2012年02月13日
日本をメチャメチャにした諸悪の根源の「東京大学」なんてもういらない!
こんにちは。三宅です。
久々のブログ更新です。
昨年から、ブログで色々書きたい事は山々なのに、書けないということは、いよいよ人類、特に日本人の試練が大詰めとなってくるのでしょうか?
そんな中で、これだけは書きたいと思うことがあります。
それは、もうこの日本には、諸悪の根源である「東京大学」はいらない、ということでしょうか?
東京大学ばかりではないのです。
悪いのは、その大学に憧れる人間がいる、この日本、いえ、日本人はもう、この地球上にいらない、ということなのではないでしょうか?
昔の日本でない、似て非なる日本、そしてそこに住む昔の日本人でない、似て非なる日本人が一掃されるための仕組みが刻々と迫っています。
良き日本の文化伝統を破壊する、いえ、破壊してきた「東京大学」の日本人でない売国奴たちの、最後のトドメが、秋入学制度!
本来、動物であれば冬眠する準備なのに、寒い季節に向かう入学なんて、良識ある人間の考えるこっちゃあない! 一体、誰が喜ぶ制度なの?
日本人を冬眠させ、勉強させない、働かせない人間に仕上げるために、仕組まれた最後のワナ?
それに反対の声を揚げない、自称、文化人や教育者たちも売国奴?
そして、売国奴の彼らの、追随する、経済人たちも、すべて、一蓮托生の、売国奴ではないでしょうか?
おっと、いけません、書いてはいけないことでした。
それに気がつかない、ボンクラな日本人が一番の、罰せられるべき人間、なのですから…。
いつも、過酷な試練は、庶民の底辺から…。最後まで逃げ切るのが、エリートや一流社会の人間たち。
だから、一向に、改める気配がない。
どうか、皆さん、良識ある日本人としての、尊厳と誇りを大切に生き切りましょう。
たとえどんな、天変地変に見舞われても…。
太陽の恵みを忘れた、太陽に感謝しない、似非日本人がはびこりすぎた…。
この地震や台風の多い土地に生きているということが、即ち、奇跡なのですから…。
その奇跡に感謝しつつ、ジタバタしないで、天命を全うすることしか、生きるスベはないのでは?
未来のエネルギーを奪い取りに、この日本の土地を目指して、これからドンドン襲いかかって参ります。
それが、今の弱肉強食の世の中。
資本主義の世の中と言いながら、一党独裁国家に一人勝ちされているこの世界の仕組みは、もうとっくの昔に、資本主義経済なんて、崩壊してしまっているのです。
その証拠に、日本が経済大国にのし上がったことが、それを物語っているのです。
どんなにあがいても、もう、今の世界は行きつくところまでいきつかないとおさまらない。
それを止められるのは、私利私欲のない、カリスマ性を持つ人間だけ。
金や権力にあくせくしている連中には、もう、任せられない。
精神の時代、心の時代ということは、形ある身体をもつ人間どもには、もうこの地球を任せられない、という姿のない神々の怒りの声ではないでしょうか?
これからは、神々が治める神々の時代なのでしょうか?
そんな、風雲急を告げているからこそ、神託を受けとる役目の天皇陛下の心痛心労も相当なもので、天皇陛下が御病気になられても、全く関知しない日本人。
天皇あっての日本ということが、トンと解せない日本人。
過去の戦争のように、これからも天皇を利用する人物が、皇室の内外からも、現れる可能性もあるというのに…。
歴史は繰り返される、朝鮮の貴族だった蘇我氏に踊らされた天皇や宗教家に毒された皇后もいたというのに…。
仏教やキリスト教に翻弄されたり、武家社会に媚びを売ったりした天皇のために戦国時代に見舞われたり…。結局、泣くのは国民でした。
そして、軍隊に利用された天皇や国民のその後の過酷な時間をまたまた、無にするというのでしょうか…。
真の売国奴は、善意の顔を持つ、偽善者です。
無知な国民、愚民はさらさら気がつかない…。歴史は簡単に書き換えられる。歴史上の人物で評価が高い人物は、眉つば者、かも!
どうか、天皇陛下の手術が無事に終了して、日本人の為に、一日でも長く、また健康であられますように…。
この日本国のエリートが売国人間であれば、この国の若者は、乞食、女子は、娼婦、ですって!
ファションがそう、見えるんですって、良識ある外国人には…。
日本人は、かつては、礼儀作法の国、一体、こういう国にしたのは誰のせい?
売国奴たちが一丸となって、推し進めた結果、でしょうか。
また、問題視されている、中学で柔道を修学させるという制度も、心身の「心」を鍛えないと、本当にキケン!
まず、軟弱な心を鍛え直さないと! でも哀しいかな、日本人を「ココロ」捨てた日本人には、誰も日本の「心」を教えられない。
習わせるならば、小学一年生から! それも、正座から!
日本の文化である、柔道や剣道や茶道や華道等などは、まず、正座ありき。
それを忘れて、身体だけ鍛えても、ただただ危ない、似て非なるもので、今の柔道は、日本の文化の柔道ではないのです。
一体、生徒に事故が起こったら、誰が責任を取るのでしょう。
まさか、政治家のように誰も責任を取らないとなると、もう、日本人の教育者はいない?
ドイツでは教育勅語が、フランスでは、礼儀作法の為に柔道を取り入れているとか…。
それもこれも、みんな日本人が棄てた日本の良きモノばかり…。
だのに、日本人のエリート達は、外国のモンばかりを取り入れる。
それだけならまだしも、それと反対に、日本のモノをドンドン捨て去ってしまう。
それは、かれらが、本当の日本人ではなく、日本人という国籍を持つだけで、愛国心を持たない、似非日本人だからでは、ないでしょうか?
そのために、個人情報保護法が施行された…。彼らやスパイの為に…。かくて日本は同じ色の顔をしたスパイ天国とあいなった…。
もっと、色々感じることはあるのですが、もう、私ごときがグダグダ書いている場合ではないような…。
もう臨界点にきているのでしょうね。それは今の福島の原発と同じ…。
では、皆さん、心を引き締めて、生き切りましょう。このブログも、用が済めば、消すつもりです。
ところで、今日、ブログを更新したのは、実は、昨日、「癒しスタジアムin大阪VOL.24」のイベントに参加してきて、その感想を書きたかったからです。
以下に、それを書いておきますので、よかったら読んでください。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
2012.2.12の「癒しスタジアムin大阪VOL.24」が無事終了いたしました。前回の参加は2010年暮れ以来なので、一年以上も間があき、ちょっと不安でもありました。
でも、始まって見ると、以前からのリピートの相談者さんも多く、 ある方は3回もお越しいただき、おまけに今回は息子さんと同伴で、その方いわく「前回も来たのにいなくて残念、今回やっとお会いできた。」と…。
その言葉をお聞きして、つくづく「本当に有り難い。こういう貴重な相談者の為にも、これからもずっとイベントに参加しないとバチがあたるなあ。」と感じ入りました。その親子さんは、後でお茶まで差し入れしてくださり、本当に感謝感謝でいっぱいです。
私の所はいつもの通り、立ち上がりは暇で、終盤にかけてから忙しくなります。やっぱり、色々、他のお目当ての所を廻った後で、ちょっと、試しに受けてみようかなあという、スタンスの方が多いです。
そして、そんな期待もせず受けられた方が、良かったのであなたも受けたらと、友人知人の方々に薦められるというパターンが多いです。
たった10分の相談で、数人の方々は涙を流され、カウンセラーとしては感慨無量です。思わず私まで涙が滲みます。同じ人間ですものね。
その方々にとっては、ある意味、大きな意識的変化を起こされて、普通の占いやリーディング以上の効果があったのでしょうか…。
5時間カウンセリングを受けても、変わらない人は頑固に変わらない。10分でも変わる方は簡単に変わる、そういう方もおられるというこの事実に、私は、何度、勇気づけられたことか…。
結局、相談者のためでもあり、自分自身の意識の向上でもあるのでしょう。こういうイベントへの参加の意味は…。
やっぱり、多くの方々に接するということも必要なのですね。決して、悩める人から離れて、書物や組織の勉強だけでは、何の進歩もないのでしょう。
そういう意味でも、こういうイベントには、これからもドンドン参加せねば、と感じた昨日のイベントでした。
ちなみに、相談者は12名でした。
多からず、少なからず、ちょうど良い人数でした。
相談者様の「魂」が幸せでありますように…。
久々のブログ更新です。
昨年から、ブログで色々書きたい事は山々なのに、書けないということは、いよいよ人類、特に日本人の試練が大詰めとなってくるのでしょうか?
そんな中で、これだけは書きたいと思うことがあります。
それは、もうこの日本には、諸悪の根源である「東京大学」はいらない、ということでしょうか?
東京大学ばかりではないのです。
悪いのは、その大学に憧れる人間がいる、この日本、いえ、日本人はもう、この地球上にいらない、ということなのではないでしょうか?
昔の日本でない、似て非なる日本、そしてそこに住む昔の日本人でない、似て非なる日本人が一掃されるための仕組みが刻々と迫っています。
良き日本の文化伝統を破壊する、いえ、破壊してきた「東京大学」の日本人でない売国奴たちの、最後のトドメが、秋入学制度!
本来、動物であれば冬眠する準備なのに、寒い季節に向かう入学なんて、良識ある人間の考えるこっちゃあない! 一体、誰が喜ぶ制度なの?
日本人を冬眠させ、勉強させない、働かせない人間に仕上げるために、仕組まれた最後のワナ?
それに反対の声を揚げない、自称、文化人や教育者たちも売国奴?
そして、売国奴の彼らの、追随する、経済人たちも、すべて、一蓮托生の、売国奴ではないでしょうか?
おっと、いけません、書いてはいけないことでした。
それに気がつかない、ボンクラな日本人が一番の、罰せられるべき人間、なのですから…。
いつも、過酷な試練は、庶民の底辺から…。最後まで逃げ切るのが、エリートや一流社会の人間たち。
だから、一向に、改める気配がない。
どうか、皆さん、良識ある日本人としての、尊厳と誇りを大切に生き切りましょう。
たとえどんな、天変地変に見舞われても…。
太陽の恵みを忘れた、太陽に感謝しない、似非日本人がはびこりすぎた…。
この地震や台風の多い土地に生きているということが、即ち、奇跡なのですから…。
その奇跡に感謝しつつ、ジタバタしないで、天命を全うすることしか、生きるスベはないのでは?
未来のエネルギーを奪い取りに、この日本の土地を目指して、これからドンドン襲いかかって参ります。
それが、今の弱肉強食の世の中。
資本主義の世の中と言いながら、一党独裁国家に一人勝ちされているこの世界の仕組みは、もうとっくの昔に、資本主義経済なんて、崩壊してしまっているのです。
その証拠に、日本が経済大国にのし上がったことが、それを物語っているのです。
どんなにあがいても、もう、今の世界は行きつくところまでいきつかないとおさまらない。
それを止められるのは、私利私欲のない、カリスマ性を持つ人間だけ。
金や権力にあくせくしている連中には、もう、任せられない。
精神の時代、心の時代ということは、形ある身体をもつ人間どもには、もうこの地球を任せられない、という姿のない神々の怒りの声ではないでしょうか?
これからは、神々が治める神々の時代なのでしょうか?
そんな、風雲急を告げているからこそ、神託を受けとる役目の天皇陛下の心痛心労も相当なもので、天皇陛下が御病気になられても、全く関知しない日本人。
天皇あっての日本ということが、トンと解せない日本人。
過去の戦争のように、これからも天皇を利用する人物が、皇室の内外からも、現れる可能性もあるというのに…。
歴史は繰り返される、朝鮮の貴族だった蘇我氏に踊らされた天皇や宗教家に毒された皇后もいたというのに…。
仏教やキリスト教に翻弄されたり、武家社会に媚びを売ったりした天皇のために戦国時代に見舞われたり…。結局、泣くのは国民でした。
そして、軍隊に利用された天皇や国民のその後の過酷な時間をまたまた、無にするというのでしょうか…。
真の売国奴は、善意の顔を持つ、偽善者です。
無知な国民、愚民はさらさら気がつかない…。歴史は簡単に書き換えられる。歴史上の人物で評価が高い人物は、眉つば者、かも!
どうか、天皇陛下の手術が無事に終了して、日本人の為に、一日でも長く、また健康であられますように…。
この日本国のエリートが売国人間であれば、この国の若者は、乞食、女子は、娼婦、ですって!
ファションがそう、見えるんですって、良識ある外国人には…。
日本人は、かつては、礼儀作法の国、一体、こういう国にしたのは誰のせい?
売国奴たちが一丸となって、推し進めた結果、でしょうか。
また、問題視されている、中学で柔道を修学させるという制度も、心身の「心」を鍛えないと、本当にキケン!
まず、軟弱な心を鍛え直さないと! でも哀しいかな、日本人を「ココロ」捨てた日本人には、誰も日本の「心」を教えられない。
習わせるならば、小学一年生から! それも、正座から!
日本の文化である、柔道や剣道や茶道や華道等などは、まず、正座ありき。
それを忘れて、身体だけ鍛えても、ただただ危ない、似て非なるもので、今の柔道は、日本の文化の柔道ではないのです。
一体、生徒に事故が起こったら、誰が責任を取るのでしょう。
まさか、政治家のように誰も責任を取らないとなると、もう、日本人の教育者はいない?
ドイツでは教育勅語が、フランスでは、礼儀作法の為に柔道を取り入れているとか…。
それもこれも、みんな日本人が棄てた日本の良きモノばかり…。
だのに、日本人のエリート達は、外国のモンばかりを取り入れる。
それだけならまだしも、それと反対に、日本のモノをドンドン捨て去ってしまう。
それは、かれらが、本当の日本人ではなく、日本人という国籍を持つだけで、愛国心を持たない、似非日本人だからでは、ないでしょうか?
そのために、個人情報保護法が施行された…。彼らやスパイの為に…。かくて日本は同じ色の顔をしたスパイ天国とあいなった…。
もっと、色々感じることはあるのですが、もう、私ごときがグダグダ書いている場合ではないような…。
もう臨界点にきているのでしょうね。それは今の福島の原発と同じ…。
では、皆さん、心を引き締めて、生き切りましょう。このブログも、用が済めば、消すつもりです。
ところで、今日、ブログを更新したのは、実は、昨日、「癒しスタジアムin大阪VOL.24」のイベントに参加してきて、その感想を書きたかったからです。
以下に、それを書いておきますので、よかったら読んでください。
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2012.2.12の「癒しスタジアムin大阪VOL.24」が無事終了いたしました。前回の参加は2010年暮れ以来なので、一年以上も間があき、ちょっと不安でもありました。
でも、始まって見ると、以前からのリピートの相談者さんも多く、 ある方は3回もお越しいただき、おまけに今回は息子さんと同伴で、その方いわく「前回も来たのにいなくて残念、今回やっとお会いできた。」と…。
その言葉をお聞きして、つくづく「本当に有り難い。こういう貴重な相談者の為にも、これからもずっとイベントに参加しないとバチがあたるなあ。」と感じ入りました。その親子さんは、後でお茶まで差し入れしてくださり、本当に感謝感謝でいっぱいです。
私の所はいつもの通り、立ち上がりは暇で、終盤にかけてから忙しくなります。やっぱり、色々、他のお目当ての所を廻った後で、ちょっと、試しに受けてみようかなあという、スタンスの方が多いです。
そして、そんな期待もせず受けられた方が、良かったのであなたも受けたらと、友人知人の方々に薦められるというパターンが多いです。
たった10分の相談で、数人の方々は涙を流され、カウンセラーとしては感慨無量です。思わず私まで涙が滲みます。同じ人間ですものね。
その方々にとっては、ある意味、大きな意識的変化を起こされて、普通の占いやリーディング以上の効果があったのでしょうか…。
5時間カウンセリングを受けても、変わらない人は頑固に変わらない。10分でも変わる方は簡単に変わる、そういう方もおられるというこの事実に、私は、何度、勇気づけられたことか…。
結局、相談者のためでもあり、自分自身の意識の向上でもあるのでしょう。こういうイベントへの参加の意味は…。
やっぱり、多くの方々に接するということも必要なのですね。決して、悩める人から離れて、書物や組織の勉強だけでは、何の進歩もないのでしょう。
そういう意味でも、こういうイベントには、これからもドンドン参加せねば、と感じた昨日のイベントでした。
ちなみに、相談者は12名でした。
多からず、少なからず、ちょうど良い人数でした。
相談者様の「魂」が幸せでありますように…。
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2012年01月04日
今年も波乱の年になりそうな…。ニュースは他のニュースを隠すことにも使われる…。
あけましておめでとうございます。三宅です。
今年、始めてのブログです。
昨年の31日、オームの平田容疑者が自分から出頭したというニュースで、今年も、波乱の年になりそうな、そんな予感がいたします。
そのニュースの不自然さに、国民がしっかりしなければ、と強く感じずにはいられません。
それらの一連のニュースのために、様々な重大なコトガラが、国民の目からふれることなく、進展していくでしょう…。
マスコミが提供する情報をサニワするのは、一人、一人の直感でするしか、方法がありません。
一人ひとりの意識が大切なのでしょう。
昨年の大晦日の「紅白歌合戦」の演歌歌手には、やっぱり演歌が廃るのには理由があるなあと、変な実感をさせられました。
殆どの演歌歌手が、震災に関する曲や歌ではなく、過去のヒットした曲をしか歌えないという事実…。
今の世相を代表して、何か勇気づけるメッセージを伝える歌でなければ、国民のお金を使うNHKの番組に出る資格はないのでは…。
それに引き換え、若い歌手には、勢いというか時代を読み取る眼力があって、この国はまだまだ大丈夫、と大いに安心もいたしました。
団塊世代以上は、もう「お荷物」でしかないのかも…。
一人ひとりが、人間として生まれた「意味」を悟らねば…。
韓流の歌手たちが重宝な待遇に、本当に彼らが親日なのか、ちょっと疑問でもありました。自国に帰れば、反日を掲げる人もいるというし…。
「竹島」を自国の領土と歌う歌手たちをどうして、日本の国民的行事である、「紅白歌合戦」に出場させる意味があるのでしょうか…。
それだけでも、NHKの不払い運動が進んでも文句は言えないはずでしょうに…。
底辺の日本人は、本当に魂の高い国民なのですね〜。
最近のNHKはちょっとおかしい。大河ドラマも、本来ならば、権力的な人間たちを主人公にして、歴史を捻じ曲げているとしか思えない…。
それを観て、信じ込んでしまう大人も多いし、さらに、子供に至っては、多大な影響が及ぶ…。
得てして、歴史上で、極悪人と断罪された人たちほど本当は、真理を求めて生きた人たちではないでしょうか…。
先の戦争でも、英雄視されている人ほど、胡散臭い。不可思議な死に方をする人は、ちょっと、疑ってかかった方がいいのでは…。最近でも映画化されているのはどうかと思います…。
お正月そうそう、地震が起こりました…。皆さん、気(意識)を引き締めましょう。
私は、このお正月には、「能」を観ようと思ってチャンネルを回したのですが、結局、寝込んでしまいました。
「歌舞伎」は、身近な存在で接する機会があっても、「能」は殆どといっていいほど、話題にすらなりません。
観ても、説明がなければ理解不可能に近く、吾ながらもう、日本人ではないのではと、ちょっと、ショックでしたが…。
どうして、これほど、日本人は、自分の伝統文化を拒否してしまったのでしょうか…。
もっと、義務教育で、日本古来の文化を勉強させてくれていたらと、本当に残念でなりません。
外国では、日本文化がもてはやされているというにの、この日本では、ドンドンないがしろにされていく…。
あと十年もすれば、日本の国土はあっても、日本文化を継承する国民はいなくなるのでは、と感じます。
やっぱり、国民の意識の問題でしょうか…。
お正月そうそう、愚痴ばかりでは縁起が良くありませんので、これぐらいにしておきましょう。
私は、一咋年から昨年にかけて、縄文や東北に注目しろという「お知らせ」で色々勉強させて頂きました。
そして、東北の大地震と、大津波と、原爆の放射能等などが…。
昨年から今年は、「神話」と「古事記」を勉強しております。
特に、古事記の神様方を…。
そうすると、否が応でも、天皇や皇室の事も…。
私は、2009年の天皇陛下御即位二十年の祭典を観ておりませんでしたので、この正月、インターネットで、あらためて、拝見させて頂きました。
そういう意味では、インターネットって本当に便利ですね〜。
そして、日本国民として、身も引き締まると同時に、感動させていただきました…。
最後の万歳には、思わず涙も…。
私は、決して、右翼でもありませんし、頑強な保守系でもありません。
要するに、日本人としての魂が感じるのでしょう。
自分の四つの魂、「荒魂、和魂、幸魂、奇魂」が…。
よかったら、皆さんも、もう一度、ご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=MF1_bBAAfI8&feature=related
天皇陛下に、奉祝歌、「太陽の国」を披露されました。
EXILEの方々は、普段しているピアスや飾りモノをとって、踊られたそうです。
EXILEのアツシさんのサングラスを取ったお顔を拝見し、安心いたしました。彼もとっても波動が高いですね。
芸能界から変革が始まっています。
今年、来年と、日本の踏ん張りどころでしょうか…。
本年もどうかよろしくお願いいたします。
今年、始めてのブログです。
昨年の31日、オームの平田容疑者が自分から出頭したというニュースで、今年も、波乱の年になりそうな、そんな予感がいたします。
そのニュースの不自然さに、国民がしっかりしなければ、と強く感じずにはいられません。
それらの一連のニュースのために、様々な重大なコトガラが、国民の目からふれることなく、進展していくでしょう…。
マスコミが提供する情報をサニワするのは、一人、一人の直感でするしか、方法がありません。
一人ひとりの意識が大切なのでしょう。
昨年の大晦日の「紅白歌合戦」の演歌歌手には、やっぱり演歌が廃るのには理由があるなあと、変な実感をさせられました。
殆どの演歌歌手が、震災に関する曲や歌ではなく、過去のヒットした曲をしか歌えないという事実…。
今の世相を代表して、何か勇気づけるメッセージを伝える歌でなければ、国民のお金を使うNHKの番組に出る資格はないのでは…。
それに引き換え、若い歌手には、勢いというか時代を読み取る眼力があって、この国はまだまだ大丈夫、と大いに安心もいたしました。
団塊世代以上は、もう「お荷物」でしかないのかも…。
一人ひとりが、人間として生まれた「意味」を悟らねば…。
韓流の歌手たちが重宝な待遇に、本当に彼らが親日なのか、ちょっと疑問でもありました。自国に帰れば、反日を掲げる人もいるというし…。
「竹島」を自国の領土と歌う歌手たちをどうして、日本の国民的行事である、「紅白歌合戦」に出場させる意味があるのでしょうか…。
それだけでも、NHKの不払い運動が進んでも文句は言えないはずでしょうに…。
底辺の日本人は、本当に魂の高い国民なのですね〜。
最近のNHKはちょっとおかしい。大河ドラマも、本来ならば、権力的な人間たちを主人公にして、歴史を捻じ曲げているとしか思えない…。
それを観て、信じ込んでしまう大人も多いし、さらに、子供に至っては、多大な影響が及ぶ…。
得てして、歴史上で、極悪人と断罪された人たちほど本当は、真理を求めて生きた人たちではないでしょうか…。
先の戦争でも、英雄視されている人ほど、胡散臭い。不可思議な死に方をする人は、ちょっと、疑ってかかった方がいいのでは…。最近でも映画化されているのはどうかと思います…。
お正月そうそう、地震が起こりました…。皆さん、気(意識)を引き締めましょう。
私は、このお正月には、「能」を観ようと思ってチャンネルを回したのですが、結局、寝込んでしまいました。
「歌舞伎」は、身近な存在で接する機会があっても、「能」は殆どといっていいほど、話題にすらなりません。
観ても、説明がなければ理解不可能に近く、吾ながらもう、日本人ではないのではと、ちょっと、ショックでしたが…。
どうして、これほど、日本人は、自分の伝統文化を拒否してしまったのでしょうか…。
もっと、義務教育で、日本古来の文化を勉強させてくれていたらと、本当に残念でなりません。
外国では、日本文化がもてはやされているというにの、この日本では、ドンドンないがしろにされていく…。
あと十年もすれば、日本の国土はあっても、日本文化を継承する国民はいなくなるのでは、と感じます。
やっぱり、国民の意識の問題でしょうか…。
お正月そうそう、愚痴ばかりでは縁起が良くありませんので、これぐらいにしておきましょう。
私は、一咋年から昨年にかけて、縄文や東北に注目しろという「お知らせ」で色々勉強させて頂きました。
そして、東北の大地震と、大津波と、原爆の放射能等などが…。
昨年から今年は、「神話」と「古事記」を勉強しております。
特に、古事記の神様方を…。
そうすると、否が応でも、天皇や皇室の事も…。
私は、2009年の天皇陛下御即位二十年の祭典を観ておりませんでしたので、この正月、インターネットで、あらためて、拝見させて頂きました。
そういう意味では、インターネットって本当に便利ですね〜。
そして、日本国民として、身も引き締まると同時に、感動させていただきました…。
最後の万歳には、思わず涙も…。
私は、決して、右翼でもありませんし、頑強な保守系でもありません。
要するに、日本人としての魂が感じるのでしょう。
自分の四つの魂、「荒魂、和魂、幸魂、奇魂」が…。
よかったら、皆さんも、もう一度、ご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=MF1_bBAAfI8&feature=related
2009年11月12日(木)、天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典が皇居前広場で開催された。
この日は、14時からは第一部として奉祝まつり、および東京や近県の神社などのお神輿や山車などが集まっての奉祝神輿渡御、祝賀式典は第二部として17時から開催された。
中でもメインは昨年レコード大賞を受賞したEXILE(エグザイル)が奉祝歌を披露した。
天皇陛下御即位二十年奉祝曲・組曲「太陽の国」は三部構成になっており、第一部 太陽の種(オーケストラ演奏) 第二部 太陽の芽(EXILEのダンスパフォーマンス) 第三部 太陽の花(EXILEの歌唱が入る)となっている。
気温12度、北風も強く、しかしその寒さの中、天皇・皇后両陛下もお出ましになり、様々な催しを楽しまれた。
天皇陛下のお言葉
「即位20年にあたり、ここに集まられた皆さんの祝意に、深く感謝します。
即位以来、20年の月日が経ったことに、深い感慨を覚えます。
この間には、日本で、また世界で、様々なことが起こりました。
日本は、高齢化の進展と、厳しい経済状況の中にあり、皆さんも、様々な心配や苦労があることと察しています。
日本人が、戦後の荒廃から、非常に努力をして、今日を築いてきたことに想いをいたし、
今後、皆が協力をして、力を尽くし、良い社会を築いていくことを願っています。
昨日の激しい雨に、今日の天候を心配していましたが、幸いに、天気になり、安堵しました。
しかし、少し冷え込み、皆さんには、寒くはなかったでしょうか。
本当に、楽しいひと時でした。どうも、ありがとう。」
天皇陛下に、奉祝歌、「太陽の国」を披露されました。
EXILEの方々は、普段しているピアスや飾りモノをとって、踊られたそうです。
EXILEのアツシさんのサングラスを取ったお顔を拝見し、安心いたしました。彼もとっても波動が高いですね。
芸能界から変革が始まっています。
今年、来年と、日本の踏ん張りどころでしょうか…。
本年もどうかよろしくお願いいたします。
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2011年12月31日
今年は日本人にとって大きな大きな意味のある年でした、来年は…。そのヒントは直感で生きること…。
こんにちは。三宅です。
今年も今日で、とうとう最後の日となりました。
2011年は、日本の歴史の中で、最も忘れられない年になるでしょう。
日本人が、こんなに窮地に陥る時は、何かの啓示なのではないでしょうか?
今年ほど、「神」の存在を、確かめたかった年もありませんでした。
もし、神がいるのならば、なぜ、この日本に震災と津波と原爆の三重苦を課したのかを、お聞きしたい…。
でも、高次元のレベルの神々は、そんなことには、きっと答えてはくれないでしょう。
それを知りたければ、自分の直感を磨くしかない、と感じる次第です。
私にとっても、今年は、カウンセラーとしても、もう一段飛躍すべき年となりました。
そして、ますます、疑問も湧いてきた1年でした…。
心理カウンセラーは、心の悩みをお聞きして、改善する仕事ですが、医者では、その分野は、精神科や神経科の分野になります。
これが、私には、全く腑に落ちません。
皆さん、おかしいと思いませんか?
神を否定する、科学や医療の分野において、なぜ、神の文字が付く「精神科」や「神経科」何でしょうか?
全く解せません。
モノやコトの概念は、その本質や性質や機能を表します。
心理学も、本来、おかしな言葉なのですよ。
心を理するって、一体、どうするんでしょうか?
古語では、理って、「コトワリ」ですが、心のコトワリって何?
日本人って、漢字にしてしまえば、なんとなく意味が解っているように、錯覚してしまうんですね。
本当は、何にも解らない…。
そういう意味で、精神科医って、何を直す医者なんでしょうか?
神経科医と、どう違うんでしょうか?
私なんて、もともと単純で、頭も決して良くないのですが、精神科医や神経科医といえば、何か「神様」のことを認めていて、理解していて、病気との関連を、きっちり解いてくれる偉い人というイメージがありますが、本当は、全く、神様とは無縁な人種が多いそうな…。
ご本人たちは、気持が悪いことはないのでしょうか?
自分の職業に「神」の文字が付いているという違和感に…。
私なら、きっと、無視できず、仕事そっちのけで、「神」という字がなぜ付くのか、徹底的に調べないと気が済みませんが…。
患者さんに対しても申し訳ないし、自分に対しても気持ちが悪い…。
考えてみれば、人間をとりまく中に、精神や神経という、「神」の文字が入っているということは、これは、きっと、本当は、大変な意味があるのでは?
60才を過ぎても、こんなことを悶々と感じている人間なんて、きっと、奇人変人と言われるのでしょうね〜。
でも、還暦を過ぎたからこそ、真剣に、「神」のことを考えられるのかもしれません。
神のことを考えていくと、色々、また別の疑問も湧いてきます…。
人間って、一生、疑問との闘いなのかもしれません。
そんな、様々なことを、未曾有の年の瀬に考えてしまうのも、きっと、偶然ではないようです。
来年、再来年、そして、その次の年も、また、その次の年も、日本人が平安に、安泰に過ごすためには、今年がターニングポイントになるようです。
日本人が日本人としての「誇り」と「謙虚さ」を民族の特質としていつまでも、持ち続けていくことが、永遠に日本民族が生き残る術なのでしょう。
はっきり感じることは、この日本に住む日本人よりも、他国に住む日本民族の人たちのほうが、宇宙に仕組みを無意識に理解しているように感じます。
一番、忘れてしまっているのが、実は、この日本に住む、日本人なのかもしれません。
そういう意味で、もう一度、日本語の中に潜む「神」という文字を真剣に意識してみてはいかがでしょうか?
きっと、太古の時代の意識を思い出すかもしれません。
そうすれば、きっと、様々な疑問も、解決するやもしれません。
神降ろし、神懸かり、神隠し、神さびる、神棚、神頼み、神無月、神代、神業、神意、神威、神域、神韻、神苑、神火、神格、神学、神学校、神官、神姫、神気、神技、神器、神祇、神鏡、神宮、神経、神経質、神経衰弱、神経痛、神剣、神権、等など。
まだまだ、「神」の含んだ単語がありますが、それでも、日本人は、いえ、学者や文化人たち、アカデミズムは、「神」を認めてはいないのです。
見えないはずの原子核は認めているというのに…。
これって、本当に不思議です。
私は、来年も、再来年も、その次の年も、その次の年も、考え続けたいと存じます。
それが、カウンセリングにも何か、いい結果をうむような気がします。
来年は、良いとしてありますように…。
日本人の覚悟を世界に示すことが出来ますように…。
今年も今日で、とうとう最後の日となりました。
2011年は、日本の歴史の中で、最も忘れられない年になるでしょう。
日本人が、こんなに窮地に陥る時は、何かの啓示なのではないでしょうか?
今年ほど、「神」の存在を、確かめたかった年もありませんでした。
もし、神がいるのならば、なぜ、この日本に震災と津波と原爆の三重苦を課したのかを、お聞きしたい…。
でも、高次元のレベルの神々は、そんなことには、きっと答えてはくれないでしょう。
それを知りたければ、自分の直感を磨くしかない、と感じる次第です。
私にとっても、今年は、カウンセラーとしても、もう一段飛躍すべき年となりました。
そして、ますます、疑問も湧いてきた1年でした…。
心理カウンセラーは、心の悩みをお聞きして、改善する仕事ですが、医者では、その分野は、精神科や神経科の分野になります。
これが、私には、全く腑に落ちません。
皆さん、おかしいと思いませんか?
神を否定する、科学や医療の分野において、なぜ、神の文字が付く「精神科」や「神経科」何でしょうか?
全く解せません。
モノやコトの概念は、その本質や性質や機能を表します。
心理学も、本来、おかしな言葉なのですよ。
心を理するって、一体、どうするんでしょうか?
古語では、理って、「コトワリ」ですが、心のコトワリって何?
日本人って、漢字にしてしまえば、なんとなく意味が解っているように、錯覚してしまうんですね。
本当は、何にも解らない…。
そういう意味で、精神科医って、何を直す医者なんでしょうか?
神経科医と、どう違うんでしょうか?
私なんて、もともと単純で、頭も決して良くないのですが、精神科医や神経科医といえば、何か「神様」のことを認めていて、理解していて、病気との関連を、きっちり解いてくれる偉い人というイメージがありますが、本当は、全く、神様とは無縁な人種が多いそうな…。
ご本人たちは、気持が悪いことはないのでしょうか?
自分の職業に「神」の文字が付いているという違和感に…。
私なら、きっと、無視できず、仕事そっちのけで、「神」という字がなぜ付くのか、徹底的に調べないと気が済みませんが…。
患者さんに対しても申し訳ないし、自分に対しても気持ちが悪い…。
考えてみれば、人間をとりまく中に、精神や神経という、「神」の文字が入っているということは、これは、きっと、本当は、大変な意味があるのでは?
60才を過ぎても、こんなことを悶々と感じている人間なんて、きっと、奇人変人と言われるのでしょうね〜。
でも、還暦を過ぎたからこそ、真剣に、「神」のことを考えられるのかもしれません。
神のことを考えていくと、色々、また別の疑問も湧いてきます…。
人間って、一生、疑問との闘いなのかもしれません。
そんな、様々なことを、未曾有の年の瀬に考えてしまうのも、きっと、偶然ではないようです。
来年、再来年、そして、その次の年も、また、その次の年も、日本人が平安に、安泰に過ごすためには、今年がターニングポイントになるようです。
日本人が日本人としての「誇り」と「謙虚さ」を民族の特質としていつまでも、持ち続けていくことが、永遠に日本民族が生き残る術なのでしょう。
はっきり感じることは、この日本に住む日本人よりも、他国に住む日本民族の人たちのほうが、宇宙に仕組みを無意識に理解しているように感じます。
一番、忘れてしまっているのが、実は、この日本に住む、日本人なのかもしれません。
そういう意味で、もう一度、日本語の中に潜む「神」という文字を真剣に意識してみてはいかがでしょうか?
きっと、太古の時代の意識を思い出すかもしれません。
そうすれば、きっと、様々な疑問も、解決するやもしれません。
神降ろし、神懸かり、神隠し、神さびる、神棚、神頼み、神無月、神代、神業、神意、神威、神域、神韻、神苑、神火、神格、神学、神学校、神官、神姫、神気、神技、神器、神祇、神鏡、神宮、神経、神経質、神経衰弱、神経痛、神剣、神権、等など。
まだまだ、「神」の含んだ単語がありますが、それでも、日本人は、いえ、学者や文化人たち、アカデミズムは、「神」を認めてはいないのです。
見えないはずの原子核は認めているというのに…。
これって、本当に不思議です。
私は、来年も、再来年も、その次の年も、その次の年も、考え続けたいと存じます。
それが、カウンセリングにも何か、いい結果をうむような気がします。
来年は、良いとしてありますように…。
日本人の覚悟を世界に示すことが出来ますように…。
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2011年12月28日
漢字の「絆」ではダメ、言霊的「キズナ」を意識しましょう。
おはようございます、。三宅です。
今年もあと数えるほどになってしまいました。
日本漢字能力検定協会は、今年を表す漢字を「絆」と発表したそうですね。
でも、この漢字「絆」は当用漢字ではありません。
ということは、この漢字「絆」を選ばなかったお歴々は、それほど必要でなかった文字ということでしょうか?
もう、日本人には、いらないと感じたからこそ、当用漢字にしなかった?
漢字を必要としないということは、その意味するところも重要でなかったのでは…。
かえって、何かを成し遂げるには、邪魔だった?
それなのに、震災や原発の爆発が起こってから、急に「絆」、「絆」と騒いでも、後の祭りと化す…。
だったら、登用漢字を選ぶ撰者たちも、日本人の意識にほど遠かった?
そうであれば、この日本が天変地変に見舞われるのも、あながちむべなるかな…。
漢字の意味は、もともとの作られた字源を調べると、とても怖い字が多いことに驚きます。
「幸」や「愛」や「民」等など…。
「絆」も、余りよい意味ではありません。だから、当用漢字には選ばれなかったのでは?
昔の中国(支那)という国を知れば、それも当然と言えるのでしょう。
覇者の治める国だから…。
応仁天皇より以前、約500年ほど前から漢字が日本に入って以来、また、聖徳太子が仏教を奨励して以来、殆どのエリートや学者は、漢字を駆使しなければ生きていけないというほどに、なっていたそうです。
そもそも、聖徳太子は、その当時の天皇を殺す側の人間だったのですね。
あのお札に乗った聖徳太子のお顔は真っ赤な偽物だそうですよ。
だけど、それを公にできないこの日本という国は、一体、何のために存続している国なのでしょうか?
こんな、ちっぽけな国なのに…。
歴史を繙けば繙くほど、悪人と善人が入れ代わっている国というのも珍しいし、世界に類を見ないのでは?
今の時代の、英語に毒されるよりももっと、奈良時代、平安時代は漢字に毒される人間が多く、それはそれは
、ひどかったのではないでしょうか?
もうそろそろ、漢字や英語の呪縛から離れて、日本古来の文字や古典を、もう一度、直感で感じて見る必要があるのではないでしょうか?
でないと…。
今年の「絆(きずな)」って、本当は、気繋(キズナ)ではないでしょうか?
キをつないでいく…。永遠に…。
「気を繋ぐ」とは、「気持をつなぐ」、「心をつなぐ」、或いは「魂をつなぐ」、もっと広い意味では「宇宙エネルギーをつなぐ」等など…。
要するに、人間同士の絆は、当たり前のコトなんですね。
本当は、宇宙の大いなる意識(神)と繋がることが、一番大切なコトで、それは真の「キズナ」という意味なのでは?
これは、自分の魂と繋がるコトであり、先祖と繋がるコトであり、そして、祖先の魂と繋がるコトであり、地球と、或いは、太陽系と、或いは、銀河系と、或いは…。
そういう風に考えると、何か、いっぺんに、この世の小さなコトなんて、どうでもよくなってしまいますね。
でも、今の現代人は、キはキでも、「黄をつなぐ」ではないでしょうか?
黄とは、即ち、黄色のモノ、それは、金。
金とは、まさしく、お金のこと。だから、今の時代で、キといえば金…。
金でつなぐ世の中。だから、金、金、金の世の中といってもちっともおかしくないのです。
人間の質が低下すれば、金、金、金、に振り回される人が当たり前になる。
心よりも、結局、お金が全て!!!
だから、気繋(キズナ)って、金繋(キズナ)では?
でも、金に降りまわされる人って、結局、金に捕らわれ、縛られてしまう。
要するに、「金縛り」と一緒では?
金の亡者になって、最後には、売るモノがなくなって、魂を売ってしまうってこと、かなあ〜。
だから、「絆」って、良いイメージがしないのですね。私は…。
「絆」を大切に、といえばいうほど、「絆」がない証拠。
本当に必要であれば、言挙げしないのですね。この国では…。
言挙げしないといけない、というところに、不自然さ、無理があるのです。
だから、これからは、漢字の「絆」ではなく、言霊的な「気繋(キズナ)」を意識するといいのではないでしょうか?
つくづく、そういう風に実感した次第です。
やっぱり、私の意見っておかしいですかね〜。
でも、一人でも、共感する人がいる信じて、これからもぼちぼち、書き綴ってまいります。
今年もあと数えるほどになってしまいました。
日本漢字能力検定協会は、今年を表す漢字を「絆」と発表したそうですね。
でも、この漢字「絆」は当用漢字ではありません。
ということは、この漢字「絆」を選ばなかったお歴々は、それほど必要でなかった文字ということでしょうか?
もう、日本人には、いらないと感じたからこそ、当用漢字にしなかった?
漢字を必要としないということは、その意味するところも重要でなかったのでは…。
かえって、何かを成し遂げるには、邪魔だった?
それなのに、震災や原発の爆発が起こってから、急に「絆」、「絆」と騒いでも、後の祭りと化す…。
だったら、登用漢字を選ぶ撰者たちも、日本人の意識にほど遠かった?
そうであれば、この日本が天変地変に見舞われるのも、あながちむべなるかな…。
●絆 「糸+半」ひもをぐるぐる巻いてからめること)。
意味は、ほだし。きずな。馬の足にからめてしばるひも。また、人を束縛する義理・人情などのたとえ。つなぐ。ほだす。しばって自由に行動できなくする。
●糸 絲は糸を二つ並べたもので、よりいとのこと。いま、糸を絲の略字に使ってシと読む。小さく細かい意。子(小さいこども)・巳(小さい胎児)・思(こまごまと考える)などと同系。
意味は、いと、もと、蚕の繭の繊維をよったもの。きぬいと。のち、織物の原料になるよりいとをすべて糸という。いとのように細い線をなしたもの。管楽器に対してことや琵琶など、弦楽器のこと。割合をあらわすことば。ぬいいと。
●半 「牛+八印」で、牛は物の代表、八印は、両方にわける意を示し、何かを二つにわけること。班(わける)・判(わける)と同系。
意味は、なかば。二つに等分した片方。なかばする。半分に達する。わかつ。半分にわける。はん。さいころの目で、奇数。
漢字の意味は、もともとの作られた字源を調べると、とても怖い字が多いことに驚きます。
「幸」や「愛」や「民」等など…。
「絆」も、余りよい意味ではありません。だから、当用漢字には選ばれなかったのでは?
昔の中国(支那)という国を知れば、それも当然と言えるのでしょう。
覇者の治める国だから…。
応仁天皇より以前、約500年ほど前から漢字が日本に入って以来、また、聖徳太子が仏教を奨励して以来、殆どのエリートや学者は、漢字を駆使しなければ生きていけないというほどに、なっていたそうです。
そもそも、聖徳太子は、その当時の天皇を殺す側の人間だったのですね。
あのお札に乗った聖徳太子のお顔は真っ赤な偽物だそうですよ。
だけど、それを公にできないこの日本という国は、一体、何のために存続している国なのでしょうか?
こんな、ちっぽけな国なのに…。
歴史を繙けば繙くほど、悪人と善人が入れ代わっている国というのも珍しいし、世界に類を見ないのでは?
今の時代の、英語に毒されるよりももっと、奈良時代、平安時代は漢字に毒される人間が多く、それはそれは
、ひどかったのではないでしょうか?
もうそろそろ、漢字や英語の呪縛から離れて、日本古来の文字や古典を、もう一度、直感で感じて見る必要があるのではないでしょうか?
でないと…。
今年の「絆(きずな)」って、本当は、気繋(キズナ)ではないでしょうか?
キをつないでいく…。永遠に…。
「気を繋ぐ」とは、「気持をつなぐ」、「心をつなぐ」、或いは「魂をつなぐ」、もっと広い意味では「宇宙エネルギーをつなぐ」等など…。
要するに、人間同士の絆は、当たり前のコトなんですね。
本当は、宇宙の大いなる意識(神)と繋がることが、一番大切なコトで、それは真の「キズナ」という意味なのでは?
これは、自分の魂と繋がるコトであり、先祖と繋がるコトであり、そして、祖先の魂と繋がるコトであり、地球と、或いは、太陽系と、或いは、銀河系と、或いは…。
そういう風に考えると、何か、いっぺんに、この世の小さなコトなんて、どうでもよくなってしまいますね。
でも、今の現代人は、キはキでも、「黄をつなぐ」ではないでしょうか?
黄とは、即ち、黄色のモノ、それは、金。
金とは、まさしく、お金のこと。だから、今の時代で、キといえば金…。
金でつなぐ世の中。だから、金、金、金の世の中といってもちっともおかしくないのです。
人間の質が低下すれば、金、金、金、に振り回される人が当たり前になる。
心よりも、結局、お金が全て!!!
だから、気繋(キズナ)って、金繋(キズナ)では?
でも、金に降りまわされる人って、結局、金に捕らわれ、縛られてしまう。
要するに、「金縛り」と一緒では?
金の亡者になって、最後には、売るモノがなくなって、魂を売ってしまうってこと、かなあ〜。
だから、「絆」って、良いイメージがしないのですね。私は…。
「絆」を大切に、といえばいうほど、「絆」がない証拠。
本当に必要であれば、言挙げしないのですね。この国では…。
言挙げしないといけない、というところに、不自然さ、無理があるのです。
だから、これからは、漢字の「絆」ではなく、言霊的な「気繋(キズナ)」を意識するといいのではないでしょうか?
つくづく、そういう風に実感した次第です。
やっぱり、私の意見っておかしいですかね〜。
でも、一人でも、共感する人がいる信じて、これからもぼちぼち、書き綴ってまいります。
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2011年12月23日
「覚悟して生きる」人が、これからの変革の時代を担える人…。
おはようございます。三宅です。
間もなく、年も暮れてしまいますが、来年に向かって、何か書こうと思ったのが、今回のテーマ「覚悟」です。
世の中で、覚悟を持って生きている人って、本当に素晴らしいですが、それもほんの一握り。
すぐに思い当たるのは、橋下新市長ぐらい?
覚悟を持てば、波動が全く違うのです。持っていない人とでは…。
違いが解りますか…。
だから、「覚悟を持つ」って、本当に大事なことですね。
スポーツ選手には、これが一番必要だと思います。
ダルビッシュには、「覚悟」をもって、挑戦してほしいです。
勝負の世界で生きる人でも、覚悟のない選手が多すぎますが…。
一般の私たちも生きるためには、これが一番必要なことなのです。
私のカウンセリングルームでも、本当に、変わりたい、直りたい、と切実な人ほど、セッションはスムーズに進みます。
覚悟があるかないかの違いでしょうか?
私の力なんて、本当は必要としないのですね。覚悟を持たれて来られる方々は…。
その違いは、現象にとらわれ過ぎているかどうか?
病気の事ばかり。
他人の事ばかり。
結婚の事ばかり。
仕事の事ばかり。
要するに、自分の内面をじっくり観ようとしない、出来ない。
自分の内面を観るのには、大変な勇気、エネルギーがいるのです。
特に、嫌な面を見るには…。
だから、「覚悟」をしておられるかどうか、が一つのバロメーターになるのですね。
3.11以来、とみに、血迷っておられる方が多すぎます。
心配症というか、悩み癖というか、病気になりたい症というか、人に頼りたい症というか…。
本当に精神を病んでおられる方は、非常に少ないのです。
にもかかわらず、神経科の門をたたく人は、数あまた。
要するに、心が壊れるほど、あるいは 、精神が割れるほど、真剣に悩んでい方は、非常に少ないのです。
蔓延な、心配症状群とでもいいましょうか…。
だから、なかなか、潔く、直らない、変わらない。ダラダラと悩み続ける、いえ、そういう風に思い込む。
心底、悩みに悩み抜けば、その反動で、改善も早いのです。
覚悟をもって、心底、悩むというか…。
悩むことにも、膨大なエネルギーが必要なのです。
だから、トコトン悩む前に、あきらめてしまい、安易に、精神科や神経科のドアをたたくのです。
うわべだけで悩んでいる。
そして、お医者さんの手にかかり、どっぷりと薬付け…。
形のある薬では、形のない心の悩みは、100%は解決しないのですが…。
そして、次から次へと、テンテンとはしごして廻る。
そして、決して、誰も信用しない、いえ、出来ないのです。
自分自身を信じられないから、他人なんて、なおさら信用しない、出来ない。
そして、あの医者はダメ、このカウンセラーはダメ…。
薬に頼らないカウンセリングなんて、信頼関係がなかったら、全く成功しない、のです。
心と心の通じ合う一瞬があるから、改善するのです、人間って…。
そう、感じませんか?
世の中の医者はドンドン増え続けるのに、なのに、一向に、患者は減らない。
薬はドンドン開発されるのに、なのに、一向に、病気はなくならない。
これって、「何か、変?」 って感じませんか?
真理から、はずれているって?
真理を追求するにも、膨大なエネルギーがいる…。
この世を生きていくにも、強いエネルギーがいるのです。
そのエネルギーが出るのは、「覚悟」から、でしょうか。
「覚悟」さえあれば、心の悩みなんて起こってこないのでしょう。
ジタバタ、クヨクヨ、ヨタヨタ、イライラ、ドキドキ、ムラムラ、ウロウロ、オロオロ、カリカリ、キリキリ、ネチネチ、ノロノロ、ハラハラ、メロメロ等など。
覚悟からは、無縁な感情です。
身体の真中に一本の大きな柱が通っていて、地面からどっしりと根をはっているイメージをすることです。
それが、どこまでもどこまでも伸びていて、大空を突き抜け、天にも届いているイメージです。
それが、いわゆる、センターリングであり、グランディングであり、日本的には、天の御柱でしょうか。
神を数えるのに、一柱、二柱、三柱…。
そう、私たち人間は、すべて天からの子どもです。「天子」。
そして、生きる目的が、使命、そう、天の使命であり、「天使」。
全ての人類が…。なぜなら、人間は、万物の霊長だから…。
人間が人間を救うなんて、おこがましいのです。
人間は、人間以外の生物を救う役目で産まれてきたのです。
そういう「覚悟」のできた人だけが、人間を救い、それによってまた、自分自身が救われるのでしょう。
だから、私のセッションでも、私が直すのではない、変わるのではない、ご本人が覚悟して来られるから、変わる、直るのですね。
私は、人生において、成功したり、幸せになったりというのは、この「覚悟」が大きく左右すると実感しています。
覚悟をした時から、自分の人生を歩んだ、と感じています。
私の覚悟とは、今世の「三宅麗子」を全うするには、
結婚は一回のみ。決して、再婚はしない。
夫も一人のみ。この世ではだた一人。
子供も一人のみ。もちろん、最愛の子供です。
パートナーも一人のみ。尊敬する人です。
最後は、一人で潔く死ぬのみ。
そのためには、潔く今を生きるのみ。
きっぱり生き切るのみ…。
私の幸せ観とは、今現在、生活する中で、嫌いな人間が一人もいない環境で生活すること。
それが、理想であり、どうやら、願いも叶ってきております。
後は、覚悟を決めて、毎日を潔く生きていきたいという思いでいっぱいです。
カウンセリングのセッションも、そういう思いでやっております。
来年も、そういう思いで、生き切っていきたいと存じます。
やっぱり、真理にめざめることって、大事なことなんですね〜。
真理は、自分で探さないと、だれも教えてはくれません。
「覚悟」とは、持てるエネルギーを存分に使い果たして、真理を追求することではないでしょうか?
それを一生懸命、心がけると、悩みなど起こってこないのではないでしょうか?
得にもならないことを、一心不乱に「覚悟」して、やり続けた者だけが、真の幸福を手に入れることができる?
と、信じて、来年も、大いに「覚悟」して、真理の追求に邁進しようと、心の中で決心いたしました。
間もなく、年も暮れてしまいますが、来年に向かって、何か書こうと思ったのが、今回のテーマ「覚悟」です。
世の中で、覚悟を持って生きている人って、本当に素晴らしいですが、それもほんの一握り。
すぐに思い当たるのは、橋下新市長ぐらい?
覚悟を持てば、波動が全く違うのです。持っていない人とでは…。
違いが解りますか…。
だから、「覚悟を持つ」って、本当に大事なことですね。
スポーツ選手には、これが一番必要だと思います。
ダルビッシュには、「覚悟」をもって、挑戦してほしいです。
勝負の世界で生きる人でも、覚悟のない選手が多すぎますが…。
一般の私たちも生きるためには、これが一番必要なことなのです。
私のカウンセリングルームでも、本当に、変わりたい、直りたい、と切実な人ほど、セッションはスムーズに進みます。
覚悟があるかないかの違いでしょうか?
私の力なんて、本当は必要としないのですね。覚悟を持たれて来られる方々は…。
その違いは、現象にとらわれ過ぎているかどうか?
病気の事ばかり。
他人の事ばかり。
結婚の事ばかり。
仕事の事ばかり。
要するに、自分の内面をじっくり観ようとしない、出来ない。
自分の内面を観るのには、大変な勇気、エネルギーがいるのです。
特に、嫌な面を見るには…。
だから、「覚悟」をしておられるかどうか、が一つのバロメーターになるのですね。
3.11以来、とみに、血迷っておられる方が多すぎます。
心配症というか、悩み癖というか、病気になりたい症というか、人に頼りたい症というか…。
本当に精神を病んでおられる方は、非常に少ないのです。
にもかかわらず、神経科の門をたたく人は、数あまた。
要するに、心が壊れるほど、あるいは 、精神が割れるほど、真剣に悩んでい方は、非常に少ないのです。
蔓延な、心配症状群とでもいいましょうか…。
だから、なかなか、潔く、直らない、変わらない。ダラダラと悩み続ける、いえ、そういう風に思い込む。
心底、悩みに悩み抜けば、その反動で、改善も早いのです。
覚悟をもって、心底、悩むというか…。
悩むことにも、膨大なエネルギーが必要なのです。
だから、トコトン悩む前に、あきらめてしまい、安易に、精神科や神経科のドアをたたくのです。
うわべだけで悩んでいる。
そして、お医者さんの手にかかり、どっぷりと薬付け…。
形のある薬では、形のない心の悩みは、100%は解決しないのですが…。
そして、次から次へと、テンテンとはしごして廻る。
そして、決して、誰も信用しない、いえ、出来ないのです。
自分自身を信じられないから、他人なんて、なおさら信用しない、出来ない。
そして、あの医者はダメ、このカウンセラーはダメ…。
薬に頼らないカウンセリングなんて、信頼関係がなかったら、全く成功しない、のです。
心と心の通じ合う一瞬があるから、改善するのです、人間って…。
そう、感じませんか?
世の中の医者はドンドン増え続けるのに、なのに、一向に、患者は減らない。
薬はドンドン開発されるのに、なのに、一向に、病気はなくならない。
これって、「何か、変?」 って感じませんか?
真理から、はずれているって?
真理を追求するにも、膨大なエネルギーがいる…。
この世を生きていくにも、強いエネルギーがいるのです。
そのエネルギーが出るのは、「覚悟」から、でしょうか。
「覚悟」さえあれば、心の悩みなんて起こってこないのでしょう。
ジタバタ、クヨクヨ、ヨタヨタ、イライラ、ドキドキ、ムラムラ、ウロウロ、オロオロ、カリカリ、キリキリ、ネチネチ、ノロノロ、ハラハラ、メロメロ等など。
覚悟からは、無縁な感情です。
身体の真中に一本の大きな柱が通っていて、地面からどっしりと根をはっているイメージをすることです。
それが、どこまでもどこまでも伸びていて、大空を突き抜け、天にも届いているイメージです。
それが、いわゆる、センターリングであり、グランディングであり、日本的には、天の御柱でしょうか。
神を数えるのに、一柱、二柱、三柱…。
そう、私たち人間は、すべて天からの子どもです。「天子」。
そして、生きる目的が、使命、そう、天の使命であり、「天使」。
全ての人類が…。なぜなら、人間は、万物の霊長だから…。
人間が人間を救うなんて、おこがましいのです。
人間は、人間以外の生物を救う役目で産まれてきたのです。
そういう「覚悟」のできた人だけが、人間を救い、それによってまた、自分自身が救われるのでしょう。
だから、私のセッションでも、私が直すのではない、変わるのではない、ご本人が覚悟して来られるから、変わる、直るのですね。
私は、人生において、成功したり、幸せになったりというのは、この「覚悟」が大きく左右すると実感しています。
覚悟をした時から、自分の人生を歩んだ、と感じています。
私の覚悟とは、今世の「三宅麗子」を全うするには、
結婚は一回のみ。決して、再婚はしない。
夫も一人のみ。この世ではだた一人。
子供も一人のみ。もちろん、最愛の子供です。
パートナーも一人のみ。尊敬する人です。
最後は、一人で潔く死ぬのみ。
そのためには、潔く今を生きるのみ。
きっぱり生き切るのみ…。
私の幸せ観とは、今現在、生活する中で、嫌いな人間が一人もいない環境で生活すること。
それが、理想であり、どうやら、願いも叶ってきております。
後は、覚悟を決めて、毎日を潔く生きていきたいという思いでいっぱいです。
カウンセリングのセッションも、そういう思いでやっております。
来年も、そういう思いで、生き切っていきたいと存じます。
●覚悟の「覚」
學の上の字は「両手+×印に交差するさま+宀(いえ)」の会意文字で、爻と同系のことば。片方が教え、他方が受け取るという交差が行われる家を示す。學(=学)の原字。覺は「見+學の上の字」で、見聞きした刺激が一点に交わってまとまり、はっと知覚されること。交(交差する)・較(交差させてくらべ)などと同系。
意味は、おぼえる。ぼんやりした意識が、はっとかみあう。いろいろな感覚がかみあって、一つにまとまる。意識する。さとる。さとす。さとり。はっと気がついてそれを理解する。わからせる。そうかと思い当たること。人に知られる。気付かれる。さめる。はっと気付いて目ざめる。また、その状態。うつつであるさま。記憶する。おぼえ。記憶。なた、評価や信用。
●覚悟の「悟」
五は、×型に交差するさまを示す指事文字。吾は、×型に交差してかたり合うことで、語(対話する)の原字。悟は「心+吾」で、神経が分散せず×型にある一点で興っして、はっと思い当ること。
意味は、さとる。さとす。思いあたる。ああそうかと理解する。また、理解させる。さめる。ねむりからさめて気がつく。さとり。なるほどと道理にめざめること。仏道の真理にめざめること。
やっぱり、真理にめざめることって、大事なことなんですね〜。
真理は、自分で探さないと、だれも教えてはくれません。
「覚悟」とは、持てるエネルギーを存分に使い果たして、真理を追求することではないでしょうか?
それを一生懸命、心がけると、悩みなど起こってこないのではないでしょうか?
得にもならないことを、一心不乱に「覚悟」して、やり続けた者だけが、真の幸福を手に入れることができる?
と、信じて、来年も、大いに「覚悟」して、真理の追求に邁進しようと、心の中で決心いたしました。
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