いつの頃からか「Super Happy」をテーマに絵を描いていますが、もともと明るい絵ばかりを描いていた訳ではありません。むしろ昔は暗い攻撃的な絵を描いていました。駆け出しの頃、世の中を睨みつけながら、思うように認めてもらえない苛立ちをそのままキャンパスにぶつけている様は、思春期の不良のようでした。
怒りの対象はなんだったか考えてみると、自分の絵を評価しない学校の先生であり公募展の審査員であり、そういった人たちをクソくらえと思いつつ、あえてシニカルに王道を踏みにじるような作品制作を続けていました。しかしそんな戦いの相手は、学校を卒業すると同時にいなくなりました。皮肉なことにまったくの自由の身になった途端、戦う相手を失い、同時に絵を描く目的を失いました。慌てて次の怒りの矛先を探しました。世の中の不条理、資本主義、政治、、しかし当時ロンドンに住み、自由を手にした僕は、嫌ならそこにいなければいい、世界中どこで住んでもいいじゃないかと考えており、もはや怒ることより、どうこの世界を楽しむかしか興味がありませんでした。
そんな中、次第に人生をエンジョイする気持ちをポジティブに描くのもありじゃないか?と思うようになりました。抗う絵から楽しむ絵に変わり、少しずつ自分自身も変化していき、ついには「Super Happy」というキーワードにたどり着きました。とにかく僕の人生には「自由」が最重要事項であり、「楽しむこと」が行動原理になっています。自分の人生は全て自分自身が選択をした結果であり、全てが最高の選択だったと信じているのです。

怒りの対象はなんだったか考えてみると、自分の絵を評価しない学校の先生であり公募展の審査員であり、そういった人たちをクソくらえと思いつつ、あえてシニカルに王道を踏みにじるような作品制作を続けていました。しかしそんな戦いの相手は、学校を卒業すると同時にいなくなりました。皮肉なことにまったくの自由の身になった途端、戦う相手を失い、同時に絵を描く目的を失いました。慌てて次の怒りの矛先を探しました。世の中の不条理、資本主義、政治、、しかし当時ロンドンに住み、自由を手にした僕は、嫌ならそこにいなければいい、世界中どこで住んでもいいじゃないかと考えており、もはや怒ることより、どうこの世界を楽しむかしか興味がありませんでした。
そんな中、次第に人生をエンジョイする気持ちをポジティブに描くのもありじゃないか?と思うようになりました。抗う絵から楽しむ絵に変わり、少しずつ自分自身も変化していき、ついには「Super Happy」というキーワードにたどり着きました。とにかく僕の人生には「自由」が最重要事項であり、「楽しむこと」が行動原理になっています。自分の人生は全て自分自身が選択をした結果であり、全てが最高の選択だったと信じているのです。
