、これらの詞を見ますと、どれも原詞に忠実であり、その意味合いを表現するための工夫が凝らされていることがわかります。ですが、私にはどの詞にも少なからぬ問題があるように思えてならないのです。それは、次のような点です。

(1) 文語調であり、現代では一度聞いただけでは意味を正しく理解しにくいこと

(2) 3番の内容が略されていること(津川主一を除く)

(3) 2番において "my heart should feel no pain" となっているのに、「心が痛む」というような逆の意味の日本語になっていること(三宅忠明を除く)


 音楽にも詩にも全く疎い私がこのようなことを述べるのは実に烏滸(おこ)がましいのですが、この『Old Black Joe』が好きなだけに、気になって仕方がないのです。

 そこで、門外漢も甚だしい私ではありますが、浅学菲才を顧みず日本語詞を作りましたので、ここでご紹介させて戴くことと致します。

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(宮田篤志による拙・日本語詞)

『オールド・ブラック・ジョー』

                                             作詞・作曲 : S. C. フォスター



1.

若かった 日はとうに過ぎ

友もみな 畑を去って

やすらぎの 地へ旅立った

みんながわしを呼ぶ

「オールド・ブラック・ジョー」



(*)

 わしも往くよ もうくたびれた

 お迎えが呼んでる

 「オールド・ブラック・ジョー」



2.

なぜに泣く 涸れた心で

なぜ嘆く 還らぬ友を

おもかげ 悲しみながら

みんながわしを呼ぶ

「オールド・ブラック・ジョー」



(* 繰り返し)



3.

どこにある よき想い出は

愛しき わが子供らも

あこがれの あの世へ去った

みんながわしを呼ぶ

「オールド・ブラック・ジョー」



(* 繰り返し)

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 口語調にしようとしたために些か俗っぽい表現になってしまっている部分もありますが、私はこのように詞をつけても原詞の意味合いを大きく損ないはしないと考えているのです。

 ことによると、

   「こんな下品な詞は、格調高いフォスターの歌曲に対する冒涜である!」

といったお叱りを受けるかも知れません。ですが、この『Old Black Joe』の主人公は老齢の黒人奴隷であり、余りにも格調高い詞はかえって似合わないのではないかと私は思うのです。もし、

   「違う! ここはこう訳すべきだ」

といったご意見をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひともコメントをお寄せ戴きたいと思います。


 ところで、この『Old Black Joe』という歌は、老齢になり、家族にも先立たれ、友達もみんな死んでしまった孤独とその絶望感を歌っているものと私は考えていますが、この内容にはある種の世界観もしくは宗教観が見出されます。それは、

   (家族や友は)「この世にはいないが、あの世には存在する」

という信念です。つまり、この世の他に「天国」のようなものを想定し、そこに今も暮らしていると信じるということです。だからこそ、「呼ぶ声が聞こえる」わけですし、「私も(そこへ)行こう」ということになるわけです。

 これは、死後の世界の存在を説いているキリスト教などの世界観であり、恐らくこの「オールド・ブラック・ジョー」、そしてフォスター自身もそういった宗教に帰依しているのでしょう。

 そのことから、この歌の主人公である「オールド・ブラック・ジョー」は、この世には絶望していても、あの世には望みを持っているとも言えるのです。この点で、彼の「絶望」は真の絶望とは言えないものとも考えられます。


 一方、日本にも、この『Old Black Joe』の主人公と同じような境遇を表現しているものとして、百人一首の34番に選ばれている次の歌(と言っても和歌ですが)があります。

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藤原興風短歌-1
















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   誰(たれ)をかも


   知る人にせむ

   高砂(たかさご)の

   松も昔の

   友ならなくに

                                                           

 これは三十六歌仙の一人である藤原興風(ふじわらのおきかぜ)が老境の孤独を詠んだ歌です。上の画像は、時雨殿(しぐれでん)に所蔵されている肉筆かるた(吉海直人(よしかい・なおと)監修『見る・知る・味わう「百人一首」手帖』ナツメ社刊(ISBN978-4-8163-5741-1)より引用)を私が臨書したものです(「暠純(こうじゅん)」は私の雅号です)。少しでも和歌かるたの雰囲気を味わって戴ければ幸いです。

 この歌の意味は「(年を取った私は)いったい誰を友だちにしようか、(長寿の象徴である)高砂の松はあるものの、(人ではないので)友にはなりえないのだから」ということです。なまじ長生きをしてしまったばかりに知人はみな先に死んでしまい、一人残されたことによる孤独・悲しみを歌っている点で、百人一首の中でも異色の歌として有名です。


 この歌も『Old Black Joe』とほぼ同じ境遇を歌っているわけですが、対比してみますと大きな違いがあることに気付きます。

 それは何かと言えば、

   あの世の存在を想定していない

ということです。つまり、死んでしまった人は消え去るのみであって、どこか別の世界で暮らしてなどいないということです。だから、この歌には「死者が呼んでいる」とか「自分もそこへ行く」というような表現が全く出てこないわけです。

 これは三十一文字という字数の制限からやむを得ず省かれているのだという意見もあろうかと思いますが、私は、そうではなく、やはりこの歌には来世という概念そのものがないのだと考えます。


 この歌の作者である藤原興風は生没年不詳ですが、そのすぐ次の百人一首35番の作者が紀貫之(868?-945)であることから考えて、おおよそ9世紀後半から10世紀初め頃の人と推定されます(百人一首の歌は、ほぼその作者の年代順に配列されている)。そうなりますと、その当時の日本にはまだキリスト教などは伝わっておらず、死生観に影響を及ぼす宗教と言えば神道と仏教くらいしかなかったでしょう。

 まず神道について考えますと、神道にも実は「死後の世界」というものは想定されています。ですが、それは「天国」のような楽園などではなく、「穢(けが)れ」に満ちたおぞましい世界なのです。

 『古事記』によりますと、日本の国土を生み出した伊耶那岐神(イザナギノカミ)という男神と伊耶那美神(イザナミノカミ)という女神の夫婦神がいました。伊耶那美神は島だけでなく数多くの神々をも産んだのですが、最後に産んだ迦具土神(カグツチノカミ)が火の神だったために、産み出す際に大火傷を負ってしまい、それがもとで亡くなってしまうのです。そして、伊耶那美神が死後に行った世界が黄泉国(ヨミノクニ)と呼ばれているのです。

 伊耶那岐神は妻の伊耶那美神を連れ戻そうと黄泉国へ行くのですが、この話はギリシャ神話の「オルフェウスとエウリュディーケー」の話にそっくりです。しかし、続きは全く異なっています。伊耶那岐神は伊耶那美神を迎えに行ったものの、余りにも醜い伊耶那美神の姿(腐乱して蛆(ウジ)に覆われていたという)を見て怖くなり逃げ帰ってしまうのです。伊耶那美神は怒り、伊耶那岐神を追いかけるのですが、伊耶那岐神は黄泉国の入り口である黄泉津比良坂(ヨモツヒラサカ)を千引岩(チビキノイワ)でふさいで、二度と通れないようにしてしまうのです。その後、伊耶那岐神は禊(ミソギ)をして「穢れ」を払い、その際に、天照大御神(アマテラスオオミカミ)・月読命(ツクヨミノミコト)・須佐之男命(スサノオノミコト)の3柱の神(三貴子(サンキシ))を主とする数々の神を産み出すわけです。このことから、神道では死後の世界は汚らわしいものとされていることがわかるのです。

 その後は黄泉国の話は登場しませんが、死後の世界が決してよいものではないことを示す神話がもう一つあります。三貴子の1柱である須佐之男命は伊耶那岐神から、「海を治めるように」と命じられますが、泣いてばかりいて海は荒れ放題でした。そこで伊耶那岐神が「なぜ泣くのか」と尋ねたときに須佐之男命が「母のいる根の国に行きたい」と答えたため、伊耶那岐神は怒って須佐之男命を神の世界から追放してしまうのです。ここで出てくる「根の国」とは、黄泉国と同様の死後の世界とされています。(ただ、須佐之男命は伊耶那岐神の鼻から生まれたことになっており、伊耶那美神が産んだわけではないのですが。)このことからも、神道では死後の世界は忌まわしいものとされていたことがわかるのです。

 それから後は死後の世界について言及されているところは見当たらず、死んだ場合にはそれでおしまいという扱いになっているようです。例えば、初代天皇の神武天皇(ジンムテンノウ)となる神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)は、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒタカヒコナギサタケウカヤフキアエズノミコト)と玉依毘売(タマヨリビメ)の間の子なのですが、その兄である五瀬命(イツセノミコト)は神倭伊波礼毘古命と共に天下平定の遠征をしている途中で戦死してしまい、それきり登場しなくなってしまいます。例外としては、第12代天皇である景行天皇(ケイコウテンノウ)の子の倭建命(ヤマトタケルノミコト)があり、彼は死んだ時に大きな白鳥となって大空へ飛び立ったということになっています。

 これらのことからわかるのは、神道では死後の世界が想定されているにしても、それは「穢れ」の世界であり、そこで幸せに暮らすなどということはなく、増してや、そこへ行きたいと願うことなどあり得ないということです。


 次に仏教について考えます。

 仏教においても、実は死後の世界が想定されていないわけではありません。ですが、それは仏教全体ではないのです。

 現在、日本仏教は13宗(法相宗(ほっそうしゅう)、華厳宗(けごんしゅう)、律宗(りっしゅう)、曹洞宗(そうとうしゅう)、臨済宗(りんざいしゅう)、黄檗宗(おうばくしゅう)、天台宗(てんだいしゅう)、真言宗(しんごんしゅう)、日蓮宗(にちれんしゅう)、融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)、浄土宗(じょうどしゅう)、浄土真宗(じょうどしんしゅう)、時宗(じしゅう))に分かれています。これらの中で「他力仏教」と呼ばれる浄土系の4宗(融通念仏宗、浄土宗、浄土真宗、時宗)は阿弥陀如来(あみだにょらい)を本尊とし、西方に極楽浄土があると説き、死後そこへ行けると教えているのですが、他の「自力仏教」と呼ばれる9宗では違うのです。

 自力仏教では(個々に教えに違いはありますが)概して、人とは「アートマン」(店名ではない)と呼ばれる不生不滅の霊魂が人というモノに宿っているものと考えます。その考えによれば、人は死んでも「アートマン」(店名ではない)は消えず、何か他のモノとなって転生するということになります。これが「六道輪廻(ろくどうりんね)」と呼ばれる考え方です。六道輪廻では、世界には6つあり、下から地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界と言い、「アートマン」(店名ではない)は、生前の行いの善し悪しによって、次にどの世界に転生するかが決められるのだと説くわけです。天台宗などではこの6界を「迷界」とし、その上にさらに声聞界(しょうもんかい)、縁覚界(えんがくかい)、菩薩界、仏界という4つの世界(これらを「悟界(ごかい)」と呼ぶ)を想定しています。このような考え方には、「死後の世界」など想定する余地はありません。

 浄土系仏教が日本に入ってきたのは7世紀前半と考えられていますが、本格的に広まったのはもっと後になってからです。融通念仏宗は良忍(りょうにん)(1073年2月10日?-1132年2月19日)が開祖であり、他の浄土系宗派は法然(ほうねん)(1133-1212)から始まっていますから、いずれも藤原興風が生きていた9-10世紀よりもずっと後ということになります。すると、藤原興風が浄土系の教えである西方浄土などを信じていたとは到底考えられないという結論になります。


 以上をまとめますと、結局、藤原興風の時代には、死後に天国へ行って、そこで楽しく暮らしているだとか自分を呼んでいるなどという発想はなく、死んだらただいなくなるだけと考えられていたと推定できることになります。

 そうなりますと、この藤原興風の短歌は『Old Black Joe』よりも、もっと救いのない絶望を表しているとも感じられるのです。


 ただ、私はこの短歌にはただ絶望だけでなく、そこになにがしかの趣きが感じられるとも思うのです。これは日本的な「侘び寂び」のようなものと言えるかも知れません。

 以前、何かの随筆で「諧謔(かいぎゃく)とは、無意味を敢えて行うこと」というような内容の言葉を読んだ覚えがあります。それと同じような表現を用いるなら、「侘び寂びとは、無に敢えて意味や価値を見出すこと」ということになるでしょう。

 藤原興風が、孤独な自分の身上を嘆くだけで終わらず、それを真正面から見据えて短歌という芸術に結実させたのは、「知人がいなくなった」という単なる「無」の状態に敢えて意味を見出し、短歌の題材とする心の働きがあったからだと私は考えているのです。その点で、私はこの短歌に、『Old Black Joe』にはない「侘び寂び」の要素を認めるのです。


 『Old Black Joe』は、日本的な「侘び寂び」の風情を感じさせない点でやや浅薄な印象を与える嫌いはありますが、最初の方で述べました通り、悲しい詞と明るい曲との不釣り合いな感じがかえって主人公の悲哀を強調している効果を挙げていると思われ、これはこれで感慨深い歌になっていると私には思われます。

 惜しむらくは、日本語詞にわかりやすいものが見当たらないことであり、私が試みに作った詞がきっかけになって、もっと親しみやすい日本語詞が作られることを願う次第です。


 写真の折紙は、1枚の長方形の茶色の折紙用紙に切り込みを入れて折った「つなぎ折紙」です。椅子に座って頭を抱え込んで悲嘆に暮れている人物の上から、白い天使たちが呼びかけている様子を表現しています。天使たちの白色は、紙の裏の白を利用して表しています。人物の頭部は、紙だけで立体感を出すのは難しいので、内部にガラス玉を包み込んであります。非常に不安定なつくりになっていますので、うまく飾るためには接着剤による固定が必要であり、また、倒れないようにするためには台座にもテープなどで固定しなければなりません。細い針金などを埋め込んで接着すれば、より安定して飾ることができるでしょう。




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