折紙随想

今まで私が感銘を受けた歌に寄せて、折紙を作りました。すべて、1枚の紙に切り込みを入れて折った「つなぎ折紙」になっています。

 なお、当ブログの内容は、社団法人武蔵野市医師会会報(第490~525号)に掲載した記事と一部重複するものであることをお断りしておきます。

『さびしいカシの木』に寄せて

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夢見るカシの木-02














                                                                      

                                                     『夢見るカシの木 Ver.2.0』

夢見るカシの木



















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『さびしいカシの木』

                                                        やなせ たかし 作詞

                                                          西脇 久夫 作曲



山の上の いっぽんの

さびしいさびしい カシの木が

とおくの国へ いきたいと

空ゆく雲に たのんだが

雲はだまって いってしまった



山の上の いっぽんの

さびしいさびしい カシの木が

私といっしょに くらしてと

やさしい風に たのんだが

風はどこかへ きえてしまった



ラーララララー ラーララララー

ラーララララー ラーララララー



山の上の いっぽんの

さびしいさびしい カシの木は

今ではすっかり 年をとり

ほほえみながら たっている

さびしいことに なれてしまった



ラーララララー ラーララララー

ラーララララー ラーララララー


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 正月のお屠蘇気分が抜けて、節分も過ぎましたが、いまだに寒い気候が続いております。インフルエンザも例年以上に流行っているようですが、皆さんはお元気でお過ごしでしょうか?

 つい先日までは鬼の面やら恵方巻の宣伝やらで埋め尽くされていたスーパーの店頭も、今はバレンタインデーが近いため、色とりどりのチョコレートを初めとする様々なおカシで賑わっています。中にはメダル型のチョコなどのなつカシいものもあったりして、子供の頃によく買って食べたことを思い出します。これも年を取ったあカシでしょうか。

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爪亭八面(つめてー・やつら):「・・・? なんか変だぞ」

爪亭八空(つめてー・やから):「何がだ?」


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 今回とりあげる歌はカシの木の歌ですが、私がむカシから大好きな歌です。曲ももちろん素晴らしいのですが、とくにそのカシが奥ゆカシくて含蓄に富んでいると思われるのです。

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八面:「やっぱりおカシい」

八空:「そう言やあ、なんカシらねぇが、ちょっと『カシ』が多いな」


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 おお、お二方! ちょうどいいところに来てくれました。ちょっとご相談があるのですが・・・。

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八面・八空:「おっ、何でぇ」

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 実は、恥ずカシいことに、なかなか記事が更新できなくて・・・。 そこで、お二方のゆカシいおカシらのお力をおカシ戴いて、このカシ状態のブログを何とカシて欲しいと・・・。

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八面:「ちょ、ちょっと待て! さっきから『カシ』ばっかりじゃねぇか。 うーん、しカシむずカシいなあ・・・」

八空:「なぁーんて言って、おめぇにもうつっちまってるぜぇ」

八面:「な、何をぬカシやがる!」

八空:「やっぱりうつってらぁ。 でも、『ゆカシい』だの『おカシら』だのずいぶんと古めカシい言いぐさだなあ」

八面:「おめぇにもうつってんじゃねぇか!」

八空:「うっ」


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 どうカシましたか?

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八面:「ま、まあ、まカシといてくれい・・・って、また言っちまったぁ」

八空:「そうせカシなさんな・・・って、俺もだぁ」


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 ここは、爪亭御一門のお智恵を活カシて、一つ、いカシた記事を書カシて戴きたいと・・・。

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八面:「ええいっ! もう『カシ』は沢山でぇ!」

八空:「そうでぇ! カシばっかりだと虫歯になっちまうぜぇ」

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 そうですね。 おカシは歯をおカシますからね。

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八面:「いい加減にしろい!!」 = ◇ (空飛ぶざぶとん)

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 というわけで(?)

          
   = ◇(>_<) イテッ

今回の歌の話に入りましょう。

 この『さびしいカシの木』という歌は作詞がやなせたカシで・・・

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八面・八空:「くどいっ」

※ 二人はざぶとんを振りかざした。


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 ごめんなさい! もうしません!


 ・・・。


 さて、やなせたかしという人はアンパンマンの作者として非常に有名であり、このブログでも以前に『アンパンマンのマーチ』という歌をとりあげました(http://blog.livedoor.jp/miyataatsushi-origami/archives/46077496.html)が、その歌の作詞者でもあります。今回とりあげる『さびしいカシの木』も同じやなせたかしが作詞した歌です。

 この『さびしいカシの木』という歌は『NHKみんなのうた』に収録されている歌なのですが、その中でもかなり古い方で、初回放送が1971(昭和46)年ですから、何と今から45年以上も前の歌です。ですが、私はこの歌が子供の頃から忘れられず、歌やアニメーションは覚えていたのに肝心の題名を覚えていなかったため、長いこと正確な題名もわからぬまま探し続けておりました。

 この歌は、素朴でありながら何とも切なく、歌はもちろんのこと、曲もボニージャックスの歌声も、そして背景のアニメーションも、その雰囲気を格段に盛り上げていて、他の数ある『みんなのうた』と比べても明らかに異なる独特の印象を与える歌だと思います。

 特に、歌詞の最後の1節は秀逸であり、私はこの歌を聴いている時、歌がこの部分(ちょうど、アニメーションでは、カシの木がバースデーケーキの上に載っている場面に当たる)にさしかかると、あまりの切なさに目が潤むのを禁じ得ないのです。この感動はぜひとも実際に聴いて味わって戴きたいと思いますので、冒頭の歌詞紹介ではこの最後の1節を伏せ字にしております。すぐにお知りになりたい方は、伏せ字部分を反転させてご覧になってください。

 以前はこの歌もインターネットで放送当時のまま試聴できたのですが、現在は削除されています。その代わり、それに限りなく近い歌なら YouTube のサイト(https://www.youtube.com/watch?v=cARpF9JR4NY)で聴けますので、皆さんもぜひ聴いてみてください。ただ、残念ながらアニメーションはありません。

 私が思うに、この歌がこれだけ印象深いのは、この最後の1節に象徴される哀愁を帯びた結末によるところが大きいに違いありません。

 『みんなのうた』の中に『ぼくは大きな石ころさ』(作詞・作曲:ザ・クアトロ)という歌がありますが、これは石ころが沢山の鳥や虫たちに囲まれて幸せに過ごしている内容であり、底抜けに陽気で明るい歌です。まさに『さびしいカシの木』とは対照的な歌です。これはこれでいい歌だとは思いますが、この2つの歌のうち、どちらが深い感動をもたらすかと言えば、間違いなく『さびしいカシの木』でしょう。

 作詞したやなせたかしはアンパンマンの原作者であり、氏の才能をもってすれば、この『さびしいカシの木』でも最後にカシの木が沢山の鳥や虫などに囲まれて幸せになるような終わり方にすることも容易にできたはずです。それにもかかわらず、あえて「さびしい」ままで終わらせたわけですから、そこには何か意味があるに違いありません。

 私は、そこに作者であるやなせたかしのメッセージが込められていると感じるのです。それは、「さびしさは常に満たされるものとは限らない」ということであり、またさらに「さびしさが満たされることが必ずしも幸せとは限らない」ということでもあると感じるのです。そこには「求めるものが得られることが必ずしも幸せとは限らない。現状で満足することこそがむしろ真の幸せなのではないのか」という意味さえ含まれているように思われます。人間の欲望には限度がなく、例え不足や不満を解決してもそれは一時的であり、すぐに更なる欲求不満が生じて終わることがありません。それが向上心につながり、成長の糧になるという意見もあろうかと思いますが、果てしなく続きしかもどんどんエスカレートしていくのでは、いつか疲れ果ててしまうのは明らかです。それならば、現状で得られているものに感謝し、それでよしとする心構えを持つことが幸せにつながるという考え方にも真理があると思います。仏教、特に禅宗においてはそういう教えが重要であり、以前の記事(http://blog.livedoor.jp/miyataatsushi-origami/archives/36036804.html)でご紹介した「吾唯足知」(われただ足るを知る)という言葉に象徴されています。「不満を解消し、欲望を満たす」ことを賛美するのは簡単であり、世の中の大多数の人も大いに賛成することでしょうが、それだけではやはり浅薄な印象を否定できません。やはり、この歌の最後のように、「さびしいながらもほほえみながら立っている」というカシの木の姿には含蓄があり、私たちの心に訴えるものがあると私には思えてならないのです。


 ただ、最近、私はやなせたかしの生涯について知る機会があり、この歌にはもう一つの隠された意味があるのではないかという考えを持つようになりました。

 アンパンマンなどを見ている分には全くそういう印象はありませんが、氏は実にさびしい幼少期を過ごされていたとのことなのです。氏の父親は幼い氏を日本に残して単身で中国で働いていたのですが、氏がわずか5歳の時に現地で亡くなってしまい、氏は伯父に引き取られています。しかも、氏の母親が再婚したために氏と離ればなれになってしまったとのことなのです。

 このことを知った上で改めてこの『さびしいカシの木』の歌詞を読みますと、そこにはやはり大きな関係があると感じられるのです。

 この歌の中の『カシの木』は実は氏本人なのではないでしょうか。そう考えると、歌詞の意味が大きく違って感じられてくるのです。つまり、1番の『空ゆく雲』とは氏の父親であり、外国へ連れて行って欲しいという氏の願いが叶えられなかったことを表しているのでしょう。また、2番の『やさしい風』とは氏の母親であり、一緒に暮らして欲しいと願ったができなかったことを表しているのでしょう。そして、3番では結局さびしいままでいざるを得なかった自分自身の姿を表現しているのではないでしょうか。

 そのように考えますと、さびしい幼少期を過ごされた氏が、後にアンパンマンを生み出して大勢の子供たちに夢と希望を与え続けていることが何とも素晴らしく感じられます。それは、決してさびしさがなくなったわけではなく、また忘れたわけでもなく、ただ『なれてしまった』ということであり、これこそが歌詞にある『ほほえみながらたっている』という境地だと言えるのかも知れません。

 これに比べれば、上に書いた私の解釈などはまるで見当違いの勘ぐりに過ぎないのかも知れないと思えてきます。


 なお、この歌には木下牧子作曲による別バージョン(なぜか歌詞も微妙に異なっている)が存在し、これはソプラノ曲となっています。これも YouTube のサイト(https://www.youtube.com/watch?v=bTbNbJfAJms)で聴くことができますが、私個人としては、西脇久夫作曲による『みんなのうた』収録の方が歌詞の雰囲気に合っていて優れていると思います。


 写真の折紙は、『さびしいカシの木』に寄せて、カシの木が鳥たちと戯れて幸せに過ごしている夢を見る様子を表現したもので、表裏が金色と緑色の2色になっている1枚の正方形の紙に切り込みを入れて折ったものです。かなりちぎれやすい紙を使っていますので、つなぎ部分の補強をしないと折り上げるのは困難です。また、鳥の向きを調整しやすくするために針金を使用し、木の幹に当たる部分には棒を差し込んで固定しています。

 実は、以前に作ったつなぎ折紙もあるのですが、その時は締め切りに間に合わせるためもあって、非常にぞんざいな出来になってしまいました。これも写真で紹介致しましょう。

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夢見るカシの木





















                                                 『夢見るカシの木 Ver.1.0』

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 これは表裏が若草色と黄橙色の2色になっている1枚の正方形の折紙用紙に切り込みを入れて折ったものなのですが、あまりに不出来なので、今回改良して作り直しました。





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爪亭八面(つめてー・やつら):「・・・ってぇわけで、師匠。 何とかこのブログにカシ・・・じゃなくてカツを入れてもらえねぇかっちゅう相談なんでやんすが・・・」

爪亭八爪(つめてー・やつめ)(師匠):「ほぉぉ、そうかい。 じゃあ、ここはカシを連発して『カシづくし』でもやるか」

爪亭八空(つめてー・やから):「いえ、それはもう散々やりやしたんで。もう正直、カシはうんざりでやんすよ」

八爪:「つまり、あれだ。 カシの木がさびしいから何とか盛り上げてくれってぇんだろ?」

八面:「いえ、そうじゃねぇと思うんでやんすが・・・」

爪亭八楼(つめてー・やろう):「えっ、何でカシの木がさびしいんでやんすか?」

八面:「そりゃおめぇ、誰も来ねぇからだろ」

八楼:「何で行かねぇんでやんすかねぇ。 うめぇのに」

八空:「おい八楼、おめぇ今、何て言った?」

八楼:「だって、カシの木ってぇ言うくれぇだから甘いんでやんしょ?」

八面:「おめぇ、まさかカシの木のカシをお菓子のことだって思ってんのか?」

八楼:「違うんでやんすか?」

・・・

八面:「ブハハハ! 何言ってやがんでぇ」

八空:「『ヘンゼルとグレーテル』じゃあるめぇし」

八楼:「そうそう! だからヘンゼルとグレーテルが森で見つけた家はカシの木でできてたんでやんしょ?」

八爪:「バーロー! いい加減にしろ! よい子のみんなが本気にしたらどうすんでぇ! おっ、そうだ。 八楼がこんなバカかますのも、『カシ』と『オカシ』の意味が全然違うからだな。 ようし、そんじゃあ、今回のお題はこうしよう! 『オ』がつくかつかねぇかによって意味が変わっちまう言葉を出して戴くっちゅうわけだ。 どうだ?」

八面:「はいっ」

八爪:「よーし八面!」

八面:「『ムスビ』『オムスビ』!」

八爪:「おお、そうだな。 大相撲で『むすびの一番』とは言うが、『おむすびの一番』とは言わねぇもんな。 ざぶとん1枚!」

八楼:「へいっ!」

八爪:「おっ八楼、早ええな。 よし、言ってみな!」

八楼:「『ニギリ』『オニギリ』!」

八爪:「・・・。 おい八楼! おめぇパクッてるんじゃねぇぞ」

八空:「そうでぇ。 おめぇにゃ、『おりじなりてー』ってもんが足りねぇんだ」

八楼:「じゃ、じゃあ、手本を見せてくだせぇよ」

八空:「ここは『ヒネリ』『オヒネリ』ってぇのはどうだ?」

八楼:「何でぇ、それもパクリじゃねぇか」

八爪:「いや、面白れぇ。 やっぱ、こういう風に答えにヒネリを利かせねぇとな」

八楼:「きたねぇ・・・」

八爪:「誰だ、『きたねぇ』って言ってるヤツは! ざぶとん持ってけー!」

八面:「はい!」

八爪:「はい八面!」

八面:「『アシ』『オアシ』

八爪:「な、なんでぇ。 何か急に現実味を帯びてきやがったな。 もうちっと明るいのはねぇか?」

八空:「はいっ」

八爪:「よし、八空」

八空:「『カミ』『オカミ』!」

八爪:「おっ、なかなかいいなぁ。 でも、『オカミ』ってぇのは『カミ』にも通じるような気もするがな」

八面:「『ヤマノカミ』ってぇ言葉もあるくれぇでやんすからな」

八楼:「へいっ!」

八爪:「よし、八楼! パクるんじゃねぇぞ」

八楼:「『オカミ』『オオカミ』!!」

八爪:「だからパクるんじゃねぇってんだろう! ざぶとん取れ!」

八楼:「げっ」

八空:「はい!」

八爪:「よし、ここらで一発かましてくれ!」

八空:「『ヤジ』『オヤジ』っ!」

八爪:「おおーっ! レベル高けぇぜ! こういうのを待ってたんでぇ! よーし、ざぶとん2枚‼」

八楼:「へ、へいっ!!」

八爪:「おめぇ、まさか『フクロ』『オフクロ』なんて言うんじゃねぇだろうな!?」

八楼:ギクッ

八面:「おめぇのネタは見え透いてんでぇ」

八空:「進歩のねぇヤツ」

八爪:「他のやつにやらせると八楼がパクってしょうがねぇ。 おい八楼! 今度はおめぇから言ってみな!」

八楼:「うっ! えっ・・・えーと・・・」

八面:「さあ、どうした? うりうり!」

八楼:「じゃ、じゃあ『ハジキ』『オハジキ』!」

八爪:「・・・。 おめぇ、それは本当にパクリじゃねぇんだろうな?」

八楼:「へ、へぇっ・・・

八爪:「・・・」

八楼:「・・・」

八爪:「・・・」

八楼:「・・・!!」

八爪:「おいっ野郎ども! こいつをつまみ出せ!!」

(参照:
http://blog.livedoor.jp/miyataatsushi-nihongo/archives/26617129.html


八面・八空:「へいっ! 親分!」

八楼:「わわわわっ、まっ、待っておくんなせぇ! もう一度、もう一度チャンスをくだせぇーー!!」

八面:「ええい、わめくな! 動くな! おい、八空、おめぇ足持て」

八楼:「かっ勘弁してくれぇぇ・・・」



※ 八楼は退場した。



八爪:「おあとがよろしいようで」
 m(__)m



八楼:「よろしくなんかねぇーーっ」



平成29年(2017年)新年に寄せて

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瑞鳥・光明-03





























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 皆さん、今年も新年明けましておめでとうございます。

 旧年は新年の挨拶もせずじまいで、記事の更新もほとんどできないで終わってしまいました。書きたいことはまだまだあるのですが、折紙の製作も記事の作成も進まないまま過ぎてしまい、誠に恥ずかしい限りです。これからも更新に努めますので、どうかおつきあい戴ければ幸いに存じます。


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爪亭八楼(つめてー・やろう):「何か、2年前にも同じこと書いてるような気がしやすがねぇ。 あっしなら・・・」

爪亭八面(つめてー・やつら):「おめぇが言うな」

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 旧年は、オリンピック・パラリンピックでの日本選手の目覚ましい活躍など、明るい話題もありましたが、どちらかと言えば、自然災害や政治変動などの、将来に不安をもたらすニュースが目立っていたように感じます。


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爪亭八空(つめてー・やから):「八楼、おめぇそんなに簡単に記事が書けるってぇんなら、平成28年に何があったか言ってみろ」

八楼:「うっ! えっ? えーーと・・・ うっ、ううっ

八空:「なに泣いてやがんでぇ」

八楼:「う、うわーん! 根津甚八は亡くなっちまうし、SMAP は解散しちまうし、もう夢も希望もあるものかぁ!! うおーんおんおん」

八空:「・・・」

八楼:「というわけでサヨウナラ」  =3

八空:「待てこの野郎!」

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 そこで、今回はこれからの将来に明るい希望をもたらしてくれるような折紙をご紹介致しましょう。

 今年は奇しくも干支が「丁酉(テイユウ、ひのととり)」ですので、まさに鳥をテーマにするのにうってつけの年です。そこで、輝かしい光を伴って飛んでくる鳥を表現する折紙を作り、『瑞鳥・光明(ずいちょう・こうみょう)』と名付けました。

 背景は赤色のフェルト生地なのですが、初日の出とともに太陽から飛んでくるイメージを表したかったので、画像を丸く加工しました。丁度、日本の国旗(日の丸)のようにも見えますが、これは日本の未来を明るくしてくれるように願う気持ちをも含めています。

 この折紙も、他の記事の折紙と同様に「つなぎ折紙」になっています。表が金色、裏が銀色の長方形の和紙1枚に切り込みを入れて折ってありますが、形を安定させるためには接着剤を使用する必要があります。

 かなり大きい紙を使いましたので、完成品の大きさは幅が約45cm になっています。私が勤めている病院の玄関受付近くに飾ってありますので、受診される方は実物をじかにご覧になれると思います。

 上の写真だけでは、実際にどうなっているのかわかりにくいと思いますので、斜め上から撮った写真も載せておきましょう。

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IMG_6122






































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 この折紙に使った用紙は、障子紙としても用いられる丈夫な和紙の両面に刷毛(はけ)で金銀に着色して作られているもので、御茶ノ水の『おりがみ会館』や埼玉県小川町(「和紙の町」として知られる)などで入手することができます。大きさは、大きいもので 90×60cm 以上あり、かなりの大作を作ることができます。「金色」・「銀色」と言っても通常は本物の金・銀が使われているわけではなく、金色は真鍮(しんちゅう)、銀色はアルミニウムの粉が主に使われています。糊で金属粉を練って塗っているため、分厚くなりますし、指でこすると少し金や銀の色がつきます。もっと薄くて、指に色がつかない金銀折紙用紙の開発が望まれるところです。

 今回使った紙は、それらの金銀折紙用紙の中でも一番銀色の輝きが優れているものだと思います。

 今年も、この『瑞鳥・光明』のように輝かしい年でありますようお祈り申し上げる次第です。





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『Old Black Joe』に寄せて

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天使の呼び声-01





















                                                    『天使たちの呼び声』

OldBlackJoe




















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『Old Black Joe』



                                          Written by : Stephen Collins Foster



1.

Gone are the days

When my heart was young and gay,

Gone are my friends

From the cotton fields away,

Gone from the earth

To a better land I know.

I hear their gentle voices calling:

"Old Black Joe"



(*)

 I'm coming, I'm coming,

 For my head is bending low,

 I hear those gentle voices calling:

 "Old Black Joe"



2.

Why do I weep

When my heart should feel no pain?

Why do I sigh

That my friends come not again

Grieving for forms

Now departed long ago?

I hear their gentle voices calling:

"Old Black Joe"



(* Repeat)



3.

Where are the hearts

Once so happy and so free?

The children so dear,

That I held upon my knee

Gone to the shore

Where my soul has longed to go.

I hear their gentle voices calling:

"Old Black Joe"



(* Repeat)

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 秋分を迎えて、暑かった夏もようやく終わりを告げ、あれよあれよという間にすっかり肌寒い季節となって参りました。この分では、秋らしい秋も感じられぬまま一気に冬に突入してしまいそうに思えます。

 今年は特に、「シルバーウィーク」という言葉が盛んに聞かれました。これは、かつて9月15日と決まっていた敬老の日が、平成13年の祝日法改正(ハッピーマンデー制度)によって平成15年から「9月の第3月曜日」に変えられたために生じた連休のことであるわけですが、今回は土曜日も含めれば何と5連休でしたので、「シルバー」と言っても5月の「ゴールデンウィーク」に引けを取らない大連休となりました。皆さんの中にはこの機会に長期旅行を楽しまれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 ただ、そのせいか、敬老の日の印象が薄くなってしまい、あまり関心を持たれぬまま過ぎてしまった感が否めません。

 そこで、今回は敬老の日に因んで、老年の心境を描いた歌をとりあげることと致します。


 この『Old Black Joe』という歌は、有名なフォスター(Stephen Collins Foster, 1826.7.4 - 1864.1.13)の歌の一つであり、日本でも大変よく知られていて、日本語詞も幾つか作られています。インターネットでも数々の動画が公開されており、この歌の人気の高さが覗えます。私はその中でも Paul Robeson の歌が落ち着いた声といい、ゆったりとしたテンポといい、最もこの歌の良さを引き出していると思われます。YouTube のサイト(https://www.youtube.com/watch?v=H6Tvq_0tkyw)で聴くことができますので、皆さんもぜひ聴いてみてください。但し、残念ながら3番は省略されています。

 この歌は歌いやすく、また、英語も平易であるためか、よく子ども向けの英語の本に紹介されています。現に私も、子どものための英語学習本で初めてこの歌を知りました。それに、テレビなどでもよく歌われていたので、メロディーも何となくわかっていたように思います。

 ただ、当時の私は英語がよくわからなかったので、この歌の曲が一種明るい感じがすることから、もっと朗らかな内容の歌だと思っていました。特に、当時聴いた日本語詞の中に

   『われも行かん 力は失せぬ』(津川主一の日本語詞から)

という部分があったことから、どういうわけかこの歌を「オールド・ブラック・ジョー」の孫か何かの歌だと思ってしまい、この部分を「ジョーじいさんと一緒に山登りをしていて先に行かれてしまい、懸命に追いかけるつもりで」

   「私も行こう、力はまだ失せはしない」

と言っているのだろうなどと考えていました。今から考えれば全く逆の意味であったわけで、勘違いも甚だしいと言わなければなりません。

 本当はこの歌は、アメリカ南部の黒人奴隷が長く綿花畑で働いてきて老齢に至った心境を歌っている歌であり、とても深刻で悲しいものであったわけなのです。その悲しい詞に比べて、不釣り合いとも言えるほど明るい曲がついているだけに誤解を招きやすいとも感じられますが、それがむしろ無力感や諦めといった心境を際立たせる効果を生んでいるのかも知れません。考えてみれば、フォスターの歌曲には他にも『Massa's In De Cold Ground』(主人(あるじ)は冷たき土の下に)という歌があり、これも悲しいはずの歌詞に比して明るい印象の曲がつけられています。このことから考えますと、フォスターの歌には全体的にこういった傾向があるとも思われます。


 上にも述べましたように、この歌には既に幾つもの日本語詞が作られていて、どれもほぼ原詞の意味を日本語に訳したものになっています。しかし、ほとんどの日本語詞が文語調であるため、ややわかりにくい感じがするのは否めません。現に、子どもの頃の私はそのためにとんでもない勘違いをしてしまいました。

 現時点で私が知っている日本語詞には、以下のようなものがあります。

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(緒園凉子(おその・りょうし) 作)

1.

若き日はや夢と過ぎ

わが友みな世を去りて

あの世に楽しく眠り

かすかに我を呼ぶ

オールド・ブラック・ジョー

われもゆかん はや老いたれば

かすかに我を呼ぶ

オールド・ブラック・ジョー

われもゆかん はや老いたれば

かすかに我を呼ぶ

オールド・ブラック・ジョー



2.

などてか涙ぞ出(い)ずる

などてか心は痛む

わが友はるかに去りて

かすかに我を呼ぶ

オールド・ブラック・ジョー

われもゆかん はや老いたれば

かすかに我を呼ぶ

オールド・ブラック・ジョー

われもゆかん はや老いたれば

かすかに我を呼ぶ

オールド・ブラック・ジョー



(久野静夫 作)

1.

楽しき若き日は過ぎ わが友はや去りゆきて

み神のみ手にぞ憩う やさしくも呼ぶ声

オールド・ブラック・ジョー

我も行かん 老いたる我を

やさしくも呼ぶ声 オールド・ブラック・ジョー

我も行かん 老いたる我を

やさしくも呼ぶ声 オールド・ブラック・ジョー



2.

涙はほほに伝いて わが胸痛みにたえず

こころはこの世を去りて やさしくも呼ぶ声

オールド・ブラック・ジョー

我も行かん 老いたる我を

やさしくも呼ぶ声 オールド・ブラック・ジョー

我も行かん 老いたる我を

やさしくも呼ぶ声 オールド・ブラック・ジョー



(津川主一 作)

1.

いずこぞ若き日の夢 いずこぞ過ぎし日の友

世を去り天国(みくに)へのぼり やさしくわれを呼ぶ

オールド・ブラック・ジョー

われも行かん 力は失せぬ

静かに聞こゆるは オールド・ブラック・ジョー

われも行かん 力は失せぬ

静かに聞こゆるは オールド・ブラック・ジョー



2.

何ゆえわれは歎くや 何ゆえこころ沈むや

天国(みくに)へ友はのぼりて やさしくわれを呼ぶ

オールド・ブラック・ジョー

われも行かん 力は失せぬ

静かに聞こゆるは オールド・ブラック・ジョー

われも行かん 力は失せぬ

静かに聞こゆるは オールド・ブラック・ジョー



3.

楽しき日は遠くなり いとしきわが子もゆきぬ

かの世も今はま近し やさしくわれを呼ぶ

オールド・ブラック・ジョー

われも行かん 力は失せぬ

静かに聞こゆるは オールド・ブラック・ジョー

われも行かん 力は失せぬ

静かに聞こゆるは オールド・ブラック・ジョー



(三宅忠明 作)

若く楽しい日は去り、

友もみな世を去って、

あの世に、静かに眠り、

やさしく呼んでいる、オールド・ブラック・ジョー



 今に行くよ、老いたるわれを、

 やさしく呼んでいる、オールド・ブラック・ジョー



こころも痛まず、なぜに泣く?

友が去り、なぜため息をつく?

とっくに亡くなった友を、嘆きながら。

やさしく呼んでいる、オールド・ブラック・ジョー



 今に行くよ、老いたるわれを、

 やさしく呼んでいる、オールド・ブラック・ジョー


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 私が調べました範囲では、以上の4つの日本語詞が作られています。最初の3つは『二木絋三のうた物語』の記事(http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/03/post_4e75.html)から引用させて戴きました。最後の三宅忠明の詞は別のところで見つけた日本語詞なのですが、曲にうまく合わせづらいので、歌詞としてではない単なる日本語訳なのかも知れません。

 なお、最初の詞を作った緒園凉子(おその・りょうし)は、知らない人が読むと「りょうこ」と読んで、女性と勘違いしてしまいがちなのですが、実のところは、本名を内藤健三(ないとう・けんぞう)というれっきとした男性です。ですから、この人の詞を読んで

   「女性ならではの繊細な感性が表出されている」

などと的外れな論評を口走らないよう注意する必要があります。それに「凉子」の「凉」という漢字が

   」(にすい)であって、」(さんずい)ではない

点も要注意です。


 さて、これらの詞を見ますと、どれも原詞に忠実であり、その意味合いを表現するための工夫が凝らされていることがわかります。ですが、私にはどの詞にも少なからぬ問題があるように思えてならないのです。それは、次のような点です。

(1) 文語調であり、現代では一度聞いただけでは意味を正しく理解しにくいこと

(2) 3番の内容が略されていること(津川主一を除く)

(3) 2番において "my heart should feel no pain" となっているのに、「心が痛む」というような逆の意味の日本語になっていること(三宅忠明を除く)


 音楽にも詩にも全く疎い私がこのようなことを述べるのは実に烏滸(おこ)がましいのですが、この『Old Black Joe』が好きなだけに、気になって仕方がないのです。

 そこで、門外漢も甚だしい私ではありますが、浅学菲才を顧みず日本語詞を作りましたので、ここでご紹介させて戴くことと致します。

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(宮田篤志による拙・日本語詞)

『オールド・ブラック・ジョー』

                                             作詞・作曲 : S. C. フォスター



1.

若かった 日はとうに過ぎ

友もみな 畑を去って

やすらぎの 地へ旅立った

みんながわしを呼ぶ

「オールド・ブラック・ジョー」



(*)

 わしも往くよ もうくたびれた

 お迎えが呼んでる

 「オールド・ブラック・ジョー」



2.

なぜに泣く 涸れた心で

なぜ嘆く 還らぬ友を

おもかげ 悲しみながら

みんながわしを呼ぶ

「オールド・ブラック・ジョー」



(* 繰り返し)



3.

どこにある よき想い出は

愛しき わが子供らも

あこがれの あの世へ去った

みんながわしを呼ぶ

「オールド・ブラック・ジョー」



(* 繰り返し)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 口語調にしようとしたために些か俗っぽい表現になってしまっている部分もありますが、私はこのように詞をつけても原詞の意味合いを大きく損ないはしないと考えているのです。

 ことによると、

   「こんな下品な詞は、格調高いフォスターの歌曲に対する冒涜である!」

といったお叱りを受けるかも知れません。ですが、この『Old Black Joe』の主人公は老齢の黒人奴隷であり、余りにも格調高い詞はかえって似合わないのではないかと私は思うのです。もし、

   「違う! ここはこう訳すべきだ」

といったご意見をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひともコメントをお寄せ戴きたいと思います。


 ところで、この『Old Black Joe』という歌は、老齢になり、家族にも先立たれ、友達もみんな死んでしまった孤独とその絶望感を歌っているものと私は考えていますが、この内容にはある種の世界観もしくは宗教観が見出されます。それは、

   (家族や友は)「この世にはいないが、あの世には存在する」

という信念です。つまり、この世の他に「天国」のようなものを想定し、そこに今も暮らしていると信じるということです。だからこそ、「呼ぶ声が聞こえる」わけですし、「私も(そこへ)行こう」ということになるわけです。

 これは、死後の世界の存在を説いているキリスト教などの世界観であり、恐らくこの「オールド・ブラック・ジョー」、そしてフォスター自身もそういった宗教に帰依しているのでしょう。

 そのことから、この歌の主人公である「オールド・ブラック・ジョー」は、この世には絶望していても、あの世には望みを持っているとも言えるのです。この点で、彼の「絶望」は真の絶望とは言えないものとも考えられます。


 一方、日本にも、この『Old Black Joe』の主人公と同じような境遇を表現しているものとして、百人一首の34番に選ばれている次の歌(と言っても和歌ですが)があります。

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藤原興風短歌-1
















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   誰(たれ)をかも


   知る人にせむ

   高砂(たかさご)の

   松も昔の

   友ならなくに

                                                           

 これは三十六歌仙の一人である藤原興風(ふじわらのおきかぜ)が老境の孤独を詠んだ歌です。上の画像は、時雨殿(しぐれでん)に所蔵されている肉筆かるた(吉海直人(よしかい・なおと)監修『見る・知る・味わう「百人一首」手帖』ナツメ社刊(ISBN978-4-8163-5741-1)より引用)を私が臨書したものです(「暠純(こうじゅん)」は私の雅号です)。少しでも和歌かるたの雰囲気を味わって戴ければ幸いです。

 この歌の意味は「(年を取った私は)いったい誰を友だちにしようか、(長寿の象徴である)高砂の松はあるものの、(人ではないので)友にはなりえないのだから」ということです。なまじ長生きをしてしまったばかりに知人はみな先に死んでしまい、一人残されたことによる孤独・悲しみを歌っている点で、百人一首の中でも異色の歌として有名です。


 この歌も『Old Black Joe』とほぼ同じ境遇を歌っているわけですが、対比してみますと大きな違いがあることに気付きます。

 それは何かと言えば、

   あの世の存在を想定していない

ということです。つまり、死んでしまった人は消え去るのみであって、どこか別の世界で暮らしてなどいないということです。だから、この歌には「死者が呼んでいる」とか「自分もそこへ行く」というような表現が全く出てこないわけです。

 これは三十一文字という字数の制限からやむを得ず省かれているのだという意見もあろうかと思いますが、私は、そうではなく、やはりこの歌には来世という概念そのものがないのだと考えます。


 この歌の作者である藤原興風は生没年不詳ですが、そのすぐ次の百人一首35番の作者が紀貫之(868?-945)であることから考えて、おおよそ9世紀後半から10世紀初め頃の人と推定されます(百人一首の歌は、ほぼその作者の年代順に配列されている)。そうなりますと、その当時の日本にはまだキリスト教などは伝わっておらず、死生観に影響を及ぼす宗教と言えば神道と仏教くらいしかなかったでしょう。

 まず神道について考えますと、神道にも実は「死後の世界」というものは想定されています。ですが、それは「天国」のような楽園などではなく、「穢(けが)れ」に満ちたおぞましい世界なのです。

 『古事記』によりますと、日本の国土を生み出した伊耶那岐神(イザナギノカミ)という男神と伊耶那美神(イザナミノカミ)という女神の夫婦神がいました。伊耶那美神は島だけでなく数多くの神々をも産んだのですが、最後に産んだ迦具土神(カグツチノカミ)が火の神だったために、産み出す際に大火傷を負ってしまい、それがもとで亡くなってしまうのです。そして、伊耶那美神が死後に行った世界が黄泉国(ヨミノクニ)と呼ばれているのです。

 伊耶那岐神は妻の伊耶那美神を連れ戻そうと黄泉国へ行くのですが、この話はギリシャ神話の「オルフェウスとエウリュディーケー」の話にそっくりです。しかし、続きは全く異なっています。伊耶那岐神は伊耶那美神を迎えに行ったものの、余りにも醜い伊耶那美神の姿(腐乱して蛆(ウジ)に覆われていたという)を見て怖くなり逃げ帰ってしまうのです。伊耶那美神は怒り、伊耶那岐神を追いかけるのですが、伊耶那岐神は黄泉国の入り口である黄泉津比良坂(ヨモツヒラサカ)を千引岩(チビキノイワ)でふさいで、二度と通れないようにしてしまうのです。その後、伊耶那岐神は禊(ミソギ)をして「穢れ」を払い、その際に、天照大御神(アマテラスオオミカミ)・月読命(ツクヨミノミコト)・須佐之男命(スサノオノミコト)の3柱の神(三貴子(サンキシ))を主とする数々の神を産み出すわけです。このことから、神道では死後の世界は汚らわしいものとされていることがわかるのです。

 その後は黄泉国の話は登場しませんが、死後の世界が決してよいものではないことを示す神話がもう一つあります。三貴子の1柱である須佐之男命は伊耶那岐神から、「海を治めるように」と命じられますが、泣いてばかりいて海は荒れ放題でした。そこで伊耶那岐神が「なぜ泣くのか」と尋ねたときに須佐之男命が「母のいる根の国に行きたい」と答えたため、伊耶那岐神は怒って須佐之男命を神の世界から追放してしまうのです。ここで出てくる「根の国」とは、黄泉国と同様の死後の世界とされています。(ただ、須佐之男命は伊耶那岐神の鼻から生まれたことになっており、伊耶那美神が産んだわけではないのですが。)このことからも、神道では死後の世界は忌まわしいものとされていたことがわかるのです。

 それから後は死後の世界について言及されているところは見当たらず、死んだ場合にはそれでおしまいという扱いになっているようです。例えば、初代天皇の神武天皇(ジンムテンノウ)となる神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)は、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒタカヒコナギサタケウカヤフキアエズノミコト)と玉依毘売(タマヨリビメ)の間の子なのですが、その兄である五瀬命(イツセノミコト)は神倭伊波礼毘古命と共に天下平定の遠征をしている途中で戦死してしまい、それきり登場しなくなってしまいます。例外としては、第12代天皇である景行天皇(ケイコウテンノウ)の子の倭建命(ヤマトタケルノミコト)があり、彼は死んだ時に大きな白鳥となって大空へ飛び立ったということになっています。

 これらのことからわかるのは、神道では死後の世界が想定されているにしても、それは「穢れ」の世界であり、そこで幸せに暮らすなどということはなく、増してや、そこへ行きたいと願うことなどあり得ないということです。


 次に仏教について考えます。

 仏教においても、実は死後の世界が想定されていないわけではありません。ですが、それは仏教全体ではないのです。

 現在、日本仏教は13宗(法相宗(ほっそうしゅう)、華厳宗(けごんしゅう)、律宗(りっしゅう)、曹洞宗(そうとうしゅう)、臨済宗(りんざいしゅう)、黄檗宗(おうばくしゅう)、天台宗(てんだいしゅう)、真言宗(しんごんしゅう)、日蓮宗(にちれんしゅう)、融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)、浄土宗(じょうどしゅう)、浄土真宗(じょうどしんしゅう)、時宗(じしゅう))に分かれています。これらの中で「他力仏教」と呼ばれる浄土系の4宗(融通念仏宗、浄土宗、浄土真宗、時宗)は阿弥陀如来(あみだにょらい)を本尊とし、西方に極楽浄土があると説き、死後そこへ行けると教えているのですが、他の「自力仏教」と呼ばれる9宗では違うのです。

 自力仏教では(個々に教えに違いはありますが)概して、人とは「アートマン」(店名ではない)と呼ばれる不生不滅の霊魂が人というモノに宿っているものと考えます。その考えによれば、人は死んでも「アートマン」(店名ではない)は消えず、何か他のモノとなって転生するということになります。これが「六道輪廻(ろくどうりんね)」と呼ばれる考え方です。六道輪廻では、世界には6つあり、下から地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界と言い、「アートマン」(店名ではない)は、生前の行いの善し悪しによって、次にどの世界に転生するかが決められるのだと説くわけです。天台宗などではこの6界を「迷界」とし、その上にさらに声聞界(しょうもんかい)、縁覚界(えんがくかい)、菩薩界、仏界という4つの世界(これらを「悟界(ごかい)」と呼ぶ)を想定しています。このような考え方には、「死後の世界」など想定する余地はありません。

 浄土系仏教が日本に入ってきたのは7世紀前半と考えられていますが、本格的に広まったのはもっと後になってからです。融通念仏宗は良忍(りょうにん)(1073年2月10日?-1132年2月19日)が開祖であり、他の浄土系宗派は法然(ほうねん)(1133-1212)から始まっていますから、いずれも藤原興風が生きていた9-10世紀よりもずっと後ということになります。すると、藤原興風が浄土系の教えである西方浄土などを信じていたとは到底考えられないという結論になります。


 以上をまとめますと、結局、藤原興風の時代には、死後に天国へ行って、そこで楽しく暮らしているだとか自分を呼んでいるなどという発想はなく、死んだらただいなくなるだけと考えられていたと推定できることになります。

 そうなりますと、この藤原興風の短歌は『Old Black Joe』よりも、もっと救いのない絶望を表しているとも感じられるのです。


 ただ、私はこの短歌にはただ絶望だけでなく、そこになにがしかの趣きが感じられるとも思うのです。これは日本的な「侘び寂び」のようなものと言えるかも知れません。

 以前、何かの随筆で「諧謔(かいぎゃく)とは、無意味を敢えて行うこと」というような内容の言葉を読んだ覚えがあります。それと同じような表現を用いるなら、「侘び寂びとは、無に敢えて意味や価値を見出すこと」ということになるでしょう。

 藤原興風が、孤独な自分の身上を嘆くだけで終わらず、それを真正面から見据えて短歌という芸術に結実させたのは、「知人がいなくなった」という単なる「無」の状態に敢えて意味を見出し、短歌の題材とする心の働きがあったからだと私は考えているのです。その点で、私はこの短歌に、『Old Black Joe』にはない「侘び寂び」の要素を認めるのです。


 『Old Black Joe』は、日本的な「侘び寂び」の風情を感じさせない点でやや浅薄な印象を与える嫌いはありますが、最初の方で述べました通り、悲しい詞と明るい曲との不釣り合いな感じがかえって主人公の悲哀を強調している効果を挙げていると思われ、これはこれで感慨深い歌になっていると私には思われます。

 惜しむらくは、日本語詞にわかりやすいものが見当たらないことであり、私が試みに作った詞がきっかけになって、もっと親しみやすい日本語詞が作られることを願う次第です。


 写真の折紙は、1枚の長方形の茶色の折紙用紙に切り込みを入れて折った「つなぎ折紙」です。椅子に座って頭を抱え込んで悲嘆に暮れている人物の上から、白い天使たちが呼びかけている様子を表現しています。天使たちの白色は、紙の裏の白を利用して表しています。人物の頭部は、紙だけで立体感を出すのは難しいので、内部にガラス玉を包み込んであります。非常に不安定なつくりになっていますので、うまく飾るためには接着剤による固定が必要であり、また、倒れないようにするためには台座にもテープなどで固定しなければなりません。細い針金などを埋め込んで接着すれば、より安定して飾ることができるでしょう。




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『アンパンマンのマーチ』に寄せて

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戦え!アンパンマン03






















戦え!アンパンマン06























                                                      『戦え! アンパンマン』

アンパンマンのマーチ



















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『アンパンマンのマーチ』

                                                        やなせ たかし 作詞
                                                         三木 たかし 作曲





そうだ うれしいんだ 生きるよろこび

たとえ 胸の傷がいたんでも



なんのために生まれて なにをして生きるのか

こたえられないなんて そんなのはいやだ!



今を生きることで 熱いこころ燃える

だから君はいくんだ ほほえんで



そうだ うれしいんだ 生きるよろこび

たとえ 胸の傷がいたんでも

ああ アンパンマン やさしい君は

いけ! みんなの夢まもるため





なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ

わからないままおわる そんなのはいやだ!



忘れないで夢を こぼさないで涙

だから君はとぶんだ どこまでも



そうだ おそれないで みんなのために

愛と 勇気だけが ともだちさ

ああ アンパンマン やさしい君は

いけ! みんなの夢まもるため



時ははやくすぎる 光る星は消える

だから君はいくんだ ほほえんで



そうだ うれしいんだ 生きるよろこび

たとえ どんな敵があいてでも

ああ アンパンマン やさしい君は

いけ! みんなの夢まもるため


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 今年も終戦の日が訪れました。

 今年は8月14日に安倍晋三首相による「戦後70年談話」が発表されたこともあり、例年にも増して戦争への関心が高まっているようです。私たちは、この「戦後70年談話」をまた一つの基礎と捉え、これからも唯一の被爆国として終戦の日への意識を保ち続けるべきものと思います。


 そこで、今回は終戦に関連して、アニメの主題歌から『アンパンマンのマーチ』をとりあげることと致します。

 ここで、

   「アンパンマンが終戦と関係あるのか?」

と疑問に思われる方もいらっしゃることでしょう。ですが、

   関係ある

のです。なぜなら、この『アンパンマンのマーチ』には、作詞者(および『アンパンマン』の原作者)であるやなせたかしが弟に向けて込めたメッセージが隠されていると考えられるからです。


 まず、上に挙げた歌詞を読んでみますと、出だしが普段聴き慣れている歌と違うことに気付きます。どうしてそう感じるのでしょうか。

 それは、テレビで放映されている『アンパンマンのマーチ』は

   2番だから

なのです。

 私は長い間、このことを知らずにいたのですが、以前、小学校校医をしていた時分に移動教室に同行する機会があり、その際に乗ったバスの中でこの歌の全曲を聴き、初めて違いに気付いたのです。インターネットでも YouTube のサイト(https://www.youtube.com/watch?v=vYJDjC7ptNY)で全曲を聴くことができますので、皆さんもぜひ一度聴いてみてください。

 この歌詞、それも特に1番の内容を見ると、子ども向けのアニメにはそぐわない表現(『胸の傷』など)が目立ちます。やなせたかしはアンパンマンの生みの親であり、作ろうと思えばいくらでも当たり障りのない子ども向けの歌詞にできたはずです。それがなぜ、このような歌詞になっているのでしょうか。


 実は、やなせたかしには弟がいて、その弟は太平洋戦争で特攻隊の一員として人間魚雷「回天」で出撃して戦死しているのです。

 このことから、この『アンパンマンのマーチ』には、やなせたかしの弟への想いが込められていると考えられるのです。そう考えますと、

   『今を生きることで 熱いこころ燃える

    だから君はいくんだ ほほえんで』

というような一見不自然に思われる歌詞が、実に意味深長なものに感じられてきます。アニメソングで、これだけ深みのある哲学的な内容を表現しているものなど他にはないでしょう。

 このようなことを知った上で改めてこの『アンパンマンのマーチ』を聴けば、恐らくそれまで抱いていた『アンパンマン』に対する認識が一変することは間違いありません。実際、歌手の一青窈(ひとと・よう)もシングル『蛍』の中でこの『アンパンマンのマーチ』をカバーしていて、『アンパンマン』のこれまでとまた違った一面を味わわせてくれています。


 ところで、この歌の2番の有名な歌詞である『愛と勇気だけがともだちさ』という言葉を見ると、『NHKみんなのうた』に収録されているある歌が連想されます。それは『勇気一つを友として』という歌です。現在のところ、インターネットでもニコニコ動画のサイト(http://www.nicovideo.jp/watch/sm13753800)にて視聴できます(登録が必要な場合があります)ので、ご存じない方は聴いてご覧になってみてください。きっと皆さんも聴いたことがある歌だと思います。

 この歌も『アンパンマンのマーチ』と同様に「勇気を友として」いるわけですが、考えてみますと、その内容・品格においてこれほど対照的な歌も珍しいのではないかと思います。

 『勇気一つを友として』では、イカロスというギリシア神話の人物が登場しますが、この歌はイカロスを「勇気ある若者」として賞賛しており、さらに「僕らはその勇気を受け継いで明日へ向けて飛び立つ」とまで歌っています。

 ところが、これはイカロスを美化しすぎていると言わざるを得ないのです。

 実際のギリシア神話では、イカロスは父親のダイダロスと一緒に塔の牢獄に閉じ込められており、ダイダロスが作った蝋の翼を付けて父親と共に窓から飛び立って脱出します。その際にダイダロスはイカロスに「飛ぶ高さが低すぎると海の湿気で翼がふやけるし、高すぎると太陽の熱で翼が溶けるから、気をつけて中くらいの高さを保たなければならない」と教えるのですが、イカロスはそれにもかかわらず、太陽神ヘリオスに興味本位で近づきすぎてしまい、結果として翼が溶けたため海に落ちて死んでしまうことになります。

 そうなりますと、イカロスのしたことは「勇気ある行為」と賞賛できるものなどとは到底言えず、むしろ

   人の話を聞かぬ愚か者の失敗

というべきものでしょう。もしどうしても「勇気」という言葉を使いたくても、せいぜい

   無分別から来る蛮勇

としか言えません。

 ですから、同じように「勇気を友として」いたとしても、イカロスの「勇気」とアンパンマンの勇気とでは、その格において比べようもない違いがあるのです。福沢諭吉の『学問のすゝめ』風に言えば、

   「日を同じうして語るべからざるなり」

ということになるでしょう。


 アンパンマンの「勇気」は、イカロスのような愚かで浅薄なものではなく、強い信念に支えられているものなのです。しかも、その「信念」は「自己犠牲をも厭わない」ほどの気高さをも備えているのです。

 アンパンマンは、その他大勢のヒーロー物の主人公と異なり、圧倒的な強さで敵を滅ぼすような存在ではありません。それどころか、大抵の場合、顔をちぎられたり首がもげたりといった散々な目に遭います(それでも最後には勝つわけですが)。そういう点で、アンパンマンは

   「正義を貫くには犠牲が必要なのだ」

という強烈な教訓を与えてくれているのだと私は感じるのです。


 写真の折紙は、『アンパンマンのマーチ』に寄せて、アンパンマンが飛ぶ姿を表現したもので、1枚の長方形の和紙に切り込みを入れて折りました。顔が2つ作ってあるので、一方の顔を汚して

   「顔が汚れて力が出ない~」

と言っておいて、その後もう一方の顔を出して

   「元気百倍、アンパンマン!」

と叫ぶ、といった遊び方ができるようになっています。


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爪亭八楼(つめてー・やろう):「そうか! そんじゃあ、ここらであっしも『勇気』を出して、いっちょ、ヒーローになってやっかな」


 楽屋裏


爪亭八面(つめてー・やつら):「おい八楼、シルクハットなんかかぶりやがって、いってぇ何のマネだ」

爪亭八空(つめてー・やから):「そうでぇ、何だその格好は」

八楼:「フッフッフッ、悪は滅びるのだ。正義のヒーロー『ハットマン』(*1)参上! ポカッ いてっ」

八面:「くだらねぇ。真っ昼間から寝ぼけてんじゃねぇぞ!」

八空:「それに、そこにある、急須(きゅうす)に手足くっつけたのは何だ」

八楼:「ああ、これは『ハットマン』の優秀な助手の『ドビン少年』・・・」

八空:「なめとんのか、おめぇは!」

八面:「そんなんで、いってぇ何と戦おうってぇんでぇ」

八楼:「フッフッフ、見て驚くな!」


 ※八楼は黒塗りの茶筒を取り出し、『ドビン少年』を当てて倒した。


八楼:「見ろ! とうとうしぶとい『ちゃとウーマン』を倒したぞ!!」


 ・・・ バシッ


八面:「とことんくだらねぇな」

八空:「第一、そんな寸胴(ずんどう)なウーマンがいるか!」

八楼:「そうでやんすね。やっぱウーマンというからにはBBQ(*2)じゃねぇと」

八面:「・・・」

八空:「それを言うなら、BQB(*3)だろ」

八面:「そうでぇ馬鹿野郎」

八空:「BBQなんて、いってぇどんなウーマンだってぇんだ」

八楼:「・・・」

八面:「・・・」

八空:「・・・」 ビシッ!

八楼:「いってぇ」

八空:「このエッチ野郎が」

八楼:「自分で言ったくせに・・・」

八空:「○ットマンパーンチ!!」

八楼:「ぐわっ」

八面:「しかし、つくづく弱ぇ奴だな。 ヒーローぶるからには何か必殺技ってぇのはねぇのか?」

八楼:「よくぞ聞いてくれました! 見よっ! 必殺・『ホワイトキーック』(*4)!!」

八面:「ハーッハッハッハッハ!(黄金バット(*5)笑い) お前の技は古い! 古すぎるっ! これからの必殺技はこれだァ! くらえっ! 『あくびーム』!!

八楼:「うぐっ!」

八空:「とどめだっ! 必殺・『いびきーック』!!

八楼:「がはっ! ああアアあアぁァァァ・・・」


 ガクッ ドカーン


八楼:「って、ラ○ガーマン(*6)じゃねぇ!」

八面:「そのまんまじゃねぇか。ついでに『弱い! 本当に弱い!』ってぇキャッチフレーズでもつけたらどうだ?」

八楼:「だから、○イガーマンじゃねぇっちゅうに」

八空:「じゃあ、もっとマシな名前つけてやるとするか」

八面:「そうだな、ワンパンで沈む(*7)から『ワンパンマン』ってぇのはどうだ?」

八楼:「そんな情けねぇ名前イヤでやんすよ」

八空:「するってぇと、『高座戦隊ワラエンジャー』なんてのはどうでぇ」

八楼:「そりゃシャレになりやせんぜ。だいいち、戦隊ってったって一人っきりじゃねぇか」

爪亭八爪(つめてー・やつめ)(師匠):「おうおう、てめぇら何の話だ」

八面:「あっ師匠! いえね、こいつがヒーローになりてぇっちゅうから、何か名前をつけてやろうってぇんでさあ」

八爪:「ほお、そうか。八楼はよくネットで人のブログけなしてばかりいやがるから、『ブログ戦隊聞き捨てならねェンジャー』て名乗ったらどうだ?」

八楼:「だから、戦隊っていってもたった一人きり・・・」

八爪:「なら、こんなのはどうだ? おめぇはしょっちゅう『アマゾン』で買い物しちゃあ、画面に向かってしょうもねぇレビューを書きまくってんだろう。だからおめぇはこれから

   『画面ライターアマゾン』(*8)

って名乗れ!」

八面:「おおっ! さすが師匠!!」

八空:「こりゃもう決まりだな」

八楼:「へへぇっ、ありがてぇ。というわけで、皆々様、次回の『画面ライターアマゾン』をどうかお楽しみに!」

八面・八空:「調子に乗るな!」 ゲシッ

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*1:アメリカン・コミックに『バットマン』という作品があり、それには主人公の「バットマン」と助手の「ロビン少年」の他に、「キャットウーマン」という怪人が登場します。


*2:普通は「バーベキュー」のことを指します。八楼は何か勘違いしています。


*3:「ボン・キュッ・ボン」の略で、女性の体型を表す語とされています。


*4:「白」を「ホワイト」、「ける」を「蹴る」つまり「キック」に置き換えて作られた言葉で、つまりは「白ける」という意味です。あまり流行らないうちに忘れ去られた「かつての流行語」の一つです。


*5:昭和時代に流行った紙芝居の主人公です。金色のコウモリとして現れ、金色のドクロのような顔で漆黒のマントをはおった姿に変身して戦います。後にアニメ化もされました。「ハーッハッハッハッハ!」と高笑いする以外に台詞がほとんどなく、演じた声優はさぞかし楽チン演じ分けに苦心されたことでしょう。


*6:「ライガーマン」という怪獣で、アニメ『黄金バット』に出てきます。一話しか登場しないにもかかわらず、その「強そう」な設定と、それに比べてあまりにも呆気ない最期とから、一部に人気の高いキャラクターです。「黄金バット」が『強い! 本当に強い!』というキャッチフレーズをつけて呼ばれることから、この「ライガーマン」には『弱い! 本当に弱い!』というキャッチフレーズ(?)がつけられることもあります。インターネットでもニコニコ動画のサイト(http://www.nicovideo.jp/watch/sm17122680)で見ることができます(登録が必要な場合があります)。


*7:1回のパンチ(ワンパンチ)でダウンすること


*8:言うまでもなく、『仮面ラ○ダーアマゾン』のことです。それまでのライダーと一線を画する、個性的な設定・敵・戦い方のため、今でも一部に人気の高いシリーズです。




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『雲が晴れたら』に寄せて

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雨あがりの街





















                                                       『雨上がりの街』

雲が晴れたら



















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『雲が晴れたら』

                                                      彩 恵津子 作詞

                                                      羽田 一郎 作曲



さあ 涙を拭いて 話を聞いて

ねえ 窓たたいてる 僕に気付いて

昼も夜も雨と 恨まないで欲しい

夏を運ぶためだよ



(*1)

 Rain drops 街中の傘が

 Rain drops 踊り始めたよ

 Tear drops 沈んでる君が 喜ぶように



さあ 晴れ間が出たよ 外(そと)出ておいで

そう 水たまりには 僕がいるんだ

はねが上がるなんて いじめないで欲しい

いつも君が好きだよ



(*2)

 Rain drops 灰色の空が

 Rain drops 虹に変わったら

 Tear drops 君の微笑みも 戻って来た



長靴の下に ホラ

映る笑顔が ゆらゆら揺れて

青空に 溶けてゆく



(*1 繰り返し)



(*2 繰り返し)

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 連日、うだるような暑さが続いております。 お年寄りはもちろんのこと、若い人でも疲労や脱水のため熱中症に陥る方が見られますので、充分に水分を摂って体調管理に努めなければなりません。

 今年も早くも梅雨(つゆ)が明けて、本格的な夏になって参りました。時々台風も訪れますが、雨が降ってもほとんど涼しさを感じず、むしろ蒸し暑さが増すように感じられるのもこの季節ならではと言えます。

 そこで、今回は雨が一服の清涼剤とも言えた梅雨の季節を思い出す意味を含めて、雨の歌をとりあげようと思います。


 この『雲が晴れたら』という歌は『NHK みんなのうた』で放映されたもので、作詞者の彩恵津子(さい・えつこ)自身が歌っていました。以前は、YouTube で視聴できたのですが、残念ながら今は削除されています。歌手のかおりくみこが歌っているものでしたら、ニコニコ動画(http://www.nicovideo.jp/watch/sm11851234)で聴けますので、皆さんも一度お聴きになってみてください(登録が必要な場合があります)。動画に寄せられているコメントを見ると、この歌が好きな人は今でも結構多いようです。

 ですが、この歌の場合、「歌は知っているけれど、題名が思い出せない」ということが多いようで、実は私も、調べるまで正確な題名をわかっていませんでした。雨の歌なのに「雨」という字が題名に入っていないからか、はたまた、歌のサビの部分である

  『Rain drops ~』

という旋律が特別に印象深いためでしょうか。なお、「歌続(かぞく)」という二人組の歌手ユニット(現在は解散して、大野賢治が一人で活動している)の持ち歌にも同名の『雲が晴れたら』(http://www.dailymotion.com/video/x28er4_%E6%AD%8C%E7%B6%9A-%E9%9B%B2%E3%81%8C%E6%99%B4%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%82%89_music)というものがありますが、これは全くの別物です(私は個人的には、こっちの方が題名が合っているように感じます)。


 普段は「鬱陶(うっとう)しい」とか「傘を持つのが面倒だ」としか感じられない雨ですが、この『雲が晴れたら』(彩恵津子の方)を聴くと、

  「時には雨もいいものだ」

と思えてくるから不思議です。その点で、この歌は有名なミュージカル映画の『雨に唄えば(Singin' in the Rain)』の雰囲気に通じるものを持っていると言えるでしょう。

 NHKで放映されていた時のアニメーションは、『秋物語』(『みんなのうた』の中で一番泣ける歌です。 → http://blog.livedoor.jp/miyataatsushi-origami/archives/35430054.html)と同じ古川タクが担当しているのですが、明らかにミュージカルを意識して作られているように思えるのは、きっと彼も『雨に唄えば』に似た印象をこの歌から受けたからでしょう。最初、私はこのアニメーションがあまり好きになれませんでしたが、何度も見ているうちに、次第に歌に合っているように思えてきました。『秋物語』とは全然違う、楽しげな内容の歌であるだけに、アニメーションも陽気なタッチにしてあるところは流石(さすが)だと思います。


 写真の折紙は、『雲が晴れたら』(彩恵津子の方)に寄せて、雨上がりの風景を「つなぎ折紙」で表現したものです。1枚の正方形の和紙に切り込みを入れて折ったもので、開いている傘は伝統折紙の「ボート」からヒントを得て作りました。この折紙の場合、見栄えよく飾るためには針金と接着剤による固定が必要です。土台にかなりの負担がかかるため、紺色の色紙を台紙に使っています。なお、地面の水たまりはホイル紙と透明接着剤で表現しています。



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折紙が大好きで、1枚の紙に切り込みを入れて折る「つなぎ折紙」に凝っています。