MIYAZAKINGDOM

ミヤザキケンスケ オフィシャルブログ

2008年11月

0775950a.jpg 先日取材していただいた渋谷文化プロジェクトの記事がアップされました!!

渋谷文化プロジェクト

 いやー渋谷の顔になっちゃいましたねー(笑)。ライターの方がとても丁寧に取材してくれて、出来上がりもすごく的確にまとめられてます。さすがですね!!ただ写真、すごい顔していますね。。
 まあこんな感じで岡本太郎さんを語ってしまったのですが、実際作品を生で見て思ったことは、エネルギーが半端じゃないこと。挑戦心というか対抗心というか、とにかくものすごい馬力で稼働している。作品の数もさることながら、その前のめりな生きざまはアーティストとしてマジで尊敬してます。。
 しかしオレも同じアーティスト。いつかは追いつくつもりでやんなきゃ面白くない。2016年にもしも東京でオリンピックが開催されるなら、ミヤザキケンスケは「太陽の塔」よりも高い塔か、もしくは「明日の神話」よりもでかい壁画を描くしかないでしょう。

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d1cf94f0.JPG 多治見のおばあちゃんの家に行ったのはおばあちゃんの葬式以来だから、ちょうど8年ぶりだった。その前は20歳のときに日本旅行をした時で、それが10年ぶりだったから大人になってからはほとんど行っていない。。
 おばあちゃんの家まで車で向かうのはとても変な感じがする。子供のころは多治見の駅からバスに乗って、ひたすら流れてくるアナウンスを聞いていた。「買物はアサヒショッピ〜」のアナウンスが流れると、おばあちゃんの家に着いた合図だった。
 自宅から車で来ると、あの記憶の場所が現実の世界につながってるんだってわかる。もちろん頭では分かってるんだけど、実際に目印の水道塔を発見した時、やっぱり不思議な気分だった。
 8年ぶりの多治見のおばあちゃんの家、おばあちゃんの代わりに母親が出迎えてくれた。変わってない家、懐かしいおばあちゃんの家のにおい。だけど、何かが違う。何かがこの8年間で薄まってしまった。懐かしい食器、懐かしい家具、毎年夏に帰ってくるたびに思い出を重ねていた場所が、なんだか普通の家に見えた。。
 バス停は変わっていなかったけど、水道塔は色が変わってた。毎日のように通っていたアサヒショッピがなくなっていたのはショックだった。あそこは多治見で一番好きな場所だったから。。おばあちゃんのショッピングカート、入口で焼いている五平もちのにおい、佐賀と違う牛乳パック、おいしいお好み焼。思い出の場所はもう記憶の中にしかない。
 おばあちゃんがいなくなってしまって、多治見の街も変わってしまったみたいだ。多治見の駅に行くと、駅は工事中だった。唯一覚えていたユニーがなかった。あそこは高級デパートで、アサヒショッピでは買えないものがあった。店に入るとずらっと並ぶフルーツの山、他所行きの服を買ってもらった記憶もある。
 もう20年も昔の話。町が形を変えるのはしょうがない。最後に丘の上の公園に行ってみたら、そこだけは昔のまんまだった。遠くに見える貯水タンク、流れてきた「夕焼けこやけ」。おばちゃんはやっぱりこの街に、記憶とともに生きている。懐かしく、切なく、そして温かい。やっぱりおばあちゃんと多治見の街は、オレの第二の故郷みたいです。


※小1のときにおばあちゃんに送ったはがき。滑り台から落ちた姿を、カモとり権兵衛の絵で表現しているあたり、素晴らしいセンスを感じます。

c1170101.JPG 小学校の頃、毎年夏休みになると、博多からブルートレインに乗って多治見のおばあちゃんの家に遊びに行った。寝台車に乗れる喜びで、前の日は全然眠れなかった。。
 兄弟でベットの上下を決めるジャンケンをする。うちには二段ベッドがないから、みんな上で寝たいのだ。ベッドが決まると早速カーテンをする。カーテンで仕切られた自分の寝床は、誰にもじゃまされない自分だけの空間。当時自分の部屋を持ってなかったオレには、それがとにかくうれしくて、新しいにおいのするシーツにうずくまり、ドキドキしながら夜を待った。
 自分だけの空間には、世界とつなぐ窓が付いていた。時々そっと顔をあげ、窓から夜の景色を眺める。通り過ぎる名も知らぬ駅、暗くそびえる家や木々。自分だけがその世界と通じているような、そんな感覚。遠くに見える光がなんだかとても怪しくて、思わず半分顔をかくしてこっそりと盗み見る。なんだか一人で大冒険に出ているような気がしていた。。
 いつの間にか眠りにつき、起きるともう夜は明けていてる。子供ながらにこの経験は不思議だった。福岡と名古屋の間には「夜の世界」があり、その「夜の世界」を越えるとおばあちゃんの家にたどり行く。童話のような不思議な記憶。。そうやって毎年母親と兄弟四人で、多治見のおばあちゃんの家に一カ月ほど遊びに行っていたのだ。

※おばあちゃんに送った手紙の絵。E.Tを描いてるから、おそらく4歳ごろの作品だと思われる。おっさんみたいな髪がある(笑)。

25133c7d.jpg 那須から帰ってきて、ほっとしたのもつかの間、いまから岐阜の多治見に行ってきます。

 多治見は母親の故郷、おばあちゃんが一人で住んでいた場所なんだけど、子供のころはよく遊びに行った。佐賀から多治見までの旅は、子供心に大旅行だったし、それは夏休みの恒例行事でもあった。
 おばあちゃんは10年ほど前に亡くなってしまい、いまは母親が時々誰もいなくなった家を手入れしに年に何度か行っている。今回はおばあちゃんに家の木を切らなければならないということで、オレも同行することになった。
 多治見に行くのはおばあちゃんの葬式以来。。あの場所は記憶の片隅にうっすら残ってる、忘れられない土地。夏休みの期間だけ滞在する第二の故郷。兄弟四人で遊んだ庭や、自分が生まれたときに植えられた木。アサヒショッピ、丘の上の公園、団地から聞こえるラジオ体操の音、縁側でスイカを食べながら見てた甲子園。。
 大人になった自分が行くと、どう見えるんだろう?とても楽しみなようで、少し怖い。。これから東京に出てきている親父を迎えに行って、車で向かいます。

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7ea273d9.jpg 喉はガラガラ、体がそこらじゅう痛い。。昨日の夜、ハードな那須合宿から帰ってきました。なんつーか笑いすぎ、なんつーかはしゃぎすぎ。近年まれに見るハイテンションな二日間でした(笑)。
 表参道に待ち合わせをして、東京を出たのが岡本太郎の取材を終えた夕方の5時半。しかし出発したはいいが速攻で渋滞につかまり、首都高を抜けるまでに2時間近くかかってしまった。。。しかしそれが一泊二日の旅に火をつけた。ヤバい、楽しまねーと終わっちまうじゃねーか!!
 那須の殻々工房についたのが9時半、そこからギャラリー側に用意していただいたおいしい料理をワインで乾杯(本当においしかったです、ありがとうございます!!)。自分の描いた絵に囲まれながら、おいしい酒を最高の仲間たちと飲む。これに増す幸せはなし!!しかも場所は那須の隠れ家的なお店で、貸切り!!大人になるって楽しーなーとマジで思いました。
 12時までお店で騒いで、それからは予約していたログハウスへ直行。5メートルはある長テーブルに酒を並べ、2度目の乾杯。どんだけ騒いでも誰も苦情を言わない山奥の一軒家。これ以上自由なシュチュエーションはない。もう何年か分は騒ぎ、笑い、そして飲んだ。。気づけば午前4時、誰かが外を見て言った。

「ヤバい、星がめっちゃきれいだ!!」

 その日の那須は、本当に抜けるようなクリアな空で、月が出ていない夜空には無数の星が瞬いていた。。アスファルトに寝そべって見上げた空、まるで学生時代のようにはしゃぎ疲れて、見上げた夜空は本当にきれいだった。。
 次の日も貫徹のまま合宿は続き、結局2日間話しっぱなしだった那須合宿。今日朝起きたらほとんど声が出なかった(笑)。

 これ以上ないいい旅でした。大人になっても思いっきり楽しめる仲間がいて、自分の絵がみんなをつなぐ役目をしていて、もう最高やね。これはもう恒例にするしかないでしょう。また来年も行きましょう!!


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ffbfaeaa.jpg 番組史上最年少、平成10年生まれの熱中人でした。昭和という時代が既に過去となし、収集の対象になっているのがちょっとショックでしたが、たしかに昭和レトロはかっこいいですね。納得できます。それにしても彼が将来作る昭和レトロな銭湯、どんな感じになるんですかねー、ぜひいつか行ってみたいなーと思います。

 今年になって熱中時間の収録がさらに楽しみになっています。なぜかというと、毎回さまざまなゲストの方がいらっしゃるから。いやーマジでテンションあがるよ。テレビでしか見たことのなかった方々が目の前に現れるんだもんなー、本当に役得というかなんというか。。
 こうなってくると、昔は雲の上の存在だった人とも会えたりするんじゃないだろうかと夢見てしまう。。ちなみに今、最も会いたい人は甲本ヒロトさん。これはぶっちぎりでしょう。小学校のころからのカリスマ、永遠のヒーロー。
 女性ならはなさん。これはもうしょうがない、理想の女性ですね。それからあこがれといったら子供のころからずっと会ってみたかったのは斎藤由貴さん。あの人の歌う歌は好きだったなー。テレビの中でしか存在しなかった人たちと現実に出会える、これは一つの夢だと思います。夢を実現するためにも、もっともっとがんばんねーとな!!

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b63b7d9e.jpg 最近は天気がいいですね。紅葉もきれいで、改めて自然の力はすごいなーと感じています。先日まで展示で週に何度か取手に行っていたのですが、その道沿いの家に柿の木が生えているところがあります。しかもそれが一軒や二軒じゃない、十軒以上に渡り何本も柿の木が生えていて、どれもたわわに実をつけている。赤い球状のものが枝という枝からぶら下がっている様子は、和風クリスマスツリーに見えなくもない。
 収穫の秋、食欲の秋、芸術の秋、スポーツの秋、読書の秋、秋には何かと名称がついていますが、確かに何かやりたくなるタイミングではあります。今日も天気がいいから散歩でもしようかなー。。

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67d75c27.jpg 昔から兄貴は身の周りのものにこだわりがあって、物を大切にしていたのに比べ、オレはまったくその逆。いいものを長く使う兄貴に対して、弟のオレはすぐにものを無くし、壊し、使い古した。。。
 反省すべき点は多々あるが、ダイナミックに生きればある程度の消費はしょうがない。ぴかぴかの靴じゃ入れないあぜ道をなりふり構わず歩いてきたのだ。
 時々、「何百年も後世に伝えられるようなものを作りたい」という作家がいるけど、オレの場合はまったくそうは思はない。自分が死ぬ瞬間にすべての作品は消滅してもいいとすら思う。それがドラマティックで痛快ではないか。

 しかし兄貴は違う。プロの建築家であり、デザイナーだ。素材にこだわり、耐性にこだわり、質のいいものを長く使えるように作り出す。だから毎回兄貴が作るものにとても感心する。オレには到底できないこまやかな心配りで、一つ一つ大切に作り上げる。
 単純に、家を建てるならやはり兄貴のような人に頼みたい(笑)。隅々まで手のいき届いた心遣いあるし、安心できる。佐賀の街に兄貴の設計した家が建つたびに、その細部にこだわった仕事に、感服してしまうのである。

兄貴の設計した家が見れます


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8ec10460.JPG うちは4人兄弟でオレは末っ子。親父は一級建築士で企業に勤めるサラリーマンだった。昔はよくスケッチ大会に連れて行かれていたのだが、子供ながらに親父のスケッチはうまく、いつかああいう風に描けたらいいなーと思っていた。
 毎年の年賀状は木版で刷るのが我が家のしきたりになっていて、年末は茶の間に集まり、みんなで一心に版を彫っていた記憶がある。しかも単純に一色刷りではなく、時には4色も5色も使う手の込んだ版をそれぞれが作っていたのは、今思えばかなりすごい光景だったと思う。。。
 年賀状版画に関しては、6歳から高校卒業するまでやったので、ちょうど干支が一回りした。親父がやはり一番うまかったのだが、兄も姉もオレより全然上手だったのだから、かなりレベルは高かったんだと思う。そんなうちの状況のせいで、自分は絵がうまいとか美術に才能があるなんて思わずに大きくなった。

 現在、兄貴は佐賀に帰り、建築家兼インテリアデザイナーとして活躍している。上の姉は保母さんをしていたんだけど、いまは子供三人の母で、下の姉はロンドンでアーティスト活動をしている。みんな小さい頃から手先が器用だったから、それを生かした生き方をしているんだと思う。
 しかしそんなクリエーター一家を作ったのは、誰あろう一番ものづくりに疎い母親であった。絵など描いたこともない彼女が、とにかく子供たちに絵を描かせ、結局はその道に進ませてしまった。。これはかなりすごいと思う。
 一家で芸術の話をすることはない。というか誰も自分がたいそうな芸術家だとは思ってないと思う。普通の母親に育てられた普通の人。ただ好きでものを作っている、それが宮崎家にある共通したモノづくり精神であるように思う。


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1f92cf7e.JPG いまNHKでやっている「にっぽん熱中クラブ」という番組、みなさんは見たことありますか?残念ながらBSでしか見れませんが、この番組のオープニングにオレの絵が使われています。
 この間久しぶりにチャンネルを合わせてみると、いきなりドーンと自分の絵が現れたのでちょっと感動した。一応簡単なストーリーになっていて、6人のキャラクターが鯛に乗ったりロケットに乗ったりしているのだが、突然大仏に飲み込まれてしまう。しかしなぜか大仏の頭が爆発して、みんなパラシュートで生還する。。。
 わけがわからないストーリーだけど、途中でバッチリ「ミヤザキケンスケ」というテロップが出る。かなりインパクトのあるムービーだから、名前を覚えてくれる人もいるかもしれない。ちょっとずつだけど、自分の絵が広がっていっているような気がする。もっともっと多くの人の目に触れるように、作品を発信させていきたいなーと思ってます。
 

「にっぽん熱中クラブ

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