MIYAZAKINGDOM

ミヤザキケンスケ オフィシャルブログ

2014年03月

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 週末に鎌倉に行ってきました。大学のはじめのころに行ったきりだったので、とても懐かしかった。思い返すと大学の頃は怖いもんなしだったなーと思う。いまも好きに生きているけど、あの頃はすべてを自分中心に考えていた。まさにお釈迦様の手の平で踊っていたようなもの。時間とともに社会の中での自分の役割を考えるようになり、好きに生きるためには負わなければならない責任を知った。
 常識に縛られる大人はつまんないけど、最低限ルールは守っていきたいなと思う。社会のルールを知った上で、そのぎりぎりのライン上で楽しく生きる。これが現時点で僕が考えてい楽しい人生の過ごし方です。


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 今日は町屋にあるアフリカ屋さんにて、今年の夏に行うアラカワアフリカのミーティングを行いました。どんなことをやるか最初のミーティングのようなもので、久しぶりにオーガナイズではなく参加アーティストという立場で関わることに新鮮さを感じながらいい時間を過ごせました。そしてアフリカ屋さんからほど近い場所に、三味線かとうという三味線専門店があると聞き、帰りに寄ってみました。
 店主の方にいろいろとお話を聞きながら、ピーンとくるものがありました。アフリカ、アラカワ、獅子舞、三味線、バラバラのように見える要素が何となく僕を通じて一つになるような予感。。。久しぶりに大きなプロジェクトを動かす気持ちが高まってきました。今年は忙しくなりそうです!


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 昨日は筑波大学で学生たちとオロチバスの借り組みを行いました。15も違う学生とはさすがにノリも話題も違うけど、楽しく作業ができました。作業自体はうまく進み、その後は数年ぶりに「くぼや」でみんなで飲みました。
 大学生と話をするのは久しぶりだったけど、意外なことに気がつきました。端から見れば彼らには時間があり、チャンスもあり、とても楽しく過ごしているように見えるけど、彼らには彼らの悩みがあり、将来への不安と対峙している。そういえば僕自身も学生時代、いつもどこか心が晴れない気持ちを持っていた。特にアーティストという不確定な未来を想像すると、人生がとても危なっかしく思えてならなかった。
 いまの現状はもちろん満足できるものではなく、不安もたくさんあるけど、あの時ほどではない。なんとか社会の中で生活ができたという安堵感は何物にも代え難い。学生には学生の悩みがあり、僕らには僕らなりの心配事がある。こればかりは年を重ねないと分からないことで、僕もこうやってじんわりと人生を歩んでいくんだなと実感しました。
 結局明け方まで飲み、東京に戻りました。来週末はどんな作品が誕生するか、今から楽しみです!

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 4月5、6日は雲南市でのさくら祭りです。今年は会場内に人力バスを走らせようというのがテーマで、昨年から何度もミーティングを重ねながら準備してきました。市役所、地元の高校生、早稲田大学、筑波大学、もちろん地域の方々の力を合わせて運行します。ここまで時間をかけてプロジェクトの準備をしたのは初めてかも知れません。。。果たして当日はうまくできるのか、今からちょっとドキドキです。
 明日はバスの試作品を筑波大学で制作します。学生が数名手伝ってくれる予定で、今はどうやってバスの形状を作るか思案を重ねているところです。想定では全長5メートルのバスになる予定で、これが町の中を走ればきっと面白いはず。頭の中に描いているイメージと、実際に作るものがどれぐらい近いものになるのか、今から楽しみでしょうがありません。
 今年の春の新年度も雲南で始まります。いい天気になってくれたらいいなー。



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 増税前に何か買わなくてはという思いもあり、ついに念願のマッキントッシュを購入してしまいました。Macには個人的に大変因縁があり、この決断に至るまでに15年という歳月を費やしました。。
 初めてMacを知ったのは確か大学入ってしばらくした頃、デザイン専攻の友人たちがこぞってG3と呼ばれるオシャレなパソコンを購入しだしたのです。僕はそのころ特に必要性を感じてはいませんでしたが、その独特のフォルムのパーソナルコンピューターをみて、新しい時代が来ているという予感がしていました。
 それから数年後、卒業論文を書くためにどうしてもパソコンを購入する必要性が出てきました。僕としてはちょっと使えればいいという程度だったので、Macに憧れはあったものの値段的に安かったNECのLavieを購入しました。しかしそれがそもそものジレンマの始まりで、当時WindowsはXPをリリースしたばかりでした。とうぜんXPを買うつもりで電気屋さんにいったものの、店頭には10万円オーバーのものばかり。そこに格段に安いパソコンが!!そう、XPの一つ前のMEと呼ばれるタイプのものでした。
 パソコンに疎い僕は、どれでもいいだろうと安いLavieを即決で購入。しかし何よりも大きな問題がありました。それは当時(よくないことですが)、パソコンのソフトは学生の間でコピーをして使うような時代でした。僕も画像処理に必要なソフトは友人からもらっていたのですが、美術系だったこともあり、ほとんどの友人はMacユーザーだったのです。
 そこから僕とMacの因縁は始まりました。パソコンを使っていて、ちょっと分からないときは詳しい友人に相談するも、ほぼ100%の確率で彼らはMacユーザーなので「Windows分かんないんだよねー」といって作業は進まない。そして互換性の悪さから、持っていったデータが読み取れないこともしばしば。今度はMacを買おうと心に決めたものでした。
 しかし時間がたてば人は慣れる訳で、数年してそれなりにWindowsの使い方も分かってきました。専用のソフトも手に入れ、パソコンライフが充実しだした頃に一代目のLavieに水がかかってしまい水死。当時ロンドンに住んでいたこともあり、僕の貯金額は限りなくゼロに近い状態でした。次のタイミングはMacでと思っていたんですが、背に腹は代えられず、ロンドンで中古のXPを購入しました。XPになって格段に使いやすくなったものの、なにせ英語ベースのパソコンなので、トラブルに見舞われると手が付けられない。。帰国したら今度こそいいパソコンを手に入れようと決意するものの、やはり人は同じ過ちを繰り返すものです。
 次のタイミングは多くの人がそうであったようにWindowsがWindows7をリリースしたタイミングでした。Macにするか新しい7にするか、それこそかなり悩みました。その時代になるとWindowsもMacもかなり互換性がよくなっていて、Windowsで困ることもそうはありませんでした。そこで7を買おうと決意した直後に、信じられない価格のパソコンが目に入ってしまいました。そう、それがまさにVista。7の一つ前のタイプです。10年近い歳月を得て、僕は同じ過ちを繰り返してしまいました。。。
 そうこうしているうちに時代はスマホの時代に。Macユーザーは当然のようにiPhoneを使いだしました。その頃になるとMacに縁がない僕の性根は腐り始めていて、あえてMacを使わないアンチMacユーザーになっていました。携帯はあえてギャラクシー、Padミニが出たタイミングではあえてギャラクシータブを使っていました。もう無限ループの中にいるようでした。
 そんな中、僕のVistaも静かに終焉のときを迎えていました。ひん死の状態で使い続けること1年、増税もありついに電気屋さんに向かう。しかし相変わらずMacは高い、、、かと思ったらそうでもない!!初めてマッキントッシュが僕に優しく微笑みかけてくれました。
 
 使い始めて2日、僕とMacのわだかまりも解け、少しずつお互いが理解し合っている状態です。初めてMacで書くブログ、思いのほか長いものになってしまいました。

 やばい、Mac、いいじゃない。










畑

 東京は雨が降っています。いつもはアトリエからスカイツリーが見えるのですが、今日は空が真っ白で見えません。たまっていたデスクワークをしながら、ようやくひと心地ついたところです。
 佐賀で壁画を描いていた時間は自分を見つめなおす時間にもなりました。今自分が何をしなければならないか、明確に分かってきたような気がします。そうです、僕は絵描きで、絵を描くことが仕事なんですね。
 どこかで、絵はいつでも描ける、それよりもいまは色んな経験をすべきだという思いがあり、正面から絵に取り組んでいないところがありました。だけど佐賀にできたギャラリーに、僕の絵のファンだという方が訪れたという話を聞き、ちょっとした心境の変化がありました。僕の絵が好きで、楽しみにしている人がいる。これはちょっとした衝撃でした。

 僕は大学の頃、描くべきテーマが見つからずにいました。悩んだ結果、色んな経験をして、人と違う世界を見ようと思いました。いつか自分が「描くべきテーマ」が見つかるまで、とにかく経験を積んでみようと思ったのです。だからあまり自分の絵について考えてこなかったし、テーマも特に設定していなかった。
 だけど振り返ると自分が描いてきた絵には一貫性があって、無意識に意思が反映されている。「ハッピー」で「楽しい」絵。これはそのまま、「ハッピー」で「楽しく」生きたいという僕の人生観が反映されているんだと思う。
 そんな僕が描いてきた絵を好きな人がいるっていうのは嬉しいことで、次第にもっと深いところまで追求してみたいと思うようになりました。これまでのように場当たり的な制作ではなく、じっくりと腰をすえた制作をやってみたい、そう思うようになってきました。これからはもっと絵描きとしての自覚を持って、制作に邁進していこうと思います。



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 東京に戻ってまいりました。壁画制作に集中していたため、そのほかのことはほっぽって置いたらとんでもないことになってました(笑)。まずは日曜日にアサヒアートでスティバルのイベントに参加させていただき、今年の夏「アラカワ・アフリカ」という、僕がすんでる荒川区とアフリカを繋げるナイスな企画に参加することになりました。詳細は後ほど書きます!そして月曜日は駆け込みの確定申告。博多から東京までの新幹線の中で必死に計算したおかげで何とか間に合いました。
 まずはイベントのお知らせです。ケニアの早川さんたちがまた日本にやってきています。今回はマサイ族のジャクソンさんも来日されており、イベント盛りだくさんです。4月15日の東京のイベントのポスターを描かせてもらいました。18日の仙台のイベントではライブペインターとして参加する予定です!
 もろもろよろしくお願いしますー


ジャンボアフリカ 〜マサイ族からの贈り物〜

 ■ 日時:2014年4月15日 (火)      
18時30分開場 19時開演 21時30分終了

■ 入場料1,500円 

■ 会場:場所:江東区森下文化センター
地図:http://www.kcf.or.jp/morishita/map.html
最寄駅 半蔵門線清澄白河駅 : 大手町より8分
都営新宿線、大江戸線森下駅: 新宿より12分

■申し込み
facebookの参加ボタンを押していただくか、
以下メールアドレスまでご連絡ください!
nakashima@tabisen-tsunagu.com
担当中嶋

ゲスト
早川千晶さん
永松真紀さん
ジャクソン・オレナレイヨ・セイヨさん
大西匡哉さん
石原輝さん

真紀さん&ジャクソンさんはミヤネ屋にも登場しました!
▼ミヤネ屋HP>マサイに嫁いだ日本人
http://www.ytv.co.jp/miyaneya/world/192216.html



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 ニューオータニの壁画、なんとか完成しました!とにかく細かいところまで描いていたので疲労が想像以上で、一時は体調を崩しながらの作業でした。自分の中でも節目の絵にしたい気持ちもあり、色んな想いをこめて描いた一枚でした。
 テーマは「最高のパーティー」です。最高に楽しいパーティーって一体どんなモンだろうかと考え、大人にとってのディズニーランドのような、大人の夢の場面を絵にしてみました。そして故郷の佐賀に壁画を描くこともあり、佐賀の要素もふんだんに取り入れました。 
 描きながら考えていたのは、自分の人生であと何枚このサイズの絵を描けるのかということ。今回のように全ての環境が整うことは、この先そうないかもしれない。そう思うと、これまでの人生の集大成の絵にしたいという想いが出てきて、僕自身の人生を詰め込んだ絵になりました。
 一番感じたことは、僕が思う「最高の場面」というのは、実際に僕の人生の中で見てきた場面であって、それはオクスフォードの晩餐会だったり、パリのオペラ座だったり、アフリカのサバンナだったり、ケベックのクリスマスだったり。20代に体験した色んな冒険が、自分の絵の中に生きていることを強く感じました。そして絵の中に描き込まれる人々の顔は、これまで出会ってきた色んな人たちにどこか似ていて、改めて絵を描くということは「自分の人生を表現する」ということなんだと感じました。
 この壁画をきっかけに、少し絵に対するする気持ちが変わってきたような気がします。これからまたさらにがんばっていきますのでよろしくお願いします!いま東京行きの新幹線でブログ更新してます、帰ったらまた新しいことに挑戦しまーす。

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 料理人がケータリングしてます。

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 新郎新婦がバルーンにのっています。

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 中央ではメリーゴーランドが回っています。

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 佐賀の七賢人も見守っています。

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 ロンドンバスや周りで踊る人々。色んなドラマが見え隠れします。

 ニューオータニのビアガーデンのオープンは4月28日。またそのときは改めて告知させてもらいます!








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 東日本大震災からちょうど3年目の今日、僕は九州で迎えることになりました。震災があった2011年時点では、3年後をこんな風に迎えるとは思いませんでした。それほど強烈な出来事だったし、数年でどうにかなる話でないことは分かっていたから。
 僕は僕なりにこの震災と向き合ってこの3年間を過ごしてきました。多くの人がそう思ったように、自分にできることをしようとアクションもしました。だけど問題は山積みで、僕にできることはというと、活動の中で知り合った人たちと繋がっていくことだけでした。本来ならばより多くの人を巻き込み、意義のある活動につなげるのが復興プロジェクトを行うアーティストの使命だと思いますが、僕はそれよりも、もっと真摯に自分の絵と向かい合うべきだと考えるようになりました。
 それは被災地の活動の中で、各地に残してきた絵が原因でもあります。それらはいまも東北各地に存在していて、それが僕と被災地をつないでくれています。僕が絵描きとして成功していけば、きっとその絵を見て生活している方々も喜んでくれるはず。そしてまた元気を与えることになるかもしれない。

 復興の道は簡単ではありません。地道な努力以外、現状を前に進める方法はありません。それぞれがそれぞれのできる最大の努力をしてはじめて、何十年か後にその努力が報われる日が来るのでしょう。その日を被災地の人たちと一緒に喜べたら、それが一番なんではないでしょうか。





 今日はなんと中学時代のサッカー部の顧問であり、三年次の担任でもあった先生と再会しました。甥っ子が所属しているサッカー部の引率で来られていて、実に20年ぶりの再会、とても懐かしかった。
 僕にとって15歳はまさに人生の転換期で、サッカーから絵の世界へといきなりの方向転換を行ったタイミングだった。今でもそのとき悩んだことは覚えているし、周囲に反対されたことも覚えている。素行に多少問題があった僕は、先生に迷惑をかけながらも、自分の意志を曲げなかった。
 たぶん僕が絵描きになるとは夢にも思わなかったろうと思う。新聞で僕の記事を読んでくれて、活躍を喜んでくれていた。先生の人生にとって、僕は一つの結果なんだろうな。あんな生徒がいて、あんなことがあり、20年後こうなった。期待通りだったり、期待はずれだったり、人それぞれ。
 特別な人間になるにはどうすればいいのか、昔からずいぶん考えてきたけど、結局のところ特別でも普通でも自分は自分。ただできることは、一生懸命自分の人生に与えられた仕事を全うすることなんでしょう。
 心も体も少し丸くなった今日この頃です。


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