MIYAZAKINGDOM

ミヤザキケンスケ オフィシャルブログ

2011年05月

 僕が活動を休止していた間にも、たくさんいい話が舞い込んできました。僕の人生に退屈する暇はないようです。
 まずは僕たちの被災地での活動に賛同してくださる方が少しずつ現れました!本当にありがたいことです。個人や団体で義援金を検討してくださっている方、巨大壁画制作を受け入れてくださりそうな動き、そしてついには被災地で描いた絵をシンガポールで展示をしないかというオファーまで、本当にうれしいメールをいただいています。

 僕にとってケニアの活動や、被災地での活動は、エネルギーの源です。それでお金を得るわけではありませんが、アーティストとして成長させてもらっています。本気で取り組んでいけば、何か見えてくるものもあるでしょう。

 明日また佐賀に帰ります。姉が亡くなって一ヶ月が経ちました。佐賀に残してきた作業を片付けたら、いよいよ僕も本格的に動き出さなきゃいけない。止まってばかりいられない、僕らは生きているのだから。


昨日は武雄の樋渡市長に帯刀し、仙台市長の奥山市長に面会しました。あくまで僕は同席させてもらっている立場だったので、思いを手紙にしたため、それを直接お渡しするのが目的でした。
直接お話できたのは一分程度、あとは手紙を読んでもらって響くかどうかというところ。

届くといいなあ。。

その後、多賀城市の方と連絡をとり、何とワークショップを行った天真小学校のイベントにゲスト参加するという話を詰めました。その後も交流が続いていくことの大切さ、素晴らしさを感じました。

仙台で久しぶりの人たちにも再開し、またこれから頑張ろうという気持ちになれました。

いろいろと嬉しいニュースも飛び込んできています。詳しくはまたあとで!

久しぶりに夜行バスに乗ります。今回急に仙台に行くことになったのにはいくつかの理由がある。
去年知り合った武雄市の樋渡市長さんが、今回の震災にとても迅速に行動されているのを知り、これは佐賀に帰るタイミングで絶対に会いに行こうと決めていた。
連絡をとってみると、電話越しに今週の金曜日に仙台市長を訪問することになってるから、来てみるか?と言われた。
そんな場にいきなり行ってよいものか分からないけど、僕としてはこれ以上の話はない。

だけど、いくつかの問題があった。
それは今回、ロンドンに行ったり仕事が出来なかったりで、かなり金欠になっていること。しかも仙台から姉の四十九日のためにまた佐賀に戻らなければならない。。
悩んでプロジェクトパートナーの勇人に相談すると、

「金は俺が出します。行ってきてください!」

といってくれた。
市長と話せる時間は一分もないかもしれない。だけど、何より直接やりたいことをアピールできるチャンス。

復帰戦はいきなり大勝負になりそうです。決戦は明日の10時、かまして来ます。

いまから仙台に向かいます。深夜東京に到着し、それから夜行バスで仙台へ。知り合いの計らいで仙台市長に会えるチャンスを得たのだ。
じっとしてばかりもいられない。まずは目の前のことに一生懸命になることから始めよう。

Paint it! Project ケニア壁画プロジェクト2010報告会

   日時 平成23年6月26日(日) 14:00〜16:00

   場所 世田谷ものづくり学校 一階 マルチスペース

   入場 無料 簡単な軽食と飲み物を用意しています。

 報告内容
  ★ ミヤザキケンスケによるスライドでの活動報告

  ★ ゲスト、早川千晶・石原邦子(NPO法人 アマニ・ヤ・アフリカ理事長)・斉藤泰嘉(筑波大学教授)

  ★ マゴソスクールの子供たちの作品展示

  ★ Paint it! Artist たちの作品展示


 ※どなたでも参加できます。アフリカの子供たちの絵と、アフリカのお話を聞きにぜひぜひ遊びにいらしてください。

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 いま佐賀でやっていることは、家族と一緒に時間を過ごすこと。両親と、兄姉と、甥っ子たちと時間を過ごすことが、いま僕がやりたいこと。

 姉の葬儀が終わり、ようやくひと段落が着きました。今月末に法事をすませ、僕は東京に戻ります。東京に戻れば、滞らせていた絵の仕事を再開させなきゃならない。いろんな意味で切り替えが必要になってくるけど、むしろギャップがあったほうがいい。これからは、これまで以上に本気で絵に取り組んで行きたいと思っています。

 人と人とのつながりに喜びを感じつつ、僕はこれからも描き続けます!やるぜー★






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 国際ソロプチミストという団体の佐賀支部より表彰を受けました。「国内・国際奉仕」という部門で、ケニヤや被災地での活動が評価され推薦していただいたのです。喪中ではあったのですが、またとない機会なので出席させていただきました。ホテルニューオータニの催事場で、華やかな表彰式。表彰なんて高校生以来だったなあ。。
 
 ちょうど数日前に家の整理をしていたとき、たくさんの賞状が出てきた。兄弟が4人もいると賞状の数も半端じゃない。兄弟四人ともに多才だったので、スポーツ、絵画、書道、感想文、色んな賞状があった。
 昔から姉は絵がうまく、描けば必ず賞を取っていた。だけど不思議と賞状の数は僕とかわらない。それは姉の努力に対し、僕は持ち前の要領のよさと強運で対抗していたのだろう。

 昨年姉はJerwood Drawing Prize で賞を取っていた。イギリスでも価値ある賞で、これからますます注目されるはずだった。僕はいまだに賞を取ったことがない。そして残念ながらこれから先も賞には縁がないだろう。だけど、僕は僕なりのやり方でアートを作っていく。姉の代わりに表現することはしない、だけど姉の表現したかったものを伝える活動は続けていきたいと思う。


http://jerwoodvisualarts.org/page/1/Home

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 ここ数日、僕たちは走りました。

 ロンドンへ行くためのチケットとホテルの予約、大使館や警察への問い合わせ。現地ではフラットの片付けと荷物の手配、それと同時に葬儀と弁護士の準備。悲しむまもなく走り続けました。
 何か不思議な力が働き、困ったときにいつも誰かが手を差し伸べてくれました。2日間で葬儀屋と警察と銀行の手続きをやってくれた哲郎、英語の出来ない両親のために3時間もミーティングをしてくれたMs.スー、僕たちのために二ヶ国語で式を進めてくれたヤング牧師、様々な要望に全力でこたえてくれたロブ刑事、荷造りに奔走してくれたミキとニコ、相談役だったミカさん夫妻、弁護士との橋渡しをしてくれた三郎さん、ANASのみなさん、フラットメイトの皆さん、ニール先生、やよいさん、他にも本当にいろんな人が僕たちを助けてくれました。すべての巡り会わせが奇跡の瞬間でした。
 葬儀がギリギリ帰国の前日に出来ることになったとき、これは姉が力を貸してくれたんだと確信しました。式の当日、ゴールダーズグリーンにある葬儀場は、これまで見たことも無いくらい晴れ渡り、30人と予想していた参列者はその倍の60人を超えていました。みな平日にもかかわらず、姉に会いに集まってくれました。

 前の日は姉と一緒に半日を過ごし、そこでしっかりお別れが出来たためか、その日は家族にも笑顔もあり、あとは主役の姉の登場を待つばかり!っというような雰囲気すらありました。日本ではありえない、イギリスならではの朗らかなすばらしいお葬式でした。

 もちろん姉を失った悲しみは癒えません。だけど悲しむだけじゃなく、前を向こう。自分に出来ることをやっていこう、そう思えた経験でした。去り際も美しい、さすがにオレの姉ちゃんはアーティストだぜ。


 

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 しばらくブログを更新してなかったから、心配させてしまったのではないかと思います。僕のほうは大丈夫で、これからまだまだ立ち向かわねばならないことがあり、それの準備をしているところです。
 いま現在は佐賀にいます。やはり両親が心配なのと、一番自由に動ける僕がやるべきだろうと、様々な事務作業に没頭しています。おそらく今月いっぱいは佐賀にいることになりそうです。。。途中になっているプロジェクトや、もろもろの計画はしばらくはお休みして、とりあえずこちらをきちんと片付けようと思っています。

 僕の姉はアーティストでした。しかも才能ある。ロンドンで認められ始めていた矢先の出来事だったので、姉自身悔しかっただろうと思います。しかしアーティストは死後も作品が残ります。僕は姉が残した作品を、きちんと展示をしてあげたいと考えています。
 姉の分まで生きるとか、姉の思いを背負ってという気持ちではなく、一人のすばらしいアーティストが作った作品を最高の空間に展示し、それを僕自身が見たいのです。

 何年かかるか分からないけど、僕の死ぬまでにやりたいことリストにこの展覧会はバッチリ追加されました。

 

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