MIYAZAKINGDOM

ミヤザキケンスケ オフィシャルブログ

2007年05月

fd4ef3d7.JPG 今日は熱中時間で知り合ったリサーチャーの方に、ずうずうしくもランチをご馳走になり行ってきた。お洒落なカフェでランチをとりながら、同じ会社の方たちにも紹介してもらった。その中に誰でもピカソのリサーチをやられている方がおられて、自分のポートフォーリオを見せる機会があった。
 久しぶりに自分の作品を説明する機会があり、時間をかけて自分の作品について話をした。過去から振り返ると自分もずいぶん変わったなぁという驚きもあった。。。学生のころは空間造形をやっていて、作品自体にどちらかというとパフォーマンス的な要素があったのだが、最近では壁画や小さいサイズの絵画といった平面ばかり作っている。
 しかしこうやって並べてみると、何か物足りなさを感じた。まだ自分の思いは表現し切れていない。。表現したいことの部分部分は見えるけど、まだそれがキチンと形になっていない。100号の絵を1ヶ月かけてじっくり制作していくような作業が、いまの自分には必要のような気がした。落ち着いて制作に没頭している時間があまりにも少ない。。。
 そしてそんな絵を10枚ぐらい集まった時点で展覧会を開けば、もしかしたら次のステップが見えてくるかもしれない。今、自分に足りないのはそういうことだと思う。

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7612c734.JPG 今日は登戸に行って来た。本番は7月14日からなんだけど、それに先駆けて6月30日にライブペイントをする。登戸の駅からすぐのダイエーで、結構デカイ画面に描くんだけど、なんだかこういうイベントも場数を踏んで慣れてきたな。。。
 そのペイントの前日には川崎のFMラジオにも出演する。スタッフのがんばりでそれなりにアーティストとして扱ってくれるのがとても嬉しい。なるべく親しみやすく、しかし安売りはしないように。このライン取りがとても難しい。

 そんな中、今日おもしろいおっさんに会った。

 この人は登戸の別口の祭の責任者のような人なのだが、いかにも成金社長の風格を持った人だった。オレがアーティストだということで、無邪気に色んな意見をぶつけてくる。オレの絵をちらりと見て


成金   「あーあれみたいだね。なんだっけ、ヒロなんとか」

ミヤケン 「ヒロ・ヤマガタですか?」

成金   「そうそう、あれだねー。オレは彼が売れる前から知ってるんだよねー。あ、絵をね。今はもうすごいよねー彼」

ミヤケン 「はあ、そうですねー」

成金   「やっぱ絵の世界も一発当たるかどうかだねー。当たれば価値が何十倍にもなっちゃうもんねー。どこでどうころぶか分かんないし、彼ぐらいになれれば大したもんだけどねえ」

ミヤケン 「・・・」

成金   「君にポスター描いてもらっといて、後々君が有名になったら自慢できるなー。それが楽しみで若い人を使ってるんだよねー」


 うーん、そうだ。普通の人から見たらそういうことなんだ。絵描きはみなヒロ・ヤマガタやラッセンを目指していると思ってるんだ。そんで有名になって絵が売れて、昔の作品の価値までつりあがる、まさしくマン馬券だ。

 分かりきってたことなのに、ビックリした。そこに精神論とか主張とかは関係ない。売れたか売れないか。メジャーかメジャーじゃないか。金か紙くずか。。。全然違うんだけど、違わない。

「悔しかったら紙くずを金にかえてみんかい!!」そんな声がどこからか聞こえてきそうな帰り道だった。



d3fb751e.JPG 最近仲良くしていたドイツ人の友達が国に帰ってしまった。彼づてに日本に来ている外国人達と遊ぶことがあるのだが、気楽に話せてとても楽しい。英語だからか、いいたいことがストレートに言えてストレスのない付き合いができる。

 なぜだろう?日本語よりも英語の方がずっと自分を魅力的に表現できる。もしかしたら日本語だと無意識に自分を過小評価してしゃべっているのかもしれない。へんに遠慮してるのかなあ。。。
 たとえばそのドイツ人の友達ベンは、EUで働いてる言わば超エリートだ。だけどそんな彼に畏まる必要はないし、お世辞なんて言う意味もない。ただ友達として付き合えばいい。
 だけど日本の人と話すときはそうもいかない。自己紹介の後、必ず仕事の話になり、ある程度お互いのステータスを説明し合う必要がある。だから誰がどこで働いているかっていうことは、最も強い印象としてその人を認識するし、下手したら名前より会社名でその人を覚えていることの方も多い。。。
 
 それはよくない。だけど自分もそうしてしまう。しかしこれから意識してその辺も変えていきたいと思う。せっかく2年も海外で暮らしてたんだから、いいところは吸収しないと損だ。

d7f839fd.JPG 登戸フェスの進行が思わしくなく、おそらく直前詰め込み制作を余儀なくされることとなった。。。予想はしていたが、また地獄を見ることになるかもしれない。しかもフェスの二日後には友達の結婚式、そこで幹事なんか引き受けちゃうんだから馬鹿は死ぬまで治らない。
 もっと要領よく生きればいいのに、なぜかいつも大変な道を選んでしまう。そういえば結婚式の幹事ももう3度目だ。

「人生は誰に何をしてもらったかじゃなく、誰に何をしてやれたかである」

 という言葉があるけど、最後までそう言える人間であれればいいなと思う。年を食えばそれだけ現実的になるし、もっと利害関係で生きようとする。だけど人生を通してそういういき方を貫ければ、あるいは人の心に届く絵描きになれるかもしれない。

 すべては一つにつながっていく。一回しかない人生だから、自分にできることは全部やりたい。全ての物事を通して何か自分の中に、芯のようのものを作り上げたいと思うのです。

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4e682a1f.JPG 前回の日記に映っていたのは石坂浩二さん。熱中時間のゲストで来られたんだけど、記念に一枚撮ってもらいました。

 そうそう、MTVに出演を果たしました。なんでも「バリオ19」っていうMTVのDVDで、ダイナモっていうあやしいマジシャンにマジックを披露されていたらしい。。。っというのも知り合いが偶然そのDVDを見たらしく、いきなりミヤザキングが出てきてびっくりしたんだとか。。そういえばロンドンにいたとき、そんな撮影に出くわしたことがあったなーと思い出す。まったくただの通行人だったけどね(笑)。


 それにしても韓国から帰って来て、どうも調子がおかしい。帰ったその日に知り合いのパーティーに行ったんだけど、酔いと疲れから久しぶりにベロンベロンになってしまい、朝死にそうになりながら家にたどり着いた。そっからなにかがしっくりいかなくなった。。。
 東京に出てきて2ヶ月、自分なりに少しずつ前進できているように思う。絵も描けてるし、新しいプロジェクトも進んでる。だけどいまだに自分の居場所が見つかっていない気がするのは、東京という場所特有の病に侵されているからかもしれない。

 これから6月になり、登戸アートフェスで日々が忙殺されるされるだろう。熱中時間のロケも入ってくるかもしれない。この街に根を下ろす基盤のようなものを自分で作れないと、忙しさの中でいつか自分は瓦解してしまう。
 自分のモチベーションを常に高いところに置くことが、一番難しいことであり大切なことでもある。自分自身の環境作りを、これからもっと自発的に行っていかなければならないと感じ出した。


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784f246f. 岐阜から帰ってきて、間髪入れずに熱中時間100回記念の扉絵を描き出した。スタッフの方も徹夜作業の後だから、適当なところで切り上げてねと気を使ってくれたのだけど、どうにも止まらなかった。止まらなかったというか、止まりたくなかった。
 最初のセットからここまで、熱中時間用にゆっくりと絵を描いた思い出がない。いつも撮影の合間に描き上げたり、恵那像園のようにギリギリの状況で仕上げたりと、何かと時間に追われている。もっと描きたい気持ちは満々にあるのだけれど、周りに迷惑をかけるわけにもいかないので、ある程度のところで見切りをつけて終わらせることが多い。。。
 しかし今回の扉絵制作には丸一日スタジオを用意してくれて、しかも貸しきりというすばらしい条件だった。ずっとカメラに撮られていたプレッシャーからの開放もあり、純粋に描くことが楽しかった。テレビとか仕事とか関係なく、描き出した絵は最後まで仕上げたいという、幼稚園児のような無邪気さで完成させた。
 薬丸さんをはじめとする出演者に加えて、この番組に関わっているスタッフも描き加えた。さすがに時間がなくて似てる似てないはあるけど、描いたことに意味がある。自分の今の基盤を作ってくれた人たちへの感謝の気持ちを込めたつもりだった。

 この100回記念の絵には色んなエピソードがあるのだけど、何せいま韓国にいるので、詳しくは帰国後でよろしくスムニダ。神出鬼没は生まれつき、スキあらば外の空気を吸いたいのさ。土曜日には帰ります。アンニョン!!



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f47f9e56.jpg 時として自分はものすごい集中力を発揮するときがある。あの3日連続で描き続けたセット画のときのように、ケニアのマゴソスクールに描いた壁画のように、あいのりで行ったフィリピンの壁画のときのように。描き終わった瞬間に命が尽きてしまいそうなほど強く輝く瞬間がある。それで自分の生き様が証明できるのなら、描きながら死ぬのもいい、そのときは本当にそんなことを考える。
 疲れた身体も、まどろむ神経も、ある一線を越えると急に活気を取り戻す。あたりが白んでくるとともに、今回もそれを体験した。結局昼まで描くことになったが、それでも良くぞ仕上げたというほど立派な看板が一日で仕上がった。


 しかし問題はむしろその後だった。看板を建てる土台が必要なのだ。野外に設置する以上、台風が来ても飛ばされないぐらいしっかりとした土台を作らなければならない。急遽山から丸太を引き摺り下ろし、それを土台にすることになった。徹夜でヘロヘロの身体に鞭を打って、最後の作業に取り掛かる。近所の人たちに手伝ってもらい、急ピッチで作業は進む。。。

 全ての準備が整ったのは夕方近かった。最後はディレクターもカメラマンも今井さんも近所の人たちもみんなみんな手伝ってくれた。とても一人じゃ完成しなかったこの看板、だけどそこに意味があるのだと思う。アトリエから出て活動することで、こうして人とのつながりから作品が生まれる。それが素晴らしいのだと思う。


 最後に今井さんに看板をお披露目。彼はとても喜んでくれた。そして「あなたは象みたいな人だ」って言ってくれた。大きくて、力持ちで、やさしい人だと。

 象のことを心底愛している彼だからこそ出たその言葉が、とても胸を打った。絵は技術じゃない、気持ちなんだっていうのを本当に感じた瞬間でした。そして絵を描くことでまた一つ自分も大きくなれたような気がしました。



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04261b37.JPG さて、今井さんの象園に対する熱い思いに感動したオレは、ここに大きな看板を作ろうという提案をした。なにせ広い土地にポツンとプレハブがあるだけである、人はなかなか足を止めないだろう。考えた結果、(6メートル×2メートル)の巨大看板を作ることにした。このサイズの壁画ならわけないが、看板を土台から作るのはかなり大変だ。すでに夕方になっていたが、材料の買出しに近くのホームセンターへ向かった。
 素材はトタン、ペイントは屋外用のペンキ。材料を購入して早速看板を作り出すが、トタンを木枠に張る作業でも相当大変だった。全ての作業は一人で行われ、カメラマンとお水ディレクターは一切手を貸さない。6メートルのパネルを2つに分けて制作したが、それはそれが一人で持ち上げれるギリギリのサイズだったからだ。
 看板を作り始めて2時間ほどたったころ、ポツリポツリと雨が降り出した。真っ暗な広い空き地にライト一つでの作業である、夜はまだ冷えるし雨で作業ははかどらない。それでも一時ごろまでがんばったが、パネルを一つ作り終えたところでその日は終了することにした。

 こういうのは初めてだった。次の日も朝からしだいに天候が崩れていき、昼過ぎから雨になった。パネルこそ作り上げたもののその後の作業が一向に進まない。急遽雨よけのテントを自分でこしらえるが、完成の5分後には風で吹き飛ばされてしまった。。。雨はしだいに嵐に変わり、近くで雷鳴がとどろく。塗ったペンキも雨で流れ落ち、一向に乾く気配がない。。。

 描きたくても描けない。これほどもどかしいことはない。ロケは明日まで、本当に描き上げることができるんだろうか?雨でずぶぬれになったつなぎを着て途方にくれるオレ。そしてそんな姿を撮るカメラマン。ランドリーでパンイチのディレクター。
 ここであきらめるわけにはいかない。今井さんにお願いして、近所の屋根のある駐車場を使わせてもらえることになった。急いでパネルと絵の具を移動させ、作業に取り掛かる。しかしペンキの乾きは限りなくスローだ。。。「今回ばかりは無理かもしれない」そんな思いが頭をよぎる。。。
 しかしずっとオレを撮り続けているカメラマンのこと、少しでもオレにいい環境を提供しようとしてくれるディレクターのこと、そしてなにより毎食ごとに山ほどの食材を届けてくれる今井さんのことを考えると、あきらめるわけにはいかない。

 夜が更けると共に、少しずつ絵の具ものるようになってきた。。。


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e12dc2ef.JPG それでは怒涛の岐阜ロケ&100回記念ペイントの日記を更新しようと思います。


 岐阜ロケの初日は東京駅で待ち合わせ。スタッフの要請でオレはつなぎで現地集合だったのだが、今思い返せばこの時から昨日の収録が終わるまで、オレはずっとつなぎを着っぱなしだった。。。それほど忙しく、絵を描きっぱなしの5日間だったということだが、このときはまさかそんなことになるとは夢にも思わず、ちょっとした旅行気分で集合場所に駆けつけた。
 今回のロケはお水上がりのディレクターとカメラマンとの3人チームという、ミニマムなかたちでのロケだった。久しぶりの新幹線で名古屋までいき、そこからは鈍行列車に乗り換えた。トンネルを抜けるたびに建物はまばらになり、しだいに田園風景が広がっていく。
 岐阜は母の故郷だ。小学生のころは毎年のようにおばあちゃんの家に遊びに行った。母親と兄弟四人で九州から多治見まで行くのだが、これが大旅行のように思えて、毎年毎年本当に待ちどうしかった。思えばこの時からオレの旅好きは始まっていたのかもしれない。
 岐阜県の恵那という場所に着き、そこから撮影は始まる。ちなみに今回の収録に台本はない。以前レポーターをすると書いたがそうではなく、ミヤザキケンスケが恵那象園をたずねるということ以外まったく何も決まっていないのだ。まあつまり好きなようにやれってわけ。。。あたりの人に「恵那象園」の場所を聞き、歩いてそこを探す。残念ながらほとんどその名を知る人はおらず、1時間ぐらい探し歩く羽目になったが、ようやくそれらしい場所にたどり着いた。
 
 恵那象園は・・・、ハッキリ言ってかなりヤバかった。ほとんど誰も通らない道の脇に、いきなりぽつんとプレハブ小屋が現れる。ゆるい象の絵が描かれた看板には「ようこそ!!恵那象園」とこれまたゆるーく書いてある。。
 しばし唖然としながら、とにかくプレバブ小屋に近づいてみる。すると鉄格子の中にでっかい象!!・・・の、置物があった。。。おっとこれは危険な香りがするではないかと、隣にあるプレハブ小屋をのぞいてみると、そこにも象の置物やらグッズやらが所狭しと陳列されている。どうやらここは象のコレクションギャラリーであるようだ。。。

 それにしてもこんなところに象のコレクションを展示して誰が見に来るのだろうか。。。?まあそんなことをいうオレもこうして東京からやってきてしまっているわけだが。。。軽い不安を抱えて立ちすくんでいるところに恵那象園の園長、今井さんが現れた。

 これから3日間、この今井さんには大変お世話になることになるのだが、優しく朗らかな方で、一瞬は象園の残念さにたじろいでしまったオレだったけど、話をしていくうちにすっかり彼の魅力に引き込まれ、気がつけば「恵那象園」ファンになっていた。


つづく


※最近は上位をキープしています。どうもありがとうございます。

昨日帰ったのが午前四時。そしていまから明日にかけてもう一枚デカイ絵を仕上げなければならない。
一見過酷なように思えるが、そうでもない。オレの絵を使ってもらえることがなにより嬉しいので、きつくはあっても辛くはないのだ。
今日描く絵も熱中時間の放送百回記念ということで、特別にペイントすることになった。何ヶ月前までは考えられないことだ。。。やはり巡って来たチャンスにがんばれたことがいまに繋がったんだと思う。だからこれからも一つ一つ一生懸命やっていこうと思います。

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